10月7日:糖尿病から起こる腸症状の原因(10月1日号Cell Stem Cell掲載論文)
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10月7日:糖尿病から起こる腸症状の原因(10月1日号Cell Stem Cell掲載論文)

2015年10月7日
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膵臓のβ細胞が自己免疫反応で消失してしまう1型糖尿病の患者さんの多くに、腹部膨満、過敏性腸症候群などの腸疾患が併発することが知られている。実際には1型に限らず、糖尿病で高血糖が長期に続くことによる合併症で、糖尿病性腸疾患と名付けられている。糖尿病による合併症のほとんどは血管障害がその背景にあるとされており、糖尿病性腸疾患も同じように理解されていた。ところが今日紹介するハーバード大学からの論文は糖尿病性腸疾患が大腸の幹細胞の機能不全によって引き起こされることを示した研究で10月1日号Cell Stem Cellに掲載された。タイトルは「Circulating IGF-I and IGFBP3 levels control human colonic stem cell function and are disrupted in diabetic enteropathy(血中のIGF-1とIGFBP-3はヒト大腸の幹細胞機能を調節しており糖尿性腸疾患ではこの機能が障害される)」だ。タイトルにあるIGFはインシュリン様増殖因子のことで様々な細胞の増殖を誘導する。一方、IGFBP-3はIGFと結合してIGFの増殖作用を調節している。まず驚くのは、このグループは患者さんの大腸の幹細胞機能を、慶應の佐藤さんとオランダのCleversらが開発した試験管内での腸上皮オルガノイド形成法を用いて調べている点だ。恐らく研究者にとっても患者さんにとっても大変な実験だったと思う。論文ではまず、糖尿病性腸疾患の患者さんの大腸は組織学的に上皮形成が障害されており、また幹細胞が減少していることに気がついている。そしてこの原因が血管障害ではなく、細胞増殖に関わるIGF-1とIGFBP-3のバランスが乱れることが原因であるという可能性にたどり着く。すなわち、患者さんではIGF-1が低く、IGFBP-3が上昇している。あとはこの分子の大腸幹細胞への作用、高血糖との関係、これを標的とした治療可能性などについて様々な実験を行い、次の様な結論に達している。高血糖は食物摂取を抑えるためのシグナルとなって肝臓のIGFBP-3産生と分泌を誘導する。分泌されたIGFBP-3はIGF-1と結合して作用を抑え、幹細胞の増殖を抑える。さらにこの研究では、フリーのIGFBP-3がTMEM219と呼ばれる受容体に直接結合して幹細胞の細胞死を誘導することを発見している。この様にIGFBP-3の過剰生産は幹細胞抑制のための2重効果を持っている。IGFBP-3異常分泌は膵臓移植を受けた患者さんでは完全に正常化し、また幹細胞の活性も正常に戻る。最後に、IGFBP-3分子のTMEM219への結合を阻害すると、幹細胞が正常化することをヒト大腸幹細胞培養およびマウスモデルで確認している。糖尿病の異常は血管だと決めつけず、新しい可能性を追求、証明した面白い研究だ。特に、今回明らかになったシグナルを標的に薬剤が開発され、1型糖尿病の患者さんが合併症から解放されることを期待したい。
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10月6日:2015年ノーベル医学生理学賞受賞理由:格差問題解決の科学への期待

2015年10月6日
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今年のノーベル賞は日本の大村智、アイルランド生まれのアメリカ人William C. Campbellさん、そして中国人としては初めての受賞者になる屠呦呦さんの3人が受賞した。日本人が受賞したこともあるが、今年から受賞理由として出されるプレスリリースをこのページで解説することにした。今年はその最初になる。   今回の賞金は、半分が大村智さんとWilliam C. Campbellさんによる円形動物による寄生虫感染症(象皮症と河川盲目症)に対する薬剤アベルメクチンとその誘導体の開発、残りの半分が屠呦呦さんにマラリア原虫に対する新しい薬剤アルテミシニンの開発に対して与えられている。受賞理由の出だしに、この3人が開発した薬剤が世界のもっとも貧しい人たちを救っていることが強調されている。