9月2日:アルツハイマー病の抗体療法(9月1日号Nature掲載論文)
AASJホームページ > 新着情報

9月2日:アルツハイマー病の抗体療法(9月1日号Nature掲載論文)

2016年9月2日
SNSシェア
   ガンと並んでアルツハイマー病は先進国の医学が抱える最重要課題で、多くの国で優先的に研究予算が回され、研究推進が行われている。ただ、ガン研究を比べると、アルツハイマー病は病気の経過が長く、また薬剤が届きにくい脳内の病気であることから治療開発のための戦略は限られてきた。
   この戦略の中で最も期待されているのが、アルツハイマー病で脳内に蓄積するβアミロイドに特異的抗体を結合させて、これをミクログリアの力を借りて除去してしまう方法だ。多くの会社が様々な抗体を開発し、治験を始めた。ところが、2014年大手製薬会社PfeizerとEli-Lillyがそれぞれ進めてきた抗体薬の第3相治験で効果が確認されず、この治療戦略に対する失望が広がっていた。
   これに対し今日紹介するアメリカBiogenからの論文は、抗体を選べばこの戦略が有望であることを示した第1b相の研究で、臨床治験の論文には珍しく9月1日号のNatureに掲載された。タイトルは「The antibody aducanumab reduces Aβ plaques in Alzheimer’s disease (抗体、Aducanumabはアルツハイマー病のAβプラークを減少させる)」だ。
   この研究で使われた抗Aβ抗体aducanumabは作成方法がこれまでの抗体とは異なり、アミロイドが重合してプラークを作るときに新たに生まれる抗原を標的に作成している。ただ、動物で抗体を作ってしまうと、プラークだけに反応する抗体を作るのは難しかった。代わりに、正常のアミロイドにはすでに寛容になっているヒトB細胞を直接刺激する系を用いて重合アミロイドにだけ特異的な抗体を得ることに成功している。
   あとは普通の治験研究と同じだ。514人の患者さんの中から病気の状態を追跡するための条件が揃った患者さん166名を選び偽薬を含む異なる用量を投与する5群に無作為的に振り分け、54週目で脳内のAβ量を測るPETを含む臨床データを集め、効果を判定している。抗体役の投与方法だが、1ヶ月に1回、点滴で投与しており、これなら患者さんの負担もそう多くないだろう。
   さて結果だが、最も効果がはっきりしていたPET画像のデータを示すところから始めている。実際に見てみると驚きの結果だ。最も多い用量を投与した患者さんではほとんど健常人の範囲に治まってきている。ただ、この検査は直接プラークだけに特異的ではないので、病気の原因が完全に取り除かれたと喜ぶわけにはいかない。
   実際にプラークが減少していることはどうしても動物実験を行うか、あるいは治療中の患者さんが亡くなった時に解剖して確かめるほかない。この研究では、動物モデルに同じ抗体を投与し、組織学的及び生化学的にプラークが減少することを確認している。このデータを足したことが、Natureを発表に選んだ理由かもしれない。いずれにせよ、説得力がある。
      さて症状だが、PET画像の改善と比べると効果は遅く現れてくる。2種類の評価法で調べているが、半年目には全ての用量でほとんど効果が見られない。おそらく研究者はがっかりしたことだろう。しかし1年経ってみると、用量に比例して効果が現れ、アルツハイマー病の進行を止めることができている。
   抗体療法のもう一つの問題は、抗体が脳内に到達するかどうかだ。今回これを確かめることはしていないが、この抗体が脳に到達し、しかも繊維状のAβからできたプラークだけに結合することを示している。効果から見ても、抗体は脳内にわざわざ投与しなくとも、一定量脳内に到達することを示している。
   最後に副作用だが、20例が副作用のために治療を中断しており、用量が多いほど副作用も多い。副作用のうち最も多いのが、ARIA(アミロイド関連画像異常)と呼ばれる、血管浮腫に相当すると思われるMRI画像上の異常だ。これと並行して頭痛が起こっている。ほかに用量依存的副作用として尿路感染も記載されているが、私にはこの原因は理解しにくい。
   以上まとめると、これまでの抗体治療と異なり、かなり有望な抗体薬が開発されたと言っていいのではないだろうか。投与方法にしても、アルツハイマーの患者さんにも許容できる範囲だ。しかし、まだ1年経過を見ただけの第1b相治験だ。副作用から考えて、もっと長期に投与した場合はどうかなど、最終的に臨床に利用可能かどうかの結論が出るにはまだ時間がかかるだろう。とはいえ、私がこれまで読んだ中では、すでに確立したアルツハイマー病に対する抗体治療の可能性について最も説得力のある論文だった。
