2023年5月23日
これまでの研究で匂いとうつ病の関係が指摘されている。うつ病になると嗅覚が低下するし、うつ病の人では嗅球の大きさが減少している。また、嗅覚がなくなった人の3割はうつ病を発症する。事実、Covid-19の後遺症で嗅覚が低下した結果、急速にうつ病が増加したことも指摘されている。逆に、嗅覚を訓練するとうつ病が改善することも知られている。
これらの原因は、嗅球が発生源の早い周期のγ波が、梨状葉皮質や、扁桃体などの辺縁系に伝わって、感情や意志を調節するからではないかと考えられている。今日紹介するハンガリーのセゲド大学からの論文は、嗅球から梨状葉皮質へ伝えられるγ波を調節することで、うつ病症状が変化するかどうか調べた研究で、5月7日 Neuron にオンライン掲載された。タイトルは「Reinstating olfactory bulb-derived limbic gamma oscillations alleviates depression-like behavioral deficits in rodents(嗅球から辺縁系へ伝播するγ波が齧歯類のうつ病葉症状を改善する)」だ。
これまでも、鼻腔を蓋したり、嗅球を傷害したりしてうつ症状を誘導する実験は行われていた。この研究では、まず嗅球から梨状葉へのシナプス結合を結断すると、γ波が辺縁系に伝わらず、例えば甘い水を飲んでも喜ばない無快感症に陥ることを確認する。
その上で、発生するγ波のみを、逆相のγ波で梨状葉を刺激することでキャンセルし、γ波が関わる脳機能を調べている。このためには、嗅球のγ波を検出し、これを逆相にして梨状葉へインプットする閉鎖回路が設計され使われている。
これにより、神経細胞全体ではなく、γ波のみの機能が明らかになるが、結果は明瞭で、無界干渉及び不安神経症が誘導される。
この条件で、ケタミン治療を行うと、γ波が抑えられていてもうつ症状が改善することから、ケタミンがγ波の下流で調節されるイベントに効果があることがわかる。
逆に、他の方法でうつ状態を誘導したとき、今度は逆相ではなく、同じ相のγ波の強度を強めると、うつ症状が抑えられることが明らかになった。
以上が結果で、電気的にγ波のみを特異的に変化させる方法でうつ状態とγ波の関係を調べたことがこの研究のハイライトになる。この結果、これまで現象論的に示されてきた、匂いとγ波の関係が明らかにされ、今後直接嗅球に働きかける治療も可能になる予感がする。単純だが面白い研究だ。
2023年5月22日
一般の人はセラミドというと皮膚の保湿といった良いイメージが多いと思うが、代謝について少しでも勉強すると、セラミドは危険な脂質というイメージを持つ様になると思う。実際、セラミドがインシュリン抵抗性、脂質異常、そして真血管障害に関わることは臨床的にもよく知られている。
今日紹介するスイス・ローザンヌにある工科大学からの論文は、セラミドが筋肉のタンパク質の貯留を促進し、ミトコンドリアのエネルギー代謝異常を誘導することで、老化によるサルコペニアの原因になっていることを示した研究で、5月17日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Inhibiting de novo ceramide synthesis restores mitochondrial and protein homeostasis in muscle aging(新たなセラミド合成を抑えることで筋肉でのミトコンドリアとタンパク質の恒常性を回復できる)」だ。
老化が進むと、筋肉ではタンパク質の沈殿が見られる様になり、それに伴いミトコンドリアの酸化的リン酸化が抑制される。この研究では、最初からこの変化を誘導する原因が、筋肉内にセラミドが蓄積するからではないかと考えた。
老化を含むさまざまな筋肉障害の筋肉での遺伝子発現を調べると、全てでセラミド合成経路に関わる分子が上昇していることをまず確認している。そして、この上昇は筋肉内のタンパク質の貯留と、ミトコンドリアの酸素消費が低下することを明らかにしている。
次に、この相関に因果性があるか調べる目的で、セラミド合成経路を阻害すると、ミトコンドリアの酸素消費量やタンパク質停留が正常化する。
次に筋肉老化を止めることができるか、モデル動物として線虫にセラミド合成阻害剤を添加すると、さまざまな代謝が改善し、筋肉の老化を止めるだけでなく、寿命も少し伸ばすことができる。
