2019年9月3日
酵素というと細胞内に存在するタンパク質を思い浮かべるが、細胞膜上で機能する生体膜酵素も存在しているが、その機能の解析はまだまだ進んでいない。この2週間に面白いと思った生体膜酵素の論文を2報目にしたので、今日から紹介することにする。1日目の今日はデューク大学から8月21日号のScience Advancesに発表された骨粗しょう症に関わるectonucleotidaseの研究を紹介する。タイトルは「Dysregulation of ectonucleotidase-mediated extracellular adenosine during postmenopausal bone loss (閉経後の骨粗しょう症で見られるectonucleotidaseによりできる細胞外アデノシンの調節異常)」だ。
このectonucleotidaseとは、細胞膜上で細胞内から出てきたATPをアデノシンへと分解する酵素システムで、細胞膜タンパク質なのでCD39とCD73という命名がされている。
この研究では卵巣を摘出したマウスを用いた閉経モデルでCD39,CD73の発現を調べ、卵巣摘出で骨髄でのCD39/73の発現が、血液細胞を含む様々な細胞系列で低下していることを発見する。一方、エストロジェンを加える実験で、骨芽細胞系、破骨細胞系ではエストロジェンで最後のアデノシンへの分解を媒介するCD73が低下、その結果としてアデノシン濃度が低下することを発見するる。すなわち、エストロジェンによって合成の上昇した細胞外アデノシンが、閉経後の骨形成に関わる可能性が示唆された。
そこで、アデノシン受容体A2BRを骨芽細胞や破骨細胞前駆細胞でノックダウンすると、骨芽細胞の活性が低下、逆に破骨細胞形成が低下するので、アデノシンは骨形成を高め、骨の分解を抑えることがわかった。
この結果は、閉経後もアデノシンからのシグナルを維持できれば、エストロジェンがなくても骨形成を維持できることを示唆しており、これを確かめる目的でA2BR受容体を刺激する薬剤を卵巣摘出マウスに投与すると、全体の骨の体積や、骨梁の数の低下が抑えられることを示している。
例えば、エストロジェンでCD73は低下するが、CD39はどうして上昇するのか、その結果確かにアデノシンは低下するが、AMPの合成は上がるのではと考えられるが、その影響はなど、まだまだ調べることは多いと思うが、少なくとも私が知っている骨形成や破骨細胞活性化とは全く異なる機構のシステムなので、今後閉経後の骨粗しょう症だけでなく、ほかの骨形成異常にも利用価値が出てくるのではと期待される。
もちろん更年期障害にはホルモン療法が高い効果を示す。しかし、先週発表されたThe Lancetの論文では、ホルモン療法を受けると間違いなく乳がんの発症リスクが上がることが証明されている。その意味でも、この経路は重要だとおもう。
2019年9月2日
胎児の染色体異常を母親の血液に漏れ出てきたDNAで診断するliquid biopsy検査が普及しているが、ガンの診断を、血中に流れるDNAやガン細胞そのもので行うliquid biopsyも開発されており、何年か前に何回も紹介した。しかし、その後あまり多くの論文を見ることがないように思う。もちろん、技術が当たり前になってより専門性の高い雑誌に掲載されているため見つからないのかもしれないのかなと思っていたが、タイミングよく8月28日号のScience Translational MedicineにVogelsteinをはじめとする大御所が集まってこの領域の現状を短く報告してくれていたので、面白いと思った点を箇条書きにして紹介する。タイトルは「Applications of liquid biopsies for cancer (Liquid biopsy のガンへの応用)」だ。
- 技術的には、エピジェネティックスも含め、点突然変異や欠損など様々な変異を捉えることができる。
- 血中DNAの半減期は1時間なので、血中DNAの多くは白血球とガン細胞由来だが、ガン患者さんでは血中のDNA自体が時に10倍に高まるが、ガン細胞由来DNAだけとは考えにくいので、この原因を調べることは重要。
- 質量分析を組み合わせて、確実な早期診断が可能になる。
- ガンの診断時、バイオプシーせずにガンの変異をしらみつぶしに調べる目的には、技術も発達しており利用価値が高い。また、抗ガン剤を選ぶためにも重要(しかしコストは?)
