ゲノム解析が進んだおかげで、ゲノム上に変異が集まることが発ガンに必要なことは具体的に理解できるようになった。また、特定のガンに特定のセットの遺伝子が関わっていることも明らかになってきた。しかし、通常変異の起こる順序が最終結果に影響があるとは考えてこなかった。今日紹介する英国ケンブリッジの幹細胞研究所からの論文は、突然変異のできる順序がガンの性質を大きく変えることを示す研究で、2月12日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Effect of mutation order on myeloproliferative neoplasm(突然変異の順序の骨髄球増殖性腫瘍の性質への影響)」だ。骨髄の増殖疾患の多くは、骨髄幹細胞の増殖異常に起因する。ガンのゲノム解析が進んだおかげで、この病態の多くにJak2が活性化される突然変異とTET2遺伝子が不活化する突然変異が起こっていることがわかっていた。また、Jak2突然変異は現在治療のための重要な標的になっている。Jak2は細胞の増殖分化に関わるキナーゼで、TET2は核酸についたメチル基を水酸化してハイドロオキシメチルに変換する酵素で遺伝子のエピジェネティック制御に関わっていることがわかっている。研究では、両方の突然変異を持つ患者さん24人が選ばれ、骨髄から採取した個々の幹細胞のコロニーを試験管内で形成させ、その一個一個のコロニーの遺伝子型を調べている。すると、両方の遺伝子が変異しているコロニーや、正常のコロニー(正常幹細胞由来)とともに、どちらかの遺伝子だけに変異が見られるコロニーも発見される。ただ、個々の患者さんで見ると、Jak2の変異とJak2+TET2の変異があるケースと、TET2の変異とJak2+TET2の変異があるケースに分かれる。即ち、例えばJak2変異だけの細胞とJak2+TET2遺伝子両方に突然変異がある細胞が混じった患者さんでは、まずJak2に変異が起こり、その上にTET2が変異を起こしたことになる。これをJak2-first、他方をTET2-firstとして分類して病態を比べた。すると、TET2-firstの患者さんは比較的高齢で、幹細胞が増えており血栓を起こす頻度は低い。一方、Jak2-firstの患者さんは若く、分化した巨核細胞や血液細胞の増殖が強くて血栓を起こす確率が高く、赤芽球増加を併発することが多い。すなわち、最終的には同じ突然変異を持っていても、どちらの変異が先に起こったかによって病態が全く異なるという結果だ。メカニズムについては推察するほかないが、最初の変異により細胞の転写ネットワークが決まってしまうと、他の変異の効果はその文脈に制限されてしまってしまうためだと思われる。今後新しいゲノム診断方法として定着する気がする。また、メチル化阻害剤の使い方も含めて、病態に合わせた治療も可能かもしれない。しかし、患者さんの骨髄の中にこれほど多様な細胞が混在していることは驚きだ。ゲノムとエピジェネティックスが複雑に絡み合ってガンができていることを再認識する論文だった。
2月18日:突然変異の順序と発ガン(2月12日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
2月17日:過去の神経活動の指紋を採取する(2月13日号Science掲載論文)
私が学生時代、神経活動の記録というと、挿入した電極による細胞内外の電流の記録だった。細胞内のカルシウム濃度により蛍光を発するカルシウムセンサーの登場はこの分野を大きく変化させた。細胞内に生じるカルシウム濃度の変化をリアルタイムに記録することができ、記録が単独細胞から領域へと広がった。しかし研究者の欲望は尽きない。どの方法で検出しようと、神経活動は極めて短い期間で終わってしまう。もちろんモニターし続けることで、後からどの細胞がいつ興奮したかを再現できるが、動き回る動物では長期のモニタリングは至難の技だ。この頃の刑事映画では、刑事がビデオモニターを徹夜で調べるシーンが出てくるが、同じことで、もし一定時間内の活動が積算されればこの苦労はないだろう。もしできるなら、一定期間に興奮した細胞を後から指紋を採取するように調べることはできないのか?