2017年4月30日
毎日紹介する論文を探すために必ず見るのが、大学や学会のプレス発表を集めた国際的キュレーションサイトで、基本的には生命科学に限ったサイトを閲覧している。ただ、ざっと目を通すが、プレス発表の内容は読まず、面白いと思えたタイトルは実際の論文にあたり、自分で判断している。おおよそタイトルから面白いと思う5−10編の論文を毎日ダウンロードし、目を通している。大変な作業に思えるかもしれないが、長年やっていると慣れてしまって、だいたい2−3時間あれば十分で、出勤前と通勤時間の間で作業を終えることができる。
現在2つのサイトを閲覧しているが、最近生命科学の中に経済や政治の論文が結構混じっている。政治も経済もいつかは生命科学になると思うとキュレーターの判断に納得するが、息抜きとしてたまに読むようにしている。
今日紹介する論文もこのキュレーションサイトで紹介していたのをダウンロードした。このバージニア工科大学からの論文は、一般的な意味での生命科学とは全く関係なく、幾つかの公表された統計データを集めて、SNSが政治や権力の腐敗を防ぐ役割があるかを検証した論文だ。タイトルはズバリ「Does sociall media reduce corruption? (ソーシャルメディアは腐敗を抑えるか?)」で、Information Economics and Policyオンライン版に掲載された。
この雑誌は初めてなのでデータを調べてみたが、それほどレベルの高い雑誌ではないようだ。ただ、研究の方法は単純明快で、世界銀行から発表されている腐敗度を示すControl of Corruption Index(CCI)と、フェースブックのデータをもとに世界各国のフェースブックユーザーのデータを集め分析し提供しているQuintlyという会社のデータから、各国でのフェースブックの普及度を調べ。両者の相関関係を調べている。この研究の最も重要なデータはこれだけで、後はこのデータの信頼性について様々な要因を加味して検定している。したがって、論文の中で図1として示されたデータをまとめると、
1) まず予想通り、フェースブックの普及率が低い国と、世界銀行の発表している腐敗指数は逆相関する。
2) 腐敗係数が極めて高く、フェースブックの普及がほとんど進んでいない一かたまりの国が数多く存在し、リビア,赤道ギニアなど多くのアフリカの国が含まれる。
3) 腐敗度の最も低いのが北欧3国だが、フェースブックの普及率も高い。
4) 最もフェースブック普及率の高いのはアイスランドで、腐敗度は我が国と同じ程度。
5) 我が国は極めて特殊で、フェースブックの普及率は開発途上国並にもかかわらず、腐敗指数はだいたいフランス、英国、ベルギーに近い。
もちろんこのデータだけからフェースブックが普及すると腐敗は防げると結論するのは早計だろう。実際には経済発展や福祉、政治の伝統の方が腐敗度ともっと相関すると考えてもいい。この点を調べるため、様々な回帰試験を行っており、確かに都市化など多くの要因がこの結果に反映されることも検証している。
中でも面白いのは、報道の自由度との関係で、報道の自由がない場合はとくにSNSの力が発揮できる点、また一般報道との補完性なども指摘している。
いずれにせよ、これはスタートラインで研究としてのレベルが高くないことは専門外でもわかる。しかし、このデータからスタートして、例えば腐敗の激しい一かたまりの国を、同じ指標で追い続けるなど、研究手法としては期待できるのではと思う。
それに加えて、不完全な統計であっても我が国の立ち位置も面白い。特に警官が賄賂を取るといったことはないが、今問題になっている権力者に対する忖度や、役所が文書を平気で破棄する点など、違った腐敗が問題になっている我が国でも、SNSが腐敗を防ぐ可能性の解析は重要だと思う。
論文としては物足りないが、腐敗の解析まできちっと論文として残そうとする精神には感服している
2017年4月29日
医学の常だが、病気を理解するための新しい視点が生まれると、治療のための大きな希望が生まれるが、研究が進めば進むほど、病気の難しさが理解されるようになり、最初の希望がしぼんでしまう。このことが最もよくわかるのがガンのゲノム研究で、ゲノム解読が安価に行えるようになってガンの個性がわかると、治療標的が見つかる可能性が高まった。しかし、ガンのドライバー変異を標的にした治療も、最初は高い効果を示しても、根治には届かないことがわかってきた。すなわちガンの方が多様化して、必ず治療耐性を持った細胞が現れることを示している。事実、ガンのゲノム解析第2弾として行われたガンゲノムの多様性の研究は、ガンが早い段階からゲノムレベルで多様化していることを明らかにした。
