2020年10月6日
ガンに炎症が伴うと転移しやすくなることが知られているが、ガンのEMTを誘導したり、血管新生を促したり、様々なメカニズムが示されてきた。従って特に珍しくもない話だが、今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、血管が発現すると転移を誘導し、ガンが発現すると転移が抑えられるという不思議な分子(SLIT2)の話で、9月30日Natureにオンライン出版された。タイトルは「Tumoural activation of TLR3–SLIT2 axis in endothelium drives metastasis(ガンによる血管内皮のTLR3-SLIT2経路の活性化が転移を促進する)」だ。
もともとSLITとその受容体ROBOは、神経軸索ガイダンス分子として発見された。その後血管新生、白血球の移動、さらにはガンの転移に関わることは既に報告があり、おそらくSLIT2が転移に関わるというタイトルを見てもそれほど注目されないだろう。ただ、これにTLR3というウイルス由来二重鎖RNAを認識する分子が絡まっているとなると、急に話は面白くなる。
この研究ではCre-recombinaseを用いて細胞系列特異的にリボゾームを標識し、それに結合する新たに合成中のRNAを濃縮し配列を決める方法を用い、マウスメラノーマの転移組織の血管内皮でSLIT2の転写が新しく誘導されることを確認している。すなわち、SLIT2の血管での発現が転移に関わる可能性を示唆している。
そこで血管特異的にSLIT2がノックアウトされたマウスを作成し、腫瘍を移植する実験を行い、SLIT2が血管内皮で発現しないと転移が強く抑えられることを発見した。また、血中を流れる腫瘍細胞数も低下する。逆に腫瘍にSLIT2を添加する実験では、腫瘍の遊走を誘導し、この遊走は腫瘍側のSLIT2受容体ROBO1をノックダウンすると抑えられる。
以上のことから、SLT2は転移血管内皮で上昇し、これが腫瘍の遊走を高め、転移を促すことがわかった。次の問題は、血管内皮のSLITを誘導する因子だが、ガン細胞の培養液に存在する二重鎖RNA(dsRNA)がSLIT2を誘導することを発見する。dsRNAはTLR3を介して自然免疫反応を誘導することから、SLIT2もガン由来のdsRNA自然免疫反応の一環として内皮に誘導されると考えられる。実際、内皮のTLR3をノクアウトするとSLIT2の誘導は低下する。
次に腫瘍由来のdcRNAの配列を調べて、多くが内在性のレトロウイルス由来であることも確認している。これらの結果から想像されるシナリオだが、ガン細胞で内在性のレトロウイルス(これだけではないが)が活性化され、dsRNAが細胞外へ遊離されると、血管内皮のTLR3を介してシグナルが入り、SLIT2が分泌され、それが周りのガンに働きかけて遊走を高め、血管内への侵入を促進して、転移ガンが起こるというものだ。
血管内皮から見るとこのシナリオはOKだが、ガン細胞自体では SLIT2発現が抑制されており、またガン細胞SLIT2を過剰発現させると、転移が低下する。以上のことから、ガン細胞自体SLT2を発現せず、ROBOが血管内皮由来のSLIT2に刺激されることが、転移に重要であることを示している。
SLIT2とROBOと転移の関係はこれまでも話がこんがらがっている気がしたが、その意味ではこの研究は混乱を解消する一つのわかりやすいアイデアを提供した。ただ、実際の臨床例で同じことが起こっているのか明確にして、転移抑制手法が開発されることを期待する。
2020年10月5日
心臓や脳は最もエネルギーを必要とする臓器だが、心筋や神経細胞は長期間生存し働き続ける必要がある。そのため、ミトコンドリアを常に若々しく維持することは重要で、機能が低下したミトコンドリアを処分し、新しいミトコンドリアで置き換えるオートファジーは両臓器の維持にとっては欠かせない。
今日紹介するマドリッド国立循環器研究センターからの論文はこのオートファジーを介するミトコンドリアの新陳代謝にマクロファージが重要な役割を演じていることを示した研究で10月1日号のCell に掲載された。タイトルは「A Network of Macrophages Supports Mitochondrial Homeostasis in the Heart (マクロファージのネットワークが心臓のミトコンドリアのホメオスターシスを維持している)」だ。
