2018年9月2日
痛みに対する薬剤開発はずっと続けられて来ているが、現在もなモルヒネを超える薬剤はないと言っても過言ではない。その結果、多くの国で医原性の麻薬中毒が国を揺るがす問題になっている。モルヒネはオピオイド受容体に結合して鎮痛作用を発揮するが、鎮痛作用の主役μ オピオイド受容体だけでなく、複数のオピオイド受容体に、様々な強さで結合して多彩な作用を及ぼし、中毒の原因になる。
今日紹介する米国ウェークフォレスト医科大学からの論文はnociceptin/orphanin FQ peptide(NOP)がμオピオイド(MOP)受容体の作用を高め、同じ鎮痛回路に発現していることに注目し、NOP/MOP両方の受容体に結合するリガンドを開発して習慣性や副作用のない鎮痛剤の可能性を示した論文で8月29日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「A bifunctional nociceptin and mu opioid receptor agonist is analgesic without opioid side effects in nonhuman primates(ノシセプチンとμオピオイド受容体の刺激剤は副作用のない鎮痛作用を猿で発揮する)」だ。
研究では最初からNOPとMOPの両方の作用を持つ薬剤開発に焦点を定め、これまでの様にMOPと同じ作用物質からスクリーニングするのではなく、すでに集めているNOP受容体に結合するリガンドの中から、MOP受容体にも低い親和性で結合するリード化合物として選びその改良を始めている。あとは、私が最も苦手な有機化学の独壇場で、受容体の構造からそれぞれの受容体への結合を調節する中でAT-121と名付けた化合物を選び出している。
それぞれの受容体を発現している細胞株で、期待通りの結合活性を持つことを確認し、脳への移行性など生体内での動態を確認した後、50度近いお湯にどれほど耐えられるかを指標に鎮痛作用を調べ、モルヒネと比べて高い鎮痛作用があることを示している。また、この作用がNOP,MOP受容体に結合する結果であることをそれぞれの受容体の阻害剤を加える実験で確かめ、期待通りのメカニズムで鎮痛作用が得られていることを示している。また猿の実験で、薬剤投与を続けた後、急に中断しても呼吸や循環などに特に変化がない。また長期使用でも、麻薬のように痛覚過敏は現れない。
あとは研究の難しい習慣性や副作用の問題だが、自分で麻薬を注射することを覚えさした猿を用いて、合成麻薬オキシコドンと比較している。オキシコドンは習慣性があるため、猿は一旦注射を覚えると自分で注射を繰り返すが、このような作用はAT-121には全く無い。さらに、猿を使って有効濃度の10−30倍のAT-121を投与しても、呼吸抑制などのバイタルにはほとんど影響はない。コントロールとして使ったらヘロインではすぐに呼吸抑制が観察された。また、オキシコドンの習慣性を弱める働きすら観察された。
以上のように猿のレベルでは、夢の麻薬が開発されたことになるが、こと人間となると麻薬製剤を本当に置き換えることができるのか、まだ決定するわけにはいかないだろう。ただ、理論的な可能性から分子の開発まで進んだ点で、期待しているし、これが人間でも確認されれば、ブロックバスターになるだろう。
2018年9月1日
場所に反応する細胞についての研究でノーベル賞を受賞したのはオキーフとモザー夫妻だが、海馬の多くのニューロンの興奮を行動する動物で記録し、行動と個々の神経活動とを関連づける手法で発見された。このように、行動に対応する神経活動をneural correlatesあるいはneural representationとして、同時に記録した多くの細胞の中から拾い出す研究を見ていると、いま世界中が騒いでいるAIが脳研究で普通に使われてきたことがよくわかる。すなわち行動に対応するneural representationがあれば、記録を続ければ発見できる。
今日紹介するノルウェーのカブリ研究所のモザー夫妻の研究室からの論文は時間の認識に対応するneural representationについての研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Integrating time from experience in the lateral entorhinal cortex (外側嗅内皮質での経験からの時間の統合)」だ。
