1月12日:古寄生虫学(Parasitologyオンライン版掲載総説)
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1月12日:古寄生虫学(Parasitologyオンライン版掲載総説)

2016年1月12日
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歴史を病気の観点から眺めることで、新しい解釈が可能になる。この点では清潔好きで有名なローマ帝国は、その優れた公衆衛生政策で世界制覇を成し遂げたと考えられている。例えば、安全な飲み水を確保するための水道、床暖房、浴場、下水道、そして水洗便所などがローマ帝国拡大とともに各都市に広がったとすると、十分うなずける。私が無知だからかもしれないが、確かにローマ帝国の疫病の話はあまり聞いたことがない。今日紹介するケンブリッジ大学の考古学者ミッチェルさんの総説は、疫病ではなく、寄生虫の話で、ローマの衛生施設は人々を寄生虫から守っていたかどうかを考察している。タイトルは「Human parasites in the Roman World: health consequences of conquering an empire (ローマ世界の寄生虫感染:帝国に広がる寄生虫の健康被害)」だ。タイトルからも分かる通り、ローマ帝国も寄生虫には手こずっていたことを考証した、楽しめる総説だ。   まず古代の寄生虫の広がりをどう調べるのか詳しく述べている。細菌とちがって、まず寄生虫の場合卵、場合によっては寄生虫自体も残っている。これからゲノムを調べて種を同定することも行われているようだ。詳細は省くが、要するに最新のテクノロジーを使ってどの寄生虫が存在したかの研究が行われている。驚くことに、安定なたんぱく質を使ったELISA法まで動員されている。考古学が考えているだけの学問でないことがよくわかった。   次に、ローマ帝国以前とローマ帝国を比べ、寄生虫感染が減少したかどうかを検証している。驚くのは新石器時代ぐらいまでだとヒトに感染した寄生虫が発見されていることだ。論文リストも添えられているが、実際多くの論文が書かれている。問題の結論だが、遺物にみられる寄生虫の広がりから考えると、ローマ帝国に入って間違いなく寄生虫感染は増えている。   もちろん不潔な暗黒の中世と比べると、同じ都市でもローマの方がずっとましだ。従って、全く衛生施設が役に立たないというわけではないが、しかし現代並みの施設でなぜ寄生虫が増えたのかは確かに面白い課題だ。   ではローマではどのような寄生虫が存在したのか。結論としては、ジストマを除くほとんどの寄生虫、回虫、条虫、鞭虫、蟯虫、吸虫とほとんどが発見されている。さらに、ノミやシラミも退治できていなかったようだ。例えば片方の歯が密になっているクシはシラミを取るため考案されたようだ。   最後に、なぜローマの衛生施設は寄生虫に無力だったのか考察している。まず、水洗便所の汚物も集められ、一部は発酵させずに肥料に利用されていたようだ。そのため、経口感染する回虫などの感染を防ぐことは難しかったようだ。面白いのはローマ人には魚を食べて感染する裂頭条虫が広く蔓延していた。生の魚を食べる習慣が原因とも考えられるが、ローマ人が愛した魚醤が原因ではないかと考察している。実際我が家にもコラトゥーラが一本あるが、これが原因とは恐ろしい。他にもミイラに発見された本来は動物に感染する吸虫の話など面白い話が満載だが、寄生虫を追求することでペットとの関係まで理解できるのは素晴らしい。   最後にサナダ虫の話も出てくる。ただ、ローマ人はサナダ虫は自然に体の中で湧いてくるとして(と、ガレヌスが書いているようだ)気にしていなかったらしい。確かに、腸の中で自然発生すると考えれば、防ぎようがないと諦められる。そして、医学自体もヒポクラテスの体液説に基づく治療が中心だったようで、漢方で使われた海人藻やマクニンのような海藻由来の薬物はなかったようで、寄生虫には太刀打ちできそうもない。しかし、余談になるが、海人藻やマクニンは私の小学時代は学校で飲まされた。その後回虫などが無くなったのは水洗便所かと思っていたが、水洗のローマで蔓延していたのなら、結局は農業に人工肥料しか使わなくなったためだろう。  歴史読み物としても面白いが、実際には今の疾病構造を考える意味でも重要なヒントがあると思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月11日:網膜内での光刺激の一次処理(Nature オンライン版掲載論文)

2016年1月11日
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  「網膜で光を感じる時、視細胞への光刺激が神経パルスに変えられ、双極細胞を経由して網膜表面にびっしりと並んだ網膜ガングリオン細胞(RGC)に伝わり、これが脳内の一次視覚野に投射される。」と習ってはいるものの、今日紹介するドイツ・チュービンゲン大学からの論文を読むまで、私自身網膜は結局感覚器で、RGCの刺激を脳に伝える電線のように捉えてしまっていた。この論文を読んで、網膜は立派な情報処理機構を備えた中枢神経システムであることがよく理解できた。専門外とはいえ、肝心な基礎知識が欠落していたことを思うと冷や汗が出る。
