2022年1月2日
モルフォーゲン勾配は発生学の中でも重要な概念の一つで、一つの分子が特定の場所で分泌され、それによって生まれる分子の濃度勾配に応じて細胞へのシグナルが変化し、この結果場所に対応した細胞の分化決定が指示される仕組みだ。多くの動物でその存在が示されてきたが、なんと言ってもショウジョウバエを用いた研究がこの分野をリードしてきたことは間違いない。
この頃ショウジョウバエの論文を読むことが減ったので、今日紹介するジュネーブ大学からの研究が、この分野でどのような位置にあるのか判断できないが、dppと呼ばれる最もポピュラーな分子の濃度勾配の形成が、勾配ができる組織(この研究では将来羽になるイマジナルディスク)の大きさに応じてどう行われるのかを示した、私にとっては新鮮な研究で、12月22日Natureにオンライン掲載されている。タイトルは「Morphogen gradient scaling by recycling of intracellular Dpp(細胞内のDppをリサイクルすることでモルフォーゲン勾配の大きさが決められる)」だ。
モルフォーゲン勾配は、分子が分泌される場所が限定されれば、自然に発生すると考えてきた。しかしこの研究の対象になっているdppでは、dpp受容体と結合したあと、もう一度細胞外へ運ばれ、新しい細胞に利用される、すなわちリサイクルの可能性が指摘されていた。
この研究の目的は、様々な蛍光標識を結合させたdppを細胞に発現させ、dpp勾配を測定することで、一度細胞に取り込まれ、その後リサイクルされたdppがどの程度勾配形成に関わるかを明らかにすることだ。
シュミレーションも含めて様々な計測が行われているが、最初に細胞外のdppを全て洗い流した後、細胞内からリサイクルされたdppを追いかける方法で、リサイクルされたdppが細胞外のスペースに沿って濃度勾配を形成することを明らかにしている。
この結果が、この研究のハイライトだが、もちろんこれだけではリサイクルされた分子がどの程度勾配形成に関わるか決定することは難しい。そこで、拡散、受容体との離合、リサイクルの効率、細胞内での分解など、様々なパラメーターを調べ、分泌起点から異なる距離の地点で、リサイクリングがどの程度勾配維持に寄与しているのかを計算している。
結果は、勾配自体へのリサイクリングの寄与率は、起点から離れた場所では90%を超えており、長い距離にわたる勾配を維持するためには、高いレベルのリサイクリングが必要であることが分かる。一方、短い距離の勾配では、リサイクルされたdppの寄与は50%程度にとどまっている。
以上、結論的にはリサイクルされたdppが、特に長い距離の勾配形成には重要であることが明らかにされた。ただこの過程で、dppの受容体Tkvがリサイクルには関わらないことをTkv変異体を用いて実験で明らかにしており、リサイクルのために特別なメカニズムがあることも示されている。
他にも、Pentagone/Dallyのように、細胞膜外に形成されるマトリックスもこの勾配形成に関わっていることも知られており、イマジナルディスクという小さな分子勾配に、極めて複雑な分子間相互作用が存在していることが分かる。
モルフォーゲン勾配は決して懐かしい話ではない。
2022年1月1日
元旦にCovid-19をキーワードにPubMedを検索すると、213337編の論文がヒットする。1年に10万編ペースは今も維持されているようだ。とはいえ、ウイルスにしても、病気の進行にしても、最初の1年に発表された論文から受けた興奮と比べると、驚きは減ってきた。
そんな中で最近発表された、年初にふさわしいCovid-19関連の論文を探していると、今、最も関心を集めているオミクロン株ではなく、重症化の要因を探索した、ドイツ・ベルリンにあるシャリテ大学病院からの論文が目を引いた。
統一前のドイツに留学し、東西ドイツが統一されたあと、シャリテをはじめとする東ベルリンの研究所が新しく生まれ変わり、世界レベルの研究を発表するようになる発展を、メルケル首相と重ね合わせて見てきた私の個人的なバイアスもあるだろうが、今も結局分かっていない重症化の問題に、新しい切り口を発見しているのに感心した。
タイトルは「Complement activation induces excessive T cell cytotoxicity in severe COVID-19(補体の活性化が重症のcovid-19でのT細胞の過剰な細胞障害性を誘導する)」で、12月22日Cellに採択決定されたばかりのフレッシュな論文だ。
