2017年12月17日
昨日の自閉症研究でも説明したように、動物実験で明らかになったことを人間で確かめることは簡単ではない。最も大きな困難は、許される実験的操作に限界があることだ。操作や記録のためにメスを入れて体内にアプローチすることは余程のことがないと許されない。さらに、動物なら簡単な細胞を標識して追いかけることも許されないことが多い。それでもなんとか動物実験で明らかになった結果を人間でも確認しようと挑戦が続いている。これも本当は、重要な基礎研究になる。
今日紹介するのは一般的にキラーT細胞と呼ばれるCD8陽性T細胞の反応を、抗原注射以降何年にもわたって追跡し、一度出会った抗原に2度目は迅速に反応できる「免疫記憶」の成立と維持についての研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Origin and differentiation of human memory CD8T cells after vaccination(ワクチン接種後に誘導される人間のCD8陽性免疫記憶T細胞の起源と分化)」だ。
CD8T細胞は拒絶反応やがん細胞に対する免疫反応の主役だが、ワクチン接種後ウイルス感染細胞を除去するのにも重要な働きをしている。この研究では、黄熱病のウイルスの生ワクチンを感染させた正常人の高原特異的CD8T細胞をフローサイトメトリーでカウントする技術を用いて、ワクチン接種後の免疫反応を追跡している。
ただ、CD8T細胞が認識する抗原はそれぞれの人の組織適合抗原(HLA)のタイプによって異なるため、この研究ではHLA-A2を持っている人に限って免疫反応を調べている。
免疫記憶で最も重要な問題は、最初の抗原に反応してCD8T細胞が増えた後何年も維持することができる免疫記憶の維持に細胞の増殖が必要かどうかだ。ウイルス抗原の場合、抗原自体は感染後一定期間で消失する。その時T細胞の増殖を支えるのは何かが問題になる。この疑問に応えるため、動物実験では分裂期のDNAに取り込まれる核酸アナログを使う。しかし、人間では不可能ではないが、難しい。
この研究ではその代わりに、なんと重水を水の代わりに被験者に飲んでもらい、体内の水素を重水素に置き換え、DNA中の重水素の割合で細胞の増殖を検出している。ワクチン接種後2週間重水を飲んでもらうと、その時新たに合成されたDNAは重水でラベルされる。重水を飲むのをやめると、重水素でラベルされたDNAは分裂の度に量が減り続けるが、増殖しないとそのままDNA内に残る。これにより、ワクチン接種直後、あるいは一定時期をおいてから重水を飲んでもらって、その後抗原特異的CD8T細胞のDNAを取り出し重水素の割合を調べることで、いつ細胞が分裂しているかを調べることができる。
詳細はすべて省いて、結果だけを述べると、ワクチン接種後急速にCD8T細胞は増殖するが、この中の一部は遺伝子発現を制御するエピジェネティックス機構を用いて、長期的に続く新しい分化マーカーを発現する細胞へと変化し、組織内で長期に生存することに特化したIL-7, BCL2,CCR7を発現した記憶細胞に分化することで免疫記憶が維持されることを示している。
同じ号のNatureに、このシナリオをマウスで確認した研究も掲載されているが、これらの研究が示唆する結果は、記憶に増殖を繰り返す記憶幹細胞が必要だというこれまでの仮説とは真っ向から対立する。すなわち、人間での様々な制約を受け入れて行う実験でも、モデル動物では見落としていたことを発見できることを示している。
いずれにせよ、ガン免疫についてもこのような研究が進めば、さらに新しい治療法が開発できるだろうし、免疫状態をモニターする事もより容易になるだろう。苦労をいとわず、実際の人間で調べる研究も、重要な基礎研究だと思う。
2017年12月16日
一般的に小脳と聞くと、もっぱら運動の制御や学習にかかわると思ってしまうが、実際には障害されると言語や性格障害が起こることが知られ、大脳皮質とネットワークを形成して大脳の高次認識機構を支えていると考えられている。このことが特に認識されるようになったのが、自閉症スペクトラムのMRI検査で小脳の体積の増加、皮質の灰白質の減少などが高い頻度で見られることが指摘されてから、自閉症スペクトラム諸症状における小脳、特に小脳皮質の関与が注目され始めた。これを裏付けるように、2012年Tsaiらは小脳のプルキンエ細胞でTsc1遺伝子をノックアウトしプルキンエ細胞の代謝が上昇するとマウスで社会性の低下や反復行動が見られるという驚くべき論文を発表した。
