2024年5月16日
ヒトの胚発生で最初に起こる分化決定は、将来胎児へと発生する内部細胞塊(ICM)と胎盤へと発生する栄養外胚葉(TE)への分化だ。逆に言うと、そこまでは分裂中の細胞もほぼ同じ分化能を保っているといえる。ところが最近になって、ヒト細胞のゲノムを何回も繰り返して読むことで、成人後の細胞の由来をある程度調べることができる様になり、私たちの身体の細胞の由来に不均等性が存在することがわかってきた。
今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は、ヒト初期胚を2細胞期から胞胚期までの発生過程を細胞レベルでトラッキングして、最初に分化決定が起こるのが8細胞期で一部の細胞に見られる不当分裂の結果である可能性を示した研究で、5月4日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「The first two blastomeres contribute unequally to the human embryo(最初の分裂で形成される2個の割球の胎児への分布は不均等に起こる)」だ。
責任著者の Magdalena Goez はヒト胚培養の第一人者で、手法は特に新しいわけではないが、その経験に基づくプロの仕事で、さすがと思う研究だ。TE と ICM への分化の分子生物学的メカニズムはよくわかっているが、この差がどう発生するのかはわかっていないことが多い。
そこで、まず最初の2個の割球が ICM と TE にどう分布するかを、片方の細胞をラベルして調べている。もしカエルのように早い段階で決定されるとすると、例えば ICM の全てはラベルされるか、あるいはラベルされないことになる。
実際には ICM も TE も両方の割球から由来することがわかるので、早い段階で運命が決定されるわけではない。ただ、ICM でのラベル細胞の割合を見ると、決して 1:1で分布するのではなく、どちらかの割球に由来する細胞が 75% を中心に分布している。ところが、TE ではほぼ 50% を中心に分布している。すなわち、ICM への分化だけが不均一に起こっていることがわかる。さらに、ICM とそれに接する TE とは由来が共通であることも発見する。
この単純な結果が研究の全てで、簡単そうに見えるが、ヒト胚を用いる数の制限を考えるとよくここまでできたと感心する。そしてこの結果から、続く卵割の早い時期に一部の細胞だけが TE と ICM へと不当分裂をする結果、ICM だけでラベルが不均等に分布すると予測した。
後は、細胞分裂の停止や、ゲノムの不安定性などの要因により分布に偏りが生じる可能性を排除した上で、ラベルした細胞をビデオで追いかける実験を繰り返し、8細胞期に胚の中心部へと落ち込む過程が鍵で、中心に位置した細胞でだけ ICM への分化が決定されること、そしてこの過程がランダムだが一部の細胞だけで起こるため、中心に落ち込んだ細胞の数を反映して、ICM への分布比率が変わることを明らかにしている。例えば一個の細胞だけが不当分裂ができた場合は、ICM の100% はどちらかの割球由来になる。
ただ、このようなラベル実験は正常を反映できない可能性があるので、最後に embryoscope と呼ばれる機械で、母胎に戻して発生能が確かめられた胚を記録した画像を解析し、8細胞期で起こる分裂時の不当分布が ICM を決めること、そして最初の卵割後、早く分裂を始めた割球ほど8細胞期での不当分裂、そしてそれに続くICM への分化確率が高まることを明らかにしている。
以上が結果で、後はこの現象論を、分子レベルのモニター可能な方法と組み合わせることで、最初の運命決定の分子メカニズムへとつなげることになる。Single cell レベルのエピゲノム解析手法もあるので、次の論文は割と早く出てきそうな気がする。
2024年5月15日
髄膜脊髄瘤は背骨の一部が欠損する二分脊椎の一型で、胎生期の神経管形成異常で、発生頻度は比較的高い。母体の葉酸摂取量と発症が関わっていることが知られており、葉酸摂取が勧められるようになりその頻度は低下してきた。しかし、ほとんどのケースで発生のメカニズムはわかっていない。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校を中心とする研究は、髄膜脊髄瘤のゲノム解析とマウス発生遺伝学を組み合わせて髄膜脊髄瘤発生のリスク遺伝子を特定した研究で、5月3日号 Science に掲載された。タイトルは「Risk of meningomyelocele mediated by the common 22q11.2 deletion(高い頻度で見られる22q11.2欠損により媒介される髄膜脊髄瘤の高リスク)」だ。
