2016年4月28日
試験管内で様々な細胞を誘導できるES細胞やiPS細胞は、個体レベルでの実験が困難なヒトの疾患メカニズムを研究するための切り札として順調に発展している。特に最近問題になったジカウイルス感染による小頭症の発症メカニズム研究は印象的で、立て続けにES/iPSを用いた論文がトップジャーナルに掲載された。我が国も負けじと山中さんの呼びかけで、様々な疾患を持つ患者さんから疾患iPSが樹立され、既に治療法の開発にも利用されている。
たしかに疾患iPSの話は一般の方にiPSの重要性を理解してもらうためにはいい例だが、しかしES/iPSの本当の真価は、例えば遺伝子調節の小さな違いを細胞レベルで再現するといった、より困難な課題の研究で発揮される様に思っていた。特に、同じ様に国をあげて勧められた疾患ゲノムの解析から特定された様々なSNPのうち、イントロンに存在するSNPのメカニズム研究は手つかずのまま残っている。これらをES/iPSを用いて細胞レベルで調べることは、挑戦しがいのある課題だ。
今日紹介する、リプログラミングと多能性幹細胞分野を常にリードしてきたイエニッシュの研究室からの論文は、ゲノム研究と幹細胞研究の統合のあり方を大御所が身をもって示したとも言える論文で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Parkinson-associated risk variant in distal enhancer of α-synuclein modulates target gene expression (αシヌクレイン遺伝子の遠位エンハンサーに見られる疾患リスク変異が遺伝子発現を変化させる)」だ。
この研究ではヒトES細胞から神経細胞への分化実験系、CRISPR/Casを用いた遺伝子編集、エピゲノム解析を駆使して、パーキンソン病のリスクを高めるとして特定されていたSNPが、なぜパーキンソン病発症につながるのかという疑問に挑戦している。この時、このSNPを持つ患者さんからiPSを樹立するのではなく、正常のES細胞の遺伝子にCRISPR/Casを用いてSNPを導入し、形質の変化を調ベル方法を採用し、この方がより厳密な研究ができることを示している。また、こうして得られた試験管内のメカニズム研究の結果を、実際の患者さんの組織を使った確認や、SNP同士の関連を調べるゲノム研究といった個体レベルの研究へフィードバックするお手本の様な総合的研究だ。
詳細を省いて結果だけをまとめておこう。
1) ES細胞のゲノムに様々なSNPを導入する実験を繰り返し、イントロンに存在する一つのSNPによりシヌクレインの発現が上昇することを突き止めている。
2) このSNPを持つ領域は、エンハンサーが高まっていることを示すヒストンが結合している。
3) 実際の発現上昇率は高くはないが、パーキンソンの発症を十分説明できるレベルで、この実験系には、この様な小さな変化でも捉え切れるポテンシャルがある。
4) このSNPの存在により、EMX2,NKX6-1転写因子のエンハンサーへの結合が低下している。このことから、これら転写因子は遺伝子発現を抑えるレプレッサートして働いていることがわかる。
5) すなわち、このSNPが存在すると、ブレーキ役の転写因子のエンハンサーへの結合が低下し、結果としてシヌクレインの産生が上昇し、結果としてパーキンソン病を発症するというシナリオが示された。
残念ながらこのメカニズムが治療法に直結するわけではないが、オーソドックスな疾患メカニズム解析ができている。論文の随所に、小さな変化も捉え切ろうとする厳密さへの欲求がみなぎる、さすが大御所の仕事だと思った。
とはいえ、同じ様にiPSにゲノム研究を組み合わせて解析を進める若手はいる。私がディレクターを務めたさきがけプロジェクトの北畠くんもその一人だ。疾患メカニズムを明らかにしようとする多くの若手臨床研究家が続くことを期待している。
2016年4月27日
毎日北朝鮮からのニュースが絶えることはないが、科学者から見ると、北朝鮮は最も遠い国の一つだろう。私自身何十年も科学者を続けるなかで、北朝鮮内に住む科学者と学会で一緒だった記憶はないし、論文を読まないまでも、目にしたことすら一度もなかった。