もちろん医学も手をこまねいているわけにはいかない。系統的にガンの多様性のルーツを調べ、本当のプレシジョンメディシンの可能性を探っている。今日紹介する英国クリック研究所を中心としたTRACER国際コンソーシアムからの論文もこの方向の研究の一つで、臨床医とゲノム研究が密接に連携して新しい治療指針を求めて研究が進められていることがよくわかる研究だ。一般のゲノム研究と比べると、より臨床の匂いが強い。タイトルは「Tracking the evolution of non-small-cell lung cancer(非小細胞性肺がんの進化を追跡する)」だ。
これまでと比べて、何か新しい試みが行われている研究ではない。100人の肺ガン患者さんの手術サンプルのエクソーム検査を行い、現在まで2年間経過を観察しているだけの研究だ。研究は現在も続けられており、最終的には850人の患者さんについて調べることになっている。あえてこれまでと違う点を探すと、一人のサンプルにつき最低2箇所(平均で3.2箇所)、離れた場所からガン細胞そ採取してエクソーム解析を行っていること、及びエクソーム解析を平均426カバレージと高い精度で行っていることを指摘できる。
結果はこれまでの研究と大きく変わるわけではないが、肺ガンを見ている医師にもわかりやすく結果が示されている。詳細を省いてまとめると、
1)30%の点突然変異、48%の大きな領域の変異がガンの中で新たに発生した変異。
2)ガン細胞の多様化は腺癌、扁平上皮癌であまり変化がないが、扁平上皮癌の方が変異の数が多い。
3)喫煙者は変異の数が多いだけでなく、ガン内での多様化も進んでいる。
4)遺伝子コピー数の変化のような大きな遺伝子変化がガンの中で起こると、予後が悪いが、点突然変異として検出されるガン内の多様性は予後に影響がない。
5)多様性にはAPOBECが媒介する変異が最も大きな寄与をしている、
などだ。
この結果から、腺癌と扁平上皮癌は、異なってはいるが限られたドライバー遺伝子の変異で始まり、長い時間を経た後染色体不安定性や DNA損傷修復メカニズムの異常が起こることで、今度は全くランダムに様々な変異が急速に蓄積を始め、新しいドライバー遺伝子の参加や抑制遺伝子の欠損が起こり、この結果腺癌、扁平上皮癌としての性質が失われていくという経過がよくわかる。
この結果を受けて現段階で治療指針を考えると、やはりガンの早期発見が重要だが、常にガンの多様性を考慮して、標的薬を含む多剤併用型の治療法の開発が重要になる。また、急速に突然変異が蓄積するときには、免疫療法は期待が持てるが、ガン特異的ネオ抗原を割り出す技術が必要であると結論できるだろう。
同じようなガンのゲノム研究だが、臨床にわかりやすいよう示されたいい論文だと思う。
2017年4月28日
今までの知識が全く間違っていることを知って驚くことは珍しくないが、今日紹介するウィスコンシン大学からの論文を読んだ驚きはなかなかないだろう。この論文のタイトル「The neural correlates of dreaming(夢を見ることに関連する神経活動)」が示すように、夢を見ているときの脳活動についての研究で、Nature Neuroscienceに掲載された。
このブログで何度も書いてきたように、私たちが夢を見るのは、REM睡眠と呼ばれる目を盛んに動かしているときだと思っていた。ところがこの論文を読むと、すでに夢にREM睡眠が条件ではないことが明らかになっていたようで、ノンレム睡眠(NREM睡眠)時に被験者を覚醒させた場合でも、夢を見ていたというレポートは数多く発表されているようだ。
ではいつ私たちは夢を見るのか?また夢を見ているときを脳イメージングから予測できるか?この問題に挑戦したのがこの研究だ。研究では被験者に高密度の脳波計を着用して寝てもらい、睡眠中急に覚醒させて夢を見ていたかどうか、またどのような夢か覚えているかを聞くと同時に、覚醒前の各部位の脳波を詳しく調べ、夢を見ることと相関する活動を抽出している。
結果だが、
1) REM睡眠、NREM睡眠と夢は相関しない。ただ、REM睡眠中の方が夢を見ている確率は高い。
2) REM,NREMを問わず1−4Hzのゆっくりした脳波が頭頂後頭葉皮質で見られるときは、まず夢を見ていない。