この研究は、マウス心臓に30万個ぐらい存在しているマクロファージを遺伝子操作で欠損させると、心室の収縮力が低下するが、正常マクロファージを投与すると機能が回復するという発見から始まっている。すなわち、心臓の機能維持にマクロファージが関わっている。そのメカニズムを探ると、マクロファージが欠損すると心筋内に機能の低下した異常ミトコンドリアが増えていることがわかった。
次に、マクロファージがどのようにして細胞内のミトコンドリア新陳代謝に関わるかを追求し、オートファジーにより細胞質で分離された機能低下ミトコンドリアが、膜で包まれたまま細胞外へ排出されたExopherを、マクロファージが貪食していることを発見する。このため、マクロファージが欠損すると、exopherが貪食されず、分解途中のミトコンドリアが細胞外に蓄積し、これが炎症を誘発することがわかった。
マクロファージの役割はこれだけにとどまらない。マクロファージが欠損してすぐには確かにミトコンドリアが細胞外に蓄積するが、少し経過すると今度はexopher自体が形成されなくなり、その結果異常ミトコンドリアが細胞内に蓄積し始める。すなわち、マクロファージが心筋内でのオートファジーを調節して心筋内のミトコンドリア新陳代謝を促していることも示している。
そして最後に、マクロファージがexopherを貪食するメカニズムとして、フォスファチジルセリンを認識して貪食するMertkが関わることを明らかにしている。
以上わかりやすいようにざっと結論だけを選んでまとめてみたが、実際には膨大な実験が提示された力作だ。マクロファージがミトコンドリアのオートファジー、すなわちマイトファジーを調節し、最後に細胞外に出てきた異常ミトコンドリアを分解処理して心筋を助けるという、これまで考えられたこともないシナリオは新鮮だ。おそらく、exopherが最初に記述された神経系でも、同じようなことが起こっている可能性がある。この研究は、このシナリオとともに、多くの新しい問題も提出した。マクロファージがどのようにマイトファジーを誘導しexopher形成を促しているのか?ミトコンドリア病での役割は?など、知りたいことが山積みだ。今後の進展を期待したい。
2020年10月4日
新型コロナウイルス(CoV2)に関する研究、特に免疫反応に関する研究は結論と仮説が先行していることが多い。もちろん、まず現象から示して、そこから出てきた可能性を順に検証していくことが重要だが、なかなかそのような研究にはお目にかかれない。
そんな中で7月15日このブログで紹介したLa Jolla免疫研究所のグループは、ウイルスタンパク質から推定される抗原ペプチドを全て合成して、ほぼ全ての組織適合抗原をカバーした上で、個々人のCoV2に対するT細胞反応を調べた研究(https://aasj.jp/news/watch/13531 )を発表して以降も、この時可能性として示した様々な可能性をさらに厳密に検証する研究を続けている。今日紹介する論文は、新型コロナウイルスに対する免疫記憶が、他のコロナウイルス感染により成立しているかどうか調べた研究で、10月2日号のScienceに掲載された。タイトルは「Selective and cross-reactive SARS-CoV-2 T cell epitopes in unexposed humans (非感染者のT細胞が認識する選択的交差反応的CoV2エピトープ)」だ。
抗原ペプチドプールを用いたこのグループの論文をきっかけに、新型コロナウイルス感染前から、他のウイルスとの共通抗原に対する記憶T細胞が存在する可能性を示唆する論文が続いている。しかし、本当に免疫記憶が存在するという証明を行うことは簡単ではない。この研究では、これを人間という、過去の感染経緯が複雑で、しかも遺伝的に多様な集団を用いて証明できるかの一点に絞って研究を計画している。
そのために、非感染者サンプルを2015年から2018年に保存されている血液を用いることで、間違って無症状の感染者が紛れこむことを避けるという徹底ぶりだ。また、記憶と新型コロナ症状との関係を問題にせず、T細胞記憶の存在一点に絞るため、CD4T細胞を刺激するペプチドの大きさ15merに絞り、CD8T細胞反応を誘導する10merに関しては捨てている。
