6月14日 なぜネズミに効果がある神経保護剤がヒトでは効果がないのか?(6月3日号 Nature オンライン掲載論文)
AASJホームページ > 新着情報

6月14日 なぜネズミに効果がある神経保護剤がヒトでは効果がないのか?(6月3日号 Nature オンライン掲載論文)

2020年6月14日
SNSシェア

私たちの細胞は概日リズムを刻んでおり、その結果活動期と休息期を繰り返していることから、薬剤による治療もこれに合わせて行うべきという話をよく聞く。しかし、細胞レベルでこの効果をはっきりと示した論文はあまり見たこともない。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、単純な実験だが薬剤の効果を確かめるためにはやはり細胞の活動性を考慮して効果を調べる必要があることを示した研究で6月3日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Potential circadian effects on translational failure for neuroprotection (神経保護剤のトランスレーショナル研究がうまくいかないのは概日リズムが関わっている可能性がある)」だ。

この研究の目的は脳梗塞に対する神経保護薬を開発することだ。広く知られるようになったが、拘束後できるだけ早く血栓除去をtPAなどを用いて行うことで、梗塞による神経障害を抑えることができる。ただ、これは血流再開の時間を短縮する治療法で、低酸素による神経細胞氏を守るものではない。

これまでの研究で、高酸素治療を始めとして、ラジカル除去剤、グルタメート受容体阻害剤などがマウスやラットを用いた研究で神経保護作用があることが示されており、実際に臨床で試されたものもあるが、残念ながらトランスレーション研究段階で全て効果が認められないという残念な結果で終わっていた。

著者らは、マウスの実験もヒトの治験も全て昼間に行われているが、人間とマウスでは活動性が昼と夜で逆なので、細胞はそれぞれ活動期と休息期にあるはずで、この差が保護剤の効果の違いの原因ではないかと着想した。

そこで、夜活動期のマウスやラットを用いて、血流遮断、再灌流実験を行うと、昼間では効果があった神経保護剤の効果がほとんど消失することがわかった。すなわち、保護剤は概日リズム上、休息期にある場合のみ効果がある。この結果から、人間でも夜間休息期に卒中が起こる場合は別だが、昼間に起こる卒中に神経保護剤が効かないことはうなづける。さらに、卒中の90%以上は昼間に起こるので、ヒトでは保護剤が聞かないことになる。

この概日リズムに従う差が細胞レベルで起こっているかどうかを、マウスの皮質ニューロン培養で確かめている。概日リズム遺伝子Per1,per2をデキサメサゾンで誘導し、高い時を活動期、低い時を休息期として、酸素とグルコース遮断を行い、この時の保護剤の効果を調べると、大きな差ではないが休息期のみで効果がみられる。さらにこの効果が、細胞死のカスケードを抑えることで起こっていることも明らかにしている。

以上が結果で、細胞の実験は差が小さいため、他にも要因があるかもしれないが、私たちの細胞がいかに概日リズムを取り込んで生きているかがよくわかった。簡単な実験だが、着眼点は面白い。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月13日 レット症候群治療薬の開発(7月2日号 Molecular Cell 掲載論文)

2020年6月13日
SNSシェア

病気の原因になる遺伝子が特定されても、特徴的な症状が発症するメカニズムが理解できないと、治療法の開発は難しい。結果、自ずと遺伝子編集で遺伝子を元に戻す、あるいは正常遺伝子を補充する、あるいは異常遺伝子を除去するなどの遺伝子治療が、治療法開発のゴールになる。

しかし、どんなに複雑なメカニズムでも、鍵となるプロセスを理解できると、治療法開発が可能になる場合がある。今日紹介するイエール大学からの論文はそんな例で、症状と遺伝子を繋ぐメカニズムがまだまだわかっていないレット症候群の鍵になる一つの過程を特定して、症状を軽減できる薬剤を発見したという研究で、7月2日号のMolecular Cellに掲載された。タイトルは「Dysregulation of BRD4 function underlies the functional abnormalities of MeCP2 mutant neurons (BRD4機能の調節異常がMeCP2変異を持つ神経細胞の機能異常の背景にある)」だ。

レット症候群はX染色体上のMeCP2遺伝子の機能低下をきたす突然変異によって起こることがわかっているが、治療を考える時様々な障害がある。まずMeCP2自体メチル化DNAに結合することはわかっているが、メチル化されたDNAはゲノム上に無数に存在し、多数の遺伝子の発現が変化することから、症状と遺伝子の対応がつきにくい。さらに、この分子が欠損すると致死的なため、男性には見られず、X染色体を2本持つ女児でだけで見られる。通常の遺伝子と異なり、X染色体は一つの細胞で両方が働くのではなく、どちらか一本が不活化されるという特殊な方法で発現が決まる。逆にいうと、ここの細胞ではどちらかのX染色体が働いていることになる。従って、 レット症候群の女児では、正常遺伝子を持つX染色体を使っている細胞と、異常遺伝子をもつX染色体を使っている細胞が混ざって存在していることになる。このため、遺伝子操作も含めて異常を治そうとすると、正常の細胞まで影響を受ける心配がある。いずれにせよ、これらのハードルは発症メカニズムをしっかり理解することなしに克服することはできない。

この研究の一つのポイントは、男性由来のヒトES細胞のMeCP2遺伝子を遺伝子操作により変異させ、この細胞から神経細胞を誘導して使っている点だ。これにより、患者さんの細胞を用いることでは不可能な、全ての細胞が変異を持つという実験系を作っている。

こうして準備したMeCP2変異神経細胞の遺伝子発現を調べると、多くの遺伝子の発現異常が見られる(変化のうち6割は発現が上昇している)。従って、一個一個の遺伝子をしらみつぶしに正常化することは不可能だ。

この研究のもう一つのポイントは、この大きな変化全体を元に戻せる薬剤のスクリーニングを行なった点で、この結果BRD4とよばれる染色体構造調節に関わる最も重要な遺伝子の機能を抑制するJQ1を見つけることができた。そして、このJQ1を道具として利用して、MeCP2はメチル化DNAに結合してBRD4の結合を抑えて神経分化や機能を調節している。ところがレット型MeCP2変異があると、BRD4のゲノムへの結合が上昇し、ゲノム全体にわたる遺伝子発現異常が起こる。従って、MeCP2の変異はそのままでも、BRD4の結合をゆるく抑えることで、遺伝子発現を正常化できる。

詳しく見ると、発現に変化が起こる遺伝子の数は2000個近くで、これらの全てを正常化できるわけではないが、発生や機能に関わる重要な遺伝子の発現を正常化できているので、治療に使える可能性がある。