   論文のタイトルは「The functional diversity of retinal ganglion cells in the mouse (マウス網膜のガングリオン細胞の機能的多様性)」だ。この論文を読むとよく理解できるが、視細胞、双極細胞とつないできたシグナルは、一度このRGCで処理されて視覚野に送られる。この処理は、視覚情報の異なる要素(例えば色、on/off、動き等に対する異なる反応特性を持つRGCを別々に用意しておくことで行われるのではと考えられてきた。この研究では実際何種類の異なる処理機能を持つRGCが必要かを調べ、少なくとも32種類の別々の機能を持つRGCが特定できることを示している。
  この研究では、カルシウムセンサーで個別の神経の興奮を記録できるようにした網膜を生きたまま切り出して培養し、顕微鏡の視野内の全てのRGCの様々な刺激に対する興奮を記録している。刺激として、全視野に対する光のオンオフ、色、光の動き、バイナリーノイズを加え、それぞれにどう反応するかを全て記録して、機能的特性を分類する。その後で、組織染色等でそれぞれのRGCの細胞学的特性を調べ、機能と形態の関係が対応できるようにした研究だ。実に1万を超す細胞を記録した労作だが、ビッグデータをまとめて扱うことができれば特に難しい方法ではないだろう。それでも、1万もの細胞を調べつくすというのは大変で、この労を厭わない積み重ねがこの論文の売りと言える。
  詳細は全て省くが、結論はRGCをそれぞれの刺激に対する反応が異なる32種類に分類でき(おそらくそれ以上の機能的多様性がある)、機能と細胞学的特性を一定程度関連させることができるという結果だ。また、それぞれの機能を持つ細胞の比率、一つの刺激に対して連携して異なるシグナルを出す細胞のセットも同定できる。すなわち、一つの光刺激に存在する異なる要素が、統合された別々の神経興奮として複数のチャンネルに分解されていることもわかる。一部の分子マーカーについては実験も行っているが、細胞の分子発現と機能が相関させられると、今度は特定のRGCだけを操作して刺激に対する反応を調べることが可能になることも示している。今後32種類の細胞一つ一つについて検討が行われるだろう。   読んでいて、この労作は研究の終わりでも、中間報告でもなく、さらに大変な今後の研究の入り口でしかないことがわかる。実際には、視細胞の興奮、双極細胞の興奮、RGCとの結合など、全てを同時に、しかも区別して記録するまで研究は進むだろう。感覚は極めて主観的なものだが、このような研究の積み重ねが、主観と客観の超えがたい区別を切り崩していくのだろう。そんな難しいことを考えなくとも、おそらく、コンピューターの画像認識を研究している人たちは想像力をかきたてられていることだろう。アップルコンピュータは自社のディスプレーをレティナと名付けているが、網膜の素晴らしさを考えると、到底レティナには到達できていないと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月10日:miRNAによるガン治療の新展開(Nature Material オンライン版掲載論文)

2016年1月10日
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  研究者は誰でも、いい仕事が完成すればこの雑誌に投稿したいという雑誌があり、実際に論文を読む時も、そのような雑誌から読み始める。即ち、どの雑誌を読み、どの雑誌に投稿するかで、それぞれの分野が決まってしまう。こうなると、なかなか全体を俯瞰的に見渡すということは難しくなる。このため、いろんなミーティングに出て、違った専門の人と付き合い、耳学問に頼るようになる。ただ、現役を完全に退くと、耳学問はできなくなる。幸い時間は生まれるので、生命科学全体を俯瞰的に見て様々なアドバイスができるよう、現役を退いてからはできるだけ広い範囲の論文を読むようにしている。とはいえ、メージャーな雑誌は直接目を通すが、臨床基礎を問わず分野の専門誌の一冊一冊まで当たるのは難しい。たとえNature XXXとブランドネームが付いていても、さすがにNature Materialsまで目を通していては、やりたいことも出来なくなり全ての公職を退いた意味がなくなる。
  これを補ってくれるのが私の場合ScienceNewsline(http://www.sciencenewsline.com)というウェッブサイトで、医学、生物学から物理学まで、各セクション1日40−50程度の論文が紹介されてくる。これに目を通すことで、ほとんど手に取ることのない極めて専門性の高い論文をキャッチすることができる。このおかげで、1日50−70編程度のタイトルに目を通し、5−10編をある程度詳しく読み、1編を紹介する仕事もだいたい3時間あれば十分で、自分のやりたいことにゆっくり取り組む時間は十分ある。面白いことに、このタイトルに目を通す時、特に惹きつけられるのは、いわゆる「ピンとこない」タイトルが多い。