そこで、老化マウスを用いてセラミド合成阻害剤投与、あるいは筋肉得意的に合成酵素をノックダウンすると、老化に伴う酸化的リン酸化の低下が正常化し、またタンパク質の凝集も抑えることができる。これは、セラミド合成を阻害することで、さまざまなシャペロンの合成が上昇し、タンパク質の折りたたみが正常に進むためで、ほとんどのシャペロンの合成は上昇する。
最後に、実際の臨床に使えそうなセラミド合成阻害化合物を探索し、3種類のリード化合物を特定して研究を終わっている。
以上が結果で、要するに老化によりセラミド合成が上昇することが、サルコペニアの最も重要な原因であることを示した点は重要だ。セラミド合成阻害剤を長期的に内服していいのかどうか、臨床的にはわからないが、サルコペニアが防げるとすると、私たち高齢者には朗報だ。
2023年5月21日
乳ガンでは、BRCA1のように遺伝子変異の関与ももちろんあるが、分子標的薬の対象になっている遺伝子の多くは、変異というより発現が高まっている場合が多い。この発現上昇の一つの要因が、遺伝子増幅、すなわち特定の遺伝子が染色体から離れて独立して増殖しコピー数が増加することによる場合が多い。しかも、いくつかの遺伝子がセットで増幅することで、乳ガンの増殖を支える。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、乳ガンでこのような遺伝子セットの増幅が起こる大もとの原因はエストロジェン受容体がゲノムに結合して転写を誘導するときに起こるDNA切断、それに続く染色体転座が誘引となっていることを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「ERα-associated translocations underlie oncogene amplifications in breast cancer(エストロジェン受容体αに関わる染色体転座が乳ガンのガン遺伝子増幅の背景にある)」だ。
この研究では800近い乳ガンの全ゲノム解析を行い、遺伝子増幅の数、サイズ、場所を詳しく調べ、典型的乳ガン遺伝子のHER2やサイクリンD1をはじめ、Mycを含む様々な転写に関わる遺伝子の増幅を確認している。すなわち、乳ガン増殖に関わる遺伝子が比較的特異的に、しかもセットで増幅している事がわかる。
次に、この増幅を誘導するメカニズムを、増幅遺伝子の前後の配列から調べると、まず染色体転座が先にあり、この転座により中心体が2箇所できた異常染色体が形成され、分裂時に姉妹染色体が正確に分離せずに股裂き状態になり、切れた染色体から独立したゲノム断片が形成され、これが染色体外遺伝子として増幅することを突き止めた。この結果、例えば17番と11番染色体の転座の場合、乳ガン標的としてお馴染みのHER2とサイクリンD1遺伝子がセットで増幅してしまうことになる。
しかし、分裂時の転座はどこでも起こりうるのに、乳ガンを調べると、都合よく乳ガンの増殖に関わる遺伝子間で転座が起こり、増幅が起こっている。このように転座が集中する部位は、エストロジェン受容体により遺伝子発現調節を受けているところなので、エストロジェン受容体が転写を誘導する時、ゲノムが切断されやすくなるのではと考え、様々な実験を行っている。
その結果、確かに転座が集中する部位にエストロジェン受容体が結合しており、またエストロジェン受容体結合部位に切断が入りやすくなることを実験的に確認している。
最後に、エストロジェン受容体による切断、転座がいつ発生するのか、中心体を持たない染色体の発生を指標に時期を特定している(染色体が股裂きになる原因は点在により中心体を二つ持つ染色体が発生するためだが、この結果中心体を持たない染色体が同時に発生するので、こちらが存在するかどうかを調べて染色体分断が起こったかを調べている)、結果だが、ガン発生より前、閉経までの生理サイクルでエストロジェンが上昇するときは常に、切断、転座、染色体分断、増幅の危険性が存在することを突き止めている。
以上、この研究は、乳ガンの遺伝子増幅が、閉経まで継続する月経周期で起こるエストロジェン上昇により、繰り返し繰り返し誘導されていることを示している。少なくとも私にとっては全く新しい視点で、DNA修復異常をしめすBRCA変異などでは、最終段階まで進む確率が高くなる理由もよくわかった。
2023年5月20日
膵臓ガンの間質は複雑で様々な細胞が存在する。その結果、血管も圧迫され酸素だけでなく様々な栄養分が低下する環境に存在している。にもかかわらず、膵臓ガンは周りを押しのけて増殖し転移する恐ろしさを持っており、ガンの中でも最も治療困難なガンになっている。
