2018年4月23日
かってのソビエト連邦がマルクスが考えた共産主義だったかどうかはわからないが、少なくとも資本が国家に(あるいは国家権力者)強くコントロールされていた。この結果、コネやフェボリティズムが横行し、音楽家やアスリートを含む超エリートを除くと、教育や職場で実力主義が通用せず、これがソビエト型共産主義の崩壊を招く一因になったとされている。
ではソビエト型社会が崩壊した後は、実力主義社会が生まれたのか?
今日紹介する英国キングスカレッジからの論文は、バルト三国の一つエストニアを対象に、ソビエトの支配が崩壊する1991年前後で教育のレベルと、職場の地位でみたとき、西欧型の実力主義が定着したのか調べた研究で4月号のNature Human Behaviourに掲載された。タイトルは「Genetic influence on social outcomes during and after the Soviet era in Estonia(ソビエト支配前後のエストニアで遺伝要因が社会的結果に及ぼす影響)」だ。
さて問題は、実力主義が本当に定着しているのかをどう調べるかだが、驚くなかれゲノム解析を用いている。教育やステータスなどと相関する多型をもとに、社会的ステータスに対する遺伝要因の寄与度計算し、実力主義社会の指標として用いている。方法の詳細は省くが、本当の実力には必ず遺伝形質が関与しており、従って、教育程度や社会的地位とゲノムの相関が高まるという考えに基づいている。事実英国で、最終学歴、職業的ステータスと、特定のセットの遺伝子多型との相関を計算すると、遺伝的要因が6%程度と計算できるようだ。
この研究では、英国で行われたのと同じ方法を、エストニア人のコホート集団に適用して、ソビエト支配中に教育をうけ、職業についた人たちの、最終学歴や職場でのステータスに遺伝要因がどの程度関与しているか計算すると、2%程度で英国と比べると遺伝的寄与が低い。ところが、エストニアでもソビエト支配が終わると、特に若い世代で最終学歴や職業的ステータスへの遺伝的寄与が英国と同じ6%近くまで上昇していることがわかった。
以上の結果を素直に解釈すると、ソビエト支配社会では実力主義が定着するのを阻害する要因が多く存在することになり、これまで自由資本主義社会で語られて来たことを裏付けることになった。
しかし読んだ後様々なことを考えさせる論文だ。もし実力主義を同じセットの遺伝的な寄与度で客観的に図れるなら、ぜひ我が国の政治家も調べて見たいとおもう。と言うのも、多くが2世議員で、新しい階級社会を形成している最大の職業だからだ。こんな場合、この方法で計れる遺伝的寄与度は、一般に私たちが能力が高いとしている指標と一致するだろうか?そして何よりも、本当の実力主義社会は、一定のセットの遺伝子の組み合わせで計れる遺伝的寄与度を高めることだろうかと言う疑問も感じる。要するに人間もサラブレッドと同じと言ってしまえば終いだが、これをそのまま続けると、政治の世界だけでなく、世の中全体に新しい階級社会が生まれることになる。今後もこの方法で社会を評価するなら、遺伝的寄与度が一定の範囲に収まるような社会を目指すことも重要な気がした。
2018年4月22日
2016年9月18日、このブログでビールの国ベルギーのルーヴェンキリスト教大学が醸造に用いられる酵母157種類についてゲノム解析を行い、人類が酵母を自分の好みにどう仕上げてきたかについて述べた興味ある論文を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/5793)。「醸造に使われる酵母には、人類の歴史、文化、各民族の嗜好が記録されている」ことを示した読みながら思わず笑みが漏れる面白い論文だった。この論文から学んだことは、今も酒の席で持ち出し、座を盛り上げるのに使っているので、このブログからもう一度抜き書きしておく。
1) 世界中でアルコール醸造のために使われる酵母は、ほんの数種類の先祖から由来している。
2) 中でもビール酵母の多様性は大きく、英国やヨーロッパ本土のビール酵母の多様性は著しい。一方、アメリカのビール酵母は、私たちが感じているように多様性は少ない。
3) 酵母の系統の確率は、17世紀で、微生物学の概念が生まれるより前からそれぞれの土地で、人間の手で系統化された。
4) ビール酵母は醸造から醸造へと培養を続けていくので、すでに胞子形成能力を失っている。一方、ワイン酵母は、ブドウや昆虫とともに自然を生き続けているので、胞子形成能や自然ストレスへの耐性が維持されている。