   最後に一つ気がかりなのは値段だ。もし効果が明らかになれば、多くの人が使える値段にして欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月1日:クモ嫌いは治せる(10月10日発行予定Current Biology掲載論文)

2016年9月1日
SNSシェア
  子供の頃くさむらを歩いたり走ったりしている時、確かに毛虫に刺されて痛い思いをするのではという恐怖感はあったが、どんな虫でも見たぐらいで恐怖を覚えることはなかった。ただ、何がきっかけかはわからないが、大人になってもクモや虫を写真で見るだけでもいやという人はいる。
   そんな人のために是非紹介したいと今日取り上げるスウェーデン・ウプサラ大学からの論文は、大人になっても続くクモ嫌いは治るかを科学的に調べた研究で10月10日号のCurrent Biologyに掲載予定だ。タイトルは「Disrupting reconsolidation attenuates long-term fear memory in the human amygdala and facilitates approach behaviour (記憶の再構成過程を遮断することで扁桃体に由来する長期間続く恐怖の記憶を弱め接近行動を促進する)」だ。
   心的外傷後ストレスをはじめ、私たちがトラウマと呼んでいる多くの恐怖経験に基づく心的障害の治療法開発を目指して、様々な実験や、試行錯誤が続いている。これらの研究から、恐怖記憶は扁桃体の興奮と連合していること、また記憶から恐怖への回路は新たな経験に出会って想起されるたびに不安定になり、構成し直す必要があるという弱点を持っていることがわかっていた。
   そこでこの恐怖記憶が不安定になる時を狙って治療する方法が開発されている。この方法では、恐怖記憶をまず誘発して記憶を不安定にして、時間をおかず同じ体験を繰り返させることで、恐怖心を取り除く治療だ。
    この研究では、写真でクモを見せられるだけで恐怖心を感じるという、生粋のクモ嫌いを慎重に選び、このクモ嫌いを上記の戦略で治療した時、扁桃体の興奮の低下という客観的改善につながるかMRIを用いて調べている。
   研究ではまず2種類のクモが映った写真をランダムに見せて恐怖反応を誘導する。その後被験者を2グループに分け、1グループは10分後から、他のグループは6時間後から、最初見せたうちの1つのクモの写真を連続して見せる治療セッションを行って、恐怖記憶が再構成されるのを阻害している。この記憶の誘発から治療セッションまでの10分と6時間の違いは、恐怖記憶が再構成されたかどうかの違いで、10分では記憶と恐怖の回路が完全に固まりきっていないが、6時間あれば十分再構成されていると考えている。
   さて、治療セッションの次の日、4種類のクモの写真を様々な組み合わせで被験者に見せて恐怖記憶を呼び起こし、治療効果を扁桃体が興奮するかどうかMRIで調べて確かめている。結果は明白で、6時間経ってから治療セッションを受けたグループは、10分後に同じ治療セッションを受けたグループと比べ、扁桃体の興奮が高い。すなわち、恐怖記憶を呼び起こしてすぐ治療セッションを受けたグループは確かに恐怖反応が軽減している。
   ここまでならなるほどと納得するだけだが、この結果をさらに確認するため最後に行っている「接近・回避心理試験」は圧巻だ。
   このテストでは被験者に写真を見ませんかと尋ねる。恐怖記憶が除かれたとしても、わざわざクモの写真を見る物好きは多くない。しかし、3クローネ、5クローネと、写真を見るとお金がもらえるとなると話は別だ。それでも、恐怖記憶が残っていると、5クローネぐらいでわざわざ見る気にならない人も多い。
   このテストで調べると、恐怖心が除かれたと考えられる10分後に治療セッションを受けた人たちは、もらえるお金が多いとほとんど写真を見るという選択を行う。6時間後に治療セッションを受けたグループは本当は見たくないはずだが、お金の額が上がると、お金に惹かれて見る人が出てくる。私だって、害がないと思えばお金を選ぶだろう。
   面白いのはこの時の脳の反応だ。このお金のために写真を見ようと決意したタイミングで扁桃体の興奮を調べると、10分後に治療セッションを受けたグループは、お金につられてクモの写真を見ている時も扁桃体の興奮は低い。一方、6時間後に治療セッションを受け、恐怖記憶が除かれていないグループでは、お金につられて写真を見ると扁桃体が興奮する。すなわち、恐怖心を持ったまま、葛藤の末お金を選んでいることがわかる。
   心理学と脳のイメージングを組み合わせた面白い実験で、このような研究はいつ読んでも楽しい。しかし、クモの実物を見た時でも同じ結果が得られるのか、あるいは他のトラウマでも同じ方法が利用できるのか、結果に完全に納得したわけではない。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月31日:肺転移が起こりやすい理由(8月25日号Cell掲載論文)

