2020年5月16日
素人考古学の楽しみは、いろんなストーリーを勝手に想像することだ。JT生命誌研究館の顧問をしていたころ、言語の発達について自分なりに考えブログにまとめたことがある。その内容は今このHPに引っ越してきているが(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954 :JT生命誌研究館サイト https://www.brh.co.jp/salon/shinka/2018/post_000004.php )、この長い考察の中で、なぜ言語の発生時期を5万年と考えるかについての私の勝手な想像を書いた。勝手な想像だが、それまで中東で10万年もの間接して暮らしていたホモ・サピエンスとネアンデルタールの間の均衡が壊れ、ホモ・サピエンスが急速にユーラシアに流れ込んだ時期を4万5000年くらいとすると、この均衡を破ったのがホモ・サピエンスで、いち早く言語が誕生したからではないかと考えた。
いずれにせよ、ホモ・サピエンスがヨーロッパに移動を始めた時期には、明確にホモ・サピエンスとネアンデルタール人の優劣がついた時期なので、それが身体的なものなのか、文化的なものなのか最も興味深い時期なのだが、この時期(後期旧石器時代)のホモ・サピエンスの遺跡は意外と少く、人類学研究の喫緊の対象となっている。
今日紹介するライプチヒのマックスプランク人類進化学研究所を中心とする国際チームからの論文はブルガリアのBacho Kiro Caveで発見された人骨をはじめとする様々な遺物の分析から、この遺跡ががヨーロッパ最古のホモ・サピエンスのものであることを示した研究で5月11日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Initial Upper Palaeolithic Homo sapiens from Bacho Kiro Cave, Bulgaria(ブルガリアBacho Kiro Caveから出土した後期石器時代はじめのホモ・サピエンス)」だ。
この発掘では地層を何層にも分けて発掘と年代測定を行い、またそこから出土した骨の形態、DNA解析、そして石器の分析などを全て行い、まさにこの洞窟がホモ・サピエンスがヨーロッパへ移動してきた4万7000年から4万3000年を代表するヨーロッパ最古のホモ・サピエンス遺跡で、シベリアUst’-Ishimと並んで、ホモ・サピエンスのユーラシア移動を理解するカギになることを示した。
結果だけをまとめると少しそっけないが、広がりのある発見だ。まず、この民族はすでにヨーロッパには存在しないミトコンドリアグループに属し、肉食獣とも戦うだけのスキルを身につけていた。
そして何よりも石器から、旧石器時代後期のオーリニャック文化とは異なり、旧石器時代の初期に移行的に見られる石器に近いが、旧石器時代中期のルヴァロワ石器とも異なることを示している。面白いのは、ネアンデルタール人のシャテルペロニアン石器とも似ている点で、おそらくネアンデルタール人が移動してきたホモ・サピエンスから学習したものではないかと議論している。
この様に、ヨーロッパに移動したばかりのホモ・サピエンスの遺跡から、言語や音楽に関わる遺物が見つからないか、スリリングな研究が続きそうだ。最後の方でオーリニャック文化など専門用語が出てしまったが、このあたりの研究を楽しむには石器についてもある程度学ぶことをお勧めする。私が辞書がわりに使っているのは以下に示すJohn Sheaの本で、キンドル版もある。
2020年5月15日
20世紀の後半から病気と相関するゲノム領域探索が急速に進み、特に次世代シークエンサーの登場で解析制度が高まった結果、個人ゲノムを解析するサービスを受けている人の数が米国では2000万人に達しようとしている。とはいえ病気のリスクとして特定された領域から病気までの因果性が明らかになったケースは多くない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、因果性の理解を重視して、これまでのゲノム研究を見直すことの重要性を示した目から鱗とも言える論文で5月11日Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Complement genes contribute sex-biased vulnerability in diverse disorders(補体遺伝子は様々な病気に対する感受性の性差に寄与している)」だ。
