9月12日:RNAのアデニンメチル化の機能(Natureオンライン版掲載論文)
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9月12日:RNAのアデニンメチル化の機能(Natureオンライン版掲載論文)

2016年9月12日
   このホームページでも何回か紹介しているが、ヒト細胞でもアデニンがメチル化されたRNAが存在することが明らかになり、現在はメチル化されたRNAの機能に研究の焦点が当たっている。特に、RNAを直接メチル化する酵素Mettl3が特定されてからは、この分子を欠損させた細胞を使った解析が進んでいる。
   今日紹介するコーネル大学からの論文は、これまでRNAメチル化の機能を調べた研究の中でも、インパクトの大きさと、研究の徹底性では高いレベルにあると思ったので紹介する。タイトルは「m6A RNA methylation promotes XIST-mediated transcriptional repression(m6A RNAメチル化はXISTによる転写抑制を促進する)」だ。
  女性の細胞はX染色体を2本持っているため、そのまま両方のX染色体から遺伝子が発現すると、その遺伝子は男性の2倍量発現してしまう。2倍でもいいのではと思われるかもしれないが、ほとんどの細胞にとっては致命的になることが確認されている。そのため、一本のX染色体がそっくり不活化される。その時最も重要な働きをするのがXISTと呼ばれるRNAで、片方のX染色体をマークして、遺伝子抑制型のクロマチン構造形成の引き金になっている。
  これまで著者らはXISTがアデニンメチル化されていることを示している。この結果をもとに、この研究の著者らは最初から、XIST-RNAのアデニンメチル化がX染色体の不活化に必須であることを証明するのに狙いを定めて研究を進めている。
  まずRNA結合活性を持つRBM15分子は、一方でXIST-RNAに直接結合し、また他方でRNAメチル化活性のあるMETTL3などの分子複合体と直接結合して、XISTのメチル化に関わることを明らかにしている。ただ、RBM15には、ほとんど同じ機能を持つRBM15Bが存在するため、細胞から片方だけを欠損させてもXISTのメチル化は阻害されない。しかし、RBM15とRBM15Bの両方をノックダウンすると、METTL3を欠損させた時と同じで、XISTのメチル化が強く阻害を受ける。そこで、ES細胞でXISTを誘導して遺伝子発現抑制を誘導する実験系で、RBM15/RBM15B両方を欠損させる実験、あるいはMETTL3遺伝子を欠損させる実験を行い、XISTのメチル化を阻害すると、いくらXISTが発現しても、X染色体上の遺伝子発現抑制が起こらないことを明らかにしている。すなわち、XISTがメチル化されないとX染色体不活化が起こらないことを確認している。
   最後に、メチル化されたXISTだけが遺伝子発現抑制に効果があるのかについて、メチル化RNAに結合するタンパクとXISTやそれ以外のメチル化RNAとの結合を詳細に調べ、YTHDC1(DC1)分子だけがメチル化されたXISTに特異的に結合できることを突き止める。そして、DC1とXISTを直接結合させた分子を使って、XISTのメチル化がなくとも、DC1とXISTが結合しておれば、遺伝子を抑制できることを示している。すなわち、XISTのメチル化はDC1を特異的にXISTに結合させる機能を持っていることを示している。    この研究をもう一度まとめると、   「XISTはRBM15及びRBM15Bを仲立ちとしてメチル化作用を持つ分子複合体と結合、メチル化される。このメチル化によって初めてDC1がXISTと結合し、結合部位の遺伝子発現抑制の引き金になる」という結論になる。    一般の方には難しすぎたと思うが、RNA研究のプロの力が存分に発揮された研究だと感心した。
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9月11日:眠りを抑える中枢(Nature Neuroscienceオンライン版英紙論文)

2016年9月11日
   脳内に光を照射することで目的の神経細胞集団を刺激、あるいは抑制することを可能にした光遺伝学によって、様々な行動の支配神経が続々明らかにされている。特定の神経操作は光照射に限らない。薬物を使う神経操作、磁気を使う神経活動操作が可能になり、これらを組み合わせて研究が加速している。
   今のところこれらの方法の利用は、遺伝子操作が簡単なマウスに限られているが、CRISPRが組み合わさることで、人間以外であれば、ほとんどの動物でこの技術の利用が可能になると予想される。