3) 一方、同じ頭頂後頭葉皮質周辺に20-50Hzの周波数の高い脳波が見られるときはNREM睡眠中でも夢を見ていることが多い。
4) 夢の内容を覚えている場合は、前頭頭頂部側方に高周波の脳波が見られる。
5) 語った夢の内容(例えば人の顔を覚えていること)と高周波の脳波の出現場所を対比すると、覚醒時の経験と同じ場所の興奮が見られること。
が主なものだ。
特に、2)、3)の頭頂後頭葉の興奮と夢を見ることが強く相関することに着目し、睡眠中脳波を見ながら夢を見ているかどうか予測できるか試してみると、なんと8割以上の確率で夢を見ていたかどうか予測できることを示している。
以上の結果は、夢を見るためにはまず頭頂後頭葉にある領域が興奮することで、脳に残っている記憶を集め、覚醒時と同じように体験させるメカニズムが作動することを示している。この夢の中枢ともいうべき頭頂後頭葉に存在する楔前部、帯状束、あるいは脳梁膨大後部皮質を覚醒中に刺激すると自分が異世界、あるいは現実から遊離したような気分になるらしく、夢がまず現実から離れることで刺激される可能性を示唆している。
意識の問題を考える上で、本当に重要なことを教えてくれる論文だった。
2017年4月27日
キチンは真菌から動物まで自然界に広く分布しているアセチルグルコサミンが重合したポリマーで、昆虫やエビカニの外骨格の主成分になっている。あまりに当たり前の分子で、医学の対象としてはあまり研究されてこなかったが、最近になってキチンを認識するレクチンにより自然免疫が誘導され、肺や腸粘膜を障害することがわかってきて俄然注目を集めている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はキチンの蓄積が老化に伴う肺線維症を誘導することを明らかにした研究で4月20日号のCellに掲載された。タイトルは「Spontaneous chitin accumulation in airways and age-related fibrotic lung disease(自然の過程で気管にキチンが蓄積すると加齢に伴う線維性肺疾患が発症する)」だ。
今でもキチンを健康食品として販売する会社もあるようだが、実際キチンは体に良い働きをしていると考えられてきた。しかし、自然免疫誘導能が明らかになってから、キチン分解酵素を過剰発現させたマウスを作って調べると、キチンに対する自然免疫が低下していることが明らかになり、キチンの蓄積は肺や腸に悪い効果があるのではと疑われるようになった。
この研究ではキチンを分解するキチナーゼ遺伝子操作を通して、肺でのキチンの機能を調べている。まず、キチナーゼ発現細胞を標識遺伝子ノックインマウスで調べると、気管上皮の分泌型細胞で発現すること、またキチナーゼ遺伝子は定常的に発現しており、発現レベルがIL-13などの炎症シグナルで上昇することを確認している。
次に、キチナーゼノックアウトマウスを調べると、1歳ぐらいから急に肺機能異常が見られるようになり、2年以内に50%以上のマウスが死亡することがわかった。組織学的には気道にコラーゲンが蓄積する肺線維症が主病変で、組織にはT細胞の浸潤が見られることから免疫性の炎症の結果線維症が起こったことがわかる。
キチナーゼ欠損マウスとキチナーゼトランスジェニックマウスを掛け合わせて、気道でのキチナーゼを回復させると、キチン蓄積が抑制され、炎症や線維症を抑制できることがわかった。また同じ効果は、キチナーゼ分子を直接気道に噴霧する実験でも確認される。
最後に様々な間質性肺疾患の洗浄液を調べると、キチンの量が上昇していることを明らかにした。おそらく、上皮のキチナーゼ活性が様々な間質性肺疾患で低下し、キチンが蓄積することが、肺の炎症を持続させ線維化を誘導すると結論している。
一般的にはそれほど面白いとは思えない論文かもしれないが、呼吸器の医者からスタートした私にとってキチンが肺を障害することは驚きだ。もともと老化により肺機能が低下するが、この一因がもしキチナーゼ活性の低下であるなら、キチナーゼの吸入補給により老化に伴う肺機能低下も防げるかもしれない。いずれにせよ、肺機能にキチンが関わるなど想像できない組み合わせだった。
2017年4月26日
先日、世界中でMarch for Scienceと名付けたデモが科学者の呼びかけで行われたが、トランプ政権になってポピュリズム政治が簡単に反科学的になりうることが強く認識されたからだ。このこと自体は、多くの社会学者によって昔から指摘されており、特に現在のように政治的分断が深刻になると、科学に関する分断もますます深刻になる。