突然変異により発生する病気の多くは、子供だけに変異が見られる病気が多く存在する。この HP で何度も紹介した筋肉が骨に変わる病気FOPはその例で、精子か卵子の発生過程で起こった遺伝子変異が原因になる。この様な場合、両親と子供のゲノムを比較して原因遺伝子を特定することになるが、この研究でも髄膜脊髄瘤を発症した715ケースについて、本人と両親のゲノムを比較し、これまで報告がなかった22番染色体の q11.2 領域に小さな欠損が見られるケースを6例発見した。この領域欠損と髄膜脊髄瘤発生頻度を計算すると、正常の12-50倍のリスクになる。また、他のコホート集団も調べ、8例 22q11.2 欠損を認めている。
このうち2例では両親のいずれかに同じ変異が認められることから、この欠損により必ず髄膜脊髄瘤が発生するものではないことも明らかになった。さらに、このうち半数は、葉酸摂取が推奨されるようになってからの発症で、発症に様々な因子が関わる複雑な病態であることがわかる。
この領域には10種類の遺伝子が存在しており、発現パターンやノックアウト実験か、チロシンキナーゼと下流シグナルをリンクする機能を持ち、神経管発生時に強い発現が見られる、アダプター分子 CRKL を特定する。
後はこの遺伝子をノックアウトしたマウスを作成し、脊髄発生以上が起こるか調べることになるが、全く同じ脊髄瘤が発生するわけではなく、難しい実験だったようだ。まず、ノックアウトされた全てのマウスで異常がでるわけではなく、26%だけに尻尾がカールするという異常が認められた。
このように結果がばらつく場合、遺伝的バックグラウンドの影響もあるので、この研究ではB6マウス系統にそろえ、また低葉酸食を摂取させて発生率を調べると、脊髄瘤よりより強い異常、脳が頭蓋外に飛び出る外脳症が37%に見られるようになった。大事なことは、葉酸を摂取させたグループでは、このリスクが35分の1になることで、葉酸と CRKL が合わさって神経管発生異常が起こることを示すことができている。
最後に神経管での生化学的変化を調べると、CRKL が欠損すると ERK のリン酸化が強く抑制されることも示している。
結果は以上で、外脳症や脊髄瘤がどうしてできるのかという詳しいメカニズムはわからないままだが、モデル動物もでき、脊髄瘤という複雑な異常を解析するための入り口にようやく立てたという感じだ。
2024年5月14日
この HP でも何回か紹介したが、LSD やシロシビンのような幻覚剤がうつ病に効果があることがわかってきた。このような幻覚作用や抗うつ作用はセロトニン受容体を介して起こると考えられているが、2種類あるセロトニン受容体のうち、5-HT2A を介すると考えられてきた。しかし、LSD は HT2A だけでなく、もう一つの受容体 HT2A にも反応することができ、さらに同じ親和性で両方の受容体に反応する、ガマ由来の化合物 5-MeO-DMT の存在が明らかになり、それぞれの受容体の幻覚作用と抗うつ作用の関与をはっきりさせる必要が生まれてきた。
今日紹介するニューヨークのマウントサイナイ Ichan 医科大学からの論文は、5-MeO-DMT とセロトニン受容体の構造を変化させ、5-HT1A への特異性が高まった化合物を開発することで、5-HT1A が抗うつ作用により強く関わることを示し、幻覚作用のない抗うつ剤の可能性を示した研究で、5月8日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Structural pharmacology and therapeutic potential of 5-methoxytryptamines(5-メトキシトリプタミンの構造薬理学と治療可能性)」だ。
この研究ではガマ毒素 5-MeO-DMT と2種類のセロトニン受容体との結合や活性化を構造的に詳しく調べることで、最終的に 5-HT2A への反応性が低下し、5-HT1A への反応性が高められた薬剤を開発し、幻覚作用と抗うつ作用を分離することを目的にしている。
従来指摘されていたように 5-MeO-DMT は両方の受容体をほぼ同様に活性化する。一方、LSD は 5-HT2A への親和性が若干強い。それぞれの 5-HT1A との結合をクライオ電顕で構造学的に調べると、概ね同じように結合するが、結合部位にあるさらに小さなポケットとの組み合わせが異なることを明らかにする。
