1月4日発ガンにおけるIDH変異の意味(1月11日号Cell掲載論文)
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1月4日発ガンにおけるIDH変異の意味(1月11日号Cell掲載論文)

2018年1月4日
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Isocitrate dehydrogenaze(イソクエン酸脱水素酵素:IDH)は、低グレードグリオーマの8割以上、急性骨髄性白血病の10−20%に特定の変異が見られることから、私の頭の中では、代謝の変化を介してガンの増殖を助けていると考えてきた。実際、IDHの変異により酵素特異性が変化し、R-2HGが合成され、されにこれがグリオーマの増殖を促進することが示されて、IDH変異=ガンのドライバーという話が出来上がっていた。ところが、グリオーマではIDH変異がある方が予後が良いことがわかり、そう簡単な話ではないことが明らかになってきた。

今日紹介するシンシナティ大学からの論文はオーソドックスな手法でこの疑問を解いてくれた研究で1月11日号のCellに掲載された。タイトルは「R-2HG exhibits anti-tumor activity by targeting FTO/m6A/MYC/CEBPA signaling(R-2HGはFTO/m6A/MYC/CEBPAシグナルを標的に抗腫瘍効果を示す)」だ。

R-2HGはIDH変異体のみにより合成されるため、正常細胞では存在しない代謝物だ。この研究は、変異型IDHによってのみ合成されるR-2HGが本当に細胞の増殖を誘導するのか急性骨髄性白血病AMLの増殖を指標に調べるところから始めている。結果はこれまでの予想に反して、多くのAML株の増殖が抑制され、マウスに移植するモデルでも、R-2HG投与で生存期間を延ばすことができることがわかった。R-2HGによる増殖抑制機構を調べるため、R-2HGの効果が有るガンとないガンの遺伝子発現を比べ、ガン遺伝子MYCが活性化する分子が低下することを発見する。

もともとこのグループはRNAメチル化について研究していたグループで、MYCの活性が低下するのがRNAメチル化酵素FTOを抑制しているからではないかと着想、R-2HGがFTOを抑制することを発見する。他にも、R-2HGはDNAの脱メチル化に関わるTET2も抑制するが、これはR-2HGが効かない細胞株でのみ見られることから、この場合はガンの増殖を上げる方向に働いている。したがって、R-2HGが効果のあるガンに対する作用はFTO抑制がメインの経路で、MYCのRNAメチル化が低下、その結果RNAが不安定化してMYCの活性が落ちることで、細胞の増殖が低下することを示している。他にも、骨髄性白血病の増殖に関わるCEBPAのRNAの安定性も低下させ、これもFTO転写の低下に関わることも示している。

一方、R-2HG抵抗性のガンでは、DNA脱メチル化を介してガンの増殖を抑制するTET2が直接抑制されるため、MYCの不安定化をカバーしていると推察している。

この結果は、グリオーマのドライバーはIDH変異ではなく、逆にIDH変異がグリオーマの急速な増殖を抑えている可能性も示唆する。すでに述べたように、IDH変異は良い予後因子であることがわかってきたが、今回の結果はこれも説明できる。とすると、現在行われているIDH変異分子の活性抑制によりガンを制圧する可能性は低く、逆に悪化させる可能性すらあることを意味しており、注意が必要だ。

一方、R-2HGやFTO阻害因子は、それ自身で根治はできないが、他の抗癌剤と組み合わせて抗癌剤として利用できる可能性がある。他の細胞にももちろん効くため副作用がないとは言えないので、薬剤として利用可能か早急に調べて欲しい。でないと、結局論文のための論文になる。

なんでも疑って見ることが重要であることを示すいい例といえるが、もともとわかりにくいIDHについて学ぶことが多かった。
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1月3日自動運転(12月15日号Science掲載レポート)

2018年1月3日
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正月3日目、最後の話題は自動運転だ。テレビでも1昨年までは自動ブレーキだったのが、例えばニッサンの最新のリーフのように、TVで自動運転の能力をアピールする車が2017年は増えてきたように思う。これが2018年どう進展するのか、機械学習より一般の注目度は高いはずだ。

実を言うと、私はこれまで運転免許証なるものを持ったことがない。もちろん車を運転する経験はゼロで、常に「乗せられ族」として過ごしてきた。そして世の「乗せられ族」は密かに自動運転車に期待を抱いているはずだと勝手に思っている。免許なしで自動運転車を乗り回す可能性はお金には変えられない。

自動運転車も免許が必要だという話に政府はしたがるかもしれないが、そうは言わせない。というのも、自動運転車を最も期待しているのがタクシーや公共交通業界だ。もし運転手のいないタクシーに乗っていいなら、自動運転車を買って乗り回して何が悪い。

しかし、実際のところどこまで自動運転車は進んでいるのか?免許のない私が車を買うことが可能なのか。そんなことを密かに考えていると、Science誌のレポーターが自動運転車の現状を分析した記事を掲載したので、早速読んでみた。

結論から言うと、メディアやメーカーはそんなに待たなくても私が車を買える日が来るように宣伝しているが、おそらく私の生きているうちにはそんな日が来ないことがよくわかった。このレポートのタイトルは「Not so fast(そんなに早くない)」だ。

まず自動運転と言っても、ドライバーが全てを行うレベル0から、人間が全く何もしなくていいいレベル5まで6段階に分かれており、結局現在買うことができるのは、自動車専用道路でなら車に任せることができるレベル3のようだ。ただ、おそらく消費者はもっと高いレベルを自動運転の宣伝で抱いているはずで、その結果2016年テスラのオートパイロットを信頼しすぎた事故が起こることになる。もちろん現段階でも天気が良くて、整備された一般道なら自分で走るレベル4の車を市場に出すことはできるらしい。しかし、どんな天気でも、行きたいところに連れて行ってくれるレベル5が達成されるのは2075年前後のようだ。とすると、まず免許のない私が生きているうちに車のオーナーになることはないことがわかった。

このレポートは、それでも様々なレベルの自動運転車に備えて、社会や消費者の方も幾つかの項目で準備が必要であること、これまで行われた研究を元にしてうまくまとめている。議論された各項目について見ておこう。

安全性

昨日紹介したように、機械学習ではエラーを許容することが重要になる。また、何か起こってもその理由を特定することは難しい。一方、現在の自動運転の宣伝を見ると、前後左右完全に安全性を確認して運転が行われるとほとんどの人が期待してしまう。その結果、自動運転では決してエラーが起こって、交通事故が起こってはならないと思ってしまう。
それでも、レベル3でも、交通事故による死亡を半減させる可能性を示す研究がある。また、自動運転も機械学習なので、公道を走ることでさらに安全性を高めることができる(ランド研究所の調査)。これらのことから、完全でないことを皆が理解して、早期に導入を図るのが良いと結論している。

運転手付きの車?

