2022年4月18日
我々の細胞が様々な要因で突然変異を蓄積していることはよく知られているが、これらはほとんどガン細胞の解析から生まれた結果で、正常細胞でのデータはほとんどない。というのも、突然変異は細胞ごとに異なるため、解析に必要な細胞数を増やせば増やすほど、個々の突然変異は薄まってしまう。そのため、元々1個の細胞由来のガン細胞では詳しい突然変異解析が可能だが、正常組織では難しい。
では正常細胞での突然変異解析はどうすればいいのか?結局、個々の細胞を別々に解析して、集団解析から得られる正常ゲノムと比較するしかない。この目的のために、単一細胞の核を抽出し、その中に含まれる全てのDNAを増幅する方法が開発され、血液やバイオプシーサンプルについて、解析が行われ、確かに正常細胞でも突然変異が蓄積していることが確認できるようになった。
今日紹介するニューヨーク・アルバートアインシュタイン医科大学からの論文は、気管支からブラッシングと呼ばれる方法で気管細胞をこそぎとった後、基底細胞を培養して、健常単一細胞を調製、そのゲノムを細胞ごとに解析し、正常細胞で起こる突然変異を調べた研究で、4月11日 Nature Genetics に掲載された。タイトルは「Single-cell analysis of somatic mutations in human bronchial epithelial cells in relation to aging and smoking(ヒト気管支上皮細胞の老化と喫煙に関わる単一細胞突然変異解析)」だ。
私が医学部を卒業したころでも、すでにガンの確定診断に気管支鏡下のブラッシングを用いていたが、おそらくそのときに、ガンの疑いがない反対側でもブラッシングを行い得られた細胞を培養して集めた研究だ。従って、31人の参加者のうち15人が肺ガンと診断されている。この中で12人が喫煙歴なしの方だが、このグループでガンと診断されたのは1例だけで、残り13例は全て喫煙者だ。
いずれにせよ、ブラッシングから、培養、そして単一細胞ゲノム解析と、苦労をいとわずやり遂げたことがこの研究のハイライトになる。その結果、正常サンプルが得られにくい肺でも、正常細胞での変異蓄積様態がわかった。
1)変異は年齢とともに蓄積する。喫煙歴の全くない人では28変異/年の率で蓄積する。
2)これに対して喫煙者は予想通り変異が倍加しており、平均で91変異/年に達する。これは正常のほぼ3−4倍だ。
3)変異の種類を調べると、喫煙者では、喫煙特異的な変異が、老化に伴う変異にかぶさる形で増えているのがわかる。
4)この程度の細胞数の解析では、発ガンに関わる遺伝子の変異が発見されることはない。ただ肺全体では、当然発ガン遺伝子の変異も上昇していると考えられる。
5)この研究で最も驚くのは、喫煙年数と変位数は比例して上昇するが、タバコの量とは必ずしも比例しない点だ。生涯喫煙数を示すPack-yearsという指標(例えば1日1パック(20本)を40年続けると40になる)でみると、40までは変位数の上昇と比例するが、それ以上になると逆に減少傾向が出ている。ひょっとしたら、他の障害の結果修復機能が高まるのか、不思議な現象だ。
以上が結果で、予想通りの結果とともに、タバコの量についての意外な結果が明らかになった。ただ、数は少ないので、もう少し調べていく必要があるだろう。いずれにせよ、大変な実験に脱帽。
2022年4月17日
腸内細菌叢は食に反応して増殖様態を変化させるが、その変化が今度は食欲を調節するという可能性が最近取り沙汰されている。例えば、細菌により合成される短鎖脂肪酸が腸管のブドウ糖合成を活性化して、これが門脈迷走神経系を介して脳に働くという間接的な話に加えて、なんと大腸菌により合成されるペプチドが、直接視床の神経に働いて食欲を調節するという話まで出てきている。
今日紹介するパストゥール研究所からの論文もその一つになると思うが、なんと細菌由来の muramyl di-peptide(MDP) を認識する細胞内センサーNOD2が視床の抑制ニューロンに発現し、腸で分解されたMDPを感知して食欲を抑制するという研究で、4月15日号の Science に掲載された。タイトルは「Bacterial sensing via neuronal Nod2 regulates appetite and body temperature(Nod2を介するバクテリアの感知が食欲と体温を調節する)」だ。
NOD2 には個人的な思い出がある。京大時代の大学院生だった小倉君が、留学先で NOD2 がクローン病の原因遺伝子の一つであることを発見して Nature に論文を発表したという連絡を受け、それまでは外国でなんとかやっているのかどうかと心配していたので、本当にほっとした。このバクテリアセンサーNODについての研究は、Nod-like receptor 分子ファミリーとインフラマゾーム概念確立へと発展しているが、NOD1、NOD2は最も古典的なバクテリアセンサーだ。