また血液をペプチドで2週間刺激した後反応細胞を調べることで、少ない記憶細胞を特異的に測定する方法を用いている。この方法を用いてCD4T 細胞を刺激できるペプチドプールの中から、最終的にCD4T細胞反応をモニターする142種類のエピトープを決定し、非感染者のT細胞反応素調べると、反応を検出できることがわかった。
次に、Cov2と他のコロナウイルス(HCov)のゲノムの比較から、共通抗原になりうるペプチドプールをそれぞれHCovとCov2から選び出し、それぞれに対する反応を調べると、非感染者でもこれらのペプチドプールに対する反応が見られ、しかも新型コロナウイルス感染によりHCovのプールに対する反応も上昇することを示している。すなわち、コロナウイルス感染により、HCovペプチド反応性のCD4T細胞が確かに上昇してくることを明瞭に示した。
さらに、反応細胞の細胞表面形質から、非感染者でペプチドプールに反応する細胞のほぼ全てが記憶細胞であることも示している。
さらに進んで、この研究では非感染者から記憶T細胞株を分離することすら試みている。長期間維持しているわけではないが、分離したいくつかのクローンについて様々なペプチド抗原に対する反応を調べ、全てがCov2とHCovの相同領域から作成したペプチドに反応していることを示している。すなわち、配列が同じでなくても相同領域のペプチドであれば交差反応が検出できることを示している。驚くことに、非感染者由来であるのに、Cov2由来ペプチドによりよく反応するメモリーT細胞クローンすら存在する。
この交差反応を誘導するペプチドの相同性から、大体67%の相同性があれば、交差反応性が生じる可能性があることを示している。
免疫記憶を人間でこのレベルまで解析できるのかと本当に感心する、執念を感じる研究だと思う。
2020年10月3日
アルツハイマー病(AD)リスクの最大要因は老化だが、このメカニズムを明らかにすることは簡単ではない。その代わりに、様々な遺伝的リスクファクターを明らかにし、それぞれの関与のメカニズムを明らかにし、老化との相関を丹念に調べて、脳細胞の老化について理解するしかない。その意味で、Aβ、Tau、ApoEなどがADにどう関わるのか、また老化とどう創刊するのかメカニズムのさらなる解明が待たれている。
そんな中、今日紹介するテキサスノースウェスタン大学からの論文は、血圧維持に関わる最も重要な因子で、高血圧治療の標的でもあるアンジオテンシン転換酵素(ACE)が、脳細胞の細胞死を促進してアルツハイマー病リスクになりうることを明らかにした研究で9月30日号のScience Translational Meicineに掲載された。タイトルは「Aβ-accelerated neurodegeneration caused by Alzheimer’s-associated ACE variant R1279Q is rescued by angiotensin system inhibition in mice(アルツハイマー病リスクの一つアンギオテンシン転換酵素の変異R127Qにより誘導される神経変性はAβにより促進され、アンジオテンシン系の阻害により治療できる)」だ。
最近の疾患ゲノム研究でADリスク遺伝子の一つとしてACE遺伝子が特定されてきたことに注目し、ADの発生率の高い446家族について全ゲノム解析を行い、ACEのコーデイング領域の変異の中にアルツハイマー病リスクになる変異がないか探索している。その結果、ACEの1279番目のアルギニンがグルタミンに変換した変異(R 1279Q)を持つ家族ではADが頻発することを確認し、この変異がADにつながるメカニズムを、ACEに同じ変異(マウスではR1284Qが相当する)を導入したマウスを用いて検討している。多くの実験が行われているが次のように要約できるだろう。
