8月30日:腸内細菌の善玉と悪玉は区別されている(8月28日号Cell誌掲載論文)
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8月30日:腸内細菌の善玉と悪玉は区別されている(8月28日号Cell誌掲載論文)

2014年8月30日
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昨日は腸内細菌叢の面白い論文が2報も見つかったので、今日、明日と紹介する。次世代シークエンサーが開発されて腸内細菌叢のDNA配列を無作為に決定することで、腸内にどの細菌がどの程度存在しているかを測定することが可能になった。ただ病気と腸内細菌叢の関係を研究したい時この方法にも問題はある。先ず私たちの腸内細菌叢には何百、何千もの異なる細菌が住み着いている。それぞれの量が測れたとしても、どの細菌が病気の原因になっているかを突き止めるのは簡単ではない。このため、病気になった時に大きく変化する細菌種を調べることでこの問題に対処して来たが、もう少し合理的な方法が求められていた。今日紹介するエール大学医学部からの論文は、クローン病や潰瘍性大腸炎の様な炎症性腸疾患に関わる細菌を特定する新しい方法を報告した論文で、8月28日号のCell誌に報告された。タイトルは「Immunoglobulin A coating identifies colitogenic bacteria in inflammatory bowel disease(IgAによりコーティングされている細菌は炎症性腸炎を引き起こす原因菌だ)」だ。この研究では、腸炎の原因菌ほど宿主の免疫反応を刺激しているはずで、そうなら腸内に分泌されるIgA抗体と結合しているはずだという仮説を立て、これをマウスで確認する所から始めている。先ずマウスの便を採取し、そこに存在する細菌にIgAを認識する蛍光抗体を反応させ、どの細菌の表面にIgAがコートされているか調べた。予想通り、一部の細菌だけが腸内でIgA抗体と結合していた。この結果は、腸内細菌の一部だけが宿主の免疫反応を刺激しており、免疫刺激性の細菌はIgAでコートされているかで見分けられることを示す。次にIgAコートされた細菌の種類を調べると、これまで腸炎に関わるとされて来た細菌が濃縮されている。それをもう一度マウスに戻して、IgA抗体反応を刺激し、腸炎を起こすか調べると、コートされていない細菌より強い反応が見られる。この結果は、IgAコートされた菌が腸炎原因菌であるという仮説を支持する。次にヒトでも同じ事が見られるか、先ずクローン病や潰瘍性大腸炎患者と、正常人でIgAコートされた細菌の種類を調べると、腸炎患者さんでIgAコートされた細菌の数が増加しており、この方法でそれぞれの病気だけで検出される細菌を特定することが出来ている。最後にこうしてヒトで特定された細菌が本当にIgA抗体反応を刺激し、腸炎を引き起こすかもマウスに菌を移植して調べている。IgAコートされた菌を植えると、確かにIgA抗体反応が起こる。しかしこの菌だけでは腸炎は起こらない。そのマウスに、腸炎を起こすことが知られているデキストラン硫酸ナトリウムを投与すると、IgAコートされた細菌によって腸炎が重症化することがわかった。今のところわかったのはここまでで、なぜ腸炎原因菌だけが抗体反応を刺激するかなど多くの問題は残る。しかし、原因菌が特定されたことで、これらの菌を特異的に撲滅して、クローン病や潰瘍性大腸炎を治癒できるのではと期待させる結果だ。この分野の加熱ぶりを実感させる論文だった。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月29日:基礎と臨床の関係;エリスロポエチンの意外な効果(8月27日号アメリカ医師会雑誌掲載論文)

2014年8月29日
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基礎研究と臨床のギャップがよく語られる。しかし両方の関係は単純ではない。基礎研究が晴れて臨床応用される場合もあるが、臨床的には効果があるのだが、基礎的にはメカニズムがわからないことも多い。おそらく統合医療と呼ばれる治療の中で、エビデンスを持って効果が確かめられている方法のほとんどはこれに当たる。今日紹介する論文での基礎と臨床の関係も複雑だ。エリスロポエチンは赤血球造血に必須の分子で、この分子がないと当然生きられない。早くから臨床応用の進んだサイトカインで、例えば透析患者さんの腎性貧血の治療を始め、赤血球が減少する病気に広く使われている。これは基礎研究から臨床研究へ橋渡しが進んだいい例だ。