ところが先週号のNatureに、エディターの一人Alexandra Witzeが、北朝鮮と米国、英国の研究者が発表した論文について書いていた記事が目に止まり、興味を惹かれて読んでみた。論文は朝鮮人民共和国地震局、平壌新技術経済国際情報センター、米国地学調査局、英国ロンドン大学及びケンブリッジ大学、そして中国環境教育メディアプロジェクトの共同研究で、北朝鮮と中国の国境にまたがる白頭山(ペクトゥサン)の火山活動に関する論文だ。タイトルは「Evidence for partial melt in the curst beneath Mt Paektu(Changbaishan), Democratic People’s Republic of Korea and China (朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国にまたがる白頭山(長白山)直下の地殻が部分的に溶解している証拠)」だ。
タイトルからわかる様に、火山学の研究で全く私の専門外だ。掲載されている図や表も評価する知識はない。とはいえどんな研究かはある程度理解できるので、紹介することにした。
まずこの研究を主導しているのはロンドン大学のチームで、長い交渉の末2013の核実験後、2015年まで白頭山に6箇所の地震計を設置し、1年間観測を続けるとともに、中国側から人工地震を起こして波を記録し、その解析から地殻状態を推定している。データを全てすっ飛ばして結論を急ぐと、白頭山の直下に大きなマグマだまりが形成されており、それにより地殻が一部溶けているらしい。このマグマは、歴史的大噴火を起こしたマグマと同じ起源で、現在起こっている白頭山の様々な活動の原因であると結論づけている。要するにいつ大噴火が起こってもおかしくない様だ。
この論文を読むまで私は全く知らなかったが、白頭山は946年、大噴火を起こしている活火山で、2002−2005年火山性地震が群発し注目された。もともとプレート活動と密接に関係している火山であるため、2011年東日本大震災後、破局的噴火が起こるのではないかと懸念される様になり、中国で観測が続いていた。ただ、北朝鮮側の研究が進んでおらず、今回初めて白頭山の現時点での地下活動が明らかになった。
研究のためには政治交渉も厭わず観測を実現した研究者魂には脱帽だ。ただ核実験を計画している金正恩政権が、いくら重要な時期だと言っても地震計の設置を許すとは思えないが、粘り強い説得による観測しか被害を食い止める方法はないだろう。目が離せない。
2016年4月26日
知識としてはあまり期待しないが、タイトルを見て「何々?」と論文に目をとめることがある。今日紹介するコロラド大学麻酔科からPlos Oneに発表された「Spaceflight activates lipotoxic pathways in mouse liver (宇宙飛行はマウス肝臓の脂肪毒性回路を活性化する)」という論文はそんな例だ。この論文の場合、宇宙飛行というタイトルに目が止まる。しかし、多くの場合論文としては不完全なものが多い。紹介する前に言うと、この論文も例に漏れない。
コロラド大学と言ったが、かなり多くの機関から研究者が参加している。実験は極めて単純で、純系マウスを宇宙飛行に連れて行き、アトランティスで13日ほど滞在させて、地球に帰還後、肝臓に障害が出ていないか調べている。なぜこんなことをするのかというと、宇宙飛行で糖尿病様症状が出るからだという。しかし、人間が宇宙に行って何十年もになるのに、わざわざまたマウスで実験をする必要があるのか、もっと人間で詳しく調べる方が実用的でないか疑問だ。
詳細は省くが、幸い(というのは不謹慎だが)宇宙に連れて行くと、肝臓の脂肪代謝に異常が認められ、組織学的にも肝臓に脂肪が蓄積する脂肪肝が誘導され、さらには細胞外マトリックスの産生が上昇する。大げさに言うと非アルコール性脂肪肝の危険性が高まるという結果だ。この症状に一致して肝臓内のレチノイン酸の濃度が低下し、また糖脂肪代謝に関わるPPARαの発現が大きく上昇することも突き止めている。
この結果自体に文句を言う気はないが、実験としてはあまりにもひどい研究だと思う。まず、微小重力の影響を調べたいのか、宇宙飛行全過程の影響を調べたいのかがはっきりしない。宇宙飛行だと、最初打ち上げで強い重力を感じ、その後微小重力で過ごした後、地球帰還という3種類のストレスが存在する。人間なら打ち上げと帰還のストレスについては認識できるが、マウスにとっては何が何かわからないだろう。もし本当の目的が微小重力の影響なら、マウスは宇宙空間で屠殺するべきだ。それでも打ち上げのストレスは除外できない。要するに、この変化の引き金を特定できない様に実験が計画されている。いくら簡単にできない実験だからといって、やはり実験として健全なものでないと論文発表しても意味がないと思う。
