創薬、特に薬効のある化学化合物を発見するためには、ただ大規模な化合物スクリーニングができれば済むわけでなく、必ず分子の構造が頭の中に浮かんでくる優れた化学者の参加が必要だ。この素養に全くかけている私から見ると、このような化学者はいつも奇跡のように思える。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、化学者の手にかかれば現在ある化合物が魔法のように生まれ変わるということを教えてくれる研究で、1月5日号のJournal of Clinical Investigationに掲載された。タイトルは「Designer aminoglycosides prevent coclear hair cell loss and hearing loss (アミノグリコシドをデザインして蝸牛有毛細胞の変性からくる難聴を防ぐ)」だ。アミノグリコシド系の抗生物質は歴史が古く、ストレプトマイシン、カナマイシン、ゲンタマイシンなどの名前を聞くと懐かしい。40年前に私が医師として勤めだした頃はペニシリンと並ぶ主役だった。特に抗生物質の効きにくい細菌にも使えるので、何か最後の切り札のような感じで使っていた気がする。「最後の」と考えるのは、アミノグリコシド系抗生物質が高率に聴力障害を起こす副作用があるためで、かなり慎重に使わざるを得なかった。この副作用だけを抑え、抗生物質としての薬効を残す薬を作れるかがこの研究の課題だ。この研究のきっかけになったのは、アミノグリコシドが聴力障害を特異的に引き起こすメカニズムを明らかにした研究があるからだ。すなわち、アミノグリコシドは通常細胞内に取り込まれないが、蝸牛の有毛細胞が発現して音を聞くのに重要な働きをしているメカノセンサー分子のイオンチャンネルを通って有毛細胞内に侵入できることがわかった。そこで、カルシウムイオン(陽イオン)が流れ込むチャンネルを通ることのできないアミノグリコシドを、正電荷を減らすことで設計できないか検討したのがこの仕事だ。結果は明快で、シソマイシンをベースに、幾つかの正電荷を減らした合成物を作成し、副作用と抗生物質の効果を調べたところ聴力障害性の少ない抗生物質ができたという結論だ。生理学的に、この副作用が予想通りメカノセンサーを介していることも示している。生理学と化学が統合されたいい仕事だと思う。抗菌性の抗生物質は今でも医療の重要な柱だ。同じような見直しで、より優れた抗生物質が開発されることを期待する。しかしこの論文の著者を見ていると、耳鼻咽喉科、腎臓内科、小児科の研究者が生理学者と協力してこの薬を開発したことがわかる。即ち、日々の臨床でアミノグリコシド系抗生物質の副作用をなんとかしたいと思っている医師のイニシアチブが感じられる。このような協力関係が築けることこそが大学の使命だと実感した。
1月7日:抗生物質をデザインする(1月5日号Journal of Clinical Investigation掲載論文)
1月6日:MAPCからiPSへ(1月13日号Stem Cell Report誌掲載論文)
幹細胞研究分野の国際会議は、4000人の会員数を誇るISSCR(国際幹細胞研究学会)に集約されているが、実はこの学会の歴史は浅く、最初の会議は2002年にワシントンで行われた。なぜワシントンかと言われると、ブッシュ政権時ヒトES細胞の樹立や利用を禁止する法案がアメリカ議会を通過するのではないかとの心配から、対抗する一種政治ショーの使命も帯びていた。ハーバードのLen Zonの呼びかけに応じて、この会議に向けてボードを組織し、ようやく会議にこぎつけたが参加者は500人に満たなかったと覚えている。全く母体もなしに国際会議組織を一からどう作ればいいのかを学ぶ良い機会になった。このためこの会議の最も重要なテーマはヒトES細胞だったが、それに対抗していたのが骨髄から樹立される多能性幹細胞MAPCだった。ヒト胚を利用しない倫理的問題のない細胞として、常にヒトES細胞と一緒に取り上げられた。このMAPSの生みの親が当時ミネソタ大学にいたCatherine Verfailleで、ISSCRでも最初から登場願った。ただ追試が難しく、捏造疑惑がでたことで(論文は撤回していない)、いつの間にか注目されなくなり、彼女もベルギーに帰国した。彼女が帰国後、一度MAPCの遺伝子解析を手伝ったが、随分ES細胞とは違った不思議な細胞だった。5年ほど年前に最後に会ってから出会うことがなかったが、1月13日号のStem Cell Reports誌に久しぶりに彼女の論文を見つけた。タイトルは「Restoration of programnulin expression rescues cortical neuron generation in an induced pluripotent stem cell model of frontotemporal dementia(前頭側頭型認知症患者から樹立したiPSの示す皮質ニューロンへの分化異常はprogranulin発現により回復する)」だ。