今日紹介するワシントンにあるAmerican Universityからの論文は、人間と上に述べたマウスモデルを行き来しながら自閉症スペクトラムへの小脳の関わりを調べた研究で12月号のNature Neuroscienceに掲載された。タイトルは「Altered cerebellar connectivity in autism and cerebellar medicated rescue of autism-related behaviors in mice(自閉症で見られる小脳の神経結合性の変化と、小脳を介するマウスの自閉症様治療)」だ。
研究ではまず、小脳皮質(CrusIと呼ばれる部位)と機能的に結合している脳領域を34人の正常人で調べ、皮質が様々な大脳皮質領域と結合するとともに、これまで自閉症との関わりが指摘されている神経ネットワークが含まれていることを確認する。特に先月紹介したdefault-mode-networkと呼ばれる何もしないでボーとしている時に活動しているIPLと呼ばれる回路との関連に注目している。
次に、右側の小脳皮質を頭蓋の外から電流を流す方法(anodal tDCSと呼ばれている)、小脳皮質と自閉症で変化が見られるIPLの結合性が低下することを見出し、この回路を将来電磁場で操作できることを示している。
次に実際小脳皮質のニューロン(プルキンエ細胞:PN)を操作した時、IPLの変化が起こるのか、マウスを用いて調べ、PNの投射がIPLを抑制的に支配していることを明らかにしている。実際、TsaiらのPNでTsc1をノックアウトした自閉症モデルマウスでは、PNの活動が上がり小脳皮質とIPLの結合が上昇している。また、自閉症の患者さんでも小脳皮質とIPLの結合が上昇している。
そこで、このマウスの神経細胞を直接操作しPNとIPLの結合を高めたり、低めたりする実験系を構築し、高めると自閉症様症状が現れ、一方自閉症モデルマウスで結合を抑えると反復行動は残るものの、社会性が戻ることを示している。
以上の結果は、右小脳皮質とIPLの結合性が高まることが自閉症の重要な変化で、これによりIPLが抑制され、その結果社会性の低下などが現れることを明らかにした。マウスを用いた実験では、この結合性を低下させることで自閉症症状を改善できる。幸い人間でもこの回路は、頭蓋の外側からの電流を流す方法で操作できることから、将来右小脳皮質への電磁場照射による自閉症の治療が可能かもしれない期待を持たせる。
2017年12月15日
神経幹細胞から新しい神経細胞が供給されていても、神経細胞の大部分は発生過程で出来た後は増殖が止まったまま百年近く生き続け、働いている。しかも、他の細胞と比べると、興奮により細胞質内環境の大きな変化が起こると同時に、恒常性を維持するために高い代謝活性を維持し続けなければならない。当然細胞には様々な不具合が蓄積するはずで、次世代シークエンサーが開発されてから、脳のニューロンに年齢とともに突然変異が蓄積するのではないかという証拠が出始めていた。しかし、体細胞に起こる突然変異は個々の細胞ごとに異なるため、どの程度の突然変異が蓄積するのか、またその原因は何かなどを知るためには、単一細胞のゲノムを調べる必要がある。
今日紹介するハーバード大学からの論文は年齢の異なる人間の凍結脳組織から単一の核を取り出し全ゲノムを解読し体細胞突然変異の蓄積を調べた研究でScienceオンライン版に先行掲載された。タイトルは「Aging and neurodegeneration are associated with increased mutations in single human neurons(老化と神経変性は個々のニューロンでの突然変異の増加と連関している)」だ。
この研究では正常人とともにDNA修復機構の変異を持つコケイン症候群及び色素性乾皮症の患者さんのそれぞれ死後脳から単一の核を単離し、細胞ごとの全ゲノム解析を行って、同じ人と平均ゲノム配列と比べた時の変異を特定し、年齢とともに突然変異が蓄積するのか、DNA修復機構の異常で増殖しないニューロンにも変異が蓄積しないのかなどを調べている。
単一細胞の全ゲノム解析が可能になった背景にはΦ29DNAポリメラーゼによりPCRを使わずDNA増幅が可能になった技術進歩がある。この酵素は、DNA合成を行うと自然に2重鎖の脱分枝が起こり、増幅が繰り返される。また合成のエラーが少なく普通のTaqポリメラーゼの100−1000倍は正確だ。さらにポリメラーゼの間違いと体細胞変異を区別するソフトウェアも開発することで、単一細胞の全ゲノム解析が可能になっている。