エクソンのミスセンス変異なので、ACE酵素活性が変化した可能性が考えられるが、この変異は酵素活性については中立的であることがわかる。しかし、脳でのタンパク質の発現を見ると、脳特異的に変異体分子の発現が高まっている。これは、変異によってACEが細胞膜から遊離しにくくなり、その結果分子の発現が高まる結果であることを確認している。すなわちこの変異は、ACEの質的な変異ではなく、脳内でACE 量が上昇させる変異であることがわかった。この結果、アンジオテンシン1から変換されるアンジオテンシン2の量が上昇し、ACE 受容体の活性化が高まる。
この慢性的なアンジオテンシンシグナルの上昇は、神経細胞の慢性的RAS経路の活性化を誘導し、神経細胞の細胞死を誘導するカスパーゼ活性を慢性的に高める。重要なことは、この変異が導入されたモデルマウスでは血圧は正常で、この過程に血管性の神経変性は関わっていないと結論できる。
このように、このACE変異では慢性的に神経細胞死の閾値が低下していることは、このマウスをAβを過剰発現させたマウスを掛け合わせるとADの発症が促進されることからも確認できる。また、ACE阻害剤や、ACE受容体阻害剤を投与することで、この慢性効果を正常化して、ADの進行を止めることも明らかにされた。
以上が、モデルマウスを用いた結果だが、同じプロセスが人間のADでもみられないか調べ、人間のADでもACEを発現する海馬神経が脱落していること、またRAS経路の異常も神経細胞で認められることを示し、ACEシグナル経路が、神経細胞紙の閾値を下げる老化に関わる要因の一つではないかと結論している。
同じ過程が老化とともに一般的なADでも起こっているとすると、脳内でACE受容体シグナルを抑えることは、アルツハイマー病の重要な治療法になる可能性を示唆しており、面白い研究だと思う。
2020年10月2日
美術の学生さんと話していて感じるのは、半分は生まれつき、半分は訓練で獲得されてきたイメージを把握し、脳内で処理するときの厳密さだ。要するに、私たちが見えても認識できていないものが認識できている。同じ印象は、優れた形態学者と話していても感じる。例えば亡くなった友人、月田さんのセミナーを初めて聞いた時から、この人の脳内でのイメージの処理は全く違っていると感じた。この様な人たちは、頭の中に厳密なイメージが形成されるまで見たとは思はない様で、それが獲得されるまで最大限の努力を傾ける。
今日紹介するジョンズホプキンス大学Watanabe研究室からの論文はプロセスを厳密に見たいという形態学者の執念が感じられる研究で9月28日号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Synaptic vesicles transiently dock to refill release sites(シナプス小胞がトランスミッターを遊離するためのドッキングは一過性)」だ。
私の頭の中のシナプスでの神経伝達過程はかなり以前からアップデートしていない。もちろん、SNAREをはじめとする分子過程についてはある程度アップデートできていても、シナプスに輸送されてきたシナプス小胞が膜直下で神経シグナルが来るのを待って、刺激が来ると膜と融合してトランスミッターを遊離するという形態的イメージはなんら変わっていない。
しかしプロの間では、いくつのシナプス小胞がトランスミッターを遊離するのか、刺激が来るまでの間、ドッキングはどの様に調節されているのか、次の刺激に対してどう小胞が準備されるのかなど、議論が続いていた様だ、
この研究では、Zap-and-freeze法と名付けたシナプスを刺激した後ms単位で組織を高圧急冷して電子顕微鏡で観察する方法を開発し、シナプスで小胞がドッキングし、膜融合する過程を時間を追って追いかけている。すなわち、この研究のハイライトは、シナプスでのプロセスを厳密に見ることを可能にする方法の開発といっていい。実際、シナプスに小胞が集まり、その中のいくつかがアクティブゾーンの膜上にドッキングし、刺激でいくつかが膜と融合する過程を示されると、何が起こっているのか素人の私にもよくわかる。
あとは、ここ技術を使ってプロの間で議論が続く課題に答えている。