なんとなく懐かしく紹介することにしたが、タイトルにある通り彼女は今iPSを使った研究を進めていることがわかり、なんとなくほっとした。論文はいわゆるiPSを使った疾患モデルの研究で、中年から発症する家族性の認知症の中で、プログラニュリンと呼ばれる増殖因子の突然変異が特定された患者さんからiPSを作成して、病気の原因を探っている。結果は比較的単純で、遺伝子異常により試験管内での皮質ニューロンへの分化が抑制されるが、この異常をプログラニュリン遺伝子の発現量を正確に元に戻す(遺伝子ノックインを用いている)ことで回復させることができる。この結果から、この前頭側頭型認知症はこの分子の分泌異常で起こると結論できる。治療への手がかりを探すため、iPSから神経分化を誘導後40日目の細胞の遺伝子発現プロファイルを比べると、疾患iPSではWntシグナルが上昇している。そこでWntを抑制する化合物を培養に加えると、皮質ニューロンの分化が回復したという結果だ。まとめると、プログラニュリン分泌低下すると、神経幹細胞から皮質ニューロンへの分化が選択的に抑えられ、変性性の認知症に陥る。これに対する薬剤としてWnt抑制剤は使えるかもしれないという結果だ。治療への手がかりが示されている点は評価できる。しかし、なぜ発生で普通に皮質が形成され、年をとってから認知症が出てくるのか?なぜ異常が前頭葉側頭葉に限局しているのか?はわからないままで、道半ばというところだろう。MAPCはやめてiPSに鞍替えして研究を続けているのか、それともまだMAPCを続けているのか、少し気になる。
1月5日:良い肥満と悪い肥満(1月2日号Journal of Clinical Investigation掲載論文)
お正月が開けると、食べ過ぎて太っていないか心配な人も多いだろう。今日は肥満についての研究を紹介する。良い肥満と悪い肥満があり、また日本人のように肥満がなくても糖や脂肪代謝の異常が起こることは耳学問で知っていた。しかし、脂肪や糖代謝をヒトでどこまで深く調べることができるのか、実験レベルのことはほとんど知らなかった。今日紹介するワシントン大学からの論文は、ヒトで肥満による代謝を徹底的に調べるときに専門家がどんな検査をしているのか知る意味では格好の論文だった。タイトルは「Metabolically normal obese people are protected from adverse effects following weight gain(肥満でも代謝が正常な人は体重増加による悪影響から守られている)」。先の大戦でイギリスを指導したチャーチルは、現代から見ると悪い習慣の代表みたいな首相で作家(ノーベル文学賞を受賞しているので作家と紹介しないわけにはいかない)だった。いつも葉巻姿で、お腹が出た典型的英国型の太ったジョンブルだった。それでも91歳まで生き、天寿を全うしたと言えるだろう。こんな例を見ていると、間違いなく肥満自体が問題ではないことがわかる。したがって、良い肥満と悪い肥満を区別することは医学の重要な課題だ。研究では肥満で健康に暮らしている人を集めて、なんと1日3500Kcalの食事を続けて、体重が6%近く増加したところで検査を行うことで、急激に体重を増やした時に代謝がどう変わるか調べている。まず驚いたのが、良い肥満と悪い肥満を見分ける最初の指標として、核磁気共鳴法を用いて肝臓内のトリグリセリド量を調べていることだ。核磁気共鳴法がイメージングだけでなく、分子の特定にも使えるのは知っていたが、ここではこれを利用して肝臓内のトリグリセリドの高い人を悪い肥満、正常の人を良い肥満とまずわけて、これが正しいかより詳しく調べている。そのために一般検査は言うまでもなく、入院させて朝からカテーテルを静脈と動脈に留置して、異なるアイソトープでラベルしたブドウ糖、パルミチン酸を注射し、その後血中に存在するアイソトープでブドウ糖やパルミチン酸の代謝を計測する。インシュリン抵抗性を調べるために、2種類の用量のインシュリンをこれも静脈から投与し血中濃度を一定に保って代謝を測定している。これにより、肝臓と筋肉インシュリン感受性を区別して調べることができる。この検査の1週間後に次は超低比重リポタンパク量の変化とともに、これもアイソトープでアミノ酸代謝を測定している。最後にインシュリン濃度を固定している間に腹部脂肪組織をバイオプシーして、脂肪組織の遺伝子発現を調べている。太ることだけでも大変だろうに、何日もかかる検査に付き合ってくれるボランティアの方がよくいたなと感心する。結果は一目瞭然、肝臓内トリグリセリドで良い肥満と悪い肥満を区別できる。悪い肥満の人は、肝臓も筋肉も糖や脂肪の代謝レベルでインシュリンに抵抗性が顕著だが、良い肥満の人は太っていても代謝にほとんど変化がないという結果だ。その上で、超低比重LDLが肝臓内トリグリセリドと相関していることを示しており、今後の診断に使えそうだ。ではなぜこのような差が出るのか?これについては答えは出ていないが、インシュリン濃度を一定にした時の脂肪細胞の遺伝子発現から、良い肥満の人は急速に体重が増えると脂肪合成や代謝に関わる酵素が増加しているのに、悪い肥満の人ではこれらの遺伝子発現が低いままだ。したがって、この体重増加に対する脂肪細胞の反応の差の原因を調べることで今後遺伝子やエピジェネティックレベルの研究が進むだろう。しかし、代謝を徹底的に調べることがどんなことかよく理解できた。肥満なら全て悪いという乱暴な議論が多い中で、いい勉強になる論文だと思う。