この栄養不足を補うため、膵臓ガンはオートファジーで自らの栄養調達を再構成し、また環境からの栄養分を効率よく利用できるしたたかなシステムを備えている。
今日紹介するミシガン大学とロンドン ガン研究所からの共同論文は、膵臓ガンがブドウ糖の代わりに核酸の一つウリジンを分解して糖を調達する能力を持っており、これが膵臓ガンのしたたかさの一因であることを明らかにした研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Uridine-derived ribose fuels glucose-restricted pancreatic cancer(ウリジン由来リボースがブドウ糖欠乏の膵臓ガンの燃料となる)」だ。
このグループは膵臓ガンを代謝の面から研究しており、その一環としてブドウ糖やグルタミン含量を減らした培養条件で様々な膵臓ガンを培養、この条件で増殖するために起こる代謝変化を調べている。その結果、アデノシンや様々な糖を利用してこの悪条件を乗り越えることがわかったが、その中のウリジンもブドウ糖欠乏を補う活性があることに注目し、研究を進めている。
ウリジンがブドウ糖の代わりをすることを、様々な代謝実験で明らかにした後、その経路を探索し、ウリジンがUPP1酵素によりリボース1リン酸とウラシルに分解され、このリボース1リン酸からグリセラルデヒドを経てピルビン酸を合成、これをミトコンドリアのTCAサイクルに供給することを明らかにしている。
すなわち、膵臓ガンでのUPP1の発現上昇が膵臓ガンのブドウ糖抵抗性の原因の一つであることが明らかになったが、次にこの上昇を誘導するシグナルを検討し、膵臓ガン共通のガンドライバー、変異Ras及びその下流のMAPK分子経路がUPP1発現調節に関わることを明らかにしている。
次に、膵臓ガンにウリジンを供給するガン組織の細胞を探索し、なんとマクロファージが唯一のウリジンサプライヤーとして関わることを発見している。
最後に、UPP1がガンの悪性化に関わることを調べるため、UPP1発現の高い膵臓ガンと低い膵臓ガンに分けて、データベースを調べ直すと、低いグループの方が予後が良いことを確認している。
そして、マウス膵臓ガン細胞株からUPP1をノックアウトし、マウス膵臓に移植する実験を行い、UPP1がノックアウトされるとガン細胞の増殖が強く抑えられることを明らかにしている。
他にも詳細な代謝実験を行い、これらの結果が全てUPP1によるウリジンを糖として利用する経路に依存することを示しているが、詳細は省く。
以上、rasが関わるとすると、膵臓ガン特異的ではないと思うが、間質でのウリジン利用の可能性からおそらく膵臓ガンで特にこの経路が問題になるのだろう。いずれにせよ、ガンのしたたかさは、同時に弱みでもあるので、UPP1を抑えることは治療に利用できると期待する。
2023年5月19日
人類の起源であるアフリカ大陸では、現存の民族が極めて多様で、その形成過程は多くの研究者を惹きつけてきた。ただ、気候条件のためか、化石が少なく、結果古代ゲノムの解析がほとんど出来ていない。自ずと、現存の民族をできるだけ詳しく調べてそこから系統モデルを作る作業が中心になる。
この作業は簡単でなく、検証するために作成するモデルに強く依存することになる。今年3月に紹介したペンシルバニア大学からの論文では、共通祖先が順番に枝分かれするモデルから始めると、南、東西各民族に分離後も、追跡しきれない複雑な交雑史を想定せざるを得ない結果が示されていた(https://aasj.jp/news/watch/21660)。
今日紹介するカリフォルニア大学デービス校、カナダ マクギル大学との共同論文は、従来の共通祖先枝分かれモデルをやめて、初期人類レベルで活発な交流を想定した新しいモデルがアフリカ民族の交流史をより正確に反映することを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A weakly structured stem for human origins in Africa(アフリカにおける人間起源に関する弱い構造化起源モデル)」だ。
