2023年6月7日
βサラセミアは、βヘモグロビン遺伝子の変異により貧血が起こる遺伝疾患だが、輸血が必要な重症型では、酸素を運ぶヘモグロビンの異常を超えて、骨髄外での造血による脾臓や肝臓の肥大、骨髄造血異常、そして病的骨折などの骨形成バランスの異常を伴う。しかし、なぜこれほど多様な症状が発生するのかについてはよくわかっていない。
今日紹介するイタリア・サンラファエロ科学研究所からの論文は、FGF受容体とKlothoが複合した受容体に結合して、リン酸のバランスを調節するFGF23に注目してβサラセミアを見直した研究で、5月31日号 Science Tanslational Medicine に掲載された。タイトルは「Inhibition of FGF23 is a therapeutic strategy to target hematopoietic stem cell niche defects in β-thalassemia(FGF23阻害はβサラセミアの造血幹細胞ニッチ欠損を標的にする治療戦略になる)」だ。
タイトルにあるように、このグループは骨の異常と造血の異常をつなぐ鍵がリン酸バランスを調節して骨の骨化を調節するFGF23にあると考え、まずβサラセミア患者さんのFGF23測定から始め、FGF23が上昇している患者さんが多いこと、そしてFGF23の血中濃度と、骨密度とヘモグロビン量が反比例することを明らかにする。すなわち、FGF23が上昇すると骨化異常による骨吸収が起こり、貧血が進む悪循環が起こることを示している。
患者さんではFGF23とエリスロポイエチン(EPO)が相関するので、マウスの骨細胞にEPOを添加するとFGF23が上昇することを発見する。またFGF23は骨細胞にEPO受容体が発現していること自体驚いたが、EPOが 骨化に関わるFGF23誘導に関わるという発見は、ヘモグロビン異常、EPO、FGF23、そして骨化異常、造血という連鎖を明らかにした。
そこで、FGF23は分解されcFGF23になるが、これはFGF23の阻害剤として働く。そこで、サラセミアのモデルマウスに、FGF23阻害分子を投与すると、骨化が正常化、さらに骨髄での造血幹細胞が回復する。すなわち、ニッチが回復して貧血を抑えることが出来る。さらに、赤血球産生で見ても、様々な文化段階での細胞死を抑えることが出来、その結果貧血を抑えることが出来ている。
以上が結果で、骨形成と造血がニッチ形成を通して密接に関係していること、赤血球産生についても正常な骨髄構造が必須であることが、FGF23の研究からよくわかった。
以上が結果で、骨髄という現場でEPOが骨に働いてFGF23を誘導することが、赤血球の作りすぎを抑えていることになるが、このおかげでEPOによる赤血球の作りすぎが抑えられ、安全に使えていることがわかる。一方、このようなメカニズムがない血小板増加因子は作りすぎという副作用のため、臨床では使えない。
また、FGF23は主に腎臓に働いてリンの排泄を調節しているが、EPOは腎臓で作られる。すなわち、腎臓で造血していた水中脊髄動物が陸上に上がって骨髄を造血に使うようになったとき、FGF23とEPOの関係が生まれた可能性もある。
臨床研究とは言え、様々な可能性が湧き上がる面白い研究で勉強になった。
2023年6月6日
以前紹介したように、熊大の三浦さんからハダカデバネズミだけでなく、長生きでガンになりにくい動物ではネクロプトーシスを調節するRIPKやMLKL遺伝子が欠損して、炎症を抑えることで長生きできる種が生まれている。ただ、これらの分子は感染防御には重要なので、野生での平均寿命は低下するかと思うが、象で調べると、GPT4でもgoogleでも野生では平均寿命は60−70歳となっており、一方最高齢は90歳ぐらいなので、この変化は感染には影響ないのかも知れない。
このように長生きの遺伝子変化についての研究は行われているが、今日紹介するハーバード大学からの論文は、種レベルの寿命と、個体レベルの老化との関係を様々な動物で網羅的に調べた研究で、6月1日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Distinct longevity mechanisms across and within species and their association with aging(種間及び種内での異なる寿命を決めるメカニズムとその老化との相関)」だ。
