2019年8月22日
年をとると頭が固くなるとよく言われるが、機能を支える脳組織までが固くなっているとは、今日紹介するケンブリッジ大学幹細胞研究所からの論文を読むまで想像だにしなかった。タイトルは「Niche stiffness underlies the ageing of central nervous system
progenitor cells (ニッチが固くなることが神経前駆細胞の老化の背景にある)」だ。
もともと著者らはOPCと呼ばれる脳に存在する多能性の幹細胞の老化について研究していた様だ。新生児と老化マウスから採取したOPCを通常の条件で培養すると、たしかに老化OPCの増殖は遅い。ただ、この性質が老化した脳という環境によって誘導された結果なのか、OPC自体の老化なのかを調べるために、老化OPCを新生児の脳に移植すると、若返って増殖能を回復することを発見する。すなわち、脳の環境が違っている。
このニッチによるOPCの老化の分子メカニズムを探るべく、老化脳と新生児脳の組織から全て細胞を取り除き、マトリックスだけにしてOPCを培養すると、ニッチは細胞ではなく、マトリックスにより形成されていること、そして実際にはマトリックスが硬いとOPCの老化が進むことを、コンドロイチナーゼでマトリックスを分解して柔らかくする実験で確かめる。すなわち、老化マトリックスも酵素処理で柔らかくすると、老化OPCが若返る。
そこで、ただOPCを培養する基質の硬さを変えるだけで同じことが起こるかどうか、硬さの違うハイドロゲルの上でOPCを培養すると、柔らかいハイドロゲルの上で培養した老化OPCが若返る一方、硬いハイドロゲルの上で培養した新生児OPCが老化することを発見する。
ここまでくると、細胞が硬さを認識するメカニズムが老化を決めていると想像できるので、メカノセンサー分子PIEZO1に焦点を絞って研究を行い、老化OPC ではPIEZO1の発現が高まっていることを確認し、さらにこのセンサーの発現を落とすと、老化した環境でもOPCの増殖が維持できることを明らかにする。
最後に老化マウスの脳内のPIEZO1をCRISPRシステムを利用して発現量を落とすと、増殖が高まり、さらにミエリンの再生能も高まることを明らかにし、老化によって固くなった頭を認識している機構がOPC上のPIEZOであることを明らかにする。
最後に、PIEZOの正常での機能を確かめる目的で、この分子を新生児期にノックダウンすると、OPCの数が5倍に増えることがわかり、この分子がOPCの脳内での数を決める分子であると確認している。
話はこれだけで、PIEZOが上昇するのが、頭が固くなった結果なのかがはっきりしない点は問題だが、文字通り頭が固いことについての研究だと思うと、面白い。
2019年8月21日
胆石はビリルビンとコレステロールが混ざり合って胆嚢のなかで結晶化することで起こる。胆嚢内に存在するだけでは問題ないのだが、胆汁の流れを止めると炎症を起こして痛みの発作をおこす。脂肪の摂取が増えて、コレステロールが析出しやすくなったために、引き金が引かれるのだろうと漠然と考えていたが、厳密にいうと、何が胆石の核になって結晶化の引き金を引くのかはよくわかっていなかった様だ。
今日紹介するドイツ のフリードリッヒ アレキサンダー大学からの論文は、胆石の結晶化の引き金になるのが白血球のDNAであることを示した研究でImmunityのオンライン版に掲載された。タイトルは「Neutrophil Extracellular Traps Initiate Gallstone Formation(好中球の細胞外分泌物が胆石形成を開始させる)」だ。
このグループは胆石形成の核になる物質を探す目的で、胆汁の中の小さな沈殿物を調べ、その中にDNAと好中球のエラスターゼが存在することを発見、また好中球の存在下に胆石を加えるとエラスターゼが吸着すること、そして好中球のDNAトラップがコレステロールとカルシウムの凝集を促進することを調べ、胆石形成の最初の過程に好中球が関わると結論した。
この発見がまさにこの研究のハイライトで、あとは好中球がどの様にコレステロールなどの胆石の成分を集めて胆石を形成するのかを順を追って調べている。詳細を省いて結論をまとめると次の様になる。
コレステロールが析出してできた結晶と好中球とが触れると、マクロピノサイトーシスと呼ばれる過程が誘導され、結晶が細胞内に取り込まれ、これにより活性酸素が誘導され、またリソゾームからカテプシンなどの酵素が細胞質に漏れて、クロマチンを破壊、粘着性のDNAが組織に発生し、これがコレステロールとカルシウムの凝集を誘導して胆石が形成されることを示している。そして、それぞれの過程を遺伝的、あるいは薬剤で阻害すると、この発生を抑制して、胆石を抑えることができる。