   この状況をみれば、おそらくCRISPRだけでなく、光遺伝学もノーベル賞の受賞はまちがいないと思う。
   この技術の最大の特徴は、神経操作を行いながら、動物の行動を長期間観察できる点だが、睡眠の研究はこの技術の恩恵を最大に生かすことができる分野だ。2014年9月このホームページでも、slow wave sleepを誘導する中枢を、光遺伝学と、薬物による神経操作を組み合わせて解明した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2210)。
   ただ、睡眠は一つの睡眠中枢が特定できればそれで話が終わるほど簡単ではない。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、これまで睡眠との関係がほとんど研究されてこなかった腹側被蓋野(VTA)が、覚醒状態を維持する中枢であることを示した研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは、「VTA dopaminergic neurons regulate ethologically relevant sleep-wake behaviors (VTAのドーパミン作動性ニューロンは行動と関連する睡眠—覚醒行動を調節する)」だ。
   VTAにあるドーパミン作動性ニューロンは、覚醒時の様々な行動にかかわる領域であることが知られていたが、この研究ではまずVTAの神経活動を蛍光で測定できるようにしたマウスに、睡眠記録のための電極を併設し、睡眠時、覚醒時のVTA神経活動を調べ、VTAドーパミン作動性ニューロンは深いノンレム睡眠時に活動が抑えられることを発見している。
   覚醒とVTAの活性が同期していることが分かると、後は、このVTAドーパミン作動性ニューロン(今後VTADNと略する)を抑制、あるいは刺激して睡眠や行動への影響を調べれば仕事は完成する。この研究では、この分野の最新の技術を駆使した一種の物量作戦が繰り広げられている
  結果をまとめると、
1) VTADNを抑制すると、脳波でも行動でも確認できる睡眠状態に入る。
2) VTADNを抑制すると、食べ物、異性の存在、あるいは天敵の匂いによる覚醒誘発がいちぢるしく抑制される。
3) 新しい環境(巣が準備できていない環境)でVTADNを抑制すると、本来なら寝るはずのところ、まず寝るための巣作りを始める。
4) VTADNを刺激すると覚醒するだけでなく、巣作り行動もなくなる。
5) VTADNのうち側坐核に投射するニューロンがこの行動にかかわる。
になる。結論としては、VTADN活動は、覚醒と同期しており、睡眠行動を抑え、覚醒を維持するのにかかわるという結論になる。個人的には、巣作り行動が眠りの準備行動として、睡眠と一体化しているのに驚いた。
   また、従来の光遺伝学実験から睡眠中枢として他の領域もリストされていることを考えると、睡眠は一つのコントロールセンターで話が終わるものではないことがよくわかった。
   しかし、光遺伝学、化学的神経操作、発行による神経活動測定、電極による神経活動測定を組み合わせた今回のような大掛かりな研究を見ていると、我が国で独立したばかりの若手がこの技術を駆使した研究ができるようになっているのか少し心配になる。若手が物量作戦を前に沈没しないでいいような研究助成を望む。
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9月10日:37億年前の生物の痕跡(8月31日号Nature掲載論文)

2016年9月10日
    ガラパゴス島に行くと、人間に侵されない生命の息吹が感じられるのに対して、アイスランドは地球のエネルギーを感じる。9月2日にアイスランドに来てからすでに1週間以上、あちこちドライブしたり、歩いたりしているが、毎日が新しい発見だ。今日は、地球のプレートの動きによる割れ目が見えるというシンクヴェトリルを歩いてきた。他の渓谷とどこが違うのかと言われても答えようがないが、知識と景色が合わさって頭の中で感じる興奮だろう。
   同じ様な興奮を期待して、体の動くうちにぜひ行きたいと思っているのが、アイスランドのすぐ近く、グリーンランドのイスア地域だ。というのも、ここには38億年前に形成された地層が表面に露出している。38億年前は、言うまでもなく生命が誕生したと考えられる時期で、この地層にもし生命の痕跡が残っていたら、生命誕生時に最も近い痕跡と言える。