これは素人の私も習ったことがあるが、刺激に反応して起こる小胞の膜融合とトランスミッターの放出は、一個づつと制限されているのか、それとも複数の小胞が同じ刺激に反応して融合するのかという問題については、複数の小胞が一度に反応できることを示している。さらに、細胞外のカルシウム濃度を上昇させると、なんと一つのアクティブゾーンに10個以上の小胞が融合する像まで見せている。 また、おそらくドッキングなどの過程に関わる分子を共有するためか、カルシウムの低い状態ではシナプス内で近接する小胞体同士がセットになってドッキングから融合を行なっている。 ドッキングした小胞の融合は5ms程度の早い過程で、11ms以降に見られる融合は刺激とは無関係。驚くことに、それぞれの融合過程が起こりやすい場所も違っており、刺激により膜上で進むプロセスの局在をさらに明らかにすることの重要性を物語っている。 個人的に最も面白かったのは、アクティブゾーンへの小胞のドッキングが一方向の過程でない点だ。これまで、ドッキング、融合は不可逆的に起こると思ってきた。しかし、ドッキングした小胞の一部は融合し消失するが、残りは膜から離れて次の待機ゾーンへと後退し、次の刺激を待つというダイナミックな過程が示された。 刺激後14ms以内に新しい小胞のドッキングが準備され次の刺激に備えられる。しかし、そのまま刺激がないとドッキングした小胞は減少し、回復には10秒近くかかる。
以上、シナプス小胞が伝達のアクティブゾーンと、レザバーとを動的に行ったり来たりして、持続的な伝達能力を維持していることを見ることができた。しかし、生化学的プロセスだとあまり気にならないが、これを書いている間に私の脳内の数え切れないシナプスで、こんなことが起こっているのかと考えると、本当に驚いてしまう。
2020年10月1日
今日の論文ウォッチをアップロードした後(こちらも臨床的には重要な論文なのでぜひ目を通して下さい:https://aasj.jp/news/watch/1399 0)、新しいNatureを読み始めたら、ゲノム人類学の父とも呼べるSvante Pääboさんの研究室から驚くべき論文が目に飛び込んできた。
論文を要約すると、新型コロナウイルス重症化の遺伝的リスク探索から特定されてきた3番染色体の領域の人類学的由来を調べると、Vinjaで発見されたネアンデルタール人ゲノムにほぼそのまま残っており、このネアンデルタール人グループとの交雑を通して、我々ホモサピエンスに流入した領域であるというのだ。
そして、このリスク遺伝子が最も保持されているのが南アジア、特にインド、バングラデッシュの人たちで、次がヨーロッパ、米国ときて、我々東アジア人にほとんど存在していないことを示している。もちろんネアンデルタール人との交雑が見られないアフリカの人たちには全く存在しない。
以上が結果で、最初に特定された新型コロナウイルス重症化のリスク遺伝子がネアンデルタール人由来であるという話は話題を呼ぶと思う。ただ、私は偉大なゲノム人類学者Pääboさんの論文を読んで、新型コロナウイルスとの戦いが、全ての生命科学分野を動員する戦いとして行われていることを実感した。
最後に強調しておきたいのは、ネアンデルタール人由来領域は新型コロナウイルス感染重症化に関わる一つの要因でしかなく、全てをネアンデルタール人の呪いのせいにしない様お願いしたい。
しかしPääboさんに脱帽。
2020年10月1日
このブログでも何度も紹介したがガン細胞上の抗原に対する抗体をT細胞受容体と合体させたキメラ抗原受容体T細胞治療の効果は目を見張るもので、半数近くが長期間完全寛解をはたす。そして白血病細胞だけでなく、同じCD19抗原を発現しているB細胞も完全に除去されるのをみると、免疫システムの威力を改めて感じさせる。
ただ、抗原刺激によるサイトカインストームは最初の段階から副作用として指摘されており、CD19を標的とするCAR-Tの場合、全身にB細胞も存在することから、神経への障害も含めてほとんどの副作用はサイトカインストームによるとされてきた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文はCD19を標的とするCAR-T治療に起因する神経障害がなんと脳血管の周囲細胞がCD19を発現していたために障害された可能性を示す、臨床的には重要な論文で10月1日号Cellに掲載された。タイトルは「Single-Cell Analyses Identify Brain Mural Cells Expressing CD19 as Potential Off-Tumor Targets for CAR-T Immunotherapies(脳のsingle cell解析により血管周囲細胞がCD19を発現してCAR-T免疫治療のオフターゲット標的になることが明らかになった)」だ。