5) ビール酵母は、2種類の異なる先祖から由来しているが、目的が同じであるため、匂いや味に関わる遺伝子の変化がほとんど同じになっている。
6)ビールだけでなく、日本酒やワインでも嫌う、強いスパイシーでクローバーの匂いは主に4VGという物質由来で、この物質を作る酵素は酵母から除かれていることが多いが、この匂いを特徴とするドイツのヴァイツェンビール酵母では、きちっと維持されている。
今日紹介する論文も酵母のゲノムで今度はワインの国フランス ストラスブール大学からの論文で4月19日号のNatureに掲載された。タイトルは「Genome evolution across 1,011 Saccharomyces cervisiae isolates(1011種類の出芽酵母分離株のゲノム進化)だ。
この研究で調べられたことはベルギーからの論文と全く変わることは無い。ただ、ベルギーからの論文が醸造酵母に限っていたため、その起源については不明のままだった。実際、酵母が自らの力で移動するとなると、胞子を風で運んでもらうことしかなく、世界に広がった理由を考えると、やはり人間が運んだと考えるしか無い。この課題に踏み込むため、この研究では、醸造酵母に加えて、最近急速に解析が進む、野生に存在する酵母のゲノムを加え、なんと1011種類の酵母ゲノムの配列を調べ、ベルギーの論文でいくつかの起源から由来するとされていた醸造酵母が、中国に由来することを突き止めている。この点も含めて、いかにこの論文の結論をまとめて置く。
1)S.cervisiaeは近縁種から約30万年前に中国で分離し、1万5千年前後に中国からアジアを含むさまざまな地区に持ち出される。これを完全に醸造用として使い始める歴史は日本の酒は早く4000年前になる。これに対し、ワイン醸造用に使われるのが1500年になっている。我が国の酒酵母がワイン酵母より起源が古いというのは驚きだが、酒酵母とワイン酵母の種分化は約1万3千年前で、中国から持ち出された時期にほぼ一致するので、信用できるように思う。
2)醸造用酵母のゲノムについてはほぼベルギーの研究と一致しており、例えばビール酵母は遺伝子の倍数体や胞子形成は全くできないなどだ。これらは再掲したので繰り返さないが、この論文では日本の酒の記述が多い。
3)醸造酵母と野生酵母のゲノムは大きく分離しており、その中間に両者の様々なモザイク種が存在する。ところが、日本の酒酵母は例外で野生酵母のグループに分類できる。しかも、ブドウや昆虫の中で一年を過ごすために、2倍体を保っているワイン酵母と同じで、2倍体を保っている。しかし、人工的に進化させられた結果、酒酵母では染色体の異性体が多い。この野生種に近い系統を醸造に使う例はアジアに見られる。
4)染色体の異性体だけでなく、水平伝搬を含むさまざまな変異がS.cerviciaeには蓄積している。
他にも多くの結果が示されているが、酒を好む素人にとっては楽しみの起源がある程度明らかになり、民族とともに酵母が進化していることを確認できれば十分だろう。特に日本酒について詳しく述べてくれていることに脱帽。
2018年4月21日
今日から、2日お酒に関する科学の話をピックアップした。
いつの頃からか、ケトジェニックダイエットの宣伝や説明を目にする機会が多くなった。要するに、炭水化物が利用できないことを体に察知させ、脳に必要なエネルギー供給を脂肪にシフトし、いやでも脂肪が消費されるように体を仕向けるという話だが、もちろん副作用もある。特に、ケトアシドーシスになると多くの副作用を伴う。実際ケトン体だけでダイエットができるなら、酒を飲めばいいことになるが、ダイエットのためにはケトン体を作りながらアシドーシスを防ぐさじ加減が必要になる。ケトジェニックダイエットではこのさじ加減を教える必要があり、その方法は結構複雑だと思う。ただ、2016年7月に紹介したように英国オックスフォードとケンブリッジ大学の共同で、新しい脂肪酸、アシドーシスを起こさないケトン体が開発され、これを服用すると運動能力が2%上昇したことを示す論文が出て、ひょっとしたらケトジェニックダイエットも簡単になるのかもしれない(
http://aasj.jp/news/watch/5567
)