このことは十分わかっているつもりだったが、今日紹介するシカゴ大学からの論文を読んで、階層間の分断だけがトランプ現象として現れているのではなく、あらゆる階層でイデオロギーの深刻な分断が進むとともに、一般の人にとって科学自体が自分の好みで消費する対象でしかないことがよくわかった。タイトルは「Millions of online book co-purchases reveal partisan differences in the consumption of science(何百万冊の本の同時購買から科学の消費における党派的分断がわかる)」で、今年から出版が始まったNature Human Behaviour4月2日号に掲載された。
もともと科学は中立で、国力を増大させ、国民の生活を向上させることで分断を和らげるものと考えられてきた。おそらく、多くの科学者もそう考えていると思う。しかし、産業革命から現代の情報社会に至るまで、科学自体がデジタルデバイドや失業といった分断の原因になることも確かだ。
この論文を読んでまず驚くのが、著者らが着想した方法だ。従来このような研究ではもっぱらアンケート調査が用いられてきた。これに対し、この研究ではアマゾンなどのオンラインブックショップを通して買った本の分析を通して、政治傾向と科学への興味を調べる、いわゆるビッグデータ解析が用いられている。一人一人の行動から社会を解析することがますます現実になっていることを実感する。
多くのオンライン購買では、まとめ買いも行われる。この場合、同時に買った本のタイトルは全て記録されているので、政治の本を買った人が、ほかのどの分野に興味を持っているのかがわかる。この研究では、オンライン消費記録から、政治に関する本を含むまとめ買いを行った行動を抜き出し、まず買った政治の本のタイトルから、消費者が保守orリベラルかを割り出す。その上で、同時に買った本の中に科学に関する本が含まれている場合、タイトルからわかるその本の内容で、政治傾向と科学への関心との関係を調べている。
予想したとはいえ、結果は驚くべきものだ。まず、保守もリベラルも、異なる意見の政治本は読まない(身に覚えがある)。すなわち分断されている。ただ、どちらの立場でも政治本を読む階層は同じ程度に科学書を買うことから、同じ程度に科学にも関心があるといえる。
しかし、読んでいる科学書の内容を詳しく見てみると、保守は応用科学を好む傾向があり、リベラルは基礎科学を好む傾向がある。例えば生命科学に対する興味は半々だが、保守の人は医学書は手にとっても、生物学や動物学の本を買うことはない。またリベラルは広い分野にわたる科学書を買っているが、保守層が買う科学書は比較的限られている。
実際、保守の人が最も多く買うのが、気候についての本だが、気候について出されている多くの本の中の極めて限られた本が買われている。また、リベラルが買う気候に関する本とは完全に分離している。同じことは環境科学の本についても言える。
要するに、保守とリベラルは政治本だけでなく、科学書でも全く異なる本を読むことで、さらに分断が深まるという結果だ。
この研究では同時に買われた政治、経済、哲学、芸術などの本についても分析している。予想通り、政治、経済、哲学では両者が買う本はやはり分断しているが、それでも共通に買われる本も一定の割合で存在し、科学書のように完全に分離はしていない。
以上が結果だが、方法論にまだまだ問題があるとはいえ、私はこの結果を極めて重要だと受け止めている。
まず政治本をネットで買う階層は、現代社会に取り残された階層ではなく、現代社会を代表する階層と言っていい。この現代を代表する階層の政治信条が異なるのは当然だが、一旦どちらかの傾向が選ばれると、読む本の傾向が決まってしまって、蟻地獄に落ちたように、一つの方向へと縛られることだ。そして、本として提示される科学も、最初から分断された読者を向いていて、分断を助長している。類は類をよぶと納得している場合ではないと感じる
科学は中立で、思想を超えて大多数の人をつなぐ力があるというのは間違いなく幻想だ。さてどうするのか?重要なのは、異なる考えの人が、違いをもう一度認識するところから議論を始めることだと思う。しかしNature Human Behaviourは面白い雑誌だ。
2017年4月25日