この研究では壁の色で場所がわかる箱の中で行動するラットの、海馬のさまざまな領域の神経細胞集団の興奮を記録し、この中から様々な行動エピソードと相関して興奮する神経細胞を膨大な反応パターンの中からコンピュータで探し出している。例えば箱の中の場所には内側嗅内皮質(MEC)が、色の変化から判断される場所には海馬のCA3領域に反応する細胞が多い。これらの行動は当然時間で区切ることもできるが、この実験で場所とは全く無関係に10秒単位の時間リズムに美しい規則性で興奮する細胞が外側嗅内皮質 (LEC)に多いことを発見する。また、時間も10−20秒感覚というスケールで興奮を繰り返す神経だけでなく、1秒間隔で反応する神経も存在する。基本的には推計学の嵐といった感じの論文で理解するのは辛いが、LECでの時間リズムが他の場所でのエピソード記憶の基準を与えていることを示している。
これほど美しい時間を刻んで興奮する細胞が集団でしかもLECだけに存在すれば、あとはこの細胞と行動や、他の細胞との関連をAIで調べることになる。この研究で調べられたのは、8の字迷路を繰り返して進むように訓練されたラットを用いて、この時間ニューロンと繰り返し行動との関連を調べ、行動とは無関係に時間ニューロンが興奮するのか、あるいは行動の順番から時間を判断しているのかを調べ、時間ニューロンは行動リズムとは無関係に興奮していることを示している。
とはいえ時間は外界とは無関係に存在する細胞の内的リズムといったものではなく、これまで学習してきた結果が統合され記憶されたリズムであるようで、8の字迷路での訓練に応じてLEC内での時間ニューロンのリズムは正確になっていくことを示している。
すなわち、私たちの脳の時間は、微細な経験の変化や大きな順番などの経験を統合して、それ以前の経験から獲得した時間リズムを変化させていることになり、常に新しい時間を私達は内的に作り出し経験していることになる。そのための時間統合キーパーが多くの神経回路とつながるLECに存在するという、納得の結果だ。そして、この時間がまた、経験を統合する一つの指標として利用される。なるほど、歳を取って時間の経つのが早いはずだ。おそらく、もっと違った経験パターンを続ければ、高齢になっても違う時間を経験できるかもしれない。
2018年8月31日
フェニルケトン尿症は古くから知られており、私が学生の時からわかっていた遺伝疾患で、フェニルアラニンを分解するフェニルアラニン・ハイドロオキシラーぜ(PAH)をコードする遺伝子やその補酵素の機能喪失変異により起こる。結果、血中濃度フェニルアラニンの濃度が上昇し神経毒性を発揮するため、不可逆的な知能障害、感情障害が起こってしまう。
これを防ぐため、生後すぐに新生児の尿のスクリーニングで発見して、フェニルアラニンの摂取を制限して血中濃度が高まるのを防ぐ治療が行われる。実を言うと私自身の知識はここで止まっており、新生児スクリーニングと食事制限でこの病気の治療開発は終わったのかと思っていた。ところが、原理的に治療が可能でも、一生続く厳密な食事制限は大変で、生活の質を高めるべく今も、PAHを活性化する薬剤などで併用して食事療法を補完する方法、酵素そのものの投与、そして切り札としての遺伝子治療まで様々な治療法の開発が今も続けられていることを知った。
今日紹介するボストンにあるSynlogicという会社からの論文は、なんとフェニルアラニンを分解する酵素システムを組み込んだ大腸菌で、体内のフェニルアラニンを積極的に分解してし、食事制限の代わりにできないか試みた前臨床研究でNature Biotechnologyオンライン版に掲載された。タイトルは「Development of a synthetic live bacterial therapeutic for the human metabolic disease phenylketonuria(フェニルケトン尿症に対する合成バクテリア治療の開発)」だ。
この研究では、ヒトへの投与が可能な大腸菌の系統にフェニルアラニンの分解酵素を組み込んで、腸内に循環してくるフェニルアラニンを分解してしまおうとする作戦だ。ただ、腸内という条件で最大の分解能力示し、しかも工業的生産が容易な菌株を作るのは簡単でない。特に、普通バクテリアの遺伝子操作で使うような抗生物質耐性遺伝子などを使うと、それだけでFDAの認可が下りない。色々苦労はあったと思うが、最終的に外部から積極的にフェニルアラニンを取り込むトランスポーター、フェニルアラニンをTCAに変換するPAL、そして細胞の外でもフェニルアラニンをフェニルピルビン酸に変えるLAADを導入し、体内では嫌気条件でこれらが発現し、試験管内で増殖させるときには分解系が働かずに大量に増殖できる細胞株SYNB1618を開発した。
