7月25日 偽薬で痛みが抑えられるメカニズム(7月24日 Nature オンライン掲載論文)
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7月25日 偽薬で痛みが抑えられるメカニズム(7月24日 Nature オンライン掲載論文)

2024年7月25日
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思い込みによって効果が生まれる偽薬効果は、薬がいらないということなのでうまく使えば逆に医療に使える可能性がある。そのためには、偽薬効果の脳メカニズムを明らかにする必要があるが、動物で偽薬効果の実験を構築するのは簡単ではない。

今日紹介するノースカロライナ大学からの論文は、様々な脳操作法が開発されているマウスを使って、思い込みにより痛みが軽減されるという偽薬効果実験系を構築し、この効果の脳回路を調べた研究で、7月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルはズバリ「Neural circuit basis of placebo pain relief (痛みを軽減する偽薬効果の神経回路)」だ。

なんと言ってもこの研究のハイライトは、再現よく偽薬効果が見られる実験系の構築だろう。少し詳しく説明すると、視覚的に区別可能な2つの部屋をしつらえ、床の温度を30℃、48℃と変えられるようにしておく。どちらの部屋も30℃だと、部屋の境が狭くても行ったり来たりする。次にマウスを最初に入れる部屋の温度を48℃にして、もう片方を30℃に設定すると、マウスは隣の部屋に移動すると痛みがなくなることを学習する。この学習のあとで、両方の部屋を48℃に設定したとき、マウスは同じ温度でももう一つの部屋へと移動し、その部屋での痛みに対する反応が低下する。部屋を薬に見立てて、うまく偽薬効果を再現している。

あとは、マウスが痛みの軽減を期待して隣の部屋への境を越えて痛み軽減を期待する過程の脳活動を様々な方法で調べている。以前思い込みによる副作用が前帯状皮質 (ACC) の興奮によることを示した論文を紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/7527)、人間の偽薬効果の研究で ACC が最も活動することがわかっており、この研究では ACC からどの領域に投射する神経が最も重要か、TRAP法と呼ばれる活動神経を標識する方法で投射経路を調べ、橋核への投射経路が、偽薬効果を期待してもう一つの部屋に移るときに興奮することを発見する。

この回路がわかると、あとは偽薬効果を期待する時、この回路がどう活動しているかをリアルタイムで調べることができ、まず学習により活動が上昇し、このうち60%の神経が偽薬効果を期待して他の部屋に移るときに興奮することを確認している。

こうして回路が決まると、これを刺激したり、あるいは抑制したりして、この回路が偽薬効果に関わるかを調べることができる。偽薬効果実験でこの回路を抑制すると、偽薬効果がなくなり部屋を移ってすぐ痛みの反応が見られる。一方、回路を刺激すると、部屋を移ってからの痛みの反応が遅れる。

さらに、学習していないマウスで同じ回路を刺激すると、痛み反応を抑えることができるので、学習により脳回路の長期記憶が成立したと考えられ、学習させたマウスの脳スライスを用いるシナプス解析でlong term potentiation (LTP) が成立していることを明らかにしている。

また、ACC から投射を受ける橋核の細胞を single cell RNA sequencing で調べて、まさにドンピシャの細胞、すなわち麻薬に反応できるオピオイド反応性神経細胞が ACC からの投射により活性化することを発見する。すなわち、偽薬回路が麻薬と同じ効果を形成していることを明らかにする。(こんな結果を見ると、痛みですら脳の表象でしかないことを実感する。)

最後に、橋核のオピオイド反応精神系が投射して痛みを抑える領域を、自由に動くマウスの脳の活動を撮影できるミニカメラを装着して調べ、小脳プルキンエ細胞の一部の反応が偽薬効果により抑えられることを発見している。

以上が結果で、偽薬効果の実験系構築から、多くのテクノロジーを組み合わせて結論へと導く、おそらく現在のマウス脳操作実験の典型と思える研究だ。現在難治性疼痛に深部刺激が使われるが、偽薬回路の特性が明らかになることでより効果的な痛みの深部刺激治療が可能になるはずで、期待したい。

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7月24日 大規模言語モデルを病院で利用するための試み(7月15日 Nature Medicine オンライン掲載論文他)

2024年7月24日
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GPT-4 など一般に利用可能な大規模言語モデル(LLM)も、うまく聞き出すとかなりの医学知識を引き出すことができる。個人的な印象だが、専門的な設問に対しては、正確性が高まる。また、論文を読む気であれば、答えを聞いてから、問題に関する論文リストを要求することで、検証もできる。ただそこまでしなくとも、すでに病気のことを理解している患者さんや家族会が情報源として使う可能性は高く、ある家族会で皆さんと確かめた時は、十分満足できた。