1990年の中頃だっただろうか、私がまだ京大の分子遺伝学教室教授だった頃、サイトカインの学会で京大の農学部の佐々木さんのグループが、エリスロポイエチン受容体が脳で発現しており、脳虚血にエリスロポエチンが効くと言う話をしたのを覚えている。勿論これは基礎研究だが、生物学的意味があるとは思えないと当時の基礎医学会ではあまり真剣に取り上げられなかったのではと思う。事実この分野の研究は拡がりを見せなかった。今日紹介するジュネーブ大学医学部からの論文は、ほとんど忘れられていたエリスロポエチンの基礎分野の研究を臨床に応用して、予想以上の効果を得たと言う論文で、8月27日号のアメリカ医師会雑誌に掲載された。タイトルは「Association between early administration of high-dose erythropoietin in preterm infants and brain MRI abnormality at term equivalent age(早産児へのエリスロポエチン大量投与は通常出産相当時期の子供の脳MRI異常を改善する)」だ。前書きを読むと、この研究が、細々と続いていた動物モデルの基礎研究に啓発され、ヒトへの応用を進めたことが書いてある。研究では約29週で生まれた平均1300gの未熟児に、誕生直後、半日後、2日後にエリスロポエチンを投与し、通常出産に相当する40週前後でMRI検査を行い、脳の異常を調べている。30週未満で生まれる未熟児で最も心配なのは脳障害だ。脳質の周りの脳細胞が死んでしまって軟化しているMRI像は、何と1割以上の未熟児に見られ、新しい治療法開発が待たれていた。この研究では、この様な脳白質に起こる異常と、灰質に起こる異常をスコア化して点数をつけ、エリスロポエチンを投与したグループと投与しなかったグループを比べている。結果は予想通りで、異常の発症はほぼ半減し、異常の段階を示すスコアも大幅に改善している。論文ではあまり触れられていないので、おそらくエリスロポエチン投与自体による副作用はあまりなかったようだ。この結果だけ見れば、明日から未熟児にはエリスロポエチン治療を行えばいいと言うことになるだろう。しかしMRIが正常化したからと言って本当の脳機能が回復したことを意味しない。今後、参加した子供達の脳機能を長期間追跡することが重要だ。機能的にも脳障害の発症が抑制されることがわかれば、標準的な治療へと発展するだろう。これまでの研究で、MRI画像と脳機能の相関は示されているので、個人的には大きな期待を寄せている。期待通り大きな脳障害予防効果があった場合、今度はそのメカニズムを探る基礎研究が必要になる。本当に脳細胞に直接効いているのか、あるいはほとんどの基礎科学者が考えるように、血液への効果が間接的に脳に影響を及ぼしているのか?このように研究では基礎も臨床も複雑に絡み合っている。しかし、それにしてもエリスロポエチンを投与する研究なのに赤血球の数も示されていないのは解せない。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月28日:先ずはリプログラムを試してみる(Cell Stem Cell, Nature Cell Biologyオンライン版掲載論文)

2014年8月28日
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紹介する論文 1) Generation of multipotent induced neural crest by direct reprogramming of human postnatal fibroblasts with single transcription factor (一種類の転写因子導入でヒト線維芽細胞を神経堤細胞へ直接リプログラムする。) 2) An organized and functional thymus generated from FOXN1-reprogrammed fibroblasts (FOXN1によってリプログラムした線維芽細胞から組織化された機能的胸腺を作る。) 1996年クローンヒツジドリーが生まれるまで、ほ乳動物でリプログラミングは難しいと思われていた。それどころかクローン動物作成は不可能だと言う論文まであった。実際、安定な分化状態を決めている細胞分化に伴う染色体構造の変化(エピジェネティック変化)が簡単に揺らぐようでは、私たちの身体の維持が出来るはずがないと考えるのは当然だ。しかし一旦リプログラミングが可能であるとわかると、今度は培養するだけで血液が神経になったり、果ては血液が卵子になるという論文まで発表された。しかしリプログラミングはそう簡単でない。こんなフィーバーは長続きしなかった。この状況を一変させたのが山中iPSだ。