縫合することが難しい褥瘡など炎症性の傷口の対しては、何世紀もガーゼの様な布で傷口からの浸出液を吸収する他に方法はなかった。ところが最近になって、ガーゼの代わりに、ジェル状のマトリックスを用いた絆創膏が使われる様になってきた。この中でPromogranはコラーゲンとセルローズの混じったマトリックスによって浸出液に含まれるプロテアーゼを傷口から隔離することで傷の治りを早める。この新しい絆創膏は、生体反応は損傷治癒に必要であるとする従来の考えを改め、慢性の炎症では、炎症物質を抑えることが損傷治癒を早めると発想を転換したことで可能になっている。
今日紹介するドイツ・ライプチヒ大学からの論文はこの考えをさらに進めて細胞浸潤を誘導するケモカインを吸い取って細胞浸潤自体を抑えるマトリックスはさらに優れた絆創膏になるのではという可能性を追求した研究で4月19日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Glycosaminoglycan-based hydrogenls capture inflammatory chemokines and rescue defective wound healing in mice(グリコサミノグリカンを材料としたハイドロゲルは炎症性ケモカインを補足しマウスの欠損性損傷を回復させる)」だ。
ケモカインは炎症局所で線維芽細胞や白血球から分泌され、様々な種類の白血球の浸潤を誘導する分子で、炎症部位の感染防御に重要な働きをしている。しかし、損傷を治癒するという再生反応に対してはネガティブな働きをすることが多く、結果難治性の潰瘍が起こることになる。
このグループはケモカインが局所のマトリックスに結合しやすい分子構造を利用して、ケモカインだけを補足するマトリックスを探求し、グリコサミノグリカン(GAG)がケモカインと特異的に結合することを発見していた。この研究では、ケモカインとの結合効率を指標に、ポリエチレングリコールとGAGが結合したマトリックスベースにした高分子をさらに至適化し、ケモカインと高い効率で結合する一方、損傷治癒や炎症に関わるサイトカインとはほとんど結合しないマトリックスを完成させている。
完成した最終型のマトリックスの効果を確かめるため、糖尿病マウスの皮膚を欠損させた大きな損傷を作り、マトリックスの治療効果を調べると、現在よく利用されているpromogranを凌駕する損傷治癒効果が見られたという結果だ。また、人間の損傷部位より採取した滲出物と混合する実験で、ケモカインだけが特異的に吸着されることを確かめている。
もちろんこのままでは、細菌感染に対する防御も抑えることになるため、実際に使うときには抗生物質を混ぜたマトリックスが必要だろう。しかし、使っている分子はすでにFDAで許可されている分子であることを考えると、治験の後臨床応用されるのも早い気がする。
健康な人はいいが、糖尿病や寝たきりの人の皮膚潰瘍の治療は現在なお難しい。増殖因子や抗体を用いるのではなく、分子の物理化学的な性質を利用した安価な治療法が開発されれば、大ヒット商品になること間違いない。同じ様な機能性マトリックスの利用は大きな可能性があると実感した。
2017年4月24日
私たちの健康や病気に対する腸内細菌叢の役割に注目が集まっているが、この理由は細菌叢が介入可能なもう一つの自己と考えられるからだ。CRISPR/Casなどの遺伝子編集法の登場で、私たち自身の遺伝子を変えることが可能になりつつあるが、それでも簡単なことではない。一方、腸内細菌叢は常に変化を繰り返していることがわかっており、これを望ましいバランスに保って健康を維持する可能性は比較的高い。事実、〇〇に効く乳酸菌というキャチフレーズは巷に溢れかえっており、どれが優れているのかよくわからない。結局は、乳酸菌というブランドに頼りつつ、宣伝力で小さな違いを販売に結びつけているのが現状だろう。
しかし、腸内細菌の実際の機能が明らかになり、何が効果の元かが明らかになると、腸内細菌自体を遺伝子編集で変化させ、望ましいバランスだけでなく、体に有益な分子を産生させるということが可能になる。実際2014年このコーナーで紹介した論文では遺伝子操作した大腸菌を移植すると、マウスの食欲が抑制されるということが報告されていた(
http://aasj.jp/wp-admin/post.php?post=1755&action=edit)。この時、今後続々この様な遺伝子改変細菌移植治療が報告されるのかと思っていたが、その後ほとんど同じ様な報告を目にすることはなかった。