NOD2 は NLRP と異なり、カスパーゼ活性はないので、NFκB などの経路を介して細胞の機能を調節する。センサーとしてバクテリア由来 MDP が特定されているので、もっぱら腸内細菌叢のセンサーとして機能していると考えられてきた。ところが最近になり、NOD2 と様々な神経疾患との相関が発見され、神経機能にも何らかの貢献があるのではと考えられるようになっていた。
そこでこの研究ではまず脳で NOD2 が発現しているかどうか調べ、特に視床や視床下部での発現を確認する。NOD2 は細胞内で発現しているので、もしこの分子が働いているとすると、内因性のリガンドが存在するか、MDP が脳に到達する必要がある。MDP を経口投与する実験から、MDP が脳に到達することを確認し、腸内細菌叢由来の MDP が、脳の NOD2 を直接刺激できることを示している。
次は脳内の NOD2 機能だが、NOD2ノックアウトマウスでは、メスで成熟後食欲増加、それに伴う体重増加が見られ、また高齢になった後は自律神経茂樹による体温の低下が抑制されることを発見し、食欲と体温の調節が腸内細菌叢により行われる可能性を示している。
この発見が研究のハイライトで、後は細胞特異的遺伝子ノックアウトや、神経細胞の電気生理などを組み合わせ、NOD2 は視床下部抑制性ニューロンに働き、その興奮性を抑える働きがあること、そしてこの結果として、食欲が抑制され、体温低下を誘導したりする作用があることを明らかにしている。
なぜメスだけで、しかも特定の年齢でこの効果が見られるのかについては、明らかにエストロジェンとの相互作用が示唆されるが、メスで MDPペプチドが視床下部に集まること以上の解析は出来ていない。
結果をまとめると、腸内細菌由来 MDP が、血管を通して脳内の NOD2 を刺激するという話になり、想像をたくましくすると、女性ホルモンにより起こる食べ過ぎを、バクテリアが MDP・NOD2 を介して抑えてくれて肥満を防いでいるという話で、面白いが、人間でも同じことがいえるのか、せめて脳の遺伝子発現だけでも示してほしかった。
2022年4月16日
ドゥシャンヌ型筋ジストロフィーはジストロフィン遺伝子の変異により、筋肉が徐々に変性することで起こるため、根本的な治療法はジストロフィン分子の発現を回復させることだ。このHPで紹介したエクソンスキップ遺伝子治療(https://aasj.jp/news/watch/7160 )など、臨床試験も始まっており、結果が待たれる。
一方で、筋肉変性を遅らせる治療も行われており、主に炎症を抑える目的でステロイドホルモンを用いると、病気の進行を2.8〜8年抑えられることも示されている(https://aasj.jp/news/watch/7744 )。他にも、ウロリチンなども動物実験では効果が示されている(https://aasj.jp/news/watch/15383 )。
今日紹介するカリフォルニア大学デービス校を中心にした研究グループからの論文は、Capricor Therapeutics が開発したCAP-1002を用いて炎症や線維化を抑え、重症の筋ジストロフィーの患者さんの腕や心臓の機能を維持して自立を図ることを目的とした治験研究で、3月号の The Lancet に掲載されたので、少し遅れたが紹介する。タイトルは「Repeated intravenous cardiosphere-derived cell therapy in late-stage Duchenne muscular dystrophy (HOPE-2):a multicentre, randomised, double-blind, placebocontrolled, phase 2 trial(Cadiosphere由来細胞を繰り返し静脈注射する末期のドゥシャンヌ型筋ジストロフィー治療(HOPE2):二重盲験多無作為化プラセボ対照施設治験)」だ。
CAP-1002 は2人のヒト心臓から Capricor Therapeutics 社が培養株として樹立した細胞治療剤だが、心臓細胞を再生させるのではなく、この細胞がエクソゾームを通して吐き出すmiRNAを用いて、炎症や線維化を抑える効果を利用している。おそらく筋肉に親和性があるため、筋肉や心臓での細胞変性を遅らせる効果がある。
この研究はこの治療法の最終段階治験で、既に歩けなくなった患者さんの腕の筋肉機能低下を遅らせるとともに、心筋の変性を抑えることを目指している。
最終的に20人の患者さんを無作為化し、12人を偽薬、8人をCAP-1002 群にわけ、3ヶ月に1回細胞を静脈注射し、12ヶ月後の病気の進行を PUC1.2 と呼ばれている方法で調べている。