- 手術後、現在は副作用はあるにしても想定される転移巣を叩くため、アジュバント治療が行われるが、これを行うかどうかの基準として使える可能性がある。実際、血中のDNAやガン細胞数などは再発率と相関する。
- 治療経過、特に再発を早期に診断するマーカーとして使う可能性はほぼ完全に確立している。新しい変異が起こってガンが薬剤耐性を確立する過程を診断する方法の確立は加速してほしい。
- ガンを発見するための集団検診として使うのはまだ難しい。現在のところは患者さんを混乱させるだけ。
以上がこの総説で触れられた重要な点だと思う。だいたい思っていたのと同じだが、要するに役に立つことは間違い無いので、コストに見合う補助検査として使えるよう、体制を整えるべきだという結論だと思う。例えば我が国で実際にどの程度普及しているのか、もしよかったらお教え願いたい。
2019年9月1日
ガンが恐ろしいのは、局所で増殖するだけでなく体の様々な場所に転移するからだが、この時、転移先の組織とポジティブとネガティブに組み合わさった様々な相互作用の結果、その組織に転移するかどうかが決まる。この相互作用については転移先のガンの周りにある組織の研究として最重点分野になっているが、転移が始まったばかりの小さなガンについては周りの組織を選んでとってくるのが簡単でないため、研究が進んでいなかった。
今日紹介する英国のクリック研究所とケンブリッジ大学からの論文はこの問題をなるほどと感心させる方法で解決し、転移ガンの周りの組織を解析した研究で8月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Metastatic-niche labelling reveals parenchymal cells with stem features (転移先のニッチ細胞を標識により実質細胞ニッチの幹細胞的性質が明らかになった)」だ。
転移ガンと隣接する周りの組織を研究するためには、まず隣接している細胞だけを選択的に集める手法の開発が必要だ。これまで、顕微鏡下でレーザーで細胞を集めたり様々な方法が用いられているが、どこの研究所でも簡単にできるという方法はなかった。
このグループは、ガン細胞自体に周りの細胞を標識させようと着想し、膜通過性の蛍光タンパク質をガン細胞に分泌させる方法を開発した。すなわち、ガン細胞が蛍光物質を分泌すると、そのタンパク質は細胞質に自分で浸透し、周りの細胞も蛍光を発するようになる。使われた各コンポーネントは特に新しいわけではなく、言われてみればなぜこの方法がこれまで使われていなかったのか不思議なぐらいだが、まさに膝を打つとはこのことだと思う。
試験管内やガン細胞を注射して転移させる実験から、確かに周りの細胞が蛍光ラベルされることを確認して、ガンの周りに存在する様々な細胞を取り出して、ガン細胞との相互作用を調べている。
この研究ではマウスの乳ガン細胞の肺転移をモデルに使っているが、例えばガンの周りにある好中球を、普通の好中球と比べると、確かに活性化されており、ガンの増殖を助ける力が強いことを明らかにしている。
おそらく最も重要な発見は、ガンの周りに肺の上皮細胞が存在しており、これが2型の肺胞細胞であること、そしてガンにより様々な肺上皮細胞へと分化できる未熟幹細胞へと理プログラムされていることを明らかにした点だ。この理プログラムがなぜ起こるのかなどは今後の課題だが、このテクノロジーにより初期過程から研究が可能で、期待できる。
もちろんテクノロジー自体は、発現系を工夫すれば転移にとどまらず、細胞間相互作用を調べるための重要なテクノロジーになるだろう。急速に普及するのではという予感がする。
2019年8月31日
同性と気軽にセックスすると聞くと、コミュニケーションの手段として性行動が使われているボノボを思い出す。相手を殺すこともあるチンパンジーと比べるとこの行動がボノボの平和的倫理性に基礎となっているように思うが、では人間ではどうなのだろう。
自らもホモセクシュアルであることを公言する脳科学者サイモン・リーバイのQueer Scienceを読むと、ホモセクシュアルの権利を求める運動は、この性質が生まれや教育の問題だとする世間に向かって、この性向が生まれついてのものであることを認めさせるところから始まる。