自動運転車は運転手付きの車と言える。そこで、一般の家庭に運転手をただで派遣して運転を肩代わりしてもらうと、車の利用パターンがどう変わるかという研究をサンフランシスコで行った研究者がいる。結果はなんと76%も利用率が上がる。特に高齢者では利用率が3倍に上るという結果だ。とすると、国や自治体も交通量の増加に備える必要がある。

車で仕事ができる?

我が国で見かけないが、米国では自動運転で運転中に仕事が可能と宣伝しているようだ。しかしわかってきたことは、自動運転車に乗って本を読もうとすると12%の人が乗り物酔いにかかることだ。今後、そこまで考えた車の設計も重要になる。

個人所有かカーシェアか?

自動運転が普及すると、自分で車を持つ人は減ると予想する研究者が多い。ただ、利用率や目的に合わせた値段の異なるパッケージが提供されるだろう。ただ、このパターンの変化は自治体の政策により大きく左右される。おそらく、都市と地方で政策も異なり、公共交通との連携や補助金行政が問われることは間違いがない。その意味で、交通システムの大改革につながることは間違いない。

メーカーの狙いは?

GMの担当者に聞くと、最初の狙いはタクシーを自動運転に変えることで、これだけでGM本体もタクシー提供者として、一台あたり今の何倍もの利潤を上げることができる、現在より30%利益が上がるようだ。確かに、自動運転車なら運転手を集める必要がなく、車メーカーが直接新業種に参入できる。「運転手をなくす」がメーカーの狙いかもしれない。

政府の対策は?

自動運転車の問題は、メーカーの技術開発以外の研究があまり行われていないことだ。しかし、間違いなく交通システムを変え、運転手という雇用形態を消滅させる技術だとすると、公共機関や大学でももっと研究が進み、それに基づく準備が必要になる。

それにはまず、実験を容易にする規制の緩和、自治体間の連携が必要になる。更には、テロリストが自動運転車を使う可能性すらある。

政府もタクシー会社が消え去る可能性のある大きな転換期であることを理解して、大きなパースペクティブで、エビデンスに基づいてこれに対応する必要があると思う。

このレポートは最後に、「自動運転車は私たちを助けるのか、溺れさせるのか?」と聞かれた政策研究者が答えた一言、「個人的には、簡単に白黒つけられない問題だと思う。というのも、多くの変動要因が多く、多様性があまりにもありすぎる」で締めくくっている。いずれにせよ、私が車の所有者になる初夢は消えた。
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1月2日:機械学習(12月22日Science掲載総説)

2018年1月2日
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二日目はいわゆるAIの話だ。

私たちのNPOには将棋のプロに近いメンバーが2人もいて、将棋の話を興奮して話してくれる。このため昨年AASJ内で最も話された話題は、連勝新記録を達成した藤井聡太君のニュースと、棋士対コンピュータの電王戦の話だった。素人から見ても、将棋でAIがプロに勝つとは、AIがこの数年で急速に発達しているのがわかる。

もちろん、医学分野でもAIの進出は目覚ましいものがあり、例えば2月にスタンフォード大学から13万近い皮膚病変の写真と、その病理診断結果をニューラルネットを用いて機械学習させることで、皮膚科の専門家と肩を並べるレベルの皮膚病変の診断が可能になった論文がなんとNatureに掲載されて驚いた(Esteva et al, Nature 542, 115, 2017)。

一方最近のThe LancetのAIと医学について述べたエディトリアル記事では、AIが今後も医学を変化させることは間違いないが、問題も認識され始めたことも書かれていた(The Lancet 390, 2739, 2017)。例えば昨年、IBMがMD Andersonと4年にわたって協力してきた研究が中断され、またGoogleと英国Royal Free London NHS Foundationとの協力で進められていたDeepMindを用いたAI研究からのデータ流失が起こり、AIに対する不安が高まっているようだ。

このように、AIで社会がどう変わるのか、私の苦手分野だが2018年にその輪郭が見えるのではと注目している。

幸い昨年の終わりにScience誌は機械学習の世界の第一人者、E. BrtnjolfssonとTom Mitchellが共同で書いたこの分野の展望についての総説を発表したので、今年のAIの発展を予測する意味でも、この総説を紹介することにした。タイトルは「What can machine learning do? Workforce implication(機械学習は何ができるのか? 労働力に関する示唆)」だ。(Science 358, 1534, 2017)。

この総説の焦点は、AIが人間の現在の労働形態をどう変えるかだ。

さすがこの分野のプロで、まず本当のArtificial intelligenceは到底到達できない先に存在しており、今AIと大騒ぎしているのはmachine learning(ML)のことだと断定している。

その上で、一般的に言われているように、置き換わる仕事、置き換わらない仕事があるにしても、実際にはMLだけでもインパクトは大きく、経済や雇用についての大変革が進んだ結果10年以内に勝者と敗者が決まるほどの破壊的効果があることを予言し、各国政府は今から準備が必要だと忠告している。

いずれにせよ、MLを使いこなすには、まず学習することが何をもたらすのかを見極め、学習させる情報をどう加工するかがカギになり、新しいアルゴリズムやパラメーター設定方法の開発が今も進んでいる。このためにも、どのような仕事がMLに置き換えやすいか8項目挙げている。

