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アリストテレス以降、中世最高の哲学者オッカム:近代哲学の萌芽(生命科学の目で読む哲学書 第12回)

2020年3月2日
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スコラ哲学の最後にオッカムを読んでみようと決めていた。読むのは今回が初めてだが、「オッカムの剃刀」(=説明は最小限の仮定で行うべきとする寓意)という言葉はよく知っていた。またこの言葉に科学的響きも感じていた。とはいえ、アウグスチヌス、マグヌス、アクィナスと読んできて、プラトンやアリストテレスに傾倒しつつも、最後は聖書の言葉を絶対視するスコラ哲学の図式に辟易し、中世哲学の停滞をイヤという程味わってしまうと、オッカムも結局は同じ穴のムジナと諦めていた。

ところがどっこい、予想は完全に外れ、これまでのスコラ哲学とは全く異なる、「剃刀」のような鋭い感性と議論に感心し、近代哲学の萌芽を感じることができた(これは私の個人的評価)。

図1 オッカムの著作が収められている「中世思想原点集成18」

オッカムが我が国でそれほど注目されていないのは、オッカムの著作の和訳本の多くがが絶版になっているからだと思う。幸い、前々回利用した平凡社の中世思想原典集成に短い著作が何編か訳されており、第18巻 (図1)には「命題集注解(オルディナティオ)」「アリストテレス命題論註解」「未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考」の訳が収載されている。

訳に当たった人たちが神学としてオッカムに向き合っているからだと思うが、正直なところ訳がわかりにくく、読んでもオッカムの思想を理解できた気になかなかなれない。例えばオッカムは唯名論(後で説明)の論者として有名だが、訳されている著作からはこの側面がほとんどうかがえない。そこで洋書にまで範囲を広げて探し、ようやく図に示すオッカム著作の抜粋が英訳されている「Philosophical Writings」を手に入れることができた。この本では中世思想原典に収載されているオルディナティオの一部がオッカムの認識論として上手くまとめて掲載されており、このおかげで私の理解は進んだ。特に難しい英語ではないので、オッカムの思想を知りたい向きには、こちらをお勧めする。

図2 オッカムの文章の抜粋集(ラテン語と英語の対訳)

では、オッカムはこれまでのスコラ哲学者とどう違うのか?

今回読むことができたのはオッカム著書のほんの一部であることは断った上で、まず驚いたのは、スコラ哲学議論の中で最後の切り札(=議論の遮断)として頻繁に登場する聖書の一節の引用が全くない点だ。一方、アリストテレスだけでなく、アウグスチヌスの著作などは頻回に引用されている。前回紹介したように、アウグスチヌスは筋金入りの聖書主義者だが、それでも書かれた以上人間の思想にすぎない。オッカムがアウグスチヌスを肯定的に捉えている点は不思議な気がするが、いずれにせよ批判が許されない神の言葉ではない。このように、批判が可能な人間の言葉に引用を限ることで、自由な議論が可能になる。

神の言葉をドグマとして鵜呑みにすることを拒否するオッカムには、自分の頭で考え、人間同士で議論する近代的哲学の始まりを感じる。「論証にできるだけ前提を設けない」ことを大事にする「オッカムの剃刀」という考えは、オルディナティオで「必然性なしに複数のものを措定してはならない」という文章に現れているが、自分で考えること、そして聖書という絶対前提を排除した当然の帰結と言える。

オッカムの革新性は、聖書に頼らない点にとどまらない。個人的印象だが、神学的ドグマを意に介していないとすら感じた。例えば「未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考」は、ペテロが民衆に「お前はキリストと一緒にいたのでは?」問われたときに、「キリストとは無関係」と拒否したのに、なぜ天国が約束されているのだろうか?拒否することを神は知っていたのか?という素朴な問題について議論が行われている。当然伝統的キリスト教では「全てお見通し」ということになる。現代人にとってはどうでもいい問題だろうが、神が全てを作り、全てを知り、あまねく存在するという伝統的キリスト教の信仰からいうと、キリストの一番弟子といえども、キリストを拒否することが許されるのかは重大問題なのだ。実際、罪を犯してしまう自分が最後は救われることが予定されているかどうかは当時の人にとっては重要な問題だった。例えばワーグナーのオペラ、タンホイザーでは、一度神を拒否して悦楽の世界に落ちたタンホイザーは、ローマ巡礼でも許されず絶望することになるが、罪と許しの問題が当時の人にどれほど重要だったのかをよく表している。

スコラ哲学が神の存在への疑いを契機に始まったとすると、当然このような神の予知能力は格好の題材で、盛んに議論されたと考えられるが、この問題に対しオッカムは一つの答えをドグマとして押し付けることは全くしない。様々な答えを用意し議論するのだが、私の印象では結局「神の中にある必然的事柄」と「神のうちにはない事柄」を分けることで、神によって決められてはいない人間の自由意志をみとめる立場をとっていると思う。すなわち、神があらゆる世事に気にかけていると考えることなどないと明言しているのが次の文章からわかる。

「私は次のように言おう。神の内に形相的にあるものないしあることが可能なものは必然的に神である。ところがAを知っていることはそのような仕方で神の内にあるのではなく、ただ述定によってあるに過ぎない。なぜはら、それはときには神について述べられ、ときには述べられないような、ある概念ないし名称だからである。かつそれは神である必要もない。なぜなら「主」という名称は神について偶然的に、かつ時に応じて述べられるが、だからと言ってそれは神であるわけではないからである。」(未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考:平凡社中世思想原典集成 18 清水哲郎訳)