この研究では、SLEやシェーグレン病のリスクと相関するとされてきたHLA遺伝子領域の因果性に注目して研究を進めている。免疫疾患でHLAがリスク遺伝子として上がってくると、「当然のこと」とわかった気になる。ただ、この研究ではHLA遺伝子領域に補体の第4成分、C4AとC4Bも存在すること、そしてSLEやシェーグレン病ではC4遺伝子との相関もこれまで指摘されてきたことに着目して再検討している(これもHLAとの連鎖不平衡の結果と片付けられていた)。
結果は明確で、C4AおよびC4Bのコピー数と病気のリスクと相関させると、C4のコピー数が多いほど病気のリスクが低下することを確認する。また、これまでHLAとの相関とされてきたDRB 遺伝子座も、結局はC4Bとの連鎖不平衡の結果だと結論している。
すなわち、SLEやシェーグレン病の様な自己抗体が重要な役割を演じている自己免疫病では、C4活性が高いほど病気が抑えられることを示しており、抗原抗体複合体が補体により除去されることを考えるとなるほどと納得する。
この結果に基づき、著者らは補体の量が、これら自己免疫病が女性に多いことを説明できるのではと着想し、遺伝子リスクだけでなく血中のC4量を調べている。すると、自己免疫病の発症が高まる30歳ぐらいで、女性だけでC4の量が低下するが、男性ではこの低下が存在しないことを明らかにした。すなわち、女性はもともと、おそらくホルモンの関係でC4タンパク質の発現が30歳ぐらいまで低下を続ける。このため、C4遺伝子の活性が低くなる遺伝子リスクが合わさると、免疫複合体を除去するシステムがうまく働かず、自己免疫病になる確率が上がると結論している。
これだけでも十分面白いが、同じC4コピー数が統合失調症とは逆の関係、すなわちコピー数が多いほどリスクが高まる関係があることに注目する。C4と統合失調症の相関についてはこのブログでも以前紹介したが、補体がシナプス再構成に関わる結果だと考えられている(https://aasj.jp/news/watch/4790 )。 この研究では、脳脊髄液中のC4活性が男性だけで20代に急速に上昇することを示し、これが男性で統合失調症が多い理由ではないかと結論している。
もちろん実験的に確かめる必要はあるが、物の見方を少し変えることで新しい可能性が見える好例ではないかと思う。
2020年5月14日
プレイリー・ハタネズミは一度ペアを組むと一生添い遂げる動物の代表として研究されてきた。これは大体哺乳動物の5%ぐらいに見られるそうだが、飼育ができて脳活動を調べられるという点ではもっぱらプレーリー・ハタネズミの独壇場だ。一人のパートナーにロックされる過程を脳生理学的に研究した論文は以前も紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/6938 )、これが前頭葉の側坐核の活動で支配されていることもわかっている。重要なのはこの現象が人間でも見られることで、自分の連れあいの手を握っていると想像した時一番興奮するのがやはり側坐核だ。
今日紹介するコロンビア大学からの論文はこの側坐核の活動の中でも、ペア認識に強く関わる細胞とそうでない細胞が明確に分かれていることを示した研究で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「A neuronal signature for monogamous reunion (連れ合いとの再会時の神経学的特徴)」だ。
この研究ではまだ相手の決まっていない段階、6日間決まった相手と過ごした後、そして20日同じパートナーと過ごした後、ペアの絆の強さを、ペアと無関係の個体が別々に入ったチェンバーに、テストしたい個体を入れてその行動を調べる定番の方法を用いて計測している。