今日紹介するイエール大学からの論文は久しぶりに目にしたこの方向性の研究で4月20日号のCellに掲載された。タイトルは「Engineered regulatory systems modulate gene expression of human comm.ensals in the gut(デザインした遺伝子発現調節システムにより人間の腸内常在細菌の遺伝子発現を変化させる)」だ。
論文を読んでみると、なぜ細菌の遺伝子操作を通した腸内細菌叢の介入が進まなかったのかわかった。前に紹介した様に大腸菌を操作して移植する方法はたやすい。しかし、人間の腸内細菌叢の大半はBacterioidetesとFirmicutesで、おそらく大腸菌はいくら自由に操作できても安全に腸内で維持することが難しかったからだろう。残念ながらこれまで使用されてきた大腸菌の操作システムは、Bacterioidetesなどの遺伝子操作には役に立たず、Bacterioidetesにも使える操作法を新たに開発する必要があった。
全ての詳細を省くが、この研究はBacterioidetesでの遺伝子発現をテトラサイクリンの濃度依存的に、何万倍に達するまで誘導することが可能な実験系を開発している。この方法は、ほとんどのBacterioidetesで利用可能で、細菌の本来持つ遺伝子群の発現を調節することができ、無菌マウスのみならず、複雑な腸内細菌叢の中でも働くことができる。最後に、腸内でのシアル酸遊離をシアリダーゼの発現を調節できるBacterioidetesを用いて調節できるか調べている。残念ながら、シアル酸遊離は、原料となる糖鎖が必要で、酵素活性をあげたから無限にシアル酸の濃度が高まるわけではないが、操作は可能であることを示している。
結果は以上で、まだ始まったばかりという印象だが、常在細菌の操作法を開発できたという点で、今後細菌叢を実験的に介入する研究が増える様に思える。もちろんこの先には、新しいプロバイオが視野にあるのだろう。
これまでプロバイオというと数多くの細菌株の中から一つを選ぶという方法で行われ、実際にはなぜその株が一番いいのかという根拠に乏しかった。しかし、この様な方法が開発されると、従来の方法は淘汰される危険性さえある。
一方、常在細菌の遺伝子操作は、組換え食物と同じ問題を抱える。また、人間に移植するということは、組換え体の封じ込めができないことも意味する。この問題も早めに議論を始めた法が良さそうだ。
2017年4月23日
病気の原因が体内を循環している体液のバランス異常だとする考えは古くから存在する。最も有名なのは、ヨーロッパやアラビアの医学の基礎となったガレヌスの4体液説で、この考えに基づいて刃物や時にはヒルまで使った瀉血療法が医療として広く行われた。
この考えは医学の近代化が始まる19世紀にも受け継がれる。特に有名なのは、現在幾つかの病気に名前を残しているロキタンスキーで、4体液説の様に少ない成分に単純化するのではなく、「血液や体液には多くの成分が含まれており、その微妙なバランスの狂いが細胞を変化させる」という体液病理学を唱えた。しかし彼の説は、病気は各組織の細胞自体の変化によるとするウィルヒョウの細胞病理学、あるいはコッホの細菌学により衰退への道をたどり、現代の医学教育ではまず顧みられることはない。
とはいえ、体液説系譜は分子生物学の現在も根強く存在しており、特に老化した組織を若返らせるという研究には、2匹の動物の血管をつないで血液交換を行うパラビオーシスを用いた研究が、思い出した様に発表される。
個人的には、老人の組織を若者の血で再活性化するアイデアには抵抗があるが、わかりやすく、受けも狙えるのでこの方向の研究は途絶えることはない様だ。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文も私から見るとこのラインの研究で臍帯血を用いて老化した海馬を再活性化するという研究だ。Natureオンライン版に発表されたが、最初に投稿したのが2015年の11月になっているので、レフリーも抵抗する人が多かった様に思える。タイトルはズバリで、「Human umbilical cord plasma proteins revitalize hippocampal function in aged mice(人間の臍帯血血清タンパク質は老化マウスの海馬機能を再活性化する)」だ。
私がこのグループが体液説の系譜につながると強く感じたのは、この研究を始める動機として、著者らが最初から「若い血液に記憶に関わる海馬の機能を高める」という信念を持っている点だった。