細胞質に特定の分子ネットワークが存在すれば、染色体構造もなんとか変化させられる。この確信が今、線維芽細胞から直接様々な細胞を作成するブームを生んでいる。既に多くの体細胞がiPSを経ずに直接リプログラムされている。今日紹介する2編の論文もこのブームを反映しているが、これまでのように複数の遺伝子を導入する方法とは異なり、誘導したい細胞の分化を決定している最も重要な分子一つを導入するだけでリプログラミングが達成できることを示した点で新しい。最初のJohn Hopkins大から発表されたCell Stem Cellの論文は、ヒト線維芽細胞から神経堤細胞を誘導出来ると報告している。もう一つのエジンバラ大学から発表されたNature Cell Biologyの論文は、Tリンパ球を作る環境を提供する胸腺上皮細胞をマウス繊維芽細胞から誘導した研究だ。詳細は全て省くが、これまでの研究で神経堤細胞分化決定にはSox10、また昨日紹介したように胸腺上皮細胞の分化決定にはFOXN1が最重要分子であることがわかっている。両方の研究では難しいことを考えず、ストレートにこれらの最も重要な分子一つだけを線維芽細胞に導入してリプログラミングが可能か挑戦し、導入後それぞれ2週間、10日で目的の細胞誘導に成功している。山中論文以来、どうしても分子の組み合わせが必要と思っていた先入観が取り払われると、先ず一個の分子からと言う挑戦が増えそうだ。ただ、これらの研究の意義は、一つの分子だけで簡単にリプログラミングが出来ることを示しただけではない。両方ともリプログラミングによって、これまでなかった新しい可能性を開いている。先ず神経堤細胞だが、これは第二の多能性幹細胞と言える細胞で、骨、筋肉、神経、色素細胞など数多くの系列に分化することが出来る多能性の幹細胞だ。これが簡単に作成できると言う今回の結果は、幾つかの系列細胞を作成する新しい方法として発展する可能性があり、再生医学的にも意義が大きい。実際この研究では、神経堤細胞の異常が起こる遺伝病の患者さんの神経堤細胞を誘導し、これを使って病気メカニズムが研究できるか調べている。iPSから誘導した神経堤細胞と比べて全く遜色ない神経堤細胞が誘導でき、病気のメカニズムの一端が再現できるようだ。一方、エジンバラ大学の研究でリプログラムされた細胞は胸腺上皮で、T細胞の長期培養には必須の臓器、胸腺を作るための基本材料だ。リプログラムされた細胞は試験管内でも、また移植しても胸腺の機能を再構築できる。これがヒトでも可能になると、T細胞が作れない多くの患者さんを救う可能性がある。当分このブームは収まらないどころか、加速しそうな2論文だった。ただ、細胞の分化研究を行っていた私としては、プログラムよりリプログラムという風潮が生まれるのではと懸念している。
カテゴリ:論文ウォッチ

8月27日:進化を巻き戻すII : マウスを魚化する(8月21日号Cell Reports掲載論文)

2014年8月27日
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38億年前地球上に生命が誕生してから、ヒトも含めて生命が関わるあらゆる過程は不可逆的散逸を繰り返して来た。このため過ぎ去った過去についての研究、進化研究は、過程を遡ることが原理的に出来ないと言う制限の中で行わざるを得ない。とは言えなんとか巻き戻したいと考えるのが人情だ。想像力でつなぎながらも、他人を納得させる形で時間の遡行を体験しようと様々な努力が繰り返される。試験管内で進化を巻き戻す、そんな研究の一つを8月12日紹介した。今日も「進化を巻き戻す第2弾」として、ドイツ・フライブルグのマックスプランク研究所からの研究を紹介する。我が国の国立遺伝研や京都大学も参加している研究で、8月21日 発行、Cell Reports誌に掲載されている。タイトルは「Conversion of the thymus into a bipotent lymphoid organ by replacement of Foxn1 with its paralog, Foxn4(Foxn1をそのパラログFoxn4で置き換えると胸腺がT,B両方の細胞発生を誘導するリンパ組織に変換する)。」だ。この研究を率いるThomas Boehmは胸腺の欠損したヌードマウスの原因遺伝子がFOXN1と呼ばれる転写因子であることを初めて特定した研究者で、それ以後ずっとこの遺伝子について研究している。FOXN1には同じ遺伝子から重複して来た兄弟遺伝子(パラログと呼ぶ)FOXN4が存在しており、魚類ではFOXN1,4両方が胸腺で発現している。一方哺乳動物ではFOXN1だけしか発現していない。機能的に比べると、魚の胸腺ではT,B両方の細胞が作られるのに、ほ乳動物ではほぼT細胞だけだ。