なんとテキストだけで14ページという膨大の論文で、全部紹介するのは難しいとはじめから断っておく。
この研究の第一の目的は、若い成体の各臓器の遺伝子発現から、それぞれの種の寿命を予測できるパターンを、40種類の哺乳動物のデータを用いて探っている。種が違えば、同じ臓器でも遺伝子発現のパターンは異なっており、この中に種固有の寿命に関わる遺伝子パターンが存在するはずと考えている。
期待通り、臓器を問わず発現と種の寿命とが相関する遺伝子が特定される。この多くはDNA損傷や、代謝に関わる遺伝子で、これらが集まることで少しづつ種の寿命が延びている。これに加えて、ハダカデバネズミのような特殊な変異が寿命を加速しているのがわかる。
一方、老化に伴う遺伝子変化をデータベースから調べると、臓器や種を問わず老化に伴う変化が間違いなく存在し、免疫反応や炎症に関わる分子、及びエネルギー代謝に関わる遺伝子がリストされる。
こうしてリストした種の寿命と、老化に関わる遺伝子の関係を調べるため、寿命を延ばすための様々な介入により変化させることが可能な老化遺伝子に着目して調べると、介入で老化を遅らせることができる遺伝子は、種の寿命を決める遺伝子とほとんど相関がないことがわかる。すなわち、種の寿命を決める遺伝子発現を変化させることは老化を遅らせることにはならない。
あとは、こうしてリストした重要な寿命あるいは老化遺伝子について個々に調べている。中でも面白いのは尿酸で、勿論細胞を傷害し炎症を起こすことから老化遺伝子として治療の対象となっているが、尿酸自体は多いほど種の寿命は長い。ただ、乳酸からallantoinを合成するウリカーゼは寿命の長い動物ほど低く、霊長類では消失している。すなわち、allantoinを合成しないで尿酸を高く保つことが種の寿命を決めている。
他にも、NADを高めて老化を防止することが一般に行われているが、種を超えて同じ現象が見られることはない点も面白い。すなわち、種の寿命とアンチエージングとは全く別物であることがわかる。
このように膨大な老化と寿命についての遺伝子発現データベースを形成した上で、これらの発現パターンを変化させる様々な介入法について細胞を用いた検討を行い、PI3K阻害剤、PKCβ阻害剤、PI3K/AKT阻害剤、TNF阻害剤、MTOR阻害剤などが寿命を延ばす遺伝子発現パターンを誘導できることを見つけている。
そして最後に、これまでも老化に介入する可能性がある標的として考えられてきたmTORに対する新しい阻害剤(KU0063794)を、老化が始まった750日齢のマウスに投与し、余命を2割ほど伸ばすのに成功している。
かなりはしょって紹介したので、面白い話を飛ばしている可能性があるので、老化に興味がある人、あるいは特定の遺伝子について知りたいヒトは是非論文を読んで欲しい。いずれにせよ、種の寿命を、個体の老化と分けて考えることでわかる様々な現象が示されている力作だ。
2023年6月5日
アルツハイマー病(AD)の最大のリスクは老化だが、脳老化とADを直接結びつける明確なメカニズムはわかっていない。一方、脳の老化というと、血管性の虚血などに起因するミエリン障害がポピュラーで、MRI検査で白質障害が見られますと言われるのは、これを意味する。
今日紹介するドイツ・ゲッチンゲンのマックスプランク研究所からの論文は、老化によるミエリン障害がミクログリアのアミロイドプラーク除去を低下させる一方、神経でのアミロイドの合成を高める役割があることを示し、老化がADのリスク要因になりうるメカニズムの一端を明らかにした研究で、5月31日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Myelin dysfunction drives amyloid-β deposition in models of Alzheimer’s disease(アルツハイマー病モデルでミエリン異常はアミロイドβの沈殿を誘導する)」だ。
ADの脳を調べていて、原因か結果かは明らかではないものの、常にミエリンの消失も伴っていることに注目し、ミエリン異常が原因となるかどうかを、ミエリン異常を起こす遺伝的マウスとアミロイド沈殿が起こるトランスジェニックマウスを組みあわせて調べている。