結果は予想通りで、フェニルアラニンを分解しTCAに変えた後、尿でhippuric acidとして排出され、血中のフェニルアラニンを低下させる効果がマウスモデルと、サルで確認されている。
ただ私が不勉強で全く知らなかったのだが、この分解は食物からできたてのフェニルアラニンに限らない。皮下に投与されたアイソトープラベルしたフェニルアラニンも腸内の細菌により分解され、尿にhippuric acidとして排出される。すなわち、腸と血液の間でアミノ酸の循環が起こっており、フェニルアラニンが一定期間腸内に貯蔵され、これが分解の対象になるという素晴らしい話だ。
もちろん制限食から完全に開放されるまでには時間がかかる難と思うが、生活の質はかなり高まるはずだ。嬉しいことに、現在安全性を確かめる第1相の治験も始まっているようだ。このように私達が学生時代に習ったまま標準治療も確立していた病気についても、生活の質を高めるための治療法開発が続いている事に感心した。期待したい。
2018年8月30日
CRISPR/CasやTALENの登場で、遺伝子編集は楽になり、ますます特定の遺伝子に変異を導入する手法、すなわち遺伝子を編集した結果の表現を動物で確かめるリバースジェネティックスの有用性は益々高まってきている。しかし、私が現役の頃は、ようやくトランスジェニックマウスができるようになったばかりで、遺伝子の編集など夢のまた夢だった。そのため、形質に異常を持つ動物を作成したり、集めたりした後、その原因遺伝子を明らかにするフォワードジェネティックスは、苦労はあっても研究の主流だった。かくいうわたし達も、熊本大学時代は、変異マウスの遺伝子を決める事を重要な戦略にしていた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文はドーパミン神経のシナプス形成に関わる遺伝子を、フォワードジェネティックスで特定し、その機能の詳細を解析した極めてオーソドックスな研究で9月6日号のCellに掲載された。タイトルは「The THO Complex Coordinates Transcripts for Synapse Development and Dopamine Neuron Survival(THOC複合体はドーパミン神経のシナプス形成と生存に必要なmRNAをコオーディネートする)」だ。
フォワードジェネティクスの研究なので、最初からドーパミン神経のプレシナプス形成に必要な分子を発見するため、線虫のドーパミンニューロンのシナプス形成が異常になる突然変異をスクリーニングし、THOCに行き着いている。また、おなじく線虫を利用してTHOC5やTHOC1がドーパミン神経で働いている事を明らかにしている。
以前なら、線虫の遺伝子と形質を結びつければ話は終わっていたのだが、現在ではそうは行かないようだ。この研究でも、同じ遺伝子をマウスのドーパミン神経でノックアウトし、シナプス形成が抑制され、その結果ドーパミンニューロンが変性する事も示している。さらに、ドーパミン神経の興奮を遺伝子導入により抑制すると、TOHC5欠損によるドーパミン神経の変性を抑えることができることを示している。すなわち、 THOC5神経のは興奮によるシナプスの変化に関わり、刺激が無ければTHOC5は必要がないことを示している。
これまでの研究でTHOCは転写時にmRNAに結合して核外にmRNAの核外輸送を高めることがわかっている。この研究では、この過程についても線虫を用いた遺伝的研究を行い、神経興奮によりCREBと SRFが誘導され、THOC5と複合体を形成することでTHOC5がmRNAと結合して、核外輸送を高め、シナプス形成を促すことを示している。さらに面白いことに、THOC5は全てのmRNAに結合するわけではなく、おそらくシナプス形成に関わる遺伝子に選択的に結合して、シナプス形成特異的に働いている可能性を示している。これは、8月21日に紹介したCPEB結合による翻訳の調節が、自閉症関連遺伝子により特異的に働くこととよく似ている(
http://aasj.jp/news/watch/8821)。脳回路の特性はシナプスの伝達性で決まっていき、これにはシナプスでの遺伝子発現の変化が重要な要因になる。2つの論文が示すように、必要な遺伝子のmRNAだけをまとめて調節するする仕組みは、今後脳の進化を考える上で重要なポイントだと思う。