結果は予想通りで、DNA修復異常のある患者さんでは突然変異の蓄積が約2倍程度高い。しかし正常人でも年齢とともに突然変異の数は増え、20歳と90歳を比べると3倍多くの変異が見つかる。絶対数でいうと、40−50歳では1000-2000個の突然変異が新たに蓄積する。
この研究が示した重要な点の一つは、場所によって突然変異の蓄積スピードが違うことだ。例えば前頭前皮質では、中年で1000箇所だが、歯状回で2000箇所程度になる。このように増殖しないニューロンでも、場所に応じて変異の数が異なるのは神経活動が場所によって異なることを示しているのだろう。
もう一点面白いのは、増殖時のエラーとして起こるCからTへの変異は20歳以降低下するが、DNA損傷によるTからCへの変異は逆に増加する点だ。また老化の原因として心配されている酸化ストレスによる損傷を示唆するCからAへの変異も見られるが、増加の主原因ではなさそうだ。
話はここまでで、細胞が増殖しなくとも変異は着実にゲノムに積み重なっていくという話だ。一つ気になったのは、2015年6月このブログで紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/3560)、神経細胞が興奮するとDNAが切断されるという話が全く考慮されていない点だ。著者らはこの仕事をガセネタと考えているのか、あるいは2重鎖切断のあとは今回のアッセーでわからないからか、ちょっと気になる。いずれにせよ、今後頭を使ったほうがいいのか、ボーと過ごしたほうがいいのか、答えが出てくるのはすぐだろう。一細胞ゲノム解析もここまで来たかと感慨が深い。
2017年12月14日
なんども紹介してきたように、私たちのゲノムは核の中で一種の設計図に基づいて折りたたまれ、また互いに相互作用しあう範囲を制限することで、無関係のエンハンサーの影響を抑止している。この折りたたみ機構には、TADと呼ばれる領域を決めるCTCFと、DNA同士を接近させルーピングさせるcohesinが重要な役割を果たしている。これら分子の結合部位とDNAどうしの3次元上での距離を調べると、ゲノムが核の中でどう折りたたまれているかを見事に描くことができる。この折りたたまれたゲノムのモデル図を見るたび、この分野の急速な進展を実感する。
さて、このTADの中ではプロモーターとエンハンサーが相互作用して特定の遺伝子の転写が行われるが、この領域内で両者が相互作用するのは、エンハンサー分子と転写開始分子複合体が自然に集まるためかと思っていた。
今日紹介するこの分野の大御所Richard Youngの研究室(マサチューセッツ工科大学)からの論文は、プロモーターとエンハンサーが領域内で相互作用するためにはYY1が必要であることを示した研究で1月11日に発行予定のCellに掲載された。タイトルは「YY1 is a structural regulator of enhancer-promoter loops(YY1はエンハンサーとプロモーターのループ構造を調節する分子)」だ。
このYing Yang(陰陽)と名前の付いた分子は、転写の調節因子として長年研究されているが、遺伝子により発現を促進したり、抑えたりするので陰陽などという名前がついたのではと想像している。遺伝子の量が減ると脳の発達障害が起こるし、逆にガンでは増えることがわかっている。
この研究の本来の目的はYY1の機能解析ではなく、TAD内でそれぞれ離れているプロモーターとエンハンサーが集合する分子メカニズムを明らかにすることだ。両者を橋渡しする分子を探す目的で、エンハンサーの標識としてのアセチル化H3K27、プロモーターの標識としてのH3K4me3を用い、両者が集まったゲノム領域を免疫沈降させた時に一緒に沈降してくるタンパク質を特定している。こうして特定された26種類のタンパク質から、クリスパーを用いてノックアウトを行い、細胞生存に必須の分子を絞り込み、最終的にCTCFと共にYY1がエンハンサ−/プロモーター両方に結合している分子として特定している。
エンハンサー(E)とプロモーター(P)を集めてくる分子としてYY1が特定されたことで、この研究のほとんどは終わっている。あとは、様々な細胞で実際にE/PにYY1が結合していること、YY1結合配列を持つDNAに加えるとYY1が2量体を作ってE/Pを会合させることができること、YY1結合配列がないとE/Pが会合できないことを確認した後、ES細胞内でYY1を分解させて細胞分化への影響を調べている。