最後に、レット症候群モデルマウスにJQ1を投与する実験を行なっている。先に述べたが、X染色体遺伝子の発現の特殊性から、マウスの体は正常細胞と異常細胞が混ざって機能している。従って、異常細胞を正常化させることは、正常化細胞が異常になる心配がある。この研究ではそのバランスをとるため、低い濃度のJQ1を投与し続ける実験を行い、完全に正常化は難しいが、寿命を50%のばせること、神経症状をかなり抑えられることを示している。

もちろんこのままヒトにも同じ効果があるかはわからない。しかし、ヒトES細胞を用いた検討から少なくとも試験管内の効果は確かめられていること、さらに紹介は省いたがES細胞由来の脳オルガノイド培養でも効果が確かめられていること、そしてガンに使う量と比べると少ない量で効果があることなどから、治験まで行くのではないかと期待している。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月12日 新しい新型コロナウイルスの細胞内侵入経路(6月9日 BioRxiv 発表論文)

2020年6月12日
SNSシェア

これまで新型コロナウイルスの細胞内侵入経路については、スパイクタンパク質のS1部分に結合するACE2と、S2タンパク質を切断して、膜融合に関わるペプチドを遊離させるTMPRSS2を中心に研究が行われてきた。ただ、SARSと新型コロナのスパイクタンパク質の比較から、新型コロナウイルスにはホストに存在するもう一つのタンパク分解酵素Furinによる切断サイトがあり、しかもFurin切断部位の変異が高率に起こることが知られていた。Furinによる切断サイトは多くのウイルスにも存在し、Furinを阻害すると新型コロナの感染効率が落ちることが知られていたため、Furinにより切断後に残るS2タンパク質とホスト側の分子がウイルス侵入に関わるのではと予想されていた。

今日紹介したいのは、1編はブリストル大学から、もう一編はミュンヘン工科大学からの論文だが、いずれもFurin切断サイトよって生まれるS2領域C末が血管増殖因子の一つneuropilin1に結合してウイルス侵入を媒介することを明らかにした研究で、いずれも正式論文ではないがBioRxivに掲載された。両方とも重要な貢献なので、おそらくすぐにトップジャーナルに掲載されると思う。とりあえず、それぞれの表題をBioRxivから転載しておく。

用いられた方法や、研究の焦点などは異なっているが、両論文ともFurin切断によりS2タンパク質C末にC-end法則と呼ばれるneuropilin-1結合部位が生まれることに着目し、neuropilin-1がウイルス侵入の受容体として働くかを調べている。

結論的にいうと、TMPRSS2が存在すればneuropilinも新型コロナウイルス侵入の受容体として働けること、侵入効率はACE2+TMPRSS2に劣るが、ACE2非存在下でもneuropilin+TMPRSS2だけでもウイルス侵入を媒介できること、そして両方が同時に存在すると、ウイルス侵入効率が促進されることを示している。

この発見は極めて重要で、例えばモノクローナル抗体を用いる治療や、ワクチンについてもこの結合も抑制できるよう設計する必要が出てくる。生物学的には、furin切断サイトのないSARSとの感染性の違い、神経細胞や血管内皮細胞にも感染する新型コロナウイルスの伝播経路などを理解する新しい鍵が示されたと思う。

これに加えて、ブリストル大学からの論文ではneuropilin1とスパイクの結合に関する構造解析が詳しく行われており、おそらくペプチドなどを用いた結合阻害剤の開発に重要な情報になる。

一方ミュンヘン工科大学からの論文は、

  • スパイクとneuropilin1の結合を阻害するモノクローナル抗体を開発し、将来の治療への道を開いたこと。
  • 嗅上皮にはACE2,neuropilin,TMPRSS2の全てが発現しており、最初の侵入経路になっており、この結果嗅覚機能喪失が初期症状になること。
  • 嗅上皮だけでなく、嗅覚中枢細胞にも同じように全ての受容体が発現し、これが脳への感染ルートになること、
  • スパイク自体がneuropilinを刺激して血管の透過性を上昇させる可能性もあること、

などを明らかにしている。いずれの論文でもneuropilin単独でもウイルス侵入を助けることも示されており、これにより血管内皮への感染も説明がつく。コロナウイルスの複雑な伝播経路解明だけでなく、新しい治療方法開発にも重要な貢献だと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月11日 言葉による視覚 (7月22日号 Neuron 掲載予定論文)

2020年6月11日
SNSシェア

私たちの視覚は、現実の対象を見たり思い出したりする回路とともに、それを抽象化・言語化して記憶する回路の両方を持っている。例えば絵画などは両方が関与して成立していると言っていいだろう。さらに言葉にすることで、複雑な視覚認識の記憶が促進できるのも、両方が統合されているおかげだ。この全体が統合された表象こそが私たちが「知識」と呼ぶ記憶といえる。

今日紹介する北京師範大学からの論文は生まれつき完全に視力のない人が、色や形を言葉を基盤に認識する際の脳活動を、正常視力の人と比べた研究で、「言葉による視覚」の研究といってもいいだろう。タイトルは「Two Forms of Knowledge Representations in the Human Brain (人間の脳での2種類の知識の表象)」だ。

この目的には、私たちが色と形を思い浮かべた時に活動している脳と、全盲の方が同じ課題を行った時活動している脳の違いと共通性を調べる必要がある。研究では、果物や野菜の名前を聞いた時、その色について赤、黄色、緑、紫の4色のどれかに分類してもらうという課題を使っている。この時、赤と単色について答えてもらうだけでなく、赤と黄色が合わさっている、赤紫、などとその程度も答えてもらっている。

簡単だが素晴らしい課題だと思う。というのは、野菜や果物は触覚や味を通しても認識され、抽象化、言語化された認識と統合されており、より具体的な知識として存在すると考えられる。

結果は驚くべきもので、生まれつき全盲の人も、我々とほとんど同じ知識を持っているということがわかった。例えば、人参はトマトより黄色成分が多いと理解しているし、リンゴは赤と緑が混じって理解している。しかし、知識の多様性は全盲の人の方が大きい。すなわち、実際の視覚により普通は知識の幅が限定されるようにできている。いずれにせよ、言葉を通して色の配合まで頭の中に表象が形成されているのに驚く。

では、このような表象を支える脳内の領域はどこか?