この課題に挑戦したのが、今日紹介するシカゴ大学からの論文で2月13日号のScienceに掲載された。タイトルは「Labeling of active neural circuits in vivo with designed calcium integrators(デザインされたカルシウム積算系を使って神経回路活動を生体内で標識する)」だ。これまで、一定の波長の光を当てると緑の光が赤に不可逆的に変わるEos2FPと呼ばれるサンゴの蛍光物質があった。このグループは、この蛍光分子を改変して、高いカルシウム濃度環境だけで赤への変化が起こるようにした。このような色素をデザインしたことがこの研究のすべてだ。この色素を発現する細胞では、興奮してカルシウム濃度が高まった時に光が当たると、その後はずっと赤く光り続ける。すなわち、興奮した細胞を後から特定できるようになる。論文では様々な実験系を使って、この色素がこの分野を大きく変える可能性があることを示している。例えば幼生ゼブラフィッシュのすべての脳細胞がこの色素を発現するようにして、光を当てながら自由に泳がせると、前部の皮質のみが興奮していたことがわかる。幼生では泳いでいても視覚野の活動はない。あるいは、ネズミに動く格子模様を提示して、異なる動きの向きに反応する別々の神経細胞を特定することもできる。他にも、光遺伝学を使って特定の細胞を刺激し、それに刺激されて起こる神経回路も視覚化できる。これまでの方法と比べると、1)動物を拘束することなく、神経活動を調べることができる、2)脳全体の活動を後からマッピングできる、3)永久的変化として記録でき、組織を固定したあとでもその結果を見ることができる、4)興奮した細胞だけをセルソーターで純化できる。など、不可能だったことが可能になった。今後、さらなる改変が加えられ、神経活動にとどまらず様々な細胞の変化を積算して調べる新しい方法へと発展するだろう。この分野の進展に目を離せない。
2月16日:ガン細胞が標的薬から逃れるための一つのメカニズム(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)
これまで紹介してきたように、RAFと呼ばれるキナーゼ分子の突然変異に起因する腫瘍に対する薬剤が成功を収めている。最初RAF突然変異が半数に見られる悪性骨髄腫から始め、現在では肺がんの一部など徐々に対象が広がっている。ただ、成功の陰には常に問題がある。同じ突然変異を持つのに、一部のガンでは薬剤の効きにくい細胞が存在し、治療を妨げる。なぜ同じ突然変異で起こったガンにこのような差があるのかを調べ、新しい薬剤を開発する動きが加速している。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はこのような試みの一つで、Nature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「The Hippo effector YAP promotes resistance to RAF- and MEK-targeted cancer therapyes (Hippo分子のエフェクター分子YAPはRAFやMEKに対する標的治療抵抗性を阻害する)」だ。研究は一直線といった感じだ。まずRAF突然変異を持つ肺がん細胞株に、様々な遺伝子の機能を抑えるshRNAをコードするレトロウィルスベクターを感染させ、標的薬で処理する。もし標的薬の効果を高めるshRNAが存在すれば、細胞は死滅するので、このベクターは生き残った細胞に維持されている確率は少ない。この方法で真っ先に消えてしまったshRNAがYAPという遺伝子を抑制するshRNAだった。YAP遺伝子は転写因子で、Hippoと呼ばれるシグナル経路によりリン酸化されると核へ移行できず、不活化される。実際、この論文以前から、YAPが薬剤抵抗性の原因になることを報告する論文が続いていたため、おそらくこのグループは本命に当たったと確信したはずだ。あとは、この分子がRAFだけでなく、MEKが関わるシグナル経路の活性化による多くのガン(厄介なRASの突然変異も含む)の薬剤耐性の張本人であることを示している。