Covid-19の病態を理解するための一つの鍵が補体の活性化であることはすでに何度も報告されている。またこの結果に基づき、補体を標的にする治験が進んでおり、重症化を抑える効果があることも分かってきた。その意味で、今後新たな変異株が出てきても、抗ウイルス治療薬で重症化を防ぎ、この前線が突破されたときには、サイトカインストーム抑制だけではなく、よりメカニズムに即した治療も可能になると期待できる。
しかし、補体活性化が最終的に重症肺障害や、全身血管炎、さらには長期に続く後遺症に至るメカニズムは分かっていない。
この研究では、Covid-19の中等症、重症それぞれの患者さんと、インフルエンザや肝炎患者さんの末梢血が発現している分子を、CyToFと呼ばれる同時に何種類もの分子の発現を単一細胞レベルで調べることが出来る機械を用いて詳しく比べている。
膨大な結果なので詳細は全て割愛してまとめると、CD16と呼ばれるFc受容体を発現したT細胞がCovid-19だけで上昇し、インフルエンザや肝炎では変化しないことを発見する。そして同じサンプルを、今度はsingle cell RNAseqを用いて遺伝子発現を調べると、CD16を発現している細胞が細胞障害に関わる様々な分子を発現していることを発見する。2年間、よってたかって調べてもまだまだ新しいことが分かる重要な例だと思う。
このCD16陽性T細胞は、
ウイルス抗原刺激で活性化されるとともに、体内での補体活性が高まると、C3a等により活性化され、キラー活性を持った細胞へと分化する。 Fc受容体を介してウイルス/抗体・免疫複合体によっても活性化され、細胞障害性を発揮し、肺上皮細胞や血管内皮細胞を傷害すること。 CD16陽性T細胞の上昇は、重症化例ほど著明で、また老化によっても上昇して、重症化の基盤を作ること。 肺炎局所への浸潤が強いこと。 快復後も長期に体内で維持されること。
などを明らかにしている。実際には他のマーカーもセットで、いくつかの細胞集団を特定しているのだが、わかりやすいように全てを省略した。要するに、補体による活性化、ウイルス抗原による活性化、さらにはウイルス分子と抗体の免疫複合体による活性化など、様々な要因を結びつけ、さらに後遺症問題にまで広げた疾患理解の可能性を提案している。
まだそのまま受け入れるというわけには行かないが、それでも重要な可能性が提案された。是非メカニズム研究として発展して欲しいと期待している。
2022年1月1日
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も元旦からAASJは発信を続けることが出来ました。これも活動を支えていただいている様々な皆様のおかげと感謝しています。
今後も、患者さんと、未来を担う若手研究者の両方に、知識を通して貢献するための幅広い活動を展開したいと思っています。
特に患者さんたちとの勉強会を活動の中心に据えて行きますので、遠慮なく勉強会やジャーナルクラブのリクエストをお寄せください。
これだけでなく、様々な学問分野の今を発信していく企画も続けていきます。
まず最初は、友人で九大名誉教授の信友浩一さんの自宅を訪ねて、言語の起源について語り合う会をYoutubeで発信しますので、ご期待ください。
では今年もAASJをよろしくお願いします。
AASJ代表理事
西川伸一
伊藤かをすさんが制作してくれた2022年賀状も掲載します。
2021年12月31日
同じ日にオンラン掲載された最初の考古学論文は、炭素14同位元素が太陽からの宇宙線の作用で変化することを利用して行う遺物の時代分析から、バイキングが実は貿易を生業とする民族だったこと明らかにした論文だった。
今日紹介する2編の論文は、いずれもゲノム解析によりイギリスの民族と文化を明らかにしようとする考古学研究だ。時代順に紹介する。
最初はニューカッスル大学からの論文で、新石器時代、Hazleton Northの大きな墓に埋葬されていた35人のゲノムから、家族構成を詳しく調べた研究だ。
この墓は5700年前、ちょうど牧畜や農耕が始まりかけた新石器時代に対応している。これまで、同じような墓に埋葬された人骨についての研究が行われ、例えば青銅器時代に村の女性は原則として他の村へと嫁いでいたことを示す論文を以前紹介した(https://aasj.jp/news/watch/11516 )。