B細胞は動物が陸上で生活し始めると、新しく出来た臓器、骨髄で作られるようになる。研究は、この機能の差が、FOXN遺伝子の発現パターンの差ではないかと仮説を立て、マウスの胸腺がFOXN4あるいは、FOXN1、FOXN4両方が胸腺で発現するように遺伝子操作をし、機能が魚型になるか調べている。両方のパラログ遺伝子はほとんど機能が同じと考えられ、FOXN1をFOXN4で置き換えてもT細胞を作る能力は保たれる。ただ、普通なら出現しないはずのB細胞もFOXN4で置き換えた胸腺では作られるようになり、胸腺の機能が少し魚に近づいた。これに励まされ、魚と同じように両方のFOXN遺伝子が胸腺で発現するように操作したマウスを作ると、FOXN4に置き換えただけのマウスと比べ、さらに多くのT,B細胞を作る胸腺に生まれ変わることが明らかになった。なぜこの変化が生まれるのかについてはFOXN4が胸腺で発現することで、T細胞への運命決定に必要なDLL4と未熟B細胞増殖に必要なIL7の発現にアンバランスが生じるためであることを実験的に示している。勿論詳細についての実験は今後も必要だが、実験的にマウスの進化を巻き戻すことに成功したと言っていいだろう。即ち、骨髄のない水生脊椎動物が陸に上がると、骨髄が現れる。これと同時に、胸腺や脾臓で作られていたB細胞だけが骨髄で作られるようになるが、その時FOXN4遺伝子の胸腺内発現を止めることで、胸腺からB細胞を骨髄へと追い出すというシナリオを実験的に確かめている。一種の実験進化学の研究だが、こうして生まれた魚型胸腺は再生医学にも役に立ちそうだ。魚型の胸腺を用意しておけば、T,B両方の細胞を試験管内でも作れるようになる可能性がある。8月24日号のNature Cell Biologyに発表した論文で、友人のエジンバラ大学BlackburnはFOXN1で線維芽細胞をリプログラムして胸腺上皮に生まれ変わらせ、そこでリンパ球を作らせることに成功している。この系にFOXN4も発現させればT,B両方を作ることの出来る魚型の胸腺が出来るはずだ。このように、生命科学では進化研究も再生医学もあまり違いがない。
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8月26日:自律神経がガンを助ける(Science Translational Medicine8月20日号掲載論文)

2014年8月26日
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胃の動きや胃液分泌を促しているのが迷走神経で、何かストレスを感じると胃にグッと来るのはこの神経の働きが、私たちの脳で脳の高次活動とつながっているせいだ。このため、ストレスで起こる胃・十二指腸潰瘍などでこの神経を切ってしまうという治療が行われることがある。ただ、迷走神経が胃の幹細胞やガン細胞を促進するなど想像だにしなかった。今日紹介するノルウェー科学技術大学と米国コロンビア大学からの論文は、この迷走神経が胃がんの発生や、その増殖を助けることを示した研究で、8月20日号のScience Translational Medicineに掲載された。面白い研究は当たり前と思っていることについて疑問を抱くところから始まる。胃がんの8割は胃の小湾部に発生するが、この研究はなぜこの差が生まれるのかという疑問から始まっている。著者等はこの原因として、小湾部から胃に入ってくる迷走神経密度が小湾部で高いためではないかと疑った。これを確かめるべく、マウスモデルで迷走神経と胃の連結を断って、胃がんの発生やガン細胞の増殖に対する効果を先ず調べている。予想は正しく、迷走神経支配が断たれると、発ガン率が低下し、また出来てしまったガンの増殖も遅くなる。更にガンの化学療法モデルで治療効果を調べる実験系でも迷走神経切除の効果は絶大で、マウスの生存率が大幅に延長する。臨床的にはこれで十分だが、次に著者等はなぜ迷走神経がガンの増殖を促進するかのメカニズムを追求し、迷走神経がムスカリン受容体を介して胃の上皮幹細胞を直接刺激し、幹細胞の増殖に必要なwntと呼ばれる増殖因子を分泌するようになり、幹細胞が自発的に増殖し始めることで、ガン化リスクが上がることを示している。これまで神経細胞が幹細胞を支えるニッチに働いて幹細胞の増殖を間接的に調整する可能性は示唆されていた。この研究で、神経が直接幹細胞に働きかけるルートが示されたことは、幹細胞研究から見ても面白い。ではヒトの胃がんでも同じことは起こっているのか?これを確かめるため、胃がんの組織を調べて、確かに増殖速度の高いガンほど周りに迷走神経が集まって来ていることを示している。ひょっとしたら、ガンの方も神経に働きかけて自分の増殖に都合のいい環境を作っているのかもしれない。更に、胃切除部に再発してくる胃がんの発生頻度を事後的に、迷走神経切除群と、非切除群で比べて、迷走神経切除群では小湾部のがんの再発が強く抑制されていることを示している。臨床で発生した疑問から、基礎研究、そして再度臨床研究に戻るという優れた疾患研究だ。更にムスカリン受容体を抑制するとガンの進行を抑制できるという治療可能性も示唆した点でも、トランスレーショナル研究の手本だろう。しかし、これが正しいとストレスがたまり、迷走神経が高まる状態は、ガンを助けていることになる。気をつけたい。
