5月30日 前立腺ガンエピジェネティックス研究の一種のお手本(5月25日 Science 掲載論文)
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5月30日 前立腺ガンエピジェネティックス研究の一種のお手本(5月25日 Science 掲載論文)

2022年5月30日
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次世代シークエンサーが導入されてから、ガンの研究が、まず、ゲノムの変化とガンの発生や経過を対応させる試みから始まった。これは大きな成果を生み、ガンの標的分子の同定やガン免疫の対処法になるネオ抗原の特定を通して、新しい治療開発をリードしてきた。

一方で、ガンの発生や進行を支えるのはゲノム変異だけでないことも明らかになってきた。特に、前立腺ガンでは、治療によりうまくコントロールされていたアンドロゲン依存性の段階が、医者も気づかないうちに悪性転換を遂げてしまうことがよく知られている。私も友人をこの悪性転換で失ったが、普通の経過観察で病院を受診したとき、もはや治療の方法がないと宣告されるという過酷なものだ。この過酷さについては、亡くなった西郷輝彦さんの闘病経過が報告されることで、広く知られているようになった。

この課題を克服して、悪性転換した前立腺ガンを治療できるようにするには、遺伝子の発現を調節しているエピジェネティックスを調べる必要がある。今日紹介する米国コーネル大学からの論文は、まさにこの課題にチャレンジして、一つの治療標的を発見した研究で、5月25日Scienceに掲載された。タイトルは「Chromatin profiles classify castration-resistant prostate cancers suggesting therapeutic targets(去勢抵抗性の前立腺ガンの染色体プロファイルにより分類することで治療標的が特定できる)」だ。

しかし、この研究を読んで改めて認識したが、最近のガン研究を後押ししている最も有効な技術の一つは、慶応の佐藤さんたちが開発してきた臓器のオルガノイド培養ではないかと思う。この研究でも、前立腺ガンのオルガノイドライブラリーをまず整えた上で、オルガノイドのクロマチンの on/off を何度も紹介している ATAC-seq と呼ばれる方法で解析している。

この結果、前立腺ガンは、ゲノムに特段の変化がなくても、クロマチンの違いで、少なくとも4種類に分類できることを示している。クロマチン変化も、結局は遺伝子発現に反映されるのだから、一般的転写プロファイルで話はすむのではとも言えるが、現在急速に進むゲノムや様々なオミックスに対するインフォーマティックスの進歩の結果、クロマチンと対応させることで、より機能的なガンに関わる転写のネットワークを明らかに出来ることが、この研究でも示されている。そして、この結果、それぞれのガンのタイプを決めている特徴的な転写因子ネットワークやシグナルについて明らかにしている。

また、オルガノイドの解析から導いたそれぞれを特徴付ける転写因子が、そのまま悪性転換した前立腺ガンの患者さんの分類にも使えることを示している。この臨床分類は重要で、例えばアンドロゲン治療に抵抗性が獲得されたとはいえ、まだアンドロゲン受容体が転写ネットワークの中核に存在するガンのタイプは、新世代のホルモン治療組み合わせが、他のタイプと比べてより効果を示すことから、分類に基づく治療が可能になることを示している。

このタイプ以外のガンは、これまで他の方法で特定されていた、Wntシグナルが強く効いているタイプ、神経内分泌系の転写経路が強く発現したタイプに加え、全く新しい幹細胞に見られる転写因子が強く発現したタイプの3種類だが、この研究では新しく見つかった幹細胞型に特に焦点を当てて、解析を進めている。

その結果、幹細胞型のクロマチン変化を誘導する最も重要因子として、AP1 と、それと直接結合するYAP、TAZ、TEAD が存在することを示している。そして、YAP システムや AP1 を阻害することで、このタイプの増殖を強く抑制できることを示している。

以上、極めて単純省略して紹介したが、実際のデータは膨大で、ガンのエピジェネティック研究の方向性を知る意味で重要な研究だと思う。

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5月29日 糖尿病で傷の治りが悪い一因としてのエフェロサイトーシスの低下(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月29日
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エフェロサイトーシスは、ラテン語の死体を墓に埋めるという意味のefferreから命名された言葉で、死んだ細胞が食細胞によって処理されることを意味する。実際、この機能のおかげで、多くの細胞が死んでしまう炎症や損傷部位でも、死細胞の数が上昇しない。