わざわざこの論文を選んで文句を言っているのは、この研究には、興味より先に公共事業的助成金があるという匂いがするからだ。おそらく、宇宙飛行の影響について予算が組まれており、とりあえず論文を出せばお金をもらえるという構造ができているのだろう。だからといって、いい加減な研究をしていいわけではない。重要なのは研究者がそれに甘えないという意志だろう。予算が先にある研究は研究者にとっても本当はありがたい。ただ、それに甘えてしまうと、予算のための公共事業と同じで、科学者としては劣化していくだろう。
しかし、競争の国アメリカでも、予算消化のための研究があることがわかる論文だった。今日を例外として、これからも紹介して意味のある論文を選んでいこうと改めて決意した。
2016年4月25日
このホームページでなんども繰り返しているように、今、最も待望されている薬剤は、突然変異型のRas分子の阻害剤だろう。例えば現在も手術以外に有効な治療法のない膵臓癌のほとんどはRas分子の変異が引き金になっている。またガンゲノム解析からわかったのは実に2−3割のガンがRas変異を持っているという事実だ。当然、アカデミアも企業も30年以上にわたって活性型Ras阻害剤の開発にしのぎを削ってきたが、現在もなお切り札となる阻害剤は見つかっていない。このあたりの話についてはちょうど1年前紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/3288)。
今日紹介するマウントサイナイ医学部からの論文は、ひょっとしたらこの閉塞状況を変えてくれるのではと期待を持たされる研究だ。タイトルは
「A small molecule RAS-mimetic disrupts RAS association with effector proteins to block signaling (Rasとエフェクター分子の会合を阻害するRas分子を模倣する化合物はRasシグナルを抑制する)」で、4月21日号のCellに掲載された。
この研究の最初の目的は現在骨髄異形成症候群の臨床治験が進んでおり、わが国でもシンバイオ製薬が展開している薬剤リゴサチブの作用機序を明らかにすることだったようだ。まずリゴサチブに結合する分子の解析から、RASと結合する様々なシグナル分子がリゴサチブに結合することを発見する。磁気共鳴を用いた構造解析から、リゴサチブがRas下流のシグナルを媒介するRAF分子のRAS結合領域に結合し、RAFの活性化を阻害することを明らかにしている。すなわち、リゴサチブがRasを模倣する分子として働き、活性化Rasにシグナル伝達分子が結合するのを競争的に阻害することがわかった。後は、この阻害により、伝統的なRas-Raf-Mapkの伝達経路を遮断できること、またPLK,Ral,Pi3Kなどの他のRas結合分子からのシグナルも同様に抑制することを明らかにしている。最後に、活性化Rasによる発がんを抑制できるか、また活性化Rasによりガン化した細胞の増殖を抑制できるかを様々な系で調べ、期待通り効果があることを示している。
もともとRasの下流で多くのシグナル分子が活性化されており、その一つ一つを標的にしてきた薬剤と異なり、機関銃での掃射のように多くのシグナルを一度に遮断する可能性のある治療法だ。ただ示されたデータを見ると、まだ完全に腫瘍が消失したという結果ではない。私見だが、このようなメカニズムの場合、rasに結合する分子の量など様々な生化学要因が影響するはずで、用量の選択など今後さらに研究が必要だろう。しかし、リゴサチブ投与でがん細胞内の様々な分子のリン酸化が阻害されており、今後大いに期待が持てると思う。例えば膵臓癌などはすぐ試したいところだろう。幸い、この薬剤は骨髄異形成症候群の治療薬としてすでに第3相まできており、副作用が少ないこともわかっている。したがって、臨床研究へのハードルは低い。さらに、Rasではなく、シグナル分子が活性化Rasに結合する部分を標的にするアイデアは、他のシグナルにも使えるだろう。また、同じメカニズムのさらに強力な分子も開発されるように思える。