当時、よくここまで言えたなと思うが、実際オッカムはローマ法皇庁のお尋ねものになっていたようだ。このようにオッカムは全てが神によって決まっているとは思っていなかった。そしてこの議論は、自由意志のない幼児に天国を保障しようとする「幼児洗礼」の是非の問題として、20世紀の神学者カール・バルトまで続いていく。

「未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考」は神学問題についての議論だが、科学や論理についても、これまでのスコラ哲学者と違う議論をオッカムは展開している。特に印象深いのはその主観主義立場だ。私は近代科学は17世紀デカルト、ガリレオに発すると考えているが、科学的真実についてのオッカムの議論は近代を先取りして、科学が間主観的な合意の問題であることを理解していたように思う。少し長くなるが先のPhilosophical Writingsに収められている「On the notion of knowledge or science」から英語のまま引用しよう(文章をスマフォで撮影して使っているので、読みにくいことをお許しいただきたい)。

驚くことに、オッカムは絶対的知識があるなどとは信じていない。代わりに「知識とは様々な考え(propositions)の集まりにすぎない」と明言している。そして、自然科学により得られたpropositionは、感覚されたもの自体ではなく、感覚的経験が心的にプロセスされて普遍化されたものだと述べている。そして、科学とは感覚により認識された事柄を心的過程(今風に言えば頭で)を通して普遍的考えとしてまとめることだと言っているのだ。

さらに次のように続けて、

科学とは、先に紹介したように対象についての心に浮かべる内容に関わるが、具体的な対象が必ず対応している。それに対して論理は、実際の対象とは無関係に心の中の対象について、心の中で処理することだと述べている。たまに「科学とは何か?」について様々な方と語り合うことがあるが、現代の科学者でも、科学とは何かについてオッカムほど深く考えている人にはなかなか出会わない。

このような科学に対する彼の理解は、オッカムと言えば唯名論とされている、彼の思想の中核を反映したものだ。

まず普遍論と唯名論をおさらいする意味で、以前紹介した(https://aasj.jp/news/philosophy/11720)山内志朗さんの普遍論争(山内 志朗. 普遍論争 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.191-203). Kindle 版.)の一節を再掲してみよう、

「実在論(realism)とは、普遍とはもの(res)であり、実在すると考える立場で、換言すれば、普遍は個物に先立って(anterem)存在する、と考える立場とされます。プラトン、スコトゥス・エリウゲナ、アンセルムスなどが代表者とされます。

唯名論(nominalism)は、普遍は実在ではなく、名称(nomen)でしかない、したがって普遍はものの後(postrem)にあるとするものです。個々の人間は触ったり触れたりできますが、普遍としての人間では感覚可能ではなく、触ることも見ることも酒を飲ませることもできません。ですから、唯名論というのは、常識にかなった思想とされたりします。代表者は、ロスケリヌス、オッカム、ビュリダン、リミニのグレゴリウス、ガブリエル・ビールなどです。」

すでに述べたが、普遍論争は歴史的には面白い議論だが、現在の問題としては不毛の議論と言える。というのも、脳による高次機能についての理解が進んだ現代では、私たちがものを認識するとき、それまでの経験から統合されカテゴリー化された表象(この中には個人の直接の経験だけではなく、歴史を含む人間全体が種として形成してきた様々な知識も、学習を通して統合されている:これを普遍といっても良い)が、瞬間・瞬間の感覚的経験に介入していることがわかっている。すなわち、意識、無意識を問わず私たちの経験の積み重ねは、物を認識するときに常に参照される表象として脳内に形成されている。この意味で、プラトンのイデアや、普遍は存在するのだが、全て脳内の表象として存在している。

逆にいうとイデアや普遍が脳内の表象だと考えてしまうと、普遍論争はもはや成立しない。その意味で、オッカムはこのレベルの理解に到達しており、ただの唯名論者ではなく、普遍論争に終止符を打つことができる思想に到達していた。

もう一度先の「Philosophical thinkings」からの引用の一部を、今度は日本語に訳して見てみよう。

「自然科学によって知られることになる考えは感覚できる事象や物から構成されるのではなく、そのような事象や物に対応する心的内容、あるいは概念からできている。」

驚くことに、認識も普遍化も全て心的過程(現代的にいうと脳過程)だと言っている。そして先ほど紹介したように、論理的処理は心に浮かぶ内容を対象に心的に処理することだと定義していることは、普遍化は心的過程を通して行われる結果で、決して普遍的な何かが実在して、それが個別の認識で参照されるわけではないと明言している。

普遍性がそれ自体で存在するのでなく、個別の体験が心的に処理されたものであることは、「Philosophical Thinkings」の中で認識論を扱った文章を抜粋した「Epistemological Problems」(オルヂナティオも含まれている)に何度も繰り返して述べられる。

例えば抽象について、

「多くの個別の事象や物から抽出したものに関する認識で、抽象的認識とは多くの事象から抽出してきた普遍性の認識に他ならない。そして、この普遍性が実際の対象と同じように心の中に質的実体として存在できるなら、当然普遍性は直感的に知ることができるし、抽象的という言葉の最初の定義に照らせば、そのような知識は直感的で抽象的といえる。」