   今日紹介するオーストラリア・Quest研究センターからの論文は、イスアで新たに見つかった37億年前の地層に、ストロマライトと呼ばれる新たな生命の痕跡が見つかったこと示唆する研究で8月31日号のNatureに掲載された。タイトルは「Rapid emergence of life shown by discovery of 3,700 million year old microbial structures (37億年前の微生物の構造から生命が急速に発展したことがわかる)」だ。
   この研究の結論を一言で表すと、「グリーンランド・イスアの地表に露出した37億年前の地層に、ストロマライトと呼ばれる、粘液を出す細菌が沈殿した層が発見される」、になる。
   生命の痕跡を探すということは、物理化学現象としては説明できない痕跡を探すことになる。ストロマライト層は、地学上の地層形態、アイソトープによる生命関与の検出、そしてドロマイトの中に形成されていることなどから、物理化学では説明できない最も古い生命の痕跡とされてきた。
   これまで最も古いストロマライトはオーストラリア・フィルバラに存在する34億年前の地層で見つかっている。この地層ではさらに、微小化石と呼ばれる細菌様の形態をした化石も発見されている。同じ様なストロマライト構造がもっと古い地層にないかを探したのが今回の研究だ。
   もちろん従来から、グリーンランド・イスアで生命の痕跡を探す研究が進められており、東北大学のグループにより、生命の関与を匂わすグラファイト層が存在することも報告されている。しかし、オーストラリアで見られるストロマライトはイスアでは発見されていなかった。
   このグループは、最近氷が溶けて地表が露出した場所の地層を調べ、オーストラリアで見られるのに似たストロマライトが存在することを発見した。このストロマライトが、物理化学的に合成されたものでないことを確認するために多くの研究が行われているが、詳細の説明は必要ないだろう。
   ストロマライト層の形態学、沈殿・蓄積の仕方、地層の非対称性、地層の平坦さ、炭素同位体による検証などから、今回発見されたストロマライト層は生命により形成されたもので、現在知られている中で最古生命の痕跡であると結論している。考古学的アプローチで37億年前の地層に生命の痕跡が認めれたとすると、38億年前、そしてそれ以上前の生命誕生の痕跡を探すことも将来可能になるかもしれない
   21世紀に入って無機物から生命が誕生するための条件の理解が急速に進んでいる。その意味で、今日紹介した論文の様に、考古学的アプローチの重要性がますます高まっている。次にアイスランドに来るときは、ぜひグリーンランドにも足を伸ばして38億年前の太古を感じてみたいと思っている。
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9月9日:硬骨魚の免疫進化は面白い(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)

2016年9月9日
   2011年、タラの仲間ではクラスII組織適合抗原だけでなく、CD4やCD74などクラスIIMHCを介するT細胞の認識に関わる全ての遺伝子が同時に欠損していることが報告され、免疫システムの多様性と可塑性が改めて認識された。
   硬骨魚の多様性と進化の早さは免疫システム以外でも明らかだった。例えば、Icefishと呼ばれる南極に住むスズキの仲間には、ヘモグロビンもそれを運ぶ赤血球も存在しない。ただIcefishの場合、極低温と溶けた酸素分圧の高い特殊なニッチで生きるために発展した形質あることは明らかで、少し高い水温ではIcefishのような魚は生息できない。
   一方、Class II/MHC遺伝子セットが欠損したタラの仲間は、今や全世界の様々な環境で繁栄し、硬骨魚の中では一大集団を形成している。即ち、Class II・MHCが欠損したのは、決して特殊なニッチで生存するための戦略とは思えない。外来抗原に対する抗体産生は硬骨魚にとって存在しないほうがいいのかなど、疑問が次々に広がっていった。
   今日紹介するノルウェーオスロ大学からの論文は、ClassII・MHCを介する抗原認識システムが存在しないタラがなぜ繁栄しているのかについて調べた研究でNature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「Evolution of immune system influences speciation rates in teleost fishes(免疫系の進化は硬骨魚の種形成に影響する)」だ。