この研究では抽象的な認識に関わる側頭葉前部と前頭前皮質下部に焦点を当ててまず調べて、全盲の人も正常視覚の人も強さの差はあるものの、果物の名前を聞いて色を思い浮かべる時には同じ領域が活動することを確認している。すなわち、抽象的な色彩の知識は、実際の視覚から得る場合も、言葉を通して得る場合も同じ領域に形成されることがわかった。

一方、正常視覚の人に見られる実際の色を感じる脳領域の活動は、当然のことながら全盲の人には全く存在しない。また、安静時の活動の同調性から領域間の結合を調べる検査により、正常視覚の人は視覚依存性の領域が抽象的に色を認識する領域と連合していることも明らかになった。一方、全盲の人ではこの領域が言語に関わる領域と強く結合していることもわかった。

以上が結果で、すなわち、言葉を通した視覚が存在することが明らかになった。

簡単とはいえ全盲の人と正常視覚の人の色の認識を調べるための課題を思いついたのがこの研究のすべてだろう。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月10日 ニコチンはガンの脳転移を促進する(Journal of Experimental Medicine オンライン掲載論文)

2020年6月10日
SNSシェア

タバコの発ガン性は、煙に含まれる様々な化学成分が突然変異の確率を促進するためで、タバコを吸う主な目的であるニコチン摂取自体は、ガン自体に大きな影響はないのではと思ってきた。事実この考えが、ニコチン以外の化学物質を減らす電子タバコの基盤になっているように思う。

今日紹介するWake-Forestバブテスト医療センターからの論文は、ニコチンがガンの脳内での増殖を促進する可能性を示して、ガンと診断されたらニコチン摂取をやめたほうがいいことを明らかにした研究でJournal of Experimental Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Nicotine promotes brain metastasis by polarizing microglia and suppressing innate immune function(ニコチンはミクログリアの分化方向に影響して自然免疫を低下させ、ガンの脳転移を促進する)」だ。

この研究では、ステージ4の肺ガン患者さんを、今もタバコを吸っている人と、すでにやめている人に分けて脳転移の有無を調べ、ガン発症後も吸っている人では脳転移の確率が1.6倍も上昇していること、そして生存期間も大幅に短縮するという発見から始めている。

組織学的にタバコを吸っている人の脳転移巣を調べると、ミクログリアのなかでもM2と呼ばれるがん細胞の増殖を助けるタイプのミクログリアの数が上昇していることを発見する。

以上のことから、ニコチン刺激によりミクログリアの分化がM2へと引っ張られ、この結果脳転移したがん細胞の増殖が早まることが明らかになった。

あとは、ニコチン刺激がM2ミクログリアを誘導するメカニズムと、それによりガンの増殖が上昇するメカニズムを探ることになる。実際には、様々な要素が重なって脳内でのガンの増殖が促進することになるが、以下のようにまとめることができる。

  • ミクログリアはニコチン刺激により、Jak/STAT3シグナル経路が高まり、その結果としてM2型への分化が促進される。
  • M2ミクログリアはCCL20 ケモカインやIGF-1を分泌して、腫瘍、特に腫瘍幹細胞の増殖を高める。
  • 一方、ニコチンはミクログリアの貪食や自然免疫を抑え、ガンに対する免疫が低下する。

以上が主なメカニズムで、それぞれの過程でニコチンの影響を元に戻す薬剤も発見しているが、結局はタバコをやめてニコチンを減らすことが、ガンの脳内の増殖を抑えるという話だ。いい忘れたが、これは脳内での話で、他の部位の転移にはニコチンは影響がない。

最後に、この研究はWinston-Salemにある研究所から発表されているが、言わずと知れたWinston-Salemはタバコの銘柄にもなっているほど、タバコ産業で栄えた街だ。その街でいまはanti-smokingの研究が行われていることを知ると感慨が深い。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月9日 神経細胞が興奮の抑制されたことを覚えるメカニズム(6月25日号 Cell 掲載論文)

2020年6月9日
SNSシェア

光遺伝学の登場で、神経ネットワークの形成と機能についての理解は急速に進んだ。ただ、この実験系では各神経細胞を単純化した素子として扱ってしまって、刺激による細胞レベルの変化はどうしても見落とす。しかし神経活動は、細胞自体の生化学的反応、遺伝子転写、形態変化誘導などを通して、持続する記憶を形成できる。一個の細胞に様々なチャンネルや受容体が発現、それぞれが刺激依存的に調節されるからで、このことをエリック・カンデルは「記憶は神経細胞分化」と表現した。すなわち、ネットワーク解明と同時に、神経細胞文化の研究も進めていく必要がある。

今日紹介する中国中山医科大学と、ニューヨーク大学から発表された論文は、神経細胞が興奮を抑えられたことも長期に記憶できるメカニズムを明らかにした研究で、6月25日号のCellに掲載された。タイトルは「Neuronal Inactivity Co-opts LTP Machinery to Drive Potassium Channel Splicing and Homeostatic Spike Widening (神経細胞の活動停止は長期記憶のメカニズムを利用してカリウムチャンネルのスプライシングと恒常性維持のため興奮スパイクの幅を広げる)」だ。

まず、この研究では光遺伝学などの新しいテクノロジーは全く使われておらず、私が現役時代のテクノロジーのみで研究を行なっているのに驚いた。さらに、研究対象が神経興奮による記憶ではなく、神経興奮の主役ナトリウムチャンネルをフグ毒で抑えた時に形成される記憶に焦点を当てるという、少し天邪鬼な研究である点が面白い。

テトラドトキシン(TTX)で神経の興奮を48時間抑制した後、TTXを取り除き刺激すると、興奮スパイクの持続が長くなること、そしてこの変化がビッグカリウムチャンネル(BK)と呼ばれる分子の一部がスプライシングにより除かれる確率が上昇し、これがBKの特性を変えることで、神経の興奮パターンが変化することを明らかにする。すなわち、興奮の抑制がスプライシングを変化させ、短いBKが多く発現することで興奮パターンの記憶が成立することがわかった。

これがわかると、あとはなぜスプライシングが変化するのか、刺激が抑えられていることがどうして細胞内の変化を誘導できるのかについてメカニズムを明らかにすることになるが、膨大な実験が行われているので、詳細は省いて結果だけをまとめる。

  • TTXで興奮が持続的に抑えられると、末端のスパインレベルでのグルタミン酸シグナルを介するカルシウムチャンネルの開く回数が高まり、流入するカルシウムによる様々なCamKK の活性化がおこる。活性化された CamK分子のうち、βCamKKはその後、細胞体の閣内へ移行する。すなわち、ナトリウムチャンネルの活動抑制が、ホメオスターシス維持に関わるカルシウム受容体の刺激を高めることで、神経の恒常性が維持されると同時に、活動抑制が記憶される。
  • このCamKKは核内でNova2と呼ばれる分子と結合し、BK遺伝子の29番目のエクソンをスキップした短い分子を合成する。
  • この短いタイプのBKは抑制が外れた後の、神経興奮の持続性の変化を誘導し、記憶反応を起こす。