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8月25日:コロンブスのアメリカ発見と結核(Natureオンライン版掲載論文)

2014年8月25日
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梅毒はコロンブスのアメリカ発見以後、新大陸からヨーロッパにわたり50年以内に世界中に拡がったと考えられている。これは、我が国も含めてそれ以前に梅毒と同じ症状に関する記載がないことからの推理だ。一方、コロンブスの発見後ヨーロッパ人がアメリカに結核を持ち込み、この流行が新大陸原住民の人口の減少につながったとされている。事実、遺伝子比較を行うと、アメリカ原住民の結核もヨーロッパ人の結核と同じであり、これを裏付けている。ただ梅毒と異なり、コロンブス以前のアメリカ原住民の骨格の中に、結核によるカリエスと思われる病変が認められると言う記録が多くある。従って、コロンブス以前のアメリカには別の結核菌による結核が存在したと考えられている。この結核菌とは現在世界に存在する結核菌のどれに近いのか?この問題に挑戦したのが今日紹介するドイツチュービンゲンの考古学研究所からの研究で、Nature誌オンライン版に掲載された。タイトルは「Pre-Columbian mycobacterial genomes reveal seals as a source of new world human tuberculosis (コロンブス以前の結核菌ゲノムは新世界現地人の結核がアザラシを起源としていることを明らかにした)」だ。研究ではコロンブスのアメリカ発見以前の南米原住民の骨格の中でカリエスの症状がはっきりしている骨格を68例集め、その中から結核菌を分離している。幸い3例の骨格から完全な結核菌DNAを採取することに成功し、このDNA配列を解読、現存の全ての結核菌と比較している。結果は全く予想外で、コロンブス以前アメリカ原住民に流行していた結核菌は、現在の結核とは全く異なり、なんと現在のアザラシやアシカに特異的に感染している結核菌に最も近い種類であることが示された。アザラシの成育範囲から見て、コロンブス以前の結核が1万年前ベーリング海峡を通って移動した新大陸原住民の祖先と一緒にやって来たことは考えにくい。実際、この結核菌のアザラシ型とヒト型の分離時期を計算すると2500年より新しい。従って著者等は、おそらくアフリカに生息しているアザラシが南米に渡来し、それが人に感染しながら変異を重ね、コロンブス以前の南米で流行したヒト型結核菌へと進化したのではないかと想像している。同じ研究で、オーストラリアのアザラシにも700年以前に分かれた系統の結核菌が確認されている。とするとキャプテンクック以前のオーストラリア原住民からも同じ系統の菌が見つかると予想される。研究が待たれる。人間や動物が感染症と闘いながら進化してきたことを物語る面白い論文だ。私が京大胸部疾患研究所で研修医をしていた頃、京都市動物園からキリンから抗酸菌が検出されたがどうしたらいいかと電話をもらった記憶がある。当時菌の系統の特定、特に動物の抗酸菌の特定は難しかった。あれから40年、全く時代が変わったと感慨が深い。
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8月24日:同じサルモネラ菌も組織内では多様性を示す(8月14日号Cell誌掲載論文)

2014年8月24日
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サルモネラ菌は食中毒の原因としては最も多い細菌だ。勿論抗生物質で治療が可能だが、完全に死滅せず慢性化することがある。あるいは症状があまり強く出ずに菌だけが出続けることがある。そんな時調理に関わったりすると、集団食中毒が起こる。この様な多様性は遺伝子の突然変異で起こると思いがちだが、試験管内で抗生物質抵抗性を調べても変異が見つからないことも多い。おそらく同じ細菌でもおかれた状況で性質の違いが生まれ、慢性化や抗生物質抵抗性が起こったのだろうと想像するが、そのメカニズムを調べることは簡単でなかった。