    繰り返すが、この研究の目的は、Class II/MHCを介する免疫システムが欠損したタラがなぜこれほど繁栄しているのかを理解するためだ。この研究ではまずタラ科の27種について全ゲノム解析を行い、これまでゲノム解析が行われた66種類の硬骨魚を比べ、class II/MHCとそれに関連する遺伝子欠損が起こった時期、その後のタラ科の進化について調べている。この結果、Class II/MHCを介する免疫に関わる遺伝子セットが、タラ科の先祖で約1億年前にそっくり抜け落ちたことを明らかにしている。即ち、遺伝子が欠損する順番をうかがうことができる中間段階は存在しない。いずれにせよ、タラ科が栄えていることは、Class II/MHCの欠損がその後のタラ科の繁栄の引き金になった可能性は大きい。
   これまでの研究で、Class II/MHC欠損のタラ科ではClassI/MHC遺伝子のコピー数が増加することが知られている。この増加と種形成による種の多様性との関わりを次に調べ、タラ科でのClass I/MHCのコピー数の多様性が極めてお大きいこと、及びClassII/MHCの欠損のないタラ科以外でもClass I/MHC遺伝子のコピー数の多様性と、種の繁栄に相関があることを示している。
   最後に情報処理技術を駆使して種の多様化に関わる要因を計算してClass I/MHC遺伝子のコピー数が20を超えると、種形成が促進されることを示し、Class I/MHCコピー数の多様化がタラ科の魚の多様化と繁栄につながっている可能性を示唆している。
   以上をまとめると、Class II/MHCの欠損、Class I/MHC遺伝子コピー数の増加のような免疫系の変化が、硬骨魚の繁栄に大きく関わるという結論だ。しかし、この免疫系の変化がなぜ種の繁栄に繋がるのか、肝心なところは結局わからないままフラストレーションが溜まってしまう論文と言える
   とはいえ、今新たな免疫学の繁栄の時代を迎えているが、免疫系がこれほど多様化した硬骨魚類から習うことが多くあるような気がした。
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9月8日:MRIは妊娠初期の胎児に影響を及ぼすか?(9月6日号アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2016年9月8日
   妊娠中の女性が、病気の情報をネットから仕入れている最も大きな集団らしい。私自身、ネット上に残されている妊婦さんの声を集めて見るチャンスがあったが、ほとんどあらゆることが心配の種になっていることがよくわかった。
   例えば「アルコールフリービールは妊娠中でも飲んで良いでしょうか」という質問を見たとき、私ならどう答えるだろうかと考えてしまった。個人的には、アルコール0なら他の食品や飲料と同じで問題はないと思う。しかし、もしノンアルコールビールとビールとの共通の製造法に何か落とし穴があったとしたらどうしよう、などと考えだすと、結局明確な答えがないことに気づく。即ち、特定の食品の一個一個の安全性が科学的に示されない以上、妊婦さんの心配を科学的に取り除くことはできない。
  同じことがMRI検査にも言える。もちろん放射線を使う検査は、妊婦さんは止む得ないとき以外避けたほうが良い。しかし放射線は使わないとはいえ、強い磁場や電磁波、さらには高い騒音にさらされるMRI検査は大丈夫かどうか、はっきりと妊婦さんに答えることは難しかった。
   今日紹介するカナダトロントにある聖ミカエル病院からの論文は、この問題に答えるために、妊娠初期3ヶ月にMRI検査を受けた妊婦さんから生まれた子供を出産時から4歳児まで追跡して、MRIを受けなかった妊婦さんから生まれた子供と比較した研究で、9月6日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between MRI exposure during pregnancy and fetal and childhood outcomes (妊娠中のMRI検査の胎児期及び幼年期への影響)」だ。
   結論は極めて明快で、妊娠3ヶ月までの胎児が、様々な外界からの刺激に対して最も過敏性の高い時期にMRIを受けた場合でも、胎児の成長、発生異常、成長異常、ガンの発生率などで、MRIを受けなかった妊婦さんの子供と特に大きな差異はないという結果だ。これで「MRIは妊婦さんにも安全ですよ」と言うことができる。