行動学的には、長く一緒にいるほどペアの絆が高まることを確認した後、側坐核の一部の細胞(約40個ぐらい)の活動をCaイメージングで同時に記録できる様にしたプレーリー・ハタネズミをチェンバーに入れ、3時間行動と側坐核神経細胞の興奮をモニターして、ペアの絆と相関する活動を調べている。
結果は予想外で、40個程度という限界はあるが、側坐核全体の興奮で調べても、ペアとそれ以外の個体とに対する行動の差を見ることができないことがわかった。この点は、他の論文と異なっているので、本当かどうかさらに検討が必要だろう。
ただ、この研究では必ずペアに対する行動の差と相関する神経活動があるはずだと、解析を進め、他の個体に近づくときに興奮する細胞の数が、ペアに近づくときだけ高まることを発見する。
このとき興奮する細胞はペアに近づくときだけ反応し、他の個体に近づくときに見られる興奮細胞とは全く異なる。また、細胞は固まっているのではなく、観察領域に広がって存在している。そして、興奮は近づくと決める前に始まる。
結果は以上で、ペアと出会ったときにまず気持ちが高まって、その高まりが近づくほどにさらに増大し、離れると細胞興奮が低下するという行動に関わる細胞が見つかったとまとめていいだろう。
この結果は、それなりに面白いのだが、プレーリー・ハタネズミは、まだまだ面白い行動が知られている。例えば、野生を観察すると、必ず浮気ネズミが現れる様だ。また、これがオキシトシンなどに反応するバソプレシン受容体の初弁と関わることが知られている。脳神経科学の対象が、こうした野生まで広がると、面白い分野になる様に思う。
2020年5月13日
新型コロナのインパクトから解放される切り札として、ワクチン開発に世界中の企業や研究機関がしのぎを削っている。しかし今回ばかりは、競争だけでなく、世界的な協調が必要だと思う。もちろん一度の注射で間違いなく免疫ができるプロトコルができれば万々歳だが、多くの免疫学者は懐疑的だろう。では冷ややかに、「ワクチンに過度の期待を寄せない様に」などと他人事では済ませられないのが今回のコロナだ。この場合、一つのタイプワクチンより、いくつかのワクチンを組み合わせたほうがいい場合がいくらでも考えられる。そのためには、調べる項目を共通化し、データを開示して、必要なら異なる形態のワクチンを組み合わせて、次の流行に備えることが重要になる。
今日紹介するスタンフォード大学、エモリー大学、ミネソタ大学が共同で発表した論文はそんな協調の例ではないかと思う。タイトルは「T cell-inducing vaccine durably prevents mucosal SHIV infection even with lower neutralizing antibody titers (T細胞誘導性のワクチンは抗体価が低い場合もSHIVの粘膜感染を防ぐ)」だ。
インフルエンザにしても、デングにしても、麻疹や黄熱病の様に一度で一生免疫ができるワクチンは完成していない。これは、免疫した抗原に対する記憶が維持できていないからだ。今、コロナでも、感染者で抗体が低下することが問題にされているが、いつまでも抗体が維持されるほうが問題で、いつかは低下する。しかし、抗原に反応できる記憶細胞が体に潜んで、次の反応で迅速に活性化できることが重要になる。
この研究はワクチン開発が全く成功していないエイズのモデルとして、猿のエイズウイルスに対するワクチン開発を目指している。おそらく、この研究に集まった各グループは、異なる様式のワクチンを独自に研究していたのだと思う。ただ、単独では最終的に長期効果のあるワクチンが得られなかったのだろう。そこで、ウイルスのエンベロップが3量体になったタンパク質と強力なアジュバントで抗体を誘導することがわかっているワクチン(以後SOSIPと呼ぶ:この様式も極めてハイテクでナノ粒子まで用いている)に、同じgag遺伝子を組み込んだ3種類の異なるベクター(3種類混合と呼ぶ:VSVウイルスベクター、ワクシニアウイルスベクター、そしてアデノウイルスベクター)を全て合わせることで高い免疫誘導が可能か調べている。まさに、協調の賜物と言える論文だ。
さらに驚くのはワクチン投与法で、一年以上にわたって4回投与を行い、その間に3回、3種類混合ワクチンを静脈注射している。
