8月12日:プロモーターと転写の方向性(8月24日号Cell掲載予定論文)
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8月12日:プロモーターと転写の方向性(8月24日号Cell掲載予定論文)

2017年8月12日
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一つの遺伝子ユニットを描くとき、転写開始複合体とRNA ポリメラーゼが結合するプロモーター領域から一方向に転写が進むように描くのが普通だが、この方向性はどう決まっているのか、私自身考えたことはなかった。しかし言われてみると、同じゲノム上にコーディング領域がどちらを向いて並んでいるかはまちまちだし、ノンコーディングRNAでは両方に転写が起こる場合もあるので、重要な問題であることに気づく。

今日紹介するハーバード大学からの論文はプロモーターからなぜ一方向にだけ転写が起こるのかという基本的な問題を問うた研究でCellの8月24日号に掲載予定だ。タイトルは「The ground state and evolution of promoter region directionality(プロモーター領域の方向性の基底状態と進化)」だ。

しかしこのように重要だがマニアックな研究ですらハーバード大学から出てくるのには驚くが、この研究では教科書を鵜呑みにして当たり前と考えてしまう問題に着目した。と言っても、プロモーターの方向性が決まっているからこそ普通に転写の実験ができている。方向性を持たないのではと着想したとしても、方向性がないという状況をまず示す必要がある。

この研究では様々な種類の酵母を使い、それぞれの種で方向性を持って転写されているプロモーターが、他の種類の酵母の中では方向性を失うことを発見し、転写の方向性が決して一義的に決まっていないことを明らかにした。

RNAポリメラーゼ結合サイトから転写されたばかりのRNAを正確に解析できるNET-seqという方法を開発して一種類の酵母の中で働いているプロモーターの方向性を調べると、ほとんどははっきりと方向性があるが、一部のプロモーターでは両方に転写が進んでいることも明らかになった。

次に大きな染色体領域を導入するYACベクターをD.hanseiiという酵母から作り、これをS.cervisiaeに導入したとき、普通なら転写が起こらない領域から転写が始まる「偶発的プロモーター」を43種類YAC上に特定し、そこからの転写の方向性を調べると、やはり方向性が失われていることを明らかにした。

この結果は、プロモーター領域には本来方向性がなく、転写開始に必要な分子を集めるだけの役割を演じているが、進化とともに転写因子の結合の非対称性が生まれ、これが方向性を決めていることになる。実際、D.hanseiのYAC上に見つかる「偶発プロモーター」は、K.lactisのYACには存在せず、この差は転写因子結合部位とプロモーターの関係により決まることを明らかにし、新しくできたプロモーターに転写因子の結合部位が加わることで方向性が生まれるのがプロモーターの進化であることを示唆している。

最後にこの可能性を確かめるため、酵母ゲノム中で現在も方向性が明確でないプロモーターが、進化的に比較的新しく生まれていること、また方向性がしっかりしているプロモーターでは、他の転写因子の結合部位の位置が保存されていること、最後に人間の肝臓だけで働き、他の哺乳動物では働いていないプロモーターでも転写の方向性がはっきりしないことを示している。

結論としては「プロモーター領域自体に方向性はなく、進化で転写因子結合サイトが周りに集まることで方向性が出る」とまとめられる。また新しいことをひとつ勉強した気になる論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月11日:ビデオの射撃ゲームは海馬神経細胞の減少を招く(Molecular Psychiatry掲載論文)

2017年8月11日
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通勤電車の中でスマフォを見つめている人の数の多さに驚くが、そのうちかなりの割合がゲームに興じている。私自身振り返ってみると、学生時代のパチンコとインベーダーゲームが最初で最後で、その後はほとんどゲームに興じるという習慣はない。しかし当時から、パチンコは言うに及ばず、インベーダーゲームで遊びすぎると脳が退化すると警告する人がいたのを覚えている。

   その後ゲーム産業は右肩上がりで成長し、現在の総売り上げは4兆円に迫る勢いのようだが、同時にゲームの内容も多様化したようだ。

   今日紹介するカナダ・モントリオール大学からの論文は、ビデオゲームの脳への影響をMRIを用いて調べた研究でMolecular Psychiatry にオンライン出版された。タイトルは「Impact of video games on plasticity of the hippocampus(海馬の可塑性に対するビデオゲームのインパクト)」だ。