現在医学に特化した LLM も存在するが、それを実際の医療現場でどう利用するのか、というよりどう改良すれば現場に適応するかを考えることは重要だ。これについて Nature Medicine にドイツ・ミュンヘン工科大学と中国北京協和医学院から面白い論文が発表されているので紹介する。

まず最初のミュンヘン大学からの論文は、出来合いの医療ChatBot ( Llama2、OAST、WizardLM など)に腹痛で来院した2400例の医療データを提示したとき、適切な判断ができるかを調べている。

結果は悲劇的で、病院に保存されているデータを全て提供しても、虫垂炎のような一般的な病気以外、胆嚢炎、憩室炎、膵炎などの診断率は遙かに医者の方が優れている。

また症状から入っても、どの検査が必要かを判断する能力に欠けており、さらに検査データを読み取ることも難しい。しかし、質問を症状から順番に提供すると、 Llama2 の診断率は向上していくので、うまくファインチューニングやプロンプト学習を加えれば改善する可能性はある。

かなり割愛して紹介したが、要するにどれほど国家試験のパーフォーマンスが高いとしても、今のままで医学系の ChatBot をそのまま病院に持ち込むことはできないことが示されている。実際、LLM の印象としてどうしても答えを絞りたがる点や、数字に弱い点などを考えると、さもありなんという結果だ。

ただ、例えば患者会の場合のように、限界を知りつつ知識源として使えたとしても、出来合いの ChatBot を現実の病院に持ってきて判断を迫れるようになるのは、まだまだ時間がかかると思う。

これに対して、中国北京協和医学院の論文は、武漢と深圳の病院で、初診の患者さんと看護婦さんとの実際の会話を病院の様々な場所で38737分記録、これをテキストに転換したあと、GPT-3.5のアーキテクチャーをバックボーンとした独自のLLMモデルに学習させ、専門家によるファインチューニングやプロンプト学習を繰り返したあと、初診の患者さんを適切に裁くのに使えるかを調べた研究だ。

ドイツからの論文とは異なり、結果は LLM が正確に患者への対応を改善するという結果になる。おそらく人口の多い中国独特の問題だと思うが、会話の分析から看護婦さんは平均1分間に1人の患者さんに対応しているようで、要するにてんてこ舞いの状態のようだ。従って、患者さんの満足度はどうしても低くなる。

もちろん全て LLM が対応するのは問題があると考え、まず LLM を看護師さんがアシストするシステムを作成し、患者さん2000人を無作為化して、LLM+看護師対応群、看護師対応群に分けて対応し、様々な項目をテストしている。

まず満足度では LLM が関与する方がはるかに良い。そして、繰り返す質問、あるいは感情的問題などが解決されていく。最初の対応もテキストだけではなく、会話で対応できるようにしているので、これならいつからでも使える可能性が高い。

以上が結果で、両方の論文を読んでみて、出来合いの LLM を実際の病院で使うのは簡単ではないが、アーキテクチャーは既存のものを使うとしても、自分のモデルを作っていくことで、問題さえ適切に設定できれば、病院に実装できる LLM の実現はすぐそこに来ていることがわかる。

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7月23日 冬眠中のコウモリに巣くうカビが引き起こす白鼻症候群(7月12日 Science 掲載論文)

2024年7月23日
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まず次のウェッブサイトをクリックして、掲載されているナショナルジオグラフィックの写真を見てほしい(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2317/)。小さなコウモリの鼻が白く変色しているのがわかると思う。これが北米で猛威を振るう真菌感染症 White nose syndrome で、種によっては95%も個体数が減少して、絶滅が心配されるほど深刻で、しかも現在もなお解決の手がかりがない。

今日紹介するウィスコンシン大学からの論文は、White nose syndrome の原因菌 Pseudogymnoascus destructans(PD)がケラチノサイトに感染し増殖する際の細胞学的、生化学的過程を解析した研究で、少しずつではあってもこの病気の理解が進展しているのがわかる。7月12日 Science に掲載された。タイトルは「Pathogenic strategies of Pseudogymnoascus destructans during torpor and arousal of hibernating bats(コウモリの冬眠中及び覚醒中のPseudogymnoascus destructansの病理的戦略)」だ。

ケラチノサイトに感染して増殖する真菌と言えば水虫を思い出すが、白癬菌は細胞内に侵入せず、角質で増殖する。しかし、PD はコウモリに感染すると、ケラチノサイト内に潜り込むことがわかっている。この研究ではまず、感染初期のコウモリを電子顕微鏡で調べ、菌糸や胞子が細胞内に潜り込めることを確認している。