2016年8月31日
SNSシェア
    ガンで最も恐ろしい転移は原則としてどの臓器にでも起こるし、またどの臓器に転移しやすいかは原発のガンの性質に大きく影響される。しかし、肝臓や肺はたしかに転移が起こりやすい臓器と言えるのではないだろうか。この理由は、臓器が大きく血管に富んでいるからだと単純に考えていた。
   今日紹介するアメリカ国立衛生研究所からの論文は肺転移が起こりやすいのは肺の高い酸素濃度により免疫反応が抑えられるのも一つの要因であることを示す論文で8月25日号のCellに掲載された。タイトルは「Oxygen sensing by T cells establishes an immunologically tolerant metastatic niche (酸素を感知するT細胞によって免疫的に転移に対して寛容なニッチが形成される)」だ。
  この研究は最も高い酸素濃度に晒される肺で免疫反応はどうなっているのか調べるところからスタートしている。これまでの研究でプロリル・ハイドロオキシダーゼ(PHD)がT細胞の酸素センサーになっていると考えられていたが、3種類もの分子が存在し、互いに補い合うので研究が難しかった。この研究では3種類の分子が全て欠損するマウスを作成して酸素センサーの機能を調べ、炎症や細胞障害に関わるエフェクター機能が高まる一方、それを抑制する制御T細胞が低下することを見出す。すなわち、酸素を感知するPHDシステムは炎症を抑え、免疫反応を抑える方向にT細胞を分化させることがわかった。
   次になぜこのような肺特異的な反応の仕方があるのか探るために、抗原刺激実験を行い、もともと様々な外来抗原に晒される肺で免疫のバランスを整えることで、炎症を抑える役割があることを示している。
   また、この抑制優位の分化を誘導するメカニズムを探り、PDHがFoxp3やTbetなどのT細胞分化プログラムを直接変化させることで抑制優位の反応を実現していること、そしてこのプログラムの変化は酸素センサーとしてのHIF1αだけでなく、PHDが関わる糖代謝を介して起こることを明らかにしている。
   以上の結果は、このPHDによる抑制を外せば肺への転移を抑えることができる可能性を示唆している。これを確かめるために、メラノーマの肺転移実験系を使ってPHDの影響を調べると、PHD欠損により元のガンの大きさは影響されない一方肺転移が強く抑制できることを示している。タイトルにあるように、もともとは抗炎症システムとして出来上がった肺の酸素感知システムが、ガンの転移がしやすい環境を作っていることになる。
   この結果は、PHD抑制により肺転移が抑制できる可能性を示すが、問題は他の原因の炎症も高まることだ。    この問題への一つの回答として、ガンに特異的な抗原受容体を持ったT細胞を試験管内でHIF分解阻害剤のDMOGと培養してから移植することで転移を抑制し生存期間を伸ばせることを示している。
   免疫には数多くのチェックポイントがあり、2重3重に免疫の暴走を止める仕組みがあることがわかる。したがって、免疫全体でこのメカニズムを外すと取り返しがつかないことになる心配があるが、利用が進み始めているガン抗原に対するキメラT細胞受容体を持った細胞療法(CART)での治療には重要なヒントとなる気がする。期待したい。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月30日:新しいRAS阻害戦略(8月24日号Nature掲載論文)

2016年8月30日
SNSシェア
    このホームページで何度も強調してきたが、RAS突然変異を阻害できると30%近くのガンの進行を一時的にでも止めることができる。ただ、RASは直接的阻害剤を設計しにくい構造になっていて、利用できる阻害剤は現在もできていない。代わりに、RASの下流で活性化する分子を標的にした阻害剤が開発されてきた。この中で最も成功したのが京都府立医大の酒井さんとJT医薬総合研究所が開発し、GSKに導出したトラメチニブだろう。しかし、トラメチニブ阻害はフィードバックを介して上流でのRAS-RAFの活性を高め、さらにKSRと呼ばれる分子を介するバイパスを活性化してシグナルを伝えるため、RAFの突然変異を持つメラノーマには効いても、RASの突然変異を持つガンには効果がなかった。