   同じような研究はこれまでも何度か行われてきた。その中でこの研究の売りは、1)ゲームを単純に早い反応を競う射撃ゲームと、3次元空間認識を磨いて攻略するナビゲーションゲーム(例えばスーパーマリオなどが使われている)を区別して調べている点、2)ゲーム歴のない学生に90時間ゲーム訓練を行い、反射を高めるゲーム、ナビゲーションゲームそれぞれの海馬への影響を見て、因果性を調べた点だ。実際のゲームの内容はスーパーマリオも含めてほとんど知らないので、間違ったイメージを抱いているかもしれないことを断った上で、結果をまとめると次のようになる。

1) まず週に6時間はゲームに興じる大学生をリクルートし、反射の速さを競うシューティングゲームのプレーヤーと、シューティングゲームは嫌いだが同じようにビデオゲームは週6時間以上プレーする大学生のMRI画像を比べると、シューティングゲーム群では記憶や空間学習に関わる海馬の灰白質(神経細胞体が存在する場所)が明らかに減少している。

2) 次にビデオゲームをほとんどしない学生を集め、半分にはシューティングゲーム、もう半分にはスーパーマリオのような3次元空間ナビゲーションゲームを90時間練習させてMRI検査を行うと、予想どおりシューティングゲームを訓練すると海馬の灰白質が低下するが、逆に空間ナビゲーションゲームの場合は海馬の灰白質が増大する。

3) シューティングゲームを訓練したグループは、感情に関わる扁桃体の灰白質は増大している。

結論としては、反射の速さを競うシューティングゲームに興じていると、確かに反射は訓練できるが、海馬の細胞が減少することは間違いがない。一方戦略を必要とするナビゲームは海馬を増大させるので、今後はシューティングゲームにも空間ナビの要素を加えたゲームを設計し、シューティングゲームの問題点を解決することが必要だと述べている。従って、ゲームは間違いなく脳の器質的変化をもたらす。

しかし、この論文を読んでいて、それまでゲームをしなかった学生が、お金をもらえるとはいえゲームの訓練を受け、その結果海馬の灰白質が減少したなら、かなり重大な介入実験と言える。人間の脳研究をどのように進めるのか、早急に議論が必要だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月10日:自閉症の音楽療法は効果がない?(8月8日号 米国医師会雑誌掲載論文)

2017年8月10日
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言語能力の低下、繰り返し行動、社会性の低下が自閉症の主要症状だが、これらは乳児期に能動的に様々な体験を求めようとする本能の低下が背景にあるように思える。事実、様々な研究で自閉症の人たちは、感情の受容や伝達が苦手なこと、すなわち失感情症を併発することが多いことが報告されている。またMRIを用いた研究からも感情に関わる島皮質の活動が自閉症では低下していることもわかっている。感情が私たちの行動を支配する最も重要な動機であることを考えると、これを回復させることは、自閉症治療の重要な課題の一つになる。

では、本当に自閉症の人たちは感情が低下しているのだろうか?一見失感情症のように見える自閉症の人たちが、しかし豊かな感情を持っていることが、音楽に対する様々な反応からわかってきた。音楽は人間特有の感情を伝達する手段の最高のものだが、自閉症の人たちが高い音楽能力を示すだけでなく、音楽に表現される感情をほぼ正常に理解していることも示されている。そこで、音楽をコミュニケーションのパイプとして使って、自閉症の人たちの社会性を高められないか、様々な音楽療法が開発され、効果があることが示されてきた。

しかしこれまでの研究のほとんどは観察研究で、一般的な治療法へと発展させるためには薬剤の治験と同じように、音楽療法の効果を確かめる必要があった。今日紹介するノルウェイを中心とする9カ国の国際チームからの論文は「即興音楽療法」と呼ばれる治療法の一つの効果を調べるための国際治験研究で8月8日号の米国医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Effects of improvisational music therapy vs enhanced standard care on symptome severity among children with autism spectrum disorder: The TIME A randomized clinical trial(自閉症スペクトラムの症状改善に対する即興音楽療法の効果:TIME-A無作為臨床治験)」だ。