1月4日:ガン発生リスクの組織差:思い切った仮説を元に考えてみる(1月2日号Science誌掲載論文)
以前ポルトガル・グルベキアン研究所が組織していた大学院コースで集中講義を頼まれた話を紹介したが、その週の朝の講義を担当していたのが、発生学の教科書「Principles of development」で有名なLewis Wolpertだった。いい機会だと私も学生に混じって5日間の講義を全て聞いたが、学生を惹きつける講義法に感心した。中でも初日と最終日の講義が印象に残っている。最終日は科学と政治の話で、コンラート・ローレンツがナチスに協力したことを題材に、科学者が大衆に迎合することで、逆に大衆を扇動してしまう危険性を説いていた。一方初日は、講義冒頭に「発生に必要なシグナルは5種類しかない」と話し始めて、参加した学生の「そんなはずはない」という反論を促し、その反論に答える形で講義を進めていた。批判力を強め、総合的な人間の魅力を高める以外にいい講義はできないことを学んだ素晴らしい経験だった。前置きが長くなったが、今日紹介するTomasettiとVogelsteinが1月2日号のScience誌に発表した論文を読んで、同じような思いが蘇ってきた。タイトルは「Variation in cancer risk among tissues can be explained by the number of stem cell divisions(ガン発生リスクの組織差は幹細胞分裂の数で説明できる)」だ。著者の一人Vogelsteinは言うまでもなく、発ガンの多段解説で有名なガン遺伝学の大御所で、医科研の中村さんのAPC遺伝子の発見論文の共著者にもなっている。研究というより、一つの考え方を提案した論文で、「なぜ組織ごとにガンのリスクは異なっているのか?」を問題にしている。わかりやすく言うと、なぜ直腸・大腸ガンはガン全体の5%に達するのに、小腸ガンは0.2%にしかならないのかという問いだ。ガンのゲノムが明らかになってくると、変異を起こしている遺伝子の種類は似ているのにこのような差が生まれていることがわかる。この問いに対して、Vogelsteinは極めて単純な可能性を提案する。すなわち、各組織の幹細胞の数とその分裂回数を乗じた全幹細胞分裂数が各組織の癌リスクを反映するという仮説だ。そして様々な資料を探し出して、例えば直腸・大腸の幹細胞分裂数を1兆回、小腸の幹細胞分裂数を三千億回と計算して、各ガンの生涯リスクとプロットして、確かに癌リスクと幹細胞分裂数が相関していることを示している。こういう単純な仮説を出されると、「Vogelstein先生らしくもない、それはあまりに単純でしょう。」と反論したくなる。そんな反論は百も承知で、今度は全幹細胞分裂回数と、実際のガンの生涯リスクの対数を単純に乗じただけのExtra Risk Scoreを指標としてガンを並べると、直腸がん、基底細胞癌、肺がん、ウィルス性ガンなどの指標が高スコアのガンから、膵臓癌、小腸ガン、十二指腸癌などの低スコアのガンまで並ぶ。そして、高スコアのガンは、分裂回数に環境などの要素が加わっていることを示しており、予防可能だと結論する。実際、直腸がん、肺がん、C型肝炎による肝がんなど、すでに一定の予防が可能なことがわかっている。一方、膵臓癌、小腸ガンのリスクは幹細胞分裂回数と密接に関わるため、予防より早期診断しかないとしている。話はこれだけで、ガンの専門家ならこんな当たり前のことを論文にしてと怒るかもしれない。しかし、同じような論文がこれまでなかったとすると(検証していない)、1)当たり前のことを疑問に思う、2)単純に物を考えてみる、そして3)一般的に物を考えることの重要性を示して見せた点でなるほどVogelstein先生だと納得する。おそらく、ガンのゲノム研究が個別の問題を扱いすぎることに対する、大御所からの皮肉を込めたメッセージであるような気がする。
1月3日:タバコによるY染色体喪失(1月2日発行Science誌掲載論文)