ただ、この論文のように5世代にわたる同族の墓が分析出来たことはほとんど無いようで、これがこの研究のハイライトになる。研究自体はゲノムの解析と、同位元素を用いた時代測定なので詳細は省いて、面白い点を纏めて見る。
墓は50mに及ぶ長さで、それぞれ異なる入り口を持つ、北と南に分かれており、原則として同じ父親由来の5世代の家族が埋葬されている。 この墓は1人の男性ファウンダーの子孫が埋葬されており、この男性以前の親族は埋葬されていない。このファウンダーは4人の女性の間で子供をもうけており、その子孫を5世代にわたってゲノムから追跡できる。このことから、父系家族が形成されていることが分かる。 基本的には男性が優先的に埋葬されており、多くの女性は、異なる形で埋葬が行われた。例えば火葬後埋葬された可能性がある。 1人の女性が、2人の男性の間で子供をもうけているケースが見られる。相手は全て、同族の男で、おそらく死別後他の男性と婚姻関係を持つことが普通に行われていた。 近親間の生殖の証拠は全くない。 北、南の墓には原則として異なる母系にわかれて埋葬が行われており、家族内での母系の重要性が示されている。 父系に全くつながらない男性も埋葬されており、養子が行われていた。すなわち、社会的父親関係も重要で、それに基づき埋葬が行われていた。
他にもあると思うが、以上が興味を引いた点で、新石器時代の家族が見事に浮き上がっくる。
もう一編の論文は英国ヨーク大学、オーストリア・ウィーン大学、米国ハーバード大学を中心に、100を超す機関が協力して調べた、青銅器時代から鉄器時代にかけて、大陸から英国への移動を調べた研究だ。
この研究では、かってない規模で、英国、および大陸から集めた多くのゲノムデータを元に、英国への移住がどのように行われたのか調べている。
我々日本人のゲノム構成は、縄文人、弥生人、そしてそれ以外の大陸からの移住者を基礎に形成されているが、それと同じように、大陸では、ヨーロッパの狩猟採取民、アナトリアから移住してきた民族、そしてウクライナステップから移住してきた民族が基礎となって現代人が形成されてきた。そして、これらの民族が英国へ移住して、先住民を駆逐する形で英国民族が形成されるが、それぞれの時代のゲノムを大陸人ゲノムと比べると、以下のことが明らかになった。
先住民と、大陸の狩猟採取民とが結合した民族クラスターが独立して存在している。 青銅器時代、英国ではアナトリア由来ゲノムの比率が徐々に高まる。一方、特にステップ由来のゲノムの割合は多様で。 平均的民族と比べて大きな遺伝子構成が異なる民族が、各地域に点在して、多様な文化を形成している。 鉄器時代に入ると、移住は減る。
以上から、青銅器時代の移動は、小規模の移動が何波にも渡って行われ、例えばヤムナ人の大規模移住のような証拠はない。また、ステップ由来の土器が広く普及するが、これも小規模移住でもたらされたことが分かる。
他にも、
スコットランド人のアナトリア由来ゲノムの割合は時代を通して安定している 英国人ゲノムでのアナトリアゲノムの割合の上昇率は、オランダと良く似ている。 乳糖分解酵素が成人になっても発現し続けるラクターゼ活性持続症遺伝子の割合が、大陸より早期に広がっている。
などが、面白い話だ。予想以上に、英国が複雑な民族構成であることを示唆しており、大陸とは違った文化の背景を形作っていることがよく分かる。
以上、記録のない時代の歴史発掘が世界中で進んでいる。いろいろ問題が多いと思うが、是非我が国でも同じような歴史発掘が進んで欲しいと願っている。
今年も、毎日論文紹介を書き続けることが出来た。では良いお年を。
2021年12月30日
最近立て続けにNatureに考古学の論文が掲載されたので、今年の最後の2日間はこれらの論文を紹介することにした。まず最初は、デンマーク・オーフス大学からの論文で、C14同位元素の変化を利用して、デンマーク、Ribeで進むバイキング遺跡からの出土品を詳しく分析し、当時のバイキングの生業を調べた研究だ。タイトルは「Single-year radiocarbon dating anchors Viking Age trade cycles in time(個々の年度を放射性炭素で特定することでバイキングの貿易サイクルの時代を明らかに出来る)」で、12月22日Natureにオンライン掲載された。