そこで、5-MeO-DMT のアミン基やインドール基を様々な構造に変化させて、それぞれの受容体への親和性を調べ、最終的にほぼ 5-HT1A 特異的とも言っていい化合物 4-F、5-MeO-PyrT を開発している。そして、4-F、5-MeO-PyrT と 5-HT1A との結合の立体構造解析と、受容体側の変異導入実験から、4-F、5-MeO-PyrT と受容体との結合様態をほぼ完全に解読している。
その上で、これまで 5-HT1A 特異的とされてきた化合物と比べると、小さなポケットも含めてぴったりと結合し、その結果どの化合物より高い親和性で 5-HT1A 受容体を刺激する化合物であることを明らかにしている。
最後に、この化合物をマウスに皮下注射すると、30分をピークに脳に移行し、ストレスによるうつ状態を改善できること、そして元の 5−Me-DMT と比べると幻覚状態を反映する反応がほぼ完全に消失していることを示している。
以上が結果で、少なくともガマ毒に関しては、幻覚作用と抗うつ作用を、それぞれ 5-HT2A 及び 5-HT1A の作用であることを示すとともに、幻覚作用にない強い抗うつ剤開発が可能であることを示した。薬理学の手本といえる研究で、期待できる。
2024年5月13日
何度も紹介しているが、我々の体の細胞は地球の時点に適合して概日リズムを示す。これには Bmal1 をはじめとする転写因子が関わっており、これが欠損すると細胞レベルでこのリズムが狂う。この結果様々な遺伝子の発現も概日リズムに従うことになるため、例えば薬剤を投与するタイミングが異なれば、それに反応する分子の発現量が異なっており、効果も変わることが知られている。
ここまでは十分納得するが、今日紹介するジュネーブ大学からの論文は、遺伝子発現の概日リズムの結果、ガン組織の細胞数まで概日リズムを刻む、すなわち一日の間に数が増えたり減ったりすることを示した研究で、5月8日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Circadian tumor infiltration and function of CD8+ T cells dictate immunotherapy efficacy(腫瘍浸潤とCD8T細胞の機能の概日リズムが免疫治療の効果に現れる)」だ。
最初のデータがまず衝撃的だ。ガンを皮下に注射して12日経ってから、異なる時間にガン組織を取り出し、浸潤細胞の数を測ると、T細胞だけでなく、マクロファージや NK細胞、そしてCD45陽性血液細胞全体が夜の活動期の前をピークとする概日リズムを示す。そして、昼夜をずらせてリズムを狂わせると、浸潤細胞数の数も変化しなくなる。また、Bmal1 をノックアウトすると、同じようにリズムが消失する。
遺伝子発現のリズムならわかるが、簡単に出たり入ったりできない血液細胞数のリズムがどうして可能かについては、腫瘍血管内皮の ICAM やセレクチンが概日リズムを示して、出入りを決めていると結論している。しかし、いったん浸潤した T細胞はそんな短い間に消えていくのか?誰でも、かなり怪しいと思う。実際、normalized 細胞数の計算の仕方は方法を 読んでもよくわからない。
このように誰もが抱く疑問を当然感じて、今度は時間を変えて CAR-T を移植する実験を行い、リズムのピーク時に CAR-T を注射すると、細胞の浸潤が高まり、実際にガンの増殖が抑えられることまで示している。だとすると、CAR-T 治療は注射した時に腫瘍浸潤した細胞だけで決まるのか?これが本当なら、CAR-T 治療を考え直す必要がある。
浸潤した細胞も当然独自に概日リズムを刻む。そして、PD-1 発現を調べると、これも夜の活動期が始まる前にピークが来る。これ自体は全く不思議はないが、PD-1 に対する抗体注射を、ピークのタイミングで行うのと、最も低いタイミングで行う場合を比べると、驚くなかれ抗体の効果が異なり、ピークに注射した方が高い効果を示す。一見なるほどと思ってしまうかもしれないが、抗体の半減期は長い。もし飽和濃度の抗体を注射しておれば、注射後常に抑制が十分効いているはずで、こんな違いが出るのは解せない。もしこれが正しいとすると、最初の抗体注射の状況が記憶されていることになる。
最後に、人間でも同じことがいえることを、手術時間などが正確に知られているサンプルをデータベースで調べ、活動期をピークとする免疫細胞数のリズムがあることや、抗原刺激が続いてフィードバックがかかった CD8 の数が昼に上昇することなどを示している。
結果は以上で、最後まで信じがたい結果だと思う。特にチェックポイント治療結果については、かなりメカニズムを示すことを要求した方がよかった気がする。また、もう少しわかりやすい指標を示してほしかったと思う。ただ、本当なら免疫細胞動態を考え直す必要がある。
2024年5月12日