引退後も講義を通して若い学生さんに呼びかける機会を与えていただいている幾つかの大学には本当に感謝している。21世紀の世界は彼らにかかっており、彼らがはっきりとアジェンダを見つけるよう励ましている。医学部学生さんの場合は、ゲノム、IT、コホート、そしてコレクティブインテリジェンスが21世紀の医学を構想する鍵になることを説明した後、この4分野を統合した、患者さんが中心になる医療システムへの転換の重要性について講義をしている。特に、血液サンプルが定期的に採取され保存されているコホート研究が、ゲノム研究と統合されると、思いもかけないことがわかることがある。その一つの例が、昨年5月、Y染色体が失われた血液が多くなると、ガンや他の病気での死亡率が上昇することを報告したスウェーデンからの論文だ(Nature Genetics, 46:624)。今日紹介するのも同じスウェーデンのグループからの論文で、今度はタバコとY染色体喪失との関係を調べた論文でScienceの新年号に掲載されている。タイトルは「Smokingis associated with mosaic loss of chromosome Y(喫煙はY染色体が欠損した細胞がモザイク状に血液に維持される原因になる)」だ。以前紹介した研究はウプサラでの長期コホートを使っているが、今回はさらに対象人数を増やすため、TwinGene, 及びウプサラ高齢者血管研究コホートも合わせることで、総勢6000人近くの血液サンプルを調べている。まず採血時点で喫煙を続けていると、Y染色体喪失の血液の頻度が上昇している。3コホート別々に喫煙についてもう少し詳しく見てみると、採血時に喫煙していた場合にのみY染色体喪失が検出され、パーティーなどでたまに吸う人や、前は吸っていたがタバコをやめた場合には異常は見られない。また現在吸っているタバコの本数が多いほど、Y染色体喪失細胞の比率が高い。示された結果はこれだけだが、タバコの影響についてこれまでとは異なる側面を教えてくれる面白い研究だ。まず、タバコは肺だけでなく、血液に直接働きかけて染色体異常を起こすようだ。タバコをやめると元に戻るようなので、寿命がそれほど長くない前駆細胞に働いて異常を誘導している可能性が高い。ただ、タバコでこれほどの影響があると、昨年紹介した論文で見られたY染色体喪失と死亡率との相関はただのタバコの影響かもしれないと心配になる。この論文ではあくまでも、タバコがY染色体喪失を誘導し、この結果おこるガンに対する免疫反応の低下の結果、ガンや他の病気のリスクが上昇するシナリオを主張している。それを示すために、Y染色体喪失が最初に診断された後、20年にわたって生存している91歳の高齢者3人を選んで91歳時点で新鮮血を採血、T細胞、B細胞、顆粒球に分離して、それぞれのY染色体喪失頻度を調べ、異常の頻度は決して一様でなく、顆粒球で異常細胞頻度が高いことを示している。すなわち、障害はランダムに起こっているのではなく、おそらく抵抗力低下につながる特定の異常細胞が選択され増えてくるという仮説にこだわっている。しかし、この結果からだけでは著者らの仮説が証明されたとは言えないと思う。いずれにせよ、30年以上もサンプルが蓄積されたコホート研究がゲノム研究と協力することで発揮するパワーをよく理解することができる。講義にも積極的に使いたいと思っている。
1月2日:男はなぜ争いを好むのか?(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
年末年始ということで「始まり」に関する、少し毛色の変わった論文を探していると、なぜかアメリカアカデミー紀要が続いてしまった。実際分野を限定しないアメリカアカデミー紀要やプロスワンには、毛色の変わった論文が多い。年末年始だけですでに、酒好きの起源、核酸塩基の起源、そして今日紹介する争いを好む心の起源についての論文を見つけることができることから、本当に多様な研究が行われていることがよくわかる。
さて私自身は「悲しき熱帯」以外読んだことはないが、レビ・シュトロースに代表される私たち自身の心のルーツを未開の部族の風習や行動に探ろうとする文化人類学は、若者を引きつけるロマン溢れた学問分野だ。ただ、本として読むのは面白いが、科学として見始めると、研究者の仮説や憶測がどうしても表に出てしまっている印象を受ける。今日紹介するハーバード大学Peabody博物館からの論文は、アフリカのある部族で、なぜ命が懸かっていても男は戦いを続けるのかについて調べた研究で、アメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されている。タイトルは「Warfare and reproductive success in a tribal population(ある部族に見られた戦いと生殖上の成功)」だ。研究では、今も周りの部族と大小様々な戦いを続けているアフリカのNyangatom部族の男120人の戦歴と家族構成を調べ、私たちが持っている戦いの本能の起源を探ろうとしている。ただはっきり言って、慣れない分野で読みにくいし、素人から見ても憶測の多い論文という印象を持った。さてこの部族だが、主に家畜を盗むために今も周りの集落や部族と戦いを続けている。普通は数人で夜忍び込んで家畜泥棒を行う形態をとるが、時によっては100人単位の数が参加する戦争を行うようだ。