今日紹介するベルギーのVIB炎症研究センターからの論文は、炎症局所の樹状細胞によるエフェロサイトーシスを抑制するアミノ酸トランスポーター SLC7A11 が、糖尿病で上昇して損傷治癒を遅らせる原因になっているという研究で、5月25日 Nature にオンライン出版された。タイトルは「Targeting SLC7A11 improves efferocytosis by dendritic cells and wound healing in diabetes(SLC7A11を標的にすることで樹状細胞によるエフェロサイトーシスを正常化し糖尿病での損傷治癒を早める)」だ。

おそらくこのグループの目的はエフェロプトーシスを調節する様々な方法を開発することだろうと思う。マウス骨髄由来樹状細胞に、細胞死進行中のヒト細胞を取り込ませ、エフェロサイトーシスにより誘導される分子を探索している。実際には200近い遺伝子がエフェロサイトーシスで変化するが、その中から最終的に SLC7A11 を選んでいる。おそらく、この分子のトランスポート機能を阻害するエラスチンがすでに存在して研究がやりやすいのだろうと思う。実際にはエフェロサイトーシスは細胞ごとに異なる分子が働く複雑な過程だと思う。

いずれにせよ SLC7A11 はエフェロサイトーシス過程で発現が上昇し、エラスチンを用いて阻害するとフェロサイトーシスが高まることを発見している。即ち、エフェロサイトーシスが始まると、発現を高めてブレーキをかける分子であることがわかった。

次に SCL7A11 の機能を、エフェロサイトーシスが働く皮膚の損傷治癒過程でしらべているが、エラスチンで阻害するだけでははっきりと差が出ないようで、エフェロサイトーシスを刺激するため、死細胞を損傷部位に注射してエフェロサイトーシスを高めるためのちょっとしたトリックが使われている。基本的には細胞死が多く起こって炎症が高まっていることがエフェロサイトーシスにとっては重要だ。そして、この系で見ると、損傷治癒がエラスチン投与で促進することを確認している。

次に、SCL7A11 のエフェロサイトーシスブレーキのメカニズムを調べ、

  1. SCL7A11 ノックアウト樹状細胞では、グリコーゲン分解と、そこで出来たグルコースの嫌気的回答が高まっていること、すなわちSCL7A11は代謝を抑えてエフェロサイトーシスを抑えていること、
  2. SCL7A11 を阻害することで TGF ファミリー分子の一つ GDF15 が分泌され、エフェロサイトーシスが組織に分泌され、それがまたフェロサイトーシス上昇へと変えること、

を明らかにしている。

このようにグルコース代謝がエフェロサイトーシと接点を持ってきたので、最後に2型糖尿病モデルマウスを用いて CL7A11 の発現と機能を調べ、糖尿病マウスおよび GDF15 ノックアウトマウスでは SCL7A11 が強く上昇し、またこの機能を抑えると糖尿病マウスでも損傷治癒が早まることを示している。

最後のメカニズムの方は、結果か原因かがわかりにくい実験が行われており、切れ味はもう一つだが、エフェロサイトーシスを調節する一つの標的分子が見つかったことは、炎症や老化研究にとっては重要だと思う。

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5月28日 アマゾンのジャングルに覆われた伝説の都市遺構(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月28日
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伝説の文明の存在を信じて熱帯のジャングルを分け入って進むと、突然、朽ち果ててはいても、往時を偲ぶことが出来る大建造物に出くわすという話は、例えばアンコールワットの再発見を思い出すわくわくする話だが、このような冒険談とはかなり違うが、それでもわくわくする、アマゾンジャングルに隠れている遺跡の発見が、ボン大学のドイツ考古学研究所から5月25日 Nature にオンライン発表された。タイトルは「Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon(Lidarによる探索によりスペイン制服以前の人口の少ない都市生活様式がボリビアアマゾンで発見された)」だ。

タイトルにあるLidarはすでに様々なスマフォにも搭載されている、光で対象物を探り、その距離をはかるテクノロジーで、例えば車の自動運転に欠かせないセンサーにもなっている。

