久しぶりにネアンデルタール人ゲノムについての研究を紹介する。それも、この分野を開拓してノーベル賞を受賞したペーボさんの研究室からの論文だ。タイトルは「A high-coverage Neandertal genome from the Altai Mountains reveals population structure among Neandertals(アルタイ山地からのネアンデルタール人の高いカバー率のゲノム解析によりネアンデルタール人の集団構造が明らかになる)」だ。
アルタイ山地のデニソーワ洞窟から出土した11万年前のネアンデルタール人のゲノムを解析した研究で、最近紹介してきた多くのゲノムを同時に調べる研究と比べると、一体の解析をこれまで解析された他のゲノムと丁寧に比べていく極めてアカデミックな研究で、ある意味でネアンデルタール人研究もここまで来たかと感慨が深い。
ペーボさんたちの地道な努力の結果、古代ゲノム解析が当たり前の技術になり、10万年前の骨から37回以上のカバレージのDNA配列解析が出来るのは本当に驚きだ。今回解析された骨(denisowa17:D17)が出土した場所は、ネアンデルタール人、デニソーワ人、そしてホモサピエンスが、時代ごとに交代で使っていたデニソーワ洞窟で、同じ場所からのネアンデルタール人としてはさらに古い12万年前の女性のゲノムが解析されている (D5) 。
まず、D5ととも、high coverageで解析されたネアンデルタールゲノム、一つは中央ヨーロッパ (Vinja) 、及びアルタイ山地の他の洞窟 Chagyskaya (Cha8) と比較すると、D5、D7と残りの2つは全く異なる人種と言えるぐらい離れており、例えとしてパプア人とアフリカ人ぐらいの差があることがわかった。Cha8は地域的にはデニソーワ洞窟に極めて近いのに、D5、D17とは全く異なっており、Vinjaと同じグループになる。この論文では、Vinja、Cha8を西のネアンデルタール人 (WNE) 、D5、D17を東のネアンデルタール人 (ENE) と分けている。WNEのCha8が何故アルタイにいるのかだが、7万年前の出土なので、中央ヨーロッパからアルタイ山地に移動してきたネアンデルタール人で、そのときにはD17と同じグループは死に絶えていたと想像される。
D5、D17では、対立染色体の多様性が少なく、特に新しく見つかったD17が最も多様性が少ない。すなわち、極めて小さなグループで生活していたと考えられる。面白いのは、Cha8は同じWNEのVinjaと比べても多様性が低い。即ち、アルタイに移ってきた後は、D5、D17と同じで小さなグループで暮らしていたことが想像される。
デニソーワ人からの遺伝子フローをしらべると、D5、D17ともに、比較的新しい交雑が示唆される。即ち、デニソーワ人と分離してからも交雑が起こっていた。この地域ではデニソーワ人とネアンデルタール人の両親を持つ混血ゲノムも見つかっていることから、両方が近接して生活し、交雑が行われていたと考えられる。
面白いのはCh8で、Vinjaと同じでほとんど新しい交雑の跡が見られない。従って、アルタイ山地に移ってきたばかりで、デニソーワ人との交流がなかったと考えられる。
一方で我々現存のホモサピエンスとの交雑は、VinjaのようなWNEと比べると低い。例えば我々のゲノムの中に存在するWNEゲノム量と比べると、1/4ほどにとどまっている。
以上が結果で、おそらくアルタイ山地のネアンデルタール人は、大きなグループが形成できない条件だったため、自然淘汰されたと考えられる。ただVinjaでもその傾向が見られるため、小グループに分かれてグループ間の交流が少ないのが、ホモサピエンスとネアンデルタール人を比較するとき、重要なポイントになると結論している。
ペーボさんの論文はいつも簡潔でわかりやすい。