1. はっきり定義できるインプットとアウトプットの間の関係の学習:医学情報がまさにこれにあたる。すなわち、データから病名を診断する過程は、インプットとアウトプットが明確に定義されている。ただ、予測や診断が可能になったからといって、因果関係を理解したことではない。
2. 多くの適切なデータが得られる学習:ニューラルネットによるMLではデータが飽和して能力の限界に到達することはない。どんなデータも利用できるが、人間の手で対象をよく分析し、データをタグ付けし直すことで、ML の能力を高められる。
3. ゴールが明確で、定量的に評価できる学習:MLから考えると自明の話だが、例としては都市の交通量のコントロールなどがこれにあたる。ただこの時、データが期待しているゴールとの関連でラベルされるようにデータを調整するのが望ましい。
4. 常識や多様な知識が必要な段階的に論理を詰めていく過程の必要でない学習:迅速な反応が求められるタスクを選ぶのが重要。常識や多様な知識に基づいて、段階的に論理を進めるのは苦手。しかし囲碁やチェスは、その後の展開を正確にシミュレーションできるため、段階的論理過程に見えても、MLは得意。逆に、現実世界のシミュレーションは難しい。
5. 背景にある理由を説明する必要がない学習:診断にしても、囲碁にしても、MLは正解を出すことができるが、なぜそれを正解として選んだかの理由付けは出来ない(これこそが将来のAIの一つの条件、しかし人間だから理由が説明できるわけではない)。
6. 失敗が許容でき、実証性が必要のない学習:アルゴリズムの基本は統計学、推計学で、必ず間違いがあることは理解する必要がある。 7. 現象やインプット・アウトプットの関係が安定な学習:現在のアルゴリズムは、対象の振る舞いがある程度安定していることが必要で、状況が早く変化する現象には利用しにくい。
8. 熟練、技が必要ない学習:ロボットに使うとき、まだハードの方が、機械学習についていかないことを理解する(明日この問題は自動運転で取り上げる予定)

その上で、クリエーティブな仕事がMLには不可能かも議論している。人間でも創造性が生まれる基本は、脳の回路を毎日書き換える経験の量が重要で、この書き換えによりそれぞれユニークな自己の回路が形成されることで、創造性が生まれていると私は思うが、MLの仕組みから考えれば、経験に応じて創造性が生まれてもおかしくない。著者らも創造性をMLは持たないというのは甘い考えで、学習した内容はそれぞれ異なるため、独自性が生まれ、それに基づいて判断すれば、自ずと創造性が生まれると考えている。

最後に、以上のことを理解した上で、MLを考える時の経済問題6項目あげている。

1、 雇用のMLによる置換:まちがいなく、多くの職はMLで置き換わる。例えば、コンピュータソフトを仕上げる工程は、今やMLの独壇場なようだ。
2、 価格の自由度:ML導入で価格が落ちることで、利用者が増えて、全体の消費額が増えるような領域。
3、 人間と機械の相互性:MLの導入により、それを使う人間のスキルが要求されるといった相互性がある分野。
4、 収入の自由度:ML導入により失われる雇用は多い。従って、労働市場の流動性が高く、新しい需要に対応出来る経済運営が必要。
5、 労働供給の自由度:MLにより新しい仕事が増えても、それに対応する人間の供給が制限されると、給与の差が拡大することになる。
6、 ビジネスの新しいデザイン:経済活動全体がMLで変化することを理解して、長期的なビジネスプランが必要。
などだ。

要するに、産業革命によりもたらされた資本主義では、「労働者が消費者でもある」とマルクスが気づいた時と同じような大きな変化が起こることを意味している。とすると、この総説も表面をなぞっているだけで、それぞれが2018年MLの進展をウォッチし続ける必要があることを物語る。 医学で言えばMLで診断率が上がったと喜ぶだけでなく、「誰もが最適の健康を維持できる」医療システムの構造変化をMLを使って加速するプランを考える人が現れることが重要だと思った。
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1月1月1日:精神科医は「トランプが精神疾患にかかっている」と意見を述べていいのか?(The New England Journal of Medicine掲載コメンタリー)

2018年1月1日
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1日から3日間今年議論が続きそうな話題に関する総説やコメンタリーを紹介する。

元旦の今日はトランプに関する話題だ。いうまでもなく、トランプは世界中で一番力を持つ米国大統領で、核戦争開始のボタンを手にする人物だ。また、選挙中からはしかワクチンと自閉症の関係を捏造した有名な論文の著者Wakefield率いるワクチン反対運動と手を結ぶなど、反科学的立場を鮮明にして米国科学界と敵対している。その意味で、米国だけでなく、世界の科学界にとって、今年予定されている中間選挙の結果は、今後の方向を占う意味で重要な問題だ。

このような状況で、もし多くの精神科医や臨床心理士が「トランプは深刻な精神疾患にかかっており、彼は大統領の資格がない」という本を出版したらどうなるのか?実際、ネット上にはそんな意見はごまんと溢れているので、私はあまり影響はないように思うが、専門家の意見となると説得力が上がり、トランプ支持者は黙っていないはずだ。

我が国では、医師が集まって首相の病気について意見を集めた本を出すことなど到底考えられないが、米国ではそんな本が出版されてしまった。タイトルはそのものズバリ「The dangerous case of Donald Trump(ドナルド・トランプの危険な症例)」だ。

計画者の一人Yale大学の精神科医Lee博士が前書きに書いた本の出版までの経緯は次のようなものだ。大統領選挙中からその後のトランプの言動に、深刻な精神的問題を見て取ったLee博士を含む数人が、まずトランプの精神問題について懸念を示すNew York Times宛の手紙を回し、署名集めを行った(現在では5万5千人の署名が集まったようだ)。

次に昨年の4月20日タウンミーティングが行われたが、そこには報復を恐れてか24人の専門家しか集まらなかったが、参加者が100日で原稿を書いて緊急出版したのがこの本になる、

この本が出版されると、専門家は診察してもいない人の病気について意見を述べてはならない」とする米国精神科学会のGoldwaterルール違反であると、厳しい批判が行われる。結果「専門家は政治に影響する発言をしてはならない」と言う意見から、「米国大統領の権力を考えると、自分の意見を述べるのは当然だ」と言う意見まで、現在も米国医学会では白熱した議論が続いているようだ。