今日紹介するオーストラリア・クイーンズランド大学を中心とする国際チームの論文は、まさに同性とのセックス行動の遺伝的背景を扱った研究で8月30日号のScienceに掲載された。タイトルは「Large-scale GWAS reveals insights into the genetic architecture of same-sex sexual behavior (大規模ゲノム検査から同性に対する性行動の遺伝的背景を考える)」だ。
しかし、UKバイオバンクや、民間のゲノムサービスによりゲノム検査を受けた人の数が増えると、これまで考えられなかったような弱い遺伝的傾向についても調査が可能になる。この研究では50万人近いデータが集まっているUKバイオバンクと、23&meなどの民間ゲノムサービスを受けた人の、性的な好みを調査し、遺伝的な背景を特定しようとしている、いわゆるGWAS(全ゲノムレベルでの相関検査)だ。
ただ、ホモセクシュアルだけを対象とするのではなく、同性とのセックス経験のあるすべての人をリストしており、ボノボ的気楽な関係も含んでいる。UKバイオバンクの構成は圧倒的に白人中心だが、驚くのは男性で4.1%、女性で2.8%が同性とのセックス経験があると答えている点だ。さらに、この比率は若い世代ほど高まっており、例えば1940年生まれの男性なら2%なのに、1970年生まれの男性は6%を超えている。白人が中心だとしても、私にとっては驚きの結果だ。
このように、ホモセクシュアル以外の同性セックス経験者を全部含めて調べたのがこの研究の特徴で結果をまとめると、次のようになる。
- GWASによりはっきりと相関性のある遺伝子多型として5種類が同定され、臭いの感受性、性発達に関わる遺伝子の多型が含まれていることから、遺伝的な背景は存在する。
- 遺伝性がみられるとしても、はっきりと有意差が見られたこれらの多型で説明できる部分は1%程度で、実際には多くの遺伝子が絡み合う複雑な背景を持っている。
- 同性とのセックスと相関する遺伝子群が関わる、他の性質を調べると、性格や病気など様々な性質がリストされるが、中でも双極性障害、マリファナの利用、セックス相手の数などが強く相関している。
- 同性セックスといっても、完全にホモセクシュアルから興味本位の経験まで、大きく行動は変化するが、完全なホモセクシュアルに近いほど遺伝的相関は高い。
他にも様々な解析が行われているが、この4つが重要な結果だと思う。要するに、何か特定の遺伝子で決まるほど単純ではないが、私たちの性格が遺伝子の影響を受ける程度に、同性セックスも影響を受けているという結論になると思う。
今後はサイモン・リーバイが示したような、より明確な脳の解剖学的変化とGWASを組み合わせることが重要になると思うが、MRI検査が進むUKバイオバンクならこれも可能だろう。
2019年8月30日
炭水化物をグッと抑えた食事からカロリー摂取するケトンダイエットは、サッカーの長友選手による宣伝効果もあって、普及が進んでいる。それだけでなく、これまで紹介してきたように、難治性のてんかんや発達障害にも効果があることが示されているが、要するに糖質なしで脂肪を燃やして持続できる身体へと、からだをプログラムし直してくれる。だとすると、単純なカロリー代謝の問題ではなく、本当は複雑な分子カスケードが誘導されている気がする。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はケトン体が幹細胞のエピジェネティックスを変化させて未分化性の維持に働く仕組みを示した研究で、今後のケトン食の利用を考える上でも大きな示唆になる研究だと思う。タイトルは、「Ketone Body Signaling Mediates Intestinal Stem Cell Homeostasis and Adaptation to Diet (ケトン体のシグナルは腸管幹細胞のホメオスターシスと食事に対する適応を媒介する)」で、8月22日号のCellに掲載された。
この研究はマウスの腸管細胞の遺伝子発現を調べていた時、ミトコンドリアでケトン体合成の最初の過程に関わるHMGCS2が幹細胞特異的に強く発現しているという発見に始まっている。
そこで、ケトン合成が幹細胞でどのような働きがあるのか調べる目的で、まずこの酵素を腸管や腸管幹細胞でノックアウトしたマウスを作成すると、腸管の幹細胞システム全体が崩壊し、また試験管内でのオルガノイド形成が強く抑制されることを発見する。すなわち、幹細胞の自己再生が抑えられ、分化が早く誘導され、その結果幹細胞システムの維持や再生がうまく動かなくなる。
