2015年12月31日
明日から正月。どうしても食べすぎる日々が続く。
さて、満腹になった後でもデザートが出ると、甘いものは別腹とついつい食べてしまうのはなぜだろう。こんな疑問の手がかりになる論文が、デンマーク・コペンハーゲン大学とアイオワ大学のチームから発表された。タイトルは「FGF21 mediates endocrine control of simple sugar intake and sweet taste preference by the liver(FGF21は肝臓から分泌される単糖と甘いものへの好みを調節するホルモン)」だ。
現役時代は内分泌や代謝の研究論文を読むことはほとんどなかった。この論文のタイトルにあるFGF21を見ても、まさか線維芽細胞増殖因子の一つが代謝や脳のコントロールに効くとは想像もしなかった。しかし、飽食の時代だ。私たちの食欲についての研究はかなり進んでいる。
この論文の目的は、甘いもの、すなわちショ糖を中心とした単糖を私たちが取りすぎないようにしているメカニズムにFGF21が関わるのではという仮説を検証することだ。
マウスに、甘みのある餌と、甘みのない餌を自由に摂取させ、FGF21が欠損すると甘みのある餌を取りすぎることを突き止めている。この抑制は、甘みだけで、脂肪や多糖の摂取には影響がない。FGF21は肝臓で分泌されるが、マウス、ヒトともにショ糖、ブドウ糖、果糖を注射すると分泌量が上がるが、人工甘味料のサッカリンでは上昇しない。次にFGF21発現調節に、肝臓細胞が発現しているChREBPと呼ばれる単糖を認識する転写因子が関わることを明らかにしている。すなわち、甘いものを取りすぎると、肝臓のFGF21分泌が上昇して単糖の摂取を抑えるという仕組みだ。面白いのは、FGF21によって抑えられるのは甘みとして感じる食べ物で、投与してもFGF21分泌に影響のない人工甘味料も、FGF21が上昇すると摂取が落ちる。
最後に、FGF21が甘みの摂取を抑制するメカニズムを調べ、受容体であるFGFR1とβクロトー複合体を発現する視床下部室傍核にある細胞が甘いものを取らないようシグナルを出していることを明らかにしている。残念ながら、では下垂体がどのように甘み摂取行動を調節しているのかについては明らかにできていない。味覚を変化するわけではなく、甘いものに対して満腹感を感じるようになるためであることは示しているが、それを媒介する分子についてはこの論文では示されなかった。とはいえ、甘いものに対する満足感が普通の満腹感とは別の調節を受けているとは、食べ過ぎのお正月を迎えるのにふさわしい論文だった。ひょっとしたら何年後かの大晦日にはこの回路を抑える薬を手にしてお正月を迎えることになるかもしれない。
今年はガラパゴス滞在中に報道ウォッチのアップロードが遅れることはあったが、1年休みなく論文を紹介することができた。皆さん良いお年を。
2015年12月30日
タスマニアデビルはタスマニア島の固有種で、見た目は小さな(50−60cm)ツキノワグマといったところだが、カンガルーと同じ有袋類の仲間で、肉食動物だ。現在絶滅危惧種に指定され、保護のため懸命の努力が行われているが、個体数は減り続けている。この種の存続を脅かすもっとも重大な脅威は、デビル顔面腫瘍性疾患(Devil Facial Tumor Disease, DFTD)の蔓延だ。DFTDはデビルの顔面に発生する腫瘍で、致死率が高く1996年に報告されて以来現在まで、この腫瘍により生息数は3割に減少した。ガンの広がりを食い止める方法が見つからないと、野生のデビルは確実に絶滅すると心配されている。感染性が高いためウイルス性の腫瘍の一種ではないかと考えられてきたが、2006年、DFTDは癌細胞自体が個体から個体へ移ることで広がるのではという驚くべき報告がNatureに発表された(Pearse & Swift, Nature, 439:549, 2006)。その後、ガンゲノムの解読や(Murchison et al, Cell, 148:780, 2012)、細胞起源の研究(Murchison et al, Science, 327:84, 2010)より、1996年以前ある個体に発生したシュワン細胞起源のガンが、個体から個体に伝搬していることが明らかにされた。実際、これまで調べられた全てのDFTDは同じ起源を持つクローン細胞であることが確認されていた。
今日紹介するタスマニア大学を中心としたオーストラリア、英国の共同論文は同じような伝搬性の、これまでとは違う新しいタイプのDFTDがタスマニア島南部に発見されたという恐ろしい研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「A second transmissible cancer in Tasmanian devils (タスマニアデビルに見つかった2番目の伝搬性のガン)」だ。