その結果、ミエリン異常を合併したマウスでは、アミロイドプラークの数や大きさが著しく上昇すること、またミエリン異常とアミロイド蓄積は協調的に認知障害を高めることを明らかにしている。さらに、ミエリン異常が原因か結果かをさらに明確にするために、ミエリン毒による異常の誘導、あるいは多発性硬化症モデルによるミエリン障害とADモデルを組みあわせ、ミエリン異常誘導後にアミロイドプラークの上昇が起こること、すなわちミエリン異常がアミロイドプラーク形成の原因になり得ることを明らかにしている。
次にミエリン異常がアミロイドプラーク形成を高めるメカニズムを探索するため、ミエリン異常の起こった神経を調べると、アミロイド前駆体を切断するBACE1やγシクレターゼの発現が高まっていることを発見する。すなわち、アミロイドβの生産上昇がミエリン異常で誘導される。
これに加えて、ミエリン異常マウスではアミロイドプラーク周りのミクログリア浸潤が低下しているが、これがミクログリアがミエリン処理の方向に向いた結果、プラーク処理能力が低下していることを明らかにする。
以上の結果から、神経細胞ではミエリン形成阻害によりBACE1やγシクレターゼが上昇、この結果アミロイド蛋白質が切断され、プラーク形成が促進すると同時に、それを処理するミクログリアがミエリン処理に動員され、アミロイドプラーク除去まで手が回らない結果、Aβの蓄積が促進されると結論している。
以上まだまだマウスの段階だが、一つの可能性として老化がなぜADリスク要因になるかがうまく説明されていると思った。
2023年6月4日
パリには数多くの美術館や博物館があるが、その中にMusee de Arts et Metiers(工芸技術博物館)がある。日本語訳からは、工芸品の展示かと思うが、実際には様々な分野の工業の歴史を展示している。
ラボアジェの実験室が再現されているのも見どころの一つだが、長さや重さの測定がどう標準化されたかについての展示から始まる。単位の世界基準を目指したフランスならではの博物館で、私が行った時もルーブル並みに満員だった。
このように近代化・国際化に標準単位の設定は必須だが、それでも古くから使われる、身体の大きさを基礎とした単位がなぜ使われているのかを文化人類学的に調べたのが今日紹介するフィンランド・ヘルシンキ大学からの論文だ。タイトルは「Body-based units of measure in cultural evolution(身体を基盤にした単位による測定の文化的進化)」だ。
全体を読んでみると、文化人類学的記録にとどまり、サイエンスという点では少し物足りないが、趣の違う論文も掲載しようという編者の判断なのだろう。186の異なる文化で、長さの計測に身体の部分を使っていた(例えばフット、尺:親指と人差し指を広げた長さ)文化の分布と、いつから使われるようになったかの歴史が示されている。実際、私が子供の頃は、もちろん標準化されていたが、尺や寸は普通に使われていたし、おそらく今でも5寸釘として売られているのではないだろうか。
このようにフランスのメートル法に従わないのは普通に存在するが、身体の長さという標準化していない測定単位を用いている文化もいまだに存在し、そのような分化をリストした後、その理由を考察したのがこの研究になる。
予想通り、ほとんどの文化は測定に身体を使っており、測るという事がコミュニケーションに重要であることを示している。そして、尺やフットのように標準化された単位ではなく、いまもそのまま違いが大きい個人の身体を尺度として使っている文化が存在することもよくわかった。
その詳細を述べることは難しいので、なぜ一定しない身体を単位として使う理由についての考察だけ紹介しておこう。
まず、人間工学的視点がある。例としてカヤックが挙げられているが、これはそれぞれ個人に合わせてデザインする必要があり、わざわざ身体ベースの一定しない長さを使っている。また、フィンランドサーミ族ではスキーの幅も身体を単位として設計する。我々が服をあつらえる場合を考えてみると、逆に身体の大きさを一度メートル法に直して作るという、まどろっこしいことをしていることになる。他にも重要なのは、槍や弓の大きさで、確かにこれも個人に合わせたあつらえが必要だ。
次の理由は漁に使う網のように伸び縮みする道具の設計で、結局腕を伸ばした時の幅のような機能的単位に合わせてあつらえられるようだ。