こう聞くと普通はのどかな弓矢の儀式的戦いを思い起こすが、1980年以降はなんと自動小銃が導入されているようで、完全な命のやりとりになる。この部族の財産はもちろん家畜で、結婚するためには30頭ほどの家畜を男が相手の親に送る必要がある。すなわち結婚は財産が必要であるため遅く、女性は初経後数年でほとんど結婚するのに対し、男は20代後半から30代まで待つ必要がある。また、財産が多いということは複数の妻を持つことにつながる。では、家畜をめぐる命のやり取りは結婚のためかと調べると、盗みや戦いで勝ち取った家畜のほとんどが家長の財産になり、それを自分で結婚の貢物として使うことはない。実際、若者で戦いに参加して成功しても、ほとんど配偶者や子供の数につながっていない。一方若者の戦利品も自分の財産になるため、年長者や家長はまず戦いに参加しない。いろいろ調べたあげく、配偶者や子供の数と相関が認められたのが、年長者の過去の戦いの成功だけという結果になってしまった。これを説明する様々な可能性を考察した後、常識な結論を提案して終わっている。すなわち、若い時の戦いで戦利品を家長に贈ることで、後で権利を主張できる。また、家長の財産が増えると、女兄弟が増え、結婚の際の貢物も増え、将来相続できる財産が増えるという結論だ。しかし論文には戦いで命を落とすリスク確率、高い戦績をあげている年長者の体力、あるいは村に存在する銃の数などは全く示されていない。論文としてはかなり不完全な印象が拭えないし、読み物としてもレビ・シュトロースや、我が国で言えば宮本常一の面白さはない。現在ゲノム解読により歴史学が変わろうとしているように、おそらく文化人類学もゲノムにより大きく変わると思う。とすると、行動の記述がもっと精緻にならないと、新しい科学として生まれ変わることは難しいだろう。ただ、一つだけこの論文を読んでホッとしたのは、100人規模の戦争が起こる場合も、参加は自由で、村のために全員が動員されることがないことだ。実際、国家のために命を差し出させる徴兵制は近代以降はともかく、人類にとっては決して当たり前ではない。戦いを強制しない社会が私たち本来の本能であってほしいと思う。とはいえ、自由参加でも命のやり取りに出かけるとは、やはり男のゲノムに戦いの遺伝子がありそうだ。
1月1日:諸々の力(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
「もともと生命は、諸々の力が、一握りの、ひょっとしたらたった一つの原型に吹き込まれて始まり、この惑星が永遠に変わる事のない重力法則による回転を繰り返している間に、これほど単純な始まりから、最も美しくすばらしい果てしない形態が進化し、また進化し続けている。とするこの見解には、壮大さがある。」これはダーウィンの種の起源の後書きのそれも最後の文章だ。英語の本文はとても美しい文章で、到底私の訳ではこれを伝えることはできないと諦めている。これはダーウィンの勝利宣言でもあり、敗北宣言でもある。悔しいことに、生命が初めて地球上に生まれる過程については「諸々の力が・・・」としか語れなかった。しかしダーウィンの敗北宣言から150年以上たった今も、私たちは勝利宣言のための糸口さえつかめていない。1年を始めるにあたって、生命が誕生するまでの諸々の力についての研究が紹介したいと思っていたら、チェコ科学アカデミーからの論文がアメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載されているのを見つけた。タイトルは「High-energy chemistry of formamide: a unified mechanism of nucleobase formation(フォルムアミドの高エネルギー化学:核酸塩基形成の統一モデル)」だ。生命の出現には生命の成分であるアミノ酸、核酸、脂肪、糖など有機化合物が必要だ。これらを組み合わせて生を「吹き込む」過程は、物理化学を超えた組織化についての科学が必要だが、有機成分の生成過程は物理化学に完全に支配されており、再現可能なはずだと、様々な試みが行われてきた。中でも有名なのが、ミラーの実験で、水素、水、アンモニア、メタンが混じった蒸気に落雷を模した放電を行うと、多くのアミノ酸ができることを報告した(Science,117:528,1953)。驚くことに、2007年、彼の死後当時の実験のサンプルが見つかり、2008年、彼の弟子たちにより新しい機器を使った再調査が行われた。そして最初報告されたより多くのアミノ酸が含まれていたことが発見されたが(Science, 322:404, 2008)、50年後にも使えるよく保存された資料を残している科学者魂については、科学を志すもの全ての範となるだろう。現在ではこの時使われた条件が本当に太古の大気を反映しているか疑問が持たれているが、ほとんどのアミノ酸が生命誕生以前に地球に誕生できたことは間違いがない。