最初見つかったガンをDFTD1、今回新たに見つかったガンをDFTD2と名付けている。DFTD1は最初北東部で発見され、南部へと拡大した。ガンの広がりを調査する過程で、南西部に発生した DFTDの中に、症状はほとんど区別できないが、組織学的には全く異なるガンが発見された。遺伝的な解析を行うと、この組織型のDFTDは全て同じ起源から発生していることが確認された。重要なのは、組織型だけでなく、遺伝子型もDFTD1と異なる新しい起源のDFTDであることが確認されている。例えば、DFTD1はメス由来だが、DFTD2はオス由来で、現在は南西部に限局している。
以上の結果から、
1) 細胞自体が伝搬するガンの発生は稀なことではない、
2) 2番目のガンが発見されたことは、他にも同じような第3、第4のガンが存在している可能性を示す、
3) タスマニアデビルの習性から考えると、接触による細胞伝搬を防ぐことは簡単ではない、
など、タスマニアデビルの直面している絶滅の危機の深刻さが明らかになった。最近National Geographicは、ガンに抵抗性のある個体が増えてきたという話を紹介しているが、2番目のガンがあるとなると、希望の光も消える心配がある。ともあれ、両方のガンでゲノムや細胞起源はわかっており、それを元に様々な対策を考えることができると思う。しかし、安易な自然への介入がより深刻な危機を招くことも十分予想される。おそらく唯一できるのは、未感染の個体を隔離して増やし、絶滅に備えることだけかもしれない。
2015年12月29日
アルツハイマー病は、神経細胞内で分解できない異常たんぱく質が蓄積し、蓄積が進むと最終的に細胞が死ぬことが一つの原因と考えられている。事実、細胞内で必要なくなったたんぱく質を速やかに処理するため、私たちは2重3重のメカニズムを持っており、研究も進んでいる。この中でも、必要なくなったたんぱく質にユビキチンと呼ばれる標識をつけ、標識のついたタンパクだけをプロテアソームと呼ばれる巨大分子コンプレックスで分解するユビキチン経路は、最も重要なメカニズムだ。今日紹介するコロンビア大学からの論文を読むまで、ユビキチン経路とアルツハイマー病との関係は昔から研究が進んでいると私は勘違いしていた。しかしそうではなかったようで、Nature Medicineオンライン版に、「Tau-driven 26S proteasome impairment and cognitive dysfunction can be prevented early in disease by activating cAMP-PKA signaling (Tauタンパクによる26Sプロテアソームの障害と認知機能の障害はcAMP-PKAシグナルを活性化すると予防できる)」とタイトルのついた論文が掲載された。研究では、分解されず重合する異常Tau分子が蓄積するよう操作したマウスモデルを使っている。おそらく最初から重合Tau分子がプロテアソーム機能を阻害すると狙いをつけていたと思う。マウス神経内で、重合型のTauが増えてくる時期のプロテアソーム機能を測定し、期待通り機能が低下していることを様々な系を用いて明らかにしている。メカニズムだが、異常Tauがプロテアソームと結合すると、プロテアソーム自体の機能が阻害され、他のたんぱく質の分解も低下することを突き止めている。ここまでくると、プロテアソームのこれまでの研究の蓄積を利用できる。この機能がPKAによることが知られているので、細胞内のcAMPレベルを上昇させる薬剤で細胞を処理し、PKAを刺激すると、異常Tauタンパクが存在してもプロテアソーム機能が維持されることを突き止めた。あとは、この戦略でマウスの認知機能低下を防げるかだが、異常Tauタンパクが上昇する早期にこの化合物をマウスに投与すると、認知機能は正常近いところで維持できることを示している。しかし、異常Tauタンパクが蓄積してしまった後ではもう手遅れで、早期診断することが治療には大事だという結果だ。なぜ同じような研究がこれまで進まなかったのかも含めて、いろいろ考えさせられる研究だ。いずれにせよ、新しい治療可能性が発見されることは嬉しいことだ。アルツハイマー病だけでなく、ハンチントン病やパーキンソン病など他の変性疾患についてもぜひ可能性があるのか調べて欲しい。
2015年12月28日