次が、いつもメジャーを持ち歩けないことで、実際ゴルフでピンまでの距離を歩いて即成するといった状況だ。
最後が、気候や地形に合わせた単位で、乾燥地帯のいくつかの文化では長い距離を、何回休憩が必要かで表すようだ。
以上、他にも様々な文化の例が示されているが、面白いとはいえトリビアで終わったしまった。
なぜ紹介したのかとお叱りを受けそうだが、昨日誕生日張り切りすぎた反動とお許し願いたい。
2023年6月3日
今日は私の75回目の誕生日で、また公職を退いて始めたAASJも10年を経過したことになる。長い一生のうちの1日とはいえ、AASJ-論文ウォッチでは、誕生日にはできるだけインパクトの高い論文を紹介して、毎日論文と出会う興奮を伝えたいと努力してきた。その意味で、今日紹介するハーバード大学からの論文は、誕生日に紹介するにふさわしい新しい時代を感じさせる論文だ。タイトルは「Transfer learning enables predictions in network biology(転移学習はネットワーク生物学での予測を可能にする)」だ。
年齢を重ねても、人間は毎日変化していくが、昨年の誕生日の私と今日の私で最も大きな変化は、ChatGPTに代表される生成AIの様々なインパクトを実感している点だろう。そんな時に、ChatGPTで使われているTransformer/attentionと呼ばれる方法を用いて、細胞内での遺伝子ネットワークを学習させ、それを用いて、ウェットの実験を必要としない新しいレベルで遺伝子と細胞形質の関係を理解できるようにしようとしたこの論文が今週発表された。
数理生物学では、計算により複雑な生物の反応を予測することを目的としている。例えば阪大の近藤さんがチューリング波の形成をベースに、魚の縞模様を予測した論文はその例で、当時私も京大にいたのでよく覚えている。これに対し、生成AIでは、意味を作り出すネットワークがあれば、自ずとネットワーク構成要素の関係からそのネットワークを表象できると考え、例えば文章のような要素の並びを学習する中で、要素間の関係をembeddingと呼ばれる多次元空間内に位置づけている。これができるようになったのは、Googleにより開発されたtransformer/attentionというアルゴリズムで文章という意味のネットワークを個々の単語の次元空間の位置として表象できるようになったおかげだ。ChatGPTでは1700億のニューラルネットワーク上に、1万を超す次元として単語を位置付け (embedding)ている。
しかしtransformer/attentionの成功はこれにとどまらない。生物学分野で最も成功したのがアミノ酸の並びからそれぞれの原子の位置に変換し、タンパク質の立体構造を予測するαフォールドだろう。
さて本題に戻ろう。この研究では我々の細胞が遺伝子ネットワークで決まっているという生物的概念を、Single cell RNA sequencingで発現している遺伝子のネットワークとして提示し、それを学習させる事で、遺伝子だけでなく細胞という単位のコンテクストを表現できると着想した。
Transformerではembeddingするトークンが必要だが、この場合トークンは一つ一つの遺伝子になる。まず完全に正常細胞である事が確認されているsingle cell RNA seqライブラリーでの個々の遺伝子発現を、発現量の順位による遺伝子の並びとして表現し、各細胞でそれぞれの遺伝子がどの順位に来ているかを自然学習させることで、遺伝子同士の関係が次元空間内の距離として表現できるようにしている。ネットワークにこだわらず、文章のような遺伝子の並びに置き換えた単純な割り切りが、この研究の成功をもたらせたと思う。
まず現在まで蓄積された3000万個の人間のsingle cellライブラリーを学習させているが、各遺伝子は250次元のベクトルとしてembeddingされている。また遺伝子とネットワークのコンテクストとの関係を計算するため6種類のtransformer ユニットを用いている(詳細は気にせず読み飛ばしてほしい)。大きな数に見えるが、これを ChatGPTと比べると、1万次元対250次元、125transformer ユニット対6ユニットと、十分パソコンで調べられるレベルだ。したがって、コンピュータ上で各遺伝子のベクトルを操作して、ネットワーク全体に何が起こるか調べることもできるが、転移学習と呼ばれる一部を切り出して、ネットワークに何が起こっているのか調べる事ができるため、何百もの細胞系譜が集まった人間の細胞分化や異常を再現するには、もってこいだ。また、それを例えば病気の人からの新しいデータセットと較べたりもできる。