もちろんぬか喜びかもしれないが、堅固なRas砦に穴が開いたのではと期待させる。
2016年4月24日
まず英単語の勉強から始めよう。
Wellderly:今日紹介するスクリップス研究所からの論文を読むまで、聞いたことも見たこともなかった単語だ。私のPCにインストールされている英辞郎(古いバージョンだが)には収載されていなかったが、ウェッブで検索するWeblio辞書には収載されていた。「健やかに歳をとった」という意味で、Wellとelderlyを合体した単語だ。
「死ぬ日まで元気で過ごす」という願いを背負った単語だろう。しかし、簡単には叶わぬ夢だ。実際には先進国では実に90%の人が、何らかの病気が原因で亡くなる。
最近ドイツの医学誌Deutsch Aerztblatt Internationalに掲載された100歳以上のドイツ人112人の健康状態を調べた論文では、平均5種類の病気を抱えており、視力や聴力といった命に直接関わらない疾患に加え、7割が骨粗鬆症、半分以上が心疾患、関節炎、排尿障害、4割がどこかに慢性的な痛み、認知症を抱えていることが示されている(Jopp et al, Dtsch Arztebl Int 2016; 113: 203–10 )。健やかな100歳は確かに難しい。
とはいえ80を超えても病気ひとつしたことがないという羨ましい高齢者は存在している。そんな高齢者のゲノムを調べてその秘密に迫ろうとしたのが今日紹介するCellに掲載予定の論文で、タイトルは「Whole-Genome sequencing of healthy aging cohort (健やかな老化コホート集団の全ゲノム解析)」だ。
この研究ではガン、糖尿病、認知症、心筋梗塞、脳卒中、腎不全のいずれにも罹患していないWellderly600人の全ゲノム解析を行い、病気の罹患でフィルターをかけていない一般集団約1500人の全ゲノムと比較している。
対象になった羨ましいWellderlyだが、1)男性が多く、2)少しだけ喫煙経験があり、3)スポーツを心がけ、4)平均よりは痩せており、5)教育程度が高い。また今回対象に選んだ人たちの兄弟姉妹の生存率をみると、寿命自体は変化しないが、いわゆる健康寿命が上がっていることがわかる。
余談になるが、この研究のように1000人近くのゲノムをComplete Genomics社に外注して調べているのをみると、全ゲノム解析がますます安価な検査になりつつあることがわかる。
しかし論文を読み進むと、これだけ多くのデータを多面的に解析するための方法がまだまだ不足しているのがわかる。はっきり言って、データを十分生かせていないのではという印象だ。そのせいかどうかはわからないが、結局健やかな老化をゲノムから予想することは難しいという結論だ。事実、論文の中で「健やかな老化に貢献する特別な因子は何も見つからなかった。」と、異例の文章で締めくくっている。
要するに、結局はゲノムだけでなく生活習慣も含む多くの要因が絡んで健やかな老化が可能になるという結論だ。
しかしこれではあまりそっけないので、論文で記載された幾つかのデータをまとめておこう。
1) これまでアンチエージングに関連するとされていた遺伝子とは相関が認められない。
2) コラーゲン21遺伝子の多型が、少数ではあるがWellderlyのみに見られた。コラーゲンの可溶性がアルツハイマーなどの防止になっているのかもしれない
3) Wellderlyでは認知症、心疾患のリスクと相関する多型の頻度が低いが、ガンのリスクでは相関があまり見られない。
4) 認知、カルニチン代謝と相関した領域にWellderly特有の多型が集積している
などだが、結論どおり、決め手がなかったという結論だ。
個人ゲノムサービスが始まっているが、個々の疾患リスクを調べるだけではなく、年齢を加味した健やかな老化指数を総合的に計算できるようにして、健やかな老齢を目指した生活改善をはかるためのテクノロジー開発に挑戦する会社が出て欲しいと思う。
2016年4月23日
高齢者の脳と聞くと、すぐ認知症と答えが返ってくるほど、記憶の問題が高齢者の脳機能研究の中心だ。しかし、自分が年をとってわかるのは、脳の老化の影響は記憶の低下にとどまらないことだ。特に、一つの問題を新しい方向から考えるのが苦手になる。これまでに身についたパターンが新しいパターンの行動の邪魔をする。要するに変化についていくのが苦手になる。これを頑固と言うのだろうか?