リポプロテインは今や悪玉、善玉コレステロールなどの言葉で一般にも広く知られるようになった。悪玉LDL、善玉HDLをはじめ数種類が知られているが、基本的には構成するアポプロテインの違いにより決まり、体内での脂肪輸送の特異性を決めている。
このリポプロテインの中に含めないようだが、最近明らかになったのが lipoprotein(a) (Lp(a)) と呼ばれる、機能が完全にはわかっていないリポプロテインで、この血中濃度と動脈硬化のリスクが相関することから注目されている。ただ、他のリポプロテインと異なり、濃度はほぼ遺伝的に決まっており、また濃度を下げる薬剤は存在しない。
今日紹介する米国 Lilly 社研究所からの論文は Lp(a) の構成成分である apo(a) に結合する小分子化合物を開発し、Lp(a) の濃度を低下させることができる薬剤の開発研究で、5月8日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Discovery of potent small-molecule inhibitors of lipoprotein(a) formation(リポプロテイン(a) の生成を阻害する効果の高い低分子化合物の発見)」だ。
Lp(a )は LDL を形成している apoB-100 に apo(a) が結合することで形成され、これにはクリングルドメインと呼ばれる領域が関わることが知られている。この研究では apo(a) のクリングル IV ドメイン(KIV)に結合してアポBとの結合を阻害する化合物をスクリーニングし、まず LSN3358371 と名付けたリード化合物を特定し、これを経口可能な化合物へと至適化する中で、経口可能でリード化合物より2オーダーアフィニティーが高い LSN3441732の 合成に成功している。
この化合物をヒト apo(a) トランスジェニックマウスに投与すると、期待通り Lp(a) 合成が強く抑えることができる。また、この化合物が2つの KIV ドメインに結合することで強い活性を示していることを発見する。この結果から、さらに3つのKIVドメインと結合可能な LY3473329 を合成すると、さらに強い活性を示すことがわかったので、これを経口可能な薬剤としてMuvalaplinと命名し治験に進んでいる。
第一相の治験については昨年の9月にJAMA に発表されており、114人の参加者で特に急性の副作用がないこと、そして Lip(a) を65%程度減少させることに成功している。すなわち、今回の論文は治験結果と平行して、Muvalaplin の開発の基礎的過程を明らかにするための論文になる。
Lp(a) を低下させる薬剤の開発自体は当然評価していいが、論文の中で面白かったのは、apo(a) がプラスミノーゲン遺伝子の重複により進化してきたことに関わる現象だ。具体的には、Lp(a) はサル以上でしか存在しないので、前臨床試験はヒトLip(a)遺伝子を導入したトランスジェニックマウスで行うが、投与実験でラットのプラスミン活性が低下し、プラスミノーゲン濃度も低下するという問題を発見した。これが人間で起これば問題になるが、最終的にラットのプラスミノーゲンのみ、ヒトapo(a) と相同の領域を持つ KIV が存在するため、Muvalaplin がラットのプラスミノーゲンを分解しやすく変化させることを発見している。そして同じことはヒトプラスミノーゲンで起こらないので、プラスミン活性の低下はヒトでは起こらないと結論している。このような Lp(a) とプラスミノーゲンの進化過程にはなにか環境側の背景があるはずで、Lp(a)を損傷治癒に関わるという人もいるぐらいなので、面白い話が隠れているように思う。いずれにせよ、薬剤開発が難しいとされてきた過程に新しい薬剤が提供されそうだ。
2024年5月11日
「はじめに線虫ありき」は、分子生物学の祖の一人と言ってもいい故Brennerが、MRCに多細胞動物の発生や生理を研究するための線虫のモデル実験系を確立していく過程を克明にレポートした、大変面白い本だ。詳細はほとんど忘れているが、私の印象に強く残った内容の一つは、モデルが世界的に使われるようになり、このプロジェクトからノーベル賞受賞者が出たのにもかかわらず、Brennerはプロジェクトは不成功に終わったと総括したことだ。彼ならではの皮肉と考えてもいいのだが、自分で見たかったものが見えずに終わったことを率直に述べたのだと思う。