私自身がこの議論を知ったのは、12月27日号のThe New England Journal of Medicineにフィラデルフィアの精神科医Claire Pouncy発表した「President Trump’s mental health – Is it morally permissible for psychiatrists to comm.ent?(トランプ大統領の精神状態 — 精神科医がコメントするのは倫理的に許されるか?)」という意見論文を読んだからだ(DOI:10.1056/NEJMp1714828: オープンアクセスで誰もが読むことができる)。

この意見論文でPouncy博士は、米国精神医学学界元会長のLiebermanがこの本について、「真面目な学術的な本ではなく、安っぽい、勝手で愚かなタブロイド判精神医学」と批判し、さらに精神科学会も「診察せずに政治家の精神疾患に関する意見を述べることを自粛する」Goldwater ruleを盾に、この本の著者らを反倫理的と糾弾する構えを見せていることに対し、専門家が黙ってしまっていいのかと、全面的にこの本の著者らを支持する意見を述べている。

またThe New England Journal of MedicineもおそらくPouncy博士を支持する意味でこの意見を掲載したのだと思う。

この意見を読んで、私も早速本を購入し、斜め読みしてみた。300ページを超す本で、全部読む時間がないという人のために、それぞれの意見を解説してくれる要約本まで出版する念の入れようだ(写真)。 全員反トランプとはいえ、27人もの専門家の意見が集まった本なので一言でまとめるのは難しいが、ビデオ、ツィートなどに残された文章を手掛かりに彼を分析する限り、トランプは間違いなく「悪性ナルシズム」「反社会的性格障害」「偏執狂的性格障害」「妄想性障害」などの診断名が与えられるべきで、これには十分医学的根拠があることを専門家の視点から分析している。他にも、精神科医として、トランプの言動が多くの市民の精神状態まで変化させている実感についても書かれている。

詳しくは要約本でもいいので読んでほしいと思うが、ベトナム戦争時。兵役逃れを繰り返した張本人でありながら、政権を軍人で固め、しかも「スタッフには最も優秀な人間を雇うが、優秀な人間は決して信用してはならない」などとうそぶいている話が出てくると、この本の指摘も納得でき、トランプに北朝鮮対応を任せている我が国としても心配になってくる。

学会内でも意見が分かれているとはいえ、確かに、精神科医がメディアを通して意見を公にし、こんな本まで出ると、ネットで「トランプはクレージー」とツィートするのとはわけが違う。実際この本の主題も、トランプの精神状態だけではなく、精神科医は政治家の精神状態にコメントしてはならないのか、あるいは、核戦争のボタンまで持っている人物となると、専門家として意見を述べるべきなのか、世の中に問いかけるものだと思う。この本で繰り広げられた主張が、今年一年どう広がり、中間選挙に影響を持ちうるのか、個人的には今年の注目ポイントになる。 個人的には、トランプ支持者は、知識人や専門家の意見にまったく耳を貸すことはないと思うが、専門家が公に向けて意見をどう述べていくのか、米国だけでなく我が国でも議論すべきだろうと思う。特に我が国では、例えば小保方事件でも専門家が集められた番組が組まれたように、専門家の意見をメディアも重要することが多い。しかし、おそらく政治的問題について、この本で示された専門家が公に話し始めるガッツは、我が国の専門家にはないだろう。実際我が国の専門家の意見は、メディアが決めた意見を支持する発言をするのが関の山だ。

その意味で、この本を肯定するのか、否定するのかというテーマに絞って我が国の専門家も議論してみればいいと思う。

実際、Goldwaterルールとは、核戦争も辞さないと大見得を切ったGoldwaterを精神科医が大統領不適格と意見を集めたことが裁判沙汰になり、Goldwaterが勝利した結果、精神科学会が作ったルールだ。しかし、同じことはどんな民主主義国でも起こりうることで、今議論を始めないと手遅れになるだろう。

この本で、私が一番心に残ったのは、トランプに頼まれ、長期間彼と行動を共にして「The Art of Deal」というタイトルの本を書き上げたTony Schwartzが述べた一節だ。彼は「トランプが参加するビジネス会議に数多く参加したが、会議で誰かがトランプに反対するのを見たことがなかった」と書いている。もちろんトランプはそれがリーダーシップで、まさに「The art of deal」だと自慢していると思うが、国家で同じことが起こると、歯止めの効かない最大の危険を抱えることになるのは歴史を見れば自明のことだ。昨年の森友・加計と続く報道を見ていると、同じ危機は我が国にも起こっているように思う。もちろんトランプと違って、精神科の医師が声を上げる問題ではないだろうが、様々な分野で専門家の行動に注目が集まる2018年だと改めて思う。
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12月31日:ガン組織に浸潤しているT細胞を刺戟する抗原を特定する(1月25日号発行予定Cell掲載論文)

2017年12月31日
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昨日紹介したNature Medicineが選んだ2017年のトピックスにはガン免疫が2つも選ばれ、免疫療法がガン根治の切り札として期待されていることをうかがわせる。そこで今年の最後を締めくくる論文として、ガン抗原の新しい特定方法の開発研究を選ぶことにした。スタンフォード大学からの論文で、タイトルは「Antigen identification for orphan T cell receptor expressed on tumor infiltrating lymphocytes(ガン組織に浸潤するリンパ球のT細胞受容体の反応する抗原を特定する)」で、1月25日号のCellに掲載される。

期待を込めて読んだが、まだまだ完全でない研究だ。しかし、研究は挑戦的だ。何度も紹介しているように、チェックポイント治療が効くかどうかは全て癌に対する免疫反応が成立しているかどうかにかかっている。これを調べるために、昔は癌と患者さんのT細胞を培養して、癌に対するT細胞を増幅することが試みられていた。ただ、この方法で実際にどのペプチドがガン抗原として働いているかは特定できなかった。