この研究ではジャングルにより覆われているため、衛星写真などでは発見できなかった遺跡も、Lidarによりその輪郭を発見できるのではという着想に基づいて行われている。

対象は、ボリビアで紀元後500年から1400年にかけて栄えた Casarabe 文明で、伝説ではなく、ボリビア4500平方キロメートルに広がって発見される200カ所に渡る小規模の遺跡からその存在が知られていた。ただ、これらの遺跡は都市化とは全く無縁で、一つの大きな社会システムが存在していたのかどうかが焦点になっていた。

そして、オーストリア製の精密なLidarをヘリコプターにぶら下げて、200平方キロメートルにわたってスキャンしたところ、ついに人口密度は低いと考えられるが、都市と思われる遺構を発見できたというのがこの研究の全てだ。

従って、実際の遺跡に人間が踏み入ったわけではなく、大きな構造物の輪郭が画像的に再構成されただけで、昔の探検記にある興奮はない。しかし、3重の城壁に囲まれた中心に20mにも及ぶピラミッド状の構造物や、U字型の大きな構造物が見事に立体化されているのを見ると、やはり大発見だと胸が躍る。この論文は free access なので是非論文のウェッブサイトを眺めてほしい(例えば図2:https://www.nature.com/articles/s41586-022-04780-4/figures/2)。現代のインディージョーンズは、スーツを着ていて仕事が出来るという話だ。

通常なら、その後探検隊がジャングルに分け入って、写真でも撮って論文化されるのだろうが、この Lidar の威力を見ると、その興奮で掲載されたのだと思う。もちろんすぐに実際の写真も発表されるだろう。

しかし、このような市販品の威力を見ると、ドローンに積んで当然戦争に使われているはずで、ウクライナでも Lidar 戦争が繰り広げられているのだろうと、悲しい思いにも駆られるこの頃だ。

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5月27日 驚くことにケモカイン(CCL5/CCR5)が海馬神経に働いて記憶を整理している(5月25日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月27日
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ケモカインは、発生や炎症で白血球やリンパ球を惹き付け、炎症を維持する働きがあるが、他にも神経系の発生に関わることを示唆する多くのエビデンスが挙げられている。ただ、私が知る限り、神経細胞同士の相互作用に関わり、神経機能を直接制御しているという論文は見たことがなかった。

今日紹介するカリフォルニア大学ロサンゼルス校からの論文はマクロファージからリンパ球まで広いスペクトラムの細胞に作用する CCL5 とその受容体が神経系に発現し、context memory と呼ばれる異なる事象の記憶のアンサンブルを整理しているという驚くべき発見で、5月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「CCR5 closes the temporal window for memory linking(CCR5は記憶を連結させる時間間隔を短くする)」だ。

この研究では、AイベントとBイベントを様々な間隔で経験させ、Bイベントの後で電気ショックを当てたとき、Aイベントも悪い経験として残っているかという課題を用いている。当然、AイベントとBイベントの間隔が開くと、記憶の連合は消失していく。

この研究では、まずマウスがケージの中で様々な経験をしたとき、海馬神経細胞が CCL5 やその受容体 CCR5 を発現するかを調べている。結果、ミクログリアではなく、神経細胞自体の CCL5、CCR5 の発現が高まることを確認している。また、CCR5 刺激が発生したとき、刺激細胞が標識出来る方法を用いて、経験した後少し時間をおいて神経細胞がラベルされることを確認し、神経細胞が実際に CCL5 刺激を受けて反応していることも確認している。

次は、CCL5 を脳内に注射したり、CCR5 機能をノックアウトして、このシグナルの記憶の連合への役割を調べると、CCL5/CCR5 シグナルは記憶が連合するのを抑える働きがあることを明らかにする。即ち、CCL5 シグナルが高まると、短い間隔でも2つのイベントの連合確率が低下する一方、CCR5 機能がノックアウトされると、2つのイベントの間隔が開いても記憶の連合が維持されることを明らかにした。

次に神経生理学的に、CCL5/CCR5 シグナルによって、神経興奮が抑えられること、2つのベントで重複して興奮する神経細胞が低下すること、逆に CCR5 シグナルが欠損すると重複して興奮する細胞数が上昇することを明らかにし、CCR5 シグナルが異なる事象間の連合を抑えることで、記憶が混乱しないよう働いていることを明らかにしている。