   今日紹介するマウントサイナイ医科大学からの論文は、このバイパスでRAFとMEKの活性を制御するKSRを標的とした科学化合物の開発についての話で8月24日号のNatureに掲載された。タイトルは「Small molecule stabilization of the KSR inactive state antagonizes oncogenic Ras signaling(KSRの不活性状態を維持する化合物はRASの発がん性を抑制する)」だ。
   この研究ではまずRAS活性を抑制する分子を探索したショウジョウバエと線虫の遺伝子探索の結果を再検討し、KSR分子のATP結合部分の突然変異がRAS変異を抑制できることを見出し、この部位を阻害する化合物を176種類のキナーゼ阻害剤の中から選び出し、分子の構造解析をもとにより特異的な阻害剤APS-2-79を開発している。
   後は、KSRと RAF,MEK分子の構造解析と阻害実験を繰り返し、RASからMEKを介するシグナルを阻害することを確認している。
   もちろんKSRを介さないRASシグナル経路が存在するため、この薬剤単独でのRAS阻害活性は低く、細胞増殖抑制効果はないが、RAFに変異がない系でトラメチニブなどのMEK阻害剤と共同すると強い細胞抑制効果を示すことがわかった。
以前紹介したように(http://aasj.jp/news/watch/5606)私が最近目にしただけでもRigosetibやPonatinibのようにトラメチニブと協調する薬剤が明らかになってきており、この論文でまた一つ新しい化合物の可能性が見えてきた。我が国発の薬剤が早くRAS変異制御に使われることを本当に期待している。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月29日:生まれつきの愛煙家 (Cancer Research オンライン版掲載論文)

2016年8月29日
SNSシェア
   肺がんとタバコについては因果関係が明らかで、遺伝子より環境要因や生活習慣によるガンだとどうしても考えてしまう。しかしよく考えてみると、タバコ好きがニコチン中毒だとすると、タバコ好きとタバコ嫌いはいるはずで、この遺伝的背景により、肺がんにかかりやすい人と、かかりにくい人が別れるはずだ。たしかに従来の研究でニコチンに対する受容体遺伝子の変異により、タバコをどうしても多く吸ってしまい、その結果肺がんになる確率が高くなることが知られていた。
   今日紹介するハワイ大学からの論文は同じ問題をニコチンに対する感受性ではなく、ニコチンの代謝に関わる遺伝子に焦点を当てて調べた研究でCancer Research オンライン版に掲載された。タイトルは「Novel association of genetic markers affecting CYP2A6 activity and lung cancer risk (CYP2A6の活性に影響する遺伝マーカーと肺がんリスクの新しい関連の発見)」だ。
   この研究の目的は、ニコチンの70%の代謝に関わる分子CYP2A6の活性に関わる遺伝子変異と肺がんの発生リスクの相関を調べることだ。
    幸いハワイは、ハワイ原住民、白人、ラテン系、日系と様々な民族が混在しているため、民族とCYP2A6活性についての研究もできる。この点でまず面白いのは、ハワイに暮らす民族の中では日系人がニコチン代謝活性が最も低いことだ。すなわち、日系は少ないニコチンで満足できることになる。
   次にCYP2A6活性と相関する遺伝子を調べると248SNPが発見されるが、3つを除いてCYP2A6遺伝子の近くには存在しない。すなわち、CYP2A6が極めて複雑な発現調節を受けていることがわかる。この中で最も強い相関を示したSNPは日系での活性の3%,ラテン系の28%を説明できる。是非遺伝子検査サービスに加えて欲しい。
   次にリストしたSNPと肺がんのリスクを調べると、CYP2A6活性を上昇させるSNPは肺がんのリスクも高まることがわかった。肺がんのリスクと最も相関するSNPはCYP2A6活性と最も相関するSNPとは違うが、概ねCYP2A6活性と肺がんリスクは強く相関していることが明らかになっている。
   重要なのは、CYP2A6活性と相関するSNPを持っていてもタバコを吸わない場合、肺がんリスクが全く変化しないことで、愛煙家だけにCYP2A6活性が効果を持つことがわかる。
   以上の結果をこれまでの研究と合わせると、ニコチンに対する感受性と、ニコチン代謝に関わるSNPは、タバコの本数に影響を与え、結果として肺がんリスクを高めることがわかる。CYP2A6活性が高い人が肺がんリスクが高いということは、ニコチンが代謝が早いと喫煙効果が早くなくなるため、より多くのタバコを吸うことを意味する。要するに、愛煙家に生まれついた人がいるが、タバコに最初から近づかなければ、愛煙家になる運命は避けられるということだ。