この問題に挑戦し、遺伝的原因なしに生じてくるサルモネラ菌の多様性を示したのが今日紹介するバーゼル大学からの論文で、8月14日号のCell誌に紹介された。タイトルは「Phenotypic variation of salmonella in host tissues delays eradication by antimicrobial chemotherapy(宿主の組織内で生じるサルモネラ菌の性質上の変化が抗生物質の効き目を遅らせる)」だ。しかしどうすれば遺伝的には同じサルモネラ菌内の違いを見つけることが出来るのか?このグループは、サルモネラ菌にTimerと名付けた蛍光標識分子を導入することでこの課題を解決した。TimerはDsRedと呼ばれる赤い蛍光タンパク質の突然変異として見つかった分子で、細菌内で発現した時、異なる成熟経路をとって片方は緑、もう一方は赤の蛍光物質になると言う不思議な分子だ。この時、緑の分子は成熟が早いが、赤の分子に成熟するのに時間がかかる。従って、一つの細菌がほとんど分裂しないとすると、先ず緑になった後、赤の色素が遅れて出て来て混じり合うので鮮やかなオレンジ色に変わる。一方、細菌が増殖していると、分裂後の細胞で新たに作られる分子と、分裂前に作られた分子が混じることになるが、分裂前の分子は倍に薄まっている。それぞれの分子は一定の時間で緑と赤の色素に変化するので、色とその強さを測定すると、細菌の分裂状態を決めることが出来る。要するにこのTimerを使うと、それを発現している細胞の分裂速度を推定することが出来ると理解してもらえばいい。Timerを開発できたことがこの研究の全てだ。実際このサルモネラ菌を摂取すると、増殖速度の異なるサルモネラ菌が組織内で出来ているのが確認できる。組織内で観察すると、確かに場所に応じて違う蛍光色のサルモネラが見つかる。重要なことは、この違いが遺伝子の変異ではなく、細菌の発現するタンパク質のパターンの差に反映されていることだ。即ち、色の違う(即ち増殖速度の違う)細菌を別々に分離してタンパク質の発現を調べると、それぞれに対応する特有のタンパク質発現パターンの違いを特定できる。組織内の細菌の性質が自然に多様化することが目に見える形で示された。次にこの様な多様性を持つサルモネラ菌が組織内で抗生物質にどう反応するか調べると、分裂していない菌ほど抵抗性が高い。しかし分裂しない菌はまれにしか存在せず、実際に慢性化に関わるのが、ゆっくり分裂して抗生物質に適度に抵抗性を持っている、中途半端な性質を持つサルモネラ菌であることが突き止められた。まとめると、組織内の環境の差がサルモネラ菌の多様性を発生させ、抗生物質抵抗性や慢性化の原因になっていると言う結論だ。これまで細菌の多様性と言うと、細菌のコロニー形成能を使った遺伝的変異しか検出できなかった。勿論実際の食中毒を引き起こすサルモネラ菌にはTimerなどは発現していない。しかし、モデル実験系で、多様性を発生させ、慢性化や抗生物質抵抗性に関わる分子基盤を特定できれば、臨床サンプルでも多様化パターンを見いだすことが可能になるだろう。なかなか面白いテクノロジーだと思う。
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8月23日:RNA干渉薬によるエボラウィルス感染治療の可能性(8月20日号Science Translational Medicine掲載論文)

2014年8月23日
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RNA干渉は(siRNA)、長さ20-25塩基対のRNAにより特定のメッセンジャーRNAを破壊してしまう方法で、希望する分子の細胞内での発現を特異的に抑制する方法として期待されている。問題は、RNAが目的の細胞内に到達する効率が低いことで、この効率を上げようと開発競争が繰り広げられているが簡単ではない。最初ほとんどの大手創薬では核酸薬部門を設定して開発を行っていたが、細胞内へのデリバリーは困難と結論して、撤退した会社も多い。それでも、効果を持つRNA自体は開発が容易なため究極のテーラーメード医療になる。現在この方法を使おうとする主な標的はガンと感染症だ。特にウィルス性肝炎などでは、明らかに効果があることが確認され始めていた。今日紹介するカナダの製薬ベンチャーTekmiraとテキサス大学からの論文は、マーブルグウィルス感染症にRNA干渉が有効であることを示した研究で、8月20日発行のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Marburg virus infection in nonhuman primates:therapeutic treatment by lipid-encapsulated siRNA(サルでのマールブルグウイルス感染:脂肪にくるんだsiRNAによる治療)」だ。