放射性炭素による年代測定というと、どうしても放射性同位元素の減衰を指標に行う時代測定を考えてしまうが、炭素14については、太陽の活動にリンクした宇宙粒子により大きく変化し、これを年輪と組みあわせると、単年度レベルの時代測定が可能になることが知られている。最も有名なのは、我が国屋久杉の年輪分析から分かった775年に起こった大量の宇宙線飛来で、2012年Natureに掲載されている。
これまで、IntCal20というコンソーシアムにより、極めて詳しいC14の変化がチャートとして提供されていたが、この研究ではさらにこの精度を高めた年代チャートを作成し、これを元に骨や角などの生物年代を詳しく特定して、Ribeのバイキングの活動記録を作成している。
時代別の地層を特定した後、そこから出土する遺物を分析した結果をまとめると、Ribeでは紀元750年ぐらいから、ノルウェーと盛んに貿易が行われるようになり、その範囲は南はライン川まで及んでいたことを示している。従来考えられていたように、バイキングは海の民として基本的には中東からロシアまで広い範囲の貿易に関わっていたが、海賊行為は、貿易上の競争が高まることにより起こったという考えを支持している。
バイキングの海賊行為は、793年に起こったリンディスファーンの襲撃が有名だが、その後も785-910年頃からRibeでは中東のビーズなどが見つかっており、貿易がさらに広がったことを示している。
以上が結果で、この時代の記録が残っていない歴史については、今後かなり詳しい時代測定が可能になり、歴史と対応させることが出来るようになる。これは我が国でも同じで、記録外の様々なイベントを記録と参照出来るようになることで、歴史はさらに科学に近づくこと間違いない。
2021年12月29日
結局Covid-19に関しては、ワクチンが最初の特異的防御法となったが、変異体の出現が不可避であることを考えると、最終的にウイルスの感染や複製を抑える抗ウイルス薬の開発が決め手になる。これに最も早く対応したのが抗体薬で、リジェネロンの抗体カクテル、ロナプリーブは我が国でも大きな効果を示したことが報道されている。ただ、これもワクチンと同じで、変異体が出現すると全く効果がなくなる可能性がある。すでにFDAや我が国厚生労働省でも、オミクロン株へのロナプリーブ投与は推奨しないことが表明されている。一方、多くのSARS型スパイクに保存されている抗原受容体に対する抗体薬(ソトロビマブなど)は、まだ効果が見られるので、新しい変異株には大事な手札となるだろう。
これらに対し、いわゆる化学化合物の開発は時間がかかった。現在、モルヌピラビルがcovid-19に対する薬剤として注目されているが、以前紹介したようにこれ自身は(https://aasj.jp/news/watch/17631 )covid-19特異的ではなく、RNAポリメラーゼの機能を阻害せずに、そのまま複製されたRNAに取り込まれる突然変異剤だ。個人的印象だが、最初の期待ほど、治験結果はよくないような気がする。
これを感知したのか、同じ核酸アナログで、これまで中等から重症者に使われてきたレムデシビルも、初期患者に使えることを示す論文がThe New England Journal of Medicineに掲載されていた。
600人近くの、診断後1週間以内の患者で、高齢、肥満、あるいは病気を持っているハイリスクの人に、1日目200mg、2日目100mgを静脈注射し、その後入院や死亡についてモニターしている。
結果は、偽薬投与では24人の入院に対して、レムデシビル投与群では4例と、ほぼ8割の重症化抑制に成功しているという結果だ、とすると、飲み薬にこだわらず、在庫があるのなら早めにレムデシビル投与を行うことも選択肢に入れることは重要だと思う。
いずれにせよ、結局開発に最も時間がかかったのが、Covid-19特異的薬剤で、現在米国で認可されたファイザーのMprotease阻害剤が最初に認可された薬剤になった。この薬剤の開発プロセスといえる、前臨床研究がようやく12月24日Scienceに掲載された
実は、この元になる薬剤は昨年10月に発表され、このHPでもサブナノモルレベルでMproteaseを阻害できる薬剤として、四川大学の論文とともに紹介していた(https://aasj.jp/news/watch/15255 )。