   是非、このSNPを遺伝子検査サービスに加えて欲しいと思う。これは間違いなく遺伝子検査により生活習慣を変えるという図式を理解してもらうためのいい例になる。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月28日:不安の回路(8月24日号Nature掲載論文)

2016年8月28日
SNSシェア
    セロトニンが私たちの感情を調節している最も重要な神経伝達因子であることがわかっている。事実、これまでの神経科学的研究を基礎に、セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)がうつ病の治療に用いられ、その効果も十分検証されている。ただ、この治療の問題は薬剤を服用し始めた時、不安症状を逆に悪化させることで、抗うつ効果はこの段階を乗り越えて初めて現れる。従って、飲み始めに自殺などの重大な問題が起こる。当然この問題の解決はSSRI治療の最重要課題だ。以前、この問題を説明する一つの可能性として、セロトニン分泌細胞が再取り込み抑制によりグルタミン刺激優位の状態を引き起こしより深刻なうつを引き起こすという論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2657)。
   今日紹介するノースカロライナ大学からの論文は同じ問題を、神経回路の問題として検討し直し、SSRI治療の問題点解決を図った論文で8月24日号のNatureに掲載された。タイトルは「Serotonin engages an anxiety and fear-promoting circuit in the extended amygdala (セロトニンは拡大扁桃体領域の不安と恐怖を促進する回路に関わっている)」だ。
   結果はこのタイトル一行で表現できている。すなわちセロトニン分泌神経につながる回路を詳しく調べることで、セロトニン分泌神経が不安を拡大する回路を特定し、それがSSRI治療初期の不安増大に関わることがこの研究で明らかになった。
   ただ、このことを証明するために行われた実験は壮観で、何種類もの遺伝子操作マウスを用いて、神経回路を一つ一つ特定し、またそれぞれの神経興奮の効果と相関させている。
   この研究をまとめると、足への電気刺激による不安誘導実験で、SSRIの標的と考えられている背側Raphe核から分泌されるセロトニンが、分界条床核と呼ばれる部位の副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRF)分泌神経を刺激し、そこでGABA作動性回路を介して腹側被蓋野へ投射する神経を刺激することで、不安の増大に起こることを明らかにしている。すなわち、Raphe核からのセロトニン神経が結合している神経の種類が違うことで、セロトニン分泌神経が感情に対して異なる効果を示すことを示唆している。この結果は、私が以前紹介した同じ神経がグルタミン酸も分泌することで不安を増大させるという仮説を完全に否定している。今後、議論が続くだろう。
   いずれにせよ、この仮説を確かめるためにSSRI投与時にこの回路を遺伝子操作的により切断して、この回路がSSRI投与による不安増大に関わることを示している。今後、薬剤でこの回路を抑制することが可能になれば、SSRI治療はより安全で効果の高い治療になるだろうという報告だ。
   光遺伝学が生まれた当初の論文を読むといつも感心した。しかしこの方法が普及した今このような論文を読んでいると、ノックアウトを組み合わせることによる変化を、FACSで微細なレベルまで検出して免疫ネットワークを解明した免疫学と同じ方向に、神経研究が突入していることを感じる。これまでできなかったことがどんどん可能になるという喜びとともに、研究が金のかかる大掛かりで、アカデミックになっていくことも確かだ。こんな時こそ、このような手法の全く使えない人間ではどうかを問い続けることから、新しい発想が生まれるのかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月27日:MECP2重複症とRETT症候群(欠損症)の比較研究の重要性(8月17日号Neuron掲載論文)

2016年8月27日
SNSシェア
    今日2時からAASJチャンネルはMECP2重複症についての勉強会第二弾をニコニコ動画で発信する(http://live.nicovideo.jp/watch/lv271561136)。前回の勉強会で紹介された遺伝子治療の可能性はどの程度あるのか、また一般的に遺伝子治療の現状はどうなっているのか、この分野の専門家小野寺雅史先生を招いて勉強する。