数値で表されているので、実感については私も評価できないが、スタート時点で80点だった機能が、対照群では29.3に低下するが、CAP-1002 群では65.5にとどまり、71%進行を遅らせることが出来ている。一方さらに重要な心臓機能では、ほぼ100%進行を遅らせることが出来たという結果だ。
注射しているのは他人の細胞になるので、高率にアレルギー反応が見られるが、最終的に治療中断を余儀なくされたのは1例にとどまっている。
以上が結果で、高い効果が期待できるという結論になると思う。
正直なところ、エクソゾーム、miRNAといった原理を聞くと本当にうまくいくのかと疑いたくなるのだが、最終治験にまで持ってきた努力が報われた結果だと言える。このグループはおそらく遺伝子治療の対象にはなかなかならないことを考えると、期待は大きい。
2022年4月15日
自己免疫病の中でも強皮症は最も研究が遅れている病気ではないだろうか。文字通り全身の皮膚でコラーゲンが沈着し固くなるのが主症状だが、レイノー現象と呼ばれる血管病変が見られること、肺や腎臓など全身の線維化が見られる病気で、現在では強皮症(scleroderma)の代わりに、全身性強皮症が正式名になっている。
最終的には線維芽細胞の異常と、マトリックスの沈着が起こるのだが、その引き金になるおそらく自己免疫反応についてはよくわかっていない。基本的には、おそらく血管内皮の異常な活性化が引き金になって起こる細胞浸潤と、血小板凝集により、炎症性サイトカインが分泌され、線維芽細胞の活性化が起こると考えられてきた。
今日紹介するイスラエルワイズマン研究所からの論文は、この難しい病気に、single cell RNAseq を使って解析を試みた研究で44月14日号 Cell に掲載された。タイトルは「LGR5 expressing skin fibroblasts define a major cellular hub perturbed in scleroderma ( LGR5発現線維芽細胞は強皮症で傷害される主要な細胞のハブだ)」。
要するに患者さんの皮膚バイオプシーから細胞を取り出し、single cell RNAseq(scRNAseq )で、存在する細胞を徹底的に分画し、性状と比べた研究で、詳しい解析は出来ているのだが、細胞レベルの現象論で止まっているため、メカニズムには切り込めていない。ただ見えてきた現象から、線維化の起こり方に関して、ユニークな面白いアイデアが示されている。
まず皮膚に存在する免疫細胞だが、正常皮膚と比べるとインターフェロン γ 分泌T細胞が上昇、NK細胞が上昇などが観察でき、また抗 RNA ポリメラーゼ自己抗体の量などとも相関している。ただ、この研究では免疫炎症反応のさらに下流、線維芽細胞に焦点を当てて解析を行い、免疫系の引き金については解析していない。
これまで線維化組織を見る場合、線維芽細胞については myofibroblast と呼ばれる活性化型の増加がもっぱら注目されてきた。確かに相対的に myofibroblast の増加が観察されているのだが、この研究が着目したのは、この研究で初めて存在が認識された LGR5 陽性の線維芽細胞集団だ。
LGR5は、幹細胞領域では最も有名な分子で、腸管を始め上皮臓器の幹細胞特異的に発現し、Wntシグナルを高めている。この意味で、LGR5が線維芽細胞に発現していること自体が驚きだが、この研究のハイライトは強皮症皮膚でこのLGR5細胞の数が著しく低下しているという発見だ。
線維化というと、我々は線維芽細胞増殖とすぐに結びつけるのだが、逆に数が減っている細胞に注目したのがこの研究のミソだ。そして、遺伝子発現、エピジェネティックスなど様々な方法を重ね合わせて、このLGR5陽性細胞が強皮症では、形態的には周りに伸ばした細胞突起が減少し、さらに遺伝子発現でも細胞外マトリックスの合成が上昇し、それを分解する酵素の低下がおこる、リプログラミングが進行していることを明らかにしている。
詳細を省いて紹介したが、要するにLGR5陽性細胞は、多くの皮膚細胞と相互作用して正常皮膚を健康に保つための調節細胞として機能し、異常な線維化を防いでいるが、この細胞が自己免疫反応の結果、急速に減少し、線維化を抑えられなくなるのが強皮症ということになる。
Regulatory fibroblastとも言える面白いアイデアだが、これが正しいかどうかは、実験的に確かめる必要がある。ただ、正しいとすると、新しい介入方法が生まれると期待できる。
2022年4月14日
昨年ScienceやNature Medicineが選んだ2021年10大ニュースの中に、違法ドラッグである幻覚剤がPTSDやうつ病に高い効果を示すことを示した臨床治験論文が選ばれていたのをみて驚いた人は多いと思う(https://aasj.jp/news/seminar/18575 )。 PTSDにはセロトニン放出刺激剤で、エクスタシーという名で知られる MDMA 、うつ病にはシビレタケなどから抽出されるシロシビンが用いられた治験だが、いずれもこれまでの治療法では到達できなかった高い効果を示しており、患者さんの数を考えると10大ニュースに選ばれて当然と納得する。