YY1が存在しないと、ES細胞内でE/Pのループが形成されないため全く分化が起こらない。最後に、YY1結合配列の突然変異をクリスパーで元に戻す実験系で、細胞内でのE/P結合にYY1結合配列が必須であること、そしてYY1を分解させたES細胞でもYY1遺伝子を発現させると、E/P結合が元に戻ることも示している。
多彩な方法を駆使した、さすがこの分野の大御所の研究室だと感心した。また、個々の遺伝子の転写についてではなく、全ゲノムレベルで調べて初めてYY1の機能が見えてくることもよくわかった。CTCFとCohesinにYY1が加わったことで、クロマチンの3D構造再構成により細胞の状態を予測するゴールにまた一歩近づいたと実感した。
2017年12月13日
タイトルを見てもその意味がすっと頭に入ってこない論文があると、ある意味ショックを感じる。今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文のタイトルに含まれているdelay discounting(遅れることを安く見積もる)がまさにそれにあたる。タイトルは「Genome-wide associated study of delay discounting in 23,217 adult research participants of European ancestry(ヨーロッパ出身の研究参加者23217人の中に見つかるdelay discountingの全ゲノム関連解析)」で、Nature Neuroscienceオンライン版に掲載された。
タイトルからわかるのは、delay discountingという状態の人のゲノムを調べた研究だが、肝心のdelay discoutingが正確に何を意味するかは調べるまで全くわからなかった。いろいろ調べてみると、後々の効果より現在の欲望を優先することのようで、例えば今ここにあるケーキを食べると、後々の健康に問題があることがわかっていても食べてしまうことを指すようだ。目の前のケーキを我慢できるかだけを取ると、私自身、delay discountingに分類されることになる。要するに、長期的視点が持てないことだが、もちろん今ケーキを食べるのを我慢できるのかは一つの例で、この研究ではアンケート調査を行いdelay discountingの程度を洗い出している。具体的には、今14ドルもらうか、19日後に25ドルもらうかどちらがいいか、あるいは今25ドル、14日後に60ドルのどちらがいいかなど、様々な比較をもとにDD度を判断している。
このテストを受けた23127人について、delay discounting(DD)がどのような病気と相関するのか、あるいはどの遺伝子多型と相関するのか、ゲノムのSNP検査を提供している232&Meと提携して調べている。
まずDDと病気の関連を調べると、肥満、喫煙と強く相関する。要するにDDは意志が弱いことと相関する。しかし、酒の消費やアルコール症とはあまり関係がない。肥満はともかく、これを聞くと自分はかろうじてDDではないなと安心する。さらに疾患との相関を調べると、うつ病やADHD(注意力欠如・多動性障害)が強く相関するが、双極性障害や、統合失調症は特に相関はない。
さて、この性質に関わる遺伝子多型が見つかるかが次の問題だが、X染色体上に存在するG6M6B遺伝子(セロトニントランスポーターの細胞内への取り込みに関わる)のイントロンに存在する多型rs6528024と強く相関することが明らかになった。セロトニンの発現はうつ病の発生と重要な相関があるので、自殺したうつ病患者さんの脳を調べると、確かにGPM6Bの発現が低下しており、DDとうつ病の相関を考えると、納得できる結果だ。
まとめてしまうと
1) いわゆるDTCと呼ばれている遺伝子検査サービスを使うと、DDのような性格についての遺伝子解析が容易に行えること、
2) DDがうつ病と強く相関していること、
3) 統合失調症と相関すると言われているADHD患者さんのDD度を調べることで、2タイプに分類可能なこと、
4) 生物学的にも意義が明瞭な遺伝子の多型と関係していること、
になる。
個人的にはDelay discountingという単語を学んだ以外は、それほど面白い仕事とは思えないが、DDがうつ病と相関するとすると、実際にはどう訳すべきか迷ってしまう。よく言えば「今を大事にする」だし、悪く言えば「計画性がない」になるだ。一つはっきりしていることは、選挙のためだけを考えバラマキ政策を続ける今の政治家は全てdelay discountingと言えるが、到底うつ病になるとは思えない。
2017年12月12日