これまで、多くの医学の発見は、個別の症例を丹念に調べることから始まっている。すなわち、個別のケースからスタートし、そこで得られた知見を他の症例にも当てはまるよう一般化して、疾患概念や治療法の開発を進めてきた。この伝統は統計的手法が重視される現代でも、学会や雑誌に必ず症例報告が取り上げられることからもわかる。今日紹介するマサチューセッツ総合病院からの論文は、一人のALK遺伝子の転座が引き金になって起こった非小細胞性肺ガン患者さんの症例報告で12月23日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Resensitization to crizotinib by the lorlatinib ALK resistance mutation L1198F(Lorlabinib抵抗性に関わるL1198F変異はCrizotinibへの感受性の再獲得につながる)」だ。
完全な症例報告論文で、現東大の間野さんたちが発見したALK遺伝子の転座により増殖する非小細胞性肺ガン患者さんの4年にわたる壮絶な記録だ。52歳女性で、遺伝子診断に基づいてALKのキナーゼ活性を抑制するCrizotinib投与を受ける。このガンに対するcrizotinibの効果は絶大で、ガンはほぼ完全に縮小する。ただ細菌と抗生物質の関係に似て、治療を続けるうちにcrizotinib耐性のガンが必ず現れ、病気が再発する。この患者さんでは18ヶ月目に再発が見つかり、バイオプシーで得た組織の遺伝子診断から、ALKの突然変異C1156Yが特定される。最近では、新たな突然変異に対する第2世代、第3世代の標的薬が開発されており、この患者さんも第二世代のcertinib投与や、一般抗生剤の治療を受けたが効果はあまり見られず、最後に第3世代の薬剤Lorlatinibを試したところ、今度は効果が見られ、全身に転移したガンは縮小する。しかしこの効果も5ヶ月で、万事休すかと思われたが、バイオプシーした組織の遺伝子検査から、さらに新しいL1198F突然変異がそれまでのC1156Y変異に加わっていることがわかった。構造解析などから、この新しい変異の結果、ALKはLorlatinib抵抗性を獲得するが、その結果最初に使って耐性になったCrizotinibに対する感受性が新しく獲得された可能性が示唆された。そこで、もう一度最初のCrizotinibを使ったところ約6ヶ月間腫瘍が縮小したという結果だ。残念ながら、またCrizotinibに対する耐性ガンが発生してきたようだが、驚くことに新しいガンではL1198F突然変異が消失しているが、これにまたLorlatinibが効くか調べられるだろう。
全て一例報告だがいくつか重要なことがわかる。まずこのガンは耐性を獲得するのも早いが、耐性獲得にはALK 遺伝子の構造変化が関与しており、他のガン遺伝子が新たに変異することはあまりない。すなわち、この分子だけを標的として考えればいい。もともと、分子の機能を保ったまま耐性が獲得できる構造上の条件は限られているため、遺伝子検査を適切に行えば、ALKの活性を阻害する幾つかの薬剤を交互に使うことで、長期間の生存が可能になるかもしれないという結果だ。
もちろんこの観察が一般化されるためには、さらに多くの患者さんでの経験が必要になるが、症例報告がいかに大事かを知ることができる論文だった。
2015年12月27日
同じ時ウェッブにアップロードされたNature論文の中に、量子世界のエンタングルメントをマクロレベルに移行できることを示す、すなわち瞬時の物質移送が可能かもしれないという論文が出ていたが、残念ながら私にその実験を解説する力がないので解説記事だけリンクをはっておく(http://www.nature.com/news/quantum-leap-1.19070)。おそらくこの分野では重要なはずだ。
同じウェッブサイトでもっとも私の興味を引いたのは、ハーバード大学のBradley Bernsteinのグループの、IDH突然変異とゲノムの構造との関わりを調べた研究だった。タイトルは「Insulator dysfunction and oncogene activation in IDH mutant gliomas (IDH突然変異を持つグリオーマではインシュレーターの異常によるガン遺伝子の活性化が見られる)」だ。
ガンゲノムが解読されるようになり、最初増殖や生存に直接関わる多くの分子の変異が発がんのドライバーとして特定されていった。一方で、多くのガンで細胞増殖に直接関わる分子ではなく、細胞全体の恒常性の維持に必要な一般的遺伝子の変異が発がんに先行することがわかってきた。その中のもっとも有名な分子がIDH(イソクエン酸デヒドロゲナーゼ1)だ。クエン酸の一般代謝回路に関わる酵素の一つとして適当に考えられていたが(少なくとも私は)、ガンの中でもっとも悪性のグリオブラストーマ発症の最初に変異が起こる遺伝子の一つであることがガンゲノムの解読より明らかにされ、IDH変異と悪性化の関係が脚光をあびるようになっている。当然分子の性質上、代謝自体の変化を追求するのがこの研究の一つの方向性で、例えば最近Cancer Cellに掲載されたやはりハーバード大学からの論文(http://dx.doi.org/10.1016/j.ccell.2015.11.006)ではこの変異によりニコチン酸からのNAD(ニコチン酸アミド)合成が阻害され、ガンがNAD飢餓に弱くなっていることを示していた。