この研究のハイライトは、細胞の遺伝子ネットワークを各遺伝子の関係性として表象したAI(=Geneformer: transformerをかけて名付けている)ができたという点で、あとはこのAIを用いて何が可能か様々な例で示している。
もちろん遺伝子ネットワークから細胞の種類を特定できるので、例えばネットワークを細胞の種類に落とし込むと、お馴染みのsingle cell クラスターパターンを得る事ができる。この中から線維芽細胞集団を分けて取り出し、そこに山中因子をコンピューター上で加えると、期待通りiPSのネットワークコンテクストが浮き上がる。
このように、様々な分化系路を取り出し、そこで遺伝子発現を変化させる操作をすると、コンピュータ上で細胞形質の異常を誘導できる。また、分化のどの段階で変化が大きくなるかも予測できる。
また、遺伝子間の関係を示すのはお手のもので、いわゆる分化のマスター遺伝子と他の遺伝子との関係を確認できるし、それぞれのステージでの遺伝子の重要性を予測する事ができる。このグループは、ES細胞から真菌細胞への分化を研究してきたグループで、心筋や血管内皮分化過程での予測と、実際の病気でのデータセットとの比較を詳細に行い、Geneformerの驚くべき実力を示している。
もちろん様々なシミュレーション実験が行われており、紹介したい結果はまだまだあるが、今月14日にChatGPTについてジャーナルクラブを行う時に、この研究ももう少し詳しく説明するので(https://aasj.jp/news/seminar/22204 )、そちらに参加してほしい。
以上、コンピュータシミュレーションとして、ノックアウトや遺伝子改変の結果を予測できるAIが誕生したということで、後期高齢者の心臓が止まるほどの変化が起きていることを今感じている。これからも頭が働く限り、この興奮を一人でも多くの若者に伝えて励ませたらと、75歳の誕生日に思いを新たにした。
2023年6月2日
多くのガンで変異が見られるK-rasに対する阻害剤の開発は難航していたが、2015年にG12C変異に対する化合物が出現してから(https://aasj.jp/news/watch/3288 )、新たに火がつき、変異したアミノ酸システインに直接共有結合する薬剤のみならず、昨年10月に紹介した非共有結合型の阻害剤も開発されるようになってきた(https://aasj.jp/news/watch/20766 )。
今日紹介するスローンケッタリングガン研究所とベーリンガーインゲルハイムが共同で発表した論文は、共有結合が必要でなく、Krasの様々な変異に対しても一定の効果がある化合物の開発研究で、5月31日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Pan-KRAS inhibitor disables oncogenic signalling and tumour growth(Pan-Kras阻害剤は発癌シグナルを無効にしてガンの増殖を抑制する)」だ。
おそらくこの研究のハイライトは、Krasと化合物間の共有結合の必要がない化合物を見つけるため、大規模スクリーニングではなく、すでにベーリンガーインゲルハイムで開発されていた共有結合型の化合物BI-0474からシステイン結合に必要な部分を除去してKrasとの反応を調べ、確かに結合親和性は大きく低下するとはいえ、一定程度Krasの機能を抑えることを発見した点だと思う。
すなわち、BI-0474の構造は共有結合とは無関係に、Krasの活性化部位と結合でき、その機能を抑える事がわかった。そこで、システイン結合部位を除いたBI-0474を化学的に調整して、より高い親和性でKrasと結合するBI-2865を開発した。