今日紹介するロンドン大学からの論文は、昨日と同じで読んだ時信じがたい印象で、しかも老化防止という多くの人が興味を持つテーマだったので、誤解を招くかもしれないと紹介を躊躇していたが、線虫とショウジョウバエの話として聞いてもらおうと1週間遅れで紹介することにした。タイトルは「RNA polymerase III limits longevity downstream of TORC1(RNAポリメラーゼIIIはTORC1の下流で寿命を制限している)」で、11月29日号のNatureに掲載された。
寿命の研究は、決して高等動物だけで行われているわけではなく、線虫やショウジョウバエは言うに及ばず、酵母を用いても行われている。そして、酵母からショウジョウバエまで共通に寿命を延ばすことのできる夢の薬がラパマイシンで、この薬剤は1970年代石像で有名なイースター島で分離された細菌から発見された。ラパマイシンがFK結合タンパク質と結合すると、あらゆる真核生物に存在するTORC1分子の活性を落とすことから、ラパマイシンの夢の作用はTORC1を介していることがわかる。ただ、TORC1は栄養状態を中心に環境の様々な刺激に応じて活性化され、増殖など細胞の基本的機能の調節を担う中心分子だ。その作用は様々な分子経路に及ぶため、一言でまとめるのは難しいが、誤解を恐れず単純化すると発生から発達段階では細胞の増殖調節に関わり、増殖が止まる成体では老化促進に働いていると言えるかもしれない。
この研究では、RNAポリメラーゼ III(Pol III)がTORC1により直接調節されていること、及びTORC1が成体では老化防止に関わることから、一種の3段論法から Pol IIIが老化に関わるのではないかと着想し、酵母のPol IIIを人工的に分解する方法でタンパク質量を低下させると、期待通り寿命が本当に伸びることを示している。
実際この実験は発想自体も驚きで、というのもPol IIIはtRNAと5SrRNAの転写を受け持つ生命に必須の酵素で、十分量ある方が普通はいいと思ってしまう。いずれにせよ酵母で期待通りの結果が出たので、次に線虫のPol IIIをRNAiで抑える実験、さらに片方の染色体のPol IIIを欠損させたショウジョウバエを用いた実験から、Pol III の発現が低下すると(完全欠損ではもちろん死ぬ)寿命が延びることを明らかにしている。
次の実験も思考のジャンプが大きい印象だが、個体の寿命に最も関係する組織は腸管と決めて、線虫の腸管細胞、あるいはショウジョウバエの腸管でPol IIIの発現を低下させる実験を行い、予想どおり腸管細胞でPol IIIを抑えるだけで寿命が延びることを示している。
これらの結果は、少なくとも線虫、ショウジョウバエの個体の寿命は腸細胞の寿命によって決まっており、tRNAの発現を抑えてタンパク質合成をほどほどにすることで、腸管の状態を若々しく保つことで、個体の寿命を延ばすというシナリオを示唆している。このシナリオをさらに確認するため著者らは、ショウジョウバエではタンパク質合成がほどほどだと、腸管でタンパク質代謝の恒常性が乱されにくく、また腸のバリアーが安定に維持されることも示している。
着想はかなり突拍子もないように思えたが、ラパマイシン、TORC1阻害による寿命の延長の大半が、腸管でのPol IIIの発現減少の結果である可能性は納得してしまった。あとは、人間でどうかだが、いくら副作用が強くないとはいえ、やっぱりラパマイシンを飲み続けるのは抵抗がある。
2017年12月11日
研究の着想は論理的に思えるかもしれないが、あまり論理的ではない思い込みを確かめて勝負していると思える論文も数多くある。このような論文ではイントロダクションでもっともらしい理由が並べられるが、読んでいる方も騙されている気がする時がある。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文ではガン細胞が骨髄に働きかけて自分の増殖を助けてくれる白血球をリクルートするという信じられないような話で12月1日号のScienceに掲載されている。タイトルは「Osteoblasts remotely supply lung tumors with cancer promoting siglecF neutrophils(骨芽細胞は肺ガンへガンの増殖を促進するSiglecF高発現の白血球を供給する)」だ。
いろいろ最初に理由が述べられているが、結局は普通では考えない可能性を思いついたことが発端で、あとは納得出来るだけのデータが示せるかが勝負になる。