以上がシナリオで、神経活動は興奮スパイクだけでなく、恒常性を維持するためにカリウム、カルシウムチャンネルが相互作用して微妙な調節を行っていることがよくわかる研究だ。驚くのは、興奮による記憶形成では見られなかった、自閉症や統合失調症に関わることが知られている多くのシグナル分子がこの過程に関わっていたことで、スパイクを抑制されたことの記憶の重要性を認識した。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月8日 抗ウイルス薬:個人の視点と集団の視点(Nature Communication オンライン掲載論文)

2020年6月8日
SNSシェア

私の住んでいる兵庫県ではすでに22日間新型コロナ感染者の報告がなく、入院中の患者さんも五人になって、ほぼ収束したと言える。ただ世界では発症が続いている以上、次の波がいつくるか予想はできない。これに対し、ワクチンしか切り札がないようなステレオタイプな議論が巷では行われているが、要するに集団内のウイルス量を減すという視点から見れば様々な手段が存在する。実際、隔離も集団から見たら同じ目的で行われている。

などと考えていたら、テキサス大学オースチン校から、抗ウイルス薬を早期に用いることで、パンデミックを制御するシミュレーションがNature Communicationに報告されていたので紹介する。タイトルは「Modeling mitigation of influenza epidemics by baloxavir (インフルエンザの流行をゾフルーザで軽減する)」だ。

我が国では、個人のウイルス感染には抗ウイルス薬、集団にはワクチンと、目的を分けた議論が行われているように感じる。しかし、ウイルス感染でその患者さんが亡くなったとしても、もし抗ウイルス薬で排出ウイルス量が低下すれば、社会的効果は当然存在する。このことを、インフルエンザをモデルに行ったのがこの研究だ。

タミフルなどそれまでのウイルス感染最終段階で起こるウイルス排出に効果を持つ薬剤と異なり、塩野義製薬の開発した抗インフルエンザ剤ゾフルーザは、cap-dependent endonucleaseを阻害してウイルスのRNA合成を阻害するため、ウイルス量を迅速に低下させられる。この研究では、これまで得られているタミフルと、ゾフルーザのウイルス量抑制効果データをもとに、発症後薬剤を投与した場合のウイルス量や、他の人への感染力などをシミュレーションしている。

結果は明確で、ウイルス除去効果が高いと、感染力は急速に低下するため、ゾフルーザを服用したと仮定するシミュレーションでは2日以内で感染性はほとんどなくなる。一方、タミフルの場合は、薬剤治療を行わず免疫によりウイルスを自然消滅される場合と比べて感染性を抑える効果は限られている。感染性が落ちるということは、有名になった実行再生産係数を減らすことができる。

とすると抗ウイルス薬で感染性が低下することは、隔離と同じ効果があると予想されるが、実際30%の患者さんがタミフル服用したと仮定してシミュレーションしても、ピークを抑えることができる。もちろんゾフルーザはもっと効果が強い。例えば何もしなければ、200万人の患者さんが発生すると条件を設定すると、5割の患者さんがゾフルーザを服用するとすると、全感染者を100万人以下に抑えることができる。もし感染した全員が服用すれば、この効果はさらに高まる。

要するに、個人の治療薬も、感染症の場合は、感染後できるだけ早く多くの人が抗ウイルス薬を服用すれば、集団的効果が確実にあるという結果だ。

我が国は抗インフルエンザ薬を最も使用する国で、CDCでは重症者や高齢者に限るべきとしているタミフルも一般の患者さんに処方される。これについては私も批判的だったが、全感染者数を抑えるという意味では大きな効果があルことを再認識した。今回のシミュレーションでは、投与が早ければ早いほどいいという話なので、そのまま延長すれば流行がキャッチされた時点で予防投与すら考えられる。

個人的予想だが、現在進められている新型コロナウイルス特異的な薬剤の開発が進んで、場合によってはこれを予防的に投与する(全身投与である必要はない)方法の開発により、コロナの社会的インパクトが低下するほうが、ワクチンより早い気がする。あたるかな?

カテゴリ:論文ウォッチ

6月7日 新しいHIVウイルス治療法(6月3日号 Science Translational Medicine 掲載論文)

2020年6月7日
SNSシェア

これまでウイルス制御に用いられる手段は、ウイルスタンパク質に対する薬剤、ウイルス侵入に関わるホスト細胞に対する薬剤や抗体、ウイルスタンパク質に対する免疫反応、そしてウイルス感染細胞に対する免疫反応に限られていた。最近になってCRISPRも含め核酸医学が介入手段に加わったが、標的分子を抑えるという点では同じだ。

ところが今日紹介する上海/復旦大学からの論文はなんとペプチドを用いてウイルス粒子に穴を開けてしまうという、これまでにない方法の可能性を示す研究で6月3日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「An amphipathic peptide targeting the gp41 cytoplasmic tail kills HIV-1 virions and infected cells (AmphipathicなペプチドはHIVのgp41タンパク質細胞質内領域と結合してHIVウイルス粒子を賦活化する)」だ。

この研究では最初ウイルスEnvタンパク質の一部のペプチドを用いれば、ウイルス自体の感染を抑えられるという単純な発想で、Envタンパク質配列をカバーする15merのアミノ酸ペプチドライブラリーをスクリーニングし、F9170と名付けたgp41分子の細胞質内ドメイン由来のペプチドがウイルス感染をブロックすることを発見する。

おそらく最初は細胞外のドメイン由来ペプチドに活性があると予想していたと思うが、なんとウイルスエンベロップ内部の領域に対応するペプチドが活性を持つという意外な結果で、ウイルスタンパク質を真似ることで感染を抑えるという話ではなくなった。そこでこのペプチドをウイルス粒子に加える実験を行い、なんとウイルス粒子に穴が開いて、パンクさせることで、感染が防がれることを発見した。

さらにメカニズムを探ると、このペプチドはamphipathicな性質を持ち、ウイルスエンベロップに侵入し、gp41のLLP1と呼ばれる領域と相互作用を起こして、エンベロップに穴を開けることがわかった。すなわち、デタージェントと同じようなメカニズムでウイルス粒子を不活化する。ただ、このペプチドはウイルス特異的で、毒性はほとんどない。さらに、同じようにgp41を細胞表面に発現しているウイルス感染細胞もこのペプチドで穴を開けることができる。すなわちウイルス粒子だけでなく、感染細胞も殺せることがわかった。