今日紹介する論文では、このとき開発されたPF-00835231は、効果は高いが、薬剤として利用するためにはまだまだ問題があり、特に経口摂取可能にするためにこの化合物をベースに、Mproteinの構造と参照しながら、最終的にPF-07321332(パクスリモド)を開発するまでのメディシナルケミストリーが詳述されている。
結果得られたパクスリモドはPF-00835231と比べると親和性は一桁落ちるが、経口投与可能な使いやすい薬剤に仕上り、マウスを用いたウイルス性肺炎治癒効果も高いことを示している。
ただ、問題はCYP3A4によりどうしても薬剤が分解されてしまうことから、最終的にCYP3A4の強い阻害剤と知られ、HIVにも用いられるリトナビルを併用することで、パクスリモドの効果を高めていることが述べられている。
昨年発表された論文からほぼ1年、やはりウイルス特異的薬剤の開発には時間がかかることがよくわかった。
現在、塩野義製薬のMprotease阻害剤が治験中と報じられている。これは私の推察だが、パクスリモドと異なり、単独の薬剤として利用するのだろう。とすると、少し遅れても十分競争力があるはずで、早期申請が可能になることを期待したい。
いずれにせよ、ようやく2年たって、昔の名前も含めて、多くの薬剤が競争しながらも、covid-19との戦線に投入されてきた。塩野義の薬剤がそろったところで、そろそろ伝染病扱いから外してもいいように思う。
2021年12月28日
アデノウイルスやアデノ随伴ウイルス(AAV)は、今や遺伝子治療の切り札として、広く使われるようになってきている。ウイルスとしての増殖力は欠損させているが、今回多くの国で使用されたアストラゼネカのワクチンもチンパンジー由来アデノウイルスを用いている。臨床だけではない。脳の特定の場所を操作する光遺伝学も、おそらくAAVなしにはもう成立しないのではないだろうか。
しかし遺伝子治療でも、光遺伝学でも、現在のところ、ウイルスを脳に導入するためにはどうしても局所に投与する必要がある。というのも、これまでのAAVは脳血管関門を通る確率が低いという問題があった。
今日紹介する米国カルテックからの論文は、ウイルスカプシドに変異を導入して、脳血管関門を通りだけでなく、神経細胞特異性を獲得させルことに成功したという研究で12月9日 Nature Neuroscienceにオンライン掲載された。タイトルは、「AAV capsid variants with brain-wide transgene expression and decreased liver targeting after intravenous delivery in mouse and marmoset(静脈注射により脳神経細胞に広く発現する一方、肝臓での発現が低下したAAVカプシド)」だ。
このグループは、ウイルスをランダムに変異させる実験から、脳血管関門を通過できるウイルスについては開発に成功していた。この研究では、AAVが細胞に侵入するときに使うスパイクの高率を変化させる、近接する部位を変化させることで、ウイルスの指向性を変化させられるのではと着想し、この部位に体系的に変異を導入し、この膨大な数のウイルスライブラリーを静脈から注射、脳を含む様々な臓器について、どのカプシド配列がそれぞれの臓器で濃縮されているのかを調べ、脳細胞で発現が強く、一方で肝臓では発現が低いウイルスカプシドを選んでいる。
書いてしまうと簡単だが、おそらく大変な作業だろう。しかし何度も絞り込みを繰すり返し、ついにほとんどの脳神経細胞で発現し、しかも肝臓での発現が低下しているカプシドを1個探し当てている。他にも、脳と肝臓にもっと強い発現を可能にするカプシドも発見しているが、この場合大きな肝臓にほとんどがトラップされてしまう心配があるので、この研究では、肝臓にトラップされないCAP-B10をその後の研究に用いている。
あとは、CAP-B10 AAVに様々な遺伝子を組み込んで、脳や肝臓での発現を調べ、期待通りこのベクターが、1)脳血管関門を通過できること、2)脳神経細胞での遺伝子発現を誘導できること、そして3)肝臓での遺伝子発現は、他のAAVと比べて一桁低いこと、4)マウスだけでなく、マーモセットでも同じ指向性を持つ、などを示している。
もしこれを人に拡大できれば、この分野では大きな伸展といえるのではないだろうか。脳全体に遺伝子導入が必要な疾患の数は多い。その意味では期待したい。しかし気になる点もある。例えば、小脳プルキンエ細胞や脊髄神経細胞では発現が低く、神経特異的といってお単純ではない。また、グリアやアストロサイトでは発現がない。とはいえ、AAVで細胞特異性を出すのは難しいと思い込んでこれまで進んでこなかった方向に道が開けたという点では意義が大きい。