現在、分子標的薬や抗体薬など高価な薬剤が続々開発され、先進国の医療保健システムが崩壊するのではないかと懸念されている時、科学はその本来の姿に帰るべきではないかと意思表示をしたのではないだろうか。 次に「寄生虫がおこす悲惨な病気」という見出しで、それぞれの薬が効果を持つ病気について解説している。まず未だ世界の三分の一の人たちが寄生虫病に苦しんでいること、中でもフィラリアによるリンパ管炎症からくる象皮病や陰嚢水瘤、オンコセルカによる角膜炎症からくる河川盲目症が一生続く苦しい病気であるかを述べている。次にマラリアについて、もっとも弱い人たちが感染し、年間45万人、特に子供達が命を落としていることを述べ、この業績の意義を強調している。 次に「細菌や植物から新しい抗寄生虫薬の開発」という見出しで、それぞれの開発研究について述べている。まず大村さんが、ワックスマンがストレプトマイシンを発見しノーベル賞に輝いたストレプトマイセスに注目し、土壌からの培養方法を開発したこと、その中から50種類の系統を分離して抗生活性を調べられるようにしたこと、そして寄生虫の専門家キャンベルさんがその中からアベルメクチンを抽出した経過を述べている。この説明に使われた図が意味深だ。日本を象徴する富士を見上げるゴルフコースとゴルフボールのある地上に対し、その地下深くに存在するストレプトマイセスを対称させている。深読みかもしれないが、これも格差問題の科学への期待の表明に思える。最後に、アベルメクチンが人間から家畜まで多くの寄生虫の特効薬として広く使われていることを述べている。 次に中国屠さんの業績に移って、まだ中国が貧困に喘いでいる時、中国の漢方に基づいてマラリア薬開発に乗り出し、Artemisia annuaオウカコウにその作用があることを発見、その後古い漢方の医学書を参考にしながらアルテミシニンの開発に成功したこと、そしてこの薬剤がクロロキンやキニーネと比べ格段に優れた薬効を示したことを述べている。 そして「アベルメクチンとアルテミシニンは世界の健康に貢献する」という見出しで、アルベミクチンとその誘導体イベルメクチンが寄生虫の特効薬として世界のもっとも貧しい地域で人々を救っていること、そしてアルテミシニンの開発によりマラリアの死亡率が20%以上改善され、特に児童の健康に役立っていることを強調して終わっている。 もともと大村さんはガードナー賞、屠さんはラスカー賞を受けており、当然の受賞と言っていい。特に今回は、サイエンスやネーチャーといったトップジャーナルも、格差問題のための科学を後押しする姿勢を見せている。このような中で、今回のノーベル賞も同じメッセージを世界に送ったように思える。経済学賞もこれに続くのか、興味がある。
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10月5日:大腸・直腸ガンが抗EGFR抗体治療に耐性になるメカニズムの大規模探索(Natureオンライン版掲載論文)

2015年10月5日
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ガンのゲノム解析から発ガン遺伝子を割り出し、それを標的にした治療が始まった頃、その効果に多くのガン研究者は驚いた。全身に広がっていたガンが、瞬く間に消えてしまうという例が続出したからだ。しかし、時間が経ってみると、ほとんどの分子標的薬治療は効果が一時的で、まずほとんどが再発してくることが明らかになってきた。もちろん延命効果は明確なので、進行ガンでは重要な治療法であることは間違いがないが、高価な分子標的薬をむやみに使わないよう、治療を根治可能性のある治療と、延命に限られる治療に分類して保険適用の仕方を変えようとする動きが欧州で始まっている。一方、がん研究でも、これまでのように治療標的を洗い出して薬剤を開発するという単純な方向性から、がんの根治可能性という観点から薬剤開発を進めることが始まっている。現在この方向の研究開発では、これまでのように単剤で効くというより、薬剤を組み合わせた時に根治が可能な薬剤の探索が一つの主流になっている。今日紹介するイタリア・トリノ医大からの論文はこの方向を目指した研究の代表例でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「The genomic landscape of response to EGFR blockade in colorectal cancer(大腸・結腸癌の抗EGFR抗体治療抵抗性のゲノムレベルの解析)」だ。この研究自体には新しいアイデアや発見があるわけではない。ただ、進行性大腸・結腸癌の症例を集め、治療前後、あるいは腫瘍の動物への移植実験を愚直に繰り返し、進行ガンで現在使われているEGFR抗体による治療に耐性を示すガンに共通の遺伝的原因を探索している。この研究では、このガンで多く見つかるras遺伝子変異を持つ例をすべて除外しているのは、現在のところ変異rasに対する有効な薬剤が存在しないからだ。詳細は割愛するが、様々な遺伝子変異が抗EGFR抗体治療抵抗性の背景としてリストされている。重要なのは、同じ変異を動物にガンを移植するモデルでも確認できることだ。さらに、こうして見つかった変異遺伝子が抵抗性獲得に一枚噛んでいるかどうか調べるため、抗EGFR抗体治療に反応性する細胞株に候補遺伝子を導入する実験も行っている。これらの多くの結果から、臨床にとって重要な幾つかの結論に到達している。