そこで、癌のゲノム解析から、癌のみで突然変異が見られるペプチドを特定して、これに反応するT細胞がある場合、これをワクチンとして免疫する方法が成功を収めた。個人的にもこの方法が当分本命かと思うが、一方で癌を切除した時、その組織にあるT細胞は免疫反応を起こしている可能性が高いなら、このT細胞のTcRに結合する抗原を特定できれば、癌特異的キラーT細胞を大量に調整して治療に役立てることができる。しかし、浸潤T細胞の数は多くなく簡単ではない。

この課題にチャレンジしたのが今日紹介する研究で、人間の組織適合抗原(MHC)を表面に発現する酵母を用いて、様々な長さのペプチドがランダムにMHCに結合してTcRに提示されるペプチドライブラリーを用意している。この方法で、すでに反応する抗原ペプチドがわかっているT細胞株を刺激できる抗原を特定できること、またネオ抗原の特異的T細胞がわかっているメラノーマで予備実験を行った後、2人の大腸癌の患者さんの組織に浸潤しているT細胞が反応する抗原を特定できるかの本実験を行っている。

最も大変なのが、ガン組織に浸潤しているTcRの調整で、一人の患者さんあたり数百個のT細胞を単離、一個づつ発現しているTcRを特定している。同じように正常組織に存在するT細胞についても同じ解析を、比較のために行っている。それぞれの単一細胞について、T細胞の形質も同時に調べている。これらのデータに基づいて、ガン組織のみで、二個以上のキラーT細胞で発現していた(すなわち組織で増殖していた)TcRを選ぶと最終的に20種類のTcRが残った。

こうして選んだ個々のTcRで表面にペプチドライブラリーを発現した酵母を染色し、染色できた酵母を増殖させ、また選択するというサイクルを3回繰り返し、残った酵母のDNA配列決定により、各TcRが認識するペプチドを特定している。

手のかかる複雑な実験の結果、この方法で特異的ペプチドの特定にまで至ったのは4種類のTcRだけで、残りのTcRでは抗原が特定できなかった。さらに、ガンのネオ抗原と反応していることが特定できたのは1つのTcRだけで、あとは正常の分子由来のペプチドだった。実際に特定できたペプチドがT細胞を刺激できることも、細胞株に各TcRを導入する実験で確認している。 ただ話はこれだけで、特定したペプチドを用いればガン免疫を誘導できるかどうか、機能についてはわからない。したがって、読んだ後、この方法に大きな期待が持てるという実感はない。しかし、人間でガンに対する免疫反応を解析するために努力していることはよくわかる研究で、この論文で終わらせずに、この解析を多くの患者さんで行い、データを蓄積して欲しいと思った。
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12月30日:2017医学の注目すべき進歩(Nature Medicine 12月号)

2017年12月30日
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今日紹介するのは、Nature Medicineの編集者が1年を振り返って、面白いと思った研究論文を分野ごとに紹介している。私も一編を除いて全て読んでいたが、読み落とした論文があったのはショックだ。また、幾つかの論文についてはこのブログでも紹介したので、もう一度リンクさせておく。ただ、Nature, Scienceのニュースと違って、かなり専門的であることは断っておく。

ガンのチェックポイント治療
抗PD-1抗体などを用いたチェックポイント治療が現在抱える最大の課題は、効果のばらつきの原因を明らかにし、治療効果の予測を可能にするとともに、最終的には全ての人で効果が得られるようにする方法の開発だ。その点で今年最も重要な論文と指摘されたのがジョンホプキンス大学からNatureに掲載された論文(Nature 545,60,2017)だ。この研究は、治療前後で患者さんの血液のT細胞を調べ、メラノーマに関する限り全ての患者さんでガンに対するT細胞ができているが、ガン細胞の数が多すぎるとT細胞が枯渇して治療が効かない可能性を示した。この結果はチェックポイント治療の前にできるだけ腫瘍を減らすと効果が高まる可能性を示しており、新しい治療プロトコルにつながる。
もう一つの論文、ミスマッチ修復酵素が変異したガンではチェックポイント治療の効果が高いというやはりジョンホプキンス大学からの論文で、すでにメルクの抗PD-1抗体はこの適用についてFDAの認可を受けている(7月30日記事参照

ガンワクチンの可能性
私も7月8日、7月9日に紹介した、実際のガンの持つガン抗原を特定して個人用ワクチンを作成してガンを治す第1相治験論文が、ハーバード大学から、およびドイツマインツ大学からそれぞれ発表された。ともに、かなり期待を持たせる結果だ。この進歩は、ガンゲノムのDNA配列からガン抗原として働くペプチド断片を特定する技術が発展したおかげだが、現在のところ特定された抗原が免疫反応を誘導できるかは試験管内での検査が必要で、一般治療となるには時間がかかると思う。

神経細胞死を誘導するミクログリア
今年もミクログリアと神経細胞死の研究論文が数多く発表されているが、紹介されているのは1月スタンフォード大学から発表された論文で(Nature 541,481,2017)、ミクログリアがIL-1α、TNF、C1qを介してアストロサイトを活性化すると、アストロサイトは本来の神経保護作用を失い、神経細胞死を誘導するという恐ろしい発見だ。ただ、この恐ろしいアストロサイトは多くの変性性神経疾患で見られることから、この経路をブロックできると変性性疾患の治療も可能になるかもしれない。

GABA受容体を刺激して糖尿病を治す
1月にオーストリアとフランスからGABA受容体の活性を高めると、膵臓のα細胞がβ細胞へ転換し、糖尿病が治療できる可能性が示された。特にオーストリアからの論文は、この経路をなんとマラリアの治療薬として有名なアルテメールがGABA受容体の活性を高めることを示しており、この論文を読んだ時は本当に驚き1型糖尿病の治療が可能になるのではと大きな期待を持った。