これまでの研究でケトジェニックダイエットの効果の一翼を担うのが、FGF21と呼ばれる肝臓から分泌される一種のホルモンである事がわかっている。最近の研究で、アルコールも強いFGF21の分泌刺激作用がある事がわかっている。今日紹介するダラスにあるサウスウェスタン大学からの論文はFGF21を介する新しい喉の渇きを誘導する経路を丹念に追跡した研究で、酒を飲むと喉が渇くメカニズムを理解させてくれる。6月に発行予定のCell Metabolismに掲載される予定で、タイトルは「The hormone FGF21 stimulates water drinking in response to ketogenic diet and alcohl(FGF21はケトジェニックダイエットやアルコールに反応して分泌され、水の摂取を刺激する)」だ。
昨日も友人たちと深酒をしたが、アルコールを飲むと確かに喉が乾く。この研究ではまず、FGF21を投与したマウスでは、行動的に渇きを感じ、その結果水の摂取が普通の3倍になることを示した上で、この渇きと水を飲む行為が、例えばバソプレシンやレニンなどの電解質や尿量を調節する経路とは全く異なることを様々な方法で示している(詳細は省く)。
次に正常の状態でFGF21が水の摂取と関わるか、遺伝子をノックアウトした動物を使って調べてみると、正常ではケトジェニック食を与えた時の水の摂取量がノックアウトマウスでは低下していることを明らかにしている。
また、アルコール摂取後1時間で、FGF21が上昇することを、マウスだけではなく人間のボランティアについても調べている。またアルコールを続けて飲ませると、水の消費が上昇するが、FGF21が欠損したマウスでは、水の消費は変化しない。このことから、FGF21がアルコールを飲んだ時の渇きの主役である事が分かる。一方、食塩の多い食事をとった時、あるいは水を24時間飲まなかった時に起こる水の消費の上昇は、FGF21が欠損しても変化はない。このことから、アルコールやケトン体で刺激されたときだけの渇きにFGF21が関わる事が明らかに成った。
以上の結果から、アルコールで肝臓が刺激されFGF21が分泌され、それが脳に働いて渇きを誘導し、水の消費が上昇する事がわかった。そこで最後に、FGF21が渇きを誘導する神経メカニズムを追求し、傍室核と呼ばれるホルモン分泌性の神経が集まった領域の、FGF21の受容体の一部を構成しているβKloth陽性細胞がFGF21の標的で、この細胞からアドレナリン受容体を介する自律神経回路を介して渇きや水の消費が上がる事がわかった。
これまで漠然と酒を飲んだ後の喉の渇きは、電解質や水の代謝の調節をしているホルモン系の作用かと考えていたが、全く新しい経路がある事がよく理解できた。
明日は酒を作るのに必須の酵母ゲノムについての論文を紹介する。
2018年4月20日
エルカルディ・グティエール病(AG病)は生後さまざまな時期から、自己免疫病のような強い炎症が起こる常染色体劣性遺伝病で、現在まで7種類の原因遺伝子が特定されている。この7種類の遺伝子の多くは、DNA複製にかかわる分子で、例えばTREX1はDNAを端から分解するエンドヌクレアーゼだし、RNASEH2は岡崎フラグメントのRNAプライマーを除去する酵素であることがわかっている。要するに、DNA複製に関わる酵素が何故これほど強い炎症を引き起こすのかが重要な問題になるが、インターフェロンが過剰につくられることがこの原因になっていることはわかっている。
今日紹介するCNRS人類遺伝学研究所からの論文は、この症候群の原因遺伝子の一つで、その機能が完全にわかっていない分子SAMHD1の機能を明らかにする事で、何故この病気でインターフェロンの過剰生産が起こるのかを明らかにした研究でNatureにオンライン出版された。タイトルは「SAMHD1 acts at stalled replication forks to prevent interferon induction(SAMHD1は停止した複製フォークで働いて、インターフェロンの誘導を防ぐ)」だ。
SAMHD1はdNTPを分解する活性を持ち、CDKによりその作用が抑制される事がわかっていた。このグループは、AG病の遺伝子が複製フォークに関わる分子であることから、SAMHD1もここで異なる機能を発揮しているのではないかと考え、薬剤で(ハイドロオキシウレア)で複製を停止させてこの分子の機能を調べると、この分子が欠損した細胞では一本鎖DNAが上昇することを突き留める。即ち、複製フォークが停止するとそこでDNAが分解されるが、このとき細胞の自然免疫を刺激しないようにDNAを処理する役割をこの分子は担っており、これが欠損すると一本鎖DNA が細胞質に流れだしインターフェロンを誘導している事が分かった。