   この調査で追跡したMRIを受けた妊婦さんは約1700人で、さらに大きな規模での研究が行われると、確実に妊婦さんをさらに安心させられるだろう。また、この研究では小さな変化を詳しく調べるということは行っていないので、影響が0であるとまでは言えないのが難点だ。
   ただ研究対象が500人程度しかいなくとも、統計学的に優位な異常を発見することは可能だ。この研究では、単純なMRI検査だけでなく、ガドリニウムによる造営MRI検査を行った妊婦さんについても同じ調査を行っており、胎児の発生異常では受けなかった妊婦さんと変わりはないが、4歳までにリューマチや炎症性の疾患の頻度が高まることを報告している。このことから、妊婦さんはどの時期でもできるだけガドリニウム造影検査は避けたほうが良いことわかる。
      妊娠すると、これまで当たり前に行ってきた様々な生活習慣に対して急に疑問が生まれてくる。こんな妊婦さんの不安を取り除くために、これからも科学的なコホート研究が行われることを期待したい。
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9月7日:デコード社の最新論文(7月25日号Nature Communications掲載論文)

2016年9月7日
   せっかくアイスランドに行くのだから、滞在中に是非DeCode Genetics社からの論文を紹介しようと決めていた。というのも、アイスランド・レイキャビックに本社を置くDeCode社は、アイスランド議会を通してアイスランド国民全体と契約してゲノム解読を始めるという画期的なアイデアを実現させた、ゲノム研究の申し子とも言える会社だからだ。
  この契約により、アイスランド国民から医学レコードや家族歴の提供を受け、その代わりにDeCode社が全ての国民のGWASを中心としたゲノムを解読し、その結果を国民にも提供するという画期的なビジネスモデルを作り上げ、ゲノム解読の個人サービスの先駆けとなった会社だ。高々30万人強の小さな国だから、このような取引が成立できたと思うが、個人ゲノム研究の伝説を作ったと言って良い。
   実際、創立後現在まで、トップジャーナルに多くのゲノム解析の論文を発表しており、研究を最も重視するゲノム企業として高く評価されてきた。デコード社の論文を読むと、システムができると、病気の遺伝子リスクを叩き出すのがいかに簡単になるかがよくわかる。この点を、デコード社から発表された最新の論文を例に見てみよう。
   残念ながら8月、9月にはdeCode社からの論文がなかったので、7月25日にNature CommunicationsにdeCode社から発表された論文を見ながら、deCode社のビジネスモデルについて説明してみよう。このために選んだ論文のタイトルは、「Common variants upstream of KDR encoding VEGR2 and TTC39B associated with endometriosis(VEGFR2をコードするKDR遺伝子とTTC39B 遺伝子の上流のコモンバリアントは子宮内膜症と相関している)」で、7月25日号のNature Communications に掲載された。
   この研究では子宮内膜症に注目しているが、deCode社にとって患者さんのデータを集めるのは簡単だ。アイスランドの医療機関で子宮内膜症として組織学的に診断がついた1800症例の様々な検査結果を即座に集めることができる。これができると、あとはすでに解読が終わったゲノム全体にわたる多型データから子宮内膜症との相関を示すSNPを探せば良いだけだ。実際国民と契約を交わしているdeCode社にとって、組織学的に診断が確定した1840名の子宮内膜症患者さんの情報を集めることは簡単だ。おそらくサンプルを集めるという手間を全て省いて、血管内皮細胞増殖因子受容体の遺伝子上流と、TTC39B遺伝子上流に存在する種類のSNPが、比較的高いオッズ比で子宮内膜症と相関することができるのだろう。
   結果はこれだけで、deCodeのことを何も知らないで読んでしまうと、なるほど血管新生に関係ある遺伝子の上流が内膜症に関わるのかと納得するだけで終わるのだが、この会社の歴史を知っていると、最初からやり直さなくても、多くの病気についてリスクの高い多型を特定するのはdeCodeにとっては朝飯前として提供ができるようになっているのがわかる。恐るべしdeCodeモデルと感嘆する。