しかしこの信念に基づいて臍帯血、青年、そして61歳以上の高齢者の血液から血清を分離、これを拒絶反応のないNOD/SCID(NG)マウスの静脈に投与すると、なんと期待通り神経刺激に伴い初期に発現する遺伝子の海馬での発現が、臍帯血投与群で上昇していることを発見する。
この現象がNGマウスだけでなく、普通のマウスでも見られることを確認した後、臍帯血を投与された老化マウスの脳海馬切片を用いた試験管内実験で、LTPと呼ばれる長期記憶に対応する神経反応が高まっていること、そして最後にさまざまな脳機能テストを用いて、臍帯血血清を投与された老化マウスの記憶力が回復することを突き止めている。
最後に臍帯血に存在して、青年や老人の血液に存在しない分子を探索し、最終的にメタロプロテアーゼの阻害タンパクの一つTIMP2とGM-CSFが海馬の機能を回復させている主役であることを示している。全く知らなかったが、GM-CSFは海馬の記憶機能を回復させるという報告があるらしく、この研究ではTIMP2に焦点を当てて調べている。
結果、1)老化とともにTIMP2の量が減ること、2)TIMP2タンパクは老化マウスへの静脈内投与で脳内に入り、初期活性化遺伝子の上昇を促進し、学習や記憶機能を高めること、3)TIMP2 ノックアウトマウスの脳スライスではLTPが低下すること、4)TIMP2に対する抗体を若いマウスに投与すると場所記憶が低下することを示している。
実際に記憶の形成が重要なのは生後なのに、なぜ臍帯血だけに効果があるのかなど、疑問も多い研究だが、現在もなおロキタンスキーの子孫が生きていることはよくわかった。
2017年4月22日
論文のタイトルは一目で人を引き付けることが重要だ。トップジャーナルですら毎日毎日数多くの論文が掲載される。しかし、科学雑誌を端から端まで読む研究者はまずいないだろう。ざっと目次を見て、自分に関わる分野や、面白そうなタイトルを見つけて初めて、サマリーに目を通す。上手に目を惹きつけるタイトルの中には、しかし直感的に「受け狙いの論文か?」と疑ってしまう場合もよくある。特に、起こっても不思議はないが、起こるかどうか気にしたこともなかったような現象、すなわち「どうしてこんなことに気づかなかったのか?」と思える現象についての論文にはしばしばそんな気持ちを抱く。
今日紹介するマサチューセッツ総合病院からの論文もタイトル(「Macrophage facilitate electrical conductance in the heart(マクロファージは心臓での電気刺激伝達性を高める)」)を見たとき「どうしてこんなことがわからなかったのか?」と思ってしまった。しかし本当なら臨床的にも重要な発見で、当然4月20日号のCellに掲載された。
イントロダクションを見る限り、何か強い動機でこの研究を始めたわけではなさそうだ。マクロファージの中には、組織に居着いて機能する集団がある。典型的なのが肝臓のクッパー細胞で、古い赤血球を取り込んでヘモグロビンの分解に関わっている。当然心筋の中にマクロファージが多く存在すると言われても誰も不思議に思わない。ただ、このグループは心臓でのマクロファージの分布を房室結節(AVN)と心室に分けて詳しく見たところ、AVNに密集していることに気づき、何か機能があるのではと疑ってかかった。
あとは蛍光抗体法や遺伝子発現、あるいは血管を融合させるパラビオーシスを用いて、AVNのマクロファージ様細胞が循環によってリクルートされるマクロファージであること、そして心筋と同じ様にコネキシンを発現してギャップジャンクションをAVN細胞と確立していることを明らかにしている。
次に、遺伝子発現からマクロファージ自体もチャンネルを発現しており、生理的にも興奮性の膜を有しており、心筋の興奮に応じて同じ様に興奮していることを確かめる。
ここまでくると、なるほどと読む方も真剣になる。これに続いて、様々な生理学的実験が行われ、マクロファージがあると心筋の膜電位がプラス側に偏り、より興奮しやすくしていることを明らかにする。これを体内で確かめるために、チャンネルロドプシンをマクロファージで発現させ、取り出した心臓に光を当ててマクロファージを興奮させると、刺激中に房室電導率が上昇することを発見する。
最後にマクロファージのコネキシンをノックアウトしたり、マクロファージ自体を一過性に除去する実験から、マクロファージと心筋や伝導系との結合が消失すると、刺激伝達速度が低下し、マクロファージを完全に除いた実験では、最終的に房室ブロックに至ることを示している。
