5月20日:通説を調べてみる(The British Journal of Nutrition, 115:1616, & The Journal of Allergy and Clinical immunology オンライン版)
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5月20日:通説を調べてみる(The British Journal of Nutrition, 115:1616, & The Journal of Allergy and Clinical immunology オンライン版)

2016年5月20日
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   私たちは様々な通説に囲まれて生きている。子供の頃なんども耳にした「甘いものばかり食べたら虫歯になるよ」という、科学的根拠のある話から、「食べてすぐ横になると太る」と言った、誰が確かめたかわからない話まで、内容は多彩だ。今考えても、確かに横になると肝血流量が増えるので、何か影響が出そうだが、やはり統計的に確かめないと正しいかどうかわからない。問題は、いわゆる健康法や健康食品の多くはもっともらしい通説に頼っていることだ。どれを信じていいのか、結局科学的調査を待つしかない。
  今日最初に紹介する英国からの論文は、「遅い時間に夕飯をとると太る」という通説を調べた研究でThe British Journal of Nutrition 115:1616に掲載された。タイトルはズバリ「The timing of the evening meal:how is this associated with weight status in UK children(夕飯の時間:英国の児童にどのような影響があるのか?)」だ。
  研究では4−10歳の児童768人、11−18歳の児童852人に4日間食事日記をつけてもらい、8時以降に夕飯をとる児童と、それ以前にとる児童で肥満度を比べている。他にも栄養摂取量など詳しく調べているが、結論は夕飯が遅くとも、児童に関しての肥満度の差は確認できないことが明らかになった。
   もう一編のロンドン大学からの論文は水道の水に含まれるカルシウム濃度とアトピーの発生率を比べた論文で、The Journal of Allergy and Clinical Immunologyオンライン版に掲載された。タイトルは「The association between domestic water hardenss, chlorine and atopic dermatitiss in early life: a population-based cross sectional study(家庭の水道の硬質度や塩素濃度とアトピー性皮膚炎:地域別横断的研究)」だ。
  硬水を使っているとアトピーになりやすいという可能性は考えたことがなかったが、これまでも問題にされて来たようで、大人については我が国からの研究も発表されている。ただ、ひふのバリアーが完全でない乳児についてこれを調べた研究はなかったようだ。この研究では、1303人の3ヶ月児をリクルートし、診断基準に従ってアトピー性皮膚炎に罹患しているかどうか調べている。他にも、皮膚からの水分蒸発度を調べたりして、皮膚のバリアー機能を測定している。その上で、それぞれの住む地域の水道データから炭酸カルシウム濃度と塩素濃度を割り出し、アトピー性皮膚炎と水道水の硬度との関係を調べている。
   結論だが、この通説は正しいようで、水道水の炭酸カルシウム濃度や塩素濃度が高い地域では、アトピー性皮膚炎が優位に増加している。最近出産時にワセリンを塗ることでアトピーの発症を著明に抑えられることが報告され、乳児期に皮膚のバリアーを守ることの重要性が明らかになっている。その延長で考えると、硬水で体を洗うことで、知らず知らずのうちに皮膚のバリアーを壊しているのかもしれない。
   17世紀からの哲学を追いかけていると、イギリス経験論の実証性が大陸の哲学者に大きなインパクトを与えたことがよくわかる。この通説を信じず、自ら確かめる精神がイギリスには生きていることが、これらの論文を読んで改めて実感した。
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5月19日:変わった生物の進化(5月23日号Current Biology, 5月17日号Nature Communication)

2016年5月19日
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   現役の頃はもっぱらマウスを用いて実験を行っており、様々な動物についてあまり知る機会もなかった。しかし引退して分野を問わず論文を読むようになってからは、世界中には様々な変わった動物が存在し、その進化をなんとか説明しようとしてゲノムを調べている人たちがいることを知るとともに、このホームページでもできるだけ紹介していきたいと思っている。今日はそんな論文を2編紹介する。