   この研究では4−7歳の自閉症スペクトラムの子供を、セラピストとともに即興で楽器を演奏したり、歌ったり、ダンスしたりするセッションから構成される即興音楽療法を5ヶ月受けさせている。参加した384人を無作為に3群にわけ、182人は一般的ケアプログラムだけ、91人に強めの音楽療法、91人に弱めの音楽療法を一般ケアプログラムとともに受けてもらい、5ヶ月後に効果を調べている。

   判定は完全にブラインドで行い、医師はどのグループに属しているかを知らされていないという徹底した臨床治験だ。

   結果は残念ながら、音楽療法ほ効果は症状改善にほとんどつながらなかった。従って、ここで使われた即興音楽療法は一般的治療として認められないという結論になる。このような治療も費用が生じるので、やはり思いつきだけで広めていくわけにはいかない。

   しかし自閉症の人たちの音楽への感受性が高いなら、音楽療法自体が否定されたわけではないと思う。音楽が感情の伝達手段である限り、このつながりを使わない手はない。もっと自閉症の子供たちの音楽能力の科学的研究を推進し、そこから新しいプログラムを考案し、臨床治験で効果を確かめる、これを繰り返してほしいと思う。しかし、アメリカでは音楽療法のセラピストが7000人もおり、ヨーロッパでも6000人いる。この点では、我が国は後進国と言わざるをえないだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月9日:遺伝と環境を加味した新しい疾患分類法(Nautre Geneticsオンライン版掲載論文)

2017年8月9日
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病気に全くかからず一生を過ごす幸運な人もいるかもしれないが、普通は一生の間に様々な病気を経験する。私の約70年を振り返ると、おそらく他の人より多くの病気を経験したと思う。それぞれの病気には原因があり、それに応じて病気になる年齢も異なる。ではこの病気はどのように分類されているのか?

一般病理学では炎症、ガン、変性というように、病理組織の共通性で分類をしている。また微生物学では、何に感染するかが病気の分類になる。一方、診療部門ではどうしても臓器別、年齢別の分類が優先される。こう考えると疾病分類は簡単でないことがよくわかる。

   今日紹介するシカゴ大学からの論文は保険会社の持っているビッグデータを用いて、病気を頻度、遺伝性、環境要因の面から分析して分類できないか調べた研究でNature Geneticsのオンライン版に掲載された。タイトルは「Classification of common human disease derived from shared genetic and environmental determinants(遺伝と環境要因の共通性からみた一般的病気の分類)」だ。

   Nature Geneticsに論文を送ったのは著者らの選択だと思うが、Nature Geneticsに送ってしまって、本当は読んで欲しい多くの研究者の目に止まらないのではとまず思った。

   研究では医療保険会社が持っている疾患と会員のデータを使って、親子兄弟で同じ病気が起こる確率、同じ環境で暮らす夫婦で病気が起こる確率を計算し、統計学的に、疾患の頻度、家族性から計算される遺伝性、環境依存性などを計算しプロットしている。難しい病気でなければ、金を払う側の米国の保険会社の診断は性格だ。また、子供も25歳までは親と同じ保険でカバーされるので、家族内での病気の発生を正確に抽出できる。

   実際には4000万人分のデータから、約13万家族と、50万単身者を抜き出し、遺伝的一致率(遺伝)、環境を共有する夫婦での一致率(環境)、環境を共有する兄弟での一致率(遺伝+環境)に基づく数理モデルを作って、149種類の一般的な病気の遺伝要因、環境要因を算出している。

   膨大なデータで詳しく紹介する気は全くないが、遺伝要因では一番高いのは自閉症スペクトラムで、一番低いのが脂肪腫になり、一方環境要因が高いのは皮膚の腫瘍になる。一般的に多くの病気では遺伝的要素の方が環境要因より高い影響力があるが、例えば統合失調症のような神経系疾患では、環境要因と遺伝要因の寄与は同程度になる。 これを聞くと、統合失調症は最も遺伝性の高い病気ではなかったかと質問が来ると思うが、この研究は単純に遺伝性を調べているわけではない。個人的には、統合失調症でも脳のような複雑なシステムの病気に環境が大きく影響することは当然だと思う。