驚くことに、この研究はマウスに留まらず人間の病気ALSがTHOC1の変異で起こるケースがあることまで示しており、この変位を線虫に導入するとシナプス形成異常による神経変性が起こることまで示している。オーソドックスなフォワードジェネティックスを入り口として、広がりのある分子遺伝学の力作だと感心した。
2018年8月29日
山中iPSが発表される前から、細胞の系統をリプログラムできるという論文は数多く発表されていた。山中iPSにより、転写因子のセットを導入することで実際にエピジェネティックな状態がリプログラムできることが明らかになり、多能性の幹細胞を経ないで直接細胞の系列を変化させるdirect reprogrammingの研究は盛んになった。ただ私が把握している限りで、iPSを越えて臨床応用が見えている方法の開発にはまだまだ時間がかかるように思う。
今日紹介するマウントサイナイ医学校からの論文は、分化のリプログラムの代わりに、抑制されている分化プログラムをもう一度再活性する方法を開発して網膜内にロドプシンを発現する桿細胞を復活させ、視力を回復させようとする、リプログラムというよりプログラムを誘導する研究で、4月23日号のNatureに掲載された。タイトルは「Restoration of vision after de novo genesis of rod photoreceptors in mammalian retinas(哺乳動物の網膜内に新たに誘導した桿細胞により視力を回復させる)」だ。
魚などの脊椎動物では、網膜が成熟した後でも、ミュラーグリア細胞から視細胞を分化させることができるが、哺乳動物ではこの経路が遮断されている。このグループは、これまでの研究でWntシグナルの下流分子βカテニン遺伝子を網膜に導入することで、正式にあるミュラーニューロンを増殖させられることがわかっていた。この研究では、これに続いて桿細胞の発生にかかわる3種類の遺伝子セット(Otx1、Crx、Nrl)を導入することで、桿細胞を誘導できないか調べている。
実際にはアデノ随伴ウイルスベクターにβカテニン遺伝子を繋いで網膜に導入し、2週間してから3種類の遺伝子をやはりアデノ随伴ウイルスで注射するというプロトコルだ。
結果だが、ミュラーグリア細胞のみがこのプロトコルに反応して、最初1回分裂を起こし、その後の3種類の遺伝子の作用で桿細胞まで分化することができる。このプロトコルで網膜全体に、万遍なく一平方ミリメーターあたり800個程度の桿細胞を誘導することができる。すなわち、分化の抑制を外して、もう一度分化させることが出来る。ほとんど異常な増殖はないのも重要で、網膜の構造は保たれる。
問題はこうして誘導した視細胞が機能して視力回復に至るかどうかだ。これを確認するため、桿細胞と錐体細胞ので光刺激を伝達するGnat1, Gnat2の機能が欠損したマウスを用い、このマウス網膜で桿細胞を誘導するとともに桿細胞にGnat1を導入して、桿細胞の機能が回復するか調べている。結果は、正常と比べると強くはないが、桿細胞は光刺激に反応することができ、興奮した桿細胞からのシグナルは網膜のガングリオン細胞で刺激がオン反応とオフ反応へと統合され、そして一時視覚野へとそのシグナルへ伝達することを確認している。
研究はここまでで、視覚がどの程度回復しているのかは評価できていないが、少なくとも神経回路を再構築することが可能であることは示されたと言っていい。現在、視覚に関わる遺伝子の変異に対する遺伝子治療が進んでいるが、今回示された方法を合わせると、より高い効果のある遺伝子治療が可能になるように思える。まだまだ動物実験の段階だが、印象としては遺伝子によるプログラミング法は結構使えそうだという感触を持った。
2018年8月28日
14世紀、ヨーロッパの人口を半減させ黒死病と恐れられ、多くの文学の題材となったたペストも、抗生物質の登場で治る病気になり、また病気を媒介するシラミやネズミも、存在はしていても、私たちの健康に影響を及ぼすことがなくなって、ペストの流行は世界からほとんど消えたのかと思っていた。