  最初はポーランド・ワルシャワ大学とチェコ・カレル大学からの論文で、、ミトコンドリアを完全に失ったMonocercomonoidesと呼ばれるトリコモナスに近い真核生物がいることを証明した研究だ。タイトルは「A eukaryote without a mitochondrial organelle (ミトコンドリアのない真核生物)」だ。
   真核生物の特徴の一つはミトコンドリアを持っていることだが1980年、一部の真核生物はミトコンドリアを始め様々なオルガネラが欠損して、アルケアに近いと考えるArchezoa説が唱えられた。しかし、ミトコンドリア関連オルガネラの存在がみつかり、この説は形態的にもゲノム的にも間違っていることが証明されて、すべての真核生物はミトコンドリア、あるいはミトコンドリア関連オルガネラを持つという命題が受け入れられてきた。
   この研究ではMonocercomonoidesの全ゲノムを解読し、この生物にミトコンドリアはおろか、ミトコンドリアを特徴付ける分子がほぼ完全に欠損していることを明らかにした。すなわち、ミトコンドリアもミトコンドリア関連オルガネラも存在しない真核生物が存在しうることが示された。
   研究ではまず、Monocercomonoidesゲノム中に現存の真核生物のミトコンドリアに存在する分子の特徴を持つ分子が完全に欠損していることを確認している。その上で、エネルギー生産は嫌気的なグリコリシスで行われること、そして鉄硫黄タンパク質合成系のCIS経路は全く存在しない代わりに、原核生物の持つSUF系を導入して細胞質でFe-Sアッセンブリーを行っていることを明らかにしている。
  この結果から、Monocercomonoidesはもともとミトコンドリアを持つ完全な真核生物だったが、嫌気環境に適応してミトコンドリアを消失。同じ環境の多くの生物はFe-Sアッセンブリーのためにミトコンドリア関連分子を保持し、2重膜を持つミトコンドリア関連オルガネラを持つようになったが、Monocercomonoidesだけは原核生物から獲得したSUF系のおかげでミトコンドリア関連オルガネラも完全に消失することができたというシナリオだ。必要なくなればミトコンドリアといえども完全に消し去るのが生物だ。
   もう一編のタンザニア、ケニア、アメリカからの共同論文は進化研究の定番「キリンの首はなぜ長い?」についての研究で5月17日号のNature Communicationに掲載された。タイトルは「Giraffe genome sequence reveals clues to its unique morphology and physiology (キリンのゲノムはその特異な体型と生理の手がかりを与えてくれる)」だ。
   この定番ともいうべきキリンのゲノムがまだ解読されていなかったのは驚きだが、研究ではマサイキリンと首のまだ短い仲間オカピの全ゲノムを解読し、この疑問に答えようとしている。キリンとオカピは他の有蹄類から2800万年前に分離し、オカピとキリンは1100万年前に分離している。研究ではキリンへの進化で大きく変化した遺伝子を拾い出し、それぞれの分子の機能を調べ、形質の変化と対応させるという手法を用いている。
   結論としては、幾つかの鍵となる分子を中核として多くの遺伝子が並行に変化することでキリン特有の骨格が生まれるという常識的なものだ。ただこの中から変化の鍵として提示している分子は確かに面白い。骨格でいえばFGF受容体と拮抗する阻害分子FGFRL1が大きく変化している。FGFシグナルを阻害すると鶏の首が伸びること、あるいはこの突然変異で骨格の大きな変化が起こることが知られており、この分子の変化を皮切りに様々な分子が並行進化するというシナリオはわかりやすい。他にも、長い首の先にある頭に血液循環を維持するための血圧維持機構に関わる分子の変化が集積していたり、あるいはキリンで多くの染色体が融合した原因になったと考えられるMDC1分子の大きな変異の発見など、いろいろな課題を拾うことができている。
  ただ残念ながらゲノム解析ともっともらしいシナリオだけでは、トップジャーナルにゲノム研究を掲載するのが難しくなっている。今回得られた課題を遺伝子編集を用いてマウスに導入することで、首の長いマウスを作ることが要求されるだろう。
「首の長いマウスが生まれるのを首を長くして待とうと思っている」
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5月18日:スタチンは万能薬か?(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2016年5月18日