多数の猿を用いて、詳しくデータが取られており、データの詳細は全て割愛する。結果だが、中和抗体誘導という面では、SOSIPで十分で、319倍以上の抗体価があれば、膣からの感染を防ぐことができる。しかし、抗体価が319倍より低下すると、SOSIPワクチンだけでは不十分で、三種混合を静脈注射したグループのほうが感染を防げる。
最後に抗体価が低下した一年半後の抵抗性を調べているが、SOSIPと三種混合を併用したケースは高い感染抑制効果があった。ただこれだけしても長期効果実験では、7割しか感染防御が達成できていないことも指摘しておきたい。
結果は以上だが、いくつかのワクチンを、しかも繰り返し免疫することで、これまで難しかったエイズに対するワクチンもできるかもしれないという結果で、協調の重要性を示している。
ワクチンの場合、達成したいゴールは長期間維持できる記憶細胞とはっきりしている。新型コロナの場合、すぐに来る第二波に対しては、ともかく高い中和抗体を誘導するワクチンで対応するしかないだろう。しかし、その間にも長期間続く記憶細胞を誘導する組み合わせやプロトコルを追求することは重要だ。その意味でも、動物実験はできれば同じプラットフォームで行い、ボランティアでの免疫実験で調べる項目を共通化しておくことで、ぜひ将来の協調を見据えた開発を望む。
2020年5月12日
肥満は様々な代謝病だけでなく、多くの病気に直接間接に関わることが知られている。例えばようやく収束の兆しが見えてきたCovid-19でも、感染率、重症化率ともに、肥満の人が多い。ただ、この原因についてはわかっていない。一方、乳ガンも肥満により促進されることがわかっているが、閉経後の女性で肥満によりエストロジェンが上昇することが知られており、これが最も重要なメカニズムだと考えられている。
同じように代謝に最も関わるすい臓ガンについても肥満がリスクファクターであることが知られており、インシュリンやインシュリン様増殖因子などがすい臓ガンの増殖を助けることが示唆されてきた。今日紹介するMITからの論文はこれまで想定されてきた増殖因子とは異なる分子が肥満とすい臓ガンを結びつけることを明らかにした、ちょっと考えると恐ろしい研究で5月14日号のCellに掲載された。タイトルは「内分泌―外分泌シグナルが肥満と相関するすい臓ガン発生を促進する」」だ。
この研究ではレプチンが欠損したob/obマウスを用いているので、一般的肥満との関係があると決めていいのかどうかはわからないが、自然膵臓ガン発生マウスとかけ合わせると、驚くことにガンの進行が1.5倍ぐらい早くなる。逆に、レプチン遺伝子をアデノウイルスベクターを用いて発現させると、すい臓ガンの発生が半分ほどになる。
この差について、様々な可能性を検討した結果、これまで示唆されていた様な炎症、インシュリン、IGFなどの直接関与は認められず、最終的にsingle cell transcriptome解析の結果、普通は膵臓では発現していない腸内ホルモンの一つコレシストキニン(Cck)が膵島で発現することを発見する。
あとはβ細胞にCckを発現するマウスを作成し、今度は肥満とは関係なく、膵臓ガン発生が促進されることを示している。
なぜ肥満によりCckの発現が上昇するのかについては、肥満によるマクロファージが分泌するPDGFがCckを誘導する可能性などを示唆しているが、明確にはなっていないといえる。しかし、人間の膵島でも肥満の人ほどCckの発現が高いことを示しており、もともとCckは膵液分泌誘導にも関わっていることから、慢性的にCckが分泌され続けることによりすい臓ガンリスクが高まることは納得できる。
結果は以上で、Cckだったという点で少し拍子抜けだが、しかし肥満が万病の元であることはわかった。ただこれがわかっても、なかなか肥満からは抜け出せない。
2020年5月11日