   今日の勉強会に向けて何か素晴らしい論文を紹介できないか探していたところ、8月17日号のNeuronにRETT症候群(MECP2欠損)とMECP2重複症のモデルマウスを用いて脳の活動を調べた優れた研究を見つけることができたので、このテキサス・ベーラー医科大学からの論文を紹介する。タイトルは「Loss and gain of MeCP2 cause similar hippocampal circuit dysfunction that is rescued by deep brain stimulation in Rett syndrome model (MECP2遺伝子の欠損及び重複はよく似た海馬神経回路異常を誘発するが、この異常はRett症候群マウスモデルでは深部脳刺激で回復する)」だ。
   この研究では、MECP2遺伝子の欠損及び発現上昇を操作できる様々な遺伝子改変モデルマウスを用いて、記憶や学習障害に関わる海馬の神経活動を調べている。作成されたマウスは、実際の患者さんと同じでてんかん症状が発症する。これを避けるため、研究ではてんかん発症以前(12週)マウスを用いて調べている。実験の詳細は省いて結果だけを以下にまとめる。
1) 海馬のCA1領域神経の自然興奮を記録すると、欠損症では興奮回数が減り、重複症では興奮回数が上昇する。
2) ところが興奮のパターンを調べると、欠損症と重複症ともに普通バラバラに興奮する個々の神経細胞が同期して興奮するのがわかる。脳を試験管内で調べても、生きた脳内で調べても同じ結果が認められる。
3) この同期はGABAを阻害すると、同期が強くなる。
4) 大人になってから、神経細胞の種類別にMECP2欠損、重複を誘導できる遺伝子操作技術を用いて調べ、同期に関わる神経細胞を調べると、非刺激時の同期には興奮性ニューロン、一方、GABA抑制による同期は抑制性ニューロンが関わっていること、
5) 神経の同期した興奮は慢性的深部刺激を2週間繰り返すことで改善すること。
が明らかになっている。生理学的には他にも重要な結果が示されているが、今日の勉強会の話題には十分だろう。要するに、同期を防ぐために常に維持されている海馬CA1の興奮と抑制のバランスがMECP2欠損でも重複でも同じように起こることをこの結果は示している。
   おそらく、同じメカニズムが、記憶や学習の遅れだけでなくてんかんの症状にも関わっている可能性は高い。さらに、この論文では興奮性ニューロンと抑制性ニューロンでMECP2の機能が異なることも示している。今後の治療戦略にも関わる研究が、トップジャーナルに続々掲載されているのは勇気付けられる。
   この研究からわかるように、MECP2についての研究は欠損と重複を一つのセットとして研究することが重要になっている。私自身、MECP2を研究するなら当然両方の材料を同時に扱うだろう。今厚労省が力を入れている疾患のiPSでも片方だけ作って研究しているだけでは、優れた研究にならないと思う。それなのに、2005年MECP2重複症が特定されてから10年経つのに、これまで難病指定として研究されているRETT 症候群をMECP2重複症も含めて扱うという提案が難病班から全く出されていないのは、我が国の研究者と役所の馴れ合いの悪い臭いがして嘆かわしい。今からでも遅くない。是非両方をMECP2発現異常症として扱おうという提案が難病班から強く要望されることを願っている。このままでは、また我が国は世界から取り残される。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月26日:Nudeマウス原因遺伝子Foxn1の機能(8月22日Nature Immunology 掲載論文)

2016年8月26日
SNSシェア
    一般の人でも、ほとんどの人がヌードマウスの写真をどこかで見ているはずだ。なぜなら、iPSが様々な細胞に分化できることを示すため、細胞をこのヌードマウスに注射して、テラトーマを作らせる。一時はテレビでiPS研究の成果が報告されるといつもこのヌードマウスの写真が登場していた。なぜiPSを注射するホストに選ばれるかというと、このマウスは胸腺が欠損しているため機能的T細胞が欠損し、拒絶反応が低いからだ。
   ヌードマウスで胸腺が欠損し、毛根の異常で毛が早く抜ける原因遺伝子Foxn1が特定されたのは二十年以上前の1994年だった。胸腺でT細胞の増殖と選択に関わる胸腺上皮細胞の増殖分化にFoxn1が関わることが示されると、なるほどと私も納得していた。
   今日紹介するバーゼル大学からの論文はFoxn1の転写因子としての機能をさらに詳細にわたって追求した研究でNature Immunologyオンライン版に8月22日掲載された。タイトルは「Foxn1 regulates key target genes essential for T cell development in postnatal thymic epithelial cells(Foxn1は生後の胸腺上皮細胞でT細胞分化支持の鍵となる分子を調節している)」だ。