次はこの現象のメカニズムを探る必要があるが、著者らはHMGCS2ノックアウトによりパネット細胞が6倍近く増加することに着目する。というのも、Notchを抑制すると同じことが起こることがこれまで広く知られていた。そこで、Notchの下流遺伝子の発現をHMGCS2ノックアウトマウスと比べると、Notch阻害と同じ遺伝子が動いていることを確認、またNotch抑制をHes1レポーターでも確認している。
期待通りHMGCS2ノックアウトの効果はケトン体を外から加えることで正常化するので、ケトン体を試験管内のオルガノイド形成で加える実験系を用いて、ケトン体がヒストンアセチル化阻害剤と同じ効果があり、幹細胞でケトン体が枯渇するとヒストンのアセチル化が低下することを確認している。すなわち、ケトン体がヒストンアセチル化酵素を阻害することで、Notch転写を介して幹細胞の自己再生をコントロールしていることが明らかになった。
最後にケトン食と糖質食を食べさせる実験で、ケトン食が腸管の幹細胞システムを活性化する一方、糖質食は幹細胞維持機能を阻害することを示している。
これらの実験は、ケトン体がなぜ大きな細胞レベルの変化を誘導するのかの一つの理由を教えてくれる。すなわち、ヒストンというエピジェネティック過程を直接阻害することで、多様な変化を誘導できることを示している。
腸管の幹細胞について言えば、ケトン食で幹細胞が維持されるとすると、一つ懸念されるのは発がんを促進しないかだし、逆に期待できるのは老化を防ぐかという問題だ。腸管について言えばHMGCS2ノックアウトマウスがあるので、この問題に対する答えはすぐ出てくるだろう。注視する必要がある。
2019年8月29日
アミノ酸の中でもbranched
chain amino acid(BCAA)と呼ばれるバリンやロイシンなどは、運動能力を高めるサプリメントとして利用されているが、逆に血中濃度が高い人は肥満やインシュリン抵抗性の原因となることがわかっている。ただ、個人的にはアミノ酸の代謝については最も苦手な分野でほとんどフォローしていなかった。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校のKajimuraさんの研究室からの論文は褐色脂肪細胞でのBCAAの代謝が私たちのエネルギーバランスを調整している仕組みについて明らかにした研究で8月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「BCAA catabolism in brown fat controls energy homeostasis through SLC25A44 (褐色脂肪細胞でのBCAAの代謝はSLC25A44を介してエネルギーのホメオスターシスを調節している)」だ。
完全にプロの仕事で、代謝についてあまりなじみのない頭はついていくのが精一杯だが、人間で褐色脂肪組織の多い人と少ない人を、低温に晒して褐色脂肪細胞を活性化した時に、バリンやロイシンなどのBCAAが低下するという小さな変化を見落とさず、この原因をマウスを用いて追求し、褐色脂肪組織が活性化されるとBCAAのクリアランスが高まることを確認し、そのメカニズムの解析に進んでいる。
ノックアウトマウスや様々なテクノロジーを用いた実験を組み合わせて、段階的にBCAAの代謝とその変化の影響を探るという、まさに代謝のプロの実験だが、ここでは詳細は省いて結論を箇条書きにする。
- 血中のBCAAは主に褐色脂肪組織に取り込まれ、ミトコンドリアで酸化される。このBCAAの酸化は褐色脂肪細胞の熱発生に必須で、酸化ができないマウスでは低温に晒されて熱を生成できず、体温が上がらない。
- 酸化されたBCAAはTCAサイクルから合成されるコハク酸を介してUCP1依存性熱発生を誘導することで、急性のエネルギーバランスを調整している。
- この回路が抑えられると、インシュリン抵抗性が生まれ、肥満になる。
- 酸化されたBCAAがミトコンドリアでエネルギー代謝を調節すること自体新しい発見なので、最後にBCAAがどのトランスポーターを介してミトコンドリアに入っていくのかを調べ、低温によって最も強く誘導されるSLC25A44がそのトランスポーターであることを突き止める。そして、このトランスポーターの欠損した細胞では、BCAA がミトコンドリアに移行しないこと、そのためBCAA の酸化が起こらずUCP1を介する熱が発生しないため、マウスの体温が低下すること、そして脂肪の蓄積が起こる。