現在新型コロナに対して唯一有効性がはっきりしているのは、免疫反応で、このおかげでほとんどの人が風邪程度で終わる。すなわち、新型コロナに対してうまく免疫ができた人は感染しても助かる。このことを一般に伝えるために、最近専門家もやたらと「免疫力」を高めるという言葉を簡単に使っているのが気になる。もちろん専門家は免疫状態がいかに複雑で、その人為的操作がどれだけ難しいかわかっているのだが、それらを全てスキップして、例えば抵抗力を高めるというところをより具体的に免疫力などといってしまう。この誤解の先に、ありとあらゆる思いつきの治療が許されることを肝に命じる必要がある。ようやく、ウイルスに対する免疫反応と、サイトカインストームが理解され始めたいまこそ、免疫操作の難しさをしっかり理解してもらうチャンスだと思う。
今日紹介するベルギーのゲント大学からの論文はウイルス性肺炎に対する初期免疫過程に関わる樹状細胞(DC)についての研究で、小児で1%ぐらいが重症化するRSウイルスを用いているが、新型コロナの理解にも役立つと思い紹介する。タイトルは「Inflammatory Type 2 cDCs Acquire Features of cDC1s and Macrophages to Orchestrate Immunity to Respiratory Virus Infection (RSウイルスに対する免疫反応を炎症によりDC1の性質を獲得したDC2が調節する)」だ。
この研究はRSVを感染させた時、ウイルスの抗原提示に関わる樹状細胞(DC)がどのように変化するのかを調べている。データが膨大なので、わかりやすいようにまとめてしまうと次のようになる。
感染前には存在しない新しいタイプのDCが感染によって現れる。 もちろん感染によりマクロファージや白血球が血管を通して感染部位に集合するが、新しいタイプのDC(新DC)はDC2細胞から局所で新たに誘導される。 新DCはDC2由来だが、DC1の性質も併せ持つ、一種のスーパーDCで、Fc受容体の発現が高く、抗原を細胞内に取り込む。また、ウイルス感染から回復したマウスの血清は抗原の取り込みを促進する。 MCH抗原の発現が高く、局所リンパ節に移動する性質を持ち、CD8,CD4両方のT細胞免疫を強力に誘導できる。 新DCは炎症で誘導される1型インターフェロン、インターフェロン受容体1/2、JAK1、 STAT1,、IRF8とシグナルが伝達されることにより誘導される。
以上が結果で、炎症により免疫誘導システムが完全にプログラムされ直して、免疫反応を速やかに誘導する体制ができていることがよくわかる。
さて、この結果をコロナに当てはめて考えてみるといくつか面白い点が見えてくる。まず、この新DCの誘導が人間でも正しいとすると、1型インターフェロン依存的であることから、STAT1の核内移行を阻害するコロナでは、肺でのウイルス量が上昇し始めると、この経路が抑制される可能性がある。とすると、免疫誘導可能な時間がかなり制限され、T細胞免疫はできにくい可能性がある。この結果、感染細胞を叩く活性が下がり、重症化に至る可能性がある。もしそうなら、初期に1型インターフェロンを肺局所に補充することは効果があるかもしれない。
一方、この細胞はウイルス受容体とは別にウイルスを細胞に取り込む活性がある。ただ、リンパ節へと移動することから、抗体依存性増強の原因細胞ではないように思う。とすると、局所に集まった好中球のFcを介するウイルス感染はぜひ調べる必要がある。
免疫反応はこれほど複雑だ。とすると、ワクチン開発や、抗体治療開発には、日本の優秀な免疫学者全員の知恵が集まることが重要だ。ワクチンという実験的感染により誘導される免疫反応を詳細に解析する時、優れた免疫学者がワクチンプロジェクトに参加することは必須だ。single cell transcriptomeなどそのための方法論はすでに数多く開発されている。また実験でなくても、知識で参加することも重要だ。免疫操作法の開発は常に、急がば回れが鉄則だ。免疫力などと一言で片付けたら、後で大きなしっぺ返しが来ることを覚悟すべきだ。
2020年5月10日
昨日に続いて、意外な相分離研究の新しい方向性を指し示す研究を紹介する。
トリプレットリピート病はタンパク質をコードする遺伝子の特定のトリプレットの数が増大する結果起こる病気で、よく知られているのはハンチントン病や脊髄小脳変性症のような神経疾患だが、ポリアァニン病の中には多指症のような発生異常の原因になるものもある。