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  病気になる前から、生活習慣病リスクの高い人に予防的に低用量の薬剤を長期間投与することが米国では真剣に検討されている。これまでその中心はアスピリンだったが、最近の論文では、高脂血症に使われるスタチンが、心臓発作による死亡を確実に低下させることがわかり、予防薬としての重要性が急速に増してきているように感じる。
   今日紹介する西オーストラリア大学からの論文もスタチンの多様な作用を示す研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Pravastatin ameliorates placental vascular defects, fetal growth, and cardiac function in a model of glucocorticoid excess (プラバスタチンはグルココルチコイド過剰モデルによる胎盤血管形成異常、胎児発育異常、心機能異常を軽減させる)」だ。
  1年もしない間に3Kg以上の細胞塊が形成される胎児発生では、胎盤と胎児の増殖を厳密に調節する必要がある。この増殖期から分化期へのスイッチに、胎児と胎盤でのグルココルチコイドの濃度上昇が関わることが知られている。したがって、増殖期の胎児胎盤のグルココルチコイド濃度は低く保たれる必要があり、この調節に母親からのグルココルチコイドを不活化する酵素HSD11b2が関わっている。
   このグループは増殖期のグルココルチコイドの影響をHSD11b2遺伝子ノックアウトマウスを用いて調べていた。この分子が欠損したマウスでは予想通り、臍帯血の血流が低下し、胎児発生が阻害される。この原因を調べていくと、胎児の心臓がまだ十分な大きさに達する前に分化が進んでしまうことがわかった。もちろん他にも様々な影響はあるが、グルココルチコイドの上昇による胎児発生異常の最も重要な原因が、心臓の発達異常にあると結論づけている。
   ここでスタチンを選んだ理由が私にもよくわからないが、唐突にスタチンでこの異常が防げないかという実験が行われる。マウス胎児発生6.5日目から17日目まで、メバロチンを母親に投与すると、驚くことにHSD11b2欠損マウスの胎児発生異常を予防することができた。すなわち胎児や胎盤の重さも正常化し、臍帯血の血流も正常化している。
  そしてグルココルチコイドで異常が起こった心臓の遺伝子発現のうち、アンジオテンシン転換酵素やコラーゲンの発現を正常化することがわかった。とはいえ、まったく影響を受けない遺伝子発現もあり、スタチンの効果のメカニズムの全像が分かったとは到底言えない。しかし、もともと妊娠時には避けなければならないとされているスタチンが、成長から分化へのスイッチの異常をなんとか取り繕っているという結果は面白い。結局メカニズムはよくわからないまま終わっている論文だが、現象の面白さで採択されたのだろう。
   このホームページでも、スタチンの意外な効果を紹介してきた。例えば多発性硬化症に対する効果がその例だが、理由は後にして、とりあえずスタチンの効果を調べてみても、バカにされないで済む時代がきているのではないかと思える。
   アスピリンと同じように、「困った時のスタチン」と言える安価な保健薬としてスタチンが定着するようになれば、ノーベル賞の声が聞こえるような気がする。
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5月17日;ガン細胞を守る間質細胞(5月19日号Cell掲載論文)

2016年5月17日
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    現在多くのがんにシスプラチンなどの白金製剤が使われているが、薬剤耐性が出現しやすい。この耐性出現については、遺伝的変異、エピジェネティックス、薬剤のトランスポートなどの点から研究が進んでいるが、耐性を防ぐための治療の糸口が見えているわけではない。
   今日紹介するミシガン大学からの論文は白金製剤耐性が最も問題になる卵巣癌について、薬剤耐性が出現する過程を明らかにした論文で5月19日号のCellに掲載された。タイトルは「Effector T cells abrogate stroma-mediated chemoresistance in ovarian cancer(エフェクターT細胞は卵巣癌のストローマ依存性耐性を無効にする)」だ。
  研究手法はオーソドックスで一昔前の内容ばかりに見えるが、ともするとモデル動物や細胞株だけで終始するガンの薬剤耐性研究を、最初からガン患者さんから得られたサンプルを用いて行っている点で、臨床研究家の強い意志が見られる研究だ。
