カテゴリ:論文ウォッチ
8月2日:調節性T細胞と妊娠(7月30日号Cell掲載論文)
2015年8月2日
私が免疫学に関わっていた頃は、異物に対する免疫反応と、自己に対する免疫寛容の2元論で話が済んでいた。そんなとき、千葉大学、のちに東大に移った多田先生のグループが、抗原特異的サプレッサーT細胞の存在を示す論文を発表し一世を風靡した。しかし、その後T細胞受容体とそれが認識する組織適合性抗原の遺伝子が明らかになることで、サプレッサーT細胞の概念はあっという間に消滅してしまった。あのときのフィーバーはなんだったのかと思うが、そんなときクローン選択による免疫寛容だけでなく、免疫反応を調節する抗原特異的T細胞が存在することを示したのが現大阪大学阪口さんだ。サプレッサーT細胞へのアレルギーがある頃で、論文を通すのに苦労していたのを覚えているが、今やこの概念は免疫学の中心に躍り出て、今年ガードナー賞を受賞している。今日紹介するシンシナティ大学からの論文はこの調節性T細胞(Treg)が、母親の免疫的自己を記憶することで妊娠時に胎児への反応が起こる確率を減らしていることを示唆する極めて概念的研究で7月30日号のCellに掲載された。胎児は母親から見ると父親の遺伝子を持つ異物になる。そのため免疫反応を抑制するため様々な仕組みが発達していることが知られているが、Treg誘導もそのひとつだ。ただ、これまでの考えは、この防御機構は妊娠時の母親と胎児の関係だけに通用し、その胎児が次の世代を妊娠する時まで影響はないとしてきた。この研究では、母親の細胞が子供に維持されることで、子供がさらに多様な抗原(子供には母親の持つ抗原の半分しか伝わらない)に対するTregが維持され、この維持が次の世代の妊娠、特に遺伝的に異なるオスと交配した時の胎児への免疫寛容に重要な働きを演じることを証明しようとしている。詳細は全て省くが、母親からの抗原とそれに対する反応を完全にモニターできる凝ったトランスジェニックマウスを使って、母親の細胞が子供に維持されているか、母親の細胞が発現している抗原に免疫反応が起こっているか、それに対するTregが誘導されているかなどを、様々な条件で調べている。その結果、1)子供の様々な臓器で母親の細胞が長期間維持されている、2)この結果母親の細胞に対する寛容を維持するTregが誘導されている、3)Tregの維持誘導には胎児期と同時に、母乳を通して母親の細胞が子供に流入することが必要、4)また成長後母親の細胞を除去するとTregが減少し、寛容が壊れること、5)Tregが誘導されないと、組織型の異なる父親胎児を妊娠した場合、子宮内感染などによる流産が増えること、6)Tregを妊娠途中で除去すると、組織型の異なる胎児の流産率が上がることなどを示している。これらの結果から、母親の細胞を長期間体内に維持することで、自分とは異なる組織適合性に対する寛容性を高めておいて、組織型の一致しないオスとの子供を持つチャンスを上昇させるという、少し概念的すぎる結論を導いている。ただ、そこまで考えを広げなくても、母親の細胞が子供に維持され、子供の免疫学的自己のレパートリーを拡大している点については納得できる。もともと高次脳機能の自己は、様々な他を受け入れて自己を形成できる点で、自己のゲノムを超えている。一方身体の自己も、自分のゲノムだけで決まるとしてきたこれまでの前提が、腸内細菌叢、そしてTregによる免疫学的自己の登場で大きく変化しているような気がする。しかしTregの概念がここまで広がっているのかと感心する。
8月1日:全ゲノムレベルで個人間の遺伝子発現の違いを調べる(7月21日号Cell System掲載論文)
2015年8月1日
Cell Pressがまたまた新しい雑誌を発行することになった。Cell Systemsと言うタイトルで、いわゆるSystembiology全般を扱うための雑誌だろう。ただ、わが国でSystembiologyというと圧倒的に生物の行動を力学的数理処理により予想することが中心になっているが、7月29日の最初の雑誌に掲載された多くの論文が、全ゲノムレベルの情報処理を扱っており、生物をシステムとして全体的に眺める研究なら全て扱うように思える。しかし、CellとNatureによる寡占体制が急速に進んでいることを強く認識した。
さて、せっかくの第一号ということで、一つ論文を選ぼうと眺めたところ、一番興味を引いたのが今日紹介するスタンフォード大学からの研究で、個人間の遺伝子発現の違いを全ゲノムレベルで調べる研究で、タイトルは「Individuality and variation of personal regulomes in primary human T cells(T細胞のゲノムレベルの遺伝子発現状況の個人間の変異)」だ。例えば、全身性の自己免疫病は女性の方に多いが、なぜこの差が生まれるのかは遺伝子の配列の違いより遺伝子の発現調節の差によるところが多い。もちろん病気のリスクが個人個人で異なる原因の多くもそうだ。ただ、塩基配列の明らかな違いとして現れる差と違って、この発現量調節に関わるゲノムの差を特定するのは難しい。遺伝子発現はゲノム配列を反映していても、その発現は細胞ごとに異なる。エピゲノム研究が進んで、遺伝子発現の状態を調べることが各細胞で可能になってきたが、技術的にもコスト的にもハードルは高く、気軽に使えない。特に必要な細胞数を患者さんから集めるのも一苦労になる。この問題を解決するATAC-seqと呼ばれる方法を開発したのがこのグループで、これにより500−50000個の細胞があれば、現在活動可能になっている全遺伝子領域をマップすることを可能にした。原理は、タンパクの結合していない裸のDNA部位に選択的に挿入されるトランスポゾンを使っている。核を抽出してこれをトランスポゾン反応を支持する溶液に浮かべ、そこに遺伝子シークエンスに用いるプライマー配列を挿入したトランスポゾンを感染させる。すると、染色体の裸のDNA部分にトランスポゾンが飛び込み、これによりゲノム全領域の中で染色体の開いた場所を標識することができる。この標識はシークエンスプライマーになっているので、この標識部位をシークエンスるだけで、開いた染色体、すなわち転写が活性化されている場所とその頻度を調べることができる。大変よくできたシステムで、多くの研究室で使われるようになるのではと予感がする。研究ではこの方法を用いて、T細胞での遺伝子発現の男女差について焦点を当てた研究を行っている。この研究から、
1) X染色体不活化(http://aasj.jp/news/watch/3802参照)の際、同じ染色体にありながら不活化を免れる遺伝子の特定、
2)女性特異的に染色体が開いている場所の多くが、インターフェロンなど免疫エフェクターの転写に関わること、
3)このような部位の多くは一分子多形探索研究で様々な自己免疫病に関わるSNPとして特定されている領域と重なること。
4)試験管内でのT細胞活性化の経過をこの方法で追いかけて、病気と比較することができること。
などが示されている。論文では、それぞれの結論を他の方法と比べる膨大な実験を行っているが、それを割愛してもこの新しい方法が極めて優れた検出法であることがよくわかると思う。おそらくキット化され、臨床研究にも利用は拡大し、これまで特定が難しかったなんとなく家族に多いと言った病気リスクについての理解に大きく貢献すると思う。しかし、いい論文を軒並みさらっていくCell Pressの寡占体制は当分揺らぐようには思えない。
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