以上の結果から、活性化した褐色脂肪組織はBCAAを血中から除くフィルターとして働き、それを利用してエネルギー代謝を調節することで肥満や糖尿病を防ぐのに一役買っていることが明らかになったと結論している。素人にも明らかなのは、褐色脂肪組織がしっかり維持されていないと、BCAAは危険なサプリメントになる可能性がある点で、栄養学の難しさを教えてくれる。
個人的には栄養学は21世紀の最も重要な分野になると思うが、この分野で研究をリードする日本人がいることは心強い。
2019年8月28日
近親者に多くのガン患者さんが発生しているという家系があることは確かで、膵臓癌でもこれまでBRCA2やp16の変異を持つ家系が発見されている。ただ、この2種類だけでは到底全ての多発家系を説明できず、このためには家系のメンバーを集め、丹念な遺伝子検査を積み重ねることが重要になる。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、このような家系調査から膵臓癌のドライバーになる新しい遺伝子を発見し、その機能を解明したという研究でNature Geneticsオンライン版に掲載されている。タイトルは「Mutations
in RABL3 alter KRAS prenylation and are associated with hereditary pancreatic
cancer(RABL3遺伝子の変異はKRASのプレニル化を促進することで遺伝的膵臓癌の原因になる)」だ。
この研究で注目された家系では、4世代46人のなかに、5人の膵臓癌、4人のメラノーマ、2人の乳がんの他、脳、肝臓、胃、大腸などのがんが1人づつ発生している凄まじい家系で、この家系の全ゲノム配列の情報から、がんとの相関性が高いとしてRABL遺伝子が36番目のアミノ酸で途切れてしまう突然変異を唯一のリスク遺伝子として特定するのに成功している。
あとはこの変異RABL3(mRABL3)がどうしてガンのリスクになるのかをオーソドックスな方法で調べている。まず、ゼブラフィッシュにこのmRABL3変異を片方の染色体に導入する実験を行い、p53欠損と組み合わせると末梢神経鞘の腫瘍が起こることを確認し、確かにmRABL3がリスクガンの原因遺伝子になることを明らかにする。
次に、発がん前のゼブラフィッシュの遺伝子発現とパスウェイ解析をもとにRABL3が関わる分子経路を探索すると、膵臓ガンドライバー遺伝子の本家本元KEASがリストされてきた。そこで実際の分子経路を生化学的に調べると、KRASのプレニル化にかかわるRAP1GDS1が特定され、mRABL3がKRASのプレニル化を促進することを特定する。すなわち、mRABL3によりKRASのプレニル化が少しだけ上昇することで、KRASの細胞膜への移行が高まり、KRAS活性が上昇することがガンリスクになっていることが示唆される。実際、プレニル化を抑制すると、mRABL3の効果は抑えられる。
この家族の膵臓癌多発についての説明はこれで十分だが、この研究ではこの変異がホモになったとき、RASopathyとよばれる、発生過程でRASが活性化される変異と同じような奇形が生じること、さらにガンデータベースのエクソーム解析の中に、新しいタイプの変異がリストされており、細胞株やゼブラフィッシュを用いた系でこれがガン化に関わることを確認している。
ガンのドライバーになる新しい遺伝子が発見されたという話だが、ゲノム解析が可能になった今こそ、家系解析の重要性を示す研究だった。
2019年8月27日
現在PD-1に対する抗体には本庶先生のオブジーボだけでなく、メルクのキイトルーダが存在するが、ノバルティス、サノフィが開発した抗体も我が国で認可されるのではないだろうか。おそらく抗体薬の場合、作用する分子の特性に差があるとは思えないが、医者として働いている場合、同じ作用機序の薬剤からどれをを選べばいいのだろうか迷うと思う。抗体でもクラスが違ったりするので、できる限り効能の違いと選択基準を示してあげないと、医師は混乱してしまうのではと懸念する。