これに基づき、猿を用いたウイルス制御実験を行い、期待通り血中ウイルスを検出できないレベルまで低下させること、また副作用はほとんどないことを示している。

全く新しい原理のHIV感染制御法と言えるが、課題も多い。まず完全にウイルス粒子が消失するのに、ペプチド投与をやめるとすぐにウイルスが現れることから、このペプチドだけではよほど濃度を上げない限り根治は難しい。また、半減期が短く、1日に何度も投与する必要がある。このため、臨床に応用するためには、まだまだ改良が必要だが、ともかく原理の異なる方法が開発できたことは重要だと思う。

実験の中でMERSに対するペプチドも可能性があることを少し述べているので、新型コロナについても同じような戦略が取れる可能性はあるので、その点でも期待したい。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月6日 コレステロールの世界地図(6月3日号 Nature 掲載論文)

2020年6月6日
SNSシェア

新型コロナ騒ぎで全国的に病院収入が1割減ったことが報じられている。コロナ自体での損失を区別して詳しく精査する必要があるが、この落ち込みが不要不急の医療に当たるのだろうか。

特に興味があるのは、これが世界的傾向なのか、そして高血糖、高脂血症、高血圧などの生活習慣病に関する診療がどの程度減ったのかだ。というのも、この分野の医療費を減らすことが、各国の重要なテーマだった。今回の事象が各国の思惑どおり、メタボで病院に行く前に、まず予防という糸口になればいいが、まだまだ読めない。

今日紹介する世界中の研究機関が集まって発表した論文は2018年の世界の血中コレステロールマップを作成して、前回世界規模で行われた1980年と比較した研究で6月3日号のNatureに掲載された。タイトルは「Repositioning of the global epicentre of non-optimal cholesterol (コレステロール異常の世界的震源地を洗い直す)」だ。

この論文がNatureにふさわしい論文かとも思うが、世界中から1億人の総コレステロール値と、善玉以外のnon-HDLコレステロール値を集め、同じ土俵に乗せて比較することは大変な作業だと思う。

結果は明瞭で、40年前は最悪だった欧米諸国で、総コレステロール値の大幅改善が見られる一方、東南アジア、東アジアでは急速な上昇が見られる。しかし、絶対値で見ると、欧米諸国の値はまだ高いレベルにある。

しかしここからHDLを除いた、いわゆる悪玉で調べると、西欧諸国は絶対値でも低いレベルに落ち着いている一方、東南アジアでは東ヨーロッパに並んで最高値を叩き出している。

面白いことに、総コレステロールの増加は著しいが、東アジアのnon-HDLの絶対値は中程度で、東南アジアとは大きく異なっている。これと並行して、虚血性心疾患による死亡率が、西欧では大きく低下している一方、東南アジアを筆頭に、南アジア、東アジアで大きく上昇している。

要するに、所得が上昇すると最初は高脂肪食へ移行するが、さらに所得が上昇すると、健康に配慮した食生活に変わることを示しており、どの国も経済発展すれば自然にマインドが変わって健康になることを示している。

などと考えながら、コレステロールの変化マップを眺めてみと驚くのは、我が国ではこの40年、ほとんど変化が見られない点だ。幸い、40年前はほとんど世界の平均値だったことを考えると、今も世界の平均値にあると言えるだろう。メタボも我が国では気にすることはなさそうだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

哲学が後退した16世紀に輝く賢人哲学者フランシス・ベーコン(生命科学の目で読む哲学書 第14回)

2020年6月5日
SNSシェア

スコラ哲学紹介の最後となったオッカムを読んだ後(https://aasj.jp/news/philosophy/12487 )、すぐに17世紀近代(デカルト)に移っても良かったが、せっかく順番に読んできたので時代を飛ばさず橋渡しに16世紀を代表する、しかも「生命科学者の目」からみて推薦できる一人を選んでみたいと考えた。スコラ哲学と比べると、トマス・モア、エラスムス、モンテーニュ、フランシス・ベーコンなど16世紀には名前が知られた哲学者(?)が多い。そこで今回、4人の代表的な著作をまず読んでみた。

前回マルクス・ガブリエルを紹介した時(https://aasj.jp/news/philosophy/12813)、20世以降、哲学から排除されてしまったように見える「宇宙の中の精神」といった形而上学的課題を、今も哲学の課題であるととらえ、新たな目でチャレンジしている点が、彼の新鮮さだと述べた。逆にいうと、形而上学的課題を哲学から排除しようとする雰囲気が20世紀にはあったように思う。ただこのような根本問題への哲学的チャレンジを諦める傾向はギリシャからローマ時代に移行した後にも見られ、哲学(少なくとも読める形で残っている)が処世術といってもいいほど極端に世俗化したことについてはすでに述べた(https://aasj.jp/news/philosophy/11539)。

今回4人の著作を読んで、16世紀も哲学不毛の時代で、逆に形而上学的な課題はスコラ哲学議論と軽蔑されていたのがわかった。こうしてスコラ哲学からルネッサンスへと思想をたどってみると、世俗の勢いが増す時に、神学も含めて哲学は形而上学的課題を無視したり、軽蔑したりする傾向を示すようだ。ただ20世紀の場合、この世俗を代表したのが科学ではなかったかと思える。だからこそ、哲学にもう一度形而上学的課題を取り戻すために、マルクス・ガブリエルがその批判の矛先を向けたのは科学だった。何れにせよ、科学と哲学の関係については、17世紀を考える時扱ってみたい。

さて今回4人の著作を読んでみて、16世紀哲学を「ルネッサンス、宗教改革によりキリスト教会の相対的地位が低下し、世俗の王の権力が強まることで、教会に属さない世俗の賢人が現れ、人間のあり方(=ヒューマニズム)を論じた時代」と総括することにした。

世俗の賢人の最初はトマス・モアだ。教会内の神学者が担ったスコラ哲学時代と違い、16世紀を代表する思想家の多くは何らかの形で宮廷につかえる人たちで、トマスモアも大法官にまで上り詰めた国王の重臣だ。忙しい実務の合間に書いたのが有名な「ユートピア」で、この造語は今も理想郷を表す単語として定着している。