話はこれだけだが、マウスモデルでこの過程に関わるaruginin deaminaseを抑制すると、胆石形成を抑制できることも示しており、さらにすでにできている胆石の成長を遅らせることができることも示している。その意味で単純だが、根本治療が開発されることも期待できる面白い仕事だと思った。ただ、どうしてImmunityに掲載されるのか、それは謎だ。
2019年8月20日
アルツハイマー病研究の基本は現在も、異常アミロイド(Aβ)とTauの制御だが、この上流、下流についての研究は多様性が増して、あらゆる可能性が試されるという新しいフェーズに入った感がある。
今日紹介するテキサス大学からの論文は、Aβとグレリン受容体との関係を追求した研究で8月14日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Disrupted hippocampal growth hormone secretagogue receptor 1a interaction with dopamine receptor D1 plays a role in Alzheimer′s disease (海馬でのsecretagogue受容体(GHSR1a)とドーパミンD1受容体(DRD1a)の相互作用の阻害がアルツハイマー病の発症に関わる)」だ。
タイトルにあるsecretagogue受容体は、国立循環器病センターの寒川さんらによって発見されたグレリンの受容体で、下垂体の成長ホルモンの分泌に関わるが、海馬ではドーパミン受容体と相互作用を起こして、シナプス活性を促進することが知られていた。この研究は、この GHSR1a と DRD1 の相互作用をAβが阻害して、アルツハイマー病の記憶障害が起こるのではと仮説をたて、これを検証している。
まず、アルツハイマー病(AD)モデルマウスを用い、ADでは海馬のGHSR1aの発現が上昇していること、そしてGHSR1aがAβと結合していることを発見する。そこでGHSR1aを培養細胞に発現させてAβとの結合を見ると、切断されたAβ42のみGHSR1aと結合できることを明らかにしている。
次に、同じ細胞を用いてAβによりGHSR1aとDRD1との相互作用が抑制されること、そしてADマウスでは時間とともに海馬での両者の結合が低下しており、この結果海馬のシナプス密度と機能が低下し、記憶障害が起こっている可能性を示している。
以上の結果は、AβによりGHSR1a/DRD1相互作用が拮抗的に抑制されていることを示しているので、これをそれぞれの受容体に対する刺激剤で高められるか、まず海馬のスライス培養で調べると、GHSR1a,DRD1それぞれの刺激剤では効果がみられないが、両方を同時に加えるとAβとGHSR1aの結合を抑制できることを確認する。
この結果を受けて、両方の刺激剤をアルツハイマーモデルマウスに投与すると、AβとGHSR1aの結合が低下、シナプスの密度が上昇し、記憶が正常化することを明らかにしている。この様に薬剤で機能的回復が誘導できるが、AβやTauの蓄積自体にはこの治療法はなんの効果もないことも示している。
以上、根本原因は除去できておらず、その結果としての神経変性については抑制できない可能性が大きいが、記憶の低下を防げるだけでも患者さんは助かる。相手が大きいと、一つでも対策が多い方がいいのは当然だ。
2019年8月19日
最近あまりにも論文が多すぎて光遺伝学を用いた研究を紹介する機会が減ったが、技術的には急速に進んでいる。というのも、光を使う問題点ははっきりしており、それを解決してより精密な神経コントロールが可能になりつつある。したがって、一度この辺についてもジャーナルクラブで取り上げる予定にしている。
そのとき是非取り上げたいのが今日紹介する光遺伝学の本家本元Karl Deisseroth研究室からの論文で、視覚認識の経験を、光遺伝学的に脳内に再現するという研究で、重要な課題を設定しその解決のために必要な技術を開発していくこの研究室の迫力に満ちた研究だ。タイトルは「Cortical layer–specific critical dynamics triggering perception (知覚を誘導するために必須の皮質特異的動態)」だ。
光遺伝学の重要な進歩の一つは、立体的に構成されている神経細胞を狙って光刺激を入れるホログラム方法の開発だろう。まず自然の感覚刺激により興奮する神経細胞を記録し、それをもう一度刺激するという離れ業だ。ただ、こうして作成する光のスポットに迅速にしかも強く反応できるロドプシンは存在しなかった。