   手術で得られた卵巣癌と、ガンの周りの細胞を同時に免疫不全マウスに移植すると、シスプラチンに耐性になることがこの研究のきっかけだ。すなわち、ガンの周りのストローマ細胞が、シスプラチンからガンを守っている。そして、様々な実験を組み合わせて、 1) ガン周囲に集まるCD8陽性T細胞により、ストローマ細胞によるガンの保護作用を抑制することができる。この作用は、T細胞由来のγインターフェロンで置き換えられる。
2) 線維芽細胞によるガンの保護作用は、ガン内でのシスプラチン濃度上昇を抑制することが原因になっている。
3) これには線維芽細胞からガン細胞へ受け渡されるグルタチオンによってシスプラチンがキレートされることが原因になっている。
4) CD8陽性T細胞が分泌するインターフェロンは、ファイブロブラストでのシステイントランスポーターの転写を抑制し、グルタチオン産生を抑制することで、線維芽細胞のガン保護作用を無効にしている。
5) 卵巣癌では、ストローマ細胞の存在やCD8+T細胞の浸潤が、ガンの予後を決める。
を示している。
  すなわち、卵巣ガンの薬剤耐性は、ホストの解毒作用をうまく利用した結果ということになる。
   論文を読み進むと誰でも知りたいと思う卵巣癌の間質でのグルタチオン代謝と予後についての結果が分かるには、これから前向きの研究が必要で時間がかかるだろう。しかしこの研究が正しければ、シスチントランスポーターの機能を阻害するサラゾスルファピリジンの効果が期待されるし、なによりもインターフェロン投与も効果が期待できる。将来について著者らは免疫チェックポイント治療との併用を強調して、せっかく見つけた代謝経路を標的にすることに触れていないが、婦人科学教室も関わっているので、この点もぜひ調べて欲しいと思う。
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5月16日:新しい公衆衛生学(5月12日号Nature掲載論文)

2016年5月16日
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   19世紀末、流行病の原因を一つの細菌に求める大きな流れに立ち向かい、生活環境も含めた複合病因説を唱え、「公衆衛生学の父」と呼ばれるようになったペッテンコッファーは、コレラの原因物質が人の糞便を通して土壌と相互作用を行い、最後に病原性を獲得するという説を唱えた。歴史的には細菌説が勝利し、それに耐えられずペッテンコッファーはピストル自殺とされているが、もちろん彼の思想は公衆衛生学として生きている。
   今日紹介するワシントン大学からの論文は、公衆衛生学、細菌学、疫学を統合して細菌感染に立ち向かおうとする研究で、ペッテンコッファーとコッホの論争を知る者にとっては感慨の深い論文だ。タイトルは「Interconnected microbiomes and resistomes in low-income human habitats (低所得の集団に見られる相互に関連した細菌叢と耐性)」で、5月12日号のNatureに掲載された。
  この研究の目的は、抗生物質耐性の感染症が人と環境にどのように維持されているのかを明らかにすることだ。このため、糞便や環境に存在する抗生物質耐性に関わる遺伝子を網羅的に探索するための方法が開発されている。実際には、調べたい糞便や土壌に存在する全ての細菌ゲノムを断片化し、遺伝子ライブラリーにして大腸菌に導入、その大腸菌の中から様々な抗生物質に耐性株を取り出し、耐性を付与した遺伝子を網羅的にリストしている。これにより糞便から、1000を超える耐性遺伝子が特定でき、そのうち1割以上は新しい遺伝子であることが示されている。この方法で探索を拡大していけば世界のヒトと環境に存在する耐性遺伝子のデータベースができるだろう。
  この方法を用いて、この研究ではエルサルバドルの貧しい農村、及びペルーの都市スラムの住人とその環境に存在する耐性遺伝子を探索し、人と環境の関係を新しい視点から掘り起こそうとしている。
  結果はペッテンコッファー時代とそれほど変わりはなく、人の糞便に見られる耐性遺伝子群は、家畜や便所近くの土壌に存在する耐性遺伝子群に近く、家から離れるに従い失われていく。農村では、ほとんどの耐性遺伝子はもっぱら人由来だ。一方、ペルーの都市スラムを調べると、住居から流れる下水の耐性遺伝子群はヒトの糞便より多様化しており、ヒトの糞便と環境とがさらに複雑な相互作用を行って耐性遺伝子を維持していることがわかる。しかし、下水処理場からの排水からは耐性遺伝子群は消失するので、公衆衛生的対応がいかに重要かがわかる。
   最後に、これら全ての耐性遺伝子群の塩基配列からヒトや環境中に存在する耐性遺伝子の関連を調べると、多くが水平遺伝子伝搬により広がってきたことが明らかになった。ある意味で、ペッテンコッファーの複合病因説に近いと言ってもよさそうだ(と勝手に思っている)。