血液系の老化と心臓病
血液幹細胞を研究していたのにこの論文は完全に見落としていた(言い訳:おそらくアフリカ旅行のせいだと思う)。末梢血液細胞のゲノムが解析され、高齢になると、一個の幹細胞クローン由来の末梢血が増えてくる現象が最近注目されている。全体の幹細胞が減るだけではなく、一部の幹細胞の増殖が強まるせいだと考えられているが、このような血液細胞でこのようなクローン性増殖を示すクローンが多いと、心筋梗塞のリスクが2倍高いことを示す論文が7月New England Journal of Medicine(377,111,2017)に発表された。原因を確かめるため、血液のクローン増殖の最も多い原因になっているTET2欠損血液細胞を移植する実験で、TET2欠損マクロファージが炎症性のサイトカインを発現して動脈硬化を悪化させることで危険性が高まることを明らかにしている。この結果は、昨日紹介した、Ilarisによる心筋梗塞再発防止につながるから驚きだ。

FSHを抑制して肥満を治療する
この論文(Nature 546,107,2017)は発表当時このブログでも紹介したが、FSHの作用による骨粗鬆症の治療薬の研究中、脂肪が減ることを発見し、そのメカニズムを追求した研究だ。詳細は全て省くが、FSHに対する抗体が白色脂肪細胞を褐色脂肪細胞へと変換させ、脂肪を燃やして、痩せることができることが明らかになり、更年期肥満の治療法が開発されたことになる。確かに、これまで見落とされていた重要な事実で、面白い論文だが、もしこの抗体で更年期肥満が治療できたとしても、個人的にはそれほど大騒ぎするほどではないように思った。

クリスパーによるヒト胚操作。
我が国でもヒト胚の遺伝子編集が大きな話題になり、中国での研究をきっかけに様々な意見がメディアに溢れた。クリスパーがあればヒト胚の遺伝子編集が可能なことはわかりきっている。それを敢えて行うからには、論文の品格が問われる。この状況で、品格が高いヒト胚研究とはどのようなものかを示したのが、この記事が取り上げたオレゴン大学からの論文だ(Nature 548, 413, 2017)。深い考えによる病気の選択(MybPC3変異)、iPSによる予備実験、Cas9によるDNA切断修復と、モザイク卵形成阻害のための条件の検討など、プロとは何かを存分に見せた品格の高い論文だった。我が国の役所でも審議されていると思うが、このぐらいの品格の高い論文を読み合せするぐらいの覚悟で議論してほしい。

細菌叢研究の新しい方向
細菌叢の研究は我が国でも盛んだが、一部の研究者を除くと、細菌の種類をゲノム解析で調べるだけの域から出ていない。すでにトップジャーナルでは、そのような研究は見向きもされない。正確に、因果性を調べることが求められる。その典型が今回選ばれたロックフェラー大学からの論文だろう(Nature 549, 48,2017)。この研究ではバイオインフォマティックスと大腸菌を用いた工学的手法を用いて、細菌叢が合成できる多数のN-アセチルアミド類(NAS)と、ホスト側のGタンパク質共役型受容体(GPCR)の相互作用を丹念に調べ、一部のNASが人間のGPCRに直接作用すること、そしてそのうちの一つがマウスの血統を低下させることを示している。わが国は、免疫でははこのような総合力のある高いレベルの研究ができているが、代謝分野はかなり遅れている印象だ。 以上、かなり妥当な選択だと感心した。
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12月29日Nature Medicineが選ぶ2017年認可された注目の薬剤(Nature Medicine12月号掲載論文)

2017年12月29日
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Nature, Scienceでは2017年総括はあらゆる分野にまたがるが、医学研究全般を掲載するNature Medicineでは当然医学に関わる2017年のニュースがまとめられ、医学に興味のある人には便利だ。2017年見出しを飾った薬剤、と2017年注目すべき進歩の2つのパートに分けて紹介しており、今日から二回に分けて紹介する。最初は今年見出しを飾った薬剤を紹介する。多くが抗体薬で、何よりも恐ろしく価格が高い。新薬が認められるのはめでたいが、手の届く薬剤をどう開発するのか考える時期が来たことを物語る記事だ。

1、 Dupixent
RgeneronとSanofiが開発した、IL-4受容体に対する抗体で、重症の湿疹への治療効果が認められた。メカニズムから考えると当然の結果だが、1年に400万円近い金額がかかるのが難点。

2、 Ocrevus
多発性硬化症の中の15%程度に当たる、一次進行性多発性硬化症を対象にした抗体薬で、CD20陽性B細胞を標的にしており、ロッシュの子会社ジェネンテックにより開発された。同じ標的に対して、すでにリツキサンが存在するが、Ocrevusは完全にヒト化されている点で異なる。ただ、年700万円近いコストが問題。

3、 Kymriah
すでに私も何度も紹介したガン抗原に対するキメラT細胞受容体遺伝子を用いるCAR-T治療で、ノバルティスにより開発され、急性リンパ急性白血病の根治をもたらすのかもしれないと期待されている。ScienceやNatureのニュースの今年のニュースにも取り上げられているが、一回の細胞移植にかかるコストが5000万円近い。

4、Radicava
我が国から唯一選ばれた薬剤で、田辺三菱製薬により開発され20年ぶりにALSに効果があることがFDAにより認められた神経保護剤だ。治すことはできないが、進行を33%遅らせる効果がある。

5、 Ilaris

ノバルティスにより子供の全身性リュウマチに対する薬剤として利用されていたIL-1βに対する抗体薬だが、2017年、心臓発作の既往のある患者さんの再発を抑える効果があることが発表され注目されている。3ヶ月に一回、皮下投与だが、一回150万円程度の費用がかかる。

6、 Idhifa
Celegeneによって開発された、IDH2遺伝子の変異により増殖していることが確認される急性骨髄性の治療薬。IDH2に対する阻害剤としては最初の薬剤で、経口投与可能。2割近くの患者さんが、この治療で完全寛解する。治療には月300万円程度かかる。

7、 Imfinzi
非小細胞性肺ガンに対する抗体薬で、PD-1に結合するリガンドPD-L1を認識する。アストラゼネカによる開発された。ステージ3以上の患者さんに効くのは予想できるが、PD-1に対する抗体が普及している今、どのように利用されるのか予想できない。

8、 Heplisav-B
Dynavaxにより開発された大人に対してB型肝炎ウイルスの感染を予防するためのワクチン。何度も認可が拒否されたいわくつきのワクチンだ。ワクチンが認可されたのは喜ばしいが、小児への効果は低いらしいので、どのような状況で利用するのか?