前置きが長くなったが、今日紹介するのは40億年前の地球でRNAの構成成分の塩基、すなわちアデニン、グアニン、ウラシル、シトシンを同時合成することが可能か調べた研究だ。実験は大がかりだが、結果は簡単だ。約40億年前には地球はまだ不安定だった宇宙から流星が雨のように降り注いでいたと考えられている。この流星衝突の凄まじいインパクトによって形成されるプラズマが「諸々の力」として全ての核酸塩基を同時に合成できることを示す研究だ。このインパクトを再現するために、プラハにある大規模レーザー光照射施設の高エネルギーレーザーを用いて、2200度のプラズマを発生させている。これまでの研究で、フォルムアミドが存在すれば核酸塩基が作れることは示されてきた。今回の研究でもフォルムアミドを原料として用い、粘土存在下にレーザー照射を行うと全ての核酸塩基が47mg/Lの高収量で得られるという結果だ。作られる中間体なども質量分析で検出され、詳しい化学反応プロセスが示されているが、わざわざ紹介する必要はないだろう。このように「諸々の力」により有機物が生まれる過程は徐々に明らかになっている。次はこの有機物が生物として組織化される有機体論を展開することが必要になる。是非21世紀の若い頭脳がこれに挑戦してくれることを望みたい。この有機体論が完成しないと、惑星探査で有機物を検出したとしても生物の存在を示すかどうかわからないことは心すべきだ。
12月31日:人類の酒好きはどこから来るのか(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
私の世代なら見た方も多いと思うが、大学を出たばかりの頃「ビューティフルピープル:愉快な仲間たち」という映画を見た。アフリカに棲む様々な動物の記録映画だが、タイトルからもわかるようにあらゆる動物を擬人的に扱うことでそれぞれの習性を強く印象付けた動物映画の秀作だった。中でも妙に記憶に残っているのが、熟れた果物を食べて象までが酔っ払うシーンで、食べたあと全ての動物が千鳥足で歩くシーンから、動物も本当は酒好きなんだという印象を持った。今日紹介するサンタフェ大学からの論文は私たち人間が酒好きになった起源についての研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に紹介された。タイトルは「Hominids adapted to metabolize ethanol long before human-directed fermentation(人間が発酵を利用する以前から類人猿はエタノールを代謝ができるよう適応していた)」だ。明日から、アルコールを飲む機会が多くなると思って、取り上げてみた。不勉強で全く知らなかったが、アルコールを処理するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)には多くのタイプがあり、私たちには7種類存在する。アルコールに強いとか弱いとかを決めているのは肝臓に存在するADH1だが、この研究で調べられたのは様々な組織に広く発現するADH4だ。研究ではヒトを含むサルのADH4の塩基配列から系統樹を作成し、それぞれの種の分岐点を代表する遺伝子から試験管内でタンパク質を合成し、エタノールを基質にした脱水素反応の酵素活性を調べている。驚くことに、この酵素がエタノールの脱水素反応酵素活性を獲得するのは、類人猿がゴリラ・チンパンジー・人間の系統と、オランウータンとに分かれた時点で、オランウータンを始めほとんどのADH4はエタノールを基質とすることができない。一方様々な果物に含まれるゲラニオールなどのテラピノイドを基質とする活性は全てのサルのADH4に検出される。結果はこれだけだが、遺伝子配列だけでなく、実際の酵素活性を丹念に調べて、エタノールにたいする基質特異性が約1000万年前に獲得されたことがわかると、様々な想像が膨らむ。この研究では、サルの食習慣、分岐の起こった中新世の急速な寒冷化などから一つの面白いシナリオを提案している。1000万年前私たち人間、ゴリラ、チンパンジーの先祖は木の上から地上に降りて生活を始める。どちらが先かわからないが、この時木の上のフレッシュな果物を食べる食生活から、地上に落ちた熟した果物を食べるように変化する。実際、チンパンジーは熟した果物を好んで食べるようだ。もちろん熟した果物には発酵によるアルコールが含まれれている。これに対応するため、ADH4が適応進化しエタノールを分解するようになった。一方オランウータンなど他のサルも熟した果物も食べるが、新鮮な葉や果実を主食とするため、それらに含まれるゲラニオールを始め様々なテラピノイドの分解が必要で、ADH4のエタノールへの特異性の変化は許容できなかったというシナリオだ。特に、熟した食物を主食にしたため、中新世の寒冷化で我々の先祖は滅びてしまい、暖かいアフリカに限局されることになったのだろう。おそらく次の課題は、どうして酒好きになるかだ。実際京大霊長研のサイトには、ボッソウ地区に住むチンパンジーが葉っぱからヤシ酒を飲むビデオが紹介されている。エタノールを処理できるようになってすぐ、私たちは酒好きになったようだ。この論文のおかげで私も他の知識の断片を統合することができた。地上生活を始めたため主食になった落ちている熟した果物にはアルコールも含まれるが、地上の多くの昆虫も含まれる。これを摂取したおかげで、高タンパク食が可能になり、脳を発達させることができたというシナリオだ。なら酒好が先にあって脳の発達を促したのはありそうなシナリオだ。来年の干支羊とは関係なかったが、これから正月を迎える日にはうってつけの論文を読んだ。