しかし昨年、マダガスカルでペストが勃発、1000人近い感染者が出たことを聞き驚いた。ペスト菌は、その土地土地に根付いて、人間への感染機会を待っていることになる。撲滅のためには、感染経路をはっきりさせ、感染機会を減らすことが必要だが、今日紹介する中国チベット自治区にある西寧の感染予防センターからの論文を読んで、チベットなどの高地の一部では今でもペストの脅威がつい最近まで続いていたことを知っるとともに、ペストが風土病化して各土地の動物の体内に生きていることを知り、感染経路特定の重要性がよくわかった。タイトルは「Human plague associated with Tibetan sheep originates in marmots(マーモットに由来するペスト菌を持ったチベット羊から感染した人間のペスト)」だ。
1956年に科学的記録が行われて以来チベットでは多くのペスト患者が発生し、そのうち50%が死亡する恐ろしい感染症として認識されていたようだ。ただ、中世のペストとは異なり、感染原因が感染したチベット羊の皮を剥いだり、肉をさばいたりするときに最初の感染が起こり、その後発病したペスト患者から2次感染が起こることが疫学的に明らかにされている。この結果、最初の感染を防ぐ公衆衛生学的に対策が打たれ、1997年以来発症を予防することに成功している。しかし、感染した羊は今も存在しており、人への感染はいつ起こってもおかしくないようだ。
論文を読んでペストが風土病化していると思ったのは、チベットの場合生きた家畜からではなく、殺した家畜を処理するときにだけ感染するという点だ。この研究では、これまでの感染勃発時に採取したペスト菌のゲノムを調べており、このような感染の特徴の遺伝的背景がわかるのではと期待した。
残念ながら、なぜこれほど独特の感染が起こるのかについて結局特定できていない。ただ、ゲノムからも人間のペストはチベット羊に由来するという疫学的事実が、分子生物学的にも確認され、またチベット羊から感染したペスト菌は他のペスト菌と比べて独立した系統を形成していることが示されている。今後この系統特異的な遺伝子を調べることで、何故生きたチベット羊からではなく、死んだチベット羊からだけ感染するのかなどが明らかになるだろう。例えば、チベット羊のペストではグリセリンの発酵や硝酸塩を亜硝酸塩に還元する経路があるらしいが、これらを手掛かりに特殊な感染経路の秘密がわかるかもしれない。
結局この論文では、ゲノムを用いたペストの系統樹形成と、感染経路の特定がメインの話として終わっている。ただ面白いことに、ペスト菌はそれぞれの地域ごとの特徴を持っていることが明らかになった。その上で、いくつかの流行をゲノムから追いかけ、チベット羊に感染する前に、マーモットで感染が広がっていることを確認している。すなわち、ペスト菌はマーモット内で維持され、羊に感染した後、人間に感染するという径路が明らかにされている。また、他のペストと同じで、マーモットから羊へのペスト菌の媒介にはシラミが関わっているかもしれないと結論している。 これなら風土病化したのもうなづける。
話はこれだけで、ゲノムを調べることで、これまで疫学的に想像されていたことが、確認されただけの論文だが、ペスト菌がそれぞれの地域で独自に進化し、風土病になっているのには感心するとともに、現代でも感染症を撲滅するのが簡単でないことを思い知った。
2018年8月27日
CRISPR/Casによる遺伝子操作の可能性はまだまだ広がると思うが、様々な分野での応用も、ともかく実験してみたというレベルから、CRISPRならではの成果がしっかりと得られる収穫期に入ってきたように思う。中でも、人間に近いサルでの遺伝子操作は期待が高く、これまでも遺伝子ノックアウトの作成に成功した論文は発表されてきた。ただこれまでは、編集ができることを示すことが主目的だったり、作ったサルの他の研究への応用可能性を示すノックアウトが多く、編集した分子について新しい生物学的発見が示されるまでの研究は私が読んだ中にはなかった。
ところが今日紹介する中国科学アカデミー生物物理研究所からの論文は、サルのノックアウト研究の重要性を明確に示した研究で8月22日号のNatureに掲載された。タイトルは「SIRT6 deficiency results in developmental retardation in cynomolgus monkeys(SITR6機能不全により誘導されるカニクイザルの発生遅延)」だ。
なぜSIRT6なのかについては論文中にほとんど書かれていないが、結果的に絶妙の選び方ができている。もちろんCRISPR/Casを用いて直接受精卵の遺伝子を編集しているが、培養細胞で効率を確かめたガイドRNAを同時に6種類使うなど、効率を上げる努力が行われている。その結果、98個の受精卵に直接遺伝子編集を行い、その内正常発生した48個の胚を12匹のサルの子宮に注入し、なんと生まれてきた3匹のメス全てが、ほぼ同じ箇所の遺伝子の欠損が起こっていた(一匹については2箇所が挟む大きな領域の欠損)。