そしてもう一つ印象に残ったのが、プロジェクトの最も重要な目的として線虫内の細胞間の関係を解剖学的に知るという目的で、線虫のスライスを電子顕微鏡で解析し、細胞関係図として再構築しようとしたことだ。ただ、細胞数が1000個程度と言っても、2次元画像を立体的に再構築するのは、コンピュータにパンチカードでインプットしている時代には全く不可能だった。この結果、彼はプロジェクトは失敗したと総括したのだが、彼の夢はコンピュータや AI の発達のおかげで実現している。例えば線虫では、電顕画像をもとに神経発生を再構築した研究がある。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、人間の大脳皮質6層をカバーしている数ミリ単位のブロック(49080個の神経細胞とグリア細胞、8100個の血管細胞が存在し、1億5千万個のシナプスを要する)から、5019セクションを作成し、すべての画像が集められたデータベースを開発した研究で、5月10日号の Science に掲載された。タイトルは「A petavoxel fragment of human cerebral cortex reconstructed at nanoscale resolution(ペタボクセルデータを要するヒト大脳皮質フラグメントをナノスケールレベルで再構築する)」だ。
タイトルにあるようにこのデータベースには2の50乗のボクセルが集められており、これを立体画像にしたり、数値分析するためには様々なアプリケーションの開発が必要で、このグループも3種類のアプリを提供し、データとともに誰もがアクセスし利用できるようにしている。
最終的にどんな画像が得られるのかについては、アクセス可能な論文のアブストラクトに添えられた写真を見てほしい(https://www.science.org/doi/10.1126/science.adk4858 )。神経同士の関係や、一つの軸索に、一つの樹状突起が複数のシナプスを形成している像を見ると、ここまでできるのかと必ず驚くこと間違い無い。
ただ、これが完成するまでは、神経分岐や結合の再構成時の間違いを正す様々な仕掛けが必要になる。通常は全てコンピュータでエラーも検出できるようにするのだが、この研究ではデータを公開し、人間によって画像を追いかける方法も使えるようにしている。要するに、これからこのデータベースを見たいと思う人も含めて、人海戦術でプルーフリーディングを行なっている。
ではこのデータベースから何が新しくわかったのか。形態だけなので新しい発見は難しいかと思いきや、先に示した写真のように、皮質第6層の Triangular neuron が近接している細胞同士で密接な結合を形成していること、また第3層の錐体細胞アクソンにシナプス接合するデンドライトが、ほとんどは一カ所のシナプスで結合するのに対し、写真にあるように何カ所も極めて強固な結合を示す場合があり、分布は確率論的ではなく間違いなく神経活動依存的であることを示している。スパインの形態が変化するのは知っていたが、ここまで複雑な構造が形成されているのを見ると、形態学の重要性がわかる。
2024年5月10日
タンパク質の構造予測だけでなく、核酸から小分子化合物のような様々なバイオモレキュールを予測できる AlphaFold3 が、5月8日 Nature にオンライン掲載された話がメディアを賑わせている。今回の論文は難しいので、研究内容を紹介せず、何ができるかという話だけを書いているようだ。吟味なしに適当に報道するのは日本のメディア報道の典型で、それが如実に表れたのが、小保方さんの論文報道だと思うが、これに加えて今回は少しカチンとくるところがある。すなわち、この論文より1ヶ月前にワシントン大学から同じような内容の RoseTTAFoldAll-Atom が Science に発表された時には、全く報道されておらず、しかも今回の AlphaFold3 紹介時にも、ワシントン大学の論文には全く言及していない点だ。
1ヶ月遅れたが、RoseTTAFold All-Atom 論文について紹介する。タイトルは「Generalized biomolecular modeling and design with RoseTTAFold All-Atom(生体分子の汎用モデリングとRoseTTAFold All-Atom(RAAA)のデザイン)」だ。
この論文を読んだとき、タンパク質構造だけでなく、ほぼすべての生体分子や小分子化合物の相互作用を予測できるという話で、是非紹介したいと思った。しかも、Google ではなく、ワシントン大学など、アカデミアでこの様な研究が進んでいることに感銘を受けた。ただノーベル賞級の仕事でどこかで紹介すると思ったのと、大規模言語モデルを超えて、拡散モデルとガウスノイズや、集合データ学習など、私の最も苦手とする数理処理の話が多く書かれていたので、残念ながら紹介を断念していた。しかし、メディアも取り上げず、さらに今回言及もしないというので、理解できていないことを断った上で、私の理解できた内容だけ紹介する。