この研究ではまず、微弱な光に反応できる海洋の微生物600種類以上のゲノム解析から、彼らがChRmineと名付けたチャンネルロドプシンを特定する。これは、赤い光に反応するため、カルシウムイメージングで出てくる光の影響を受けないため、刺激と興奮記録を同時に行うことができる。また、光への感受性も高く、さらに反応時間も短く、ホログラム刺激と組み合わせるのに最適の分子であることを示している。
あとは、マウスが縦縞、横縞の資格刺激を受けたときのV1視覚野で興奮する神経を記録し、皮質2/3層と5層に散らばる神経細胞を刺激できる様にしている。
この方法により、視覚刺激に対して訓練されたマウスを用いて、視覚で刺激される神経興奮と同じ認識が光遺伝学で再現できること、さらには視覚でははっきり区別がつきにくい刺激を光遺伝学を同時に組み合わせて正確な認識が可能になることなどを示している。また、視覚認識形成時の皮質の回路についても、刺激と記録を組み合わせた実験から明らかになっている。
もちろんこのためには、視覚により興奮した細胞だけでなく、興奮しなかった細胞で光遺伝学刺激で興奮した細胞など、刺激と記録が同時に可能であるという利点を生かして詳しく調べ、それをもう一度至適な刺激として再構成することまで行っている。おそらくネズミは、見るという経験を、光遺伝学的にもう一度経験し直しているのだろう。
極端に言えば、将来私たちの経験を脳の興奮のパターンとして記録し、それを再現してもう一度思い出を体験するということが可能であることを示しており、この分野がもうSF作家の想像力の世界にまで到達していることを示している。次はなにを見せてくれるのか、興味が尽きない。
2019年8月18日
転写について今どの様に教えているのだろう。基本は、DNAをRNAに読み替えるポリメラーゼ(Pol II)を正しい場所にリクルートし、それを開始点としてRNAを合成しながら、正しい場所でスプライシングする過程といえるが、これだけなら普通の代謝マップの様な簡単そうな図がかけてしまう。しかし、転写開始点ではPol IIはプロモーター、エンハンサーに結合する転写因子とメディエーター含む複合体を形成しているし、スプライシングのためにはこれもスプライソゾームと呼ばれる大きなタンパク質複合体と結合する。この機能の違うしかし巨大な複合体とPol IIの相互作用を追跡することは簡単ではない。
今日紹介するRichard Young研究室からの論文はこの過程をPol IIがタンパク質複合体の中に一種の相転換のように隔離される過程として可視化しようとした研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Pol II phosphorylation regulates a switch between transcriptional and splicing condensates (Pol IIのリン酸化により転写複合体と、スプライシング複合体のスイッチがおこる)」だ。
転写からRNAの合成までに何が起こっているかは明確なイメージがすでにできている。まず、転写因子とメディエーター複合体とPol IIが合体することで転写の開始の用意ができる。このPol II のC末端の2つのセリンがリン酸化されることでPol IIがDNAを移動してRNA合成が起こるが、この時スプライシング複合体がPol II上に形成される。
ただ、この様な巨大な複合体がPol II上でどう転換するのか、そんな簡単な話ではない。この研究では転写のMediator複合体とPol IIのC末が、例えばNanog遺伝子上で合体していること、このMediator との合体にはC末がリン酸化されていない必要があることを示している。
エンハンサーにより転写が進む遺伝子上では、当然のことながらPol IIはスプライシング分子とも合体していることも確認している。すなわち、この転写因子とMediator複合体からスプライシング複合体の乗り換えがおこるのだが、これがPol
II のRNA合成開始を誘導するC末のリン酸化に依存しているのか、試験管内で分子の複合体形成を組織化させて調べる一種の相転換を利用した方法で調べている。
結果は予想通りで、C末がリン酸化しないときはMediatorを含む複合体を形成するが、CDD7, CDK9でリン酸化すると今度はスプライシング分子と複合体を形成する。すなわち、C末のセリンリン酸化により、転写因子・Mediator複合体からスプライシング複合体へ乗り換えが起こることが確認されたことになる。