   この研究の面白さは遺伝と環境要因の寄与度を指標に病気の間の関係を知ることができる点だ。例えば偏頭痛は普通脳や脳血管の病気として分類されてしまうが、この方法で分類すると腸炎のような免疫疾患と関連が高い。あるいは、1型糖尿病と高血圧がよく似ていることになる。このような意外な結果こそ、将来面白い結果につながる可能性がある。

他にも、病気の発症年齢との関係など疾病分類を考える上で面白い話が満載だが、それぞれの興味を念頭に直接読んで欲しい。はっきり言って、意外性はあっても、「なるほどビッグデータも役にたつ」程度で終わる仕事だが、今後家族関係や環境要因がスマフォなどのデータを通してリンクされてくると、さらに精緻な環境と遺伝に基づく疾患分類法の開発につながるのではと期待している。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月8日:非アルコール性肝炎の新しい治療法の開発(8月3日JCI Insight掲載論文)

2017年8月8日
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生活習慣病に基づく肥満が進む過程で、肝臓に脂肪がたまる脂肪肝も進行するが、これを基盤に完全に理解できてはいないスウィッチが入り炎症細胞が浸潤し、線維化がおこると非アルコール性肝炎(NASH)と呼ばれる。わが国を始め世界中でNASHは増加しており、肝細胞死と線維化のサイクルが始まると、他の肝炎同様に肝ガンの発生まで進行してしまう重大な病気で、現在までこの病気に特異的な薬剤の開発はできていない。

これまでの研究で、NASHの原因の一つとして飽和脂肪酸蓄積による肝細胞死があると考えられ、この過程に関わるセリン/スレオニンリン酸化酵素mixed lineage kinase type 3(MLK3)ノックアウトマウスでは、NASHの進行を止めることがわかっていた。

今日紹介するメイヨークリニックからの論文は、MLK3阻害剤を開発してNASHの進行を止められないか調べた研究で8月3日号のJCI Insightに掲載されている。タイトルは「Mixed lineage kinase 3 pharmacoogical inhibition attenuates murine nonalcoholic steatohepatitis(MLK3を薬理的に阻害することでマウスの非アルコール性肝炎を抑えることができる)」だ。

このグループはNASHで肝細胞死が始まると炎症が起こり、この結果ケモカインの一つCXCL10が分泌されマクロファージを肝臓に集め、肝硬変へのサイクルが促進すると考えている。

研究ではMLK3阻害剤として選んだ経口投与可能なURMC099を、マウスに脂肪を投与してNASHを誘導する段階から与え、NASH抑制効果を調べている。結果をまとめると、
1) URMC099は脂肪代謝自身には影響がなく、また脂肪肝の発生にも影響がない。
2) URMC099は肝臓でMLK3とその下流の反応を抑制する。
3) URMC099はマクロファージの浸潤を中心に、炎症の発症を強く抑える。
4) その結果肝臓の線維化(肝硬変)も抑える。
5) URMC099はマクロファージ活性化を抑炎症誘導物質を抑えるとともに、肝細胞からのCXCL10ケモカインの分泌を抑える。
以上の結果をまとめると、URMC099は肝細胞死を防ぐとともに、CXCL10分泌を阻害しマクロファージの浸潤を止める。さらにマクロファージの活性化を止めて、炎症物質の分泌を阻害し、炎症を止める、といういいことずくめの結果だ。

メカニズムから考えると、発症後のNASHにも効く様に思えるが、今回の実験からは明らかでない。また、半年という長期投与を行って問題のないことを示しているが、これほど多様な作用を持つキナーゼの阻害に副作用がないとは思えない。今後より臨床に近い状態で調べることが重要だろう。