同じ分子を標的にする抗体薬ならまだしも、さらに化学化合物で分子の機能を抑制する薬剤の場合、標榜している標的分子は同じでも、化合物自体の特性は最初から各社で異なっており、しっかりとしたガイドラインがないと、結局MRさんのいうことだけを信じて薬剤を選ぶことになる。この問題の重要性をFDAが認可したCDK4/6阻害剤で調べたのがハーバード大学からの論文で8月15日号のCell Chemical Biologyに掲載された。タイトルは「Multiomics Profiling Establishes the Polypharmacology of FDA-Approved CDK4/6 Inhibitors and the Potential for Differential Clinical Activity (複数のオミックスを組み合わせた薬剤のプロファイリングによりFDAが認可したCDK4/6阻害剤の多重薬理学が確立され臨床応用での異なる可能性が明らかになる)」だ。
分子標的薬を各社揃って開発する時代、極めて重要な研究だと思う。この研究は最近転移性の乳がんに使われ始めているFDA認可の3種類のCDK4/6阻害剤を、様々な観点から比べている。
結論をまとめると、
- abemaciclib,
palbociclib, ribociclibの3種類は共にCDK4/6阻害剤として認可されているが、それぞれの効果は大きく異なっている。
- 3社の中ではPalbociclibとRibociclibは比較的作用が似ているが、abemaciclibは様々なテストで見て、前2者とは作用が大きく異なっている。
- すなわち、前2者は比較的CDK4/6特異的だが、abemaciclibは様々なキナーゼを阻害する活性があり、一般に使われる濃度でcyclinBとCDK1の反応を阻害し、G1期だけでなく、G2期にも作用がある。
- CDK4/6特異性の高い2種類の薬剤は薬剤耐性が発生しやすいが、abemaciclibは増殖抑制だけでなく、細胞死も誘導するので耐性がでにくく、また特異性の高い薬剤に耐性を持ったガンにも効果がある。
などだ。他にも徹底的に調べてあるが、簡単にいうとpalbociclibとribociclibはDGK4/6にかなり特異的だが、特異性が高い結果増殖を抑制できても、ガンは死なないため、様々なメカニズムで薬剤抵抗性が出やすい。一方、abemaciclibは特異性が低く、ある意味で副作用が強いと予想できるが、様々な分子に効果があるため、総合作用で細胞増殖阻害だけでなく、細胞死を誘導することが可能な薬剤といえる。
残念ながら、専門ではない医師の立場から言えば、どれを選ぶのか余計迷うことになりそうだ。従って、ガンの個性に合わせたガイドラインをできるだけ早く作成してもらうこと、また作用機序が異なるとしてその違いを浮き上がらせたガイドラインを作ってもらうことが重要だと思う。各社が競争して販売している場合、最も難しい課題だが、このような点を仕分けて国民や現場の医師に明確な指示を行うのが厚労省の役目ではないだろうか。
2019年8月26日
最近80ヘルツ以上の周波数を持つリップル波(Sharp-wave ripples: SWR)が、海馬での記憶の固定化に重要な働きをすることが動物実験から明らかになりつつあるが、人間でどうなのかについては、一般的な脳波解析は精度が悪く細かい研究は難しくなっている。
今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、人間の脳内に留置電極をおいて、海馬でのリップル波と視覚認識について調べた研究で8月16日号のScienceに掲載された。タイトルは「Hippocampal sharp-wave ripples linked to visual episodic recollection in humans (海馬の早いリップル波は視覚のエピソード記憶の思い起こしと連結している。)」だ。
この研究では脳内の海馬と皮質の両方にクラスター電極を埋め込んで、てんかんの発生場所を特定しようとしている患者さんにお願いして、14種類の馴染みのある景色や人物(例えばエッフェル塔やオバマ前大統領)の写真をを2分間見てもらった後、何を見たのか自由に思い出して、小さくつぶやいてもらうという課題を行なってもらう。その間、海馬と皮質での神経活動を記録し、記憶する過程や思い出す過程で発生するリップル波と思い出した写真との関係を調べている。