この研究では、290人のアフリカ各地からの全ゲノムを解読している。3月に紹介した論文と比べると、ゲノムの数や読んだ密度では劣るが、代わりに様々なモデルを立てて、徹底的にその妥当性を検証する方法をとっている。特に重要なのは、ヨーロッパからも多くの交雑が行われ、民族ゲノムを複雑にしている1万年以降に影響されない、10万年以前の交雑についてのモデルを作成し、そこを起点に南アフリカ、東アフリカ、西アフリカの3民族分化を調べた点だ。
この結果最終的にたどり着いたのが、人類2起源と初期合流(merge)モデルで、この結果だけを解説すると次のようになる。
まず驚くのは、ネアンデルタールと人類が分かれる前、100万年ぐらい前にアフリカで人類は2つの系統にまず分かれている。この中のStem1から40万年前にネアンデルタール人と現生人類の一部が分かれる。この時、Stem1とStem2は一定の交雑を行う。
その後、Stem1がネアンデルタール人と分かれた後、人口減少を来し、このボトルネックから回復した後アフリカ3民族の祖先の形成が始まるが、20万年から10万年にかけて、独立に発展していたStem2 との合流が起こり、合流で生まれた2系統が、南アフリカ系統と、東西アフリカ系統へと分離する。
その後、1万年までほとんど各民族は交雑せず独立して進化するが、西アフリカ民族はもう一度Stem2と合流する。これによりStem2は西アフリカに統合され、Stem2としては絶滅する。
1万年以降は、気候変動などの要因により、それぞれの民族は交雑するが、1000年以降は圧倒的に東西アフリカ民族から南アフリカへの移動と征服による交雑で、その結果本来の南アフリカ民族は極端に減少している。
以上が結論で、ネアンデルタールと同じように、絶滅したか、現生人類に吸収されたStem2が存在していたこと、そして初期にこのStem2を取り込んだ新しい共通起源を形成したというのが新しい考えになる。これが本当かどうか、やはり化石の発見が待たれる。
2023年5月18日
血管新生というとすぐに血管内皮の増殖を伴うと考えるのが一般的だ。ただ、発達期の場合、体中で細胞増殖が起こると、血管のインテグリティーを維持できるのかいつも心配になる。
今日紹介するイェール大学からの論文は、新生児からの発達期を中心に、ただただ皮膚の血管内皮の動態をモニターし、血管の成長がこれまで考えられてきた内皮増殖を中心に置いていないことを明らかにした研究で、5月10日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Mechanisms of skin vascular maturation and maintenance captured by longitudinal imaging of live mice(マウスを生きたまま長期間観察することで明らかになった皮膚血管の成熟と維持)」だ。
この研究では、タモキシフェンを注射すると血管内皮が蛍光分子を赤から緑にスイッチする遺伝子操作を行ったマウスを用いて、皮膚血管内皮網がどう発達するか調べ、発達期では皮膚血管が増えると言うより、逆に神経の剪定と同じで、密度が減って行くことを観察する。
発達するのに血管が減ると、酸素供給が追いつかなくなるのではと心配になるが、実際には新生児血管網の半分は血管内に血球が存在せず、機能していない。従って、血管機能としては剪定が起こっても同じレベルが維持できる。いずれにせよ、発達期では無駄な血管を減らす剪定が中心になる。
次にタモキシフェンの量を調節して、一部の血管内皮だけが緑に光り、他は全て赤に光るマウスを用意して、剪定時の個々の血管の動態を追いかけると、剪定により失われる血管の内皮は死ぬのではなく、血管内皮網の中に移動し、残った血管で使い回されることが明らかになった。この時、細胞死や細胞増殖はほとんど観察されないが、一個の血管内皮の長さが伸びることも確認している。
すなわち、剪定とはいえ、血管内皮数は変化せず、剪定された内皮は他の場所に移動し、さらにサイズが伸びることで、同じ数の内皮で広い範囲をカバーする新しい血管網が出来ることを示した。
このような血管内皮の移動は大人になると消失し、血管は安定化するが、血管が傷害されると、増殖より先に近くの内皮が移動して伸びるという新生時期の過程が観察できる。従って、血管の再構成はまず血管内皮の移動から始まる。これは血管が広い範囲にわたって傷害される場合も同じで、既存の血管内皮を使い回すことが、毛細血管網のインテグリティー維持の中心になっていることがわかった。
最後に、増殖のない血管内皮の移動や伸長のような細胞過程にも、Flk1とVEGF-Aの血管増殖因子が関わることを明らかにし、このシグナルの多様な機能を示している。