細胞生物学、生理学、分子遺伝学実験を組み合わせた説得力のあるデータで、なぜ関与する様になったのか、進化的疑問はともかく、十分納得できた。今後様々な不整脈へのマクロファージの関与を調べる研究が増えるトレンドを作る、臨床的に重要な論文になるかもしれない。
タイトルで惹きつけて、読後も納得できる論文は面白い。
2017年4月21日
鳥類や哺乳類では、子育てが種の保存に必須の行動になっている。子供が独立できるようになるまで親が甲斐甲斐しく世話をやく野生動物の行動をみて、親の愛に感動するが、この時子供に愛を傾ける「親」の内容は大きく異なる。
子育てはもっぱら父親という種も存在するが、多くの場合やはり主体は母親になる。また、主役が母親でも、父親の協力形態には大きな差がある。この差の一つに、social monogamyとgenetic monogamyがある。Social monogamyではオスとメスがペアを形成して子育てをするのだが、わかりやすく言えば子育てペアが子作りペアと必ずしも一致しない。一方genetic monogamyはこれが完全に一致している。
今日紹介するハーバード大学からの論文はこのsocial monogamyとgenetic monogamyの違いの多様性が生まれる遺伝的背景についての研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「The genetic basis of parental care evolution in monogamous mice(一夫一婦型のマウスでの子育て形態の進化の遺伝的背景)」だ。
これまでsocialとgenetic monogamyのような夫婦形態の多様性についてはPrairie Voleと呼ばれるハタネズミが用いられることが多かった。この研究から、オキシトシンやバソプレッシンと夫婦の絆が明らかになっていた。この研究も基本的には同じ方向で計画されているが、組換え体の作成という古典的遺伝学的手法と、ゲノム配列決定を組み合わせて、より体系的に研究している点が新しい。
オスメス掛け合わせると言っても、本当は簡単でない。野生のハタネズミを実験室に慣らすためには途方もない時間がかかるだろう。この研究ではハタネズミの代わりに、すでに感染症研究で実験室で繁殖が行なわれており、夫婦の絆の強さが明らかに異なる行動を示す2種類のシロアシネズミ属、P.maniculatusとP.polionotusを選び、用いている。両者の夫婦形態は異なっているが、掛け合わせが可能であることが重要な点だ。
まずそれぞれの子育て行動の違いを、巣作り、リッキング(子供を舐める)、身を寄せあう性質、子供を集める習性に分けて調べると、子供を集める習性以外は、両者は大きく異なり、P.maniculatusはオスメスとも子育てがぞんざいだ。この違いが、親の行動を学習した結果でないこと、すなわち遺伝的形質であることを確認した後、両者を掛け合わせたF1を作成、次にF1同士を掛け合わせて769匹のF2世代を作成し、それぞれの行動パターンの分布を調べている。
結果は期待通りで、先に分類した行動パターンを遺伝的に分離することが可能になった。同時に、舐めたり、寄り添う行動は遺伝的相関が高いが、巣作りだけは完全に独立した遺伝形式を取ることも明らかに成った。
後は定法に従って、分離した形質と相関を示すゲノム領域を特定することで、子育て時の行動パターンの違いに関わる遺伝子座を特定することが期待され、実際12個のQTLと呼ばれる形質に相関した領域を特定している。
次はそれぞれの領域で行動変化に関わる遺伝子を特定することになるが、全ての遺伝子変化を特定するには時間がかかるだろう。この研究では、第4染色体上のQTLとして特定された遺伝子バソプレシンの発現が相関していること、またバソプレシン投与により巣作りが大きく影響されるという、常識的な結論を示して、この論文を終えている。
今後は、今回QTLとして特定した領域で行動に直接関わる変異を一つ一つ特定し、その進化を探るという大変な仕事が残っている。ただ、すでに実験室で飼われていると言っても、気性は荒く、おそらく違う行動パターンを取るネズミ同士の繁殖は簡単でないだろうと想像する(野生ネズミの繁殖を勧められた故森脇先生を思い出す)。このような地道な仕事を、ハーバード大学、しかもハワードヒューズ財団が支援し続けているのを見て、我が国の役所も、科学振興を支援するための心構えとは何か学んで欲しいと思う。