また、実際の臨床例でこの分子の発現量と、標的薬の効果が逆相関することも示している。その上で、YAPにより活性化され抵抗性に関わるエフェクター分子がBCL2L1であることを突き止め、この分子を抑制すると同じように薬剤への感受性が上がることを示している。この論文が主張するようにBCL2L1がYAPの効果の全てかどうかはわからない。事実、昨年発表された論文では、RASとYAPが協調して上皮細胞の形態変化を誘導することで、ガンの生存が促進することを報告している(Cell 158, 1–14, July 3, 2014)。しかし、多くのガンでMEKシグナルが関わり、またYAPが抑制されても副作用はそれほど強くないと予想できるため、間違いなくHippo-YAP経路は今後重要なガン治療の標的になっていくだろう。期待したい。
2月15日:結果を先に知りたい気持ちのルーツ?(2月4日号Neuron掲載論文)
2月半ばといえば入試シーズンたけなわだ。本命の受験を終えた受験生は発表まで不安な時間を過ごすことだろう。実際は試験を受けた後は、合格発表まで何もできない。それでも、なんとなく結果を早く知りたいと思うのが人の気持ちだ。この結果についての情報を得たいという気持ちはどこで生まれているのだろう?この課題にサルのモデルで挑んだのが今日紹介するロチェスター大学からの論文で、2月4日号のNeuron誌に掲載された。タイトルは「Orbitofrontal cortex uses distinct codes for different choice attributes in decisions motivated by curiosity (眼窩前頭皮質は、好奇心に基づく意思決定時の選択に対応する別々のコードを使っている)」だ。タイトルにある眼窩前頭皮質(OFC)は眼窩のちょうど上にある前頭葉皮質で、情動や意思決定に対する報酬といった複雑な機能に関わっているために、研究は進んでいない。さて、サルが具体的結果でなく、情報に対する期待を持っているか調べるのは至難の技だ。この研究では、喉の乾いたサルが実際に水を得るという具体的な報酬と、選択が正しいかったかどうかの情報を得る報酬を区別できる課題を設計し、次にこの課題を脳内でどのように処理しているのかを研究している。課題では、一回のトライアルで得られる水の量を、テレビ画面上のパネル上に与えられた情報から選択させている。訓練さえすれば、サルは当然多くの水を示す方のパネルを必ず押すようになる。この水の量についての情報とともに、今度は結果を前もって知ることができるかどうかの情報をパネルに加えておく。ただ、情報を知ったところで、結果は変わらない。もちろん情報が得られるかどうかにかかわらず、サルは多くの水が得られる方のパネルを優先的に選択する。しかし、同じ量の水が提示されて選択する場合、先に情報を知ることできるパネルを選ぶ。この傾向は、選択により多くの水を得られる場合ほど強い。即ち、報酬の価値が高いほど早く知りたがる傾向が強くなる。この、具体報酬と、報酬に関する情報への期待を別々に測定するための実験デザインを開発できたことがこの研究のキーポイントだ。あとは、この意思決定の過程に、OFCの個々の神経細胞がどう関わっているかを調べている。詳細は省いて結果だけ述べると、OFCでの神経活動は、具体的報酬はもちろん、結果に関する情報を前もって知ろうとする判断に対応して興奮する。行動学的には、具体的結果の価値が高いほど、早く情報を知るための選択が行われるため、具体的結果に対する判断と、その情報を得るという判断は統合されている。しかし、OFCの個々の神経細胞の活動を数多く調べて、両方に相関があるか調べても、ほとんど相関は認められない。このことから、具体的結果とそれについての情報への期待は、OFC神経細胞ではまだ統合されておらず、別々の神経活動として表現されているという結果だ。今後の課題はOFCでの別々に起こっている神経活動が、脳のどの場所で統合されているかを知ることだろう。またOFCの神経活動は、感覚情報や経験などが複雑に統合された結果として表現される。したがって、感覚情報がどう報酬系の活動とつながったのかも重要な課題だ。しかし、結果のいかんにかかわらず、先に結果を知りたいという情報に対する欲望は、動物本来の本能のようだ。受験生の皆さんは、当分この本能を押さえつけるため苦労することだろう。しかし脳研究の課題は尽きない。