2021年12月27日
ラクトースを含む乳製品を接種すると腹痛や下痢がおこるLactose intoleranceは、食生活に密接に関わる最も有名な糖の代謝異常だが、世界には他にも様々な糖代謝異常が存在する。
今日紹介するコペンハーゲン大学からの論文は、グリーンランドやシベリアなど北極圏に暮らす人たちに高率で見られるsucrase-isomaltaseが欠損した個体の代謝状態を調べた研究で、なぜ北極圏の人たちだけにショ糖やイソマルターゼ分解能が欠失するのかという問題は別にして、この酵素が欠損することで健康を維持できるといううらやましい話が示された。タイトルは「Loss of sucrase-isomaltase function increases acetate levels and improves metabolic health in Greenlandic cohorts(グリーンランドのコホートから、Sucrase-isomaltase機能が失われると酢酸塩レベルが高まり、代謝上の健康が改善することがわかる)」だ。
グリーンランドに高率でsucrase-isomaltase(SI)が欠損した人たちがいて、子供時代に腹痛や下痢などの症状が現れることは知られていたが、成長とともに軽減するので、一種のラクトースイントレランスと同じと、成長後についての調査は進んでいなかった。
今回、2千人規模のグリーンランド人コホートを対象に、35歳以上のSI遺伝子欠損を持つ個体(ホモ個体)を、SI活性を持つコントロールと比較している。
まず驚くのが、SI欠損個体の割合が、14%に上ることで、他の人種にはほとんど見られないことを考えると、極地の生活ではショ糖やイソマルトースを食べることがほとんどないのかもしれない。
ただ、このおかげでSI欠損個体では、2型糖尿病のリスクは全くなく、体重や体脂肪は全員痩せ型で、高脂血症も全く存在しないという驚くべき結果だ。ショ糖などを分解できないため、当然のことだと思ってしまうが、例えばグルコバイ投与により、糖の吸収を抑えた治療で達成できる健康度とは、遙かに高いレベルの健康度に達している。
このより高い健康度が達成できている原因についてさらに追求すると、血中酢酸塩が著しく高いことがわかった。しかも、この酢酸塩は、ショ糖を摂取したとき、本人はそれを分解できないのに上昇することから、腸内細菌の作用で分解できなかったショ糖が短鎖脂肪酸に変換されることで体内に摂取されることがわかった。すなわち、インシュリンの分泌を誘導してインシュリン耐性の原因になるショ糖やイソマルトースが、バクテリアにまで渡った結果、今度は代謝を改善する酢酸塩として提供される面白い共生が成立していることがわかる。
結果は以上で、当然この酵素を対象とした、グルコバイと同じような薬剤が開発されるのだろう。しかし、この話は、一日中草を食べ、また反芻する動物のことを思い出させてくれた。反芻動物は一日中食べ続けているので、インシュリン分泌が続くのではないかと心配して、一度調べたことがある。すると驚くなかれ、反芻動物はほとんどのエネルギーを糖質としては摂取せず、腸内細菌により分解された短鎖脂肪酸として摂取していることを知った。同じような共生関係が人間でも成立できることを知って、是非この論文を紹介しようと思った。
2021年12月26日
トップジャーナルに掲載された気楽に読める論文第二弾は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校からの論文で、一般的に信じられている「人間はエネルギー効率の高い身体を獲得したおかげで、長距離を移動し、食料を調達し、エネルギーを消費する大きな脳を維持することが出来るようになった」という通説を、現存する狩猟採取民と、半猟半農の民族を、類人猿と比べることで再検討した研究で、12月24日号のScience に掲載された。タイトルは「The energetics of uniquely human subsistence strategies(人間特有の生存戦略のエネルギー論)」だ。