この研究のハイライトは、冬眠中と覚醒中の PD 感染を再現するために、コウモリのケラチノサイトをパピローマウイルスで不死化した細胞株を作成し、この細胞株が37℃でも、冬眠中の12℃でも培養で維持できるようにしたことで、冬眠を再現できる細胞株ができたことになる。これを用いて PD の細胞内への感染と増殖のメカニズムを研究できるようになった。

この系では胞子も菌糸も細胞内に侵入できる。重要なことは、侵入後も細胞側にほとんど変化がないことで、PD に細胞死を抑えるメカニズムが備わっており、これによって細胞内で発芽や増殖が進むと考えられる。

まず菌糸は12℃で自ら細胞内へ侵入し、これには細胞側の細胞骨格変化などは必要がない。ところが37℃になると、胞子も菌糸も細胞側の飲食作用(エンドサイトーシス)により細胞内に取り込まれる。低温で活動的になる PD のライフサイクルを考えると、高温をじっと耐えている胞子がケラチノサイトに取り込まれ、冬眠が始まり低温になると発芽、そして増殖が始まり、菌糸は自ら伝搬する能力があるので、細胞が寝ている間も、感染細胞を拡大する。さらに低温冬眠中では免疫機能がほとんど作用せず、菌糸増大を止められないという恐ろしい姿が明らかになった。

さらに、37℃で取り込まれた胞子は、DHNメラニンを分泌して、エンドゾームが酸性になり分解酵素が働くのを抑えることで、覚醒中の細胞内でも自らを守れることも明らかになった。

最後に、細胞外の PD と細胞の相互作用に EGFR が関わることを明らかにしている。まず、PD は EGFR と直接結合でき、EGFR に対する抗体で細胞内への侵入を一定程度止めることができる。ただ、EGFR は接着だけに聞いているのではなく、チロシンキナーゼ活性を抑制しても PD の侵入を抑制できることから、PD が EGFR を直接刺激していることが明らかになった。驚くのは、この刺激によるチロシンキナーゼ活性化が冬眠中の温度でも起こることで、これにより細胞側も菌糸の伝搬に手を貸すことになってしまう。

以上が結果で、PD に備わった恐ろしい生存戦略がよくわかる。ただ、ここから野生のコウモリを絶滅から救うためのはっきりした戦略が出なかったのは残念だ。水虫でも治りにくいのに、細胞内に隠れてしまう PD をどう退治するのか、残された時間はあまりないのかもしれない。

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7月22日 R2トランスポゾンを用いる安全で高効率の遺伝子導入法(7月8日 Cell オンライン掲載論文)

2024年7月22日
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細胞のゲノムに効率よく遺伝子を導入する方法としては、これまでレトロウイルスを用いる方法、あるいはピギーバックなどのトランスポゾンを用いる方法が使われてきた。ただ問題は、これらの方法ではランダムに遺伝子が挿入されるため、導入場所によっては様々な問題が起こると考えられ、この問題を解決するためにはゲノム配列を調べて、挿入場所が問題ないことを示すしかない。それでも最近の CAR-T でキメラ抗原受容体を導入する目的にレトロウイルスに代わる方法はない。

今日紹介する北京にある中国科学アカデミー研究所からの論文は、28RNA をコードするゲノムサイトに選択的に挿入される R2トランスポゾンシステムをベースにした遺伝子導入法の開発で、7月8日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「All-RNA-mediated targeted gene integration in mammalian cells with rationally engineered R2 retrotransposons(遺伝子操作した R2トランスポゾンの RNA だけで行える挿入場所が決まった遺伝子挿入法の開発)」だ。

この研究では R2トランスポゾンが 5‘端と 3’端にある UTR を用いて R2 が 28rRNAコーディング領域に挿入される特徴を生かすことで、どこに遺伝子が挿入されるかわからないという問題を解決できると考えた。

そこでまず様々な R2トランスポゾンを、5‘、3’端、コードしている遺伝子、そして挿入数などを調べ、最終的に 28rRNA遺伝子部位に挿入されるトランスポゾンを選んで、このシステムを用いて蛍光遺伝子GFP を挿入するベクターを開発する。

一つは R2 のトランスポジションに使われるタンパク質が核内に移行できるようにした遺伝子をコードする遺伝子で、もう一つが R2 の 5‘、3’端の UTR を持つ GFP配列を組み込んだベクターで、両方が細胞内で発現すると、GFPが 28rRNA遺伝子部位に挿入され、そのときだけ GFPタンパク質が合成されるようにデザインしている。