ユートピアはモアが考えた理想の国の話だが、おとぎ話というより16世紀の現実に即して構想されている。間違いなくプラトンの共和国を念頭に書かれたと思うが、ユートピアとはいうものの、プラトンの共和国と同じく国王が存在する。彼の描いた王はプラトンが述べた哲人王と同じで、哲学に基づく徳の精神で国を導く賢人に他ならない。面白いのは、この国で大事な哲学とは「宇宙の中の精神」を問うようなスコラ哲学でないとはっきり述べている点だ。モアにとって、形而上学などは世俗を中世に引き戻す邪魔な存在以外の何物でもなかったようだ。

ユートピアは読み物として面白く、構想が詳細にまでわたっていることに感心する。例えば奴隷の問題についてみてみよう。まず驚くのは、敵の捕虜といえども自由を奪うことは断じて禁止で、自由を奪えるのは唯一犯罪を犯した者だけだ。この時、罰として強制作業を要求できるとしており、現代の懲役刑と同じだ。さらに現代的なのは、市民権はないが外国から来て、自分で奴隷のような仕事を望む輩のことまで述べている。これも現在の外人労働者に相当する。このように内容は哲学というより、道徳的な賢人が世の中に向かって語る「お言葉」といっていいだろう。当然、いわゆる哲学からの引用は少ない。キンドルなので検索機能を利用して調べてみると短い本のなかにプラトンについての引用は15箇所もあるのに、例えばアリストテレスは1回だけで、しかも哲学の内容についての引用ではない。生命科学者の目から見ると、得るところは少ない。それでも、ユートピアに書かれた政治思想は革新的で、結果反逆罪で処刑されることになる。

世俗の賢人の二人目はエラスムス。他の三人と比べると、宮仕えはほとんどせず、自由な学者として過ごした賢人と言える。彼が友人のトマスモアの家に滞在しているときに書き上げたのが「痴愚神礼讃」で、モアのユートピアはこの本に刺激を得て描かれたと言われている。

この本も一種のおとぎ話だが、モアのユートピアとは真逆で、架空の異教の女神の目を通して現状を痛烈に批判しすることで、理想的社会を探るという構成になっている。この本ではモアのユートピア以上に、当時の庶民が生き生きと描かれており、同時代のピーター・ブリューゲルの描いた庶民の姿と完全に重なり合う。もちろん、この世相の中にはキリスト教も含まれており、キリスト教信者であったエラスムスがよくまあここまで言った思える文章も多い。たとえば人間が真実より嘘が好きなことを示す例として述べたくだりを引用してみよう。

「(教会の説教では・・)、真面目なことが話されていると、聴衆は眠ったりあくびをしたり退屈したりしています。ところが、説教師が小母さんがなさるようなおとぎ話を始めますと、会衆は全部目を覚まして、口をポカンと開けて聴き惚れます。・・・聖ゲオルギウスだとか、聖クリスフォルスだとか、聖女バルバラだとかいう、ちょっとおとぎ話風な、聖職離れした聖人がいることになりますと、相手が聖ペテロだとか聖パウロだとか、また主キリストご自信だとかいう場合よりも、はるかに崇拝されるようになれるのですよ」

ここに書かれた「痴愚性」はいつの時代も変わらないことがよくわかる。これがエラスムスが現代にも通ずるヒューマニストとして評価される理由だろう。

重要なのは、モアのユートピアと同じで、「哲学=スコラ哲学」については、手厳しく軽蔑している点だ。例えば、

「さてこの面倒な上にも面倒な彼らの道具立ては、数限りもないスコラ学派の流派のおかげで、もっと霊妙でしち面倒臭いことになっていますから、実在論者や唯名論者やトマス派やアルベルトゥス派やスコトゥス派など、私は主なものの名前しかもうしませんが、こういう多くの学派の羊の腸のようにクネクネ曲がった道よりも、寧ろ迷路から抜け出す方が皆さんにとっては易しいことでしょう」

という文章から、当時の大学では、「実在論だ、唯名論だ、あるいはオッカムだ」と、過去の思想を担いで口角泡を飛ばす議論のための哲学論議行われていたことが推察される。これは20世紀にも通ずるが、世俗化が進むとアカデミックな議論はどうしても浮世離れしてしまい、「哲学議論」は一般人も世俗の賢人も軽蔑する悪いイメージが定着していたことがわかる。

世俗の賢人の3人目は、我が国で最も知られた16世紀のヒューマニスト、モンテーニュだ。彼もボルドー市長に選ばれるとともに、宮廷でも仕えた貴族で、彼の「エセー」はわが国でも広く知られている。私自身もずいぶん昔、抜粋本では読んだ覚えはあるが、全く印象は残っていなかった。今回もう一度読んでみようと全6巻新たに取り寄せて読み始めた。しかし、モアやエラスムスとは異なり、断片的文章の集まりで、すぐ退屈してしまった。賢人の思想というより、賢人の独白といった感じで、1巻読むのが精一杯で、これ以上続ける気にならなかった。

いきなりネガティブな結論になったが、エセーは彼の生きた時間に沿って書かれている独白なので、最後まで読み通せば16世紀の個人主義的ヒューマニズムのあり方もよくわかったのかもしれない。読み通していないのにそう思うのは、堀田善衛さんの「ミシェル城館の人」を読んだからで、エセーを読んだことのなかった私も、随分昔この本を読んで、カソリックとプロテスタントの抗争と世俗の権力をめぐるヨーロッパ全体の抗争が複雑に絡み合った時代と、その時代を世俗の賢人として生きたモンテーニュについて理解することができていた。

今回もう一度読み返したが、史実とフィクションがうまくブレンドされた16世紀を知るための素晴らしいガイド本になっている。しかし率直な印象を述べると、堀田さんはモンテーニュをあくまでもこの時代を案内するためのガイド役として登場させ、彼を思想家というより、家族や世間の間で苦労しながら自分を守ろうと努力している思索家として描いている。実際、モンテーニュ自身も、体系的思想など全く重視していなかったようだ。

堀田さんはこの本の中で、

モンテーニュの『エセー』(試み)は、実に進行形の思想の歩みを示すものであった。さればストア派の思想の枠を出て、精神と肉体の様々な存在の仕方の認識を経て、精神と肉体の解放と自由の歩みを示すものであり、その試みはつねに運動を伴っているのであった。それは固定した、一定の思想の平べったい陳述ではなかった。たとえば思想の陳述に、明確な、枠組みのはっきりした起承転結を求める人や、何につけても結論だけを求めるような人には、『エセー』は怪物的なまでに雑駁な、ある種の集積物と見えるかもしれないであろう。

(ミシェル城館の人 第三部 精神の祝祭 )