1) 受容体型チロシンキナーゼの下流でシグナル伝達に関わるIRS2の増幅があるガンでは、治療に対する反応性が高い。したがって、IRS2が発現しているかどうか、この薬剤の効果を予測するマーカーとして利用できる。
2) 細胞株に薬剤抵抗性の候補遺伝子を導入する実験系は、治療薬選択のための実験系になりうる。
3) 抵抗性の原因になった分子に対する標的薬と抗EGFRとの併用療法は高い効果を示すことが多い。 だ。
読んでみて、この結果が根治治療法につながるかと問われれば、まだまだと答えざるをえないが、愚直に症例と動物への移植実験を積み重ねる研究スタイルには好感が持てる。我が国のがん治療研究もがんの根治に焦点を絞って研究を進めるときがきたように思う。
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10月4日:アミロイド形成は悪いことばかりではない(10月8日号Cell掲載論文)

2015年10月4日
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今年の7月「長期記憶を担うプリオン型分子」というタイトルで、ノーベル賞受賞脳科学者エリックカンデルの論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3720)。CPEB3と呼ばれる分子が神経刺激でプリオン型重合物を形成し、長期間記憶を維持しているという発見で、恐ろしいプリオン的性質にも本当は生理学的機能があることを示した驚くべき論文だった。今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文もこれとよく似た内容で、Rim4と呼ばれるRNAからタンパク質への翻訳を調節する分子のアミロイドを形成能力が減数分裂に必須であることを示した研究で10月8日号のCellに掲載された。タイトルは「Regulated formation of amyloid-like translational repressor governs gametogenesis (調節された翻訳抑制分子のアミロイド様構造形成が配偶子形成を調節している)」だ。この研究の対象は、出芽酵母が飢餓に陥ったり、フェロモン刺激を受けたとき起こる減数分裂過程で、特に減数分裂調節の鍵となる過程の一つ、Rim4によるサイクリンBの転写抑制過程を解明した研究だ。減数分裂初期のサイクリンBの活性を抑えるのは、これまでRim4によるサイクリンBの翻訳抑制によることはわかっていたが、抑制のメカニズムは明らかでなかった。まず著者らはアミロイド様ファイバー形成分子が共通に持つ構造をRim4も持っており、減数分裂初期に細胞内で重合し、アミロイド様ファイバーを形成することを発見する。病気を引き起こすアミロイドファイバーと異なり、このアミロイドは減数分裂が次の段階に入ると分解できる。これにより、それまで抑制されていたサイクリンBを急速に細胞内で回復させることができる。次に、このアミロイド形成が減数分裂に必要かどうか調べるため、アミロイド形成に必要な領域を削った分子を作成してその作用を調べると、アミロイド形成能が落ちるとともに、翻訳の抑制活性も失われることが明らかになった。その他いくつかの実験から、1)Rim4が減数分裂刺激後アミロイド様ファイバーを形成する、2)この重合によりRim4に結合したサイクリンBのRNAが翻訳機構から隔離される、3)その結果減数分裂第1期にはサイクリンBの活性が抑えられる、という過程で減数分裂が進むことを示している、。最終的なメカニズムは不明だが、実際酵母を飢餓にさらすと、急速にRim4がアミロイド様ファイバーを形成する。その後第2期に入ると、この重合体は分解され、サイクリンBタンパクが作られ、細胞分裂が起こるというシナリオだ。減数分裂では、普通の分裂では並行して進む染色体の分離と細胞分裂を切り離して調節することが重要になるが、これをタンパクのアミロイド形成能を積極的利用してサイクリンRNAを隔離することで行うとは何と巧妙な方法かと驚く。まあ、これは酵母の話だからと思っていたら、最後に哺乳動物のDAZL分子も減数分裂時に重合物を形成する可能性があることを示している。新しいアイデアなので、おそらく様々な種の減数分裂過程で、同じような調節されたアミロイド形成が必要かどうか研究が進む予感がする。しかし、プリオンにしてもアミロイドにしても、人間側から見ると悪い話しか出てこないが、本当は生命にとって重要な機能として生まれてきた可能性が高い。思い込みを排し頭をフレキシブルに保つ必要を感じる今日この頃だ。