この結果、培養細胞に2%ぐらいの効率で GFP が発現すること、挿入部位が決まっていることを確認する。

このようにシステムが利用可能であることが確認されたので、次に挿入したい遺伝子に付加する5‘、3’ UTR シグナル配列の至適化、さらにトランスポジションに関わる酵素の至適化を行っている。

この詳細は全て割愛するが、最終的に挿入したい遺伝子をコードするベクター、及びトランスポジションに必要な酵素を至適化したベクターを完成させ、なんと20%に達する効率の遺伝子導入法を完成させている。このベクターシステムでは2.5Kbの遺伝子を導入することができるので、多くの目的に利用可能で、標的部位以外に導入される確率は0.6%と低く、さらに導入時の逆転写によって欠失挿入が起こる確率も低い。

さらにこのシステムは、RNAワクチンのように全て RNA に転写させて、それを導入することでも挿入することができる。すなわち、DNAを導入してランダムに挿入が起こる確率をさらに低下させることができる。

以上が結果で、印象的にはまだ始まったばかりで、今後異なる標的部位に導入することも可能になるのではないだろうか。地味な仕事だが、皆が待ち望む遺伝子導入システムになる可能性がある。

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7月21日 ヘパリンがコブラの毒消しになる(7月17日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2024年7月21日
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ヘビ毒に対しては北里・ベーリングの抗血清療法開発以来の抗体薬しか治療方法がないのが現状だが、毒性のメカニズムが明らかになって来ると、抗血清以外の治療薬開発が可能になる。一つの例として2020年5月、ヘビ毒の中のプロテアーゼを金属キレートによって阻害する治療を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/13053)。

今日紹介するシドニー大学からの論文は、コブラなどの唾液に含まれる毒が局所の細胞壊死を誘導する過程を抑制する分子を探索して、ヘパリンが噛まれたカ所の細胞壊死を防げることをマウスの実験で示した研究で7月17日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Molecular dissection of cobra venom highlights heparinoids as an antidote for spitting cobra envenoming(コブラ毒の分子機構探索によりヘパリン様分子がコブラ唾液の毒性に対抗することが明らかになった)」だ。

コブラ毒は一種類でないことは知っていたが、一般的に恐れられる神経毒や、血栓形成以外に、噛まれた局所の組織壊死とその後遺症がもっと多くの被害者を苦しめている点についてはほとんど知らなかった。この研究では、培養細胞にコブラ毒を加えた時観察される細胞死に関わる分子を特定するため、クリスパーライブラリーで遺伝子ノックアウトを行う方法を用いて、まずスクリーニングを行っている。この結果、Heparan sulfate 合成システムに関わる遺伝子がノックアウトされると、細胞がコブラ毒に対する耐性を獲得することを発見する。この結果は、エジプトコブラでも黒首コブラでも同じで、唾液中の毒による細胞死には heparan sulfate がおそらく一種の受容体として働いていると考えられる。

とすると、ヘパリンやヘパリン様物質を培養中に加えることで、ヘビ毒が細胞に結合するのを抑制できるはずで、これを確かめるためヘパリン、チンザパリン、ダルテパリンをそれぞれ培養に加えると、いずれも期待通り濃度依存的に細胞死を抑制した。このとき、チンザパリンが最も効果が高かったので、これをを中心に研究を進めている。

ヘパリンはコブラ毒のうち cytotoxin3 と cytotoxin4 に結合するが、神経毒の cytotoxin1 や、壊死を誘導する phospholipase2 には結合しない。すなわち、一部の毒にのみ効果がある。

ただ試験管内の実験系だけでなく、マウス皮膚にコブラ毒を注入したときの強い壊死反応をチンザパリンが抑制することから、人間にも利用可能と結論している。

結果は以上で、クリスパースクリーニングから、一般の血栓治療に使われるヘパリンやチザパリンが蛇に噛まれたときに局所に投与することで、ヘビ毒の効果を半減させられるとしたら、抗体やキレート剤と組み合わせて、実践的な、しかも安価なヘビ毒対策を実現できるのではないだろうか。

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7月20日 幻覚剤に対する人間の脳の反応(7月17日 Nature オンライン掲載論文)

2024年7月20日
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うつ病の治療にケタミンのような麻酔剤やシロシビンのような幻覚剤が効果を示すことがわかってきて、コレラ薬剤の人間の脳に対する作用を調べる研究が進んでいる。2022年4月には、シロシビンの一回注射のあと、うつ病の人では高いレベルを維持している、安静時に活動するネットワーク、default mode network の活動を、シロシビン投与後長期的に低下することを示した論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/19488)。