2月14日:ウィルスとホスト:共存or競合(2月12日号Cell掲載論文)
1年半近く論文ウォッチを書いていると、自分の勉強になったと思える論文ほど、一般の人には理解しにくいことがよくわかる。「専門知識をコモンズに」というゴールは確かに遠い。ただこのギャップを感じないと、役に立つだけが一人歩きして科学コミュニケーションなど掛け声だけで終わるだろう。今日紹介するエール大学から2月12日号のCellに発表された論文はこのギャップを感じる典型的研究と言える。タイトルは「EBV noncoding RNA binds nascent RNA to drive host Pax5 to viral DNA(EVウィルスの非翻訳RNAは出来たばかりのRNAに結合してホスト細胞のPax5をウィルスDNAへと導く)」だ。タイトルを聞いてもほとんどの人にはちんぷんかんぷんだろう。まずEBウィルスだが、ヘルペスウィルスと同じファミリーに属し、幼児期に感染する。ほとんどは気がつかずに終わるが、人によっては発熱など急性症状を起こすこともある。成人期に感染すると激しい症状をきたすので、伝染性単核症と特に区別している。問題は、治ってもウィルスが潜伏し、機会があると活性化することだ。この活性化に、ホストとなるB細胞のPax5分子が重要な働きをしていることがこれまでわかっていた。即ち、Pax5が消失するとウィルスの活性が急速に上昇するため、Pax5がウィルスの再活性化を抑えているのではと考えられている。この研究は、このPax5の作用を助けるのが、ウィルス遺伝子の持つ、非翻訳RNAの一つEBER2であること、及びその分子過程を明らかにした研究だ。私自身、B細胞研究をテーマにしていた時期もあったので、このウィルスにはずっと興味を持っていたが、この論文を読んで研究の進展を実感した。この研究の目的はEBER2の機能を明らかにすることだ。もちろん誰もが考える遺伝子を欠損させる効果などは全てやり尽くされているが、肝心のメカニズムはわかっていなかった。この研究ではまずEBER2がゲノム上のどこに結合しているかを調べるために、EBER2の配列の中からフリーの一本鎖部分のなかから2箇所選び出し、ゲノム上でこの部分と結合するDNAの配列を次世代シークエンサーで調べ、潜在しているウィルスゲノムの端に存在する繰り返し配列(TR)に結合することを見つけた。このTRはすでに、ホスト細胞のPax5が結合する場所であることがわかっている。またEBER2の転写を抑制すると、Pax5をノックアウトするのと同じ効果があることもわかっていた。この研究によってこれまでの結果が統合され、EBER2とPax5は共同してTRに結合し、ウィルスゲノムの転写を調節することがわかった。この発見を手掛かりに、この論文で示されたシナリオは次のようになる。EBER2はビールスゲノムから転写されている幾つかのウィルスRNAと結合することで、Pax5をウィルスゲノムのTR配列へと連れてくる。EBER2と新しく転写されているRNAの働きがないと、Pax5だけではウィルスゲノムにリクルートできない。メカニズムはずいぶん違うが、クリスパー系のガイドRNAに似ていると言っていいかもしれない。こうしてリクルートされたPax5はウィルスの再活性化に関わるLIMP2などの遺伝子の転写を抑制するので、潜在ウィルスが活性化しないよう調節していることになる。この抑制経路がなんらかのきっかけで破られれば、ウィルスは再活性化され、多量のウィルス粒子が作られ、ホスト細胞は死に、ウィルス粒子が放出される。しかしこのシナリオから考えると、ウィルス自らが潜在化するために活性化を抑える仕組みを持っていることになる。即ちホスト細胞が死なないように共同している。しかし、ウィルスが増殖するためには活性化が必要だ。この共存と競合の相矛盾する要求をうまくやりくりして、EBウィルスは今も元気に私たちの中で生きている。同じメカニズムは、他の種に感染するこのファミリーのウィルスで保存されているようで、ウィルスが恒常的にホストに取り付いて維持されるためには必須の戦略のようだ。B細胞研究にとってPax5分子は最も重要な転写因子だが、このウィルスのおかげでPax5について新しい視点から調べることができるはずだ。一般の人とのギャップは埋まらなかったが、若い血液の研究者には是非ゆっくり読んで欲しいと思う。