CAR-Tによる神経障害がB細胞以外の細胞がCD19を発現しているのではないかと睨んだ著者らは2500人近くの脳のsingle cell RNA発現解析データを解析し、脳全体では0.2%程度の細胞が血管周囲細胞遺伝子とともにCD19を発現していることを発見する。極めて少ない集団なので、本当かどうか慎重に確かめる実験を行い、平滑筋も含む多くの周囲細胞が脳ではCD19を発現していると結論し、人間の脳の免疫染色でもこれを確認している。発現量だが、幼児期に高く年齢とともに低下する。また、ほぼ脳の周囲細胞だけで発現が認められる。
以上の結果をもとに、マウスモデルでCD19に対するCAR-Tを注射して脳の変化を調べている。人間と比べてマウスの周囲細胞はCD19の発現が高くはないが、周囲細胞が脱落し脳血管関門の機能が低下し、アルブミンが浸出することを発見している。
以上が結果で、臨床的には重要な指摘だと思う。もちろん、生存期間など患者さんへのベネフィットは大きく、副作用の可能性としてあらかじめ理解していただくしかないが、脳以外の組織では発現がないことから、脳血管周囲細胞の発現する他の抗原を用いて、CAR-Tの作用を抑えるといった治療法も考えられる。ただ、費用の面から現実的かどうかはよくわからない。
読んでいて、脳血管周囲細胞の障害性をモニターする目的で、脳血管の窓口とも言える網膜血管を調べるのも面白いのではと思った。現在クリニックを開業している植村君は、網膜周囲細胞のsingle cell 解析を行なっていた様に記憶しているので、脳と同じ様に発現がみられるなら、障害性を早期発見するために役立つかもしれない。
2020年9月30日
南アフリカを旅行したとき、否応なしに考えさされたのが、なぜ民主主義が経済格差を是正できないかという問題だった。マンデラさんが大統領になり、アパルトヘイトを含む政治的地位に関する格差は無くなった。事実、現在まで大多数の黒人が大統領や議会の多数を占めている。しかし、南アフリカの富の格差は凄まじく、1%の金持ちが70%の富を独り占めしいる。民主主義が機能している場合、例えば所得に対する税と、相続税を高めて、富の分配を図る政策が考えられるが、うまく機能していないことは旅行すればすぐわかる。なぜ大多数を占める貧困層が政策を変えられないのか、我が国戦後民主主義が財閥解体や農地改革とセットになって進んだことを比較しながら、旅行中考えつづけていた。
今日紹介するカリフォルニア大学マーセッド校からの論文はこの問題の一因を知るための一種の実験的研究で9月23日Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Local exposure to inequality raises support of people of low wealth for taxing the wealthy(局所的に格差を目にすることで富裕層への税により貧困層を助ける政策への支持が上がる)」だ。
おそらく著者らには最初から答えがあった様に思う。事実この様な政治に関する実験研究は仮説に基づき行われることが多い。この研究では、貧困層は実際には格差に気付いていないため、格差是正政策支持につながらないという仮説に基づいて研究を計画している。
この仮説の検証のために行った実験が面白い。ソエト(ヨハネスブルグ近郊にある南アフリカ最大の黒人居住地区)でも貧困層の多い地域で通行人を呼び止め、「格差是正のための富裕層への税を強化しよう」という嘆願書、あるいは「原発から自然エネルギーに変えよう」という嘆願書をみせてサインを求める。この様なサインの呼びかけは我が国でもよく見かけるのと同じだ。ただ、サインを求める場所に、無作為的に格差の象徴としての高級車(BMW)を駐車しておくという設定を作っている。貧困地域にはまずBMWの様な車が駐車することはないので、それを目にすることで、格差をより強く認識するのではという設定だ。