   しかし、このdeCodeは最近アメリカの製薬会社アムジェン社に4億ドルで買収され、現在はdeCode/Amgenがこの論文の著者の帰属になっている。これは、アムジェンがdeCode社のゲノムテクノロジーとデータに強い興味を示していたからだが、皮肉な見方をすると、ゲノム解析だけでは21世紀を生き残れないことをdeCodeが悟ったからではないかと思う。実際、SNPの特定ならdeCodeに取っては朝飯前でも、このSNPでとKDRの発現は相関するのか、疾患の成立メカニズムはどう考えるかなど、deCodeの論文にはバイオロジーが欠損していることがよくわかる。
   今後アムジェンの血が入って、ゲノムとバイオロジーが融合した新しいdeCodeが生まれるのか、今後も楽しみに論文を読んでいきたい。
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9月6日:ガンの化学療法開始後30日以内に死亡した症例分析(The Lancetオンライン版掲載論文)

2016年9月6日
    通常ガンに対する化学療法などの治療効果は。長期的な追跡調査をもとに算定され、五年生存率という言葉は一般の人にも広く知られている。しかし、例えば化学療法を勧められた知人と話すと、5年生存率として示される効果はよく理解していても、薬の副作用により命が縮まるのではないだろうかという不安を持っている。これは、治療の性質を考えると当然のことで、この不安に対する答えを医学は示す必要がある。
   今日紹介するイングランド公衆衛生局からの論文は、治療開始後30日以内に亡くなるケースを分析することで、副作用の面から調べるだけではわからない化学療法の課題を明らかにしようとした研究でThe Lancetオンライン版に掲載された。タイトルは「30-day mortality after systemic anticancer treatment for breast and lung cancer in England: a population-based observation study (乳がんと肺がんに対するシステミックな抗がん治療による30日以内の死亡:集団ベースの観察研究)」だ。
   この研究の基盤は2012年から始まり、2014年には英国のすべての医療システムに課せられたガンに対する化学療法や抗体治療の概要や経過についての報告義務により集まったデータベースだ。このデータベースの本来の目的は、治療の長期予後の判定だが、もちろんこの研究のように短期の様々なデータを分析することも可能だ。乳がんで約23000人、非小細胞性肺がんでほぼ1万人のデータがすでに利用できるというのは羨ましい。
   結果だが、化学療法を受けた乳がん患者さんの2%、肺がん患者さんの7%が治療開始後30日以内で亡くなっており、化学療法が命を縮めるのではという患者さんの不安をある程度裏付けている。
   特に根治が難しく、病状を緩和する目的で治療を受けた場合、乳がんで7%、肺がんで10%が30日以内に亡くなるという結果は、根治が難しくとも、がんを少しでも小さくしようと化学療法を使って見ることが普通に行われている現状を考えると看過できない数字だ。
   研究では30日以内に死亡するリスクについて様々な分析を行っているが、主だった点だけ紹介すると、
1) 根治療法として化学療法が行われる場合年齢が高いほど30日死亡率が高いが、症状改善のために行うケースでは若年者の方が30日死亡率が高い。
2) 以前に化学療法を経験した患者さんは30日死亡率が低い。
3) 一般状態が悪いと当然ながら30日死亡率は上がる
4) 根治療法として化学療法を行う肺がん患者さんの場合、肥満気味の方が30日死亡率が低い
などだ。
   それぞれの現象について説明はしているが、結果を解釈するためにはまだまだデータが少ない。今の所は現象として受け止めれば良いだろう。
   もう一つ重要な発見は、30日死亡率が高い施設や団体が発見されたことで、がん登録の義務化とデータ開示の重要性を示している。
   この論文を読んで、化学療法の安全性をさらに高める努力が医療に課せられた課題であることがよくわかった。我が国のがん登録データについても大至急このような調査が行われることを願っている。
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9月5日CARTガン治療の挫折と将来(9月1日号Science掲載記事)

2016年9月5日
    実を言うと今アイスランドにいる。今日は1日ドライブと山歩きで過ごした後、夕食のワインで良い気持ちになって一寝入りしてから論文を選ぼうとしていたら、一緒に旅行しているMartinがオーロラが見えるという。そのまま表に出て、現れたり消えたり、強くなったり弱くなったりする夜のスペクタクルを眺めているうちにしっかりと記事を書く時間がなくなってしまった。そこで、9月1日号のScienceに編集者のJennifer Couzin-Frankelが書いている記事を紹介してお茶を濁すことにした。記事のタイトルは「Second chapter (第2章)」だ。