今日紹介する英国インペリアルカレッジからの論文は、重症うつ病に対するシロシビン治験の機会を捉えて、安静時機能的 MRI 検査を行い、安静時に活動しているネットワークを調べることで、シロシビンの効果の、脳科学的メカニズムを明らかにしようとした研究で、4月11日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Increased global integration in the brain after psilocybin therapy for depression(うつ病のシロシビン治療後に見られる脳全体の統合性の増加)」だ。
この論文を理解するためには、安静時 fMRI で調べることが出来るいくつかの脳内ネットワークについて知っておく必要がある。fMRI は脳血流を指標に、脳の活動を調べる検査だが、通常は何かの課題を行っているときの脳活動が対象となる。これに対し、安静時により神経活動が上昇している領域の存在が明らかにされ、さらに活動している領域の同調性から、安静時に活動している複数の神経ネットワークが特定された。
最初に発見されたのが default mode network(DMN) で、その後の研究で外界から切り離されぼんやりと自己に向いている精神活動に関わっていると考えられるようになった。
これに対し、行動のプランニングの思考作用に関わる executive network(EN) や、DMN と EN のスイッチに関わる salience network(SN) が知られている。
個人的な印象になるが、この研究領域の面白さは、自己に向いたネットワークとか、自己と外界のバランスのスイッチなどと言った、なんとなくフロイト時代の力動研究を彷彿とさせる点にある。当然、自分と未来について深く考え込む、うつ病患者さんの脳内の力動を説明する可能性があるとして研究を惹きつけてきた。しかも、うつ病患者さんでは DMN 活動が高まっていることが発見され、まさにフロイトの力動が研究対象になった気がするほどだ。
この研究の目的はシロシビンの効果を調べることではなく、治験を利用して、シロシビンが DMN の活動を変化させ、自己に向かう力動を抑えることが、うつ病症状の軽減につながることを証明することだ。このため、シロシビンの無作為化二重盲験を受ける前後で、患者さんの fMRI を測定し、DMN とEN、SN を測定している。
さらに、DMN の活動を数値化するために、DMN が脳全体から切り離されてモジュール化している程度を表す Brain modularity という指標を開発している。基本的には DMN が高いと、brain modularity も高いと考えればいい。
結果は期待通りで、
1)これまでの治験結果と同じで、シロシビンは従来使われてきたセロトニン再吸収阻害剤と比べて、効果がすぐに現れ、しかも長期間持続する。
2)治療前と治療終了1日後の fMRI を比べると、brain modularity が低下している。すなわち、DMN の活動が低下している。
3)一方で、EN や SN の活動は高まっており、シロシビンにより力動が外界に向けられたことがわかる。
4)brain modularity 指標は、うつ病の重症度指標と強い相関を示し、検査に用いることが出来る。
この結論には私の勝手な脚色が入っているが、それでも著者の言いたいことは伝えていると思う。ようするに、シロシビンにより、セロトニン受容体を強く発現している DNM が強く刺激されることで、他の脳領域との結合が再回復して、脳全体に統合し直されることが、シロシビンの長期効果につながるという解釈だ。
幻覚剤から見ると、外界から遮断された安静時でも、幻覚剤は自己に向く回路を外界へとつなぐため、幻覚や気分高揚が得られるのだろう。
このように安静時 fMRI の研究は、フロイトが生きていたら大喜びすること間違いない面白い領域だと思っている。
2022年4月13日
全ゲノムにわたって、遺伝子多型と病気との相関を調べる手法が開発されて、これまで多くの研究が発表されてきたが、この試みは終わることがなさそうだ。というのも、基本的に統計学的情報処理が必要な場合、より精密な多型のマッピングには、できるだけ多くの対象を調べる必要があり、最初に行われた研究と比べると、10倍、100倍の対象者を集めた研究が始まり、新しいフェーズに入った印象がある。
対象者が増えることで、これまで発見が難しかった分子機能変化に直結する rare variant と呼ばれる、頻度が少ない変異も見つかってくる。なかでも、自閉症の科学で紹介したように(https://aasj.jp/news/autism-science/15576 )、両親、兄弟には存在せず、自閉症を発症した場合にのみ存在するde novo変異が続々見つかり、発症メカニズムの理解に一歩近づけたのではと期待している。