と述べている。すなわち、普遍はまさに個別の認識から抽象されたもので、心的な実態として常に存在し、経験するときに感じる直感はここに由来すると結論している。

長い文章なので訳さずそのまま掲載するが、以下の文章では実際に経験しなかった歴史的事実も、実際にはそれを偶然経験した人から知識として得ることができると述べている。すなわち、普遍とは、自分自身の心的過程を通して実際の経験を抽象化するだけでなく、他の人の経験も自分の心的な内容として統合されたものだと明言している。

なんと革新的な思想だろう。中世とは思えない。17世紀近代を考えるときガリレオ題材に考えてみたい近代的科学の定義に近い認識にまでオッカムは到達している。すなわち、この文章には普遍性とは他人と自分の認識を統合するプロセスであることがはっきりと示されている。

オッカムが「心的内容」というとき、脳のプロセスを考えていたかどうかはわからない。おそらく違うだろう。ただこうしてオッカムを見てくると、脳の高次過程として現代の科学が理解していることを、「心的過程」として理解していることに驚く。だからこそ、普遍性やイデアが実態として、心の外にあるという荒唐無稽な考えを拒否できているのだ。

同じことが繰り返し述べられているだけだが、もう一つ文章を引用してみよう。

この文章の最後の部分では、「そのような普遍性とは心的な内容に他ならない。だからこそ、心の外にあるどんなものも出来事も、そのような普遍性ではあり得ない」と結論しているが、ここまで言えるのも彼が科学、論理、認識などを心的なプロセス(脳のプロセス)として解釈する革新性を持っていたからだと思う。

現在プラトンのイデアを文字通り信奉する哲学者はいないと思うが、しかし脳科学的に考えると、イデアや普遍性に対応する脳内の表象が私たちの個別の認識に介入することは当たり前のことになる。このことをオッカムはすでに理解していた。まさに、アリストテレス以降、最も偉大な哲学者といっていいと思うし、スコラ哲学に分類するのはやめたほうがいいとすら思える。

こんな先進的思想の持ち主が。当時のキリスト教教義の世界で生きられるとは私には到底思えない。実際「Philosophical Thinkings」に掲載されている「God’s Causality and Foreknowledge」、すなわち神学の核心問題についての議論を読んでみると、神が全てを知るというテーゼについて、実にのらりくらりと議論を繰り返し、「どうぞそうお考え下さい」とは言うものの、「・・・・だから、それは正しい」と言った明言は避けているように読める。これは、「未来の偶然事に関する神の予定と予知についての論考」でも同じだ。

例えば次の短いセンテンスを見てもらおう。

「いろいろ問題はあるが、神が将来のすべての偶発的な事実についても明らかに知っているという考えは保持する必要がある。ただ、どのような方法でそれが可能なのか、私は知らない・・・」

と突き放している。さらに次の文章では、神は過去、現在、未来についてすべて知っていたと述べた後、最後に「この結論は自然の論理からアプリオリに証明できるわけではないが、聖書や聖人の言葉としては証明されていることはよく知られている」、と皮肉っぽく述べている。

この言明自体は、従来の神学的ドグマを認めるものだが、しかしいくら読んでも積極的に主張しているようには思えないし、英国風皮肉に満ちている。

そろそろ結論にしよう。オッカムを「オッカムの剃刀」や「唯名論者」と言ったレッテルで理解してはならない。彼の思想の本質は、主観主義に立ち、主観が心的過程であることを理解し、それぞれの心的過程が、現在の世界だけでなく、過去、未来の人類と関連していることを理解していた点にある。アリストテレス以後、ローマで世俗化した哲学は、中世キリスト教により完全に滅亡した。スコラ哲学は、神の世界と世俗を二元論的に捉える革新性は持っていたが、アリストテレスの哲学の復興とは程遠い思想だった。しかし、オッカムに至ってついに中世の殻は破られた。彼の思想は、デカルト、ガリレオと言った17世紀近代科学思想を先取りするだけでなく、その後の英国経験主義の思想すら先取りしているのではないかと思う。

私自身も、長い中世からようやく抜け出せた気がした。

3月2日 全身麻酔の神経メカニズム(2月20日号 Cell 掲載論文)

2020年3月2日
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学生時代、麻酔学で何を習ったのか全く思い出せないが、意識が失われるメカニズムについてはまず教えてもらっていない、というよりわかっていなかったのだろう。その後はほとんど麻酔科との接点なく生きてきたので、知識は何十年もアップデートできていなかったが、現役を辞めてから意識についての論文を読むようになり、少しづつアップデートされつつある。

今日紹介するドイツ・フンボルト大学の日本人研究者(Mototaka Suzukiさん)の論文は麻酔全般のメカニズムを明らかにした説得力のある研究で、意識の問題を含めて自分の頭の整理を可能にしてくれた。タイトルは「General Anesthesia Decouples Cortical Pyramidal Neurons (全身麻酔は皮質の錐体神経をデカップルする)」で、2月20日号のCellに掲載された。

麻酔を神経活動全般の抑制と単純に考えることはできない。そんなことをしたら私たちは死んでしまう。実際には、大脳皮質と意識や覚醒に関わる視床に限局した過程だ。実際、麻酔中の覚醒体験はよく問題になるが、脳活動がちゃんと維持されていることの証拠だ。すなわち麻酔中も複雑な神経ネットワークが維持されているため、特定の回路で麻酔の効果だけを取り出すのは簡単ではない。