この発見により、何故SAMHD1が欠損すると強い炎症が続くのかを説明する事ができた事になり、私のレベルでは十分な説明だが、研究では具体的にこの分子が停止した複製フォークでどう働いているか、細胞学的に丹念に調べている。おそらくこのグループは、DNA複製や修復を専門に研究てきた歴史があるのだろう。ここからは知識と経験に裏付けられたプロの仕事といった感じだ。
長い話を短くまとめSAMHD1の機能を説明すると、次のようになる。SAMHD1はCyclinA-CDKによりリン酸化を受け、活性化されると、複製中のDNAを分解するMRE11を複製フォークにリクルートして、複製されつつあるDNAを5’側へ分解すると共に、3’側はATR-CHK1経路を活性化してDNAを切除する事で、一本鎖DNAが細胞質に流れでないようにしている。ところが、この作用が欠損すると、今度はRECQ1酵素が合成されたてのDNAを引き離し、そのDNAが切断され、細胞質に流れ出し、インターフェロンを誘導するというシナリオを提案している。
DNA複製の過程を復習するには最適の論文で、自分のDNAと侵入したDNAを区別して反応するための重要な機構である事がわかる。また、AG病の成立メカニズムについてもよく理解できた。ただ、これが明らかになっても、なるべく複製が止まらないようにする以外に対症療法はなく、重要な組織で遺伝子を正常化させる事しか治療方法は思い付かないので、少し残念だ。勉強になる論文だったが、一般の方にはちょっとわかりにくいはずで、申し訳なかった。
2018年4月19日
若い時はよく寝れたように思うが、ここ数年、睡眠時間は5時間前後になっている。短いと言われるかもしれないが、特に体調がすぐれないわけでもないので、気にかけることはなかった。ところが、最近睡眠時間が短いと、アルツハイマー病のリスクが高まることを示す論文を目にするようになって、少し気にはなっている。というのも、2013年このブログで紹介したように睡眠は覚醒時に脳に溜まった様々な老廃物を排出する機能を担っていることが広く認められるようになってきた(
http://aasj.jp/news/watch/608)。これが正しいとすると、当然アルツハイマー病で脳細胞を障害する重要な原因として考えられているアミロイドβ(Aβ)を脳外へ排出する効率が、睡眠時間が減ると低下することになる。
これを裏付けているのかどうかわからないが、1日睡眠を妨げられて徹夜するだけで、脳内のAβ量が高まるという恐ろしい論文が米国国立衛生研究所から米国アカデミー紀要にオンライン発表された。タイトルは「β-amyloid accumulation in the human brain after one night of sleep deprivation(一晩睡眠が妨げられると人間の脳内にβアミロイドが蓄積する)」だ。
研究では平均年齢40歳の20人の男女の脳内Aβ量を、Aβに結合するF18同位元素でラベルしたflorbetabenを用いてPETで測定している。PETを使えば、脳のどの場所に蓄積が見られるかわかる。測定は一回目は普通に寝た後、そしてもう一回目は夜10時から7時まで看護師さんの監視のもと一睡もできずに30時間起きていた後と、二回行われ、両方の画像を比較して、Aβが蓄積している場所を特定している。
驚くべき結果で、一晩徹夜するだけで、アルツハイマー病で障害される海馬、海馬傍回、そして視床の3領域でAβの蓄積が認められる。海馬では、右側でこの傾向が強い。この上昇は、一人を除いて19人全員に観察され、年齢、性別を問わない。また睡眠が妨げられて気むずかしくなる程度に応じて、蓄積が高い。なぜこれほど短い期間にAβの蓄積が検出できるのか、この結果だけから結論できないが、やはり睡眠により老廃物の排出が抑えられるからと考えるとつじつまが合う。
この研究でも、一般的なリスク要因としての、睡眠時間、APOEの血中濃度と相関してAβが蓄積する領域についても同じ被検者で調べている。面白いことに、日常の睡眠時間の長さに相関してAβが蓄積する場所は、被殻、海馬傍回、そして右の楔前部で、徹夜で蓄積する部位が違う。またもう一つのリスク要因のAPOEと相関するのはレンズ核、淡蒼球と、また違う場所が相関している。
結局、徹夜による蓄積部位と、他のリスク要因と相関するAβ蓄積領域のメカニズムが異なることは、単純に老廃物が排出できないことだけにアルツハイマー病の責任を負わせるわけにはいけないことを示している。