タンパク質構造予測というと AlphaFold2 になっているが、ほぼ同時に RoseTTA モデルも発表されていた。利用者では間違いなくAlphaFold2 に先を越されたので、タンパク質系統樹のアラインメント比較に基づく方法では達成できない新たの目的にチャレンジしたのがこの研究だ。
素人にとって、Google 論文と比較すると、この論文の方がよりわかりやすく(といっても難しいが)丁寧に説明がされている。これまでの LLM モデルは相同タンパク質を数多く比較してタンパク質進化で生まれた構造的特徴をコンテクストとして拾う方法だった。ただ、これだと小分子化合物やタンパク質と結合する金属イオンなどは扱えない。
そこで、最も近い相同タンパク質との比較だけを行うことでアラインメントによる制限を外し、分子を構成する要素のタイプ、原子結合のタイプ、そして分子のキラリティーのタイプを、それぞれ1D、 2D、3D Trackとしてモデル化して学習させる方法をとっている。
そして、構造のデコーディングには、ランダムな分子配置からノイズを減らす、画像処理に用いられる拡散モデルが使われている。また、学習時にノイズを入れてそれから正解を予測させる、一種のマスク学習のような方法で正解率の高い学習を可能にしている。
モデルの詳細についての私の理解はここまでだが、このモデルに10万を超えるタンパク質と小分子化合物の結合様態、金属イオン結合したタンパク質の構造データ、そして共有結合を起こす分子結合データを学習させ、このモデルに新しく報告された様々なデータをインプットして、構造予測を行い、その精度を調べている。
これまで LLM ではない構造予測モデルが存在しており、小分子化合物との結合様態予測では RFAA が優れていること、またこれまでのモデルでできなかった金属イオンとの結合による構造、さらには結合により共有結合が生じるようなケースの予測も可能であることを示している。ただ、どこまで精度が上がるのか、今後学習を増やせば解決するのかなどは今後の問題になる。
この研究で私が最も驚いたのは、ある特定の化合物に対するタンパク質をデザインできるという事実だ。すなわち、関与するアミノ酸がランダムに配置された中から、ノイズを減らす計算を繰り返すことで、最終的にフィットするタンパク質の構造が設計できる点だ。
実際、ジゴキシジェニンと結合する新しいタンパク質を設計し、合成してそれを確かめている。同じ実験をヘムやビリンと結合するタンパク質についても行っている。
以上が結果で、私の理解では示された方法は Google とほぼ同じモデルで、全バイオモレキュール構造予測のプラットフォームの糸口ができたと言える。いずれにせよ、この論文は昨年10月に投稿され、Google 論文は昨年の12月に投稿されるという競争が行われている。ただ、アカデミアで独自に進められている努力が先に論文発表につながったことは、この分野でアカデミアもまだまだやれることを示している。このように、新しい課題は山ほどある時に、成功例だけ追いかけるような研究助成のあり方を改めることが重要だろう。
2024年5月9日
肝臓は再生能力が高い臓器で、例えば生体肝移植のドナーが 2/3 の肝臓を提供しても、機能を取り戻すことができる。ただ、肝臓障害性の毒物の摂取や、劇症肝炎など急速な損傷が起きると、肝臓細胞の増殖が追いつかないのと、肝臓組織の美しい構築を再生することができず、死に至ることがある。
今日紹介するエジンバラ大学からの論文は、アセトアミノフェン摂取による肝臓障害後の肝臓再生過程を、組織学的、細胞学的に詳細に調べ、損傷部位に集まる特別な肝臓細胞が損傷部位をまず閉じることから肝臓再生が始まるという、新しい概念を示した研究で、5月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Multimodal decoding of human liver regeneration(様々な方法を併せて人間の肝臓再生過程を解読する)」だ。
アセトアミノフェンによる肝障害で移植を受けた患者さんの肝臓を、この HP でも紹介し YouTube で説明した最新の網羅的組織ゲノミックステクノロジー(https://www.youtube.com/watch?v=KtjY4JEEjaA )を用いて解析し、肝臓再生の空間時間的過程を解析している。その結果、これまでほとんど指摘されてこなかったアネキシン(細胞移動に関与すると考えられている分子)を発現する集団が再生中の肝臓に現れることを発見する。