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10月3日:喘息につながる腸内細菌叢(9月30日号Science Translational Medicine掲載論文)

2015年10月3日
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5月18日、乳児期の腸内細菌叢の発達を調べたスウェーデンの研究を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3444)。この研究によると、正常分娩で生まれた乳児の腸内細菌叢は、母親の皮膚や口内細菌層の移入により始まり、離乳時期まで徐々に多様性が増大するが、セルロース分解細菌などは離乳食が始まってから増殖することが示された。この過程で育って(?)くる腸内細菌と、アトピーなどの発症を比べた研究も盛んに行なわれ、離乳食が始まるまでの細菌叢の多様性が低いとアトピーの危険性があるなど論文が散見されるようになった。ただ、この分野は始まったばかりで、まだまだデータを集める必要がある。今日紹介するバンクーバー、ブリティッシュコロンビア大学からの論文は3ヶ月齢で腸内細菌叢検査を含むアレルギー検査を行った後3年間追跡して小児喘息の発症を調べたコホート研究で9月30日号のScience Translational Researchに掲載されている。タイトルは「Early infancy microbial and metabolic alterations affect risk of childhood asthema(乳児期早期の腸内細菌叢と代謝の変化が小児喘息のリスクに影響する)」だ。この研究ではカナダで大規模に行われている新生児のコホート研究参加者の中から319人のボランティアを募り、3ヶ月齢、1年齢の便腸内細菌検査、及び1年目のアレルゲン反応テスト、及び喘鳴の有無などを調べるアレルギーテストを組み合わせ、3年目で小児喘息の発症を調べている。これまでの研究から1歳でのアレルギー検査陽性で喘鳴の経験のある子供の77%が学童期までに喘息を発症することが知られており、このハイリスクグループと正常群を比較している。3歳齢での喘息発症を調べているなら、数は少なくとも実際の発症例のデータも示せたのではと少し残念に思った。さて結果だが、これまでの研究とは少し違って、喘息ハイリスクグループの腸内細菌叢が特に多様性が低いという結果にはならなかったようだ。ただ、定量的PCRで特定の細菌の量を調べると、3ヶ月齢のハイリスクグループで有意な低下が見られる4種類の細菌を特定することに成功している。この減少により腸内で様々な代謝経路が変化すると考えられるが、この研究ではリポポリサッカライドの合成経路が変化して免疫系をアレルギーの方向性へと引っ張ると考えているようだ(もちろん完全な証拠はない)。その上で、これらの代謝変化による尿中代謝中間物を調べて、幾つかの大きく変化する代謝中間物を特定している。特に、胆汁の分解物であるウロビリノーゲンの上昇は、腸内細菌叢の状態を調べるための指標として使えるのではと期待させる。最後に、4種類の細菌が減少しているハイリスクグループの便を移植したマウスに、この4種類の細菌を戻すことで宿主の免疫反応を正常化できるかマウスを用いた実験を行っている。実際の実験では、まず大人の無菌マウスに便を移植し、このマウスから生まれた子供が同じ細菌叢を維持していることを確認した上で、新生児期に存在する4種類の細菌の肺の炎症に及ぼす影響を調べている。この結果をそのまま人間に当てはめて良いかは判らないが、この4種類の細菌が新生時期に腸内に存在すると、肺の炎症が著明に抑制できることを示し、確かにこの4種類の細菌が喘息など気道炎症発症を抑制する効果があることを示している。考えてみると、私たちの子供の頃はアトピーも喘息もずっと少なかった。代わりに、寄生虫は誰もが持っていたし、様々な細菌とも共存していたはずだ。それが、現代まで環境はどんどん清潔になってきて感染症などは激減した代わりに、アトピーや喘息の子供が増えた。この意味で、細菌層の研究は極めて重要だ。今日紹介した研究は、喘息になるリスクを細菌層全体ではなく特定の細菌と相関させた点で、将来簡便な検査開発へと発展する可能性がある。また、尿中の代謝中間物がこの4種類の細菌と相関している可能性を示したことも、新しい検査法の開発につながる。今後、この結果をもとに新たなコホート研究が進むだろう。期待したい。