BI-2865は、G12Cだけでなく、他の変異にも同じ親和性で結合し機能を阻害できる。Krasと化合物を結晶化して構造解析を行うと、どの変異でもGDP結合分子に同じように結合している事がわかる。また、変異がないKrasにも結合するが、細胞の増殖には影響しないので、特異的抗ガン剤として利用できる。
しかしながら、HrasやNrasとはほとんど結合しない。ただこれはGDP結合面の構造が他の部位により変化したためで、Hras、 Nrasともに95番目のアミノ酸をKrasと同じに変化させるだけで、BI-2865と結合、活性が阻害される。
この結果はGDP結合面が他の部位の小さな変異だけで大きく変化する(アロステリックな変化)ことを意味している。すなわち、阻害剤に対する抵抗性が出やすいことを示唆している。この点を確認するため、GDP結合面に強い影響を持つ変異を、Kras変異で増殖している細胞をBI-2865と長期間培養する事で発生してきたBI-2865抵抗性細胞株で見られた変異を丹念にリストしている。Krasのいくつかの領域の変異はアミノ酸が一つ変わるだけで、BI-2865の効果を消失させ、また多くの変異がリストできる。したがって、これまでと同じように、BI-2865が臨床応用されたとしても、耐性の出やすい治療になることを覚悟する必要がある。
最後に、多くの細胞株を用いた阻害実験で、
この阻害剤は、これまで開発された共有結合型阻害剤と同じで、GDPが結合したオフ型分子と結合し、GTP結合型へのスイッチを抑制する。
RAFおよびその下流のMEK、ERKを介するシグナルを抑制する事。
その結果、移植ガンの体内増殖を強く抑制する事ができる事。
を示している。
これだけではPan-Kras阻害剤が開発できたかどうか、まだ定かではないが、しかし一旦諦めていたras阻害剤開発研究が再活性化されたことは間違いなさそうだ。
2023年6月1日
8月、MECP2重複症の患者家族の会の年会で、この様な希少難病の家族会がChatGPTやGPT4をChatBotとして活用できるか、いろいろ試そうということになり、私もことあるごとに病気について検索を繰り返している。そして、検索するたびに、人間が集めてきた膨大な言語空間に人間の活動や知識が想像を超えるレベルで集められていることを実感する。この様に検索すればするほど、使い方を工夫することで、患者さんや家族の専門知識への距離は大きく縮まるのではと感じている。
さてGPT-4で過敏性大腸炎の発症メカニズムについて聞いてみると、いくつかの要因とともに、
ストレスや心理的要因 :ストレスや心理的要因はIBSの症状を悪化させることがあります。ストレスは腸の動きや感受性を変えることがあり、これが症状を引き起こす可能性があります。
という心理的ストレスが病気の要因になることを指摘してくる。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、なぜ心理的ストレスが腸炎を悪化させるのか調べた研究で、5月25日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「The enteric nervous system relays psychological stress to intestinal inflammation(腸内神経系が心理的ストレスを腸の炎症へとリレーする)」だ。
タイトルを見て、なぜ今さらストレスと炎症と思ったが、読んでいくと、結局そのメカニズムはほとんどわかっていないことがわかった。
実際、マウスを強いストレスに晒して腸上皮を傷害すると、ストレスにより炎症の程度が強くなり、死亡率が上昇することがわかる。面白いことに、この炎症悪化にはリンパ球は関わっておらず、白血球が炎症悪化に関わっている。すなわち、脳でのストレス反応が最終的に腸内の白血球を刺激し炎症が悪化していることになる。そこで、脳から白血球までの経路を明らかにするため、まず腸の炎症を指標に、脳で発生したストレス反応が腸に伝わるメディエーターについて検討し、ストレスによるグルココルチコイド(GC)分泌が、腸の炎症を悪化させることを明らかにしている。
次に、GCにより刺激を受ける細胞を特定するため、神経細胞やグリア細胞からGC受容体をノックアウトする実験を行うと、グリア細胞がGCの刺激を白血球へとリレーしていることが明らかになった。これまであまり腸管内のグリア細胞について述べた論文を読んだことがなかったが、腸管でも神経とグリアがセットとなって働いていることがわかる。