   最近の腸内細菌叢研究の流行を考えると、この論文も流行を追う研究の一つかと読み飛ばしてしまうが、よく読んでみるとこの論文には全く新しい公衆衛生学や疫学の方向性が示されているように私には思えた。
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5月15日:クリスパーと相同組み換え修復の意外な利用法(5月12日号Cell掲載論文)

2016年5月15日
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   今日紹介するフロリダ・マックスプランク研究所の安田グループからの論文は、出色のクリスパー遺伝子編集法の利用法の一つと言える。我が国のメディアも、生きた脳細胞の遺伝子を組み替える技術として紹介している。もちろんこんな言葉では説明できないことは専門家には明らかだ。遺伝子編集と日本人を組み合わせて単純な話としてしか報道できないのが我が国のメディアのレベルだと思えば、この論文の真価を正しく伝えられないのは当然だ。しかし心配なのは、これをSNSで紹介している科学者の多くが、この論文の真価を正確に伝えようとせず、メディアと同じレベルに自らを貶めていることだ。科学者として紹介するなら、言葉を尽くしてきちっと説明するべきだろう。
   マスメディアのように、効率のいい遺伝子編集法で生きたマウスの脳に遺伝子ノックインする方法と説明してしまえば、一般の人は、ほとんどの脳細胞の遺伝子が編集されると考えるだろう。しかし著者らがSLENDERと呼ぶ方法のミソは、この方法で脳内の一部の細胞だけを正確に遺伝子編集することができる点だ。そして、この編集により、細胞がひしめく組織の中のほんの一部の細胞だけに焦点を当て、分子の動態を細胞レベルで詳しく調べられる点だ。実際効率が良すぎると、脳のような細胞がぎっしり詰まった組織では、個々の細胞の特徴を全く観察できない。この問題解決のためにこの方法を開発したと著者らもイントロダクションで述べている。実際これまでも組織の中の単一クローンを可視化するために様々な方法が開発されてきた。ただ、個々の細胞の任意の分子を正確に標識することは難しく、クリスパーを用いることで初めて可能になった。しっかり論文を読めば、この方法が拓く将来は明確に理解できる、ワクワクする論文で5月12日号のCellに掲載された。タイトルは「High-throughput, high-resolution mapping of protein localization in mammalian brain by in vivo genome editing (生体内でのゲノム編集を用いたタンパク質局在の高効率・高解像のマッピング)」だ。
  この方法では胎児の脳内にCas9とガイドRNAを使って標的遺伝子を切断すると共に、相同組み換え修復を誘導するDNAを導入して電流を流すことで遺伝子を導入し、一部の細胞のゲノム遺伝子を標識のついた遺伝子に置き換える。クリスパーをわざわざ効率の低い電気穿孔法と組み合わせて、大きな組織の中で個別の細胞を浮き上がらせ、その中で働く様々な分子の動態追跡を可能にしている。
   研究では、多くの研究者が脳細胞内で動態を正確に知りたいと思っている様々な分子の標識を行い、この方法が今後脳細胞研究で多くの問題解決に寄与するポテンシャルを持つことを示している。また、この方法による遺伝子編集が特異的で、標識できなかった細胞の遺伝子を変化させせていないことも確認している。そして、異なる分子の同時標識、リアルタイムモニターへの応用、免疫電顕への応用、そして標的遺伝子をノックアウトした細胞の追跡など、これでもか、これでもかと可能性が現実に示される。そして何よりも、例えば遺伝子を強制的に導入するこれまでの方法では見落としていた問題がこの方法で見えることを示している。ウォリーを探せというパズルがあるが、集団の中に埋もれていた個別の細胞を詳しく追跡する方法は、脳研究やマウスを超えて利用は広がるだろう。
   以上脳細胞の研究者に大きなプレゼントを提供したと言える仕事だが、この論文に感動して紹介したいと思ったならこのワクワク感を伝えるのが科学者の務めだと思う。私はこれを伝えるのは、結局感情以外何も伝えることのできないSNS上の短い言葉ではないと思う。
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5月14日:乳がん治療の新しい標的(4月号Nature Medicine掲載論文)

2016年5月14日