結論はこれだけで、当然の話だと思われる人もいるだろう。しかし、彼らが開発したdroplet assayで、分子が液相からタンパク質複合体へと自然に合体することを目に見えるようにしたことは重要で、これにより現象論から化学的胴体解析へと踏み込めるのだという実感がもてる、さすがYoungのグループだと思える研究だ。
2019年8月17日
ビリルビンは医師にとっては最も馴染みの深い肝臓の機能を調べる検査だが、ビリルビン自体は赤血球が壊れた後の処理機構の一つとして考えてきた。したがって、ビリルビン自体に機能があるとはあまり考えたことはなかった。
今日紹介するジョンズ・ホプキンス大学からの論文はそのビリルビンが神経細胞を守る重要な機能を持っていることを示した論文でCell Chemical Biologyにオンライン掲載された。タイトルは「Bilirubin
Links Heme Metabolism to Neuroprotection by Scavenging Superoxide (ビリルビンはヘム代謝をスーパーオキサイドの除去による神経保護作用とリンクする)」だ。
この研究のハイライトは、ビリルビンは老廃物ではなく、機能を持っているはずだと考えたことに尽きる。あとは、細胞内でビリルビンが決して合成できない様にビリヴェルディンをビリルビンに変える酵素BVRを完全にノックアウトしたマウスを作成し、ビリルビンが合成されず、代わりにビリヴェルディンが蓄積することを確認している。
著者らはもともとビリルビンが酸化ストレスを抑える機能を持つのではと考えており、これを示すため細胞内にスーパーオキサイドを発生させる処理を行い、ビリルビンが合成できない細胞と正常細胞を比べると、ビリルビンができないことで細胞内、特にミトコンドリア内でスーパーオキサイドが蓄積し、結果細胞が死にやすくなっていることを確認する。ただ、自分でビリルビンが合成できなくとも、外来のビリルビンは細胞内からミトコンドリアに侵入して、スーパーオキサイドから細胞を守ることができることも示している。
さらに、ビリルビンは化学的にスーパーオキサイドに特異的に直接結合することで細胞をスーパーオキサイドから守っていることを確認している。
最後にビリルビン合成酵素は神経細胞で強く発現しており、またグルタミン酸受容体刺激によりスーパーオキサイドが合成され、これが長期記憶などに関わっていることに注目し、このスーパーオキサイドの機能をビリルビンが抑えるかどうか、ノックアウトマウスで調べている。結果は予想通りで、ビリルビンがないとNMDA受容体刺激による興奮性が上昇し、神経細胞が変性することを示している。
結果は以上で、これまでビリルビンは神経毒かと思ってきたが、実際には神経を過興奮から守る重要な役割を担っていることがよくわかった。おそらく、パーキンソン病など神経変性疾患にも何らかの形でビリルビンが関わっている可能性がある。この歳になってまた新しいことを知ったという気分にしてくれた研究だった。
2019年8月16日
トランプ誕生あたりから、世界は何か騒がしい。ともかく様々なことが起こり、ニュースとして入ってくる。例えば、今日為替が乱高下しているが、これは米国の長期金利が短期金利の利回りを下回るという、逆転現象が起こったからだ。素人から見ると、要するに長期的未来はひどい様に思えるが、ただこの逆転をどう考えるかは分かれる様で、大きな経済後退のサインと見る人と、一時的現象と考える人がいる。要するに今起こっていることの未来への影響を予測するのは難しい。そのおかげでロクでもない評論家が存在できる。
今日紹介するマイクロソフト研究所からの論文はそんな評論家に代わり未来を予測するAIを作ろうとする研究で、Nature Human Behaviour オンライン版に掲載された。タイトルはズバリ「Predicting history (歴史を予測する)」だ。
しかしマイクロソフトの研究所は型破りの人たちが集まっている様だ。論文はヘーゲルの「ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つ」というヘーゲル法哲学の引用から始める意気込みで、数理に弱い私たちをもぐっと惹きつける。
もちろん現在の情報をいくらAIにインプットしても、答えがわからないため学習させられない。そこで、1973年から1979年という時代を選び、この時に米国国務省からの電報を集め、この電報の内容とその後の歴史評価の対応付けを、歴史家に読んで評価してもらって計算したPCI(同時代的重要性認識)、国務省内での歴史的評価が定まった文書が集められたFRUS(合衆国外交関係)を比べている。PCIの値はある電報がFRUSに加えられる確率と相関することから、PCIはその時点での電報の重要性をある程度反映できるが、電報のサンプル数が増えると、あまり重要でない電報のスコアも上がっていき、電報の付随データのみから将来の歴史的重要性を予測するのは難しいことが明らかになった。