今日紹介するワシントン大学からの論文は、シロシビン投与により幻覚体験をしている最中の脳活動、特に神経領域の機能的結合を調べた研究で、7月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Psilocybin desynchronizes the human brain(シロシビンは人間の脳の同調性を壊す)」だ。

この研究はうつ病患者さんではなく、25人の正常人にシロシビンとコントロールとしてメチルフェニデート(MTP)を投与し、その効果を機能的 MRI で記録、このデータから領域内や領域間の相関を計算して機能的結合性(FC:functional connectivity)を計算している。

MTP 投与と比べると、シロシビン投与ではともかく脳全体で結合性が大きく変化し、基本的には同じ人の脳領域同士でも、他人の脳と思うぐらい同調性がなくなる。この変化は、default mode network (DMN) で大きい。すなわち、自己に意識を向ける DMN の同調性が失われる。そして、変化はネットワーク内より、離れた他のネットワークとの同調性の喪失の方が大きい。

我々の神経は同調することで統一を保てるが、同調性が失われる結果をエントロピーで表現すると、脳全体の領域でエントロピーが増大する、すなわち規則性が失われているのがわかる。これらの結果は、幻覚剤投与で、神経興奮の変化ではなく、興奮の同調性が失われることが、シロシビンの主な作用であることを示している。

この同調性の喪失による FC の変化が大きいほどシロシビンによる自覚症状が高まる。中でも事故から解放された超越感がこの変化と最も相関するのは納得する。

これが DMN を中心に起こることは、シロシビンで幻覚が現れているときに、被験者に一つの意識的課題を行わせると、同調性が回復することからもはっきりする。

この急性実験のあと、時間をおいて fMRI 検査を行い、脳領域間の機能的結合性を調べている。

3週間たつと、ほとんどの領域間の機能的結合性は回復しているが、海馬前部と DMN の結合は低いまま維持されており、これがシロシビンの抗うつ効果に関わるのではと結論している。

以上が結果で、幻覚剤が脳内の同調性を失わせることで、幻覚につながること、特に幻覚は自分へ意識を向ける DMN 回路の同調性を強く抑制することで自己から自由になることと関連していること、そしてその結果海馬と DMN の機能的結合が長期的に変化するという結論になる。

一回の幻覚剤が長期効果を示すのは怖い話だが、しかし幻覚剤の研究が、デカルト以来哲学的に議論されてきた脳内の自己について知るため重要であることがよくわかる。

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7月19日 抗 IL-11 抗体は夢の抗老化薬になるか?(7月17日Nature オンライン掲載論文)

2024年7月19日
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アンチエージングという言葉があふれるようになったのはいつからだろうか?一般に言われるようになったのはそれほど遠い昔からではない。おそらく我が国で急速に進む高齢化を反映しており、例えば急に葬儀屋の宣伝がテレビにあふれ出しているのと同じ現象だろう。ただ、老化は様々な要因がからんで進むため、アンチエージングは簡単ではない。ほとんどの場合は気休めと言っていいだろう。

とはいえ、面白いポイントを突いた有望な方法も報告されており、徐々に検証が進められている。そんな中、今日紹介するシンガポール・デューク大学からの論文は、一つのサイトカインの制御で多岐にわたるアンチエージング効果が達成できることを示した研究で、7月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Inhibition of IL-11 signalling extends mammalian healthspan and lifespan(IL-11シグナル阻害は哺乳動物の健康寿命と寿命をともに延長できる)」だ。

IL-11 はナンバーからわかるように1990年に発見されているにもかかわらず、研究は進んでいない。例えば PubMed で IL-11 を検索すると、2813編の論文しかリストされない。これに対し同じファミリー分子 IL-6 で検索するとなんと196766編も論文がリストされる。また、同じように自然炎症に関わるサイトカイン IL-1β で検索すると114723編なので、如何に IL-11 が穴場かがわかる。

研究では、マウスの老化とともに、様々な組織、様々な細胞でこの分子の発現が高まること、そして IL-11 がともに老化に関わる自然炎症とともに、AMPKを抑えてmTORという代謝の中核経路を活性化することから、IL-11 が老化を促進する因子として働いているのではと着想し、IL-11ノックアウトマウスを調べている。

すると期待通り、老化に伴う体重や脂肪組織の増加を抑え、及び筋肉増強などが観察される。さらに詳しく調べると、糖代謝のはっきりとした改善(インシュリン感受性増加)を見ることができ、また白色脂肪組織から熱発生の褐色脂肪組織への転換を誘導できることを発見する。