結果は以上で、血管の発達が必ずしも細胞増殖を必要としないこと、また血管内皮細胞は、血管網内で比較的自由に移動することで、構造を保ったままの剪定や再構成が維持されていることが明らかになった。ひたすら観察している研究だが、形態学の重要性が改めて認識される。
2023年5月17日
パーキンソン病にはパーキンなどミトコンドリア機能に関わる分子が重要な働きをしていることが、これらの分子に突然変異を持つ患者さんの研究からわかっている。とすると、ミトコンドリア活性に関わる様々な外的要因もパーキンソン病(PD)のリスク因子として当然考える必要がある。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、トリクロルエチレンにより1975年から1985年、飲み水が汚染された基地に住んでいた退役軍人と汚染のない基地にすんでいた退役軍人を比較した長期的視野の疫学調査で、トリクロルエチレンがPDのリスク因子であることを明らかにした研究で、5月10日 JAMA Network にオンライン掲載された。タイトルは「Risk of Parkinson Disease Among Service Members at Marine Corps Base Camp Lejeune(海兵隊基地キャンプLejeuneの軍人に見られたパーキンソン病リスク)」だ。
私の現役の頃は、長期的なコホート疫学研究というと、国鉄中央病院がメッカだったが、おそらくこれに匹敵するのがアメリカの軍人だろう。完全にフォローアップがなされていることから、例えば多発性硬化症とEBウイルスの関係などは、軍人のフォローアップ研究なしには明らかにならなかった。
さて、海兵隊基地で1975年から10年間、飲み水のトリクロルエチレン量が基準値の70倍まで高まったことが発覚し、その時代に基地で過ごしていた軍人のコホート研究が続いているが、その人達のパーキンソン病リスクを調べたのがこの研究だ。
トリクロルエチレンは金属洗浄剤として現在も使われていると思うが、発ガン性とともに、ミトコンドリアの呼吸チェーンを抑制することが知られており、実験的にもPDを誘導することが知られている。
懸念したとおり、トリクロルエチレンにより汚染された飲み水をとっていた軍人のPD発症率は、コントロールの1.7倍に達しており、ほぼ8万人を対象にしたこの研究で、トリクロルエチレンがPDのリスクファクターであることが確認された。
さらに驚くのは、PDの潜伏期の症状と考えられる、震え、嗅覚障害、勃起障害、不安症状なども、10−20%ほど高いことで、PDと診断されなくても、黒質細胞の異常が始まっていることも明らかになった。
結果は以上で、トリクロルエチレンはPDリスクとして特定できるが、しかしこれを明らかにするのになんと40年もかかることも今回はっきりした。このように長期にわたる研究の結果わかることも多い。結局国民全体の正確な記録をどこまで達成できるかが、重要なことだと思う。おそらくPDなどでは、他にもリスク要因が見つかる気がする。
2023年5月16日
ゲノム解析技術が進んだ結果、腸内細菌叢研究はあっという間に医学の重要分野に躍り出たが、実験動物は別として、人間の細菌叢研究のほぼ100%は便をサンプリングして行われている。ただ、動物実験からは、大便ではなく、もっと上部消化管の細菌叢がホストに大きな影響を持っていることが示唆されており、大便に代わるサンプリング法の検討が待たれていた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、腸の異なる部位で溶けるように設計されたカプセルを服用させ、計画された場所の消化管腔内の細胞や分子を吸収して、腸各部の細菌叢やメタボロームを可能にする技術の開発研究で、5月10日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Profiling the human intestinal environment under physiological conditions(人間の生理学的条件での腸内環境プロファイルを行う)」だ。