結論としては、徹夜は禁物で、長く寝るに越したことはないことになる。ただ、後の方は守れそうもない。
2018年4月18日
新聞やテレビのコマーシャルでは、コラーゲンのようなタンパク質やヒアルロン酸のようなグリカンが入った内服薬が宣伝されている。皮下に注射してシワを取ったり、関節注射でヒアルロン酸を直接補充する方法が効果があるのは疑わないが、内服で効くと言われると、消化酵素の作用を逃れ、さらには腸管で吸収され、局所に移行してくれるのか、直感的に疑ってしまう。
しかし自らを振り返って、直感に反するような処方を行ったことがないのかと自問してみると、医者になってからもコラーゲン内服と同じような処方を書いたことに思い当たる。卒業してすぐ、胸部内科に入局したが、当時はセラチア菌から分泌されるダーゼンという酵素を、痰の排出をよくする目的で処方することが普通だった。処方集にも書かれており、先輩が処方するのを見て、当たり前のように処方していた。どうしてその時、本当にそのまま酵素として腸から吸収され、肺まで運ばれるのかなどと疑うことがなかったのか、不思議だし恥ずかしくさえ思う。医師の私でもそうなのだから、一般の人がコラーゲンを食べてお肌がスベスベと言われて疑わないのも当然のことだと思う。
医学研究者として、仲間が当たり前と行っていることにも疑いを持つことは、現在の医療体制を持続させるために最も重要なことだ。今日紹介するペンシルバニア大学を事務局としたチームは、目の炎症によるドライアイに対して、米国では普通に処方されているオメガ3脂肪酸の内服の効果を調べ直した臨床治験で4月14日号のThe New England Journal of Medicine に掲載された。タイトルは「n-3 fatty acid supplementation for the treatment of dry eye disease(ドライアイの治療に対するオメガ3脂肪酸)」だ。
オメガ3脂肪酸がガンの抑制など様々な効果があることは様々な臨床研究で示されてきたが、一般の人が思っているほど万能ではなく、対象によってはガンや神経でも効果がないと科学的に断じられた治験も結構ある。今日紹介する研究では、やはり効果があるというこれまでの治験報告に基づいてドライアイに普通に処方されているオメガ3脂肪酸の効果を調べるために、27臨床施設で、923人のドライアイ患者さんを選び、その中から様々な条件を満たした349人を無作為に分け、偽薬あるいはオメガ3脂肪酸(実際には2000mgのEPA, 1000mgのDHA)を毎日服用させ、1年間観察し、ドライアイ診断のためのPSDIスコアを用いて評価している。治験の方法は、無作為化二重盲検法を用いた完璧なものだ。
結果はオメガ脂肪酸を服用しても、偽薬を投与された群と全く症状に差がないという、ネガティブな結果に終わっている。また、診断時の様々な検査指標で患者さんを層別化しても、効いたと言える群はないことも判明した。
これまでも100人程度の対照を用いて同様の治験が行われ、これが処方する根拠となっていたようだが、この治験に対してはデザインが悪いと極めて批判的に論評している。すなわち、今回の治験を重視すべきと主張している。
医者の立場になると、病気に対して何か処方できることが重要になってしまい、値段が安く、他の医師も使っている場合は、あまり効果がないなと感じても使い続けることになる。その意味で、普及している処方を見直す努力を惜しまなかった点でこの治験は医師の良心を示す研究で、だからこそThe New England Journal of Medicineに掲載されたのだと思う。ただ、このような治験にかかる努力は大変だ。これからは、ネットなどを通してより簡単に効果の見直しができる方法の開発が必要だろう。本当は、医師の処方薬だけでなく、多くの健康食品がこのような検証を受けることができるように消費者と、医師がタッグを組んでいくことが必要だと思う。
2018年4月17日
この歳になって振り返ると、現役時代を楽しんで過ごせたのは、あまり業績もないのに、ポテンシャルだけで教授の席を提供していただいた熊本大学の教授会のおかげだと本当に感謝している。そして、その熊本で始めた何もない教室に、当時オクラホマに留学していた林君が参加してくれたことが、その後の教室の発展に最も大きな転機になったと思っている。彼が持ち前の洞察力をもとに、大理石病マウスがCSF1の突然変異であることを示してくれたおかげで、この分野で仕事をするための場所代を払うことができた。私自身はCSF1の研究はその後もほとんど行っていないが、CSF1に関する面白い研究が発表されると、他の分野より興味を惹かれることが多い。