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10月2日:1000人ゲノム計画第三弾(10月1日号Nature掲載論文)

2015年10月2日
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1000人ゲノム計画は、ヒトの遺伝多様性について詳細なカタログを作るため2008年にスタートした国際コンソーシアムで、2010,2012年とその成果を発表し、人間とはどんな種なのか?を理解するため、また疾患の遺伝子を発見するためのリファレンスデータとして重要な貢献をしてきた。次世代シークエンサーの利用が容易になったことから、今日では何万人規模のゲノムデータが続々発表されるようになってきたが、このプロジェクトは幾つかの点で、重要なデータベースとして機能し続けている。まずこのプロジェクトは全世界から広くサンプルを選んで解析を行っており、ここまで多様な人種を集めたデータベースはない。次に、このプロジェクトではただ全ゲノムシークエンスを集めるのではなく、それぞれのサンプルを全ゲノム、エクソーム、SNPアレーを用いて別々に解析し、様々な臨床や研究のニーズに応えられるようになっている。さらに、約半分のサンプルで親や子のゲノムも集めて、染色体型を再構築できるよう計画されている。最後に、このデータはすべて公開されており、実際論文を読んでいると、1000人ゲノム計画からデータ引き出して使っているゲノム論文を数多く見ることができる。ひょっとしたら2012年の論文で一段落してしまっていたのかと勘違いしたが、今もこのデータベースを完璧にする努力が続いており、さらに精度を上げたデータが今回第三弾として、10月1日号のNatureに発表された。タイトルは「A global reference for human genetic variation(人間の遺伝的多様性の世界規模のレファレンス)」だ。今回の論文の要点は、新しくサンプルを加え(特に南アジア人)、ほとんどの多型をカバーできるようにしただけでなく、日進月歩の情報処理技術を使って、SNP、挿入欠失、染色体の構造変化などが統合された染色体型を再構築して利用できるようにしたことだろう。全体を紹介するにはあまりにデータが膨大なので、今日は一般の人にもわかりやすい幾つかの点について紹介しようと思っている。まずヒトとチンパンジーのゲノムは2%としか違わないと言われているが、人間同士も約500万カ所、塩基数では約2000万塩基違っている。ゲノムを30億塩基とすると、ゲノムの1%近くが人間同士で違っていることになる。ただ、この違いのほとんどは、極めて稀な変異で、人種や集団を特徴付けているものはそう多くなく、5%以上の人が共有する変異はたかだか800万塩基程度だ。この中に、人種や民族を横断的を特徴付ける変異があるが、人種横断的に見るとアフリカ人が並外れて特異的変異を持っている。全ての変異についてみると、アミノ酸レベルの変異は1万近く存在し、150近くの変異ではタンパクの構造が変わっている。重要なのは、遺伝子発現を調節する領域遺伝子領域の変異が50万近くに上ることで、個人の特徴はやはり遺伝子発現の小さな差の集まりで決まるようだ。もう一つ面白い結果は、アフリカ人とヨーロッパ・アジア人の10万年単位の人口推移で、ヨーロッパ・アジア人の人口が氷河期で絶滅に近いところまで減少した時もアフリカ人の人口減少は軽度ですんでいることがゲノムデータから推察できる。これにより、当時の地球環境まで推察できそうだ。最後に、健康や医療への貢献だが、全てのサンプルでカバーできていないため診断に使えなかった遺伝子マーカーを推計学的に特定するインピュテーションの精度が大きく上がったのは重要だ。実際の検証として、黄斑変性症のゲノムを対象にして、今回の研究により生まれた新しい診断可能性も示している。ゲノム診断に関わる人たちには重要な情報だと思う。他にも、ぜひ伝えたいと思う内容も多いが、病気の遺伝子を含み新しい問題が研究されるたびにこのデータベースは重宝されていくだろうから、その時に紹介すればいいだろう。ヒトゲノムの最初のドラフトが発表されて15年、最近のゲノム研究の進展を見ると、素人の私にも人間のことが本当にわかってきたと実感させる。そして何よりも、人間一人一人はこれほど多様化していることがわかる。それがわかっても、民族だ、人種だと差別したがるのは本当に虚しいことだと早く気付くべきだろう。