12月31日:酒好きの起源(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
私の世代なら見た方も多いと思うが、大学を出たばかりの頃「ビューティフルピープル:愉快な仲間たち」という映画を見た。アフリカに棲む様々な動物の記録映画だが、タイトルからもわかるようにあらゆる動物を擬人的に扱うことでそれぞれの習性を強く印象付けた動物映画の秀作だった。中でも妙に記憶に残っているのが、熟れた果物を食べて象までが酔っ払うシーンで、食べたあと全ての動物が千鳥足で歩くシーンから、動物も本当は酒好きなんだという印象を持った。今日紹介するサンタフェ大学からの論文は私たち人間が酒好きになった起源についての研究でアメリカアカデミー紀要オンライン版に紹介された。タイトルは「Hominids adapted to metabolize ethanol long before human-directed fermentation(人間が発酵を利用する以前から類人猿はエタノールを代謝ができるよう適応していた)」だ。明日から、アルコールを飲む機会が多くなると思って、取り上げてみた。不勉強で全く知らなかったが、アルコールを処理するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH)には多くのタイプがあり、私たちには7種類存在する。アルコールに強いとか弱いとかを決めているのは肝臓に存在するADH1だが、この研究で調べられたのは様々な組織に広く発現するADH4だ。研究ではヒトを含むサルのADH4の塩基配列から系統樹を作成し、それぞれの種の分岐点を代表する遺伝子から試験管内でタンパク質を合成し、エタノールを基質にした脱水素反応の酵素活性を調べている。驚くことに、この酵素がエタノールの脱水素反応酵素活性を獲得するのは、類人猿がゴリラ・チンパンジー・人間の系統と、オランウータンとに分かれた時点で、オランウータンを始めほとんどのADH4はエタノールを基質とすることができない。一方様々な果物に含まれるゲラにオールを基質とする活性は全てのサルのADH4に検出されている。結果はこれだけだが、遺伝子配列だけでなく、実際の酵素活性を丹念に調べて、エタノールにたいする基質特異性が約1000万年前に獲得されたことがわかると、様々な想像が膨らむ。この研究では、サルの食習慣、分岐の起こった中新世の急速な寒冷化などから一つの面白いシナリオを提案している。1000万年前私たち人間、ゴリラ、チンパンジーの先祖は木の上から地上に降りて生活を始める。どちらが先かわからないが、この時木の上のフレッシュな果物を食べる食生活から、地上に落ちた熟した果物を食べるように変化する。実際、チンパンジーは熟した果物を好んで食べるようだ。もちろん熟した果物には発酵によるアルコールが含まれれている。これに対応するため、ADH4が適応進化しエタノールを分解するようになった。一方オランウータンなど他のサルも熟した果物も食べるが、新鮮な葉や果実を主食とするため、それらに含まれるゲラニオールを始め様々なテラピノイドの分解が必要で、ADH4のエタノールへの特異性の変化は許容できなかったというシナリオだ。おそらく次の課題は、どうして酒好きになるかだ。実際京大霊長研のサイトには、ボッソウ地区に住むチンパンジーが葉っぱからヤシ酒を飲むビデオが紹介されている。おそらくエタノールを処理できるようになってすぐ、私たちは酒好きになったようだ。この論文のおかげで私も知識の断片を統合することができた。地上生活を始めることで主食にした落ちている熟した果物にはアルコールも含まれるが、地上の多くの昆虫も含まれる。これを摂取するおかげで、高タンパク食が可能になり、脳を発達させることができたというシナリオだ。なら酒好が先にあって脳の発達を促したかもしれない。来年の干支羊とは関係なかったが、これから正月を迎える日にはうってつけの論文を読んだ。
12月30日:セロトニン再吸収阻害剤の副作用の神経生理学的説明(Trends in Cognitive Scienceオンライン版掲載論文)