私自身、変化に適応する能力の低下をなんとか押し留めたいと思う気持ちで毎日多くの論文を読むのを日課にしている。もちろん比べる対照がないので、効果があるかどうかはわからない。
今日紹介するオーストラリア・クイーンズランド大学からの論文を読んで、まさにこの問題に迫ろうとしているグループのあるのを知って驚いた。論文のタイトルは「Aging-related dysfunction of striatal cholinergic interneurons produces conflict in action selection (高齢化による線条体コリン作動性介在ニューロンの機能不全により行動決定時の葛藤が起こる)」だ。
この研究では好みの餌を得るための「レバー押し課題」を学習させた後、レバーの位置を逆さまに設定した新しい課題を行わせ、新しい状況への対応能力を調べている。この課題の場合、古い学習を抑えて新しい状況に対応することが要求されるが、老化マウスではこれがほとんどうまくいかない。なかなかうまく考えた課題だ。
次に、この古い記憶を抑える機能がどの脳回路により媒介されているかを調べているが、最初からこの回路が視床の束傍核から線条体のコリン作動性介在ニューロンへの投射だと狙いをつけている。そして、老化によりこの回路の興奮性が低下すること、また老化すると、介在ニューロンの興奮が規則的なワンパターンの興奮になって、若い動物の不規則な興奮パターンが消えてしまうことを見つけている。
次に、線条体でのコリン作動性神経を選択的に除去できる遺伝子改変マウスを用いて、若い動物でもこの回路が欠損すると、新しい状況に対応することが困難になることを示している。更に複雑な課題を設計してこの結論の妥当性を確認しているが、詳しく解説する必要はないだろう。
要するに年をとると視床束傍核からの投射によって活性化される線条体介在ニューロンの機能が低下し、古い記憶を抑えることが困難になり、結果古い記憶が新しい学習を阻害するというシナリオだ(一般の方はこれら脳内の解剖学用語は気にしないでいい。要するにこの行動を媒介している回路が特定された)。
初期の認知症治療に脳内アセチルコリンを上昇させるアリセプトが効果があるが、この研究でも介在ニューロンの興奮を高めて、新しい変化についていく能力が回復できるか調べているが、これはうまくいっていない。実際、老化マウスの介在ニューロンも興奮はしているが、パターンに変化がないのが高齢化による変化だ。従って、興奮を高めただけではうまくいかないのかもしれない。残念ながら、この研究からは新しい治療法は発見されなかった。しかし、頑固さ(?)に関わる回路は見つかったので、なんとかこの回路を若返らせる方法を発見してほしい。
読んでみて一番印象に残ったのが、老化に伴って、介在ニューロンの興奮パターンが硬直した決まったパターンをとるようになることだ。逆に若いマウスの方は不規則で自由なパターンだ。これが老化による硬直かと理解して我が身を考えると妙に納得するとともに、寂しさがこみ上げた。
2016年4月22日
概日リズムは細胞の様々な活動が、地球の自転に従って24時間周期で変化する現象を指す。このリズムは私たちの体を構成する細胞一個一個に存在し、概日リズムに従うようにした蛍光標識の点滅を用いて細胞レベルでモニターすることも可能になっている。実際、多くの細胞で蛍光標識がリズムに従って点滅するのを見ると、誰もが驚嘆する。
このリズムは、高等動物に限らず、単細胞生物も含め広く真核細胞に見られる。すなわち現象自体は地球上の多くの真核生物で共有されているが、それを支える分子は多様で、例えば哺乳類の細胞ではこのリズムはBMAL1とCLOCKと呼ばれる分子からなる複合体で調節されているが、植物ではTOC1やCCA1など全く違った遺伝子が概日リズムを形成していることがわかっている。このような話から、私自身は、概日リズムのマスター遺伝子は進化の過程で大きく多様化したが、結局は下流で多くの遺伝子の転写調節を従わせることが、細胞の活動をシンクロナイズする唯一のメカニズムだと理解してきた。