と述べて、エセーは思索の集積で、私のように「平べったい思想」を求めてはならないと戒めている。そして「私はその日その日を生きている。そして失礼は承知の上で、ただ私のためだけに生きている。私の目的はそこに尽きる。」という彼の晩年の言葉を引用して、同じ世俗の賢人でも、モアやエラスムスとは対極的な、極めて個人主義的傾向の強い賢人として描いている。

このように科学や哲学の観点から見ると、この3人の人文主義者の貢献は大きくないように思うが、しかし権威を疑い自分で考える、個人主義や主観主義の先駆けとして17世紀近代を準備したことは間違いない。この点では、世俗の賢人4人目、フランシス・ベーコンも同じだが、他の3人と比べるとベーコンの科学、哲学への貢献は大きい。世俗の人としては英国で大法官にまで上りつめた貴族だが、経歴を読むと失脚と復活を繰り返し、おそらく4人の中では最も政治的野心の強い賢人だったと思う。実際、著作からもヒューマニストと言う印象はほとんど感じられない。今回読んだ河出書房の世界の大思想には3つの著作が収載されている。この中のニュー・アトランティスは、ベーコンがモアのユートピアに対抗して理想郷を描こうとした作品で、他の3人と同じ側面を見せる作品だが、モアの構想と比べると理想からはほど遠く、退屈な本だった。政治的野心満々の賢人にはユートピアは構想できないことがよくわかる。

しかしこのようなギラギラした政治家に、賢人としての能力と知識が備わっていたことが重要で、他の3人と比べて彼が科学や哲学に大きく貢献できたのは、彼が政治家として現実的に世界と向き合っていたからではないだろうか。このことが最もよくわかるのが、「学問の進歩」で、この本を元にベーコンの思想を見てみよう。

この本は、国王に対して学問の重要性を進言すると言う形式で書かれており、まず主張しているのが、知識を信頼し、できるだけ蓄積し、それに基づいて判断することの重要性だ。現代風に言えば、エビデンスに基づいて判断することの重要性で、政治家としては当然の話だ。しかし、我が国の政治状況からもわかるように、エビデンスに基づいて判断することほど難しいことはなく、個人の思いつきや独断が判断を支配する。実際、今も昔も政治家の多くは学問など学者の遊びで役に立たないとバカにするようで、ベーコンも「学問は人間の気質をゆがめ、そこねて、支配や政治に関することがらに向かなくさせる。」とか、様々な理由をあげつらって学問蔑視の風潮が存在することを嘆き、アレキサンダー大王や、シーザーを例に、学問を通して知識を蓄積することの重要性を説いている。

学問が無意味であるとする様々な批判について一つ一つベーコンが丁寧に答えているのを読むと、今も昔も全く変わらないと思う。例えば、学問する時間などないと言う批判については、

学問はあまりにも多くの時とひまをくうという異議の申し立てについては、わたくしはこう答える。ずばぬけて思いきり活動的な忙しいひとにも、(きっと)仕事がそのうちにたてこんでくるのを待っているあいだの、手すきの時間はたくさんある。

どんなに忙しい人でも、学問の時間がないと言うのは理由にならないと一括している。

この「学問ノススメ」の確信は、そのまま学問の方法論へと向かう。ベーコンにとって学問とは、現実の世界に向き合い、世界と自分との相互作用の中で知識を蓄積する事で、自分の好き勝手に集めるものでも、一方的に外から与えられるものでもない。従って、信頼できる知識と、信頼できない知識をまず判断する事が必要になる。ここでも紹介したプリニウスの博物誌(https://aasj.jp/news/philosophy/11539)やアルベルトゥス・マグヌス(https://aasj.jp/news/philosophy/12074)についても、

「同じように自然誌においても、しかるべき選択と判定がなされていないことがわかるのであって、たとえば、プリニウス〔ローマの博物学者、「自然誌」の著者、後二三─七九年〕やカルダヌス〔ルネサンス期イタリアの自然哲学者、医学者、数学者、一五〇一─一五七六年〕やアルベルトゥス〔ドイツ出身のスコラ学者、その博識のゆえに大アルベルトゥスとよばれた。トマス・アクィナスの師、一一九三年頃─一二八〇年〕やアラビアの多くの学者の著作にあきらかであるように、それらは、寓話の類にみちみちており、それがまた大部分、真偽のほどもたしかめられていないばかりか、評判のうそごとであって、じみで、まじめな学者たちには、自然哲学の信用を大いにおとしている」

と断じて、知識の信頼性を判断する方法論の重要性を述べている。

ベーコンにとって、世界についての知識は分野を問わずできる限り集める事が学問だが、間違った知識を区別するためにも、分野を整理し、それを体系化する作業を繰り返す必要があると考えている。この点で、他の3賢人と異なり、自然哲学から倫理学まで知識を体系的に整理しようとしたアリストテレスへのベーコンの評価は高い。その結果、ベーコンが考える知識体系の中に形而上学も含まれており、形而上学、自然神学、自然哲学など異なる次元から多元的に世界に向き合う事の重要性を説く。少し長くなるが、彼が形而上学の重要性を述べている箇所を引用しよう。

それゆえ、わたくしがいま解するような、形而上学という名称の用法と意味とに話をもどすことにしよう。すでに述べたところによって、わたくしが、これまで混同して同一のものとされていた、「第一哲学」すなわち最高の哲学と形而上学とを、二つの区別されたものと考えようとすることはあきらかである。というのは、前者をわたくしは、あらゆる知識に対する親または共通の祖先とし、後者をいま、自然に関する学問の一部門または子孫としてもちこんだのであるから。なお、わたくしが最高の哲学に、個々の学問に対して無差別で不偏である共通の原理や一般的命題の探求をわりあてたこともあきらかである。わたくしは、それにまた、量、類似、差異、可能性などという、実体の相対的で付加的な性質の作用に関する研究をもふりあて、そしてこの哲学に、それらの性質は論理的にとり扱うべきではなく、自然において作用するものとしてとり扱うべきであるという差別と規定をもうけたのである。なおわたくしが、これまで形而上学と混同されてとり扱われていた自然神学に、それの範囲と限界を規定したこともあきらかである。それゆえ、いまここに問題となるのは、何がなお形而上学のために残されているかということであるが、この問題に関して、自然学は、質料に包みこまれ、したがって変化するものを考察し、形而上学は、質料からひき離されて変化しないものを考慮するという点まで、古人の考えを保存しても、真理をそこなうことはないであろう。また、自然学は、自然界にただ存在と運動だけを想定するものをとり扱い、形而上学は、自然界になおそのうえに理性と知性とイデア〔原型〕をも想定するものをとり扱うといってもよかろう。しかし、その相違は、つぎのようにはっきり表現すると、もっともなじみぶかく、わかりやすい。すなわち、われわれは、さきに自然に関する哲学一般を原因の研究と結果の生産とに区分したように、原因の研究に関する部分をも、原因の一般に認められている堅実な区分〔アリストテレスの「四つの原因」の説、「形而上学」一の三等〕に従って、細分する。すなわち、〔原因の研究に関する自然哲学のうち〕自然学という部門は、質料因と作用因をとり扱って研究し、形而上学という他の部門は、形相因と目的因をとり扱うのである。フィジック〔自然学〕は(それをわれわれの医術を意味する慣用法に従ってではなく、その語源に従って解すれば)、自然誌と形而上学との中間に位する。というのは、自然誌は事物の種々相を記述し、自然学は原因を、ただし変易的なまたは相対的な原因を記述し、そして形而上学は固定的で恒常的な原因を記述するからである。」(ベーコン. ワイド版世界の大思想 第2期〈4〉ベーコン)