組織学的ゲノミックスを用いて調べると、この細胞は中心静脈から広がる壊死部分と正常組織の境界に現れ、遺伝子発現から肝臓細胞由来で、境界部に堤防のように上皮ライニングを形成していることが明らかになった。また、アセトアミノフェン障害だけでなく、肝炎による再生でも現れることが確認された。
次に、このアネキシン2陽性細胞をさらに詳しく調べるため、マウス肝再生モデル実験系を同じように調べると、マウスでも再生誘導後にアネキシン2陽性細胞が壊死細胞と正常組織の境界に現れるのが確認できる。そこでラベル実験を行い、この細胞が肝細胞由来であること、そして壊死細胞との境界に移動してくるが、その間48時間ほどで、細胞の増殖は必要ないことを明らかにする。すなわち、アネキシン2陽性細胞は傷口を塞ぐために現れ、壊死細胞の境界で極性を持った上皮構造を形成して、肝臓実質を外部から守る役割を持つことがわかる。
これらのことを確認するために、生きたマウスの肝実質での細胞動態を観察するシステムを完成させ、アセトアミノフェンによる障害で細胞の移動が誘導されることを観察している。これまで様々な組織のリアルタイムイメージングは見てきたが、肝実質でこれが可能になるとは驚きだ。見て新しいことがわかるかというと難しいと言わざるを得ないが、ともかくシステムを構築し、細胞が分散してくるのを見たことが重要だ。
さらに、肝細胞増殖による再生過程との関係を調べると、まず壊死細胞との境界を定め、それから細胞の増殖が誘導されるという順序が存在することが明らかになった。
最後に、マウス肝再生が進むときにアネキシン2をノックアウトすると、壊死層との境が閉じないことから、アネキシン2陽性細胞が壊死部と正常部の境を形成して、壊死部を閉じる過程にアネキシンが必須であることを示している。
結果は以上で、肝臓のような実質臓器で、皮膚損傷治癒と同じような傷口修復、その後の再生という過程が順序よく進んでいくことを知り、実にうまくできていると感心した。
2024年5月8日
昨年7月、2回にわたって細胞周期の調節メカニズムの見直しが進んでいることを紹介した(https://aasj.jp/news/watch/22329 )、(https://aasj.jp/news/watch/22475 )。ざっくりまとめると、増殖因子により活性化される CDK4/6 が、G1 期を超えて必要とされるという話で、異なるサイクリンがチェックポイントに応じて順々にリン酸化、分解を繰り返すことで、正確な DNA 複製と細胞分裂が進行する、美しいスキームで説明できないことが多くあることを示している。
今日紹介する米国ジョンズホプキンス大学からの論文も CDK4/6 の G1 期を超えた役割を明らかにした研究で、5月3日号の Science に掲載された。タイトルは「CDK4/6 activity is required during G2 arrest to prevent stress-induced endoreplication( CDK4/6 は G2 停止期にストレスデ誘導される核内倍加を阻止する)」だ。
ガン細胞の多くは分裂を経ずに DNA 複製が核内で起こる染色体倍加が起こっていルことが知られている。この研究は、各細胞周期特異的ドライバー(サイクリン A/CDK1 )の標的分子を蛍光分子と結合させて、それぞれのドライバーの活性をモニターしながら G2 期から細胞分裂に至る過程を追跡することで、G2 期から細胞分裂を経ずに DNA 複製が始まる分子過程を調べている。
細胞周期の研究を理解するには、各ドライバーについての知識が必要で、詳細に踏み込むとますますわかりにくくなるので、かなり省略して紹介すると次のようになる。
これまで核内倍加は p53 の変異が主原因であるとされていたが、正常細胞を用いた実験で p53 とは無関係に、リボゾーム機能阻害、DNA損傷、浸透圧などの様々なストレスで誘導できることを示している。
次に、G2 期から分裂期へのドライバー活性をモニターする系で、ストレスによりリン酸化活性化されるMAP3K を起点とするシグナルが、細胞後期のドライバー Anaphase promoting complex (APC) の活性化を誘導することで、核内倍加が起こることを示している。
そしてストレス存在下で、各ドライバーの活性を精緻にモニターして、このストレスによるシグナルがCDK4/6、CDK2 などを順々に抑制することで、分裂前のG2期停止から解放し、結果早期にDNA合成、そして核内倍加が起こることを示している。