この研究はまず肺ガンによって骨髄の造血環境が変化するという着想を確かめるところから話が始まる。アデノウイルスを用いてCre-遺伝子組み換え酵素を気管に注入してガンのドライバーK-rasを活性化するとともに、ガン抑制遺伝子p53を欠落させる実験系でガンを誘導し、ガン発生により起こる骨髄の変化を、標識したbisphosphonateの結合でモニターしている。すると、期待通りに(?)ほぼ全ての骨で骨梁が増加し、骨形成が促進することを明らかにしている。また、これがマウスだけの特殊な現象でないことを確かめるため、ヒトの腺癌の患者さんの骨髄のCT検査を行い、マウスと同じように骨髄の骨梁が増加していることも確かめている。
次に、この骨梁増加が骨芽細胞の活性化に起因することを確認した後、骨髄での変化が腫瘍の増殖と強く相関することを明らかにしている。すなわち、最初着想したように、ガンの発生により骨髄での骨形成がリプログラムされ、これが回り回って腫瘍の増殖を促進しているという可能性が示されたことになる。
次の課題は、骨髄の変化と腫瘍増殖の促進をつなぐメカニズムを特定することだが、肺ガン組織に多くの好中球が浸潤していることをヒントにして、この好中球の中に抗がん作用ではなく、ガン増殖促進に働く集団があると予想し、肺ガン組織にはSiglecFと呼ばれる分子を発現する好中球の数が、ガンによって誘導される骨髄の変化に応じて著しく増加していることを発見する。
このSiglecF強陽性の細胞の遺伝子発現を調べると、ガンの増殖に関わる多くの分子の発現が上昇している。また、この集団をガン組織から分離して担ガンマウスに移植するとガンの増殖が高まる。さらに、ヒトの肺ガン組織の遺伝子発現を調べ、SiglecFの発現が高い患者さんでは予後が悪いことも確認している。
ここまでは着想通りに話が進んでいるが、最後にガンにより誘導される骨芽細胞の細胞変化のキーマンを特定することが必要になる。試験管内での骨芽細胞増殖を指標に担ガンマウスの血清を探索し、ガンから分泌されるRAGEと呼ばれる骨芽細胞の刺激因子がこの現象の誘導因子であることを示している。
まとめると、通常骨髄で作られる好中球はSiglecFの発現が低いが、ガンができるとRAGEが分泌され骨芽細胞を活性化、これにより骨髄から多くのSiglecF高発現の好中球が生産され、これがガン組織でガンの増殖を助けるというシナリオだ。
読んでいてコンセプト先にありきという印象の強い論文で、RAGEやCXCR2をブロックすることでガンの増殖を抑えることが示されないと、やはりにわかには信じられないのは私だけだろうか。
2017年12月10日
多くのトップジャーナルでは論文の査読過程で編集者は大きな権限を持っている。このため、編集者が一般向けに面白いと判断した論文は、レフェリーの厳しい意見(おそらく最初は極めてネガティブな)を経ながら、なんとか雑誌の基準を満たすところまで引き上げてもらえる場合がある。その場合は投稿から掲載までに時間がかかる。
今日紹介するチェコPalacky大学、デンマークがん研究センター、そしてカリフォルニア工科大学からの共同研究は、投稿から採択まで2年を要しており、最近話題になっている禁酒剤ジスルフィラムの抗がん作用の生化学についての研究で12月6日号のNatureに掲載された。タイトルは「Alcohl-abuse drug disulfiram targets cancer via p97 segregase adaptor NPL4(禁酒剤ディスルフィラムはp97セグリガーゼのアダプターNPL4を介して抗がん作用を発揮する)」だ。研究自体は特に驚くほどではないため、おそらくレフリーは採択にネガティブだったのだろう。ただ、ジスルフィラムの抗がん作用は最近注目されてきたことから、なんとか採択にこぎつけたように思う。
ディスルフィラムはアルコールでハイドロゲナーゼの作用を抑制し、悪酔いを起こさせることでアルコールを嫌にさせる禁酒剤として現在広く使われている薬剤だ。名前の通り硫黄を多く含む化合物で、タイヤに硫黄を加える作業過程に従事する労働者が悪酔いすることに気づいて開発され、70年近く処方されてきた歴史ある薬剤だ。ところが最近、ディスルフィラム(DSF)に抗がん作用があることがわかり、肝臓癌に対する治験が始まるなど注目されている。
この研究では、アルコール中毒でDSFをかって投与された人と、今も飲み続けている人を比較し、飲み続けているとガンの発生が著明に低いことを示すところから始めている。ただ、正直医療統計学的にはもう少し詳しい検討が必要だろう。
いずれにせよ、DSFには抗がん作用があるということで、あとはそのメカニズムを探索したのがこの研究だ。まずガン移植モデルにDSFを投与する実験を行っているが、確かによく効いており、また人間にすでに何十年も使われていることから、抗がん剤の候補としては可能性が高い。