以上が主な結果だが、マウスではあるが年齢とともにこのシグナルが上昇し、連合機能が落ちていることも示している。要するに、現象に対してどうしても視野が狭くなることを意味しているのだろう。

CCR5 が記憶に働くことにも驚くが、記憶成立時の整理をしてくれているとはもっと驚く。将来、このシグナルを操作して、記憶の混乱を防いだり、連想力を上げたり出来るかもしれない。

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5月26日 ヨーロッパの海の民成立過程(5月18日 Cell オンライン掲載論文)

2022年5月26日
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以前、金沢大学とダブリン大学から発表された、日本人ゲノム成立過程についての論文で、古墳時代のゲノムから、弥生以降も大陸からのゲノム流入が大きな役割を果たしているという論文を紹介した時、上野さんから、サンプルによって異なっており弥生がそのまま続いて現在に至るケースもある、という指摘をいただいた。すなわち、日本もそれぞれの地域についての研究が必要で、これにより古代の人の移動や交流を調べることが出来る。是非、多くの若者が、この課題に取り組み、新しい日本史を書いて欲しいと期待している。

実際、ヨーロッパについては新石器時代から青銅器時代に書けて、民族の移動と交雑により、大きなゲノムの変化がもたらされたことがわかっているが、各地域のゲノム研究から、移動や交流の道が明らかにされてきている。

今日紹介するデンマーク・コペンハーゲン大学と、アイルランドのダブリントリニティーカレッジからの論文はイタリア半島の沖に位置するマルタ島の新石器時代の遺跡から出土したヒトDNA を解析し、当時の海の道の存在を探った研究で、5月18日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient Maltese genomes and the genetic geography of Neolithic Europe(古代マルタ島人ゲノムと新石器時代ヨーロッパの遺伝的地理学)」だ。

さてこの研究の対象になっているマルタ島だが、ヨーロッパ本土とは海で隔てられており、人類が居住するようになったのも新しい島で、ヤムナ文化やアナトリアの農耕民の影響が少ないと考えられる。

また、マルタ島も海洋民族になるが、海洋民族としてイギリス、サルディニア、シチリアなど他の海洋民族との交流が古くから盛んだったのか、逆に海は交流を阻む壁の役割をしただけなのかも興味の焦点になっている。

今回マルタ島 Gozo 島の Xaghra 遺跡から出土した9体の骨から、DNA を抽出、2体については、ほぼ全ゲノムをカバーできるデータを得て、ゲノムの成り立ちを調べている。結果だが、

  1. 詳しく調べられた3体は、ROH と呼ばれる、相同ゲノムの長いストレッチを保有しており、これまでヨーロッパで出土したゲノムの ROH の長いトップ10に含まれる。特に1体は、おそらく近親交雑によると考えられる。
  2. ゲノム間の多様性や、先祖の数を調べるテストにより、当時のマルタ住民数は極端に少なく、一時は全員で300人以下という状況に陥っていたことがわかる。これがおそらく ROH が高い原因になっている。
  3. ヨーロッパ人のゲノムは、最初の人類である狩猟採取民ゲノムに、現ウクライナ近くのヤムナ民族移動に伴って流入したステップゲノム、そして現トルコであるアナトリアの農耕民族から流入したアナトリアゲノムから構成されているが、マルタゲノムは後者のゲノムの流入がほとんどなく、大陸から孤立して存在していたことがわかる。
  4. 大陸だけでなく、他の海洋民族ともほぼ完全に分離されていることから、それぞれの島に移住した人類は、海に隔てられ孤立した進化を遂げた。
  5. 全ヨーロッパの海洋民族を調べると、それぞれの間での交流は盛んでなく、海の民で有ることが積極的な役割を果たすことはなく、基本的に海により孤立した発展を遂げた。

以上が結果で、読めばなるほどで終わるのだが、このような論文を読むにつけ、我が国のゲノム構成の歴史を文化と照らし合わせることが何時出来るようになるのか、いつも心が騒いでしまう。