今日紹介する、米国MITの Broad 研究所を中心にしたチームが4月8日 Nature にオンライン発表した論文では、統合失調症について、分子の機能異常を誘導し、病気発症に強く関わる rare variant の特定を試み、10種類の変異を発見したという研究だ。タイトルは「 Rare coding variants in ten genes confer substantial risk for schizophrenia (10個の遺伝子の希なコーディング領域変異が統合失調症の重要なリスクになる)」だ。
同じグループは、この論文と一緒に、統合失調症のコモンバリアントを新しく定義し直す研究を行い、282個の多型を特定している。これらのコモンバリアントは、一種の統合失調症発症に必要な受け皿のようなもので、発症への寄与はたかだか24%ぐらいと考えられる。この上に、エピジェネティックス、個人史などの条件が積み重なるが、この研究では、コモンバリアントだけでなく、より強いリスク因子となる、分子機能の変化につながる遺伝子変異を特定しようとして、なんと3万人近い患者さんのエクソーム配列を決定し、この中から、統合失調症に関わる可能性が高い遺伝子を、様々な統計学的手法とデータベースを組みあわせてリストしている。
エクソーム検査で分子機能が喪失する変異は、実際には何百も発見されるが、 denovo 変異も含めていくつかの基準を組みあわせて、統合失調症に相関する変異を探すと、まず52個まで絞ることが出来る。さらにその中から、発病リスクがオッズ比で3−50倍という10個の遺伝子と、これほどではないが相関がはっきりした32種類の変異が特定された。しかし、3万人の患者さんからようやく10個かと思うと、途方もない作業であるのがわかる。
統合失調症発症に強く関わると考えられる10個の遺伝子について特徴をまとめると、
1)変異はフレームシフトなどで、完全に機能を喪失させる遺伝子である。
2)これまで rare variant として特定されていた SETD1A が含まれている。
3)GRIN2A などシナプス機能、特にシナプ後シグナルに直接関わる遺伝子が含まれている。
4)これらの遺伝子の一部は発生期に発現がつよく、統合失調症の受け皿形成に関わると考えられるが、多くは生後の発生期で発現が上昇する。
5)コモンバリアントの多型部位と重なる変異も存在する。
6)多くは、神経発達異常で見られる変異とも重なる。
などが明らかになった。この研究では明らかになった変異の機能を調べるところまで入っていないが、10個、さらに32個でも変異マウスを作成したりする機能研究が可能な範囲に来ている。勿論まだまだ道は険しいが、着実に理解が進んできたという確信が得られた。
2022年4月12日
青銅器時代に始まるユーラシア大陸全体にまたがる民族大移動は、人種と文化の混合を促進し、ユーラシアの文化を形作ってきた。この過程は、遺物や記録だけでなく、発掘される人骨から得られるゲノム解析により、詳しく追跡できる。例えば、ウクライナのステップで始まったヤムナ民族のヨーロッパやインド、シベリアへの移動は、文化とともにインドヨーロッパ語をユーラシアの主要言語とした(https://aasj.jp/news/watch/11355 )。
このように東アジアと、ヨーロッパでは常に民族の行き来があったが、この過程については、2018年コペンハーゲン大学を中心にする研究グループによりNature に論文が発表され(Nature 557,369,2018)、ユーラシア全体から得られた137体の古代人ゲノム解析により、ユーラシア全体にわたる民族の交流が明らかにされている。有名どころでは、中国本土を常に悩ませた匈奴は、ヨーロッパのゲノムの量で、2種類のグループに分かれることや、民族移動で有名なフン族は、匈奴に占領された時に流入した匈奴の男系ゲノムがスキタイ人に流れ込んで形成されたことなどが示されている。
今日紹介するドイツ・ライプチヒのマックスプランク進化人類学研究所からの論文は、西暦300〜500にかけてモンゴルを支配したRouran(柔然)と、600年より少し前から800年まで、カルパチア盆地を支配したアバール王国が同じ民族によることを示した論文で、何千キロにもわたる民族の流入を見事に示せる古代ゲノム研究のパワーを見せつけている。タイトルは「Ancient genomes reveal origin and rapid trans-Eurasian migration of 7 th century Avar elites(古代ゲノム研究により、7世紀アバール王国貴族達の起源とユーラシアをまたいだ急速な移動を明らかにした)」だ。