中でも最近報告が続く、CSF-1抑制により、ガンの予後が改善されるという論文には特に興味を持って読んでいるが、今日紹介するスイス・ローザンヌにあるルードビッヒがん研究センターの論文は、特に印象が強かった。タイトルは「T cell induced CSF1 promotes melanoma resistance to PD1 blockade.(T細胞により誘導されるCSF1はメラノーマのPD1阻害治療の抵抗性を促進する)」で、4月11日号のScience Translational Medicineに掲載された。
すでに述べたように、CSF1が様々なガン細胞の増殖促進に関わることは、広く認められるようになっており、実際CSF1受容体の阻害剤をガンに用いる治験が行われている。また、辞めた後でも、私たちが樹立したCSF1R抗体AFS98のリクエストは多い。
この研究ではメラノーマを対象に、臨床とマウス実験を行き来しながらCSF1の作用を調べている。驚くことに、メラノーマが進展すると、血中CSF1濃度が上昇する。この原因を探ると、CD8陽性のキラー細胞がメラノーマに作用するとき、インターフェロンγやTNFを分泌し、それがメラノーマに働いてCSF1を誘導し、その結果腫瘍の増殖を促進するマクロファージを集めてしまい、キラーT細胞への抵抗性が獲得されることがわかった。同じようなメカニズムで、他にも様々なサイトカインが誘導されることから、PDL1が誘導されて直接キラー活性を弱めるだけでなく、実際には様々なサイトカインが腫瘍の免疫抵抗性に関わるようだ。
そこで、CSF1がどの程度キラー活性を弱めているのか、マウスの実験系を用いてPD1に対する抗体とともに、私たちが作成したCSF1Rに対する抗体AFS98を同時に注射すると、PD1抑制だけでは殺しきれなかったメラノーマが完全に消失することがわかった。実際、Yummer1.7という細胞株では、8割近くのマウスが100日以上再発なしに生存する。そして、この効果は腫瘍の免疫抵抗性を付与するマクロファージの腫瘍間質への移動が抑制されるためであることがわかった。
では通常2割程度の患者さんしか反応しないPD1阻害治療を、CSF1R阻害と組み合わせて全ての癌を制御できるようになったのかと言うと、事はそう簡単でないようで、メラノーマによってにCSF1R抗体も効果が全くないのもあることも明らかになった。すなわちガンによってはキラー活性を弱めるのにCSF1を使わず、他の抵抗性に関わる因子を介して、免疫抵抗性を維持していることもわかった。
話はこれが全てで、あえて結論を述べると、CSF1の役割を前もって調べておけば、よりPD1療法の効果が予測できるという結論になる。CSF1Rに対する抗体を作成していた頃は、ガンにまで効果があるとは想像だにしなかったが、もし癌を制圧する研究に役立つなら、嬉しい限りだ。
2018年4月16日
京大にいた頃、私の教室の隣がエイズウイルスについて研究されていた速水さんの教室だった。動物実験施設では安全性を保った飼育が難しいため、特別に猿の飼育施設を持っておられて、感染実験を行っておられた記憶がある。いつも廊下を通るたびに、維持は金も人手もかかってさぞ大変だろうなと思ったのを思い出す。このように、いくらネズミは進化的に人に近いと言っても、系統的にはほぼ1億年前に別れており、2500万年前に別れた実験によく用いられるアカゲザルとは比較にならないほど離れている。従って、感染症など、どうしても猿を持ちいて研究する必要があるケースは、苦労しても猿が用いられる。
今日紹介するハーバード大学からの論文はジカウイルスにより引き起こされる胎児脳の発生異常の原因を探るためアカゲザルを用いた感染実験で5月17日発行予定のCellに掲載される。タイトルはそのものズバリ「Fetal neuropathology in Zika-virus infected pregnant female Rhesus monkeys(ジカウイルスに感染した妊娠アカゲザルの内の胎児の脳病理)」だ。
ブラジルでジカウイルスによる小頭症が発見されてからのジカウイルス研究の速度は凄まじく、ある意味で現代医学の力を示すといつも思う。症例が報告されて一年もたたたいうちに、クライオ電顕、iPSなどを駆使して、ウイルスの構造や感染の標的細胞などが特定され、またワクチンの準備もできるようになった。ところが、肝心の胎児に対する影響を見るための感染実験系が、免疫不全マウス以外に存在せず、これまで行われた猿を用いた研究は、人間の病態を反映できなかったようだ。