なぜリピートが問題なのかに関しては、ポリグルタミンのようにリピートが長いとタンパク質が沈殿して発生する細胞毒性を中心に考えられてきた。ところが、今日紹介するベルリンにあるマックスプランク分子遺伝学研究所からの論文は、アラニンリピートは正常タンパク質との相分離の性質の違いの結果多指症の原因になっていることを確かめた面白い研究で5月28日号Cellに掲載予定だ。タイトルは「Unblending of Transcriptional Condensates in Human Repeat Expansion Disease (人のトリプレットリピートの増大は転写因子濃縮機能単位への混合を阻害する)」だ。
この研究ではホメオボックスタンパク質の一つHoxd13のアラニンリピートが中程度に増加すると、この分子が関わる指の発生異常=多指症がおこる原因の特定が目的だ。このアラニンリピートの場合、リピート数は多くても14程度で、ポリグルタミンと異なり沈殿が起こるとは考えられない。
相分離にはタンパク質同士の相互作用を起こすIDRと呼ばれる部位の存在が必要だが、アラニンリピートが存在するN末領域がHoxd13のIDRになることが示唆されるので、昨日の論文でも使われた定番、IDRを蛍光物質に結合させ、さらに光で活性化されるCRY2分子を結合させることで、光をあてると相分離が誘導される系を用いて、Hoxd13IDRの相分離活性を調べるている。と、期待通り、Hoxd13は相分離を起こすが、リピートが増えるにしたがって、相分離能力が高まる。
相分離が高まる=発生異常なので、相分離により本来の転写機能が阻害されると考え、同じように相分離により多くの転写分子を集合させることが知られているMediatorタンパク質との結合が相分離でどう変化するか調べると、リピートが多いほどMediatorタンパク質の相分離体から排除されてしまうことがわかった。すなわち、Hoxd13だけが相分離してしまって、転写活性に必要なMediatorと合体できなくなることを明らかにする。
実際そんなことが発生途上で起こっているのか、手指形成途上で細胞核を観察すると、リピートの多いHox13dはMedicatorの相分離した小滴から分離している。この結果、指の発生に関わる様々な細胞の転写が変化することをしめし、Hoxd13の機能が阻害され、多指症が起こると結論している。
驚くことに、他のホメオボックスや、RUNX, TBPなど他の転写因子でも同じことが起こることも示されており、リピート病の全く新しい方向性を示す画期的研究だと思う。しかし、身体中で相分離が起こっていることを知ると、これを調節する生命の情報と進化のアルゴリズムの偉大さに圧倒される。
2020年5月9日
今週NatureとCellにちょっと変わった相分離についての論文が発表されていたので紹介することにする。
個人的に相分離という現象に興味を抱くのは、物理化学法則が生命の情報とアルゴリズムによりどのように生物に同化されるかという点だ。相分離にしても、あるいは生物に現れるチューリング波にしても、生命が物理法則に従っているという例としてみられることが多い。宇宙の中の存在である以上、私たちが物理法則に支配されないことはない。しかし、生命の情報とアルゴリズムは、物理世界に生命という全く新しい因果性を発生させた。この力で、生物はうまく物理法則を使えるよう情報を書き換えてきた。概日周期は地球の自転をゲノム情報に取り込んだ例だ。相分離研究は同じように、物理化学法則をどう情報に同化していったか理解する格好の材料だ。しかも、完全な生命が生まれる前、情報とアルゴリズムが生まれようとしている太古の化学にも関係していると思う。なぜこんなふうに思うのかについては、ジャーナルクラブにアップしている情報の誕生についての講義を見てほしい(https://www.youtube.com/channel/UC1WeyfqdOM5GYCm7QObRpjQ/featured )。
少し前置きが長くなったが、今日紹介するプリンストン大学からの論文はリボゾームが作られる核小体の形成と機能を支配している相分離を局所平衡熱力学的に解析した論文で5月6日号のNatureに掲載された。タイトルは「Composition-dependent thermodynamics of intracellular phase separation (細胞内での相分離の構成成分依存的熱力学)」だ。