今日紹介する英国医学研究協会所属の分子生物学研究所からの論文は、概日リズムは種を超えて共有されている代謝レベルのメカニズムに収束されるはずという信念に基づいた研究で4月21日号の Natureに掲載された。タイトルは「Daily magnesium fluxes regulate cellular timekeeping and energy balance (毎日繰り返すマグネシウムの流入が細胞の時間とエネルギーバランスを調節する)」だ。
読んでみると、この著者は最初からこの結果を予想して研究を進めていた印象がある。すなわち、真核生物共通のメカニズムは、イオンチャンネルの発現のリズムに収束すると予想し、ヒトの細胞と単細胞の藻類の細胞内イオン濃度を質量分析でまず調べ、カリウムやマグネシウム濃度が概日リズムを示すことを発見する。そして、その後の研究をマグネシウムに絞っている。最初からマグネシウムを選んだのは、マグネシウムがエネルギー代謝に関わることがわかっていること、細胞の生死への影響が比較的低いことなどが考えられるが、おそらく頭の中にマグネシウムがあったのだろう。
Mg/ATP-依存性の蛍光分子を導入してリズムをモニターする実験系を利用して、細胞内のマグネシウム濃度が変化すると概日リズムが狂うこと、Mg濃度が低下するとATP濃度が上昇し細胞の蛋白合成が高まることなどを突き止めている。
詳細を省いて結果をまとめると、概日リズムを形成するマスター分子は、あらゆる種でマグネシウムチャンネル分子の発現とリンクしており、転写レベルのリズムを、まず細胞内マグネシウム濃度の変化に、そして昼に高まるATPの濃度のリズムに変換している。このエネルギーのリズムのおかげで、エネルギーを必要とする細胞内過程は、概ね概日リズムの支配を受けるという結論だ。
これまでリズム形成に偏っていた研究も、例えば2013年3月24日に紹介した京大の岡村さんの研究や(
http://aasj.jp/news/watch/3111)、今回の研究のように、あらゆる種に共通するエフェクターレベルの研究に移ってきた感がある。今後このメカニズムが、どれだけのリズムに従う変化をカバーできるのか、期待してみていきたい。
2016年4月21日
我が国を始め多くの先進国では、私たち団塊の世代の高齢化に伴い、未曾有の高齢化社会に直面しつつある。例えば長期間同じ地域の疾病を調査している久山町コホート研究では2000年に入って認知症の有病率が1、5倍に増加したという結果が出されている。この急速な増加から、私たちはともすると高齢化だけでなく、認知症の発症率も時代とともに上昇しているのではと心配している。
しかし、有病率について過去と現在を比べる時注意しなければならないことがある。すなわち医学の進歩で、診断技術が進んで、病気の診断率が上昇することだ。従って、過去と現在を本当に比べる際、同じ診断基準を適用する必要があるが、実際には簡単ではない。これを行ったのが今日紹介する英国医学研究会議の生物統計局で、4月19日号Nature Communicationに掲載された。タイトルは「A two decade dementia incidence comparison from cognitive function and ageing studies I and II (認知機能と高齢化研究I及びIIからわかる認知症の発症率の20年間の変化)」だ。
研究は1990-1993年、及び2008-2011年にそれぞれ約5−6000人の65歳以上の高齢者を同じ基準で面接し認知症の発症率を調査している。このように過去に採用されたのと同じ方法で診断しているところがこの研究のミソだ。さらに、診断後2年間の経過観察を行い、認知症を発症していることを確認している。