   今日紹介するマサチューセッツ工科大学がNature Materialに発表した論文のタイトル「Self-assembled RNA triple helix hydrogel scaffold for microRNA modulation in the tumor microenvironment (ガン周囲のマイクロRNAによるガン抑制のための自己集合性RNA3重鎖とハイドロゲル基質)」もその類だ。まずNature MaterialでもマイクロRNAの研究があるのかと目を留めるが、あとは日本語にしてもわかりにくい。ただ読み進むと、ガン生物学、細胞生物学、核酸科学、材料学などが統合されたしっかりした仕事であることがわかる。
  マイクロRNAを使ってガンを制圧する試みは数多くあるが、分解されやすいRNAをどうガンに取り込ませるかが一番難しい課題になっている。この研究では、乳がんの増殖を抑制することがわかっているmiR205とそのアンチセンス鎖、そして腫瘍の増殖を助けるmiR-221を阻害する一本鎖RNAを混合する時に自発的に形成される3重鎖RNAを、まずデンドロマート呼ばれるマトリックスに吸着させ、さらにデキストランを加えた巨大複合体を形成させると、ほぼ100%の細胞に取り込まれて、計画した通りに細胞内で効果を発揮できることを示している。この研究では、材料科学だけでなく、こうして作った3重鎖が細胞内の処理機構に認識され、マイクロRNAができること。あるいは、細胞への取り込みが、デンドリマーが通常取り込まれるエンドサイトーシスではなく、RNAが吸着することでピノサイトーシスに変わることなど、しっかりとした細胞生物学的検討が行われている。広い範囲の分野をしっかりこなした力作だ。  
  最後にマウスに移植した乳がんモデルで、移植したガンの周りにこのゲルを挿入することで、乳がんの増殖が著明に抑制できると結論している。生存曲線を見ていると、RNAが組織からなくなると急にガンが再発するようで、完全に殺すのは難しそうだが、価格が安ければなかなか有望な治療になるように思える。ガンだけでなく、特に試験管内でマイクロRNAを使う仕事にとって、かなり有力な武器になるのではないだろうか。  しかし、まず読むことのないNature Materialに隠れたいい論文に出会えるのもScienceNewsLineのおかげだ。年初にあたって感謝したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月9日:木を見て森を見ず:大事なのは木か森か?(1月6日号British Medical Journal掲載意見論文)

2016年1月9日
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  木を見て森を見ずというが、おそらくこれは一本一本の木について注意を払わなくてもいいという意味ではなく、個別にとらわれると全体を見失う心配があることを諭す警句だろう。しかし、この問題は医学にとって永遠の問題になっている。即ち、個別の症例や経験を大事にすることと、多くの対象を統計的に扱う疫学研究はともすると反目し合う。例を挙げると、一部の患者さんに高い効果を示す薬も、統計学的に生存期間を比べると効果がほとんど見られない場合も多い。
  今日紹介するOregon Health and Science UniversityとIcahn School of Medicine at Mt Sinaiの医師とジャーナリストが共同で出した意見論文は、少し異なる個別と全体の問題を問うた論文で、1月6日号のBritish Medical Journalに掲載された。タイトルは「Why cancer screening has never been shown to “save lives” – and what we can do about it(どうしてガン集団検診は未だかって生命を救ったという証拠がないのか、これに対して私たちは何ができるか)」だ。
  しかし挑発的なタイトルだ。Wakefield論文の告発やタミルフ治験研究の告発からわかるようにBritish Medical Journalは反骨精神旺盛の雑誌で、常識と思われることに挑戦する論文や意見を大事にする編集方針を持っているようだ。私自身が集団検診についての論文を読むとき、肺ガンの集団検診だと、肺ガンの死亡率がどれだけ減ったのかに注目しても、他の原因で死亡したケースは頭の中から除外して考えるのが普通だ。しかしこの論文は、ガン検診でそのガンの死亡率が減少しても、その減少が全体の死亡率に影響しないと意味がないのと考えた。そこで、これまで発表されたガン集団検診の効果を調べた論文を、ガンの発見率や、ガンによる死亡率だけでなく、それ以外の病気も含めた死亡率全体を減少させる効果の観点から再検討している。