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5月25日 ヒトグリア細胞分化の多様性:ヒト胎児脳スライスでここまで出来る(5月19日 Science オンライン掲載論文)

2022年5月25日
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脳細胞を考える時、私たちは単純に興奮神経、抑制性神経、アストロサイト、オリゴデンドロサイト、そしてミクログリアから出来ていると単純化して考えている。特に、神経を支える側のグリア細胞については、多様性について考えることはほとんどない。しかし、様々な疾患でのアストロサイトの役割が明らかになるにつれ、その機能の多様性に注目が集まっている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は人間の胎児皮質スライス培養を用いてグリア細胞の多様性を発生学的に明らかにした研究で、ヒトでもここまで出来るのかと驚いて読んだ。タイトルは「Fate mapping of neural stem cell niches reveals distinct origins of human cortical astrocytes(神経幹細胞ニッチの運命マッピングは人間の皮質アストロサイトの異なる起源を明らかにした)」だ。

研究自体は単純で、18−23週目のヒト胎児の皮質を切り出し、2週間程度培養し、その間に標識遺伝子をアデノウイルスで幹細胞に導入、その後のコースを追跡している。切り出した脳スライスをどこまで正常発生と同じと考えるかは問題になるにせよ、新鮮な脳を集めるだけでも大変なはずで、ともかくやり遂げたことに感心する。

神経細胞が subventricular zone(脳室下帯)と呼ばれる場所に存在する幹細胞が分化しながら radial glia(放線状グリア細胞)をたどって移動することで、美しい層構造が形成されることは、教科書的事実として認められている。一方、radial glia も含めアストロサイトやオリゴデンドロサイトなどのグリア細胞が、神経幹細胞から由来することは描かれていても、その後の分化についてはあまり知られていないように思う。

この研究では、まず、ヒト胎児皮質の ventricular zone (VZ) とその上の subventricular zone (SVZ) に分けて、幹細胞をラベルし、その後の運命を調べている。そして、少なくともヒトのこの時期では、SVZだけでなく、VZ 細胞を標識しても、神経やグリア細胞をラベルで着ることを確認している。

ヒト胎児では VZ にも幹細胞が存在することは重要な結果だが、VZ 標識と SVZ 標識でラベルされる細胞の性質が大きく異なっていることが初めて発見された。

まず、radial glia 細胞には長い突起を一方向に伸ばしたタイプと、双方向に突起を伸ばしたタイプの2種類が存在するが、VZ からは後者のみ、SVZ からは前者のみが発生することがわかった。

さらに驚くことに、標識された神経細胞は脳の全ての層に分布するのだが、アストロサイトを調べると、もともと幹細胞起源と言われていた SVZ 起源のものは、AVZ とその上の subplate にだけ分布し、一方 VZ 起源のアストロサイトは脳の全ての層に分布することが明らかになった。

そして、これらの起源の異なるアストロサイトは、形態的にも、分子発現的にも区別が可能で、例えばグリオーマで発現が高いインテグリン β4 などは、VZ 由来のグリア細胞だけで発現していることを示している。

結果は以上で、この差が脳の発生や機能とどう関わるかはわからない。しかし、人間を用いた研究から、マウスでは指摘されないことがここまでわかるというのは驚きで、胎児脳を用いた研究に対して反対もあると思うが、その意義は大きいと思った。

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5月24日 皮膚移植の瘢痕形成を抑制する(5月18日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2022年5月24日
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やけどを始め様々な状況に皮膚移植が使われるようになっているが、損傷が大きい場合は利用できる皮膚片は皮下組織のあまり含まれていない薄い皮膚になるため、修復箇所に瘢痕形成が起こるのが問題で、特に修復箇所が引きつったように縮んでしまう。基本的には、いわゆる線維化の問題で、これまで多くの研究が行われているのだが、形成外科医の立場に立って臨床的な解決を探るといった研究はあまり行われておらず、結局この問題に対するFDAにより認められた治療法はない。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、豚を使った皮膚移植モデルを用いて、修復後に進行する細胞プロセスをsingle cell RNAseqを用いて調べることで、線維化の引き金になる要因を特定し、それを治療する方法の開発を目指した前臨床研究で、5月18日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Disrupting mechanotransduction decreases fibrosis and contracture in split-thickness skin grafting(メカノシグナルを抑制することでsplitthickness皮膚移植での線維化と組織の収縮を抑えることが出来る)」だ。