あとはガンの細胞株を用いて、DSFを銅イオンと結合させ活性化させたCuETの直接のターゲットがNPL4と呼ばれるセグリガーゼで、この阻害により分子シャペロンp97の活性が阻害され、これまでp97-Ubfl1-NPL4経路として知られてきたタンパク質の分解経路が止まり、小胞体内でのタンパク質の分解、ERストレス、ヒートショック反応などが起こって最終的に細胞死に至るという経路を明らかにしている。しかし実験自体は、堅実な生化学で、特に驚くほどのことはない。おそらくこれだけでは論文は採択されなかっただろう。
ただガン治療の新しい薬剤としては希望の「旧人」と言ってよく、そのメカニズムが明らかになった意義は極めて大きい。現在骨髄腫治療の最も重要な薬剤としてプロテアソーム阻害剤が使われているが、これとは異なるタンパク質分解経路を標的とする治療薬としてDSFは期待したい。とはいえ、50年以上、これほど効果の高い薬剤が、禁酒薬としてだけ使われてきたのにも驚く。なぜガンにより強い効果があるのかについても知りたい。
2017年12月9日
このブログで紹介した論文を「遺伝子治療」をキーワードに検索すると38編リストされる。ほぼ4年このブログを書いているので、年に10編のペースだ。そしてそのほとんどで、アデノ随伴ウイルスベクター(AAV)が遺伝子の運び屋として使われている。
遺伝子治療には外来遺伝子をホストのゲノムに組み込ませて一体化させる方法と(エイズウイルスと同じ種類のレトロウイルスが用いられる)、ゲノムはできるだけ変化させず、必要な遺伝子をウイルスベクターとともに細胞内で増幅して分子を供給する方法に大別される。特に安全性の高いAAVが開発されて、遺伝子治療が急速に現実のものとなった。
世界中の臨床治験が登録されているClinical Trial Governmentを調べると、現在89のAAVを用いた治験が進んでいる。ざっとカウントしただけで正確ではないが、そのほとんど(61)は米国で行われており、あとは英国(9)、フランス(6)中国(4)と続き賑わいを見せている。ちなみに我が国はと見ると、一件だけ自治医大のパーキンソン病治療が登録されているだけで、出遅れが甚だしい。遺伝子治療を待ち望まれている患者さんに聞かれると、「開発は米国を中心に大きく進んでいるので、我が国の状況を気にしないで、現在登録されている治験の結果を待ったらどうですか」と申し上げることにしている。
万能のように思えるAAV遺伝子治療だが、大量の分子の供給が必要な病気、例えば血中の凝固因子が欠損する血友病では、必要なレベルの凝固因子を供給できないことがわかってきた。これを克服しようと、大量のウイルスを注射すると、免疫のできにくいAAVでも感染した細胞への反応が起こることもわかってきた。今日紹介するフィラデルフィア小児病院からの論文はAAVを用いた血友病の治療だが、正常の第9凝固因子遺伝子ではなく、正常の8倍凝固活性が高い突然変異型の第9因子遺伝子を組み込んだAAVを用いて、ウイルスの限界を超えられないか行った治験で、12月7日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Hemophilia B gene therapy with high-specific activity factor IX variant(高い活性を持つ第9因子変異体によるB型血友病の治療)」だ。
この研究の最大の目的は、凝固しやすい変異型第9因子が副作用なく長期間機能してくれるか調べることだ。治験では、凝固活性が正常の2%以下の重症の患者さんを選び、正常の第9因子遺伝子では長期効果が期待できない量のベクターを静脈に一回注射している。
詳細を省いて結果をまとめると、ほとんどの患者さんで凝固活性が正常の35%近くにまで回復し、少なくとも1年近くは治療効果が維持される。この結果、患者さんは出血の心配や、凝固因子の点滴から解放されるという結果だ。また、固まりやすい分子でも血中の濃度が低いため心配される副作用はほとんどないという結果だ。時間はかかるだろうが、臨床で用いられる可能性は高い。現在凝固因子を注入する治療は膨大な医療費が必要だ。その意味でも今回の治験の意味は大きい。