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10月1日:スーパーエンハンサーを標的にする白血病治療(Natureオンライン版掲載論文)

2015年10月1日
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これまで遺伝子の発現調節過程は、化学化合物による治療の標的として適さないと考えられてきた。というのも、この過程ではタンパク質とDNAやタンパク質同士の相互作用のように、小さな化合物では抑制しきれない反応が中心になっているからだ。ところが最近になって、転写にも化合物が特異的に抑制可能な様々な過程が含まれていることがわかり、転写を標的にする薬剤の開発が進み始めている。今日紹介するハーバード大学からの論文は細胞のアイデンティティーを決定しているスーパーエンハンサーの活性調節に関わるメディエーターと呼ばれる巨大複合体形成過程を標的に白血病を治療できないか調べた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは、「Mediator kinase inhibition further activate super-enhancer-associated genes in AML(メディエーターリン酸化酵素を阻害すると急性骨髄性白血病で働いているスーパーエンハンサーにより支配される遺伝子発現がさらに更新する)」だ。すでに述べたように、この研究の目的はスーパーエンハンサーを標的にして抗ガン治療が開発できないか調べることだ。そのためにこの研究では、メディエーターと呼ばれる分子複合体の構成成分の一つCDK8に目をつけた。CDK8はサイクリンにより活性化されるリン酸化酵素で、リン酸化を介してメディエーターの活性を調節していると考えられている。研究ではまず、骨髄性白血病(AML)株でCDK8がスーパーエンハンサーの構成成分としてこのAMLで働いていることを染色体沈降法で確認している。次に、CDK8の阻害剤として開発されたCAが期待通りCDK8活性を抑制できるか調べ、CDK8のリン酸化活性に特異的な阻害剤として働くことを生化学的に確認し、この阻害剤が顆粒球系や巨核細胞系の白血病の増殖を抑制することを見出す。この抑制活性は、白血病の異常増殖に関わるドライバー遺伝子を問わないことから、顆粒球系細胞としてのアイデンティティー維持機構を乱すことで効果が見られると結論している。事実、赤血球系の白血病ではこの阻害剤の効果はない。最後に、なぜ細胞のアイデンティティーを決めるスーパーエンハンサー活性を変化させると細胞の増殖が落ちるのか調べるために、スーパーエンハンサーに支配される遺伝子がCDK8阻害によりどう変化するか調べると、予想に反し支配される多くの遺伝子の発現が上昇していることを見出している。その中には転写を介して細胞の増殖を抑制する分子が含まれており、これらの分子だけを過剰発現させてやると細胞増殖が抑制されることから、CDK8阻害により、増殖抑制効果を持つ一群の分子の発現が上昇することが、白血病の増殖が抑制されたのだと結論している。この研究はCDK8がメディエーターの活性をただ亢進させているのではなく、適正なレベルに維持するための調節因子である可能性を示した点で、基礎的にも面白い結果だと思う。最近、転写過程、特にスーパーエンハンサーを標的にした薬剤開発の論文が増えてきたが、詳しく見るとこれだけでガンを根治できるようには思えない。また、作用機序から言っても副作用の覚悟の必要な治療法になるだろう。しかし、ガンに対する手段を拡大するという意味では、急速に創薬が進んでいる実感があり、今後も注目すべき分野だろう。
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9月30日:気候変動とマルハナバチの形態変化(9月25日号Science掲載論文)

2015年9月30日