マールブルグウィルスと言っても聞き慣れないと思うが、実は今世界の課題になっているエボラウィルスと同じフィロウィルスの仲間だ。この研究では、ウィルスRNAがコードする7つの分子の一つNP(核蛋白)遺伝子に対するsiRNAを用意し、これを細胞内デリバリーのために脂肪でくるみ、それを静脈内投与している。結果は極めて明快で、ウィルス感染が完全に成立してウィルスが血中に現れた段階でも、100%のサルを完全に治癒することが出来たと言う結果だ。この方法で、血中からウィルスが消失することも確かめている。論文では、特に病気の後期でも効果があることが強調されている。この結果は、将来予想されるマールブルグウィルス感染に対して備えが出来たことを意味するだけではない。最も期待されるのは、現在流行しているエボラウィルスにも同じ方法を使える可能性だ。事実このグループは2010年The Lancet誌に同じ方法を用いてエボラウィルスを感染させたサルを治療できることを示している。この時選ばれたウィルス分子は今回選んだNP分子とは違っていたが、デリバリー方法も含めてこの方法の有効性を示すには十分だ。RNA干渉法が機動性の高い方法であることを示す意味でも、今回の流行で臨床研究が行われることを期待する。RNA干渉は発見されてまだ15年もたたない現象だ。様々な問題があるとは言えこれほど短期間で臨床応用が可能になりつつあるのを見ると、医学は着実に進歩していることを実感する。今後も是非この進歩の紹介を続けたい。
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8月22日:ネアンデルタール人の消滅(Nature誌8月21日号掲載論文)

2014年8月22日
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日本人にとって、ネアンデルタール人の話は遠いヨーロッパの話に聞こえるのか、この話題は我が国ではあまり関心をひかないようだ。しかし欧米では、ネアンデルタール人の報道は今やiPSより加熱していると言っていい。本当は私たち日本人にとっても他人ごとではない。何度も紹介して来たように、日本人にもネアンデルタールの遺伝子が伝わっている。即ち血のつながりがあるのだ。このことを今確信できるのは、ドイツライプチッヒのマックスプランク研究所の所長だったペーボさんたちがネアンデルタール人の全ゲノムの解読に成功したおかげだ。それ以前は、残っている骨の形と、同じ場所から出土する石器等の分析から、おそらくネアンデルタール人と私たちの先祖はほとんど交流がなかったと考えられていた。しかし動かぬ証拠を受けて、今度は考古学が新しい科学を駆使して私たちの祖先とネアンデルタール人との文化交流の可能性について迫ったのが今日紹介するオックスフォドー大学を中心としたグループの論文だ。8月21日号のNatureに掲載されたが、BBCでもすぐに大掛かりな紹介を行っている。論文のタイトルは「The timing and spatiotemporal patterning of Neanderthal disappearance(ネアンデルタール人の絶滅の時期と時間的空間的パターン)」だ。この研究の材料は骨やDNAではない。調べているのは様々な文化を代表する石器だ。ネアンデルタール人も優れた石器を使っていたが、これはムスティエ文化と名付けられている。一方、我々の先祖といえるクロマニヨン人はその石器の形態からオーリニャック文化を形成したことが確認されている。実はその間に、ウルッツァ文化、シャテルペロン文化が特定されているが、これらの石器の作者がネアンデルタールなのか、ホモサピエンスなのか議論が分かれていた。研究では、数多くの箇所から出土した200近い石器の年代分析を、最新の加速器質量分析機を用いてこれまでよりはるかに正確に行うとともに、ベイズ推定法を用いてモデルを作成し、それぞれの文化がどこでいつ始まり、終わったのかを推定している。どうしても断定が難しい考古学の研究と言うこともあって、論文の論調は控えめで、様々な可能性を考慮した書きぶりだ。しかし、この論文の著者の意見は、ムスティエ文化の消滅がネアンデルタールの消滅に相当し、ウルッツァ文化やシャテルペロン文化はおそらく私たちの祖先の産物だと考えたいようだ。重要なのは、3つの分化が地域的には分離していても、時間的にほとんど同じ時期に終わっていることだ。オーリニャック文化が始まる前、ウルッツァ文化とシャテルペロン文化が新たに興り、ムスティエ文化と共存する約5000年、ネアンデルタール人は私たちの先祖と接して生活していたようだ。このことは、ネアンデルタール人が私たちの先祖と出会ってすぐに絶滅したわけではないことを示している。この5000年にどんなことが起こったのか?そしてなぜネアンデルタールだけが消え去ったのか?この共存以降のホモサピエンスの遺伝子解読が行われれば更に面白い物語が聞けるかもしれない。5000年の交流の間に、ネアンデルタール人が言語に必要な象徴を使う思考を身につけたのか?勿論これも最重要課題だ。ゲノム科学と考古学の交流がますます活発になりそうだ。