研究自体は特に目新しさはない。しかし、豚の皮膚を大きく切除して、そこに自己の皮膚を移植するというまさに実際に行われている臨床に即した実験系を用いて修復過程を追跡していることが、最大の特徴だ。特に純系の実験動物でなくても、single cell RNAseq(scRNAseq) を用いることで、そこで起こっている分子過程を追跡できるようになったおかげで、このような実験が容易になっている。

タイトルで splitthickness 途あるのは分層植皮と呼ばれる方法のことで、皮膚の上層のみを採取して移植する方法を意味している。

さて、移植後の経過を追うと、白血球、線維芽細胞で大きな遺伝子発現の変化が見られ、特にメカノシグナルと呼ばれる機械的な刺激による遺伝子発現が高まっていることがわかった。そこで、メカノセンサーに関わる FAK 阻害剤が徐放されるように設計したジェルとともに皮膚移植を行うと、外見的にも、組織学的にも瘢痕の少ない皮膚が再生される。

臨床応用へ向けた前臨床研究とすれば、これで終わりなのだが、このグループはさらにメカニズムを追求するために、阻害剤を加えた皮膚移植による修復と、加えない場合の修復を比較し、メカノセンサー阻害がどのように作用しているのか詳しく調べている。

結果、意外なことに、この効果はまず白血球に現れ、炎症を抑える方向で働くことを示している。その後、線維芽細胞でもメカノシグナルが発生し線維化や形質転換が起こるが、阻害剤はここでも効果を現し、線維芽細胞の暴走を抑えていることを明らかにしている。

最後に、試験管内培養システムで、人間の線維芽細胞のメカノシグナルを、FAK 阻害剤で抑えられることも確認し、最終的な応用への布石を打っている。

以上が結果で、実際の臨床セッティングに併せて実験が行われた結果、メカノシグナルが2段階にわたって、まず白血球、そして線維芽細胞に働いていることを明らかにしている。繰り返すが、このような臨床に即した研究が可能になったのはなんといっても scRNAseq のおかげだと思う。この方法を知ったときに予想したように scRNAseq の臨床応用は大きく広がり続けている。

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5月23日 妊娠中の高血糖が子供の糖尿病を誘発するメカニズム(5月18日号 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月23日
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戦争は否応なく全ての住民の日常性を奪う。これは精神だけでなく、代謝においても同じだ。最も有名な例が、オランダ飢餓研究で、1944年の冬、ドイツ軍の封鎖により飢餓に襲われたアムステルダムの妊婦さんから生まれた子供が、中年に達してインシュリン分泌能が低下し、糖尿病リスクが高まることがわかった。同じように、妊娠中の代謝異常が子供のエピジェネティック変化を誘導する例は、逆の高脂血症や、高血糖でも報告されている。

今日紹介する中国浙江大学委学院からの論文はマウスを用いて妊娠中の高血糖から子供のインシュリン分泌不全までの分子過程を明らかにした研究で5月18日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Maternal inheritance of glucose intolerance via oocyte TET3 insufficiency(母親から受け取ったグルコース不寛容は卵子の TET3 不足に起因する)」だ。

基本的にはマウスを用いた研究で、膵島を傷害して高血糖を発生させた母親の卵子を人工授精し、正常の母親に移植して、生まれてきた子供のグルコース代謝を調べている。従って、妊娠前の卵子に起こるエピジェネティックな変化を調べる実験と言える。結果は期待通りで、高血糖を経験した卵子から生まれた子供は、インシュリン分泌の低下による高血糖になる。

このように高血糖の卵子への影響に絞ることで、エピジェネティック調節因子の特定が容易になり、最終的にメチル化 DNA をハイドロオキシ化して脱メチル化に働く Tet3 の発現量が、高血糖により低下することを発見する。

高グルコースによる Tet3 の低下は試験管内でも再現できるし、また生殖補助医療で採取した卵子のドナーが糖尿病に罹患している場合も、Tet3 の低下が見られることから、ヒトでも同じエピジェネティック変化が起こることを示唆している。そして、おそらくこの効果として、インシュリン分泌経路に関わる多くの遺伝子で DNA メチル化が高まっていることを示している。

