カテゴリ:論文ウォッチ
6月9日:思い込み(6月4日号Nature掲載論文)
2015年6月9日
二光子レーザー顕微鏡が開発されてから、生きた組織を観察する研究を随分目にするようになってきた。私自身は「ただ見るだけという研究は想像力をなくす」と公言して、研究室の誰かがこの方法を提案すると、常に批判者の立場に立ってはいたが、結局は想像力が間違った思い込みにつながっていることをなんども思い知らされた。今日紹介するエール大学からの論文も毛根組織の再生を生きたまま観察し続けることで、これまで想像力に頼って陥っていた間違った思い込みを訂正した研究で6月4日号Natureに掲載された。タイトルは「Niche-induced cell death and epithelial phagocytosis regulate hair follicle stem cell pool(ニッチにより誘導される細胞死と上皮細胞による貪食が毛根の幹細胞プールを調節している)」だ。このグループは2012年、同じ方法で毛根が活性化される過程を観察しているが、今回は毛が抜けて新たな毛の再生が始まるまでの過程を観察している。毛根の再生は常にバルジと呼ばれる毛根の上部で起こるため、新しい毛根の再生には既存の毛根下部の細胞を除去した上で新しい毛根再生をリスタートさせる必要がある。この時の下部毛根細胞の除去は細胞死により組織が崩壊することで起こると考えられてきた。まずこの論文では下部毛根が確かに退縮はするが大規模な細胞死は観察されないこと、そして一部死んだ細胞は周りの生きている上皮細胞に貪食され、決して周りの組織に分散していくものではないことが示されている。この論文ではあまり強調されていないが、上皮が上皮を貪食するこの退縮方法なら、必要なくなった部分も毛根としてのインテグリティーを保ったまま退縮させられる。極めて合理的な方法だ。次に、この細胞死は毛母のTGFβにより誘導されることを示している。例えばレーザーで毛母を取り去ると細胞死は減り、毛根退縮が起こらない。同じことがTGFβシグナルを止めることで起こるため、もともと毛根の増殖誘導に関わる毛母が、最終局面で細胞死誘導と毛根退縮に関わることが明らかになった。最後に、退縮時に生き残った細胞はもう一度増殖して新しい毛根の発生に関わることが示されている。従来は、新しい毛根はバルジにある幹細胞を再活性化させることで起こると考えられてきた。もちろん、バルジの重要性に変わりはないが、この研究でバルジからの新しい細胞に加えて、古い毛根からの細胞も参加することで、毛根の再生を高めていることがわかった。こうして示されると、この過程だけでも3つの思い込みをしていたことがわかるし、また示されたシナリオの方がずっと合理的に見える。幸い私の研究室にも何人かいたが、ただ見ることのために努力を惜しまない研究者はたしかに貴重な存在だ。