  結果はタイトルにあるとおりで、確かにガンの集団検診は、対象となるガンの死亡率を下げる効果があるが、参加者全体の死亡率には全く影響ないか、逆に増えている場合がある。なぜ対象となったガンの死亡率は減っているのに、全体の死亡率は減らないのか?これはガンの死亡率が減った分だけ、他の病気の死亡率が増えていることを意味している。即ち、検診を受けることが、健康に逆効果になっているのではと疑問を投げかけている。
  具体的には、検診で陽性と出ても偽陽性で、実際にはガンは発見できないことは多いが、このときの精密検査による事故、あるいは心配することでストレスが高まり他の疾患を併発してしまうこと、最悪の場合は自殺に至る場合もあると指摘している。
  もし本当に全体の死亡率がガン検診で減少していないなら、確かに真剣に考える必要がある警告だ。この問題を決着させるために、著者らは400万人規模の研究を国が行い、方針をはっきり定めるべきだとしている。同じ研究を検診大国日本で行えるかどうかわからない。ただ、これまでの検診についての論文を再検討してみることはできるだろう。是非調べて欲しいと思う。
  さて、この論文を知った上で、自分はどう判断するかだが、ガンの発見率が確実に高いなら、やはり来年も人間ドックに行こうと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月8日:自由意志とリベットの実験(12月14日号米国アカデミー紀要掲載論文)

2016年1月8日
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2004年の京都賞。思想・芸術部門はドイツのユルゲン・ハーバーマスが受賞した。京都賞では授賞式に合せて講演会やワークショップが行われる。このワークショップにハーバーマスから生命科学者も参加させて欲しいという要望があったらしく、選考委員長だった三島憲一さんから参加を依頼された。学生時代読んだ「イデオロギーとしての技術と科学」には感銘を受けていたので握手できるだけでも十分とお承けした。この本が印象深かったので、最初科学技術についてのテーマかなと思っていたが、後にハーバーマスが選んだタイトルが「自由と決定論—自由意思は幻想か?」で、その中でリベットの実験についても議論したいということで科学者の参加を希望したことがわかった。だとすると、脳科学者の出番で、自分の出る幕ではないと思ったが、もう後の祭り。「イデオロギーとしての生命科学」というタイトルでなんとか話をしたが、冷や汗をかいた。しかし、「自分の意思で行動しようと決心する前から脳の中では準備が始まっている」とするリベットの実験が、哲学の人にもこれほど真剣に捉えられていることは新鮮な驚きだった。今日紹介するドイツシャリテ医大からの論文はやはりリベットの実験を下敷きにした研究で、ドイツでこのテーマが重視されていることがわかる。タイトルは「The point of no return in vetoing self-initiated movements (自由意志で始めた行動を中断できる分岐点)」だ。
リベットの実験は、客観的記録として脳電位を測定する間に、被験者に手をあげさせ、手を動かそうと思いついた時にボタンを押してもらい、主観的行動の開始時点を決めるというプロトコルで行われる。行動を起こす決心をしてボタンを押した0.3秒前から脳で準備電位が記録できるという結果から、自由意志より先に脳が動くと大騒ぎになった。その後も、この実験自体は追試されてきたようで、実験自体は正しいと考えられている。
  この研究では自分の意思に先行しておこる準備電位が発生すると、もう行動まで後戻りできないのか、あるいは準備電位が発生した後も自分の意志でその行動を止められるかという実験を行っている。実験では、開始のシグナルの後、2−3秒待ってから好きな時にボタンを押してもらう。この時脳波を記録すると、ボタンを押すより0.5秒前から準備電位を記録することができる。次に、この時赤のランプを見るとボタンを押すのをやめるよう訓練する。そして、この赤のランプを、準備電位の記録とシンクロさせて点灯させるようにして、準備電位が始まって彼でもボタンを押す行動を止められるか調べている。準備電位を記録するということは、行動が決断されたことを示しており、もし準備電位が行動を完全に決めるなら赤ランプを見ても行動は止められないはずだ。一方、準備電位とシンクロした赤ランプを見てボタンを押すのを止めることができれば、準備電位は行動を完全に決めてはいないと結論できる。詳細は全て省くが、結果は準備電位が記録されてすぐに赤ランプが点灯すれば行動を止めることができるようだ。
  リベットの実験と同じで、様々な解釈ができる結果で、最初の実験から30年以上たった今もドイツでは喧々諤々議論されているのかもしれない。ただ、主観と客観の2元論の克服が21世紀の課題の一つだとすると、この実験系も捨てたものではない。