まず、格差の象徴BMWがあると、サインをする人が減る。おそらく、格差が認識されると、嘆願書など意味がないと思うのだろう。この条件で、しかしBMWが駐車している横で署名を求めると、富裕層への税をかけて格差をなくすという政策に署名する人が11%増える。一方、原発を自然エネルギーへという嘆願書への署名はBMWによっては影響されない。
BMWが駐車しているだけでこれほどの差が出るのかと驚く。この結果をさらに確かめるため、同じ嘆願書への署名を、貧困地区(ジニ係数から決めている)から異なる距離の3地区で行い、日常に貧困が感じられる場所に近いほど富裕層への課税への支持が得られることを示している。
南アフリカの様に富裕層と貧困層が完全に分離して暮らす場合、貧困者ですら格差を感じる機会が少ないため、経済格差是正のための民主主義が機能しないという結論になる。
一見簡単な結論に見えるが、よく考えていくと示唆に富む内容の深い研究だと思う。
2020年9月29日
引退してから少しは頭が進化し、新しい論文を読んでもなんとかついていける様になった分野の一つがAbiogenesis、すなわち無生物から生物が誕生するまでの過程に関する研究だ。世間ではあまり大きく取り上げられることはないが、この分野の進展は著しく、実験や計算の詳細が理解できないままでも、この進歩を楽しめるところまできた。そして、Abiogenesis の条件については十分理解できたという興奮を、今やいくつかの大学院で講義させていただいている(阪大での講義はAASJチャンネルで公開中:https://www.youtube.com/watch?v=fN9PZtj_UGk&t=209s )。専門外が無謀といえば無謀だが、この分野は広い範囲にわたっており、概論ならなんとかなる。また、ほとんどの生物系学部では体系的な講義ができない。こんな事情で、ここには年寄の出る幕も残されている。
Abiogenesis分野で最も研究が進んでいるのが無機物から生命活動の材料、有機物合成過程についての研究だが、今日紹介するポーランド科学院からの論文はコンピュータの導入によりこの分野がさらに広がる可能性を示した面白い研究で9月25日号のScienceに掲載された。タイトルは「Synthetic connectivity, emergence, and self-regeneration in the network of prebiotic chemistry(生物以前の化学反応ネットワークで発生する合成ネットワーク、創発、そして自己再生)」だ。
この研究は現在知られているprebioticな化学反応と、様々な化学反応の基本ルールを学習したソフトを作成し、スタートラインの化合物が与えられると、閉じられたシステムの中で、自動的に合成される複雑な化合物を特定(全て計算で)、さらに合成物が生まれる経路を特定できる様にしている。すなわち、Abioticに可能な化学反応のシミュレーションを可能にした(ソフト自体は公開されている:https://life.allchemy.net )。
実際にはメタン、アンモニア、水、シアン化水素、窒素、硫化水素の自然に存在する化合物をスタートラインにして、閉鎖系で反応を勧めたとき合成されてくる複雑な有機物を特定し、それが生まれるまでの経路を逆算で追いかける(これはコンピュータでしかできない)ことで、有機物合成の様々な経路を探索し、もし面白い経路が見つかれば、実際に試験管内で確かめるという操作を行なっている。
詳細を省いて結論をまとめると、
数サイクル反応を回していくと、有機物が多く合成されるが、それでもほとんどは無機化合物が多い。ただ、無機化合物と異なり、合成された有機化合物は親水性で、熱力学的に安定しており、有機物同士の水素結合が起こりやすい構成が出来上がる。 この反応から発生した有機化合物の中には、他の反応の触媒として働きうる化合物が多く特定できる。実際の触媒活性については、試験管内で再現できる。 一方向の合成だけでなく、閉じられたサイクル回路も形成される。この結果、最初のスタートラインの化合物の増産が可能で、これも試験管内で確認できる。 反応をさらにコンパートメントかするための閉鎖粒子を構成するための、いわば細胞膜構成要素となりうる有機化合物合成経路が明らかになり、試験管内で再現できる。
以上、詳細はわからないが、実際には見ることができないAbiogenesis過程を再現するための理論的枠組みとコンピュータの重要性がよくわかる論文だった。