そこでその時代を切り取り将来を予測する能力の優れた年代記編集者の条件とは何かを考え、その条件を満たせる様なアルゴリズムの機械学習を設計して、コンピュータが重要と判断した電報が実際にFRUS に収載される確率を調べると 、サンプル数が多くてもある程度予測が可能になったとはいえ、予測できるとは到底いえないことが明らかになった。
結局ネガティブデータで終わっており、数理の苦手な私には問題の原因を予測することは難しいが、結局この失敗は、正確に予測できる評論家がいないのと同じことだという感触はある。もちろん始まったばかりで、個人的には優れたAI評論家が生まれることは可能ではないかと期待している。
2019年8月15日
今日は終戦記念日で、我が国の政治の主役が大転換を遂げた日だ。その後一貫して(それ以前からだと考える人もいる様だが)我が国は米国を宗主国として現在に至り、今や中国の台頭による宗主国の没落に面して、なすすべなく立ちすくんでいる様に見える。
ガンの増殖は、一旦ドライバーが決まるとそれが変化することはない場合が多いが、今日紹介するボストン・ダナファーバー研究所からの論文は、同じ様な主役のスイッチがガンでも稀に起こることを示した研究で8月7日号のNatureにオンライン出版された。タイトルは「BORIS promotes chromatin regulatory interactions in treatment-resistant cancer cells (BORISは治療抵抗性のガンのクロマチン調節相互作用を促進する)」だ。
この研究は、腫瘍の増殖様態が大きく変化することがよくある神経芽腫を対象にしている。神経芽腫の増殖はMYCNとALKが主役であることがこれまでの研究で分かっているが、著者らはまずALKを抑制した時に発生してくる治療抵抗性の腫瘍について調べ、なんとALKだけでなくMYCNも腫瘍増殖の主役から退き、代わりに全く異なる多くの遺伝子が新たに誘導されていること、そしてこの遺伝子発現のリプログラムにBORISと呼ばれるCTCFの親戚分子が関わっていることを明らかにする。すなわち、増殖の主役がBORISへと完全にスイッチし、ゲノム全体にわたってBORISが結合し、結合部位の遺伝子の転写を高めていることを明らかにする。
次にBORISによって起こる増殖の仕組みについて研究し、BORISがクロマチンの構造を決めるCTCF結合部位に結合して、クロマチンのループ構造をコントロールすることで、スーパーエンハンサーを遺伝子上に形成して、それまで発現しなかった多くの遺伝子が強く誘導されることで、新しいガンの増殖システムが形成されることを示している。もともとMYCNはスーパーエンハンサー形成の主役として働いているが、BORISが取って代わるというシナリオで、こんな主役交代があるのかと驚く。
BORISは未熟幹細胞や生殖細胞で発現していることから、この様な転写の大きなリプログラムに関わることが分かっているが、今後ガン細胞や体細胞でBORISの過剰発現を行う実験をとおして発癌に関する役割も明らかになる様な気がする。
幸いMycでもBORISでもスーパーエンハンサーに強く依存していることは確かな様で、しかもBRD4もこの過程に関わっていることから、BET阻害剤は効果がありそうだ。
2019年8月14日
昨日は、膵臓癌組織中の細菌叢研究という、普通ではそうお目にかかれない異色の研究を紹介したが、今日もそれに輪をかけて異色の研究、すなわち人間の腸内細菌叢が発現するsmall proteinに標的を絞って調べた研究で8月22日号のCellに掲載された。タイトルは「Large-Scale Analyses of Human Microbiomes Reveal Thousands of Small, Novel Genes (人の腸内細菌叢の大規模解析は何千もの小さな新しい遺伝子を明らかにした)」だ。
腸内細菌叢の研究などどの様な方法で行っても、なかなか新鮮な驚きを得ることができなくなってきているが、この論文は細菌叢が発現している50アミノ酸以下の分子をコードする遺伝子に絞って研究を行なった点が異色だ。
なぜこの様なsmall
proteinに焦点を絞るのかは、これまでほとんどデータがない以外にこれといった理由はないが、少なくともバクテリアにとってはこの様なドメインがあっても一つだけというタンパク質が重要な働きをしていることがわかっている。
もちろんどんな細菌叢でもよかったはずだが、多くのバクテリアが互いに相関しあって増殖している人間の細菌叢なら、データも揃っており、今後も役に立つだろうと選んだのだと思う。