このような実験は、コンピュータによる脳波分析によって、周波数の異なる脳は成分を別々に抽出することが可能になってできるようになった。逆にいうと、実験は大変だが、記録してしまうとあとはコンピュータによる分析が中心になる。結果をまとめると以下のようになる。
- ようするに記憶テストを行っているわけだが、リップル波は写真を見て覚える時と、思い出す時の両方で記録される。
- 写真を見たときリップル波が強く現れた写真ほど思い出す確率が高い。
- 強くリップル波が発生したトップ10の写真について、海馬でのリップル波が発生した時期と相関してリップル波を発生する皮質領域を探索すると、高次視覚機能に関わる様々な領域(例えば顔特異的領域、場所特異的領域など)が同時に興奮することがわかる。
- 見て覚えるときに海馬と同調して興奮した皮質領域が思い出すときにも海馬のリップル波に導かれてリップル波を発生させる。
- また、興奮する場所から何を思い出したのかを推察することもできる。
以上の結果は、私たちが見たものを覚えるとき、海馬にリップル波を発生させることで、視覚により起こる脳内の興奮を組織化しており、同じリップル波が思い出す時の最初の引き金にもなることを示している。
動物や脳波の研究で理解されていたことだが、何を思い出しているかを推察可能なところまで記録が進んでいるのをみると驚く。
2019年8月25日
今日選んだカナダ血液センターからの論文は、かなり個人的感慨によるもので、論文としてはそれほどではないことを断っておく。
ドイツ留学前後から、基礎研究を目指して当時胸部疾患研究所の細菌血清学部門の桂先生の研究室で研究を始めた。自由に研究ができる雰囲気で、この時からリンパ球の発生を研究することができた。当時桂研ではモノクローナル抗体の作成を重要な手段としていたが、その中で助手の喜納さんが樹立したモノクローナル抗体がTer119で、現在も世界中でマウスの赤血球分化決定マーカーとして広く使われている。
このTer119を注射するだけで自己免疫性の炎症を抑制できるというのが今日紹介する論文で、8月21日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Treating murine inflammatory diseases with an anti-erythrocyte antibody (マウスの炎症性疾患を抗赤血球抗体で治療する)」だ。
私は全く知らなかったが、突発性の血小板減少症に赤血球のD抗原に対する抗体を投与する治療法があるそうだ。他にも、大量の免疫グロブリンを投与してFcをブロックすることも行われている。この研究では、このモデルとして、喜納さんが作ったTer119を試してみたようだ。
赤血球の前駆細胞から全ての持つglycophorinA随伴タンパク質を認識しているので、この抗体を注射すると当然赤血球に結合して貧血が起こる。実際、抗体投与後3日目には赤血球が半分になる。従って、実際の治療に用いるとした時問題になることは間違いない。しかし、この副作用とともに、マウスの自己免疫性血小板減少の血小板をほぼ3倍近くに回復させられる。
これだけではなく、T細胞受容体を操作した自己免疫性リュウマチモデル、コラーゲンに対する抗体を用いたリュウマチモデルなどいくつかの自己免疫性炎症モデルを、急性効果ではあるが見事に改善する。
ここまでがこの研究のハイライトで、副作用はあるかもしれないが、一回投与でなんとか症状を改善させるときに免疫抑制剤と併用することができるという点では大事なモデルといえる。
しかし、そのメカニズムについて探索しているが、Fc受容体を介しているらしいこと(Ter119のFc部分の糖鎖が必須)、輸血による致死的なTRALIにも効果があることから、抗体が関与する自己免疫性炎症に効果があること、ケモカインの分泌を高めて炎症細胞の浸潤を低下させること、など現象論に終始し、最終的になぜ効果があるかについて決定的な結果は示されていなかった。
その意味ではフラストレーションの残る研究だが、ドイツから帰ってきた頃を懐かしく思い出すことができ論文だった。折しも、昨日難病連関西支部の集会に呼ばれたとき、一緒に桂研の最後の頃のスタッフ河本さんと一緒に話をした。桂研の話で盛り上がったが、この出会いを覚えておく意味で、この論文を紹介することにした。皆さんごめんなさい。