さて、SIRT6はヒストン脱アセチル化酵素の一つで、様々なストレスに反応して、遺伝子発現、修復、代謝、炎症など多くのプロセスに関わり、現在では特に老化遺伝子として研究されている。しかし、マウスモデルは系統により症状がバラバラで、他にもSIRTが存在することから、ほとんどのノックアウト論文は中途半端で終わっている。
一方、この研究ではほとんどの組織で、細胞の成熟化が抑えられ、その結果、生まれてきた全てのサルが死んでしまう。この原因を探ると、これまで知られていたように特にTCAサイクルやミトコンドリアの電子伝達系などに関わる多くの遺伝子の発現が変化し、エネルギー代謝が変化した結果、発生や増殖が遅延することが大きな要因であることがわかる。
さらにこの原因を探していくと、H19の転写がノックアウトサルで高まっていることがわかる。H19は母親側の染色体でサイレンシングを受けている遺伝子で、ノンコーディングRNAで、これが発現してしまうと、発生が遅延する。マウスを用いた実験で、SIRT6が欠損するとオスマウスは生後急速に死んでしまうが、メスマウスでは生き残る個体が多いことが知られているが、この実験で生まれてきたサルの全てがメスだったことも、この結果に対応し、オスの方がH19の発現の影響を受けやすいことを示しており、老化を考える上でも重要だと思う。
そしてこのH19抑制がインプリントされた領域のヒストンK56の脱アセチル化に関わるのがSIRT6であること、ノックアウトの多くの形質がH19の転写で説明できること、そしてヒト神経幹細胞を用いた研究で神経発生もSIRT6の抑制で遅延することなどを示している。
サルの研究と言う目で見なくとも、十分優れた分子発生学の研究で、読み応えがある。その上で、マウスでも気づかれてはいたが、解析がほとんど進んでいなかった新しい視点が入って、発達ではなく老化研究にも大きな貢献ができていると思った。今後、ヘテロ変異サルなどが作られると、サーチュインと老化についての研究も、現象論を超えてメカニズムへ進む予感がすると同時に、サルでないとわからないことは数多くあることを実感した。
2018年8月26日
昨日に続いて、神経疾患と炎症についての論文を紹介したい。ただ、昨日のような現象論ではなく、炎症シグナルの核となる分子の機能を神経疾患で調べた研究だ。
これまでの研究でTNFなどによる炎症と細胞死の誘導に最も重要な核として働く分子としてRIPK1が知られている、これについての研究論文は山ほどある。8月24日発行のScienceに、両方の染色体でRIPK1が変異を起こした4人の患者さんについての報告がケンブリッジ大学から発表された(Cuchet-Lourenço et al, Biallelic RIPK1 mutations in humans cause severe immunodeficiency, arthritis, and intestinal inflammation, Science 361:810, 2018)。この患者さんでは予想通り、強い免疫不全が見られる一方、逆に関節炎や腸炎が見られる。この結果は少なくともヒトでは免疫系が関わる炎症にRIPK1の機能が限定されているように思える。このようにヒトとマウスを結びつける研究がまだまだ必要だ。
少し前置きが長くなったが、今日紹介するハーバード大学と上海の有機化学研究所からの論文は、マウスモデルでRIPK1の機能を抑制することが知られているシグナル分子TBK1の機能を通して炎症と神経疾患や老化について調べた研究で9月6日号のCellに掲載された。タイトルは「TBK1 Suppresses RIPK1-Driven Apoptosis and Inflammation during Development and in Aging(TBK1は発達過程と老化過程でRIPK1による細胞死と炎症を抑制する)」だ。