結果は完全に予想に反し、20年後同じ基準で判定すると、65歳からのあらゆる年齢層で認知症の発症は低下しており、調べた全体でみるとほぼ20%の低下がみられ、特に80歳以上の男性では40%と著しく低下している。一方、女性では全年齢層で低下の程度は5%程度という結果だ。80-85歳の女性のように上昇した群も確かに存在するが、結論的には20年して、認知症の発症率は着実に低下していると言ってよさそうだ。もちろん、これに人口の増加率を加味すると、認知症の絶対数は上昇しているということになるが、過去の統計をそのまま拡大して途方にくれる必要はなさそうだ。
もちろんわが国で同じことが言えるかどうかわからない。ただ、発症率を計算する時、できるだけ漏れのないよう医学の進歩に合わせた診断法を用いて統計を取ることで、過去との比較が難しくなることは心する必要がある。高血圧でも、糖尿病でも、現在の統計とともに、過去の診断基準での発症率を調べて、長期間の傾向を調べることは今後重要な課題になるように思う。
この研究には、同じ地域での比較ではないなど幾つかの問題がある。従って、同じ調査を各国でやり直してみることは重要だ。その上で低下が観察されたら、この20年の時代の変化が、間違いなく男性の認知症の発症率を抑えることに寄与したことになり、その要因を明らかにすることで、有効な認知症対策を発見できることになる。古い診断基準をそのままつかうとは、目からウロコの研究だった。
2016年4月20日
一部の例外を除いて発ガンにはゲノムに何らかの変異が必要だ。これまでの研究では、コストやデータ処理のしやすさなどから、ガンの突然変異の研究は、タンパク質に翻訳されるゲノム部分の核酸配列、エクソームに限られてきた。しかし、ガンについて全ゲノムの核酸配列データも着実に蓄積されていた。ただ、エクソームと異なり、翻訳されない部分の変異については解釈が難しい。これを打破するため、ENCODEと呼ばれる遺伝子発現、エピゲノム、染色体構造を全ゲノムレベルで調べる研究が進み、データが蓄積してくると、少しづつ非翻訳部分の突然変異の意味を想像することが可能になってきた。
今日紹介するオーストラリア・プリンスオブウェールズガンセンターからの論文も、ガンの全ゲノム配列から発がん過程に関わる情報を引き出そうとする研究の一つで、4月14日号のNatureに掲載された。タイトルは「Differential DNA repair underlies mutation hotspots at active promoters in cancer genome (ガンゲノムに見られる突然変異の多発部位の背景にはDNA修復の部位による差が存在する)」だ。
これまでガンの突然変異の起こり方の解析から、ほとんどのガンでDNA複製時のエラーを修復する際に、最も突然変異が誘導されることがわかっていた。この研究は全部で1161のガンについて蓄積されてきた全ゲノム解析を分析し、プロモーター領域に突然変異が集中する一群のガンが存在することを見つけている。この群にはメラノーマ、アストロサイトーマ、肺がん、卵巣がん、食道癌が含まれる。一方、修復機構の異常からはじまる大腸癌ではこの傾向はない。
次に、どのプロモーターに変異が集中しているのか調べると、染色体が開いており、活発に転写されている遺伝子の転写開始点の少し上流に突然変異が集中していることが明らかになった。もともと、転写因子などの分子がDNA上に乗っていると、修復機構が働きにくいことが知られているので、DNA合成時の修復の起こる場所と突然変異の起こる場所との関係を調べ、突然変異の多い場所には修復酵素がアクセスしにくいことも明らかにしている。他にも、紫外線による突然変異を修復する酵素欠損の患者についても調べ、他の修復異常が存在すると、全く異なる突然変異の分布が起こることも示している。
