私がまだ政府の生命倫理委員会のメンバーだった頃、一度未受精卵の核交換技術について議論をした覚えがあるが、その時議論の的はミトコンドリア病の治療にこの技術を許可して良いかだった。折しも、Nature Medicineの12月号に、「The path to prevent mitochondrial disease(ミトコンドリア病防止のための方法)」と言うタイトルの技術紹介記事が出ていた。詳細については、ミトコンドリア病についてニコ動で解説する時に紹介する予定にしているが、マウスやサルを用いた長期の研究が行われ、未受精卵の核交換により異常ミトコンドリアをどの程度減少させられるか、人間に利用する時想定される問題は何かなどがわかって来た事などが詳しく書かれている。この背景には、英国のNuffield委員会が、ミトコンドリア病の治療のための核交換に倫理的問題がない事を結論し、イギリスで生殖技術について議論するHFEAが核交換についてのガイドラインを発表した事がある。HFEAのガイドラインでは、応用が始まった時点で、長期に経過を追跡するコホート研究の重要性もしっかりと指摘されているようだ。
今回毎日新聞の河内さんの紹介した埼玉永井クリニックからの研究は、この意味ではタイムリーだと言える。(http://mainichi.jp/select/news/20131212k0000m040094000c.html) 特に、減数分裂で染色体が分離し始めるより前に核を取り出せばミトコンドリアも一緒に移植される確率がずいぶん減るだろうと言う素朴な発想で、技術的可能性に挑戦した仕事は、この分野のプロの目を感じさせる。しかし、この研究では国の遺伝子検査のガイドラインを満たせないと言う理由で、本当にミトコンドリアの持ち込みはないのかなど、必要な検討が全くなされていない。そのため、この論文にはアイデアと技術紹介以上の価値はない。この様なアイデアは先ず動物実験でしっかり確かめる事が重要で、特にミトコンドリアの持ち込みの様な複雑な現象を扱う場合、主義の有効性の評価は出来ない。従って、最初から無理をしてヒトでやるのではなく、長期的視野の計画を立て、データの取れる動物実験から始めるのが当然だと私は思う。
さて、河内さんの記事だが、先ず出だしに問題がある。即ち独立行政法人「医薬基盤研」などの研究チームとしているが、筆頭・責任著者の所属は埼玉の永井クリニックだ。研究助成金についてもほとんど記載がないと言う事は、永井クリニックが自前で行っている研究だろう。実際、医薬基盤研がどのような役割を演じたのか、論文からはほとんどわからない。この様な倫理的に特別の注意が必要な仕事の場合、それぞれの貢献をしっかり調べて記事を書くのが大事だと思う。もう一つの問題は、記事が全て卵子若返りの話になっている事だ。Nature Medicineの総説にもあるように、この技術が期待されているのはミトコンドリア病の防止のためで、英国のNuffield委員会やHFEAも卵子若返りのための応用は視野に入れていない。この様な背景をほとんど調べる事なく、浅い知識でプレス発表をジャーナリスティックに処理してしまうとこの様な記事になってしまうのだろう。特に見出しで「光」と書いて、最後に「倫理的な問題生浮上しそうだ」などと紋切り型の処理を白々と書かれると、科学報道ウォッチも当分続ける必要があると思った。
12月13日毎日新聞(河内)記事。卵子の若返り「染色体置き換え」で可能に。高齢出産に光
2013年12月15日
カテゴリ:論文ウォッチ