以上は完全成功例だが、黄色信号、赤信号が灯った薬剤についても見出しを飾ったとして紹介している。CAR-TをAMLに使おうとCD123をがん抗原として用いたフランスCellctisの第1相治験で死亡事故があり、臨床治験が差し止められた。CAR-Tはパワフルな治療だけに、今後もこのような事故は予測できる。メルクの抗PD-1抗体薬だが、ミスマッチ修復変異を対象にするという今年の10大ニュースになったヒットを飛ばしたものの、頭頸部腫瘍に対する効果は初期効果を上げていない。最後が、AlnylamとSanofiが開発した血友病に対するRNA薬で、異常たんぱく質の産生を抑える目的で開発されたが、第2相治験中に死亡事故で、治験がやり直しになった。

   治験がうまくいかなかった薬剤について紹介する気はないが、一つだけ残念なのが、メルクが開発していたアルツハイマー病に対するBACE阻害剤だ。実際、私のブログでもメルクのScience Translational Medicine論文を紹介したが、実際の治験になると効果がないことがわかていたとすると、論文を書くための論文を書いたということになる。
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12月28日:アジア人の起源と形成(12月8日Scienceオンライン掲載総説論文)

2017年12月28日
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アフリカでこれまで考えられていたよりはるかに古い時代のホモサピエンスの骨が出土し、またオーストラリアで6万年より古い人骨が見つかったことで、ホモサピエンスのルーツと広がりについての考えが大きく見直され始めており、この分野の進展はサイエンスの今年のブレークスルーにも選ばれた。

これまで、ホモサピエンスはアフリカで20万年前に誕生し、イスラエルを通って4−5万年前にヨーロッパに移動したと考えられてきた。しかし、今年のサイエンス10大ブレークスルーでも取り上げられたように、モロッコで30万年より前のホモサピエンスの化石が見つかったことから、ホモサピエンスはかなり早くからアフルカに広く分布し、この結果アジアへの移動がヨーロッパへの移動と同じ時期に起こったと考える必要がないことがわかってきた。

今日紹介するハワイホノルル大学とドイツ・イエナ・マックスプランク研究所から共同で出された総説は、アジアへのホモサピエンスの移動を、新しい事実に基づいて再構成した総説で、10大ニュースをさらに詳しく理解できるタイムリーでよくまとまった総説だと思う。タイトルは「On the origin of modern humans:Asian perspectives(現代人の起源:アジアからの視点)」だ。

この総説も、我々の先祖のアフリカからユーラシアへの移動がいつ、どのルートで起こったのかについての議論から始めている。実際この問題が最も重要なテーマだ。ヨーロッパへの移動についてはこれまで通り、6万年以降にイスラエル、東ヨーロッパを経由して西ヨーロッパに移動したと考えられる。我が国に渡った先祖も、このグループに属していると考えられるが、これは出土する最も古い人骨が、韓国で4−5万年前の骨、そして日本では沖縄山下町洞窟の人骨(3.8万年前)しか発見されていないためで、南のルートでもしもっと古い人骨が発見されると、話は変わるだろう。

ヨーロッパと異なり、北アフリカからアジア、オセアニアにかけて6万年以前の人骨が数多く発見されるようになっている。まずモロッコでは30万年以上前、エチオピアでは15−20万年前、UAEでは12万年前、北インドで9万年前、南中国では8−13万年前、ニューギニアで6.3-7.3万年前、そしてオーストラリア北部で6.5万年前の人骨が発見され、これをたどると10万年前後にアラビア半島を通って直接アジアに移動したルートが見えてくる。特に面白いのは、このグループがデニソーワ人との交雑が最もハッキリしているグループになる点だ。さらに期待されているのが、このルートでアジアに来た先祖は、ネアンデルタールやデニソーワだけでなく、当時アジアに住んでいた直立原人の末裔とも交雑した可能性がある点で、今後の解析からインドネシアで見つかった謎の多いもう一人の原人、ホモ・フロレンシスの実態解明に至る可能性すらある。そのために最も重要なのは、ゲノムを人骨に残る特徴と対応させることだ。これにより、ジャワの小人フロレンシスの謎も解かれる日が来るかも知れない。

移動時期とルートというハイライト以外にもいくつか面白ん問題が存在する。例えば、ホモサピエンスがこのように世界の隅々に移動できたのも、身体的な進化より、文化の伝播に因るところが大きい。この点についてもアジアは重要で、例えば現在より海面水位は低いとはいえ、4万年前に日本に渡った人類は船を使ったと思われる。さらに、先の陸地が見えなくとも、海に漕ぎ出す気持ちがどう生まれたのかも面白い問題だろう。

アジアでの移動ルートがこのように明らかになってくると、例えば7万年前に起こったジャワの火山の大噴火の影響もわかってくる。この火山の噴火は世界規模の気候変動をもたらし、ユーラシア北部のホモサピエンスの滅亡を招いたのではと想像されている。この前後の遺跡の分布は多くのことを教えてくれるはずだ。また、氷河期は海面が現在より100m低かったため、中国から南アジアの海岸に点在した遺跡は水中に没したと考えられる。おそらく、この発掘が可能になれば新しい発見がいくつもあると思われる。

もうこのぐらいにしておくが、論文で断片的に知識を仕入れるのと異なり、よくまとまって「アジアの人類進化学は面白い」ことがよくわかる。この面白さに対応して我が国にも優れた新しいタイプの人類学者が育つことを期待する。
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12月27日:電流を流してガンの増殖を抑える(12月19日号米国医師会雑誌掲載論文)

2017年12月27日
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腫瘍を物理的な刺激で殺す試みはこれまでも様々な方法が開発されてきた。おそらく最もポピュラーな治療は、マイクロウェーブを腫瘍に照射するガンの温熱療法で、現状については把握していないが、多くの医療機関で利用されていると思う。今日紹介するのも、ガンの物理学的治療法の一つになると思うが、なんと弱い電流を用いる方法だ。ドイツで開発され、現在はNovacureという会社により製品化され、中皮腫、肺がん、膵臓癌など多くの難治性のガンの治験を行っている。

