これまで知られている地球上の生物はリンなしには存在できない。まずATPのようなエネルギー交換のための通貨として、DNAやRNAのような情報として、あるいはサイクリックAMPのようなシグナル分子として、あらゆる生物反応に登場する。しかし、熱水噴出孔も含め地球上にリン元素はほんのわずかしかなく、産業的にもリン鉱山の多くは生物由来のリンを掘り出して使っている。すなわち、DNAを情報媒体とする生物の誕生にはリンを調達し、利用する仕組みが必要だった。しかし、この仕組みを考えるには、まずリンなしに生物の代謝経路がどこまで可能か調べる必要がある。
事実、生物誕生前に有機物を合成する経路はこれまでも研究されてきたが、主にオートトロフと呼ばれる独立したバクテリアの代謝経路が参考にされてきた(生命誌研究館HPの拙文参照:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。
一方今日紹介する研究は、これまで知られている膨大な代謝経路のインプットとアウトプットを、コンピュータ計算でつないで最終的に大きな代謝回路を描こうとした研究だ。この時、サーマルベントには豊富に存在する無機物H2O,CO2,H2S,NH3,N2と、オートトロフも合成できる酢酸、蟻酸などの単純な有機物を最初のインプットにしてネットワークを書いている。最初のインプットにリンは存在せず、従って描かれる回路にリンは存在しない。
具体的には、まず7種類の物質をインプット、アウトプットとする現存の代謝経路を当てはめて、どれだけこれ以外の新しい分子が生まれるか計算する。次に、回路の産物として新たに加わった分子も入れて同じように計算し直し、アウトプットとして得られるさらに新しい分子がアウトプットされるか調べる。この計算過程を、もう新しい分子が出てこないところまで繰り返して、最終的に描かれる代謝経路を原始に近いと主張している。最初のインプットにリンが存在しないため、この回路図には全くリンは存在しない。私はコンピュータに全く無知だが、論文は素人にも理解出来るよう書かれている
驚くことに、この回路だけでかなりの数のアミノ酸など複雑な有機物が形成できる。生物なしに多くの有機物が形成される可能性は高い。また、私たちが高校、大学で習うTCAサイクルを含む重要な代謝経路もそろっている。
研究では、
1) ここで描いた回路に現在かかわっている酵素が、LUCAの酵素として想像されている始原的な酵素に近いこと、
2) この回路から生まれる硫酸エステルによって、リンなしにエネルギーのやり取りが可能なこと、
3) こうして描き出した中核回路に現在使われている補酵素は、硫化鉄や亜鉛のような遷移金属が多く、リンを使っていないこと、
など、この経路が原始回路として十分資格を持っていることを主張している。
今後、この回路がどのようにリンと出会っていくのか、あるいは複製できる生物誕生前にこの回路がどのように維持できたのか、新しいフェーズの計算が必要だろう。是非計算による予言をして欲しいと思う。
もともと40億年以上前のプロセスは再現することは難しい。これからますますコンピュータの出番が出てくる。この研究は、誰もが理解出来るアイデアを用いている点、コンピュータに弱くとも十分理解出来るよううまく描かれている点など、楽しんで読める論文だ。是非一読を進める。
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