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1月7日:発がんの遺伝性を調べるコホート研究に見るヨーロッパ医学の伝統(1月5日発行アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2016年1月7日
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「親戚にガンにかかった人が多いので、私にはガン体質がある」という話をしばしば聞く。個人ゲノムの解読が進むことで、このガン体質の本体が徐々に明らかになっているが、実際に各個人のゲノムが発がんにどの程度寄与しているのかを調べるためには、ガンの発生率を近親者間で比べる必要がある。このような研究の究極が双子研究で、ゲノムがほぼ一致している一卵性双生児から、2卵性同性、2卵性異性と順番に遺伝的違いが大きくなる。さらに都合のいいことに、双生児の多くは同じ環境で育てられ、環境要因を揃えて計算することができる。ただ難点は、十分な母数を得ることで、多くの国が大規模な双生児のコホート集団を設定している。
  今日紹介するハーバード大学からの論文は北欧4カ国の双生児コホート集団を用いてガンの発生率を調べた研究で、1月5日発行のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Familial risk and heritability of cancer among twins in Nordic countries (北欧諸国の双生児のガン発生の遺伝的リスクと遺伝性)」だ。世界各国で双生児コホート研究は続けられており、同じような研究はこれまでも行われてきたはずだ。ただ、今回の研究の驚くべき点は、なんと1870年から双生児の正確な登録が存在し追跡できることだ。この研究で使われた記録は、デンマーク1870年、フィンランド1875年、スウェーデンで1886年、そしてノルウェーでは1915年から記載が始まっている。1868年が明治元年だから、明治時代から正確な出生記録が残っていることになる。更に重要なのは、この4カ国で正確なガン登録が行われてきたことで、この2種類のデータがセットになって初めて、この研究が可能になっている。ようやく全国的ガン登録が始まった我が国を考えると、ヨーロッパと我が国の近代に対する考えの大きなギャップを知ることができる。いずれにせよこの整備された登録のおかげで、北欧4カ国で一卵性双生児8万組、2卵生双生児(同性)12万組を追跡することが可能になっている。
  結果はこれまでと同じで、ガン体質は確かにあるという結論だ。生涯をとおしてガンにかかる率は北欧で32%だが、片方がガンにかかった双生児の場合は2卵生で37%、一卵性で46%と高くなる。同じガンにかかる率は、ガンによってまちまちで、双生児間で一致率がはっきり高い、頻度の高いガンは前立腺がん、乳がんで、肺がん、皮膚ガン、直腸癌などは遺伝性は認めるが弱いという結果になっている。頻度の低いガンの中で睾丸腫瘍と悪性黒色腫は特に双生児の一致率が高い。一方、同じ環境で育った双生児については環境要因を計算することが可能で、予想通り肺ガンでの環境の寄与は大きいという結果だ。
  全ての北欧諸国が同じかどうかわからないが、スウェーデンでは拒否を前もって表明しない限り、死後の組織を医療や研究に利用できるようになっている。とすると、今後ゲノムも含めさらに詳しい検討が行われるだろう。21世紀、様々なレベルの人間についての情報を統合する試みが進むと考えられ、その意味でコホート研究はゲノム研究とセットになると思っている。この時、人間を記録するコホート研究についてのヨーロッパの長い伝統は大きな財産になるだろう。事実、医療統計学の母はナイチンゲール、父はケトレー(ケトレー指数:BMIの提唱)だと私は思っているが、ナイチンゲールが統計学を駆使したクリミア戦争は1854年、ケトレーの有名な著作が1835年の話だ。コホート研究を目にすると、この伝統を思い起こさざるをえない。
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1月6日CRISPR/Cas9を用いた筋ジストロフィーの遺伝子治療(Scienceオンライン版掲載論文)

2016年1月6日