この研究では全身麻酔の標的と考えられてきた皮質第5層の錐体神経に焦点を当て、錐体神経から第1層に投射している樹状突起と錐体神経細胞との神経連絡を遮断することが麻酔のメカニズムではないかと仮説を立て、これを検証する実験系を作っている。

素人の頭で考えても、生きた動物で同じ神経細胞の樹状突起と細胞体の連絡を操作するのは難しそうだ。この研究では脳皮質の一層だけが照射される光を発するμペリスコープという機械を用いて、樹状突起だけを興奮させたとき、細胞体の興奮を電極で記録するという方法で、樹状突起と第5層錐体細胞体の連結を調べ、様々な麻酔薬がこの連結を遮断することを発見する。

これが証明できると、あとは光遺伝学に伴う様々な問題の影響がないことを確認した後、樹状突起の興奮が細胞体へ伝えられるときにムスカリン型アセチルコリン受容体と代謝型グルタミン酸受容体の刺激が必要であることを、阻害剤を用いた研究から明らかにする。すなわち、樹状突起から細胞体までの連結は、アクティブに維持されていることが明らかになり、この維持機構が遮断するのが麻酔の効果であることを明らかにする。

この代謝型グルタミン酸受容体への刺激は、意識の調節に関わる視床から投射されており、また視床の活動を低下させることで樹状突起と細胞体の連結が低下することから、樹状突起―細胞体連結は視床から投射する神経末端により維持されていると結論している。

もう一度まとめると、全身麻酔の皮質への効果は末端の樹状突起の興奮が細胞体に伝わらないようにすることで起こる。そして、両者の連結は視床から投射した神経のグルタミン酸シグナルにより維持されており、全身麻酔はこの視床の活動を抑えることで、皮質の樹状突起と細胞体の連結を切る、というシナリオになる。

この研究は表面上は全身麻酔の効果に関する研究になっているが、実際には意識の研究としても重要だと思う。実際、意識がどのように皮質を活動的に保つのかについて自分の頭の整理に役立った。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月1日 地道に進む膵島細胞生産法開発(2月24日 Nature Biotechnology オンライン出版)

2020年3月1日
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I型糖尿病の治療として脳死や心臓死の方から頂いた膵臓から調整した膵島を患者さんに移植する方法が行われ、根治とはいかないものの効果があることは明らかになっている。ただ、調整できる膵島の量が限られるため、本当の効果が出るには、多能性幹細胞から大量に膵島を生産できる技術を開発する必要がある。

この分野は米国が進んでおり、私が現役の頃から培養タンクで生産することを想定した開発研究が行われ、ESやiPS細胞から6段階培養条件を変えてβ細胞を生産する方法が開発されている。ただ、それぞれの段階で次の分化を誘導する効率が100%には到底達しないため、ステップは明らかになっても、まだまだ改良が必要になっている。

今日紹介するワシントン大学からの論文は後期のステップに注目し、Neurog3と呼ばれる転写因子が発現して最終分化が進む過程の効率が細胞骨格を変化させることで大きく高められることを示した論文で2月24日号のNature Biotechnologyに掲載された。タイトルは「Targeting the cytoskeleton to direct pancreatic differentiation of human pluripotent stem cells (ヒト多能性幹細胞から膵臓細胞への分化を細胞骨格を標的にして誘導する)」だ。

研究は単純で、特異的分子マーカーで最終の6段階まで分類された分化過程の膵臓への分化が決まった前駆細胞を誘導し、この細胞を起点にNeurog3を誘導して最後の段階まで分化が進む過程でのマトリックスの影響を、細胞をシャーレに撒き直して調べている。

結果は明白で、シャーレに撒かずに細胞塊の浮遊液で培養を続けると進みにくい分化が、単一細胞にした後シャーレに1次元培養すると効率が上がる。この原因が細胞同士の接着が切られて細胞骨格が再構成されるからだと考え、アクチンの重合阻害剤など様々な薬剤を加えてNeurog3誘導を調べると、シャーレに撒いてLatruculinAを加えた時に最も強い分化誘導がかかることを発見する。

サイトカラシンなど他のアクチン重合阻害剤はあまり効果がないので、実際のメカニズムはの不明のまま残されたが、この発見がこの研究のハイライトで、ここの方法を至適化して最も効率のいいβ細胞生産条件を探している。

詳細は全て省くが、その結果、一度シャーレに撒き直すという煩わしさは伴うものの高い効率で機能的β細胞が誘導され、β細胞を障害したマウスの糖尿病を正常化できることを示している。

他にも、なぜLatruculinAがこれほどの効果があるのか調べた結果も示しているが、説明は省く。実際、細胞塊の培養だけでは、実際に起こっている細胞接着構造の変化は再現できないはずだ。したがって、このような試みは今後も極めて有効ではないかと思う。ただこのような研究ができるためには、基盤となるしっかりとした分化プロトコルが必要だ。この論文を読んで最も関心したのは、結果ではなく、膵島細胞生産が詳細な改良を行える段階に入ったことで、ES/iPS由来膵島移植が実現するときも近づいてきているという実感を持った。

カテゴリ:論文ウォッチ

2月29日 音楽と言葉は左右脳別々に処理される(2月28日号 Science 掲載論文)