このメチル化変化が実際に Tet3 低下によるエピジェネティックな変化稼働か確かめるため、Tet3 遺伝子を卵子からノックアウトする実験により調べ、インシュリン分泌経路にある多くの遺伝子のプロモーターのメチル化が高まっていること、またその中でも膵臓のグルコースセンサーとして重要なグルコキナーゼ遺伝子プロモーターが、Tet3 の低下量に応じてメチル化が高まることを示している。

また、高グルコースを経験した卵子に Tet3 mRNA を注入すると、メチル化は正常化し、生まれた子供のインシュリン分泌能も上昇することから、Tet3 が卵子で起こるエピジェネティック変化の主要因であると結論している。

これまで、卵子のエピジェネティック変化についての論文は多く発表されているが、私が読んだ中ではメカニズムをここまではっきりさせたのは、この研究が最初だ。しかし、まだまだわからないことは多い。幸いこの系は、受精前の卵子に焦点を当てた研究なので、おそらく他の要因の影響も同じようにして調べることが出来るはずだ。研究の進展を期待する。

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5月22日 網膜移植は可能か?(5月11日 Nature オンライン掲載論文)

2022年5月22日
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様々な臓器や細胞移植が可能になっているが、これまで死体からの神経組織の移植はほとんど試みられていない。これは、脳卒中でもわかるように、虚血になると神経細胞は急速に死んでしまうからで、その意味で ES、iPS など幹細胞技術への期待は大きい。

ところが、今日紹介ユタ大学からの論文からわかるように、神経細胞の塊ともいえる網膜組織を移植や実験に使うための方法を探っているグループがいることを知って驚いた。タイトルは「Revival of light signalling in the postmortem mouse and human retina(マウスおよび人間の死後に光シグナルをよみがえらせる)」だ。

これまでの研究や卒中での経験は、心停止後の神経細胞は急速に機能を失うことを示している。確かに、脳のスライス培養を行うことは出来るが、これもフレッシュな組織の話で、死後一定の時間が経つことが避けられない移植セッティングで、この可能性を追求するとは無謀だというのがタイトルを見たときの印象だった。

おそらくよほどの秘密を発見したのだろうと本文を読むと、最初から腰を折るようで申し訳ないが、何か新しい神経臓器の再生法を発見したわけではない。ただ、条件さえそろえば、使用を諦めることはないというのが結論になっている。正直、よく Nature に掲載できたなというのが率直な印象だが、諦めないことが評価されたのかもしれない。

実験は簡単で、マウスと人間で、死後の網膜視細胞の光に対する反応を、生体内、試験管内と様々な方法で検出し、機能が残っているのかどうか調べている。

実際マウスを頸椎脱臼で屠殺した後、光に対する反応を見ると、生体内でも、眼球摘出でも数分後に反応はほとんど消失する。ただ、取り出した眼球での視細胞の反応がほんの少し残っていることを確認して、このグループは諦める必要がないと確信した。

そしてこのとき神経機能が失われる原因が細胞死ではないこと、グルタミンの喪失など様々な機能ロスによることを確認した後、低酸素とアシドーシスを抑えることで、神経機能を時間単位まで伸ばせることを示している。

これはマウスで行った結果で、これをトランスレートするため、心臓死後の眼球提供の機会を用いて、眼球を保存するためのシステムを開発し、人間の網膜について調べている。実際には、黄斑と網膜周辺から組織を取り出し、錐体細胞と桿体細胞の光に対する反応を別々に調べている。特に視神経が集まる黄斑部については、桿体細胞の方が保存がよいということはあるが、周辺部では両方とも、十分実用レベルに保存が出来ることを示している。

以上が結果で、角膜移植のセッティングで得られる眼球の、網膜疾患への細胞治療に使うことは諦めることはないという結論だ。

先に述べたように、諦めずに再検討したら道が開けるという結論は、最も Nature らしくない論文だが、死体眼球からの角膜移植の普及した国では、大きなインパクトがあるのかもしれない。またひょっとしたら、脊髄や脳までこの方向性が広がるかもしれない。