今日紹介するのは、脳腫瘍の中では予後が極めて悪いグリオブラストーマに、頭蓋の外から持続的に弱い電場をかけ続けて細胞死を誘導するという治療法で、電場でここまでできるのかと驚いた。論文は12月19日発行の米国医師会雑誌に掲載され、タイトルは「Effect of tumor treating fields plus maintenance temozolomide vs maintenance Temozolomide alone on survival in patients with glioblastoma: a randomized clinical trial(グリオブラストーマ患者さんのTumor treting fuieldとTemozolomideの維持療法組み合わせと、Tamozolomide単独維持療法の比較:無作為臨床治験)」だ。

この論文を読むまで、Tumor Treating Fields(TTF)治療については全く知らなかったが、この治療法を提供しているNovacure社の説明を見ると、脳腫瘍の場合頭蓋の外から縦横方向の異なる電流を交互に流すことで、細胞分裂中のチュブリンの重合を阻害するという原理に基づいた治療法のようだ。もちろんチュブリンに対する薬剤は現在も数多くあるが、局所に電場をかけるという点で、腫瘍特異的に分裂を止め、最終的に細胞死を誘導できるという原理だ。

この研究では、予後の極めて悪いグリオブラストーマの患者さんについて、できるだけ腫瘍を切除した後、テモゾロミドを用いた維持療法に入る際、無作為的にTTFを使用する群と、使用しない群に分けて、両者を比べている。勝者は、1日18時間というから、1日中電場をかけ続けていることになる。もちろんできる限り長く装着を続ける

結果だが、がんの再発を抑える期間が2.7ヶ月延長し、生存期間も4.9ヶ月延長できたという結果だ。一方副作用のほとんどはテモゾロミドによるもので、電極を設置した部位の皮膚の刺激症状が半分以上に見られるのが、TTF特異的症状として明らかになった。残念ながら、がんを完全に殺すという治療法ではなさそうだ。

全生存期間で、4.9ヶ月の延長を長いと考えるか、短いと考えるかは難しいが、治療法がほとんどないグリオブラストーマが対象で副作用がほとんどないという利点を考えると、試す価値はあるように思った。また、他の薬剤との組み合わせで、より高い効果が得られる可能性もある。重要なのは、根治しないのを当たり前と思わないで、なぜ抵抗して増殖を続けるガン細胞が存在できるのか明らかにすることだろう。いずれにせよ、治験としては成功と言える。
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12月26日:骨髄幹細胞の末梢への新しい動員方法(1月11日発行予定Cell掲載論文)

2017年12月26日
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造血幹細胞移植による白血病の治療が始まった頃、幹細胞はまず100%ドナーの腸骨骨髄を全身麻酔下で吸引採取する方法で調整する骨髄移植 (BMT)だった。しかし2000年前後から、ほぼ同じ効果のある幹細胞を末梢血から得る方法が開発され、血縁者間の造血幹細胞移植では末梢血幹細胞を調整して移植する末梢血細胞移植(PBSCT)の方が主流になっている。全身麻酔を必要としないという点では確かに楽に見えるが、実際にはG-CSFを何回も投与し、4日目から2−3日続けてアフェレシスという方法で3−4時間かけて幹細胞を分離する。このため、拘束時間でいうと、PBSCTは長い時間かかるのが難点だ。これを改善するためには、骨髄から幹細胞を末梢に動員する新しい方法の開発が待たれていた。

今日紹介するハーバード大学からの論文はひょっとしたらPBSCTの方法を一変させる可能性を秘めた骨髄幹細胞動員方法の開発で1月11日号のCellに掲載される予定だ。タイトルは「Rapid mobilization reveals a highly engraftable hematopoietic stem cells(迅速動員法により移植効率の極めて高い血液幹細胞の存在が明らかになった)」だ。

このグループはもともと、G-CSFの代わりにCXCR2を刺激するケモカインGROβが利用できないか人間を用いた治験を行っていたようだが、期待したほどの効果を得ることができていなかった。そこで、G-CSFと合わせて使われるCXCR4阻害剤AMD3100とGROβのコンビならどうかと、マウスを用いる前臨床研究を行ったところ、同時に両方を投与することで、幹細胞の動員を3倍以上に促進すること、しかも一回投与で、15分後にはすでに動員がピークになることを発見する。すなわち、G-CSFによる幹細胞動員方法を、簡便さでも、採取できる幹細胞の量でもはるかに凌駕できる可能性が生まれた。

そこで、動物モデルや試験管内刺激実験ででメカニズムを完全に明らかにしようと様々な実験を行い、

1) GROβは好中球のマトリックス分解に関わるMMP9の発現分泌を誘導するが、CXCR4を阻害するとこの効果が高まる。
2) 同じことは、人の好中球でも確認できる。
3) 幹細胞の動員に関わるのはMMP9で、この活性が弱い系統ではこの方法の動員効果が落ちる。
4) この動員には骨髄中の血管透過性が上昇することも関与している。

などを明らかにしている。

これだけでも臨床応用の価値はあるが、ただ話はこれだけで終わらない。最大のハイライトは、この方法で得られた細胞の幹細胞としての能力がG-CSFを用いた方法と比べ2倍以上に高いことの発見だ。放射線で障害された骨髄を移植で再構成する実験で、幹細胞能力を詳しく調べる実験から、幹細胞の質が異なっていることが予想され、この差の原因を遺伝子発現を比べて検討した結果、新しい方法で動員された幹細胞が、なんと胎児肝臓造血細胞に近いことを突き止めている。

これ以上の分析はなされておらず、なぜ胎児肝造血細胞型に先祖返りするのかについての答えは出ていないが、短い時間で幹細胞が採取でき、しかもそれがこれまでの方法より高い能力を持つ幹細胞なら、臨床的には画期的な結果だと思う。おそらく、人間での治験研究も着々進んでいると予想できるので、この可能性が応用可能かどうかわかるのにそう時間はかからないだろう。なんとなく瓢箪から駒という気がする。
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