そこで、ノックアウトではなく、抗体により IL-11 を中和することで老化に伴う様々な変化を抑えることができるか、75週目から100週目まで IL-11 中和抗体を投与して調べている。おそらく結果は期待以上で、肥満を抑え、筋肉量を維持し、運動機能の低下が抑えられ、しかもmTORの活性化を抑えているので、糖代謝、脂肪代謝が改善している。もちろん脂肪組織の肥大が抑えられ、アディポカインなどの分泌が正常化しており、自然炎症も抑えられている。

そして最後の決め手として、抗体投与により寿命を延ばせるか、100週を超えて追跡すると、75週目から投与を始めても、抗体投与群では IL-11 ノックアウトマウスと同じように平均寿命が2割も延びていることが明らかになった。

結果は以上で、マウスの実験で人間にどこまで当てはまるかわからないとしても、どうして今まで気づかなかったのかと思うぐらいの効果だ。実際、100週を超した IL-11 ノックアウトマウスの毛並みを見ると、本当に驚く若々しさだ。また紹介は省いたが、IL-11 で細胞を刺激すると、細胞老化を示す。しかも、ノックアウトマウスに特に異常が見当たらないとすると、IL-11 などは百害あって一利なしというサイトカインになってしまう。

健康寿命と寿命を延ばすと決めてしまう前に、では IL-11 の存在する積極的意味は何なのかについても是非知りたい。これが夢のアンチエージングの入り口になるのか、慎重に見ていこう。

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7月18日 骨髄移植治療後の妊娠可能性他1編(7月12日 Blood オンライン掲載論文他)

2024年7月18日
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今週気になった上の2編のドイツからの臨床論文を紹介する。最初はドイツ ドレスデン工科大学を中心とするドイツ31研究機関からの論文は、骨髄移植治療を受けた女性の妊娠出産可能性について調査した研究で、7月12日 Blood にオンライン掲載された。感動的なタイトルで、「Hope for Motherhood: Pregnancy After Allogeneic Hematopoietic Cell Transplantation – a National Multicenter Study(母になる希望:他家血液幹細胞移植治療後の妊娠:ドイツ国内他施設研究)」だ。

スイマーの池江さんは急性白血病で骨髄移植を受けた後、見事に復活してパリオリンピックに参加することになっているが、オランダのファンデルワイデン選手のように回復後オリンピックで金メダルに輝いた選手もいる。このように、骨髄移植治療は多くの希望をもたらしているが、抗ガン剤や放射線治療が必要なため、妊娠は難しいのではと一般的に考えられている。そのため、治療前に卵巣や卵子を保存することが進められている。

この研究では2003年から2018年までに様々な疾患で他家骨髄移植治療を受けた40歳以下の女性2654人を追跡し、治療後、妊娠、出産経験について調べている。そして、そのうち50人がトータルで74回の妊娠を経験し、57人の子供が現在も元気で暮らしていることを突き止めている。

この中の28%は、保存卵子や卵巣を用いた生殖補助医療による妊娠だが、なんと72%が自然妊娠で生まれた子供で、タイトルにあるように、希望を示すデータといえる。

妊娠を妨げるリスク因子としては、白血病治療のために放射線照射を含む徹底的な骨髄抑制が行われることだが、それでも妊娠出産は観察される。一方、他家骨髄移植治療で起こるGvH反応はほとんど影響がない。

一方、年齢については35歳以上で全く妊娠、出産は報告されていない。ただこの調査では、妊娠を希望したかどうか、あるいはすでに子供がいるかどうかについては調べておらず、この要因による結果である可能性は否定できない。

とはいえ、妊娠確率は生殖補助医療も含めて、健康集団の6分の1に落ち、子供の出産までに至る率も77%と低下している。従って、これから骨髄移植を行う場合、このデータを示して希望を伝えるとともに、この確率を高めるための補助医療の存在などを伝えるカウンセリングが重要になる。是非活用したい論文だ。

次のミュンヘン大学からの論文は、致死率が高い敗血症の治療にケトン食が効果を発揮するという面白い研究で、重傷の敗血症患者さんでチューブ栄養が必要と判断された40例を無作為化して、片方には通常の流動食、片方にはケトン流動食を投与して経過を調べた研究で、7月10日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「An open-label, randomized controlled trial to assess a ketogenic diet in critically ill patients with sepsis(ケトン食の重傷の敗血症への効果を調べるオープンラベル無作為化対照治験)」だ。

私の短い臨床経験では、敗血症でチューブ栄養を行った経験は全くないが、現在のチューブ栄養レシピはカロリー中心に作られており(ドイツでは)、インシュリンが必要になるぐらいの量の炭水化物が含まれている。すなわち、グリコリシスへ代謝を引っ張るため、リンパ球が活性化されたり炎症が高まる心配がある。