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2日前に進化の時間過程を目撃することは難しいと述べたばかりだが、短い期間で形質の変化を観察できるかどうかは、形質に必要な変異の数(起こりやすさ)、種の増殖力、そして選択圧の強さにかかっている。最も有名な例が、19世紀産業革命真っ只中のロンドンで街が黒い煤煙で覆われるに従って、白い蛾の一種が急速に真っ黒な蛾に変化したという観察だ。これは、それまで鳥から身を守る保護色として機能していた白い色が、環境が煤けて逆に目立つようになり、身を守るためには黒い羽を持つ変異体が有利になり、あっという間にすべての種が真っ黒になったという記録だ。驚くべきことに、大気汚染が解決した現在では、この蛾の羽は白色に戻っているようだ。このように、場合によっては昆虫の形態は環境の変化を反映できると期待できる。今日紹介するニューヨーク、サニーカレッジからの論文は、ロンドンの蛾と同じ現象をミツバチに似たマルハナバチで観察した研究で9月25日号のScienceに掲載された。タイトルは「Functional mismatch in bumble bee pollination mutuallysm under climate change(マルハナバチの受粉の相互依存性が気候変動でミスマッチを起こした)」だ。この研究でまず驚くのはロッキー山脈に生息するマルハナバチの標本が何年もにわたって保存されていることだ(実際にはわが国を含めどこでも行っているのかもしれない)。この研究のきっかけは、マルハナバチが蜜を吸う舌の長さが、1955−1980年に採取したハチと、2012−2014年採取したハチでなんと24%も短くなったという発見にある。このハチの舌の長さは、生息地に分布する花の花冠の長さに適応していたことが知られていた。もし舌が短くなると、これまでペアを組んでいた花との相互関係が崩れることになる。そこで、ペアを組む花の方が変化したのかを、現在ハチがどの花の蜜を吸うのか観察して調べると、ペアを組んでいた花側が変化したのではなく、ハチの方が様々な花の蜜を吸うようになったことがわかった。すなわち行き着いた結論は、ロッキー山脈での花の数が減って、これまでペアを組んでいた花だけではハチが暮らせなくなり、様々な花の蜜を吸えるよう舌を短くしたようだ。ロッキー山脈での花の分布を調べてみると、たしかに3800m以下では花全体の数が半分以下に減っている。その間平均気温は2度近く上昇していることから、温暖化の影響でロッキーの花の数が急速に減り、その結果ハチの方もこれまでペアを組んでいた花に特化しては生きていけないため、舌を短くして多様な花の蜜で生きるよう変化したという結論を導き出している。悲しいことに、昔も今も、結局工業化により昆虫が強い選択圧にさらされ、形態の変化を余儀なくされているのがわかる。しかし舌が長ければどんな花にでも対応できるように思えるのに、結局無駄を省いて舌を短くして適応していることを知って、素人の私は舌を巻いた。
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9月29日:レプチンの新しい作用(9月24日号Cell掲載論文)

2015年9月29日
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遺伝的肥満マウスob/obの原因遺伝子としてクローニングされたレプチンは、ギリシャ語の「満腹:レプトス」から名前が付けられ、そのまま日本語にすると満腹ホルモンになる。脂肪細胞で作られ、脳血管関門を超えて中枢神経に働き、満腹感を更新し空腹感を抑える肥満に悩む現代には理想的な作用を有している。さらに、レプチンは神経系を介して、褐色脂肪細胞を活性化させ脂肪を燃やし、自律神経を介して白色脂肪組織で脂肪を融解する代謝効果ももち、抗肥満ホルモンとして理想的性質を持っている。ただ他にも様々な生理作用を有しており、肥満の特効薬として服用するというわけにはいかず、レプチンの下流で働くシグナルを調べ、それを標的にしようと研究が進んでいる。今日紹介するポルトガル、グルベキアン研究所からの論文はレプチン刺激が白色脂肪細胞での脂肪融解に繋がる経路を明らかにした研究で9月24日号のCellに掲載された。タイトルは「Sympathetic neuro-adipose connections mediate leptin-driven lipolysis(交感神経と脂肪組織の結合がレプチンによる脂肪融解に関わる)」だ。この研究以前にも、レプチンが白色脂肪組織と直接神経的に結合している交感神経を刺激し、脂肪細胞での脂肪融解を誘導する可能性は示唆されていた。ただ、証拠は間接的で、様々な新しい方法を組み合わせてこの仮説を証明したのがこの研究だ。まず脂肪細胞と交感神経が直接結合しているかどうか調べるため、脂肪組織と交感神経との直接結合について組織学的に調べている。これまでも同じ実験は行われているが、この研究では脂肪組織全体を取り出し、立体組織の中まで見やすいように透明化し、組織全体をそのまま染色して、実際に脂肪組織に交感神経が接合していることを示している。