   しかしNASHに対する特異的治療法がないところで、肝細胞死から肝炎への過程についてのある程度信頼できるモデルができたのは大きい。今後ケモカイン阻害も含め、新たな治療可能性が生まれることを期待させる。
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8月7日:ミノアとミケーネ文明を支えた人たち(Natureオンライン版掲載論文)

2017年8月7日
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70歳近くになるとずいぶんたくさんのオペラを鑑賞することができたが、オペラを鑑賞するだけでヨーロッパ文化にいかにギリシャ文化が深く根を下ろしているか分かる。バロックオペラにギリシャの題材が多いのはわかるが、多くの題材があると思える19世紀以降でも例えばリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」「ダナエ」、あるいはベルリオーズの「トロヤの人々」など多くがギリシャを題材にしており、ストーリーについての素養のない私たちの鑑賞を阻む要因になっている。

さてこのギリシャ文明は、青銅器時代に栄えたクレタ島を中心とするミノア文明と、ギリシャ本土を中心とするミケーネ文明に由来すると言っていいだろう。両方共線文字を使いまた、ギリシャ神話のミノス王はミケーネ文化に由来するし、トロイの木馬のトロイや「エレクトラ」に出てくるアガムメノンが支配したミケーネはホメロスの叙事詩に書かれており、ホメロスの叙事詩を事実に基づくと確信したシュリーマンにより発見された。

線文字の使用などほぼ親戚とも言える2つの文明は、そのルーツとなるとまだよくわかっていない。今日紹介する米国ハーバード大学、ワシントン大学、そしてドイツ・ライプチヒのマックスプランク研究所からの共同論文は、このミノア、ミケーネの青銅時代の遺跡に残された人骨のゲノムを解析し、両者の関係、ルーツ、そして現代ギリシャ人との関係を調べた研究だ。

論文を読むと、すでにヨーロッパとその周辺で出土した様々な時代のゲノム解析が急速に進んでいることがよくわかる。これらの蓄積があって初めてこの研究も成立している。この周辺の民族と比べると、ミノア人とミケーネ人は極めてよく似ており、トルコ地方のアナトリア人を含め同じルーツのエーゲ・アナトリア青銅器文明とひとくくりにできる。

とはいえ、両者のゲノムは分離可能でもある。ミノア人は石器時代のアナトリア人に中東の民族が交雑して形成されている。一方、ミケーネの方は同じ土台に東欧やシベリアなど北方の民族との交流により形成されている。現代ギリシャ人は当然だが、ミケーネ人に近いが、さらに他の民族が交雑して形成されている。

もちろん、これはゲノム上の交雑の話で、実際にどのように交雑が進んだのかは今回の解析からは明らかになっていない。おそらくミノア、ミケーネ相互の交雑もあり、他の民族との持続的交流もある。稀にしか交流がなかったネアンデルタールと現代人のような単純な図式で決めることはできない。一つの文化が多様化したのか、あるいは多様な文化が合わさって共通文化ができたのかについてすら、まだまだ研究が必要だろう。その意味で、ゲノムと遺物解析を基盤とした全く新しい考古学が生まれるように思う。

文化的に重要なのは、今回解析されたミケーネ王族のゲノムは他のゲノムとほとんど同じで、国家の階層が同じ民族から形成されていたこともわかる。

考え出すと収拾がつかないのでここでやめるが、おそらく西欧思想のルーツとなる初期ギリシャの思想的多様性のルーツも、なんとなく理解できる日が来そうに思える。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月6日:食欲のコントロール:欲望と本能の境目(7月27日号Cell掲載論文

2017年8月6日
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健康人にとって、通常食欲は「欲」の一つで、食べ過ぎるのは意志が弱いからになってしまう。しかし、神経性食思不全のような病的な状態を見ていると、生まれついて持っている本能が抑えられているように見える。

特に光遺伝学が開発されてから、食欲の研究が加速している。このブログでも、視床下部のAgrpニューロンと食欲についての研究(http://aasj.jp/news/watch/3053)、扁桃体のニューロンと食欲についての研究(http://aasj.jp/news/watch/7010)を紹介してきたが、欲望と本能の境目を考える意味で大変面白いと個人的にも注目している分野だ。