そこで、炭水化物をほとんどとらない、ケトン食をチューブで投与して経過を調べると、30日目で一般食では40%の致死率があったが、ケトン食群では20%に抑えられた。これが最も重要な結果で、後はリンパ球の遺伝子発現を調べて炎症性サイトカインなどの発現が低下することなどを示しているが、徹底的な解析ではないので割愛する。

ケトン食によるケトン体は、様々な影響が知られており、抗炎症作用はその一つだが、ここまでの効果は誰も期待しなかったのではないだろうか。

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7月17日 数という抽象概念と言語との関係(7月9日 米国科学アカデミー紀要 オンライン掲載論文)

2024年7月17日
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人間は数という抽象的ラベルを、様々な対象に当てはめて使うことができる。例えば two cars、two apples、 two dogs などだ。すなわち抽象的なラベルと、実際の対象物を区別して理解し、それを自由に組み合わせる能力を持っている。

この能力が NVIDIAのTitan 上のニューラルネットを学習させることで発生することを Nature に報告した研究を以前紹介した(https://aasj.jp/news/watch/23158)ので、是非読み返してほしいが、まさに同じ問題を今度は12ヶ月の幼児で調べた研究が米国コネチカット州の Haskins 研究所から7月9日 米国科学アカデミー紀要に発表された。タイトルは「Early-emerging combinatorial thought: Human infants flexibly combine kind and quantity concepts(異なる概念を組み合わせる思考は早くから発生する:人間の幼児は種類と量の概念をフレキシブルに組み合わせることができる)」だ。

この研究の question は、ようやく単語を理解するようになった12ヶ月の幼児が、one apple、two apples、one car、two cars と絵を見ながら聞いたときに、数の概念を他の対象物、例えば dog に適用して理解できるかということで、人間と AI の違いはあるが、課題はほぼ同じと言っていい。

ただ人間の場合、数を表現する one、 two といった単語をすでに学習している可能性があるので one、two の代わりに mize と padu を使って数を学習させている。学習もニューラルネットと同じで、画面を指し示しながら、padu apples、mize car といった具合に数のラベルが対象物と連結しているのを学ばせ、学習のあとで、画面に対象物を変えて、数と対象物の組み合わせを画面に表示し、which is padu balls ? と質問したとき、正しい答えを見つめる時間を計って、理解したかどうかを決めている。

最初は画面に、同じ対象物を一個と二個それぞれ違う場所に示してどちらを見るかという簡単な問題から入り、次に one or two ラベルを異なる対象物に組み合わせて、which is padu boxes? と聞いたとき、数と対象物の正しい組みあわせを選ぶ問題に移り、最後は対象物がミックスして2個になっている、例えば apple and car が組み合わさって2個という組み合わせも提示したとき、which is padu cars? と聞いたとき、car が2台揃った画面を見るかどうか調べている。

いずれの実験も、質問に対する正解を見つめる時間が最も長いので、12ヶ月の幼児が数と対象物を別々に認識して、数のラベルを他の対象物と組み合わせて理解できると結論している。

結果は以上で、幼児の頭の中でそれぞれがどう処理されているのかを今後調べる必要がある。おそらく様々な脳イメージングを用いて、同じ課題で活動する脳領域が研究されるだろう。ただ、子供の場合イメージングには限界がある。これまで数の処理に左頭頂葉が関わり、これが傷害されると数認知障害に陥ることが知られているが、数の理解が発生する過程はほとんど研究できていない。

こう考えると、AI で学習できる課題であることは間違いないので、人間の学習と、AI の学習を直接比較し、研究する新しい方法が重要になる気がする。今年2月、幼児の実体験をトークン化して AI にインプットして、言語の発生を調べる画期的研究を紹介した (https://aasj.jp/news/watch/23861) 。おそらく、このような方法を組み合わせることで、数がどう処理されているのか、少なくとも多次元空間内の位置として、対象物との関係を調べることができると思う。

間違いなく、人間の脳と AI を比較する新しい研究領域が始まった。

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7月16日 5万年前のマンモスのエピジェネティックスを解読した画期的論文(7月11日号 Cell 掲載論文)

2024年7月16日
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同じ遺伝子を持っている細胞でも、例えばリンパ球や皮膚細胞のように、機能や形態が異なるのは、遺伝子の使い方が異なるからで、このメカニズムをエピジェネティックスと総称している。すなわち、細胞の分化を調べるためには様々な方法で遺伝子の on/off を調べる必要があるが、ほとんどの方法はクロマチンを形成するヒストンをはじめとするタンパク質に依存しているため、DNA が分断され、タンパク質の多くが分解、拡散してしまっている古代生物の解析には使えない。すなわち、古代生物のエピジェネティックスを研究することは不可能と考えられていた。