2月13日:Hedonometer(気分計)(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
この論文を読むまで知らなかったが、Hedonometerという面白い言葉があるようだ。世界中に満ち溢れる言葉のビッグデータを分析して、世界全体の気分、すなわち幸福か憂鬱かを図るという意味に近い(と私は受け取っている)。ただ使用された言葉からHedonometerを作るとすると言葉の持つ気分の分析が必須だ。今日紹介するバーモント大学からの論文は、このための精密な分析ツール開発を行うと同時に、言葉が使われる社会の傾向を調べようとした研究で米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Human language reveals a universal positivity bias(言語から人間が普遍的に持つ陽性的傾向がわかる)」だ。まずこの研究が取り組んだのは、グーグルBook Projectや、Web Crowl, ツイッター、映画やテレビの字幕、新聞などから10の言語の中から10万語を抜き出し、それぞれの単語を50人の人に1−9段階(悲しい、憂鬱から幸福まで)に分類してもらっている。トータルで24の異なるコレクションについて単語の気分を調べているので、全体でおそらく1千万近いデータを集めたことになる。次に各コレクションに集まった単語の気分値の分布を比べている。どの言葉のコレクションでも、陽の気分を持つ単語の方が、陰の気分を持つ単語より多い。詳しく紹介するのは難しいが、各コレクションの平均値と分布を眺めているだけで面白く、妙に納得する。例えばツイッターから抽出した単語のコレクションで見ると、スペイン語やポルトガル語のツイッター陽性度は群を抜いている。一方、同じラテン語系でもフランスのツイッターでの気分度はドイツ語や英語とほとんど同じだ。一方、アジア代表で提示されているインドネシア、韓国のツイッターになると陽の気分は少し低下する。さらに両国で比べると韓国の方が陰だ。妙に納得できないだろうか?次に各言語を比べて、気分度に言語間の差はあまりないこと、また単語の気分度は使われる頻度とは無関係であることを確認している。これにより、Hedonometerのための基礎データが各言語で揃ったことになる。最後に、新しく構築された英語、ロシア語、フランス語のHedonometerで「白鯨」「罪と罰」「モンテクリスト伯爵」の3冊の小説を分析している。もちろん小説になると単語自体に複雑なニュアンスがあり様々な問題があるようだが、それでもモンテクリスト伯では小説が幸福な気分で終わる一方、白鯨や罪と罰では憂鬱な気分で終わることがよくわかる。これらの結果から、著者らは、各単語を取り出して気分度を測定した結果が、程度の差はあっても全ての言語で陽への傾向が見られたことは、人類の社会性自体の傾向を反映していると結論している。そして、さらに多くの言語でこのHedonometerを作成し、私たちの社会全体を分析したいと述べて論文を締めくくっている。読後、まず日本語のHedonometerを早く作って欲しいと思った。例えば国会の答弁、やじ、そして特定のテーマについてのツイッターやフェースブック、材料は山ほどある。そこから見える日本社会はどんなだろう。早く見てみたい。
2月12日:分子標的薬剤耐性白血病に効く薬剤を探す(Natureオンライン版掲載論文)