この研究ではアカゲザルで人間と同じ病態を再現できることが結論だが、サルでは再現が難しかったという前提を知らないと、どこが新しいのかおそらく不思議に思ってしまうだろう。
研究では、受精後6−7週の妊娠早期と、12−14週の後(アカゲザルの妊娠期間は23週程度)に、通常の量のジカウイルスを感染させ、その後の胎児の発育を徹底的に調べ、出産時期が来ると帝王切開で出産させ、新生児の脳の病理を調べている。結論としては、小頭症をはじめとする人間で見られる病態がほぼ完全に再現できるというものだが、実験系を用いることでよくわかった点だけまとめておこう。
1) ウイルスは母親の脳など様々な組織で持続的に増殖する。抗体が作られるが、出産後もウイルスは作り続けられる。
2) 胎盤の絨毛細胞と血管に強い異常が誘導され、流産、胎児発育低下を来す。胎盤にウイルスが検出できる。
3) ほぼ100%の胎児の脳と脊髄に病理的異常が見られる。これは、早期に感染した場合により強い症状がある。他にも、筋肉炎なども見られることから、ほぼ全身に感染すると考えられる。
4) 病理的には、強い血管障害、神経前駆細胞の過剰増殖と移動の異常、細胞死の増加、その結果起こる脳構築の形成不全、
とまとめられるだろう。これまでの人間での報告より、より強く血管障害が強調されているのが印象的だ。いずれにせよ、母親の抗体ができる前に感染して、抗体ができてもウイルスが出続けているとすると、ワクチンなど戦略が難しくなる。最初、ジカウイルスはそれ自体問題ないと考えられたが、結構深刻な感染症であることがよくわかった。いずれにせよ、感染症に関しては世界の総力を挙げて研究する体制ができていることは間違いない。
2018年4月15日
嬉しいことに、今でも若い学生さんへの講義を依頼していただく大学や機関がある。もちろん、自分自身は研究をしているわけではないので、研究の話はできない。かわりに、自分で考え、権威に頼らず、21世紀の科学を切り開く若者が一人でも多く生まれることを願って、近代科学誕生から、ダーウィンを経てゲノム情報科学が生まれた「過去」、特に人間についての情報が統合される「現在」、そして生命や言語誕生などの情報の自然発生が理解される「未来」について話をしている。
ただ、科学は独立して競争することだけではないことも理解して欲しいと思っている。この目的で、「現在」について教えるとき、記録し続けるコホート研究の伝統と、コレクティブインテリジェンス(集合の知)について話をする。例えば、2014年に紹介した「外国語ができるとボケにくい」という論文では(
http://aasj.jp/news/watch/1660)、なんと1936年に始めたコホート研究が2014年に論文として発表された。すなわち、研究者が課題を次世代へとつなぎながら研究を完成させていく姿に感銘を受ける。もちろん、我が国でも科学界としての伝統が生まれ始めたと思うが、21世紀になって崩壊したように見える。これも我国が学力低下の重要な一因のように思える。
これに対し、今日紹介する論文は、欧州の山々の頂上の植物相と気温を、なんと19世紀、我が国で言えば明治維新から最長145年にわたって観察し続けた記録で、欧州の様々な大学が共同で4月12日号のNatureに発表した。タイトルは「Accelerated increasee in plant species richness on mountain summits is linked to warming(山の頂上で起こっている植物種の増加の加速は温暖化と関連している)」だ。
もちろん最初から温暖化問題を調べるために行われた研究ではないだろう。ただ、山の頂上は地理的に一定していることから植物種の多様性を調べる最も安定した場所であるとするBraun Blanquetという植物学者に賛同して、302のヨーロッパの山々の頂上をなんと最も早い観察は1871年(明治3年)、から現在まで続けられている。
論文の最初の図では、この観察の創始期をリードした研究者の写真や活動の様子が掲載されており、この研究が代々受け継がれてきた研究であることがわかる。
結果は、予想通りというか、全ての頂上でほぼ同時に植物種の数の増加が加速し、これは頂上で記録された温度と相関している。そして、この増加の速度は、2000年以降1950−60年代の速度と比較して5倍以上になっていることが示されている。並行して、山頂の温度の変化も2000年前後から急速に上昇しており、植物相の変化が温度の変化を完全に反映していることがわかった。