これだけなら私でも予想がつく話だが、気になるのがメラノーマや肺がんのように環境からの発がん因子が関与するガンで特にこの傾向が強い点だ。このことは、紫外線やタバコによる突然変異の修復も、ほぼ同じ機構を使っているため、転写因子が集まっているプロモーターで特に修復が起こりにくいことを示すのだろう。いずれにせよ、なぜタバコや紫外線が危険かということがはっきりわかる。実際ガンあたりの全突然変異の数を調べると、肺がんが46000箇所、メラノーマが66800箇所と群を抜いている。
この結果からわかるのは、最も必要とされている遺伝子のプロモーターに突然変異が蓄積することだ。進化を考えると、変異が使っている遺伝子に起こる点はなかなか面白い。しかし、これほど突然変異が蓄積しても、遺伝子発現は思いの外安定に維持されている。私たちのゲノムは小さな変化には抵抗性があるようだ。このようにこの論文の結果は、ガンだけでなく進化一般を考えるためには役にたつと思う。
2016年4月19日
今、ガン特異的抗原に対する抗体と、抗原に反応して活性化されるキラーT細胞のシグナル分子を合体させたキメラ遺伝子を導入したCART治療が、結果の予想が可能な論理的ガンの根治療法として注目を集めている。この技術は、私がまだ免疫学と関わりがあった30年前に、抗原刺激によるT細胞の活性化に関わるシグナル伝達経路の解明に取り組んだわが国を含む多くの研究者達の成果だと言える。しかし少し目を離している間に、T細胞抗原受容体(TcR)からのシグナル経路を、完全に細胞が存在しない試験管内の実験系に移せるようになっていたとは思いもかけなかった。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校の論文は、細胞膜上のTcRによって活性化されるシグナルを、人工膜上で再構成できることを示した研究でScienceオンライン版に発表された。タイトルは「Phase separation of signaling molecules promotes T cell receptor signal transduction(シグナル分子の位相を分離することでシグナル伝達を促進する)」だ。
これまでシグナル分子の再構成実験というと、生きた細胞にシグナル分子をコードする遺伝子を導入して、シグナル分子の動態や細胞の反応を調べるのが普通だった。この研究ではTcRから細胞骨格の重合反応まで全部で12種類のシグナル分子を人工膜上で再構成し、全く生きた細胞を使わないでシグナル分子の相互作用を研究している。この時、LATと呼ばれる、TcRからのシグナルでリン酸化され、それ以降のシグナルの仲立ちをする分子を中継点としてシグナルを再構成している。例えば、LATは人工膜上を単独で行動しており、蛍光標識しても顕微鏡で見ることはできないが、TcR受容体(CD3)、LcK、Zap70とLATより上流のシグナルをつないでくると、LATが膜上で集まり顕微鏡で見えるクラスターを作る。その時、脱リン酸化酵素の作用が強いと、このクラスターは消失する。このように、 TcR刺激から始まるLATの集合離散をダイナミックに可視化することに成功している。この時脱リン酸化作用を持つCD45は、Zap70がTcRに集まるとLATのクラスターから排除されることも、分子の実際の行動として見ることができる。
更に、LATがリン酸化された後のシグナルも、活性化型LATが下流のリン酸化酵素Nckのクラスター化を促進し、それによってアクチンの重合が誘導されることまで可視化することに成功している。
シグナル研究という点では、示されたシナリオは、これまで知られていたことの確認だが、それを全く生きた細胞を使わず再構成したことには驚かされる。もちろん知らなかったのは私だけかもしれないが、これまで抽象的に理解していた過程が、具象的に現れるのを見ると感動する。勿論研究面でも、本当の生化学が可能になるだろう。21世紀、無生物と生物の橋渡しが確実に進む実感が湧いてくる。