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昨年のノーベル賞はCRISPR/Cas9を用いた遺伝子編集法の開発に与えられるのではと予言し外れたが、今年も同じ予言を続ける。それほどこのテクノロジーは生命科学全領域に広がっている。最も期待されている分野が遺伝子治療分野への応用で、この方法のおかげで患者さん自身の遺伝子の機能を回復させる治療がより現実に近くなった。これを裏付けるように、今年最初にScienceにアップデートされてきた論文の中に、筋ジストロフィーモデルマウスを、CRISPR/Cas9を用いて治療することが可能であることを示す論文が2編見つかった。一編はデューク大学、もう一編はハーバード大学からの論文だ。両方共ほぼ同じ内容なので、ここではデユーク大学からの論文だけを紹介しておく。タイトルは「In vivo genome editing improves muscle function in a mouse model of Duchenne muscular dystrophy (デュシャンヌ型筋ジストロフィー・モデルマウスの筋肉機能を遺伝子編集を用いて改善する)」だ。筋ジストロフィーはX染色体にあるディストロフィン遺伝子の突然変異で、正常なたんぱく質が形成されないために、筋肉細胞が進行的に変性する。ディストロフィンは巨大な分子で79個のエクソンからなる遺伝子によってコードされている。ほとんどの患者さんは男性で(伴性遺伝)、新生児期から遺伝子診断が可能で、突然変異を持つX染色体が1本しかないため、遺伝子編集技術を使う格好の対象だ。さらに多くの突然変異でたんぱく質の翻訳が途中で止まって機能のない分子ができるが、変異のあるエクソン自体を完全に取り除いた遺伝子からできるディストロフィンも機能を持っていることがわかっている。すなわち、分子の場所によっては少々欠損しても問題ない。この論文では、マウスディストロフィンの23番目のエクソンに突然変異を持つモデルマウスを用いて、この23番目のエクソンを全て切り出してしまって治療が可能かが検討している。研究では、CRISPR/Cas9と22、23番目のイントロン配列に対応する2種類のガイドRNAを別々のアデノウイルスベクターに組み込んで、この混合物を局所、腹腔、静脈ルートに注射し、どのぐらいの効率で機能的遺伝子を復活させられるかを調べている。結果は明快で、うまくいくと60%以上の筋肉細胞の遺伝子の機能を回復させられる。特に、新生児期に腹腔注射することで、生命に関わる横隔膜筋のジストロフィン機能を回復させられるし、静脈注射で心臓のディストロフィンも回復できる。さらにハーバード大学からの論文では、筋肉の自己再生に関わる筋肉幹細胞もこの方法でディストロフィンの機能を回復させることができ、長期にわたって筋肉機能回復が期待できることも示されている。予想されていたとはいえ画期的な結果だと思う。   エクソンを除くという今回の方法で治療可能な筋ジストロフィーは50%以上に達すると考えられ、臨床応用が加速すること間違いない。次は、突然変異を完全に元に戻す方法の開発が進むだろう。生殖細胞改変については議論の多いこの技術だが、多くの患者さんを救う技術であることも明らかだ。期待して見守ろう。
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1月5日:データベースを駆使してゲノムと脳機能を相関させる(12月20日号Nature Neuroscience掲載論文)

2016年1月5日
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昨日は細胞のアイデンティティーを決めるゲノム、エピゲノム、染色体構造という異なるレベルの情報を相関させる研究を紹介した。このように、生命を支える異なるレベルの情報を統合する試みが生命科学研究の一つのトレンドになっている。しかし、ヒトの高次脳機能となると、さらに刻々入ってくる刺激により連続的に変化する脳回路の活動状態という情報を重ねる必要がある。昨日の論文はワクワクして読んだと言ったが、脳回路まで重ねる研究となると、まだハラハラ心配しながら読まざるをえない。それでも、急速に整備が進む脳の遺伝子発現やエピゲノムデータベース、正常から異常まで横断的に集めた膨大なゲノムデータベースを駆使して、この難題にチャレンジする研究が増えてきている。
  今日紹介するロンドンのインペリアルカレッジとデユーク大学シンガポール分校からの論文はこのトレンドの典型と言える。タイトルは「Systems genetics identifies a convergent gene network for cognition and neurodevelopmental disease (システム遺伝学によって認知と神経発生異常の遺伝子ネットワークを特定する)」だ。この研究でも、既存の多くのデータベースを利用している。この時、データベースを横断的に利用するための新しいアイデアやソフトがない場合は、「場代」として自分のデータを足す必要がある。このグループは、癲癇の外科的治療の際に切除した122人の海馬の遺伝子発現データを自らの「場代」として提供し、この新しいデータと、これまでのデータベースの比較を重ねて、認知機能や脳発生に関わる重要な遺伝子を発見しようとしている。