   この研究は発生過程ではなく、成熟マウス胸腺上皮でのFoxn1分子の機能に焦点を当てている。これはFoxn1の発現が大人になっても続き、当然T細胞の教育に重要な機能を持っているからだ。この目的のためにFoxn1に標識をつけて免疫沈降できるようにしたマウスを作成し、交配によりヌードマウスに標識Foxn1を導入している。そして、この分子が欠損した時、片方の染色体で発現した時、両方の染色体で発現した時、それぞれの胸腺を調べ、Foxn1の転写因子としての機能と、標的遺伝子を関連づけようと試みている。
   まず胸腺細胞の解析から、Foxn1が濃度依存的に胸腺内でのT前駆細胞の維持、T細胞のポジティブ、ネガティブセレクションに関わっていることを明らかにした。すなわち、胸腺上皮がT細胞分化のほとんどすべての段階に関与し、その際Foxn1が上皮の支持機能全体を調整していることを明らかにした。
   後は予め導入した標識分子を使ってFoxn1と結合している断片をゲノム全体について調べ、
1) Foxn1がGACGCというモチーフに結合している。
2) ほとんどプロモーターの転写開始点近くに結合している。
3) Foxn1の機能が低下するマウスと、正常マウスを比較して発現に変化がある遺伝子と、Foxn1の免疫沈降からわかる標的遺伝子を比較すると、最終的にFoxn1が結合し、転写されたmRNAと相関する遺伝子が450程度見つかる。
4) さらにAtack-seqと呼ばれる開いた染色体を特定する方法と組み合わせて調べると、特定したほとんどの遺伝子が染色体の開いた場所に存在する。
5) 標的遺伝子リストができたが、この中にはポジティブ、ネガティブセレクションに必須のMHC分子の発現に関わる遺伝子や膜タンパクが含まれており、重要な例としてPsmb11, Cd83がFoxn1の直接の標的であることを示している。
今後、今回リストされた遺伝子を基盤として、胸腺でのT細胞の増殖と選択に必要な条件がより深く理解できるだろう。胸腺上皮に代わって、試験管内で狙った方向へT細胞を教育するヒトの細胞が作られる日もそう遠くないと思う。免疫学は今、30年の成果を刈り取り時期にあることが実感される。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月25日:鰭条から指へ(8月17日号Nature掲載論文)

2016年8月25日
SNSシェア
    胸ビレから四肢の進化は、脊椎動物の進化研究の中でも最も進んだ分野と言える。魚類の進化の過程で骨格が大きく変化することを化石や現存の魚で見ることができるし、何よりも使われている分子の共通性が高く、実験的に進化を研究できるという面白さがある。
   今日紹介するシカゴ大学からの論文は四肢の指の進化に注目した実験進化の研究で8月17日号のNatureに掲載された。タイトルは「Digits and fin rays share comm.on developmental stories (指と鰭条は共通の発生の物語を持っている)」だ。
   この研究は、四肢の指の形成と鰭条形成の共通性についてゼブラフィッシュを用いて調べている。マウスを用いた研究で、指の発生にはHox遺伝子群の後ろの方の遺伝子Hox13が鍵を握っていることがわかっているが、鰭条の発生にHox13が関わるのかは明らかでなかった。
   まずHoxa13の発現が鰭条発生の場所に一致して発現することを示した後、実際にHox13を発現した細胞が鰭条細胞になるのか、遺伝的な細胞系譜研究手法を用いて検討し、哺乳動物と同じようにHoxa13細胞が前腕骨と共に、ヒレの末梢へと移動して鰭条を形成する骨芽細胞へと分化することを証明している。
   ゼブラフィッシュというと、突然変異を誘発して変異を選び、その変異の原因になる遺伝子を特定する前向きの遺伝学に適していることで選ばれてきたが、この研究で行われた細胞系譜実験を見ると、これまでの遺伝学的蓄積の上にあらゆる遺伝子操作技術を使えるモデル動物に発展しているのがよくわかる。    この実験ではさらに進んで、Hoxa13をノックアウトする実験をCRISPR/CASシステムを用いて行っている。一般にはCRISPRを用いれば何でも簡単と思われているが、実際に実験に用いるとなると大変な努力がいったと思う。いずれにせよ、Hoxa13aとHoxa13b、及びHoxd13ノックアウトフィッシュを作成して、これらの分子が鰭条形成に関わっているかどうか調べている。
結果はHoxa13a+Hoxa13b両方の遺伝子をノックアウトした魚を作ると見事に鰭条が欠損し、その代わりに鰭条の発生する根元の細胞が増加することがわかった。