もう一つ重要なのは、これまで種の数の増加として進んできた植物相の変化が、頂点に達して高地の植物が置き換えられる、植物相全体の転換ポイントに達してきていることで、実際サイズの大きい、葉っぱの大きな植物が急速に優勢になりつつあることもわかる。
山頂の気温だけでなく、それがもたらす効果の両方を最も明瞭に示した研究で、温暖化の深刻さを教えてくれるとともに、科学者の連帯を象徴する論文だと感銘を受けた。
2018年4月14日
タスマニアデビルを絶滅の危機に追い込むかもしれない顔面に発生する流行生ガン(DFT:Devil facial tumor disease)については、2016年9月3日(
http://aasj.jp/news/watch/5723)、そして2015年12月30日に紹介している(
http://aasj.jp/news/watch/4641)。このガンの恐ろしさは、口から口へと他の個体に感染することで、この結果個体数が3割以下に減少してしまった。これまで犬の性的接触で感染するガンの存在は知られていたが、組織適合性の壁を超えて爆発的な感染力をもつガンはDFTだけで、絶滅を防ぐためにもガンの特徴を明らかにし、治療法を確立することが求められている。
今日紹介する英国ケンブリッジ大学からの論文は、異なる集団に独立に発生した2種類のDFTを徹底的に調べてその由来や治療法を探した論文で4月9日号のCancer Cellに掲載された。タイトルは「The origin and vulnerabilityies of two transmissible cancers in Tasmanian Devils(タスマニアデビルの2種類の感染性ガンの起源と弱点)」だ。
DFTの謎は、
1) どうして同じような伝搬性のガンが独立に発生したのか?
2) どうして免疫監視機構を逃れているのか?
の2点に絞っていいだろう。特に独立して同じようなガンが存在することは、この2種類を比べ、また正常細胞とも比べることで、ガン発生につながる変化を見つけやすい。そう考えてこの研究は行われたが、結論的に言ってしまうと、それでも完全な答えは遠いということがわかる。これは人間のガンでも同じで、最初ゲノム研究が進んでガンの成り立ちが数年で理解できるようになるのではと期待したが、ゲノムは複雑すぎてまだそこまで至っていない。
この研究では、ゲノム解析を通して、
1) DFTの変異の入り方から、ウイルス感染や、紫外線や発ガン物質などの外的要因で起こったものではないこと、またタスマニアデビル特有の遺伝子変異機構があるわけではないこと、
2) 両方のDFTに共通の遺伝子変異はないが、ともにHippo経路に関わる分子の変異が見られ、またDFTではこの経路が活性化されている証拠があること、
3) 転座やテロメアなど染色体構造に関わる変異で、両方に共通の変異メカニズムがありそうだが、完全に特定はできないこと、
4) PDGF受容体のコピー数の増加が両方で認められること、
5) 免疫監視機構をすり抜ける機構については、一つのガンでβ2ミクログロブリンの片方での欠損が見つかったが、両方に共通のメカニズムについては理解できなかったこと、
が結論として得られている。結局、2種類しかないガンでも、完全に理解することは難しいことがよくわかる。ましてや、人間のガンになるとさらに難しいと思う。
ただ、これで終わっては研究者魂が満足しない。著者らは、多くの抗がん剤をDFT細胞に試し、チロシンキナーゼ阻害剤の中に、人間のガンと比べてもはるかに効果が高い薬剤があることを発見している。これは、今後の治療を考えると大変重要なことだと思う。
この研究から見えてきたDFTの発生を考えると、人間の進出などでタスマニアデビルの生存環境が変わり、高い密度で群れて生活するようになり、もともと持っていた口をかみ会う習性により顔面の損傷と再生の頻度が上がった。この結果増殖を繰り返した神経堤由来の細胞がガン化し、その中から免疫機構をすり抜ける変異体が発生して、感染が拡大したというシナリオになる。
残念ながら、このガンがなぜ免疫監視をすり抜けられるのか、わからずじまいで終わるが、おそらくこれは、現在最も期待されている免疫療法を理解する上でも最も重要な課題だと思う。研究の進展を願う。しかし、タスマニアデビルの絶滅を防げないようでは、私たちはガンを制圧することなど到底出来ないだろう。