2020年2月29日
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プロの音楽家は少し複雑なようだが、私のような一般人では言葉と音楽はそれぞれ左脳と右脳の聴覚野で処理されると言われている。根拠の多くは、脳の局所損傷による失語や、失音楽症状の研究と、音楽や言葉を聞いた時の脳活動の記録だが、例えば歌を聴くときに実際に右左への振り分けが起こっているのかどうか明確な実験はなかった。

今日紹介するカナダ・マクギル大学からの論文は言語認識に用いられる実際の声を電気的に時間と音のスペクトラムをボカせて聴かせる手法を用いて、歌を聞いたときに振り分けが行われていることを示した面白い研究で2月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「Distinct sensitivity to spectrotemporal modulation supports brain asymmetry for speech and melody (歌の声をスペクトラムと時間的変化に対する異なる感受性から脳の言葉とメロディーの認識の非対称性を示している)」だ。

もちろん歌を聴くとき、私たちは言葉とメロディーの両方を認識しているのだが、同時に聞こえる各要素に対する反応を正確に測定するのは難しい。この課題を解決するため、この研究では英語、フランス語で10シラブルからなる文章を作り、プロの作曲家に言葉に合わせたメロディーを作曲してもらい、全ての文章に同じメロディーを当てはめ、最終的に10文章X10メロディーの100種類のパターンを創出している。この中から2曲聴かせると、メロデーだけが一致する、言葉だけが一致する、両方一致する、両方とも違うという4通りに判断される。実際、こうしてで作詞作曲された音楽を伴奏なしにアカペラでプロの歌手に歌ってもらい、英語圏、フランス語圏の被験者に聞いてもらうと、4種類の判断を正確に下すことができる。すなわち、言葉とメロディーを正確に認識できている。

さてここからが肝心なポイントになるが、こうして歌われたアカペラの録音の時間分解度と音のスペクトラム分解能をわざと別々に劣化させた音源を作り(ハイレゾ音源からレゾリューションを劣化させると考えればいい)、劣化した音源を聴かせたときに言葉かメロディーかどちらの聞き取りができなくなるかを調べている。結果は明瞭で、時間分解度を劣化させたときは言葉の認識が低下し、逆に音のスペクトラムを劣化させるとメロディーの区別ができなくなる。実際の音を聞いてみたいが、言語の聞き取り能力を調べるために開発された分解能をぼかすという方法と、アカペラで歌を聴かせるという方法を組み合わせたことが、この研究のハイライトで、うまい課題の設計だと唸ってしまった。

こうして、メロディーと言葉の認識を別々に測定することができるようになると、あとは脳の反応を調べればいいわけで、この研究では機能MRIを用いて特に聴覚領域に焦点を当てて調べると、分解度が劣化して言葉の聞き取りが悪くなるときは左の聴覚野の反応が変化し、逆にメロディーの聞き取りが悪くなるときは右脳の聴覚野の反応が変化することを明らかにしている。

脳全体の反応も測定して、この分解度の違いに反応するのは聴覚野だけであることも示して、この振り分けは音を聞いたときに自動的に振り分けられていることも示している。

以上の結果は、私たちが言葉とメロディーを違う次元(時間と音のスペクトラム)にわけて認識していること、それを自発的に左右の聴覚野に振り分けて一つの歌として認識していることを示したものだ。もちろん、本当に前頭葉のネットワークの関与がないのか、あるいはどんな言語でも同じなのかさらに知りたいところだ。

日本語で考えると、普通の文章とは違って、和歌を頭の中に浮かべると自然にメロデーが付いてくる。 「天の原―――、」と安倍仲麻呂の和歌を聞いたとき本当に同じことが言えるのか興味は尽きない。いずれにせよ、専門外の私でも新しい問題が浮かんでくるような面白い課題を設計した著者に脱帽だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

2月28日 ビタミンC大量療法はガンに対する免疫も高める(2月26日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2020年2月28日
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ビタミンC(VitC)がガンに効果があることはかなり昔から提唱されているが、一部の人以外にはほとんどおまじないのレベル以上にはならなかった。ところが、静脈注射で1g/Kgという大量療法が提唱されるようになってから、TETを介してメチル化を低下させる、あるいはガン特異的に鉄代謝を崩壊させガンを殺すなど科学的結果がトップジャーナルにも報告されるようになり、私もしっかりと臨床治験を進めるべきだと考えるようになった。実際米国ではClinical Trial Govに登録された治験が膵臓ガンなどで行われており、効果が明らかになれば使わない理由なないだろう。

時間のかかる臨床研究とは別に基礎研究はさらに進むようで、今日紹介するイタリア・トリノ大学からの論文は免疫系に働いてチェックポイント治療の効果を後押しするという研究で、2月26日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「High-dose vitamin C enhances cancer immunotherapy(高濃度ビタミンC治療はガンの免疫治療を高める)」だ。

研究は単純で、VitC 2g/kgを週5日投与する大量療法が一定の効果があるいくつかの移植腫瘍モデルを用いて、T細胞に対する抗血清を用いて免疫細胞の機能を抑えると、VitCの効果がなくなるという発見から始まっている。そして、CD4T、CD8Tの両方がVitCの効果に必要であることを示し、メカニズムはわからないがVitCが免疫機能を高めることを示している。

免疫を高めることがわかれば、当然チェックポイント治療との相性を確かめることになるが、すい臓ガン、乳ガンなどを用いた実験で、anti-PD1およびanti-CTLA4の両方にVitCを組み合わせると、ガンをほぼ抑え込むことができることを示している。