このように、世界を理解するためには、自然神学と形而上学を混同することなく、アリストテレスが考えた4つの因果性を理解するためには、眼に見える因果性(質料因と作用因)を研究する自然誌とともに、形相因や目的因のような眼に見えない因果性を扱う形而上学が必須であると述べている。さらには自然誌と形而上学の中間に、目的因も含めて考える医学生物学といってもいい中間的学問が必要なことまで指摘している。生命科学に関わってきた人間としては、読むだけでゾクゾクする文章だ。科学も、哲学も、宗教も、世界を理解するためには全て必要だとする多元的な見方は、現代に形而上学を復活させようとしたマルクス・ガブリエルに重なる。

このような多元的な知識の重要性の認識は、次にこの多元的知識をもとに何が真実かを判断するときの方法論へと移る。そして「ノヴム・オルガヌム」(大革新)というタイトルから彼の自信のほどがうかがわれる著作で、新しい方法論として示されるのが「帰納法」だ。

「さて、わたくしの方法は、実行することは困難であるけれども、説明することは容易である。すなわち、それは確実性の階段をつくる方法であって、感覚の権能を、それにある種の制限を加えて認めるが、しかし感覚につづいておこる精神のはたらきは大部分しりぞけて、感官の知覚から出立する新しくて確実な道を精神のために開く方法である。」

と述べ、3段論法などこれまでの方法論は個人的な予断の入る余地があまりに多すぎて信頼できず、「確実性の階段を作る方法」で、「感官の近くから出立する新しくて確実な道」、すなわち帰納法こそ信頼できる方法論であると述べている。

ベーコンの偉大さは、帰納法の重要性を論じた上で、帰納法がまだまだ完成していないことをはっきりと告白している点だ。

ところで、一般的命題をうちたてるさいには、これまで用いられてきたのとは別の形式の帰納法を考え出さなければならない。しかもその帰納法は、ただ第一原理(といわれるもの)についてだけではなく、低次の一般的命題や中間の命題についても、いな、すべての一般的命題についても、それを証明し発見するために用いられなければならない。というのは、単純枚挙による帰納法は子どもじみたものであって、その下す結論はあぶなっかしく、矛盾的事例によってくつがえされることを免れず、そしてたいていの場合、あまりにも少数の、それも手近にある事例だけによって断定を下すからである。しかしながら、諸学と技術との発見と証明に役だつ帰納法は、適当な排除と除外によって自然を分解し、そうしてから否定的事例を必要なだけ集めたのち、肯定的事例について結論を下さねばならぬのであるが、このようなことは、定義とイデアを論究するためにある程度この形式の帰納法を用いたプラトン〔たとえば、「国家」第一巻において「正義」について〕によってのほかは、まったくまだなされたことはなく、また試みられたことさえもないのである。しかしながら、このような帰納法または証明をうまくうちたてるためには、これまでどんな人間も考えたものがないほどじつに多くのことがなされねばならず、したがってこれまで三段論法に費やされたよりももっと多くの労力がそれに費やされねばならぬのである。

事実、現在も帰納法は「確実性の階段」を完成させるまでには至っていない。しかし、生命科学を始め、力学的因果性では理解できない多くの領域で最も重要な方法論になっていると言える。20世紀に入って、情報科学が進んだおかげで、帰納法も大きく進展した。全ての過程が見えるわけではないが、AIのパワーを見ると、新しい帰納法が生まれたという実感がある。その意味で、ベーコンは現在の情報科学の原点と言っていいのかも知れない。

ノヴム・オルガヌムは短い著作で、翻訳もわかりやすいので、生命科学を志す人にはぜひ読んで欲しいと思うが、ここに現れる思想は極めて近代的で、ヨーロッパの科学・哲学のルーツを見る思いがする。

長くなったのでまとめに入ろう。

16世紀はダビンチやミケランジェロが活躍した後期ルネッサンス期と重なるが、ヨーロッパ全土で戦争が絶えず、また宗教改革を通して、カソリックの力が低下、代わりに世俗の力が勃興した時期だ。これを反映して、当然哲学も大きな変化を遂げ、それまでキリスト教と一体だったスコラ哲学者に変わって、教会やアカデミアから独立した世俗の賢人が生まれる。しかし、世俗化は哲学の退潮とも同義で、モア、エラスムス、モンテーニュなどの有名な人文主義者は生まれたが、その後の哲学に対する貢献はほとんどなかったと言える。

ベーコンを読むまでは、これが私の16世紀の総括だったが、ベーコンを読んで一変した。引退後は自分で様々な実験を行なったと伝えられているので、コペルニクスに代表される科学の進展にも理解があり、政治的野心も隠さない、一種の超人だった。事実に基づき、宗教、政治、哲学、科学まで排除することなく多元的視点を貫ぬくことを説いたことが彼の哲学への貢献だ。マルクス・ガブリエルを読んでからベーコンを読んだが、読みながらずっとガブリエルを思い出していた。16世紀のマルクス・ガブリエルなどというと本末転倒だが、自由奔放な思想で新たに哲学を復興させようとした点も重なって見える。

多元主義と帰納法を基礎におくベーコンの思想は、近代に足を踏み入れているどころか、二元論を超えているようにさえ思う。少し褒めすぎた気もするが、ベーコンの思想を知ってから17世紀哲学を読んでみると、全く違った印象が得られるのではと今から楽しみだ。次回はデカルトから始めよう。