  海馬の遺伝子発現データを処理する手法は新しいというわけではなく、相互に関連しあう遺伝子モジュールを特定するソフトを用いている。これにより、24のモジュールを特定した後、死後脳の海馬の遺伝子発現、マウス海馬の遺伝子発現とも共通する2種類のモジュールを海馬を代表するとして選んでいる。このモジュールに含まれる個々の遺伝子の機能分類をした後、ヒトの脳発生での遺伝子発現データベースと照らし合わせて、このモジュールが海馬ではなく、大脳皮質全体を代表するモジュールで、発生過程で発現が上昇することを確かめている。次に、様々な認知異常についてのゲノムデータベースと照合して、抽出した二つのモジュールが確かに認知異常と関連する遺伝子と相関することを示し、最後に統合失調症、自閉症スペクトラム、脳発生異常、精神遅滞などと明確に関わることがわかっている親子ゲノム解析に基づく一塩基突然変異データベースと照合して、一つのモジュールが、このデータベースで特定された遺伝子を多く含むことを示している。その上で、新しく集めたデータが、脳機能の理解に重要であると結論している。このように大きなデータを扱う時は、注意しないと自分の仮説にあったデータだけを抽出して示してしまう心配がある。実際読んでいて、彼らが特定したモジュールの正当性を示そうと努力しているだけに思え、では認知に関わる回路とは、遺伝子とは何か、について新しい理解が得られるような気がしない。それでも苦しい挑戦をなんとか続けるうちに、問題が見えてくることもある。今述べたような批判を物ともせず、我が国からも、膨大な脳発生や機能に関するデータベースを駆使して、自説を検証する大胆な若者がもっと出てきてほしいと思っている。
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1月4日:ゲノムの3D構造が明らかになっていく(12月17日号Cell掲載論文)

2016年1月4日
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  お正月に入って、新しい論文がアップデートされるスピードが落ちている。したがって、昨年暮れにためておいた論文を一編づつ紹介している。この中でもっともワクワクして読んだのが今日紹介するアメリカジャクソン研究所を中心とした中国、ポーランド、ベルギー、フランスの共同論文で、昨年暮にCellに掲載された。共同研究と言っても、実際にはジャクソン研究所と武漢にある華中科技大学を兼任している中国人研究者Ruanさんのグループがゲノムの立体構造を解明しようと地道な努力を重ねた研究で、タイトルは「CTCF-mediated human 3D genome architecture reveals chromatin topology for transcription (CTCFにより媒介されるヒトゲノムの3次元構築から、転写に関わる染色体のトポロジーが明らかになる)」だ。
  私たちのゲノムは48本の長いDNA鎖からできており、総延長は2mに及ぶ。これが核の中でたたまれているのだが、やみくもにたたまれるのではなく、必要な遺伝子だけが転写され、必要のない遺伝子は転写マシナリーから隔離するようたたまれる。例えれば飾り紐のようにたたまれており、さらにたたまれ方は細胞ごとに異なっている。このたたみ方を決めるのがCTCFとコヒーシンであることがこれまで明らかになっている。たたまれ方を調べる方法の一つが、隣接しているゲノム領域を調べるHi-Cと呼ばれる方法で、この方法を用いてゲノムの立体的区域化(TAD:topology associating domain)を決めることができ、多くの細胞種でTADが決められつつある。
  さて現在ポストゲノムの最重要課題として進んでいるのがENCODEプロジェクトで、細胞ごとの遺伝子発現、エピゲノム、そしてTADなどをゲノムの上に重ね合わせてるプロジェクトだ。このプロジェクトによりゲノム情報が初めて細胞特異的なエピジェネティック状態と統合できると期待されている。この研究では、これに加えてCTCF結合部位に集められた遺伝子領域と、転写開始標識としてのRNAポリメラーゼと結合している遺伝子領域を高い精度で (ChiA-PET: Pair-end tag sequencingという方法を用いる)調べることで、ENCODE情報全体を構造という観点から再統合できることを示した研究だ。
  詳細を全て省いてイメージを伝えるとすると、DNAという糸に付いたCTCFはコヒーシンの作用でヘアピンとコイルの2種類の基本構造が組み合わさった立体構造をとっているが、この論文に示されたデータにより、一つの細胞株についてではあるが、この折りたたみを何千箇所について具体的に描くことができるようになったと考えてもらえればいい。この折りたたみの要(かなめ)にCTCFとコヒーシンが存在するが、そこで転写が活性化されている場合はRNAポリメラーゼも存在する。   ではこのデータから何がわかるのか。まず構造と転写活性の相関がわかる。例えば、どの細胞でも発現している生命に関わる遺伝子をハウスキーピング遺伝子と呼ぶが、これらの遺伝子は要に近いところに集められている。