何か雑然として、ともかくデータを生産したといった感じに見えてしまうが、読み終わってみると重要な話であることがわかる。RIPK1,TBK1のリン酸化酵素としての機能については詳しく解析がなされており、これらの分子については様々な遺伝子改変モデルが作成されている。この研究では、まず発生が途中で止まってしまうTbk1ノックアウトマウス(阪大の審良さんたちが作成している)のRIPK1を、キナーゼ活性が欠損した遺伝子に置き換えると、正常に発生できることを確認し、TBK1が肝臓の発生時RIPK1活性化による細胞死を抑えることで正常発生が可能になることを明らかにしている。肝細胞の発生に、細胞死とその抑制のバランスの調整が必要であること自体新しいと思うし、またFASによる劇症肝炎もさもありなんと思うデータだ。
発生での機能を調べた後、詳細は省くが、TBK1によるRIPK1の制御機能を線維芽細胞で詳しく調べ、TNF受容体にRIP1Kが結合して起こる活性化によりTBK1がRIPK1にリクルートされ、RIPK1を直接リン酸化して、TNFによる細胞死を抑えることを明らかにしている。すなわちTBK1は、同じような機能をもつTAK1とともにRIPK1がハブとなる炎症や細胞死を調節している。このTBK1とTAK1が協力し合って炎症を抑えるという構図を確認するため、発現がともに半減しているダブルヘテロマウスの線維芽細胞を調べ、RIPK1の活性が上昇していることを確認している。
実はここまではこの研究の伏線になっているように思う。この研究ではTAK1,TBK1のダブルヘテロ状態を血液細胞が持っているモデルマウスを作って、RIPK1が慢性的に活性化すると何が起こるか調べている。結果は予想通りで、ミクログリアが活性化し、さまざまな炎症性サイトカインを分泌するようになっている。その結果として、脊髄神経の細胞死が高まり、詳しく調べると運動障害も発症する。さらに、2ヶ月齢をコス頃から人間の前頭側頭型認知症と呼ばれる状態が発症してくることを示している。
このように、炎症の起点となる血液細胞で発現しているRIPK1は、炎症にとどまらず、発生から老化、そして神経再生に至る全ての段階で重要な働きをしているというのが結論になるだろう。実際、発生過程でRIPK1が肝臓の細胞死のバランスを調整しているというのも新しい考え方だし、ALSや前頭側頭型認知症ではTBK1の関与が示唆されていたが、この理由も理解できた。
これまでメタボも含め、私たちの体の慢性的な変化を炎症として捉えることが当たり前になってきたが、その発生メカニズムの一つがRIPK1とその抑制分子に落ちてきたので、今後より研究は加速するように思う。
2018年8月25日
最近になって、あらゆる神経疾患を炎症の枠内で考え直してみることが進んでいる。基本的には、神経の活動がアストロサイトなどグリア細胞と深くかかわっており、またマクロファージに相当する脳内のミクログリアの活性化によりこれらの関係が大きく変化すると考えると、神経伝達が変化することで症状が出る神経疾患も炎症の影響を受けるのは当然だと言えるだろう。
もちろんうつ病も例外ではない。2010年ぐらいから様々な炎症性サイトカインがうつ病で上昇しているという報告が相次いだ。さらに最近では、炎症を治療することですうつ病症状が改善するという報告も現れている。
このような状況を受けて、炎症という観点からうつ病を徹底的に眺めたてみようというのが今日紹介するマイアミ大学からの論文で9月5日号のNeuronに掲載された。タイトルは「Defective Inflammatory Pathways in Never-Treated Depressed Patients Are Associated with Poor Treatment Response (未治療のうつ病患者さんの炎症経路の異常は抗うつ治療抵抗性と関連している)」だ。
これまで言われてきた話を徹底的に調べただけの話で、ある意味で新しみはないが、うつ病患者さんの数を考えると重要だとしてNeuronも掲載したのだろう。まずこの研究では、うつ病患者さん171名(その内62名はコントロール群と条件をマッチさせている)と正常コントロール64人を選び、うつ病患者さんが治療を受ける前に27種類の血中サイトカイン濃度、末梢血の免疫に関わる血液画分を徹底的に調べて、予想通り多くの炎症性サイトカインがうつ病患者さんで高いことを示している。
実際数値をよく眺めると、特に炎症促進性サイトカインは4−5倍に濃度が高まっており、IL-12に至っては10倍を超している。また、それに対応して自然免疫の引き金をひくインフラマソームの発現が上っている。確かに大変な差だ。