今回使われた4類のカプセルには時間とともにpHなどに反応して、十二指腸、空腸、回腸、そして上行大腸と、それぞれ別のところで剥がれるコーティングが施されており、またコーティングが溶けると、外界からカプセルへ1方向に400µlの液体が流入した後、弁の働きでそれ以上外界から物質が入らないよう設計されている。(オープンアクセスなので、https://www.nature.com/articles/s41586-023-05989-7/figures/1 をクリックして実際のカプセルの写真を見てください。)
実際、内容物のpHを測ると、予想通りの数値を示すことから、カプセルは期待通りの場所でサンプリングを行っていることが確認される。排出・回収までにどうしても時間がかかるが、それでもpHは保たれ、多くのバクテリアは生存していることも確認している。
このように、消化管の異なる部位の非侵襲的サンプリングが可能になったことがこの研究のハイライトで、あとは細菌叢やメタボロームを、便のそれと比べている。
まず、大便と比較すると、各部位の細菌叢は多様性が少なく、また個人差や検出日での変化が大きい。また、存在するバクテリア種もそれぞれの場所ではっきり違っている。逆に言うと、コンディションによる細菌叢の違いをよりはっきりわかる可能性がある。
面白いのは、抗生物質服用の影響を、腸内から直接得られたサンプルでは強く受けている。
他にも様々な実験を行っているが、胆汁の代謝を調べると、カプセルごとに変化が認められ、それぞれの場所の腸内細菌叢により胆汁が代謝され、異なる構造へと変化する時間経過がきれいに示される。また、近い過去に服用した抗生物質の細菌叢や代謝への影響が、腸内サンプリングの方ではっきり見られることから、大便だけで細菌叢研究を行うことの問題が明確に示された。
この研究は腸内のサンプリングが可能であること、腸内でサンプリングした細菌叢や代謝物は、大便内のそれと比べると、多様性が大きいことを示し、腸内でサンプリングを行うことの重要性を示した。今後、様々な病理的条件での腸内各部位の変化についての研究が待たれるが、ひょっとしたらこれまでとは全く異なる結果が生まれるのではと期待している。
2023年5月15日
PD1やCTLA4等に対する抗体を用いた現行の免疫チェックポイント治療が効かないガンや患者さんにも使える免疫活性化戦略として、現在T細胞活性化に関わる様々な共シグナル分子を刺激する抗体や分子の開発が進められている。CD27やOx40はその代表的な分子で、臨床治験結果を待つ段階で、そのうちいくつかは認可される確率が高いと思っている。
この中で少し変わったのがCD137分子で、TNF受容体ファミリー分子で、T細胞だけでなく、B、NK、樹状細胞を刺激できることが知られている。また、他のTNF受容体と同じで、受容体が抗体で3量体を形成すると刺激が入る。他の共シグナルと比べても刺激が強いので、分子活性化抗体の開発が進められたが、抗体のFc部分を介する肝臓毒性が発揮され、毒性を除去した抗体が開発され、2ラウンド目の治験が始まっている。
いくつかの大手製薬企業がCD137に対する薬剤開発を進めているが、今日紹介するスペイン ナバラ大学からの論文は、ロッシュ社の開発した片方が線維芽細胞が発現しているFAPと、もう片方がCD137と結合しFc部分を持たないというかなり凝ったキメラ抗体を用いた治験で、5月10日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「A first-in-human study of the fibroblast activation protein–targeted, 4-1BB agonist RO7122290 in patients with advanced solid tumors(FAPと4-1BB(CD137のこと)に結合するアゴニストキメラ抗体の進行固形ガンへの効果)」だ。
CD137を活性化するためには、膜上で3量体を形成させる必要がある。一方、通常の抗体を用いる場合、活性化出来る濃度の幅が限られる。そこで、片方を線維芽細胞上のFAPに結合させることで、活性化出来る濃度の幅を拡げることが出来る。
一方、懸念材料としてはFAPを発現した細胞が活性化されたT細胞に傷害される心配がある。ただこれまでの前臨床で問題はないと判断し、今回の治験に進んでいる。
研究は末期の患者さんに半分は単独、もう半分はPD-L1に対する抗体との併用で、安全性、血中サイトカイン、腫瘍内T細胞数、などとともに、効果を調べる第1相治験になる。