一方、発生に必要な遺伝子のプロモーターやエンハンサーは要から離れたループの中に存在するといった具合だ。私は細胞分化を研究していたが、3年前の現役時代には全く想像もつかなかったことが明らかになっている。新しい転写研究時代が押し寄せていることを感じ、はっきり言ってこの流れについていくのは大変だったろうと思う。   もちろん発生だけではない。この研究ではCTCF結合部位が一塩基変化するだけで、転写活性が大きく変化すること、そして病気と相関する一塩基多型の中には、喘息の一塩基多型を例に、この構造と相関させて初めて明らかになるものがあることを示している。全ゲノムにわたる研究はデータは膨大で、読むのがしんどいことが多いが、この論文は読んでいくと自分の分野が思い出され、様々な想像がかきたてられた。一般の方には難しいと思うが、若い研究者はこのような時代がきていることをしっかりかみしめてほしいと思う。
   ゲノム研究で遅れをとった日本は、エピゲノム研究(エピジェネティックメカニズムの研究ではなく、エピゲノムの研究)でさらに遅れをとり、ゲノムの構造の研究になるともう取り返しのきかないところに来てしまっているような気がする。実際、昨年1年論文を読んで、ゲノム構造化に関する我が国からの面白い論文に出会った記憶がない。幸い、外国の研究でもデータベースとして残されている。物を考えるとき、ゲノム構造も念頭に置いて考えることは誰でもできる。ぜひこのギャップを埋める若手が台頭してほしいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

1月3日:ちょっと驚く免疫活性化剤(Nature Nanotechonologyオンライン版掲載論文)

2016年1月3日
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キメラT細胞受容体を導入した自己T細胞や、抗PD-1, CTLA4抗体を用いたチェックポイント治療の導入で、私たちに備わった免疫機能がガンの根治を期待できる力強い味方であることが分かっている。ただ現在行われている免疫治療は根治に向けた第一世代で、幾つかの大きな課題を抱えている。キメラT細胞受容体療法に関しては、何と言っても正常細胞に対する反応をどこまで抑えて、ガン特異的な治療法に発展させられるかが鍵になるだろう。一方、チェックポイント治療は、ガンに対する免疫が成立していないと無力であるため、ガンに対する免疫を成立させる方法の開発が最重要課題として研究されている。事実、従来の化学療法がガン免疫の成立に寄与できるか?といった課題についての総説が出るなど、免疫治療を中心として全治療を再構成し直そうという動きもあるぐらいだ(Cancer Cell 28, 690)。今後免疫を成立させるための様々な方法が開発されると期待できる。今日紹介するDartmouth大学とCase Western大学からの論文は、「え!本当!」と虚を突かれるほどの方法で、Nature Nanotechnologyオンライン版に掲載された。タイトルは「In situ vaccination with cowpea mosaic virus nanoparticles supprsses metastatic cancer(ササゲモザイクウイルスのナノ粒子によるワクチン局所投与は転移性の腫瘍を抑える)」だ。この研究でワクチンと呼んでいるのはガン抗原ではなく、免疫活性化剤のことを指している。実際使われたのはCowpea mosaic virus (ササゲモザイクウイルス)に感染するウイルスの殻だけを再構成させたナノ粒子で、植物なので大量に調整できる。もちろん核酸は含んでいない。ただ、この粒子を骨髄細胞と培養すると、白血球に取り込まれ炎症性のサイトカインが刺激される。すなわち、アジュバントと言われる免疫活性化作用がある。このナノ粒子を黒色腫が肺に転移したマウスに吸入させると、転移巣の増殖が防げる。組織学的に調べると、この粒子は局所の白血球に取り込まれ、多様な免疫担当細胞の浸潤を誘導することが確認されている。メカニズムは今後の研究に任せるとして、気になるのはこのナノ粒子の他のガンへの効果だが、乳がんの肺転移、皮下移植された直腸癌、卵巣癌の腹水など調べたほとんどのガンに効果がある。さらに、一旦免疫が成立すると、再注射された同じガンは完全に拒絶される。同じようなアジュバント治療はこれまでも開発されているが、それらと比べると圧倒的な効果だ。何か嘘があるのではと疑いたくなるが、抗原も、薬も、遺伝子も必要ない免疫活性化剤がこれほど効果があるなら、これを基盤に様々な新しいテクノロジーを開発できるかもしれない。また、このナノ粒子を調整するのは難しくないだろうから、薬として治験が始まるのも遠いことではないだろう。この頃はガン免疫の論文にそれほど驚かなくなったが、なぜこの粒子に思い至ったのか、こんな簡単な方法で免疫が活性化できるのか、などこの論文には驚かさることが多く、いいお年玉になるように思える。
カテゴリ:論文ウォッチ