慢性骨髄性白血病のほとんど、および成人のリンパ芽球性白血病の3−5割は9番と22番染色体が部分交換する染色体転座により形成される、Bcr遺伝子とAbl遺伝子の融合が引き金になっている。私が医師になった頃は、いずれも不治の病気だったが、骨髄移植の登場で治る病気に変わった。そして2000年、白血病の原因である融合遺伝子を標的にしたイマチニブ(グリベック)の登場で、薬剤服用を続けるだけで制御できる病気に変わった。この意味でイマチニブは、21世紀の新しい癌治療の幕開けを告げる象徴的薬剤と言える。とはいえ長く経過を観察すると、イマチニブで抑えている白血病細胞の中に、薬剤耐性を獲得した細胞が生まれることがわかってきた。その多くは、315番目のチロシンがイソロイシンに変化した突然変異で、この新しい変異を抑える薬剤の開発が待たれていた。今日紹介するヘルシンキ大学とファイザー製薬からの論文は、現在腎臓がんで血管新生抑制のために使われているアキシチニブが、イマチニブ耐性の白血病に聞くことを示した論文で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Axitinib effectively inhibits BVR-ABL1(T315I) with a distinct binding conformation(アキシチニブはT315I変異を持つBCR-ABLと独特の結合構造を形成し機能を抑制する)」だ。これまで、T315I変異がおこってイマチニブ耐性が獲得されると、使える薬剤としてポナチニブしか存在しなかった。ただ、ポナチニブはほとんどのキナーゼに作用するため、副作用が強い。このグループは、より特異的なキナーゼ阻害剤を求めて、様々なキナーゼ阻害剤をテストして、ファイザーから血管新生抑制剤として発売されているアキシチニブがT315I型のAbl分子を抑制することを突き止めた。はっきり言って結果はこれだけで、あとは分子の構造解析に基づき、アキシチニブが活性型の分子構造に変化したAblに強く結合することを示した構造解析、他のキナーゼに対する特異性解析(アキシチニブは正常Ablの抑制活性は低い)、実際の白血病細胞を用いた抑制試験などを行っている。最後に、一人のイマチニブ体制になった患者さんに2週間この薬剤を投与することで、白血病細胞をかなり消失させられることを示している。特に新しい薬剤を開発したわけでもなく、研究論文としてはNature レベルかどうか少し疑問だ。しかし、患者さんにとっては効果が確かめられた、しかも明日からでも使える薬剤が見つかったことは大きな朗報だろう。もちろん、この薬剤を手始めに、より効果の高い副作用のない薬剤を開発する可能性も生まれた。期待したい。
2月11日:メトフォルミンの作用機序(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)
年頭、連携先のメドエッジのホームページに、ガンが免疫機能によって撲滅できる日が近づいているのではと夢を語った。これは昨年発表されたCAR (chimeric antibody receptor)技術と、PD1, PDL1, CTLA4などのガンに対する免疫反応を弱める機構を遮断する抗体治療に関する論文の結果が極めて印象的で、期待を与えてくれたからだ。ただ正直に言うと、抗体治療についてはどうしても他の懸念が頭をよぎる。コストだ。多くのガンに効くことが明らかになった場合、一回数十万円する抗体を長期間打ち続けることが経済的に可能か、なかなか難しい問題だと感じていた。もちろん、CTLA4は複雑だが、PD1の下流にあるシグナルはフォスファターゼSHP2であることがわかっており、安価な化合物で置き換わる可能性はある。しかしフォスファターゼの場合、ガンの増殖キナーゼを活性化してしまわないかなどと考えていたところ、長崎大の知り合いから新しい考えの論文を紹介された。岡山大鵜殿さんたちの研究で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Immune-mediated antitumor effect by type 2 diabetes drug, metformin(2型糖尿病薬メトフォルミンによるガン免疫)」だ。メトフォルミンはビグアニド系の抗糖尿病薬で、スルフォニルウレア系薬剤とともに私が学生の時から存在している歴史のある薬剤だ。最近になって、その抗がん作用が疫学的研究から明らかにされ、急に注目されだした。昨日もメドエッジではカイザーパーマネンテからのメトフェルミンの予防効果に関する論文を紹介していた。