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   オリジナルで面白い発見が行われ、それが広く認められると、多くの研究者はその方向に流される。そんな中で、他とは違う視点を探している研究は読むと面白い。例えばガンのゲノム解読が可能になると、発がんに関わる変異を求めてエクソーム、全ゲノムと研究が進み、5月4日に紹介したように560例もの乳がんについて全ゲノム解析が終わり、データベースが作られた(http://aasj.jp/news/watch/5185)。
   ただ、このようなガンゲノムの研究は、異常から正常を引き算した発がんに関わる変異の探求に偏りがちだ。発がんに限らず、ガンを独立した一つの全体として捉えその全体的性質と相関させようとした研究は私が見る限り少ない。そんな例として私の印象に残っているのが少し古いがケンブリッジ大学から出された乳がんのゲノム研究で、発がんとの関係にかかわらず、ガンのゲノムに見られる全ての多型を、ガンの遺伝子発現パターンと相関させ、乳がんを10種類に分類できることを示した研究だ(Curis et al,Nature 486:346, 2012)。このように、ガンを独立した一つの単位として、全体を把握する研究はこれからますます重要になるだろう。
   今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、悪性度の強いトリプルネガティブ乳がんの代謝に注目して治療可能性を探索している研究で、4月号のNature Medicineに掲載されている。タイトルは「Inhibition of fatty acid oxidation as a therapy for myc-overexpressing triple negative breast cancer (Myc発現の高いトリプルネガティブ乳がん治療としての脂肪酸酸化酵素の阻害)」だ。
トリプルネガティブ乳がんの特徴の一つはMycと呼ばれる遺伝子の発現が上昇していることだ。このMycはそれ自身ガン遺伝子として様々な発がんに関わっている。このため、発がん過程にどう関わるかについての研究は進んでいても、一見ガンとは関係なさそうな性質との関連は研究が遅れる。この研究では、mycが脂肪代謝に影響して、それが発がんに関わるのではという可能性に狙いを定めて研究を進めている。まずMycの発現により誘導される代謝産物を調べ、脂肪酸酸化酵素(FAO)が上昇することで、脂肪代謝が変わることを明らかにしている。次に実際のMycが上昇している乳がん細胞で脂肪代謝の異常が誘導されるか調べ、確かにMycの高い乳がんではFAOの上昇による脂肪代謝異常が誘導されていることを確認している。さらにこの脂肪代謝異常を直すことで、ガンの悪性度が低下することを発見し、最後にFAO活性阻害剤がガンの進展を抑制できることを示している。
   この結果を脂肪代謝とエネルギー代謝の問題だけで説明するのは簡単だが、脂肪代謝から生まれる中間体としての分子が核内受容体分子を通して転写に影響することも知られている。すなわち因果のサイクルが続いている気がする。この研究をきっかけに、さらにガンを全体として捉えることがすすむだろう。もちろん、トリプルネガティブ乳がんの治療の難しさを考えると、新しい標的が発見できたことがこの研究の最も重要なメッセージだ。
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5月13日:脳内炎症と腸内細菌の関係(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2016年5月13日
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    腸内細菌叢は、私たちには不可能な細菌特異的な経路を使って様々な分子を生成し、私たちを助けたり、困らせたりしている。その意味で、遺伝的にはもちろん完全に分離していても、もう一人の自己といえる存在で、私たちの健康を考える時には常に頭に入れておく必要がある。その典型がこのホームページで2014年9月19日に紹介したグルコース摂取を抑える目的で使うアスパルテームなどの人工甘味料が腸内細菌叢の作用で、インシュリン抵抗性を誘導する物質を作り、結果として逆に糖尿病を引き起こすという話だろう(http://aasj.jp/news/watch/2190)。
  今日紹介するハーバード大学からの論文もそんな一つで、脳内の炎症に関わる分子経路をたどっていくと腸内細菌産生分子に行き着いたという話で、Nature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Type I interferons and microbial metabolites of tryptophan modulate astrocyte activity and central nervous system inflammation via the aryl hydrocarbon receptor (1型インターフェロンと腸内細菌叢由来トリプトファン代謝物はアストロサイトの活性と芳香族炭化水素受容体を介する中枢神経炎症を変化させる)」だ。