断っておくが、原理はよく理解できるが、熱力学自体の扱いや測定については全く素人で、個人的には気にせず読んでいる。
さて、これまで紹介してきた相分離は、相分離能力を進化の過程で獲得したタンパク質が、一定の濃度に達すると急に互いに反応して、周りの液相から分離するという現象で、流れの中の渦のように新しい分子をリクルートできる安定した構造を作る。
核小体をみたときマトリックスになっているNPMは試験管内で一定の濃度で相分離するが、細胞の中では濃度とともに相分離の閾値も変化する。おそらくこの点については多くの研究者も観察していたと思うが、このグループはこれが核小体という相分離した構造の中に存在する他のタンパク質であるとにらみ、NPM, SURFそしてrRNA(様々な大きさ)の3者が絡み合った時の相分離の熱力学的解析を行っている。
誤解を恐れずザクっと結果をまとめると、濃度だけで決定される相分離と異なり、相分離構造自体がよりダイナミックになり、その結果分子がついたり、離れたりすることが可能になることを示している。特に、まだ完成していない短いrRNAと完成した大きなrRNAを比べると、短い方が相分離に寄与し、完成すると液相からはじき出されることを示している。
すなわち、核小体という相分離構造も、その維持は構成成分に強く依存しており、この熱力学的性質を利用してリボゾームのアッセンブリーと排出が行われていることを見事に示している。
物理化学が生物現象に同化されることで、構造内の動態が絵に描いたように理解できるようになる素晴らしい例だと思う。リボゾームは、おそらく完全な生命体が誕生する前にも、生命の元の元として存在したように思っている。おそらくまだ細胞膜もなかったかもしれない。相分離はおそらくこの時代の生命の萌芽を理解するためにも極めて有用な現象だと思う。
2020年5月8日
昨日、ポストコロナを支える治療について書いた記事の中で、パンデミックでは原理の解った薬剤のコンパッショネート使用を行いながらも、科学性を確保するための新しい理論的枠組みが欲しいと述べた。実際、今でも通常の治験プロセスを踏めない対象もある。
そんな例の一つが毒蛇に噛まれた時に使う薬剤ではないだろうか。現在ヘビ毒に対しては抗血清が用意されており、おそらく現地の診療所では用意できているのだろう。ただ抗血清でも、開発段階で無作為化試験を行っているのだろうか。もちろん動物実験は徹底的に行っていると思うが、おそらくヘビに噛まれた人を前にインフォームドコンセントもあるまい。おそらくコンパッショネート仕様の中から現在の状況があるように思う(これは勝手な想像)。
私の経験から言えば、常にヘビ毒の抗血清を携行しているガイドがいるようには思えない。おそらく病院やロッジまで担ぎ込まれて治療になるのだろう。抗体は高価で、熱帯で携行できるといった類いのものではない。とすると、抗体にたどり着くまで噛まれた場所で処置可能な方法の開発が望まれる。映画の定番は、傷口を噛んで血を吸い出すことだが、どの程度効果があるのか、これも検証されているのだろうか。
今日紹介する英国リバプール熱帯研究所からの論文は、抗血清ではないヘビ毒の効果を軽減する薬剤の開発の話で5月8日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Preclinical validation of a repurposed metal chelator as an early-intervention therapeutic for hemotoxic snakebite (血液毒性を示すヘビ毒に対する初期治療に金属キレート剤を使用する可能性の前臨床検証)だ。
通常ヘビ毒は複数の生理活性物質からできているが、ハブ毒で言えば出血を誘導する金属プロテアーゼ、溶血や細胞のネクローシスを誘導するフォスフォリパーゼ、凝固を抑えるレクチン、補体活性化のセリンプロテアーゼなど、それぞれ特異的酵素活性を持つ。