ただ、効果の背景については、IGF抑制などの説はあるが、はっきりしていなかった。今回、鵜殿さんたちはモデル動物を使って、メトフォルミンの作用の一つが、ガン障害性T細胞の活性を増強することにあることを見出した。研究では、まずメトフォルミンの抗がん作用がガンの周りに浸潤するCD8T細胞の活性増強を介していることを発見し、次にこのキラー活性増強のメカニズムが、T細胞がPD1を始めとする様々な抑制シグナルのせいで細胞死に陥るのを阻害することによることを示している。他にも、この効果により、PD1陰性の様々なサイトカインを同時に出せるT細胞がガン局所で増加することや、シグナルにAMPKからmTORを介して伝わっていることなどを調べているが、やはり最も重要なのはメトフォルミンがガン局所のキラーT細胞を維持する効果があるという発見だろう。これはモデル実験での話だが、すでに広く使用されているこの薬剤をテストすることは簡単だ。実際コストで言えばメトフォルミンは抗体治療の対極にある。おそらく一ヶ月の薬代は自分で全て払っても数千円までだろう。一方、抗PD1抗体は一本が70万円を越していると思う。もちろんこの論文でヒトのガンへのメトフォルミンの効果を結論できない。ただ、作用機序は違っても、標的になる過程はキラーT細胞の活性増強と同じだ。是非患者の立場に立って、多くの医療機関が自主的に、抗体との比較試験や併用試験を進めて欲しいと思う。残念ながら、岡山大学ではプレス発表していないようで、とするとメディアの目にも止まらない。我が国の仕事はわざわざ紹介することもないと、あまり取り上げなかったが、今回は紹介できてよかった。
2月10日:最も恐ろしい腫瘍(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)
1月4日にここで紹介した「がんの危険性は分裂回数で決まる」と言ってのけたVogelsteinたちの論文は(ガン発生リスクの組織差:思い切った仮説を元に考えてみる)、あまりにも単純化していると真面目な先生方の批判の的になっているようだ。ただ、2月4日に紹介したように(岡崎フラグメントと遺伝子変異)、複製の度に、不正確なポリメラーゼαで複製した部分が残るなら、当然分裂が一番の危険因子になることは間違いない。即ち分裂というより、不可避な複製時のエラーがガンの一番の原因になるわけだ。今日紹介するカナダ・トロントの小児病院からの論文は複製時のエラーを修復する分子に突然変異が起こった患者さんのガンのゲノムを調べることで、複製時のエラーがいかに重大な問題かを示した研究で、Nature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「Combined hereditary and somatic mutations of replication error repair genes result in rapid onset of ultra-hypermutated cancers (エラー修復遺伝子の遺伝性と体細胞突然変異が組み合わさると超変異ガンが急速に発生する)」だ。一つだけ予習が必要なのは、ミスマッチ修復という概念だ。2月4日に紹介したように、DNAポリメラーゼε、δによる複製はかなり正確だが、それでも間違うことがある。間違うと鋳型に存在する塩基と相補性のない塩基がもう一方のDNA鎖に来てしまう。これがミスマッチで、普通はこのようなミスマッチは、それを見つけて正しい塩基に替える酵素で修復される。これがミスマッチ修復だ。この酵素が両方の染色体で欠損すると複製時のエラーが増加すると予想できる。しかし、このような患者さんから例えばポリープをとってきてゲノムを調べても突然変異が極端に増えていることはない。これは、ミスマッチ修復を何重にも保証するメカニズムが備わっているからだ。ところが、このような突然変異を持つ患者さんの中に、極めて悪性の腫瘍が発生してくることがある。この研究では、このような脳腫瘍17例のゲノムを調べ、突然変異の数を比べたところ、驚くべきことに10例で、1Mbに平均250の突然変異という、膨大な数の変異が見つかった。