実際には驚くほど長い論文で、ここまで言っていいのかと思うほど、人間進化について考えが述べられており、実際には読みにくい論文と言える。しかし、行ったことは、データベースや、フィールドに持ち込んだ簡易レスピロメトリーで測定したエネルギー消費と、エネルギー摂取、またエネルギーを確保するための労働を測定したのが実験の全てといえる。
さて、人類の進化を遡ると、完全に直立して狩りを行う直立原人の発生以後の脳の急速な進化、および1万年前後に起こる農耕の始まりが、エネルギー調達に関する最も重要なエポックになる。もちろん、これを再現することは出来ないので、代わりにタンザニアの狩猟採取民ハヅァ族を250万年前の進化代表、そしてボリビアのツィマネ族を農耕と狩猟を行う1万年前の進化代表として選んで、それぞれのエネルギー代謝を調べている。
結果は予想に反し、類人猿と比べて人間がエネルギー効率が高いというのは間違いで、実際には生存にサルより遙かに高いエネルギーが必要なことが明らかになった。この要求に対応して、人間が食物を獲得する効率は高い。これを支えるのが労働効率で、短い時間で多いエネルギーを獲得するようになる。当然のことながら、農耕が始まるとエネルギー生産の労働コストは下がる。
以上が結果で、人間の進化はエネルギー生産効率の上昇により、生きていくためのコストをさらに高めることが可能になった結果、エネルギーコストの高い大きな脳の維持が可能になった過程だと結論している。
データを見て個人的に一番気になったのが男女差で、農耕ですらエネルギー生産が男性の仕事と分業が進んだ点だ。一方サルでは、男女差は人間ほど大きくない。また、この分業は農耕とともにさらに大きくなっている。今後、この分業体制を生み出した原因について探ってみるのも面白いと思う。
しかし、この研究で示された現存の狩猟採取民とサルのエネルギー論が、本当に直立原人とサルの違いを反映しているのかはわからないと言っておいた方が良さそうだ。
2021年12月25日
トップジャーナルでもたまには気楽な論文が掲載されることがある。今日から2回に分けて、クリスマスNature, Scienceに掲載された、気楽に読める論文を紹介しようと思う。
まず最初は、フランス モンペリエ大学を中心の国際チームから12月22日Natureにオンライン出版された論文で、動物園に残る記録を元に、様々な哺乳動物のガン死のリスクを調べた研究だ。タイトルは「Cancer risk across mammals(哺乳動物のガンリスク)」だ。
このHPでもなぜ象にガンが少ないのか(https://aasj.jp/news/watch/8808 )などの論文は紹介したことがあるが、個別の動物についての研究で、哺乳動物全体の傾向を調べる論文というのは初めてだ。考えてみると、これは簡単なことではない。野生動物の寿命を正確に調べることは多大な努力が必要だ。ましてや、ガンの発生やそれによる死となると、さらにハードルは高い。
野生を追いかけることをやめ、正確なレコードがある動物園の動物に限って、ガン死のリスクを調べることにしたのが、この研究の特徴だろう。なぜ今まで同じような研究が着想されなかったのか不思議なぐらいで、この研究で集めたレコードは、191種、110148個体と10万を超している。ただ、種ごとの母数は少ないため、統計の信頼性を高めるための様々な工夫をしているが、最終的には、知識として何かの折に参照するという程度でとどめれば良いのかと思う。
これまで、身体が大きいとガンのリスクが低いとか、象のような長生き動物のガンのリスクは低いなど、この問題については様々な可能性が示唆されていた。しかし、このレベルの哺乳動物の数で調べてみると、がんリスクと関係ある最大の要因は食事で、他の動物を襲って食べる肉食獣は大きさにかかわらず、ガンリスクが高い。大体平均で10%がガン死しているが、オーストラリアの小型肉食ネズミKowaiに至っては57%がガン死することがわかった。
動物園での餌を調べてみると、動物性の餌を摂ればとるほどガン死のリスクが高まっており、これを裏付けている。面白いのは、動物性と言っても、昆虫など脊椎動物以外の動物を餌にしている場合は、ガン死のリスクは上昇しない。
一方、草食動物ではやはり大きさにかかわらず、ガンのリスクはかなり低い。この中間がネズミ、サルの仲間になる。
最後に、寿命や身体のサイズとの相関を調べると、ほとんど相関がないことも示している。
要するに、一部の動物だけで野生動物を断じることが危険で有ることがよくわかる、気楽だが面白い論文だと思う。話の折に参照出来る、学校の先生には最適の資料だと思う。