次に、生きたまま脂肪組織の交感神経を観察する方法を用いて約8%の脂肪細胞に神経端末が結合していることを確認している。次に、やはり流行りの光遺伝学を用いて脂肪組織を支配する交感神経を持続刺激し、光による交感神経興奮の維持により刺激された側の脂肪組織が消失することを示している。最後に、脂肪組織と結合する交感神経を切断したり遺伝子導入により除去することで、レプチンの脂肪融解効果がなくなり、この効果は交感神経が分泌するノルエピネフリンやエピネフリンを介して脂肪細胞に伝わっていることを明らかにしている。研究自体は驚きというより、堅実で、最新の技術を使ってこれまでの仮説を証明するというスタイルの論文だ。ただずいぶん昔、まだ研究インフラが整っていないグルベキアン研究所でポルトガルの大学院生の集中講義に携わった私としては、この研究所がアイデアで勝負するだけではなく、最新のテクノロジーを使って研究を行うところまで発展したことを知って特に感慨が深い論文だった。
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9月28日:イヌイットの寒冷地適応(9月18日号Science掲載論文)

2015年9月28日
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進化をその時間経過を追って経験することはほとんど不可能だ。分裂速度が速い大腸菌でも、レンスキーたちのNature論文(vol489, 513, 2012)によれば、全く新しい形質が生まれるまでに25年もかかっている。このため我々が進化を実感できるのは、長い時間の進化の結果としての多様性を実感するときだ。ただ、ダーウィンの時代と違い、私たちは多様性の背景にあるゲノムの多様性を相関させることができる。特に形質の違いとしてしっかり認識できる民族のゲノム解読が進んだおかげで、ダーウィン進化論を肌で実感できるようになってきた。今日紹介するロンドン大学からの論文は多様化した集団の自然選択過程を調べた研究で9月18日Scienceに掲載された。タイトルは「Greenlandic Inuit show genetic signatures of diet and climate adaptation(グリーンランドのイヌイットには食事と機構への適応の痕跡がある)」だ。イヌイットはアメリカ原住民と共通祖先を持ち、北極圏の寒冷地に何千年も居住してきた民族で、グリーンランドに住む民族は1000年前に現在の土地に移ってきグループだ。オメガ脂肪酸を含む魚とアザラシの肉が中心の食生活を送っており、寒冷地適応とともに、大きな選択圧を形成してきたと考えられる。アザラシの油を多く取り、野菜とは無縁の生活をしていると考えるだけで現代人は不健康だと思うが、彼らは健康だ。これまでもブドウ糖摂取に関わる遺伝子の変異の存在が指摘されていた。この研究では、代謝に特化したSNPアレーを用いて、グリーンランドに居住するイヌイットの内、ヨーロッパ人のゲノム流入が5%以下の人を選んで調べ、これまで調べられた欧州人や中国人の結果と比べ、イヌイットに特徴的なSNPを探索している。様々な遺伝子でイヌイットに特徴的な一分子多型を見つけているが、一般の人の興味を最も引くのは11染色体のFADS1,FADS2遺伝子にイヌイットに特徴的なSNPが存在するという結果だろう。特にFADS2は脂肪酸を不飽和化して、生物活性のある脂肪酸(例えばアラキドン酸)に変換する酵素で、ドンピシャの遺伝子に落ちてきたと言える。実際この領域のSNPの一つは、欧州人の血中脂肪酸のレベルと相関することも知られている。脂肪代謝の指標と相関するのは当然として、意外なのはこのSNPがなんと身長に強く相関しているという発見だ。同じ相関は欧州人の身長でも認められる。これらの結果から、脂肪酸を不飽和化する酵素の存在する領域の変異が魚類やアザラシから多くの脂肪を摂取するイヌイットの代謝を代償し、私達から見たら不健康そうな食事でも健康を保てるよう選択されていると結論している。さらに、身長との相関については、これらの酵素により生成される生物活性のある不飽和脂肪酸が成長ホルモンの分泌に影響した結果だろうと結論している。実際の進化の時間を推計すると、この選択はイヌイットがグリーンランドに移住するよりは遥か昔に極寒の地に適応し始めた時から起こったのだろうと推定している。この研究も一例にすぎないが、様々な民族のゲノム研究を見ると、ゲノムの多様化と環境に合わせた形質の選択により、新しい民族が作られていることを実感する。おそらくダーウィンもこんな日が来るのを夢見ていただろう。
カテゴリ:論文ウォッチ
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