   今日紹介するロックフェラー大学からの論文はこれらに加えて脳幹の縫線核と呼ばれる場所と食欲との関係を調べた研究で7月27日号のCellに掲載された。タイトルは「Identification of a brainstem circuit controlling feeding (摂食をコントロールする脳幹の回路の特定)」だ。

最近の脳研究の論文を見ていると、興味のある行動に関わる神経細胞を特定し、機能を調べるためのスタンダードが出来上がっていることがよくわかる。この研究ではこのスタンダードを全て行っている典型と言える。対象は食欲なので、食事を与えないマウスと、普通に与えたマウスの脳を取り出し、空腹時に興奮した神経細胞を神経刺激により発現するFosなどの転写因子を指標に特定している。その結果、脳幹の縫線核にシグナルが見られることを発見している。

縫線核には4種類の神経細胞が存在することが知られているが、ここはこれまでの経験に基づきGABAトランスポーターを発現する細胞(Vgat)とグルタメートトランスポーターを発現する細胞(Vglut3)に絞って調べると、Vgat神経が空腹時に、Vglut3神経が食べた後に興奮することを明らかにした。

はっきり言って、ここでシナリオはほぼ完成しており、あとは確認作業になる。例のごとく光遺伝学を用いて、Vgat, Vglut3神経を刺激、あるいは抑制し、Vgat神経刺激で食物摂取が上がること、逆に抑制で、空腹時でも食物摂取が起こらないことを確認する。逆に空腹後食事ができた時に興奮するVglut3神経の刺激は摂食を抑え、これを抑制すると摂食が高まる。さらに、空腹で興奮するVgatの刺激は、マウスの行動を抑えエネルギー消費を抑える一方、空腹が満たされて興奮するVglutの興奮はマウスの運動を促進する。そして、この間逆の作用を持つ2種類の神経細胞がシナプス形成をしており、VgatがVglut3を抑制する方向の回路を形成していることを明らかにしている。

脳の極めて限られた場所で2種類の逆の働きをする神経細胞が回路を形成し、空腹とそれが満たされたことを感知して、摂食を調節する本能を支えていることがよくわかる。

この回路の働きは例えば脂肪細胞から分泌されるレプチンが欠損して満腹できないため肥満が進むobマウスでも正常に働いているので、独立した摂食本能回路として抗肥満剤開発の標的にできるかもしれない。そう考えてそれぞれの神経から翻訳中のRNAを取り出し、分子発現の違いから薬剤を開発できる可能性を示している。残念ながら、これらの神経細胞だけに効く薬剤の開発まで入っていないし、またこの回路と他の欲望や節制をつなぐ回路についても手つかずのままで論文は終わっている。

今後、視床下部、扁桃体、縫線核同士の回路と、代謝センサー、そして前頭前皮質などとの回路が明らかになってくると、人間の本能と欲望の境についての研究が一段と進むと注目している。特に、フロイトのいう「口唇期」からの数ヶ月の研究が可能なら、面白い話になりそうだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月5日:転移癌の包括的遺伝子解析(Natureオンライン掲載論文)

2017年8月5日
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癌の進展で最も恐ろしいのは転移の発生だ。癌のステージも、リンパ節、他臓器への転移があるかどうかを基盤に決められている。

数年前までトップジャーナルを賑わせたガンのゲノム解析も最近は一巡して落ち着いていた印象があったが、そろそろ第二ラウンドとして、この恐ろしい転移についてゲノムから攻めた良い研究が見られるようになってきた。例えば1ヶ月前にこのブログで紹介した大腸癌のリンパ節転移と他臓器転移は異なる起源を持っている可能性を示す論文がその例だろう(http://aasj.jp/news/watch/7123)。

今日紹介するミシガン大学からの論文は転移病巣をバイオプシーで集めて、エクソームと発現RNAの解析を地道に行った研究だが、臨床で転移ガンの治療方針を立てる時の遺伝子解析の重要性を強調した研究でNatureにオンライン掲載されている。