他にも、修復機構が壊れた大腸ガン細胞を用いた、変異の生成と、チェックポイント+VitCの影響や、ガン組織へのリンパ球の浸潤に対する影響なども実験しているが、割愛していいだろう。要するに、VitCはガン免疫を高め、その結果チェックポイント治療との相性もいいという結果だ。

ガンの増殖以外ほとんど何も調べていないシンプルな論文で、よく掲載されたなと思うが、結局しっかりとした臨床治験を待つ以外にないが、Clinical Trial Govを見ると世界各国、信頼の置ける大学や病院で45の治験が走っているようなので、特効薬になるかどうか結果がわかるまでには時間はかからないと思う。

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2月27日 ミトコンドリアゲノムがなくても構造は維持される(米国アカデミー紀要オンライン掲載論文)

2020年2月27日
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この論文を読むまで考えたこともなかったが、酸素呼吸を必要としなくなった真核生物の中にはミトコンドリアを他の代謝経路の場所として利用するものが存在し、この場合ミトコンドリアは内部に飛び出す突起がない、丸い構造に変化したMROと呼ばれる構造になる。

もちろん有酸素呼吸は動物の特徴だが、今日紹介するテルアビブ大学からの論文は魚に寄生するれっきとした動物ミクソゾアの中に有酸素呼吸を全くしなくなった種類が存在するのではないかと探索し、Myxobolus salminicolaでは有酸素呼吸システムどころかミトコンドリアのゲノムが全くなくなっていることを明らかにした研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「A cnidarian parasite of salmon (Myxozoa: Henneguya) lacks a mitochondrial genome (サケに寄生する刺胞生物の一種にはミトコンドリアゲノムがない)」だ。

おそらく形態などの観察から呼吸がないと考えられたsalminicolaとsquamalisのゲノムを解析し、squamalisにははっきりミトコンドリアゲノムが認められるのに、salminicolaでは独立したミトコンドリアゲノムが全く認められないこと、また核酸染色でも核以外にDNAが存在していないことを発見する。

もちろんミトコンドリアゲノムが存在しなくても、必要な遺伝子はホストの核遺伝子に移行していると考えられる。またミトコンドリア自体、呼吸だけでなく、アミノ酸、核酸、脂質の代謝に関わる。実際salminicolaにはミトコンドリア様の小器官MROが存在している。さらに驚くのは、このMROにはミトコンドリアと同じような内部の突起まで存在する。すなわち、ミトコンドリアは独立した小器官と考えるが、通常の細胞小器官として存在できることを示しており、細胞小器官の進化を考える意味で興味ふかい。

次にミトコンドリア増殖に関わる核遺伝子だが、salminicolaでは完全に消失しており、ミトコンドリアゲノムの独立した増殖ができなくなって消失したことがわかる。

一方代謝だが、呼吸に必須の呼吸複合体のうち3つの分子が欠損し、電子伝達が全く存在しないこと、またピルビン酸からアセチルCoAを合成する経路が欠損しており、この動物が呼吸を必要としないことを明らかにしている。

話はこれだけで、生物のフレキシビリティーに感銘を受けるとともに、よくこんな動物を探し当てたと感心した。

カテゴリ:論文ウォッチ

2月26日 運動、代謝、免疫は三位一体 (2月12日 Nature オンライン版掲載論文)

2020年2月26日
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運動と代謝が密接に関わることは、疑いのない事実だが、そこに免疫が入ってくると、ちょっと謎解きになる。今日紹介するテキサス・サウスウェスタン大学からの論文は運動による代謝変化と自然免疫の受容体TLR9との関係を明らかにし、ストレスとは何かを考えさせる面白い論文で2月12日号のNatureに掲載された。タイトルは「TLR9 and beclin 1 crosstalk regulates muscle AMPK activation in exercise (TLR9とbeclin1の相互作用が運動時のAMPKを活性化する)」だ。

もともと筋肉への運動負荷がオートファジーを誘導して代謝を変化させることは、オートファジー誘導因子であるbeclin1をノックアウトすると、筋肉での代謝調節の核であるAMPKが活性化できないことが知られていた。おそらくこの研究は、beclin1と筋肉代謝についての研究として始まったと想像するが、この過程で筋肉細胞中のbeclin1に細胞内でDNA断片を感知して自然免疫の引き金を引くTLR9が結合していることを発見し、この不思議な組み合わせの機能を探ったのがこの研究だ。

両者の結合を誘導する条件を調べると、一つはブドウ糖の低下によるストレスと、運動によるストレスで、結合が上がることを発見する。TLR9はミトコンドリアDNAも検知するので、おそらく運動やブドウ糖の低下でミトコンドリアDNA断片が放出されることで、結合が高まるのだろうと推測している。

次に、TLR9欠損マウスを用いて、糖や脂肪代謝の核になるAMPKの活性化を調べると、正常なら運動により筋肉ないのAMPKが活性化されるのに、TLR9ノックアウトマウスではこれが起こらない。

その結果、運動時筋肉へのグルコースの取り込みは変化しないのに、運動を続ける能力が低下し、またAMPKが活性化されないため血中グルコースが低下しない。以上の結果は、運動やブドウ糖の低下によるストレスで、ミトコンドリア断片のDNAがTLR9を刺激し、beclin1への結合が誘導されることで、AMPKが活性化され、筋肉内のリソースがエネルギー産生へと向けられることを示している。