そこで最後に想像を膨らませてみた。神経興奮により起こる早い転写反応を調べることが出来るので、死後網膜の反応地図を調べることが出来れば、SF でよくある死の瞬間に網膜に焼き付いた像を再現できるかもしれない。そんなことを考えながら、「諦めない」論文を読んだ。

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5月21日 MIF 阻害剤は神経変性性疾患治療のゲームチェンジャーになるかもしれない(5月26日号 Cell 掲載論文)

2022年5月21日
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神経変性疾患を誘導する引き金は、それぞれの病気で様々で、パーキンソン病ではシヌクレイン、アルツハイマー病ではアミロイドβ だが、その後の細胞死が起こる過程では、共通の過程の存在が最近明らかになってきた。中でも注目されているのが、ミトコンドリアからの活性酸素により起こるDNAダメージを引き金に遊離される Poly-ADP リボース (PAR) による細胞死で、他の細胞死と区別して Parthanatos と呼ばれている。

この発見が重要なのは、Parthanatos が関わる神経疾患での細胞死を抑制して、病気の進行を遅らせる方法が開発できる可能性がある点だ。例えば、PAR を合成する PAR ポリメラーゼの活性化を阻害すると、神経変性は抑制できることがわかっている。しかし、PAR ポリメラーゼは生命必須の分子で、治療標的には適さない。

今日紹介するジョンズホプキンス医科大学からの論文は PAR が核内から遊離した後の過程をパーキンソン病 (PD) モデルで再検討して、神経変性疾患を抑える新しい薬剤開発が可能であることを示した重要な研究で5月26日号 Cell に掲載された。タイトルは「PAAN/MIF nuclease inhibition prevents neurodegeneration in Parkinson’s disease( PAAN/MIF ヌクレアーゼの阻害はパーキンソン病での神経変性を抑制する)」だ。

この分野の進展は極めてホットで一度 PD の患者さんとジャーナルクラブでまとめてみたいと考えているが、この結果 PAR による Parthanatos のメカニズムが明らかになってきた。論文紹介前にこのメカニズムを解説すると、DNA ダメージなどで PAR が合成され、核から遊離されると、ミトコンドリア膜上の apoptosis inducing factor (AIF) と結合、これが細胞質内の MIF と結合すると、PAR は遊離して核内へ移行、そこで DNA を切断し、Panatosis を誘導する。

この研究の目的は、AIF と MIF が結合して生まれる DNA 切断活性を標的に薬剤開発の可能性を探っている。免疫学者には、MIF はマクロファージ遊走を阻害する因子で、炎症にとって重要な分子として知られているが、実際には細胞質内に存在して、ヌクレアーゼ活性を持っていることが知られている。研究では、1) MIF ノックアウト動物や細胞を用いて、シヌクレインにより誘導される神経変性が MIF に依存していること。

2)この過程には、MIF の AIF 結合活性とMIF のヌクレアーゼ活性が必須で、マクロファージ遊走阻害活性は必要ないこと。

を明らかにした後、MIF のヌクレアーゼ活性を検出する試験管内のアッセイ法を用いて、阻害剤をスクリーニングし、C8 と呼ばれる阻害剤をまず同定している。

C8 は試験管内の Parthanatos を阻害することが出来るが、残念ながら脳血管関門を通り抜けられない。そこで、C8 アナログの中から脳血管関門を通過できる化合物、C8-31(PAANIB-1と名付けている)を開発した。

この分子は、例えば FK506 などとも良く似ているが、標的の重なりはなく、現在のところ MIF のヌクレアーゼ活性特異的で、しかもシヌクレインを注射して誘導されるドーパミン神経の変性を抑制することが出来る(8ヶ月にわたる長期実験)。また、5mg/Kgの経口投与で効果が得られることを示している。

以上が結果で、個人的な印象だが、神経変性を直接狙った画期的な薬剤開発の可能性が示された重要な論文だと思う。勿論、この薬剤はさらに至適化される必要があるだろう。これが可能になると、パーキンソン病だけでなく、アルツハイマー病や ALS 治療まで拡大できる可能性もある。期待が大きいので、一度患者さんとジャーナルクラブで取り上げることにする。

カテゴリ:論文ウォッチ
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