モンゴルは匈奴、鮮卑に続いて柔然が支配するが、500年後半にチュルク民族に滅ぼされる。この時、柔然からカルパチア盆地へ移動して出来たのがアバール帝国だとされてきた。
この研究ではアバール帝国とその前後の古代ゲノムと、モンゴル地域で柔然時代を含む様々な時代のゲノムを採取、これらを比較することで両者の関係を調べている。
結果は単純明快で、アバール王国貴族のゲノムは、ほぼ完璧にモンゴル地区のゲノムに一致し、勿論柔然時代のゲノムと一致する。
柔然時代のゲノムサンプルが少ないため、100%柔然由来と言うわけにはいかないとは思うが、特にアバール王国前期のゲノムは、ヨーロッパのゲノムとの交雑がほとんどないため、アバール王国がモンゴルに存在していた民族の移動により形成されたことは明らかになった。
面白いのは、アバール王国前期から後期にかけて貴族のゲノムを比べると、少しづつは現地の民族との交雑が進むが、小数の例外を除くと柔然ゲノムが保たれている。おそらく貴族については、現地との交雑を進めず、モンゴルから同族をリクルートして血筋を優先していた可能性があると結論している。
同じことはインドに移動したヤムナ民族が、言語と血筋をカースト制度で守った例もあるので、貴族や王族の血筋がどう守られたにかを知ることも、歴史理解にいかに重要かがわかる。
一方アバール王国周辺では、柔然の移動によりゲノムが多様化しており、アバールの征服による、基本的には男からの一方的なゲノム流入が見られることも示している。
結果は以上で、あまり知らなかったモンゴルや、ハンガリー地域の歴史に私たちを惹きつける論文だと思う。
2022年4月11日
昨日は脳の構造の特徴を自動的に数値化して、人間の脳の成長から老化までの平均軌跡を割り出すとともに、最終的には誰でもが利用できる検査にするための取り組みを紹介した。今後、ゲノムや、病気、あるいは性格、運動や感覚能力、などなど様々な機能と相関させていくことで初めてこの方法の真価が定まっていくのだろう。
確かに素晴らしいプラットフォームが出来ると期待されるが、ほとんどの研究者はそこまで待てず、独自の方法で脳構造と様々なパラメーターとの相関の研究を進めている。
今日最初に紹介するオランダ・ユトレヒト大学を中心に、なんと163の研究施設が集まって発表した論文は、人間の一生で起こる脳構造の変化とゲノムとを相関させた研究で、脳の構造変化を定義できれば、構造に関わる遺伝子、そして今度は遺伝子を手がかりに、行動変化まで相関させていける可能性を示している。論文のタイトルは「Genetic variants associated with longitudinal changes in brain structure across the lifespan(一生涯を通して起こる脳変化と相関する遺伝的変異)」で、4月5日 Nature Neuroscienceにオンライン掲載された。
昨日紹介した論文と同じで、脳のMRI画像を経時的に様々な年齢層で撮影する大規模コホート研究参加者のデータを使っているのだが、この研究ではゲノム解析との相関を調べることに焦点が当てられ、脳構造については施設間で同じ方法を共有して、データをとっており、世界共通のデータ処理方法開発という目的はない。
ただ、脳各部のサイズ、及び皮質の白質など、15種類のパラメーターを設定し、各年齢層で異なる時点で測定を行い、年齢とは関係なく検出される脳各部の構造変化に加えて、年齢による変化をパラメーターとして抽出できる。
脳構造の経時変化だが、昨日紹介した結果と特に変わるところはない。ただ、脳の各部について調べているので、年齢とともに減少が激しいのが、海馬、続いて視床と小脳ということもわかる。
最終的に、各部のサイズやサイズ変化と相関する多型を15種類発見している。このうち年齢とは無関係に脳構造と相関する遺伝子は、脳発生に関わる遺伝子と考えられるが、G蛋白質共有受容体やカドヘリンが含まれている。
一方、年齢により起こる変化の大きさの多様性と相関する遺伝子は、APOEを筆頭に、アルツハイマー病やうつ病などの精神疾患に関わる遺伝子がリストされるが、構造との相関が明らかにされたのはこの研究が初めてという多型が多い。これらの遺伝子セットの中には、黒質や中脳核の発生に関わる遺伝子が含まれるのも、パーキンソン症状などを考えると納得の結果だ。
特に注目されるのが、構造変化の仕方の多様性に関わる遺伝子が、うつ病、統合失調症、認知症、不眠だけではく、身長、BMIや喫煙歴などとも相関する遺伝子と重なる点で、このような重なりを基盤にして、構造、分子機能、そして行動まで相関を調べる研究へと発展すると思う。