この研究は遺伝子治療のさらなる可能性を示したと思う。すなわち、治療効果を遺伝子自体を改良することで、ベクターはそのままで高められることを示した点だ。少量のウイルスで高い効果を得る研究が加速するだろう。AAVは組み込む遺伝子の制限はあるが、同じ枠組みで遺伝子だけを変えることで、個別の要求にも対応できる。すなわち、患者さんに合わせた治療が可能だ。とするとClinical Trial Governmentに登録された我が国の治験が1件というのは寂しい。企業だけに頼らず、研究者と患者さんが一緒に取り組み仕組みが今後必要だと思う。
2017年12月8日
基礎研究の重要性が議論になっているが、実際には何が基礎で、何が応用かを決めることは難しい。要するに基礎研究というのは、個人の興味とアイデアで自由にテーマを選べることが重要で。もちろん、それが臨床応用に関わっていてもいいと思う。とは言え、個人の興味でやっている話を、患者さんのためとリップサービスするのは慎んだ方がいい。
一方、優秀な人材に、政府や患者さんが解決して欲しい問題を提示して、それを研究してもらう仕組みも重要で、この場合論文を書くより、提示された問題を解決することが優先される。従って、論文の数や特許の数だけで成果を判断するのはもってのほかになる。というのも、論文を書くより難しい問題が実際の医療には横たわっており、このような科学以外の問題も含めた解決が要求される。
最初、アルツハイマー病の新しい治療法の論文かと思って読み始めた今日紹介するローザンヌEPFLからの論文読んでいて、こんなことを考えてしまった。
アルツハイマー病でもミトコンドリアの蛋白合成系の異常によるストレスが関わっていることを示そうとした論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Enhancing mitochondrial proteostasis reduces amyloid-β proteotoxity(ミトコンドリアのタンパク質の恒常性維持機能を高めることでアミロイドβの毒性を弱めることができる)」だ。
研究は最初からアルツハイマー病(AD)でもミトコンドリア異常があるはずと決めて始めているようだ。ミトコンドリアの異常による脳の変性疾患にパーキンソン病があり、ADもその可能性があると考えるのは何の不思議もない。
AD脳の遺伝子発現を調べることができるデータベースをまず探索し、ミトコンドリアの酸化ストレス、あるいはタンパク質の折りたたみの異常によるミトコンドリアのストレスを示す分子の発現が上昇し、ミトコンドリアが分解されるマイトファジーに関わる分子も上昇していることを確認する。さらに、このデータベースからの結果を、実際の患者さんの脳組織についても確認している。詳細を省いてまとめると、ADもミトコンドリアストレスによる病気だと結論している。
もちろん結論するのは自由だが、これが実際のADで働いており、治療標的になりうることを示すのは簡単でない。この点でこの研究はかなり問題があるように感じる。すなわち、ミトコンドリアストレスを調べるため、アミロイドβが細胞質で高発現するマウスモデルや、細胞モデル、さらには線虫モデルを使ってこの概念を証明しようとしている。しかし、使われたモデルは遊離したAβを細胞内で発現させるモデルで、タンパク質の凝集による細胞内ストレスを一般的に研究するには問題ないが、アルツハイマー病モデルとして適切かどうか、かなり疑問を感じる。細胞内でタンパク質を沈殿させる系でアルツハイマー病の治療開発と言いたいなら、まだTauタンパク質でやった方がいいのではないだろうか。
研究では、細胞内Aβを沈殿させるモデルを用いて、ミトコンドリアのタンパク質代謝の恒常性が、Aβの凝集に関わる最も重要なプロセスで、この過程を障害すると細胞死は進み、逆に促進するとタンパク質の凝集が阻害され、病気を抑えられるので、この過程を操作することでADの進行を遅らせる可能性について、例えばミトコンドリアの活性を上げる恒常性維持を助けることから老化防止に使われるニコチンアミドリボサイドを投与する実験で示している。
ひょっとしたらプロはもっと重要なことをこの研究に見ているのかもしれない。しかし、専門外の私から見ると、結論はミトコンドリアのタンパク質の恒常性の維持がタンパク質の凝集による細胞編成に関わるという話にすぎず、ニコチンアミドリボサイドが細胞死抑制に効果があると示されても、これをADの患者さんに朗報として届ける気にならない。
最初書いたように、興味の赴くまま自由に研究を行うのは大事だ。しかし、それを特定の病気のための研究とこじつけて誘導するのは問題がると思う。この研究は、私にはだいぶこじつけに見えた。もちろん、NatureのArticleとして掲載されるのだから、専門家の批判を受けているはずで、私が気がつかない重要性があるのかもしれないが、論文からは明確には伝わってこなかった。