とはいえ2000近い様々な細菌叢の配列情報から、small proteinをコードする遺伝子を抽出して、それの機能を推察することは簡単ではない。
研究では最終的に4000近くのsmall protein遺伝子を特定し、転写されているか、タンパク質として翻訳されているか、多くのバクテリア種で存在するか、近くにどんな遺伝子があるのか、既知の分子との相同性はどうか、ドメインの構造の特徴はあるか、細菌叢の存在場所との関連はあるかなど、多角的にその分子を調べている。
その結果、特定した4000に及ぶsmall proteinのほとんどはこれまで全く知られていない分子だが、様々な特徴からある程度分類が可能であることを示している。
この論文で特に取り上げられている機能を列挙すると、
- リボゾームに結合するハウスキーピング遺伝子。
- 細胞膜あるいは細胞外に分泌される分子で、クオラムセンシングなどの機能や、ホストとのコミュニケーションに関わっている分子や、他のバクテリアを殺す抗生物質(この中には細菌叢制御を可能にする分子が見つかるかもしれない)
- CRISPRや他のバクテリアの免疫機構の遺伝子クラスターに存在し、外来遺伝子の侵入の防御に関わるもの。
- 水平遺伝子伝搬に関わる遺伝子クラスターに隣接して存在し、この機構に関わる、あるいは遺伝子伝搬される分子。
などに分けられることができる。
結果は以上で、ともかく4000見つけて整理したというのが研究の全てで、この真価は今後このデータベースを生かす研究が続くことで証明されるだろう。しかし、small proteinに絞る研究があるとは、意表を突かれた。
2019年8月13日
8月に入って雑誌Cellに、少なくとも私にとって面白い論文が多く掲載されていたので、昨日に引き続き連続で紹介しようと考えている。今日はガンと腸内細菌叢の話だ。慶応の本田さんたちの研究から、腸内細菌叢の中には感染免疫だけでなく、ガン免疫も高める細菌が存在することがわかっている。そのため、ガンに良い細菌層を探す研究が盛んに行われている。
これに対し、今日紹介するテキサス大学MDアンダーソンガン研究所の論文は、ガンの中でも最も厄介なすい臓ガン患者さんの術後の生存期間が腫瘍内の細菌叢と相関することを明らかにした研究で、8月8日号のCellに掲載された。タイトルは「Tumor Microbiome Diversity and Composition Influence Pancreatic Cancer Outcomes (腫瘍内の細菌叢の多様性と構成がすい臓ガンの予後に影響する)」だ。
この研究ではすい臓ガンの手術時に組織からDNAを抽出しその中に含まれるリボゾームRNAから、切除組織に存在する細菌叢を調べ、術後10年近く生存したグループと、1年半ほどでなくなったグループに分け、細菌叢の多様性や構成を調べている。ただ、生存カーブから言えることは、10年以上生存できたグループも15年目にはほぼ全員が死亡しており、すい臓ガンの厳しさを物語っている。
さて結果だが、術後長く生存できた組織内の細菌叢は、生存が短かった組織の細菌叢と明確に区別することができ、細菌の多様性が高いことがわかった。またそれぞれのグループに特徴的OUT、すなわち16Sリボゾーム解析から特定される菌でをリストすると、生存期間ではっきり種類が異なることも明らかになった。
そして、これらの細菌叢の違いと並行して、あきらかに腫瘍に対するキラーT 細胞の組織内濃度は上昇しており、ガンに対する免疫反応が細菌叢に影響されていることを示している。同じく、それぞれの細菌叢は代謝活性でも大きく違っている。
すい臓ガン組織の細菌叢の由来を調べるため、便の細菌叢と比べると、ガン組織内の細菌叢の25%は腸内細菌叢由来であることが確認でき、多くは腸内細菌叢から由来すると考えられる。
そこで、マウスにヒト腸内細菌叢を移植したあと、すい臓にガンを移植する実験を行い、腸内細菌叢がガン組織へ移行するか調べ、移植した人間の腸内細菌叢がガン組織で見つかることを確認する。
この結果を受けて、次にガンが進展した患者さん、長期間生存例、および健康人の腸内細菌叢を移植したマウスですい臓での腫瘍増殖を調べると、長期生存例の腸内細菌叢を受けたマウスで最も強く腫瘍の増殖が抑えられ、CD8キラーT細胞の浸潤が強く認められることを明らかにしている。
以上の結果はすい臓ガンの組織内には、腸内細菌叢を中心に細菌叢が侵入し、この細菌叢が多様で特定のOUTが存在する場合、ガン免疫反応を高め、長期生存を可能にするという結果だ。
もしこの話が本当なら、すい臓ガンの患者さんに腸内細菌叢の移植を行う日が来るのも早い気がする。