この研究では、この中の金属プロテアーゼの活性を、必要な金属を除去することで抑制することで、噛まれた時に直ぐに処置して究明する薬剤の開発を目的としている。
対象としてはアフリカ、インドに生息するノコギリヘビ属の金属プロテアーゼだが、ハブにも通用する結果かもしれない。いずれにせよ、酵素活性阻害なのでスクリーニングは簡単だ。この結果、2種類の金属キレーターを選び出しているが、最終的にはすでに水銀中毒などを対象に認可されているDMPSが選び出された。
あとはマウスを使って、ヘビ毒の注射と同時に投与した時の効果、一定時間後の効果、そして緊急処置として行ったあと、抗血清療法を合わせた時の効果など、様々な状況で効果を確かめ、最終的に、ヘビに噛まれたらすぐに経口投与でDMPSを服用、その後1時間ぐらいで抗血清を投与すると、多くのヘビ毒に対して救命できることを示している。
すでにセリンプロテアーゼの薬剤は開発されているが、おそらくDMPSは極めて安価で開発途上国の人にもすぐに提供できるだろう。アフリカやインドの人たちの命が救われる可能性を示した重要な研究だと思うが、次の段階はやはりコンパッショネート使用になると思う。
2020年5月7日
高校時代ラグビー部の練習が終わりにさしかかった夕暮れ、ハイパントのボールを追いかけた時、ボールがボケていることに気づいて、以来メガネが友となった。その後50歳を越した頃、今度は食べようとするご飯粒がボケいるのに気がついて、以来遠近両用のお世話になっている。これは日本人の半分近くが経験する物語で、視力1以下となると高校生の7割近くが当てはまるらしい。
今日紹介するロンドンキングスカレッジを中心に多くの研究室が共同で発表した論文は、50万人以上のゲノムデータを集め、近眼の発生と相関する変異を持つ領域を特定しようとした研究で4月号のNature Geneticsに掲載された。タイトルは「Meta-analysis of 542,934 subjects of European ancestry identifies new genes and mechanisms predisposing to refractive error and myopia (542,934人のヨーロッパ人のメタゲノム解析により屈折障害と近眼につながる遺伝子とメカニズムが特定される)」だ。
近眼が生存にとってよほど有利な性質でない限り、これほど多くの人が近眼になるリスク遺伝子が少ないはずはない。また、生活習慣の重要性も当然と思っていたので、どの程度の数の多型が近眼に関係するのか?興味深い研究だ。と読み始めて、様々なデータベースを全て集めたかなり正確な解析によって、なんと449の遺伝子領域の変異が近眼と相関していることに度肝を抜かれた。
普通疾患多型データはマンハッタンプロットのような実際のデータが示されるのだが、これほど相関領域が多いと複雑すぎてデータがわかりにくいので、染色体地図上に優位に相関した領域を書き入れている。実際に見てもらわないと実感はないと思うが、Y染色体を除く全ての染色体に相関領域はまんべんなく分布している。
通常統合失調症や自閉症などのような高次機能の異常は多くのゲノム領域の相関が見つかるが、おそらくそれ以上だ。すなわち近眼は極めて奥の深い性質であることが明らかになった。
実際相関する領域にある遺伝子を見てみると、角膜やレンズだけでなく、網膜の構造や発達に関わる遺伝子を皮切りに、シナプス伝達に関わる遺伝子まで、これまで目の遺伝病に関わることが知られている様々な遺伝子との相関が浮き上がってくる。
個人的に興味が惹かれたのは、メラニン合成など色素に関わる遺伝子との壮観で、例えば光の量の小さな変化が積もり積もって近眼を誘導することは十分考えられる。
最終学歴と相関する遺伝子が近眼にも相関することは、勉強のしすぎが近眼を作るという話を裏付けているようにも思う。
これ以上紹介はやめるが、視力が我々の感覚の大きな部分を占め、1日15時間以上目を酷使しておれば、構造や昨日の少しの変化が、近眼となって現れることは十分理解できる。しかも、今回発見されたマーカーでは高々20%の遺伝性しか説明できないとなると、近眼とは人間の生活そのもので、奥が深いことがよくわかった。