最後に、刺激されたグリアから分泌され白血球を活性化する分子を探索し、最終的にCSF1(マクロファージ刺激因子)が白血球を刺激し、TNF分泌など炎症性のサイトカインを誘導することを明らかにしている。
また、過敏性大腸炎の要因としてGPT-4が
腸の動きの異常 :IBS患者さんでは、腸の動きが通常とは異なることが確認されています。便秘型のIBSでは腸の動きが遅く、下痢型のIBSでは速くなっています。
と指摘する様に、蠕動異常自体が炎症を悪化させる可能性も指摘されている。この研究では、ストレスにより分泌されるGCが腸内の神経にも働いて、TGFベータの分泌を誘導、この作用によりなんと分化した細胞を未分化細胞へとリプログラミングされ、その結果機能的神経細胞が低下、これが腸内の炎症の悪化を助けることを明らかにしている。
以上は全てマウスの結果だが、さまざまな人間のコホート研究を利用し、また大腸鏡でのバイオプシーなどを組み合わせて、ストレスが炎症を悪化させる時、マウスと同じ様に白血球の上昇、TNF分泌、さらにはTGFβ2上昇が見られることを確認している。
地道な研究だが、ストレスと炎症をつなぐ詳しい経路をよく理解することができた。
2023年5月31日
Stephen Wolfram著 What is ChatGPT doing ?を読んでいる時、言語を通して経験を重ねた人工知能を哲学概念の検証に使えるのではと思いつき、生命科学の目で読む哲学書番外編を書いた(https://aasj.jp/news/philosophy/22100)。ただ、このWolframさんの本の重要性を含め、伝えたかったことの1割も伝わっていないので、ジャーナルクラブとして発信することにしました。
6月14日午後6時からYoutubeで配信します。Zoom配信も行いますので、直接参加したい人はメールいただければURLを送ります。
VIDEO
2023年5月31日
今、街を歩くと、子供から老人までスマートフォンが広く普及していることを実感する。もちろん使い方に差はあると思うが、ハードレベルではもはやデジタルギャップは解消している様に思う。それだけ我々はスマートフォンからくる情報に依存していることになる。実際、仕事だけでなく毎日の生活で、自分が何回検索をかけているか考えてみると、これが今の自分を作っているのだと思い知る。
そして検索を考えると、便利さで完全にgoogle 支配を受けている。たとえば、バードウォッチングで撮影した鳥の名前はすぐにgoogle で検索できる。また外国の美術館に行っても、原語の説明に困ることはない。google カメラで説明を撮影して、それを翻訳機能で再生(私の場合は補聴器に送って)しながら、展示品を見ることで、展示品に集中できる。仕事から趣味まで、まさに自分がgoogle manになっているのがわかる。
程度は異なっても、世界中の人間が同じ便利さを共有しているとすると、googleの検索アルゴリズム、すなわちどのURLを優先的に提示するかを決めるアルゴリズムが、人間の判断に大きな影響を与える心配がある。
今日紹介するスタンフォード大学のインターネット観測所(こんな施設があることを知って大学の見識に驚く)からの論文は、2018年トランプ政権での中間選挙、そして2020年の大統領選挙の機会を利用して、検索アルゴリズムが検索している人間の好みに偏っていないか調べた研究で、5月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Users choose to engage with more partisan news than they are exposed to on Google Search(Google検索での党派的なニュースの偏りは検索エンジンの偏りではなくユーザーの選択の問題)」だ。
トランプ前大統領が絡んだ選挙は、米国が2分され、党派性が前面に出た選挙として有名だが、2018年中間選挙と、2020年大統領選挙時に、参加者の政治的な立場を7段階(熱狂的共和or民主、普通の共和or民主、共和寄りor民主寄り、中立)に自己申告で表明してもらい、また選挙中のgoogle検索について、政治に関する検索のみ分析させてもらっている。