研究では最終的に500例の転移巣について、120Xというかなり徹底したエクソーム解析と、転移巣の遺伝子発現を調べる目的でのRNA-seqを行っている。転移巣では平均6割の細胞がガン細胞で、残りは間質や浸潤細胞が占める。このおかげで、ガンだけの情報ではなく、ガンに対する情報も拾いだすことができる。ただこの研究ではリンパ節転移も、他臓器転移も同じように扱っており、解釈には注意が必要だと思う。

ガンのゲノム解析でまず調べるのが、ガン化に関わると考えられる突然変異で、うまくいくと変異分子を標的とした治療薬が見つかるかもしれない。残念ながらこの研究では、この点で新しい進展は得られず(ここまでガンゲノム研究が進むと当然の話だが)、これまで知られているドライバー変異、あるいはガン抑制遺伝子変異がリストされている。とはいえ、エクソーム検査はガン診療のイロハと言っていいだろう。

驚いたのは転移ガンの患者さんのなんと12%が、ガンに関わる遺伝子変異を生まれつき持っている点だ。特に、DNA修復に関わる遺伝子の突然変異が多い。もちろん変異は片方に止まっているが、両方の染色体で変異が重なる確率はグンと上昇し、その結果修復酵素が欠損して変異発生が促進し、転移が起こりやすくなる。ガンだけでなく、個人個人のゲノム検査でリスクを把握しておくことの重要性がよくわかる。転移が見つかってからでもこの点を調べる意味は大きいだろう

転移の過程で、染色体の大きな変化が起こり、遺伝子同士が合体する融合遺伝子が生まれる確率が上がる。この研究では、RNA-seqにより遺伝子発現を調べることで、融合遺伝子の性質を特定できる可能性が高いことを示唆している。他にも、転移ガンでは元のガンの性質は残しているが、元の性質がだんだん薄まって、期限のわかりにくい細胞へと変化していることも示している。今後、リンパ節と他臓器変異に分けてさらに分類することは重要だろう。残念ながらこれらの検査ですぐに新しい治療方針を出せるかは疑問だ。

この研究の最大のハイライトは遺伝子発現検査により、ガンだけでなく、ガンの周りの免疫反応がかなり正確に把握できる点で、エクソームで変異数が多く、またDNA修復異常が特定され、その上でガンのPD-L1やHLAの発現が高く、キラーT細胞の反応が確かめられる患者さんでは、チェックポイント治療の効果が期待されることが明らかになっている。さらに、ケースによっては反応するT細胞の抗原受容体まで調べることができている。

バイオプシーからこれだけ多くの情報が得られることを示した地道な研究で、転移ガンの治療に今後大きな指針になるように思う。
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8月4日:酒を飲めばボケずに長生きする:こんな論文を待っていた(8月号Journal of Alzheimer’s Disease 掲載論文)