自己分析すると、理系志向と文系志向のバランスが常に揺れ動いていた気がする。学生時代、文系志向が強くなると、不思議と精神科に行こうという気持ちが高まって、様々な精神疾患に関する多くの古典を読んだ。ただ古典が書かれた時代には向精神薬などはほとんどなく、治療戦略は患者さんとの会話を通して病気の原因を探り、それを自覚させて直すという、ロマン溢れたものだった。ただ、臨床実習が始まると、実際の治療現場では患者さんの数があまりに多く、向精神薬を中心とする治療が中心になり、患者さんと相対して時間をかけて治療の糸口を探るといった古典的ロマンを追求することができないことはすぐ理解できた。そんな時理系志向が強まると、病理学に行きたいなど考えたこともあったが、結局どちらも選ばず現実的な進路を選んで今に至っている。このように自分自身の事でも、時々の行動を説明することは難しい。このような揺れ動く気持ちの中で高いモチベーションが発揮されてしまう深刻な例が自殺だろう。揺れ動く気持ちの中で自殺を選ぶというモチベーションの必要な決断をなぜ下したのかについての、真実を知ることは難しい。この問題は科学から程遠いなどと思っていたら、以外と神経生理学的探求が考える枠組みを提供できるという総説論文に出会った。少しマニアックかもしれないが、是非紹介したい。ドイツ マグデブルグ大学からの論文で、タイトルは「Dual serotonergic signals: a key to understanding paradoxicall effects ? (セロトニンシグナルの2面性:セロトニンの矛盾する効果を理解する鍵になるか?)で、Trends in Cognitive Scienceのオンライン版に掲載されている。私もほとんど知らなかったが、現在最も使われている抗うつ剤、セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)は、投与初期と後期で逆の作用があり、初期には時に自殺願望や自傷行為を高めてしまい抗うつ剤としてほとんど失格なのに、投与を続けると副作用の少ない優れた抗うつ剤として利用できるという2面性があるようだ。この総説はこの2面性を説明する神経生理学的仮説を提案する論文で、新しい実験結果を示した論文ではない。この仮説の理解には幾つかの知識が必要だ。まず、セロトニンを分泌する神経細胞は脳幹にある縫線核と呼ばれる部位に集中して存在し、脳内の様々な場所にセロトニンを供給することで多彩な機能を示す。うつ病の多くはこのセロトニン分泌が低下している。ただ、セロトニンは特別なトランスポーターによりもう一度細胞内に取り込まれることで、刺激を低下させている。この再取り込みを抑制するのがSSRIで、これによりセロトニンの細胞外濃度が上昇する。セロトニンを分泌する神経細胞自身にもセロトニン反応性の受容体が出ており、自分の分泌したセロトニンの刺激で、セロトニン分泌を低下させ、刺激が過剰にならないようにしている。これに加えて、細胞外のセロトニン濃度が高値で維持されると、受容体自体の感受性が低下する仕組みが存在し(脱感作という)、刺激が過剰にならないようにしている。この基礎知識を頭に入れて、次に著者らの仮説を見てみよう。
この仮説は、セロトニンを分泌する同じ細胞がもう一つの神経伝達因子グルタミン酸を分泌し、異なる機能を担っているという発見に基づいて考えられている。セロトニン分泌神経でのセロトニン再取り込みを抑制すると、細胞外のセロトニン濃度は高まる。これにより、抗うつ作用が働き何かをしようとするモチベーションは上がる。しかし、セロトニン分泌細胞はセロトニンにより興奮が抑えられる。このため、同じ細胞の分泌するグルタミン酸の分泌だけが低下した状態が生まれる。この結果、グルタミン酸によって調節されていた喜びの気持ちを通した行動報償系の機能は逆に低下する。ただ時間が経つと、セロトニンが高濃度に維持されることで誘導される受容体の脱感作が完成し、神経興奮は元に戻り、セロトニンとグルタミン酸のバランスも回復する。この結果、SSRIは投与を続けていくと優れた抗うつ剤として安心して使えるという仮説だ。要するに、SSRI投与初期にはセロトニンとグルタミン酸分泌のバランスが壊れ、報われない気持ちを強く感じる一方、行動へのモチベーションが上がっているため、自殺する可能性が上がる心配があるが、分泌細胞自身のセロトニン受容体が脱感作されると、両方の分泌量のバランスが回復し、また感情のバランスが回復して鬱状態から脱することができるという仮説だ。もちろん仮説だけでなく、それを支持する様々な研究結果が引用されている。この仮説も最近神経科学分野を席巻している光遺伝学からの成果から多くを学んでいることもよくわかり、私自身には大変勉強になった。
しかし、一種類の神経がモチベーションと、報われる喜びをバランスよく調節しているのは驚きだ。それを人為的に少しでも壊すとしっぺ返しがくる。これは重要な教訓だが、自殺のような複雑な感情も神経細胞学を通すと、違った角度から新しく整理できることもわかった。しかし、実際の臨床ではこの危険についてどこまで患者さんに理解させているのだろう。ましてや、服用を中断してまた再開したりするのは危険だろう。一度実態を調べてみようと思っている。