このような可能性を先取りしたのが英国バーミンガム大学を中心にしたグループが3月30日、JAMA Psychiatryにオンライン発表した論文で、炎症、統合失調症、そして脳構造の3者を関連させようとする研究で、タイトルは「Inflammation and Brain Structure in Schizophrenia and Other Neuropsychiatric Disorders A Mendelian Randomization Study (統合失調症及び他の神経変性疾患における、炎症と脳構造の関与。 メンデル無作為化研究)
元々神経変性疾患だけでなく、統合失調症でも炎症が一つの要因になっていることが知られている。そこで、この研究では炎症マーカーとしてIL6シグナルを選び、UKバイオバンクでMRI画像が得られる対象者でIL-6シグナルを調べることで、病気、脳構造、そして炎症を結びつけようとしている。
結果だが、20000人レベルの脳画像を、IL6レベルと相関する多型と比べ、多くのIL6と相関するゲノム多型が、構造変化とも関わることを特定している。他のサイトカインでも同じ検索を行っているが、これほど多くの多型が認められるのはIL6だけになっている。
このゲノム多型を仲立ちとして、IL6レベルを脳各領域と相関させると、実に多くの領域がIL6の量と、正あるいは負の相関を示す。大脳皮質については、IL6と負の相関を示す。
次にIL6のシグナルレベルに関わる遺伝子が実際に対応する脳領域で発現していることを、脳の遺伝子発現データベースから確認し、またこれら多型に関わる遺伝子がIL6と相関することも確認している。
以上のことから、IL6レベルに関わる遺伝子が、様々な領域の脳構造を決めていると結論している。ただ、年齢別に相関を調べてはいないので、IL6のレベルが何時脳構造に影響しているのかはわからない。
おそらく、発達期などで何らかの原因で炎症が誘導されると、その程度が遺伝的に決定され、その結果として脳の構造変化が起こるというシナリオになる。実際、IL6レベルに関わり、中側頭回で発現が強い遺伝子は、てんかんや、認知症、統合失調症と相関している。
以上のように、構造と遺伝子の相関、そして遺伝子と病気の相関から構造と病気の相関を推察する、あるいは特定のサイトカインシグナルと遺伝子の相関と、遺伝子と脳構造の関わりから、サイトカインと脳構造の相関を特定し、さらに病気にまで拡大する、2つの論文を紹介した。
この先には、この2日の研究を合わせると、脳構造がわかると、病気のリスクとメカニズムが誰でも知ることが出来るという目標を目指して研究が行われているのがわかる。
2022年4月10日
MRIにより精密な脳画像を得られるようになって、脳の構造と病気の関係について多くの論文が発表されてきた。例えば統合失調症や自閉症が特定の脳構造の異常を示すことが知られるようになった。ただ、これが遺伝的異常なのか、発生段階での障害なのか、あるいは発達期の違いなのかを決めることは簡単ではない。
例えばよく知られる自閉症での扁桃体の増殖は生後1年目ぐらいから明らかになる。すなわち、原因なのか結果なのかを決めるのは難しい。記憶でもそうで、ロンドンのタクシー運転手になって一年もすると、海馬のサイズが増加することすら報告されている。
このように遺伝と環境が複雑に絡んだ脳構造と行動の関係を理解するための最初の条件は、変化を数値化して、人間集団の平均値とバラツキの程度をまず明らかにする必要がある。
今日最初に紹介する4月6日、ケンブリッジ大学を中心とする多くの研究機関が共同でNatureにオンライン発表した論文は、これまで様々なデータベースに集まっている10万人以上のMRI画像を同じプラットフォームに整理し直し、数値化することで、今後、病気を含む他のパラメーターと相関させるための基盤を作ろうとした研究だ。
具体的には、大脳の灰白質容積、白質容積、皮質下の灰白質容積、そして脳室容積などを数値化する方法を示している。勿論男女差は大きく、また変異も大きいが、灰白質、白質ともに胎生から生後急速な拡大を示し、12歳ぐらいから減少し続けて100歳に至るという平均的軌跡を示されると、私のような老人には感慨が深い。脳が縮小するのとは逆に、脳室の大きさが急速に拡大するのも印象深い。
一方、こうして数値化した脳容積を病気と相関させると、アルツハイマー病だけでなく、軽度認知障害や統合失調症でも、数値の低下が認められることを明らかにしている。
いずれにせよ一般検査と同じなので、バラツキは承知の上で、新たに測定した脳画像の数値から異常を抽出できるか検討し、同じ機械で100例以上検査した場合は、異常を診断してピックアップできることも示している。
しかし、ここからさらに構造と機能の理解を進めるためには、一つのパラメーターとの相関だけではなく、いくつかのパラメーターとの相関も合わせる多因子相関解析が必要になる。この研究も、新しく数値化された指標を元に、今後はその方向に進むと考えられる。
これとは独立に、この将来の課題、すなわち脳機能や病気との相関について信頼できるデータを得るためには、何千もの脳画像を集めることが必要であることを、統計学の立場から検討したのが3月16日、ワシントン大学を含む多くの研究室からNatureに発表された論文だ。