最後にAMPK活性化までのシグナル経路について検討し、TLR9の活性化によりPI3KC3―C2複合体のUVRAG分子と結合していたbeclin1がTLR9と結合することで、AMPKを活性化することを示している。

自然免疫のTLR9が運動による代謝経路のプログラミングに関わるという結果は、生物が使用可能なあらゆる分子をうまく使って環境に対応していることがよくわかった。Beclin1もTLR9も元々ストレスに対して用意されていると考えると、これらが協調して対応できるストレスを増やすという進化の妙を実感した。

カテゴリ:論文ウォッチ

2月25日 ヒトT細胞の発生(2月21日号 Science 掲載論文)

2020年2月25日
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私がまだ免疫学会に属していた時期は、ちょうど胸腺内のT細胞の分化増殖と選択について明らかになっていく時期と重なっていた。T細胞の表面抗原標識に、HerzenbergらのFACSを用いた細胞分化の解析が始まり、その後MHCやT細胞受容体遺伝子が解明され、最後に遺伝子操作を用いて細胞の増殖や選択過程が明らかになった。こんなことを書いていると、これらを築き上げた様々な研究者の顔が浮かんでくる。

今日紹介する英国ウェルカムサンガーセンターからの研究は、このすべての過程を発生中の胸腺細胞のsingle cell transcriptomicsを調べることでわかることを示した論文で2月21日号のScienceに掲載された。タイトルは「A cell atlas of human thymic development defines T cell repertoire formation (ヒト胸腺発生の細胞図譜はT細胞レパートリー形成を明らかにする)」だ。

研究では受精後7週から17週のヒト胎児胸腺を採取し、そこに存在するすべての細胞のsingle cell transcriptomicsを調べている。最初に述べたように、マウスではこの過程は長い時間をかけてほぼ解明されているといって良い。その意味で、ヒトで調べたから全く新しいことがわかるというわけではない。というより、ヒトでもほとんどマウスと同じことが起こっていることがわかったことがこの研究の最も重要な結論だろう。

とはいえ、胸腺細胞を少なくとも42種類の細胞に分けることができるという結果は、胸腺がいかに複雑な組織であるかを再認識させる。膨大なデータなので、個人的に気になった点だけ紹介することにした。

  • 胸腺上皮とともにストローマを形成する線維芽細胞を増殖中のものも含めると3種類に分けられ、発現分子からみて支持する細胞が異なること。また、in situ hybridizationで見ると、存在場所も違うこと(ストローマ細胞の多様性を知る意味では重要)
  • さらに胸腺上皮になると実に8種類に分けることができ、またこれまで知られているTEC分類と対応させることができる。
  • これまで知られているT細胞サブセットの全てが胸腺内で分化することが確認され、またそれぞれのストローマ構成細胞は固有の支持細胞と相互作用することが、相補的遺伝子発現からわかる。特に、ケモカインとその受容体の関係により、それぞれの相互作用特異性が決められているのがわかる。
  • 同じように、T細胞選択に関わる樹状細胞も3種類にわけられ、またそれぞれは活性型へ変化する。特に樹状細胞はCD4陽性のヘルパーとTregの分化に関わっており、それぞれが異なるケモカインを介して相互作用している。面白いのは、リンパ球の方から様々なケモカインを発現して樹状細胞を引き寄せることがみられることで、相互にケモカインを分泌することで特異的相互作用が可能になっている。
  • T細胞受容体遺伝子の再構成では、発生時期のクロマチン構造から、再構成で選ばれVβ遺伝子に強い選択制が見られる。一方、Vαの方は、C領域に近いV遺伝子ほど選ばれやすいというこれまでの結果が確認された。同時に、一旦選択されたあと即座に選択を受けるV遺伝子も特定できる。
  • これも驚いたが、CD8T細胞ではC 領域から遠いV領域が選択される確率が高く、CD4T細胞とは再構成の様式がかなり異なっている。

以上が結果で、もちろん私が知らなかったことも多く示されており、T細胞分化の教科書として使えるアトラスだと思う。もちろん、ヒトで行われている点も重要で、私にとっても感慨以上の面白い論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

2月24日 自己抗体(リュウマチ因子)ができるまでの細胞過程(3月5日号 Cell 掲載予定論文)

2020年2月24日
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昔からリュウマチ、シェーグレン病、SLEなどの自己免疫疾患の患者さんで、悪性リンパ腫のリスクが高いことは疫学的に確かめられていた。長期間リンパ球への刺激が続くだけでなく、炎症が慢性化することで炎症性サイトカインが悪さをすると説明されてきたが、実験的に確かめられたわけではない。

今日紹介するオーストラリアGarvan医学研究所からの論文は、逆にリンパ腫につながる突然変異が抗体の変異を誘導し自己免疫症状を発生させることを示した面白い研究で3月5日発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Lymphoma Driver Mutations in the Pathogenic Evolution of an Iconic Human Autoantibody (象徴的自己抗体への病的進化にリンパ腫を誘導するドライバー変異が関わっている)」だ。

この研究が焦点を当てているのは一部のリュウマチ患者さんで見られるリュウマチ因子と呼ばれる自己のIgGに結合するIgM自己抗体のなかで、温度が下がると相転換がおこって巨大分子に変身して腎臓などの組織を障害する悪漢自己抗体だ。この抗体については研究が進んでいるので、まず質量分析で自己抗体の配列を決め、これを産生する悪漢B細胞が患者さんの末梢血にも存在することを確認した後、抗体の遺伝子を特定している。