まず、共シグナルを活性化しているので、ほとんどの患者さんで、この薬剤が原因となるサイトカインストームをはじめとする様々な副作用が出現する。多くは一過性でコントロールできるが、重症の肺炎、肝障害、そしてサイトカインストームがあわせて12%に見られるが、予想の範囲としている。
効果だが、単独投与の場合、効果を示す患者さんは2割にとどまるが、PD-L1抗体によるチェックポイント治療との併用では4割以上の患者さんが反応し、50人の内2人は完全にガンが消失している。
効果を問わず、キメラ抗体投与で末梢血のCD8、CD4T細胞はともに活性化されている。また、バイオプシーで調べたガン組織で、キメラ抗体等予後組織内のCD8T細胞の増加を認めている。
活性化される遺伝子などデータの詳細は省いたが、チェックポイント治療との併用という範囲で、副作用は強いが、期待が持てる結果という結論になる。現在進んでいる共シグナル標的抗体治療の中で、かなり凝った抗体治療だが、今のところ順調と言っていいように感じる。
2023年5月14日
膵臓ガンの多くはrasガン遺伝子の変異とp53ガン抑制遺伝子の機能不全を持つ遺伝的には比較的均一なガンだが、多様性が高いだけでなく、同じようなガン遺伝子セットを持つガンと比べて予後が極めて悪い。この原因は膵臓ガン特有のエピジェネティックな要因にあるとしてこれまでも研究が進んでいる。
今日紹介する米国スローンケッタリング ガン研究所からの論文は、ras変異というgeneticな要因と相互作用するepigeneticな要因を明らかにするため、膵炎後の損傷治癒過程の細胞、マウス膵臓上皮細胞に変異rasを導入した後、発ガンまで様々な段階の細胞など膵臓に発生すると考えられる病理的細胞全てのエピジェネティックスを調べた大変な研究で、5月12日号 Science に掲載された。タイトルは「Epigenetic plasticity cooperates with cell-cell interactions to direct pancreatic tumorigenesis(エピジェネティックな可塑性が細胞相互作用を誘導し膵臓ガン発生を助ける)」だ。
すでに述べたように、膵臓上皮の増殖を誘導するような様々な変化を誘導し、single cell RNA sequencingで解析して、膵臓に現れる可能性のある細胞をまず網羅的にマッピングし、発生したガンは同じガンがないと言えるほど多様であること、損傷や、変異ras による前ガン状態で、すでにガン特有の性質を示し始めることを明らかにしている。
そこで、変異ras自体による変化を捉えるために、変異ras発現後48時間で起こるエピジェネてな変化を、今度はsingle cellレベルのクロマチン構造を調べるATAC-seqを行い調べた。その結果、変異ras発現のみで、損傷治癒増殖時よりさらに強いエピジェネティック変化を上皮細胞が起こし、ガンの方向に近づいていることを明らかにした。
この初期のクロマチン構造変化の病理学的意味を調べると、変異rasにより、一種の幹細胞のような過疎的なクロマチン構造が生まれ、その後様々な方向へ分化する可能性が発生している事がわかる。すなわちrasは分化状態を緩め、膵臓上皮では抑制されている様々な遺伝子も利用可能な状態になり、例えば胃上皮様のメタプラジアも起こっている。
この結果、炎症時と同じで、普通なら反応しない細胞間相互作用に反応する可能性が生まれ、ケモカインを分泌して炎症免疫細胞を誘導したり、逆に免疫細胞に反応して新しい性質が誘導される可能性が生まれる。このような分化の可塑性が生まれた結果可能になる新しい相互作用にかかわる、リガンド、受容体セットをインフォーマティックスを駆使して探索し、前ガン細胞と上皮幹細胞、あるいは前ガン細胞とTreg細胞などとの相互作用に関わる分子が、可塑性を獲得した結果発現し始めることを明らかにする。
そのうち、前ガン細胞で新たに発現してくるIL33に注目し、発現したIL33が上皮でノックダウンされるトランスジェニックマウスを作成すると、変異rasを発現しても発ガンが強く抑制されることを明らかに示し、可塑性誘導の結果新しく発現したサイトカインや受容体が、様々な組み合わせで発ガン過程を修飾して、多様なガンを作り出していることを明らかにしている。
結論としては、ガンはまず発ガン遺伝子がオンになって、それが細胞の増殖だけでなく、場合によっては大きなエピジェネティックな変化を誘導していることになる。また、膵臓ガンの多様性は、この時細胞が可塑性、すなわち多様な分化能を獲得した結果であることになるが、十分納得できる説明だと思う。