この研究では、若年者の精神発達を調べる1万人規模のコホート対象者の構造と領域間の結合性に関する画像を集め、脳全体の構造と症状との相関を調べるBWAS(brain wide association study)のために必要な測定の精度や、対象者の数について検討している。
それぞれの脳画像は、画像計測の方法や手技、個人の様々な変異などに影響された結果なので、異なる個人の画像を正確に比べることは簡単ではない。
この研究ではいくつかの構造パラメーターと、症状などのパラメータの相関を調べているが、予想通り、バラツキは大きく、信頼できる相関がとりにくい。。結局計算上、脳構造の影響をかなり正確に検出するには9500以上のサンプルが必要になると結論している。
また、複数の構造パラメータとの相関を総合して診断する方法も試みているが、2000人のデータがある場合でも信頼できる判断が難しいことが示されている。
以上が結果で、考えてみると、最初から数値として示されないデータを数値化して相関を調べていくことの難しさがよくわかる。しかし少しづつとはいえ、この基盤が形成されつつあるとまとめていいのだろう。
このような基盤の必要性を物語る、ゲノムと脳構造の研究について、明日はまとめてみる。
2022年4月9日
臓器の細胞構成を再現するオルガノイド培養の普及は著しい。おそらく最も古く有名な方法は、ES細胞の分化に用いるembryo body培養だと思う(植物のカルスは別にして)。その後、亡くなった笹井さんと永楽さんがCDBで開発した脳オルガノイド、慶応の佐藤さんの腸のオルガノイドなど、我が国の研究者によりオルガノイド培養の可能性が示され、現在に至っている。
このテクノロジーと並行して、single cell RNAseq(scRNAseq)が普及すると、オルガノイドと生体内の細胞を比較することがより完璧になり、この両輪で臓器の発生や維持、そして異常についての研究が急速に進んでいる。このおかげで、これまで研究が遅れていた肺の分野も進展が著しい。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は人間の細気管支にこれまで全く特定できていなかった新しいタイプの幹細胞が存在することを示した研究で、おそらく肺の様々な病気の理解にも重要な貢献だと思う。タイトルは「Human distal airways contain a multipotent secretory cell that can regenerate alveoli (人間の遠位気道には肺胞を再生できる多能性の分泌細胞が存在する)」だ。
この論文を読むまで全く知らなかったが、マウスには細気管支がない。ただ、肺のサンプルは研究しにくいので、どうしても研究はマウスを用いざるを得ない。この研究ではマウスには存在しない細気管支に焦点を当て、そこに存在する細胞についてscRNAseqで調べた結果、secretoblobin family (SCGB)3A2を、SCGB1ATと同時に発現し、しかも肺胞の幹細胞として知られる2型肺胞細胞とも性質が似たこれまで全く記述されたことのない細胞を発見する。さらに期待通り、この細胞は細気管支にしか存在せず、マウスでは全く欠損している。
scRNAseqから、この新しい細胞(RAS細胞と呼んでいる)と2型肺胞細胞との密接なつながりが見つかるので、ヒトES細胞からオルガノイド培養でRASを誘導する系を確立し、様々な条件で培養すると、Notchシグナルが低下し、Wntシグナルが高まるとRASから2型肺胞細胞への分化が誘導されることがわかった。すなわち、肺胞上皮の幹細胞と言える2型肺胞細胞をリクルートできる幹細胞の性質を有していることが明らかになった。
さらに、RAS細胞の遺伝子発現から特異的表面分子を特定し、人間の細気管支からRAS細胞を取り出し、オルガノイド培養を行い、2型肺胞細胞への分化が誘導されることも示している。
最後に、重症の慢性閉塞性肺疾患の患者さんの肺を調べ、通常はほとんど見られないRAS細胞の性質を共有する2型肺胞細胞が患者さんでは見られることから、RAS-2型肺胞細胞への分化異常が起こっていること、また喫煙でも同じような変化が誘導されることを組織学的に明らかにしている。面白いことに、この異常細胞では、いくつかの肺発生異常の原因遺伝子が発現しており、またBCL2やATF2などの増殖生存に関わる分子の発現も上昇していることを示している。
以上が結果だが、この論文を読んで最初に頭に浮かんできたのは、汎細気管支炎と呼ばれる、細気管支を中心にする重症の炎症性疾患だ。おそらく、RAS細胞をこの疾患で見直してみれば、理解が進むのではと期待を抱いた。勿論、汎細気管支炎に限らず、多くの病態の解析を進めるだけのパワーが、RAS細胞の発見にはあるように思える。