もう少し細胞周期的に説明すると、ストレスによりまず CDK1/CyclinA が阻害されることで、G2 期停止が起こる。このとき分裂前の DNA 合成を抑えるためには CyclinA の標的分子 E2F のリン酸化を維持することが必要で、これができないと DNA 合成が分裂前に始まる。このとき、同じ E2F をリン酸化するCDK4/6/CyclinD の活性が維持されていると、G2 停止期は正常に続き、ストレスがなくなると正常分裂が始まる。すなわち、前回紹介した論文と同じで、G2 から分裂期への離脱時期でも、増殖因子により活性化される CDK4/6 は、細胞周期を維持するために働いていることになる。
以上が結果で、核内倍加が p53 とは無関係に起こりうること、そして CDK4/6 シグナルがこのようなストレスから細胞周期を守る働きをしていることがよくわかる。CDK4/6 は治療に使われており、この結果はストレスの多い条件でこの薬剤を使うともっと効果が高まることを示している。
2024年5月7日
神経伝達速度がアクソンのミエリン化により維持されていることは神経科学のイロハだが、軸索がミエリン鞘と呼ばれる膜で包まれているのを電子顕微鏡写真で見ると、その美しさに感動を覚える。逆に言えば、このような美しい形態を維持することが簡単でないこともよくわかる。事実、神経損傷や多発性硬化症でミエリン鞘が傷害されると、再生には時間がかかる。また、老化により脱髄は進み、痴呆の原因になる。
今日紹介する中国四川大学と、米国シンシナティ子供病院からの論文は、HDAC3 阻害剤として開発されていた化合物 ESI1 がオリゴデンドロサイトの分化を促進してミエリン鞘形成を高め、多発性硬化症治療から老化脳でのミエリン化促進まで多様な効果を持つことを示した研究で、5月2日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Small-molecule-induced epigenetic rejuvenation promotes SREBP condensation and overcomes barriers to CNS myelin regeneration(エピジェネティック若返りを誘導する小分子化合物は SREBP の相分離を誘導し中枢神経でのミエリン化の障害を突破する)」だ。
実に多くのデータが集まった論文なので、詳細は省いてポイントだけを紹介する。
この研究は、多発性硬化症(MS)の脳で、オリゴデンドロサイトは比較的正常に存在するのに、なぜミエリン化がうまくいかないのかという疑問から発している。MS 脳組織を解析した結果、ミエリン化に必要な遺伝子がエピジェネティックにサイレンスされていることを発見する。そして、このエピジェネティック変化を反映して分子マーカーを発現するトランスジェニックマウスを用いて、サイレンシングを解除する化合物をスクリーニングし、ヒストンアセチル化酵素 HDAC3 阻害剤としてインドで開発された化合物 ESL1 を特定する。この化合物は最初老化による認知障害を治療できることが示されていた。
後は発生過程、神経再生過程、そして MS で MSI1 の効果を調べ、オリゴデンドロサイトの分化を促進し、ミエリン形成能を高める結果、神経再生や、MS モデルマウスの再ミエリン化を促進し、症状を抑えることを明らかにしている。
次に培養細胞を用いて ESI1 が確かに HDAC3 を阻害することで、オリゴデンドロサイトをエピジェネティックにプログラムし直し、細胞分化だけでなく、細胞骨格の変化、そして何よりもミエリン形成に必要なコレステロール代謝に関わる酵素群の発現が再活性化されることを示している。
脂肪代謝システム活性化をさらに追求すると、HDAC3 阻害効果だけでなく、コレステロール代謝の核になる転写因子 SREBP 分子の核内での相分離を促進して転写活性を高めることも、ミエリン合成システムの促進に関わることも示している。ただ、この相分離の詳しいメカニズムについてはよくわからないが、スーパーエンハンサー形成と結びついていそうだ。
最後にもう一度生物学的効果の検討に移り、ヒト iPS 由来神経細胞オルガノイドで、ミエリン鞘の長さを延長できること、そしてインドからの論文が示したように、老化による認知機能が改善されるが、この効果が老化脳のミエリン化を再活性化させることによることを示している。
結果は以上で、これまで免疫を抑え、脱髄を抑制することに集中してきた MS 治療に、新しい治療可能性をもたらすとともに、アルツハイマーに並んで認知障害の原因になる白質障害の治療が可能になる可能性が示されたと思う。ESI1 が本当に薬剤として必要な性質を持つのか、他の細胞のエピジェネティックな状態の変化が問題にならないか、など検討項目は大きいが、MS、白質障害の新しい治療可能性が示されたことは極めて重要だと思う。