どのURLが最初に提示され、どのURLを閲覧したかなど詳しく調べる必要があるため、規模としては300人規模の調査になっている。この研究の特徴は、表示されたURLに政治的偏りがないかを検討したことで、好みに合わせて検索結果を変える場合は、調査前の検索行動から、最初から好みに合わせた結果になる可能性がある。
結果だが、
最初の検索で提示されるURLに関して、google検索では偏りはなく、熱狂的共和or民主ともに同じ様な検索結果が提示される。すなわち、個人の好みが増幅される様には設計されていない。
ところが、どのURLを閲覧したかを見ると、それぞれの政治的立場に合わせた選択が行われる。
この研究では、ニュース提供URLを公的な発表データに基づき、信頼性が高い、あるいは低いURLに分類している。そして信頼性の低いと分類されたニュースURLを見る傾向を探ると、共和党支持者ほど、信頼性の低いURLを閲覧している。
自分の好みのURLを閲覧する人ほど、信頼性のないURLを選びがち。
などが明らかになった。
議会襲撃などからも想像できるが、同じ様な研究をぜひ日本でもやってほしいと思う。
2023年5月30日
長い時間の飛行を要する宇宙探査を最小限の資源で可能にするため乗組員を冬眠させるという話は、私が子供の頃からSFの定番だった。この可能性が現実味を帯びてきたのは、理研の砂川さんと筑波大学の桜井さんたちによる、刺激により安全な冬眠を誘導できる視床下部の神経サーキットの発見だろう。
ただこの研究も含め、このサーキットを刺激するためには、遺伝子改変などが必要で、簡単に冬眠を誘導するというわけには行かなかった。ところが今日紹介するワシントン大学からの論文は、頭蓋の外から超音波を下垂体に照射するだけで冬眠を誘導できることを示した研究で、5月25日 Nature Metabolism にオンライン掲載された。タイトルは「Induction of a torpor-like hypothermic and hypometabolic state in rodents by ultrasound(齧歯類に超音波を照射して低体温と低代謝の冬眠様状態を誘導する)」だ。
超音波に反応するメカノチャンネルの存在が知られており、発現している神経細胞を超音波パルスで刺激することができる。この研究では、これまで冬眠誘導で知られている神経を超音波で刺激できるかやってみたところ、照射後1時間をピークとする深部体温の低下、酸素消費量の低下、呼吸数の低下、そして熱を発散させるための尾部への血管の拡張を観察している。
さらに、超音波照射を深部体温のセンサーと連結して、必要に応じて短い超音波パルスを与えることで、完全に24時間続く冬眠を誘導し、また冬眠からの覚醒も正常に起こることを明らかにしている。すなわち、外部からの超音波照射で自由に冬眠状態を誘導し、また覚醒させることに成功した。
次は、これまで冬眠誘導ができるとして特定されていた神経細胞が刺激されているのか、またどのチャンネルが超音波に反応するのかを調べている。超音波照射は、神経細胞の興奮を誘導していることをFos遺伝子の発現で確認した後、single cell RNA sequencing を用いて、興奮細胞が冬眠神経の特徴として示されてきたいくつかの分子をセットで発現していることを明らかにし、確かに超音波により冬眠神経回路が活性化されることを明らかにしている。
そして、これらの細胞はTRP2を中心に幾つかのメカノセンサー分子を発現しており、たとえばTRP2の発現をノックダウンすると、超音波による興奮が起こらないことを確認している。実際にはTRP2ノックダウンでは完全に興奮を抑えられないので、幾つかの分子が同時に反応して冬眠回路を刺激していると結論している。
次に、この回路の投射領域や、代謝への直接効果を検討し、一つは褐色脂肪組織の熱発生を抑え、また尾部血管の拡張による熱発散を起こすことで、体温や代謝を下げることを明らかにしている。
最後に、元々冬眠誘導性を備えているマウスではなく、その様な傾向がないラットでも同じ様に超音波による冬眠誘導が可能であることを示し、将来人間にも使えるのではという可能性を匂わせて終わっている。
たまたまメカノセンサーを発現していたのは偶然だろうが、可能性を調べてみようと考えたことがこの研究のハイライトと言える。宇宙旅行での冬眠にどれぐらい近づいたのか?おもしろい。