  多発性硬化症のような自己免疫性脳炎に対して1型インターフェロン(IFN-1)が抑制効果を持つことがわかっていたが、他の作用も多く、この経路からより特異的な標的を見つけることは重要な創薬課題だった。著者らも同じ目的でマウス脳炎モデルを使って、炎症刺激によりアストロサイトで誘導される遺伝子の中からIFN-1で抑制される炎症分子を探索し、この多くが様々な芳香族炭化水素分子により活性化されるARH受容体を介していることを突き止める。これをきっかけに、論文の前半は、基本的にアストロサイト内でIFN-1からARH発現にいたるシグナル経路の話で、特に新味はない。要するに、IFN-1シグナル経路により誘導されたARHがSOCS2などの誘導を介して炎症を抑えるという話だ。
  ところが後半になると、このARHを活性化する芳香族炭化水素分子が腸内細菌によりトリプトファンが壊される過程で作られることを示して、面白い論文になった。実際、ARH分子の発現が上昇しても、それだけでは何も起こらない。ARHが機能するためには、それと結合して転写活性を上昇させるリガンドが必要だ。この研究では最初からリガンドのソースとして腸内細菌に焦点を当てている。そして、炎症マウスにトリプトファンを除いた食事を摂らせると脳内炎症が増悪することを確認している。また、トリプトファンからARHリガンドを作ることができる細菌をアンピシリンで殺すと、やはり脳炎が増悪することを示している。
   最後に、ちょっと驚くが多発性硬化症の患者さんと正常人の脳組織の血清を採取し、ヒトでもこの経路が働いていること、そして多発性硬化症の患者さんにはARHを活性化するリガンドの濃度が低いことを明らかにしている。
  結果をまとめると、腸内細菌叢でのARHリガンドの生産が落ちることで多発性硬化症が悪化することを示している。したがって、一定量のARHリガンド投与は、多発性硬化症の治療選択の一つだというのが結論だ。多発性硬化症の患者さんへの抗生物質投与には注意が必要なことも重要なメッセージだろう。    しかしARHのリガンドダイオキシンが引き起こす様々な症状を考えると、ARHを刺激して炎症を抑えようとすると、かなりさじ加減が必要な治療になる気がする。
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5月12日:気になる2警告(5月号JAMA Neurology+4月29日Scientific Reports)

2016年5月12日
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   私がまだ学生だった頃は、水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息など様々な公害病が我が国の深刻な課題だった。幸い、このような深刻な公害は影を潜めたが、それでも仕事や食品を通して、知らず知らずのうちに体が蝕まれているのではないか懸命に調べている研究者たちがいる。今日は、最近私の目に止まったこのような問題を扱う2編の論文を紹介する。
   最初はミシガン大学からの論文でALSの発症に殺虫剤に暴露されることが関わっていないか調べた疫学調査でJAMA Neurologyに掲載された。タイトルは「Association of environmental toxins with amyotrophic lateral scleraosis(ALSと環境毒素の相関)」だ。
   ALS発症に様々な環境汚染が関わる可能性はこれまで調べられてきた。この研究ではこれまで可能性が指摘されて来た殺虫剤暴露とALSの相関について156人のALS患者さんと、対照126人について比べている。暴露の可能性のある職歴についての聞き取り調査で相関を調べると、暴露歴があると発症のオッズ比が5.46と優位に高い。次に相関が認められたのは、鉛暴露によるオッズ比2.0、軍隊経験でオッズ比が2.20だが、やはり殺虫剤に暴露される職業が一番強い相関を示す。
   同じような結果は、これまでも報告されていたようだが、この研究ではさらに踏み込んで、患者さんと対照群の血液中の残留化合物を調べて、例えばcis-Chlordaneの残留が認められる場合はオッズ比5.74, PCB202では1.36-3.27と有意に殺虫剤の残留とALSの相関が見られることを示している。
     この研究だけでChlordaneが悪いと決めつけるのは早計だが、統計学的結果を無視することはもっと間違っている。特に、職歴と残留殺虫剤が必ずしも一致しないことは、環境暴露も可能性があるので、真剣に検討を続けることが重要だ。