その上で、うつ病の治療前後での炎症性サイトカインを調べ、治療に反応した患者さんでは炎症促進性サイトカインが低下するにもかかわらず、反応しない患者さんではほとんどのサイトカインで逆に上昇することを示している。ただこの研究では、抗うつ治療の内容を別々に扱うことはしておらず、セロトニン吸収阻害薬から認知行動療法まで同じように治療として扱っている。実際治療方法にかかわらず、治療の効果があるときは炎症促進性サイトカインが低下しており、おそらくうつ病治療により、気分が正常化することが炎症の軽減に役立っていると考えた方がよさそうだ。話としては、笑う門には福来ると言った感じで、免疫も気分に強く影響されると考えられるのだろう。
なんとなく徹底的に検査するという旧来型の臨床研究という印象を強くもった。例えば、患者さんの血清で末梢血の反応を抑える実験など、もう少しプランを練った方が良いように思う。読み終わってみると、新しい介入のヒントが出たわけではないので、拍子抜けの論文だが、元臨床医としては、ともかく徹底的に調べてなんとか診断のヒントを探すというのは、正しい方向性だと思う。
2018年8月24日
古代人ゲノムも少々のことでは驚かなくなっていたが、久しぶりにワクワクしながら古代人ゲノムの論文を読んだ。
この10年、古代人ゲノムの解析が進み、私たちの先祖、現生人類とネアンデルタール人、デニソーワ人のユーラシアで生きていた3種類の古代人類が交雑を繰り返していたことは、もはや誰も疑わない事実になっている。とすると、いつかは異なる古代人を父と母に持つ子供の骨が発見される可能性はあった。事実、4−6世代前の親戚にネアンデルタール人がいるという現生人類がルーマニアのOaseで見つかっている。とはいえ個人的には、確率論的に異なる古代人を父と母に持つ子供の骨が発見される確率はほとんど0に等しいと思っていた。
ところがだ!!!今日紹介するドイツライプチヒ・マックスプランク研究所のペーボさん達の論文は、シベリアのデニソーワ洞窟から発見された女の子のゲノムから、この子供がネアンデルタール人の母とデニソーワ人の父から生まれた子供であることを示した、ほとんどありえない話で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルはズバリ「The genome of the offspring of a Neanderthal mother and a Denisovan father(ネアンデルタールの母とデニソーワの父から生まれた子供のゲノム)」だ。
デニソーワ洞窟からは何体もの骨が出土し、すでにゲノムが完全に解読されたネアンデルタール人、デニソーワ人などが含まれていることから、デニソーワ人とネアンデルタール人の交雑を知るための鍵となる遺跡として現在も発掘が進んでいる。そして、9万年前の13歳ぐらいの女児の骨として調べられてきた骨から採取したゲノムが解読され、なんと38.6%が同じ洞窟で見つかったネアンデルタール人と一致し、42.3%が同じ洞窟からのデニソーワ人と一致した(年代が違うので、実際の両親と勘違いしないでほしいが)。断片化されたDNAを繋いでいく古代ゲノム解読では、この結果からすぐに異なる古代人が両親とは結論できないが、様々な理論的検証を行い、この女児がネアンデルタールの母とデニソーワの父の子どもに間違いないと結論している。また、ネアンデルタール人のお母さんの方のげのむは、以前に解析された同じ場所で発見されたネアンデルタールゲノムより、クロアチアのビンジャ・ネアンデルタール人ゲノムにより近い。
さらにゲノムを詳しく見ると、1Mbほどの長さの両方の染色体がネアンデルタール人由来の箇所が少なくとも5箇所見つかっており、デニソーワ人の父親にもかなりネアンデルタール人の遺伝子が流入していたことを物語っている。ただ、この父親に流入したネアンデルタール人の遺伝子は、母親のネアンデルタールのゲノムとは異なっていた。おそらくこの子供の時代(9万年前)から遡ること2万年以上前には、デニソーワ人と様々なネアンデルタール人が交流していたという複雑な物語が浮き上がって来た。何れにせよ、なんども両者の交雑は繰り返されているようだ。
以上がデータだが、両方の古代人の直接の子供が発見されたことは、この地域ではネアンデルタールとデニソーワが長く接して暮らし、もともと遺伝的には近い為交雑を繰り返していたことを示唆している。ただ、西ヨーロッパではこのような共存は存在せず、その後現生人類の進出によるまでそれぞれの人類は交渉なく暮らしていた。結局ペーボさんが語るように、競合(戦争)という形で交渉が起こる時に交雑が起こるとのが歴史の法則であることが、ますます明らかになってきたように思える。