   二年前の10月、この記事で扱われているCART治療、すなわちキメラ抗原受容体T細胞治療の論文を読んだ時の私の驚きについて紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2309http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2309)。この治療は、ガンが発現している抗原に対する抗体の遺伝子をT細胞受容体のシグナル伝達部分と結合させたキメラ抗原受容体遺伝子を合成し、この遺伝子を導入した患者さんのT細胞を調整して投与することで、抗体が認識する抗原を持つガン細胞を殺してしまおうという作戦だ。紹介した論文で普通の方法では手の施しようがなかったリンパ性白血病を、60%近くの患者さんで消失させることに成功したという画期的なものだった。原理を見ても極めて論理的で、三十年にわたるT細胞研究の成果がこの治療に凝縮しているように感じて、私も感激した。
   最初の成功に力を得て、この治療法は現在固形ガンなど他の腫瘍への応用が始まっているが、残念ながらうまくいっていない。
理由として、
1) リンパ性白血病はCARTと相互作用しやすい場所に存在している、
2) CD19という抗原が全てのガン細胞に存在し、なおかつこの抗原は正常マウスのB細胞にだけ発現しているので、ガンと共にB細胞がなくなっても患者さんは生きていられる、
3) リンパ性白血病は周りの細胞に影響されることは少ないが、固形ガンは微小環境との相互作用が強く、その結果せっかく移植したCARTの活性が抑制されてしまう。
などが考えられる。
   さらに、2009年には、この治療を受けていた直腸癌の患者さんが、CARTによるサイトカイン分泌亢進により肺障害で亡くなり、この治療が全身の副作用と無縁でないことも明らかになってきた。
   このように最初のフィーバーは終わって、もう一度基礎的にこの方法を見直し、先に挙げた問題点おw克服することで、より特異的で効果の高い治療へ発展させる努力が続いていることを報告している。
  この記事は、この治療に大きな期待を寄せていた私には少しがっかりさせる内容だった。それでも、これまでやってみないとわからないガンの免疫治療を、論理的な治療に変革し、免疫系がガンの根治をもたらせる力があることを示した点で、CART治療の貢献は大きい。確かに当初の高揚感は水を浴びせられたが、是非第2章でこの方法が改良され、固形ガンにも適用され、根治してくれることを祈っている。
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9月4日:内的時間の記憶(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2016年9月4日
  人間を使わないと難しい実験は多い。例えば今日紹介するニューヨーク州立大学からの論文のように様々なエピソードを経験した時、その時間的順序をどのように記憶しているのかといった課題は、動物を使った実験を設定することは難しい。もちろん人間でもこの時間の順番をどう記憶しているのかについての仮説を証明するとなると、課題の設定、測定の仕方など難しいだろう。
   この論文は、人間が一定の時間内に経験するエピソードの順序を記憶できるのは、周波数の高いγ波と極めてゆっくりとしたΘ波をカップルさせることで行っているということを証明しようとしている研究で、タイトルは「Episodic sequence memory is supported by a theta-gamma phase code (エピソードの時間的順序に関する記憶はΘ—γ位相コードにより維持される)」だ。
  まず正直に明かすと、この論文の詳細について理解するのは難しかった。もともと、実験するのが難しい課題で、様々な仮定の上に論理が組み立てられる。著者の論理の展開についていくには、この領域の研究についてしっかり理解する必要があるのだが、これが欠落している私にはわからいない点が多かった。それでも紹介したいと思ったのは、経験の順序を記憶するために持っている内的な時計は何かという、私たちが当たり前のようにやっていることも、考えてみるとほとんど説明がついていないことを教えられたからだ。
   ではこの研究はこの問題にどうアプローチしているのか?