悪漢B細胞が特定できたので、次はこの抗体を産生しているB細胞を分離(イディオタイプに対する抗体を用いている)、こうして得られたB細胞をsingle cell levelで解析し、自己抗体の多様性、進化、そしてこの背景にリンパ腫発生に関わるドライバー変異がないかを調べ、以下の結論を得ている。

  • 一人の患者さんの中で、悪漢自己抗体B細胞として特定できるB細胞は同じ突然変異前の祖先B細胞に由来している。
  • しかし、祖先B細胞の抗体遺伝子に新しい変異が起こり始めると、多様な部位で変異が蓄積し、悪漢自己抗体産生B細胞が多様化する。
  • 4人の患者さんでこの悪漢B細胞の多様性が発生する前に、リンパ腫に関わることが知られているドライバー遺伝子変異が起こっている。
  • 動物実験で同じドライバー突然変異をマウスリンパ球に導入すると、細胞の増殖自体は正常と変化ないが、抗体遺伝子の多様性が上昇する。
  • 抗体遺伝子の多様化は、抗原に対する親和性の上昇を伴う。

以上が結果で、自己抗体の発生過程で、まずリンパ腫ドライバー遺伝子の変異が先に起こり、この結果まだはっきりしないメカニズムで免疫グロブリン遺伝子の多様性を発生させる突然変異が上昇し、それが選択されて自己免疫病に至ることを示している。

技術自体はどこでも可能な技術だが、人間で自己抗体の進化過程をsingle cell analysisで見てみようと思った発想自体がこの研究のハイライトだと思う。自己免疫の発生と患者さんのリンパ腫リスクについてうまく説明した面白い論文だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

国際治験登録サイトからみる新型コロナウイルス治療法開発:我が国の治験体制は大丈夫か?

2020年2月23日
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新型コロナウイルス感染の広がりをニュースとしてみていると、少なくとも我が国では情報の氾濫だけが目立つが、世界規模で医学という点から見ると着実に進展している。最も知りたいのは治療の進展だが、2ヶ月で漏れ聞こえてくる話で一喜一憂することは厳禁だ。代わりに、国際的治験登録サイトが存在し、治療法の計画段階から登録して、その計画に従って治験を行うことで効果を科学的に確かめるのが国際標準になっている。

登録サイトの中では最も信頼性があるのが米国のClinicalTrials. Govなので、新型コロナウイルスについて登録された治験がどのぐらい走っているのか、covid-19で検索をかけると、驚くことにすでに49の治験が登録されている。中にはまだ始まっていない計画段階のものも含まれるが、2ヶ月という短期間にこれだけの治験が登録されたことは、中国を中心に医学界が総力を挙げ、新しい治療法の開発に挑んでいることがわかる。今見ているサイトはhttps://clinicaltrials.gov/ct2/results?cond=&term=covid-19&cntry=&state=&city=&dist=だが、明日になればもっと増えるだろう。

どんな治験が走っているのか紹介しよう。

  • スマフォでの自己診断法 2件
  • サリドマイド 1件(肺の障害を防ぐ)
  • 臨床経過観察研究 7件
  • 検査法研究    3件
  • 漢方薬  2件
  • フィンゴリモド 免疫細胞移動抑制剤 1件
  • 副腎皮質ホルモン  2件
  • 一般薬の治験(痰の融解、インターフェロン、ビタミンなど) 4件
  • チェックポイント治療 2件
  • 抗体治験     2件
  • 抗ウイルス剤   11件
  • 細胞治療     5件 
  • 肺線維症治療剤  2件
  • マイクロビオーム移植 1件
  • 抗インターロイキン治療 1件

かなり大雑把に分類したので間違っている点があればお許しいただきたいが、中国がすべての情報を公開して、科学的治験を行おうとしている姿がよくわかる。中には、非接触型の体温測定までその効果を治験研究として申請している。当然のことながら、抗ウイルス薬の治験は多い。同じものを組み合わせたりで、薬の種類が多いわけではないが、あらゆる可能性が確かめられようとしている。チェックポイント治療やサリドマイドまであるのは驚くが、少し考えるとなかなか正しい方向だと思う。

エボラウイルス治療の知見では結局抗ウイルス薬はだめで、ウイルスに対するモノクローナル抗体が効果を示した。その意味で、回復患者さんの抗血清の結果はそのままモノクローナル抗体開発につながるだろう。

さてなぜこんな話をする気になったかというと、今日の新聞で厚労省が備蓄している日本製の抗ウイルス薬の投与を始めるという報道を見たからだ。もちろん重症化した患者さんを前に、何か治療手段をと思うのはわかる。しかし、結果がわからない治療については、すべて治験として科学的に効果を確かめないと、世界から相手にされないことは間違いない。ClinicalTrialに49の治験が登録されたという事実は、中国医学の大きな変化を物語っているが、我が国の治験は登録して行う気があるのだろうか?

報道にリークして特効薬がもらえるのではと勘違いさせ、プラセボ効果を最大限に利用するような愚かな治験をもし医療行政の府が行なっているとしたら、由々しき事態だと思う。医療先進国を自負する我が国の厚労省が、科学的治験の重要性を認識して、正しく治験を進めることを願いたい。

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