   以上の結果から、ヒレ形成後期で発現するHoxは間質細胞が移動し鰭条へとまとまっていく過程を指令する分子だと結論している。このHox遺伝子発現と機能の共通性をとっかかりに、指の骨と鰭条形成を比べることで、指の進化のシナリオも明らかになるだろう。もちろんマウスの指の発生はさらに詳しく調べられており、Hoxd10の役割と染色体の高次構造についての素晴らしい研究がある(http://aasj.jp/news/watch/3533及びhttp://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000013.html)。このような多くの結果を総合することで、なぜ私たちは別々の形をした5本の指を持つのか子供達にわかりやすく語れる日が来るだろう。期待しよう。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月24日:近代的化学発ガン実験(Nature Cell biologyオンライン版掲載論文)

2016年8月24日
SNSシェア
    分子生物学が発展する前の発ガン実験というと、山極勝三郎から始まる化学発ガン実験か、ラウスから始まるウイルス発ガン実験だった。しかし、遺伝子操作技術の開発は状況を一変させ、細胞や個体に発がん性を調べたい遺伝子を順番に導入して自由にガンを発生させることができるようになった。その結果、トップジャーナルに化学発ガン実験が登場することはほとんどなくなった。
   その意味で今日紹介するサンガー研究所からの論文は久しぶりに化学発ガン物質による食道ガン誘導を行った研究で懐かしい気がした。著者を見るとPhil Jonesだ。彼は医学部卒の皮膚ケラチノサイトの研究者で、流行からは一線を置いた研究を続けており、化学発ガンを使うとは彼の仕事らしいと納得した。
   タイトルは「A single dividing cell population with imbalanced fate drives oesophageal tumor growth (運命決定のバランスが狂った増殖細胞によって食道癌が増殖する)」で、Nature Cell Biologyオンライン版に掲載された。
   化学発ガンと言っても、山極・市川のようにコールタールを塗り続けて3年というわけにはいかない。この研究はガンの治療に使われる特異性の低いキナーゼ阻害剤ソラフェニブの副作用が皮膚や食道のガンを誘発するという臨床的事実からスタートしている。おそらく医師であるJonesの一つの興味はこの機構の解明ではないかと推察する。従って、この研究もこの興味から派生したような気がする。
   実験ではまず、ソラフェニブを全身投与したマウスの食道を調べ、細胞が多いスポットができることを確認、増殖能力を持つ子孫細胞が少しだけ増えることがこのスポットの原因であることを確認している。
   次に定番の化学発ガン剤ジエチルニトロサミン(DEN)を飲み水とともに与えると、今度は細胞の異形成を伴う前癌状態が起こる。しかし、結局3ヶ月ぐらいの実験ではガンにならない。そこで、発ガン遺伝子KRASを遺伝子操作で発現させ、ようやく致死的なガンを発生させている。
   いずれにせよ、増殖上昇、前癌状態、ガンと3段階の異なるステージを作ることに成功した。あとは、このグループの得意中の得意の、細胞動態解析を様々な遺伝的テクノロジーを使って行っている。
  例えば、4色に染め分けられる遺伝子を別々の細胞に発現させ、増殖異常を誘導する方法で、前癌状態が複数のクローンからできていることを示している。
  ただ、重要なのは細胞分裂についての動態解析で、発現させた蛍光物質が細胞分裂で薄まる方法を利用して、各段階を通して起こっているのは分裂能を持った細胞がほんの少し多めに作られ、分化が少し減ることが前癌状態からガンを通して見られる動態異常であることを示している。
   これが実際の食道癌にも当てはまるかは今後の問題だろう。しかし、細胞死が抑えられるわけでもなく、ガンの幹細胞を中心とした階層があるわけでもないというこの系の特徴を知った上で、食道癌を見直してみることは、何でもかんでもガンの幹細胞を引っ張り出す現状を考えると重要だ。
    また、食道癌の前癌状態とも言えるバレット症候群でKRAS遺伝子の変異が報告されているが、この研究から、3ヶ月ぐらい発ガン剤を投与しても、そう簡単にRAS変異が入らないこともよく理解できた。
   それなりに面白いのだが、読んでみて、ソラフェニブの恐ろしい副作用のメカニズム解明の過程で、わかっているところでまとめておこうという印象を与える論文だった。この目的を達成した論文が出るのを待とう。
カテゴリ:論文ウォッチ