ところが今日紹介する米国ベーラー医科大学、スペイン国立遺伝学研究所、デンマークコペンハーゲン大学を中心とする国際チームからの研究は、5万年前のマンモスでも保存状態がいいと染色体の核内での3次元構造を調べることが可能で、この構造からエピジェネティックな情報を引き出せる可能性を示した画期的な研究で、7月11日号 Cell に掲載された。タイトルは「Three-dimensional genome architecture persists in a 52,000-year-old woolly mammoth skin sample(52000年前のマンモス皮膚サンプルに残っていた3次元ゲノム構造)」だ。

シベリアの永久凍土から発掘されたマンモスの皮膚を組織学的に調べると、細胞構造や核が保存されていることはこれまでも報告があった。とすると、核内にゲノムが収納されるときに折りたたまれたパターン、3Dゲノム構造も保存されているのではないかと考え、これまで何度も紹介してきた Hi-C と呼ばれるゲノム領域同士の接触を測定する方法を適用して調べると、驚くなかれ比較的鮮明な結合パターンを抽出することに成功している。このパターンから、活性化された部位と非活性部位の境界を特定できることは、これまで何度も紹介してきた。

最初にこのマンモスで 3D構造が保持された理由について種明かしをしてしまうと、マンモスが永久凍土の閉じ込められる際に、フリーズ・ドライ状態が形成され、水を含む分子の一種のガラス化が発生・保持されることで、分断されたDNAが拡散せずにその場に残る可能性が発生したと結論している。要するに、分子の水中での拡散が抑えられることで、3D構造が維持される。これを確かめるため、肉を4日間そのまま室温に置くと、完全に Hi-C パターンは得られないが、水分を急速に飛ばして一種の干物にすると、1年後も 3D構造を検出することができることを発見している。すなわち、水がなくなって分子の拡散が抑えられると、5万年前の 3D構造もある程度維持できる。これは将来、干物になった動物やミイラの解析に朗報になる様に思う。

とはいえ、フレッシュな核を調べるのとは全く異なり、DNAは断片化しているし、5万年という時間で拡散もおこって構造は失われていく。しかし、全ては確率論的で、実験を繰り返せばゲノム同士の接触箇所を特定することができ、最終的にゲノム間接触場所の40億回の読み出しデータを得ている。

古代ゲノムの場合、DNAが分断しているのでゲノムを統合することは難しい。そこで、ゲノムがわかっている現存の象のゲノムをレファレンスとしてこの40億の接触ペアを調べ直すと、その2.5%、一億ペアが実際のゲノム接触部位を反映しており、そのうち500万近くは20k以上離れたゲノム部位の接触を反映することを明らかにしている。幸い、マンモスと現存の象のゲノム構造はかなりよく似ているので、信用できる Hi-C マップが可能になった。

もちろん離れた場所の接触箇所500万というと多いように思うが、フレッシュな細胞での実験を考えると、何百倍も少ない。それでも、構造を読み出せたことが重要で、3D構造が活性化部位と非活性か部位の境界を示すことでエピジェネティックスと相関することを考えると、古代ゲノムのエピジェネティックスが初めて可能になったと宣言できる。

そして500万カ所について活性型、非活性型を決める境界を探索すると、例えばX染色体の不活化状態をマンモスでも検出することができ、人間と同じで CTCF 結合部位が繰り返すスーパードメインにより調節されていることもわかる。ただ、現存の哺乳類と同じと言うだけでなく、マンモスはX染色体不活化のさらに複雑な様式をとっており、接触部位の解析から現存の CTCF結合スーパードメインだけでなく、他の2種類の接触場所を決める新しいドメインが特定できる。

一番面白かったのは、皮膚や毛根の維持に関わるゲノム部位が、マンモスと現存の象では異なる活性状態にあることを示したデータで、毛の発生に関わる EDAR や EGFR 部位の活性化状態が、寒冷地の適したように変化しているという結果には感銘を受けた。

最後に、やはり組織構造がよく残っている39000年前のマンモスについても同じ解析を行い、ほぼ同じ 3Dゲノム構造が存在することを示している。

以上が結果で、染色体沈降法や、ATAC-seq などが使えなくても、構造が残っているだけで、活動している場所と活動していない場所の境界を特定して、一定のエピジェネティック情報が得られることは理解できていても、実際にそれが可能であることが示されたことで、古代エピゲノム解析への道を開く大きな一歩だと思う。こんな日が来るとは、生きていて良かったと感慨深い。

カテゴリ:論文ウォッチ
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