この考えは医学の近代化が始まる19世紀にも受け継がれる。特に有名なのは、現在幾つかの病気に名前を残しているロキタンスキーで、4体液説の様に少ない成分に単純化するのではなく、「血液や体液には多くの成分が含まれており、その微妙なバランスの狂いが細胞を変化させる」という体液病理学を唱えた。しかし彼の説は、病気は各組織の細胞自体の変化によるとするウィルヒョウの細胞病理学、あるいはコッホの細菌学により衰退への道をたどり、現代の医学教育ではまず顧みられることはない。
とはいえ、体液説系譜は分子生物学の現在も根強く存在しており、特に老化した組織を若返らせるという研究には、2匹の動物の血管をつないで血液交換を行うパラビオーシスを用いた研究が、思い出した様に発表される。
個人的には、老人の組織を若者の血で再活性化するアイデアには抵抗があるが、わかりやすく、受けも狙えるのでこの方向の研究は途絶えることはない様だ。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文も私から見るとこのラインの研究で臍帯血を用いて老化した海馬を再活性化するという研究だ。Natureオンライン版に発表されたが、最初に投稿したのが2015年の11月になっているので、レフリーも抵抗する人が多かった様に思える。タイトルはズバリで、「Human umbilical cord plasma proteins revitalize hippocampal function in aged mice(人間の臍帯血血清タンパク質は老化マウスの海馬機能を再活性化する)」だ。
私がこのグループが体液説の系譜につながると強く感じたのは、この研究を始める動機として、著者らが最初から「若い血液に記憶に関わる海馬の機能を高める」という信念を持っている点だった。
しかしこの信念に基づいて臍帯血、青年、そして61歳以上の高齢者の血液から血清を分離、これを拒絶反応のないNOD/SCID(NG)マウスの静脈に投与すると、なんと期待通り神経刺激に伴い初期に発現する遺伝子の海馬での発現が、臍帯血投与群で上昇していることを発見する。
この現象がNGマウスだけでなく、普通のマウスでも見られることを確認した後、臍帯血を投与された老化マウスの脳海馬切片を用いた試験管内実験で、LTPと呼ばれる長期記憶に対応する神経反応が高まっていること、そして最後にさまざまな脳機能テストを用いて、臍帯血血清を投与された老化マウスの記憶力が回復することを突き止めている。
最後に臍帯血に存在して、青年や老人の血液に存在しない分子を探索し、最終的にメタロプロテアーゼの阻害タンパクの一つTIMP2とGM-CSFが海馬の機能を回復させている主役であることを示している。全く知らなかったが、GM-CSFは海馬の記憶機能を回復させるという報告があるらしく、この研究ではTIMP2に焦点を当てて調べている。
結果、1)老化とともにTIMP2の量が減ること、2)TIMP2タンパクは老化マウスへの静脈内投与で脳内に入り、初期活性化遺伝子の上昇を促進し、学習や記憶機能を高めること、3)TIMP2 ノックアウトマウスの脳スライスではLTPが低下すること、4)TIMP2に対する抗体を若いマウスに投与すると場所記憶が低下することを示している。
実際に記憶の形成が重要なのは生後なのに、なぜ臍帯血だけに効果があるのかなど、疑問も多い研究だが、現在もなおロキタンスキーの子孫が生きていることはよくわかった。
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