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8月21日:英国科学界によるリチャード3世暴き(Journal of Archaeological Scienceオンライン版掲載論文)

2014年8月21日
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歴史の多くは書かれた文書の断片を集めて再構成される。この方法論は2つの問題を抱えている。先ず書かれた文書にはウソがある。次に記録の量が、その人の属する階層と比例しており、自ずと高い階層についての記録のみで再構成される。しかし世襲が確立している社会ならともかく、ある個人の階層は時代とともに代わるため、王と言っても記録が抜けていることはいくらでもある。例えば、ナポレオンの子供時代を考えると良い。記録が乏しいためか逆に多くの逸話が残っているが、真偽のほどはわからない。いずれにせよ、こんな例が多くあるから歴史家が張り切る。そんな対象の一人が英国ではリチャード3世だ。特にシェークスピアが狡猾で陰謀を駆使する悪役王の代表として描いてしまった。当然フィクションだが、どこまでフィクションか気になる。幸い成人してからの正式な記録は多いので、ある程度の判断は可能だ。しかしシェークスピアがひねくれた心が形成された時代として描いた子供時代の記録は少ない。そんな時2012年に突然リチャード3世の遺体が記録通りの場所で発見される。この時から科学が歴史再構築に参加する。今年6月3日、彼の骨格を再現して、側湾症を煩っていたが、運動機能は正常だっただろうと結論したThe Lancetに掲載された論文を紹介した。今日紹介する論文は、リチャード3世が何を食べていたかを調べ、子供時代からの彼の生活ぶりを調べた英国ノッチンガム大学の研究で、Journal of Archeological Scienceのオンライン版に掲載された。タイトルは「Multi-isotope analysis demonstrates significant lifestyle change in King Richard III(複数種のアイソトープ分析はリチャード3世の生活スタイルが大きく変化したことを明らかにする)。」だ。研究は歯や骨に含まれる酸素、ストロンチウム、炭素、窒素の同位元素、及び骨に蓄積される鉛の量の分析が全てだ。詳細は省くが、人間の歯や骨の成長時期、あるいは成分が更新される速度が異なっているため、採取した部分と年齢を対応させることが可能だ。このおかげで、各年齢で摂取した食事に含まれたアイソトープの成分比を割り出すことが出来る。例えば臼歯をスライスして分析するとき注意深く場所を選んで切り出すことで、特に子供時代の各年齢の成分を推定できる。他にも、肋骨の骨は2−5年で置き換わるらしく、従って残っている骨に蓄積したアイソトープは、死の2−5年前の生活状況を反映していると言える。後は全て省略して、分析から浮き上がって来たリチャード3世の生活スタイルをまとめると次のようになる。先ず雨の量を反映するアイソトープを利用した測定から、彼が3歳位まではイギリス東部で生まれ育ち、その後7−8歳位まで西部に移って生活した後、また東に移っていることがわかる。この子供時代の移動の結果は食事にも反映されており、西部では穀物中心であったことがわかる。勿論政治の表舞台に登場してからは、動物性タンパク質を多く取る貴族生活を送っていたこともはっきりした。そして王になると、魚の摂取がが減り肉の摂取が増えることまでわかる。勿論理解しづらい結果も出てくる。普通なら雨の量を反映するアイソトープが死の2−3年前に上昇している。しかしこの時期彼は王としてずっとイギリス東部にいたことははっきりしているため、この結果は住んでいる場所では説明できない。このグループは一つの解釈として、同じアイソトープを多く含むワインをかなりの量飲むようになったからではと推察している。勿論私も、食事がリッチで、ストレスが多ければフランス産のワインを飲むのは当然の結果だろうと解釈に異存はない。結果は以上だ。面白い話だが、科学が参加してもまだまだ歴史家の想像力の必要な分野であることがよくわかった。
カテゴリ:論文ウォッチ