あまり変異のない残りの例と比べると、超突然変異型腫瘍の全てでDNA複製に関わるポリメラーゼεかδの突然変異が、ミスマッチ修復の遺伝的変異に組み合わさっていることを発見した。生化学的な研究から、この突然変異により複製のエラー率が10倍以上に跳ね上がることが明らかになった。経時的に組織が得られた患者さんで調べてみると、ポリメラーゼの突然変異が起こった途端にガンが悪性化し、突然変異の数が跳ね上がることがわかった。実際この患者さんでは、ポリメラーゼに突然変異が起こると、72354箇所で新しい突然変異が新たに蓄積している。実に一回分裂で608個の突然変異が起こる凄まじさだ。これまで、細胞の増殖や細胞の生存に関わる遺伝子を発がんに重要な遺伝子として紹介してきたが、これを見ると複製メカニズムの異常が本当は最も恐ろしいことがわかる。患者さんを見ていると、ある時急速にガンが増大するという経験をすることがある。今振り返ると、そんな時は複製メカニズムに破綻が生じていたのかもしれない。最も恐ろしいがんを理解すると、心は重い。
2月9日:福島原発からカナダへ(米国アカデミー紀要掲載論文)
2011年3月11日の福島第一原発事故では1−3京のセシウムが大気や海洋に放出された。それまで唯一の原爆被爆国で、第五福竜丸など核実験でも被害者であり続けた日本が、核については加害者に変わった瞬間だった。この転換が意識にあるせいか、私自身も雑誌を見ていてFukushimaがタイトルにあると気になる。ただ、加害者/被害者といった政治的な問題を離れて、実際には福島原発の未曾有の事故は様々な角度から科学的に追跡されている。今日紹介するカナダのベッドフォード海洋研究所からの論文は、福島からのセシウムが海流に乗ってカナダに到達する過程を調べた論文で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Arrival of the Fukushima radioactivity plume in North American continental waters (福島の放射性汚染物が北アメリカ大陸の水域に到達した)」だ。研究は単純だ。福島第一原発の事故後すぐに、海流によって福島からカナダへと運ばれてくる放射性汚染物の影響を調べるプロジェクトを立ち上げ、カナダのバンクーバー島沿岸から1500km沖まで、26箇所の水質汚染検査ステーションを設置し、水を汚染しているセシウム量を図ったというだけの研究だ。各ステーションでは水面から100mづつ水深1000mまで測定している。この測定ラインは、カナダ沖を北上する日本からの海流を横断するように設計されている。それぞれの測定ステーションで測定されているセシウム134とセシウム137だが、134の方は半減期が2年と短く、また原子炉でしか生まれないので、これが検出されると確実に福島からの汚染物質であると特定できる。一方、137の方は半減期が30年と長く、これまでの核実験などで生まれた汚染物質の影響が残っている。実際1960年代には我が国の海水には現在の10倍に当たる10−20ベクレル立米のセシウム137が含まれていたようだ。大気圏核実験が中止されたおかげで、現在では1.5ベクレル立米にとどまっている。福島第一原発からは両方のセシウムがほぼ1:1の比で出たので、セシウム134を正確に計れると、福島からのセシウム137を特定することが可能になる。さてカナダ沖への到達だが、2012年からセシウム134の上昇が観察されるようになり、2014年には2ベクレル立米に達している。今回の研究で、この汚染は水深100mまでであることもはっきりした。幸いなことに、海流の北への流れが強いため、沿岸部の汚染は1500km沖と比べると低い。今後も沿岸部では上昇が続くと思われるが、これまで観察されたデータはRossiという研究者の予測値に近い。したがって計算上、半減期の長いセシウム137も2015年にピークを迎えてあとは低下すると予想できるようだ。さらに、ピークレベルも大気圏核実験が行われていた当時の10%程度にとどまるという結果だ。論文でもはっきりと人体への影響は少ないだろうと結論している。結果はこれだけだが、加害国としては胸をなでおろすことのできる論文だった。