   次の論文は天然甘味料として加工食品に広く使われているコーンシロップなど果糖を多く含む食品が、胎盤機能不全につながることを警告するワシントン大学産科学教室からの論文で4月29日Scientific reportsに発表された。タイトルは「Maternal fructose drives placental uric acid producition leading to adverse fetal outcomes (母体の果糖は胎盤の尿酸合成を高め、胎児に悪影響を及ぼす)」だ。
   ブドウ糖と異なり果糖は代謝経路が全く異なる。特に、インシュリン耐性を誘導し、2型糖尿病や脂肪肝につながることや、ATP分解を促し最終産物の尿酸の産生を高めることも知られている。この研究では、妊娠中毒症などの胎盤に関わる障害を誘導するのではないかと考え、妊娠マウスを用いて果糖投与による胎盤の変化を調べている。
  詳細を省いて結論だけをまとめると、
1) 高い果糖を含む食事は胎児の発達を阻害する。
2) 胎盤での尿酸合成を高果糖食により誘導される
3) 高果糖食は胎盤の脂肪蓄積と酸化ストレスを誘導する。
4) キサンチンから尿酸への経路に関わるキサンチン酸化酵素を阻害すると、胎盤の障害や胎児の発達障害を抑えることができる。
5) 人間の妊婦さんの血中果糖濃度と胎盤の尿酸濃度は相関する。
という結果だ。
  我が国の現状は把握していないが、米国ではコーンシロップなどの使用制限を訴える運動が進んでいると聞く。天然の物質も、人間の偏った意図に基づいて使われると、問題を引き起こす例といえるだろう。
  このような研究に常に耳を貸すことの重要性を実感している。
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5月11日:認知障害の治療薬としてのリルゾール(Molecular Psychiatry オンライン版掲載論文)

2016年5月11日
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    グルタミン酸による過剰興奮毒性を抑えるとしてALS患者さんに現在使われているリルゾールは、その作用機序から海馬のグルタミン酸作動性ニューロンの変性が進むアルツハイマー病や高齢化による認知障害にも効果があるのではと現在ロックフェラー大学が治験を進めようとしている。実験レベルでは記憶伝達の細胞学的基盤となっている神経軸索の樹状突起の集合をリルゾールが誘導できることが知られており、治験結果への期待は大きい。
  今日紹介する論文は治験を推し進めているロックフェラー大学がMolecular Psychiatryに発表した論文で、認知症治療としてのリルゾールの可能性をさらに裏付け、治験への期待をさらに高める目的で行われた動物実験だ。タイトルは「Age and Alzheimer’s disease gene expression profiles reversed by glutamate modulator riluzole (年齢やアルツハイマー病による遺伝子発現プロフィールはリルゾールで元に戻る)」だ。
  研究では老化による海馬の遺伝子発現変化と、リズロール投与による遺伝子発現変化を比べ、老化で低下する96種類の遺伝子がリズロール投与で上昇し、また老化で上昇する240種類の遺伝子がリズロールで低下することを発見している。次に、リズロールで変化する遺伝子群をそれぞれの機能をもとに分類して、変化する神経細胞過程を、アルツハイマー病で変化する過程と比べると、神経の軸索投射やシナプス活動など多くの過程で逆相関が見られることを発見している。このことは、アルツハイマー病や老化により進む様々な神経細胞過程の変化をリズロール投与が元に戻せることを示している。
   ただ残念ながら、老化マウスに投与して実際に変化を戻すことができるかについては、データが思い通りになっていないのか、示されていない。もちろん変性が進んでしまうと、この薬も効かないことは十分ありうる。したがって、異常の少ない時点から長期に投与する研究が必要だろう。しかし、代わりに余分なグルタミン酸を処理してくれる遺伝子EAAT2に絞って老化マウスでみられる低下を抑えることができるか調べ、老化マウスでもEAAT2の発現を強く上昇させられることを示している。従って、進んだケースでも、グルタミン酸毒性による細胞変性は防げるかもしれない。    結果はこれだけで、実際に効果があるかどうかについては同じグループが進める治験の結果を待つ必要がある。ただ、老化により進む全体的な異常にもしグルタミン酸による神経過剰興奮があるなら、期待は持てるような気がする。すでにALSで利用されており、治験へのハードルも低いだろう。今後注意深くウォッチしていこうと思っている。
カテゴリ:論文ウォッチ
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