2017年8月4日
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体に悪いからと酒を控えようとは思わない。若いときのように、浴びるほど飲むことはまずないが、酒のない夕食は考えられない。しかし、頭のどこかで酒は控えたほうがいいのではと囁く声も聞こえる。医学者というのは因果な商売で、何とか酒好きを正当化する論文を探してこの声を打ち消そうとする。そんなわけでこのブログでも、酒を飲んだほうが体にいいという論文を紹介してきた(http://aasj.jp/news/watch/4896)。
   しかし、今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、酒を飲んだほうがボケずに長生きできるという酒好きにとっては極めつきの研究で、同じ酒好きのみなさんのために是非紹介しようと思った。タイトルは「Alcohol intake and cognitively healthy longevity in community dwelling adults: The Rancho Bernardo Study(地域社会で暮らす人にとって、アルコール摂取は認知機能を維持した長生きをもたらす:The Rancho Bernard研究)」だ。
   研究はサンディエゴの近くのRancho Bernardoに住む成人を対象に1972年以来進めれらているコホート研究で、認知機能を始め様々なテスト項目を定期的に検査している。
   この集団の中で85歳になって認知機能を調べることができた1344名についてアルコール摂取との相関を調べている。アルコール摂取量についてはビール、ワイン、スピリッツなど詳しく分類して計算し、moderate, heavy, excessiveに分類している。この地域ではほとんどの人がアルコールと共に生きているようで、全く飲まない人は28人だけで、前回紹介した半分の人が酒を飲まないというノルウェーとは大違いだ。
   いろいろ調べているが詳細は全て省いて最も気になる点、85歳までボケずに生きることができるかについて見てみると、補正操作にかかわらずheavyと分類されたひとたちのオッズ比が2以上で優位に高い。Excessiveに飲む人ですら喫煙を補正すると2を越すという結果だ。
   量とは別に、どの程度頻回に飲んでいるかを調べても、例えば全く飲まない人を対照にして計算すると(補正なしのデータを示す)、1ヶ月に2回程度の人は1.92、週一回程度の人が1.79、毎日飲む人が2.3と飲んだほうがオッズ比が高い。他にも様々な補正をしているが、結果は変わらない。
   まさにこのような論文が出るのを待っていた。とは言え、これを紹介して若者に酒を飲むべきだなどと主張する気にはならない。環境のいい郊外で暮らしている人が対象で、都会の集合住宅で暮らす私に当てはまるかどうかわからない。結局、酒の習慣を単純な枠にはめて考えるのが間違っている。確かに頭の中で「飲み過ぎるな」と囁く声を黙らせるにはいい話だと思うが、逆の結果でも晩酌は欠かせない。    
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8月3日:ヌクレオソームを電子顕微鏡で見る(7月28日号Science掲載論文)

2017年8月3日
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亡くなった月田さんを含めて、私も生粋の形態学者の方々と交流を持ったが、一般の研究者が十分納得していることでも、この人たちにとっては物が見えない限り、理解したことにはならない。この見えないと違和感を持つという精神性から多くの発見が生まれたことは間違いない。
   この点では私も一般の科学者になり、例えばこのブログで紹介したゲノムの構造化の話も、Hi-Cのような方法から計算される極めて抽象的な結果に基づいて話をし、また十分納得してしまっている。しかし、生粋の形態学者にとっては見えない限りそう簡単に信じられないようだ。
   今日紹介する米国・ソーク研究所からの論文はDNAが巻きついているヒストン複合体の一個一個を全て可視化して染色体の構造を見るための方法の開発研究で7月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「ChromEMT: Visualizing 3D chromatin structure and compaction in interphase and mitotic cells(ChromET:間期と分裂期の細胞の3D構造とコンパクションを可視化する)」だ。
   クロマチンを可視化したいならヒストンを染めればいいのではと思ってしまうが、この場合分子量の大きな抗体を使うことになり、ヒストン複合体そのものを可視化する目的には合わない。
   この研究では、様々な蛍光化合物の中からDNAに結合し蛍光を発するとともに光に反応して活性酸素を生産し、その結果酵素染色に用いられる基質DABの沈殿を周りに合成する化合物DRAQ5を特定している。DABの沈殿はDNAが巻きついているヒストン複合体にも及ぶため、これをオスミウムで染色することで、電子顕微鏡で高解像度でヌクレオソームが可視化できるという原理だ。
   DRAQ5の開発がこの研究の全てと言っていいだろう。あとは、様々な細胞を用いてヌクレオソームがどう見えるのか、電子の照射軸を8段階に変化させるトモグラフィー電子顕微鏡を用いて3D画像を合成し、詳しく検討している。ただ、形態学の素養のない私にとっては、TADのような抽象的指標と対応させないとなかなか理解し難い点が多かった。
   それでも、一つのヌクレオソームの大きさが5nm-24nmまで結構多様なサイズであるのは面白い。すなわち巻き付き方が一様でないのだろう。また、タイトなクロマチン構造を持つ場所はたしかにヌクレオソームの密度が高く、小さなヌクレオソームが増えていることも示されている。
   他にも、分裂期では染色体全体がDNAとは無関係の足場を使って構造化されており、微小管との関係も可視化できる点など、私でも理解できた。
   いずれにせよ、次は形態学と抽象的な学問との連携が目指されるだろう。月田さんのように両方兼ね備えた研究者もいるが、やはり両方がもっと交流を深めて、ゲノムの構造化の原理を解明して欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