    エピソードの時間的順序を記憶するためには、エピソードの起こった時間を記録する必要がある。時計を使って時間を記録すれば簡単にできることだが、日常の経験では一々時計を見ることはない。それでもエピソードが起こった時間を記憶できるのは、内的な時計があって、それにエピソードを関連づけているとしか考えられない。
   この内的にリズムを刻んでいる時計が脳内のどこにあるか考えると、私たちの脳波のパターンにおもい至る。この研究では、エピソードの知覚に連動したγ波が、時計の代わりをしているΘ波に連動させることで、エピソードに内的時間記録を書き込むことが可能になっているのではと仮説を立てている。言われてみれば納得の可能性で、なかなか他の可能性を思いつくのは難しいだろう。
   実験では、脳波を取りながら6枚の絵を順番に示すセッションを、異なる絵のパネルを使って6回行う。最後に2枚の絵を示してどちらを先に見たか聞いて、正解した時の脳波記録と、不正解の時の脳波記録を、γ波とΘ波が結合しているかどうかの観点から調べる。脳波では、写真を見た時のエピソードによる興奮と、その時にΘ波にγ波が結合したかどうかの解析を同時に行うことができる。
   もちろん答えはイエスで、Θ波の時計に絵を見た経験によるγ波を結合させていることが示されているが、先に述べたようになぜこのデータを「イエス」と解釈できるか、恥ずかしならが理解しづらかった。
   とはいえ、私にとってはΘ波が時計の代わりをしてくれているという結論は、目からウロコの納得の考え方だった。理解できなくとも、楽しめる論文がある良い例だ。
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9月3日:タスマニアデビルは生き残れる?(8月30日Nature Communications掲載論文)

2016年9月3日
    タスマニアだけに生息するタスマニアデビルが、口から口へと他の個体に転移するガンによって絶滅の危機に瀕していることをこのホームページでも紹介してきた(http://aasj.jp/news/watch/4641)。このガンは拒絶反応を起こす免疫システムに感知されないように進化しており、粘膜を通して簡単に転移する。さらに、一旦このガン細胞が侵入すると100%致死という恐ろしいガンだ。
   このため1996年に最初にこのガンが記載されて以来、最も感染率が高い地域では95%以上、全タスマニアで80%の個体が20年で失われてしまっている。この結果から、ほとんどの生態学者はタスマニアデビルは間違いなく絶滅する運命にあると考えていた。
   ところが今日紹介するワシントン大学を中心とする米・英・オーストラリアからの論文は、ひょっとしたらタスマニアデビルは絶滅を免れるのではないかという可能性を示唆する研究で8月30日号のNature Communicationsに掲載された。    この研究ではタスマニアデビルの個体調査を行っているわけではないが、おそらくサンプルを集める過程で、タスマニアデビルはしぶとく生き残っているという印象を持ったのではないだろうか。このしぶとく生き残るのではという期待の根拠を求めたのがこの研究で、タイトルは「Rapid evolutionary response to a transmissible cancer Tasmania devils (個体間で転移するタスマニアデビルのガンに対する反応の進化)」だ。
   この研究では1999から2014年にわたって、ガンが蔓延するより前と後で約300個体からの細胞サンプルを収集、細胞から得られるDNAの多型を制限酵素切断と次世代シークエンサーによる配列決定を組み合わせた方法で解析している。著者らによると、この方法で全ゲノムの1/6の領域について多型を調べることができるようだ。
   こうして得られた多型の中から、ガン蔓延前後で大きく保有率が変化し、同じ変化がタスマニアの3地域で共通して見られる多型を検索し、変化の極めて大きな2つの領域を特定している。すなわち、この領域が変化することで、ガンに対する抵抗性が進化したのではないかと提案している。
   結果はこれだけで、あとはこの領域内あるいはその近くに存在する遺伝子の全てが免疫か発がんに関わる遺伝子であることを強調しているが、残念ながらどの多型がガンに対する抵抗性に関わっているかまでは特定できていない。
   研究としてはかなりしり切れとんぼで、もう少し深く追求してほしいというのが本音だが、いずれにせよ20年で集団内の遺伝子多型の比率がこれほど大きく変化できるなら、おそらくタスマニアデビルも絶滅を免れるのではと期待が膨らむ論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ
2017年6月
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