ポーランドの現状を考えると、研究室はそう豊かではないだろう。その意味で、計算機の可能性を見事に示した研究で、研究資金に恵まれない研究者にとってはお手本になる様に感じる。実際、論文の出だしはきわめて高揚感に満ちており、著者らの鼓動が直接伝わる論文だった。
2020年9月28日
慢性リンパ性白血病(CLL)の最後の治療法としてB細胞抗原を標的にするCAR-T治療が我が国でも行われるようになっているが、CLL治療の最初の切り札と言えるアロの骨髄移植は、ガン治療で低下した造血機能を補うだけでなく、組織適合性のないドナーのリンパ球に白血病細胞を壊滅させるという期待も込めて行われている。
このgraft vs host 反応(GvH)がCLLに重要な役割を演じていることがわかってくると、骨髄移植をGvHによるCLL細胞除去を主目的に使おうとする方法が考案された。Reduced intensity conditioning (RIC)と呼ばれる方法で、普通の骨髄移植と比べると骨髄障害の少ないプロトコルで全処置を行い、アロ骨髄を投与する。患者さんの体への負担が少ないことから、年齢が高い人でも可能だが、問題はどうしても再発率が高いことだ。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、RIC後の骨髄移植で治療され、再発を経験した患者さんの、治療前と再発後の白血病細胞を徹底的に調べ、再発のメカニズムを探ろうとした研究で9月16日のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Distinct evolutionary paths in chronic lymphocytic leukemia during resistance to the graft-versus-leukemia effect(慢性リンパ性白血病細胞がGvH反応への抵抗性を獲得するまでの経路は多様だ)」。
この研究では10例の患者さんで、治療前と再発後の白血病細胞を分離し、ゲノム解析、遺伝子発言解析、single cell RNA seq、そしてメチローム解析を行なって、GvH反応を逃れるプロセスを探っている。詳細を省いて結果を箇条書きにまとめる。
エクソーム解析:早期に再発した患者さんでは突然変異の蓄積はほとんど見られない。一方、再発までに時間がかかると、遺伝子レベルの変異が蓄積している。おそらく、早期再発例ではGvHの効果が得られなかったが、後期再発例ではGvHが効果を表し、白血病細胞もそれから逃れるための進化を遂げたことを示唆している。事実、後期再発例では、ネオ抗原として働く変異が選択を逃れる中で減少していることも示している。 白血病細胞の遺伝子発現でも、早期再発例では平均66遺伝子で発現の違いが見られたのに対し、後期再発例では1000近くの遺伝子発現で違いが見られている。すなわち、GvHから逃れるため進化していることがわかる。面白いことに、発現の違いが見られる遺伝子は様々な幹細胞維持に関わる遺伝子や、抗原受容体シグナルに関わる遺伝子が多く見られる。 実際に白血病細胞が選択されてきたことはsingle cell RNAseqによる細胞レベルの発現解析で明確になる。早期再発例では治療前と細胞集団に大きな差が見られないが、後期再発例では各患者さんごとに異なる細胞集団が選択されている。これらの集団は、細胞死や細胞増殖シグナルに関わる遺伝子、さらに癌抑制遺伝子などの発現の差が関与している。 これまで考えられてきた、HLA抗原発現の抑制は白血病細胞の選択にほとんど関わらない。 遺伝子発現の差を誘導するメカニズムとしてDNAメチル化は重要で、後期再発例ではメチル化の程度が強く更新している。
以上が結果だが、短期再発例ではGvH反応自体が働かなかったこと、後期再発例ではGvHの効果が見られたが、遺伝子変異とエピジェネティックな変化が統合され、白血病細胞が耐性を獲得する。そして、この経路は症例ごとに異なり、HLAのような決まった原因で起こるわけではないことが示された。
とすると今のところsingle cell RNA seqが臨床で行える最も有効な診断方法になるが、普及するにはまだまだ時間がかかるだろう。