もう一つの方向性が、この変異による遺伝子発現の全般的異常を追求する方向性で、この酵素により合成が促進するハイドロオキシグルタール酸がTET分子を阻害して、遺伝子のメチル化異常を誘導するという事実を基礎にしている。実際、グリオブラストーマではDNAメチル化の程度が上昇していることが知られている。この論文では、メチル化異常により遺伝子転写支配の区域化が乱れるのではないかと仮説を立て、この可能性を調べた。ゲノム領域を区域化し、エンハンサーの作用範囲を決める境界にはCTCF分子が結合していることが知られている。この研究ではまず網羅的に、メチル化が上昇し、CTCF分子の結合が低下している境界領域を特定し、隣り合う境界に存在するPDGFRAとFIP1L1遺伝子に着目して研究を進めている。PDGFRAは増殖因子受容体で、グリアの増殖を調節するもっとも重要な遺伝子だが、分化後増殖が止まると発現が下がる。一方FIP1L1はRNAプロセッシングに関わる分子で、成熟グリア細胞で発現が高い。詳細を省いて結論を述べると、PDGFRAとFIP1l1遺伝子が属するゲノム区域(TAD)の境界のメチル化がIDH1変異により上昇し、その結果CTCFの結合が阻害されることで、区域の境界が変化し、PIP1L1の発現に関わるエンハンサーが隣の区域のPDGFRAにも作用して、細胞増殖がまた始まるというシナリオだ。このシナリオを確かめるため、メチル化を落とす5AZで細胞を処理すると、増殖が落ちること、またPDGFRAのリン酸化活性を阻害する化合物dasatinibで増殖が落ちることを示している。
確かにBernsteinというスマートな研究者の仕事だと納得する綺麗な研究だ。ただ、あまりに綺麗な話はどこかに間違いがあるかもしれない。冷静に見ながら、期待しよう。IDH1変異のように、あまり特異的でない分子の変異による発がんのメカニズムがわかってこそ、ガンの制圧が可能になる。その意味で、重要な研究だと思う。
2015年12月26日
今年6月25日意外な膵β細胞増殖因子と題して、RANK/RANKLシグナルを抑制する因子が膵臓β細胞の増殖を誘導することを示した論文を紹介した(motonobu.matsumoto@jp.sunstar.com)。このように、成人のインシュリン分泌細胞数を増やす因子の探索は、もともとインシュリン分泌能の低い日本人の糖尿病の治療には重要なテーマだ。今日紹介する論文も同じように膵臓ベータ細胞増殖因子を探索する研究で、糖尿病研究に特化したアメリカ・ジョスリン研究所から1月12日号のCell Metabolismに発表された。タイトルは「SerpinB1 promotes pancreastic β cell proliferation(膵臓β細胞の増殖をSerpinB1が促進する)」だ。この研究が増殖因子探索のために用いた方法はユニークだ。まず肝臓細胞のインシュリン受容体をノックアウトしたマウスを作成する。するとこのマウスの肝臓はインシュリンに対する反応性を失い、インシュリンを感知してフィードバックをかける回路が欠損する。この結果体全体としては、インシュリンが分泌できていないと解釈され、肝臓から膵β細胞の増殖を促す因子が分泌され、膵β細胞が増殖する。この現象を利用して、肝臓がインシュリン感受性を失った時に肝臓が分泌する因子を探索し、SerpinB1を特定している。
この分子を試験管内や生体に投与すると、期待通り膵β細胞の増殖が見られる。また、魚から人まで、この効果を認める。以上の結果から、肝臓がインシュリンを感知しないとSerpinB1が分泌し、インシュリンの分泌を促していることがわかる。分子構造的には、SerpinB1はタンパク分解酵素、特にエラスターゼの阻害分子なので、エラスターゼを阻害する化合物でこの機能を代換えできるか調べると、完全ではないが同じ効果を得ることができるという結果だ。残念ながら、SerpinB1により膵β細胞の増殖のスウィッチが入っているのはわかるが、エラスターゼが作用している直接の増殖因子はこの論文では見つかっていない。あるいはわかっていても、書いていないのかもしれない。いずれにせよ、膵臓β細胞は、成人になってもこの増殖因子の作用で再生を続けており、この作用はエラスターゼで抑えられている。SerpinB1がエラスターゼを抑えると、増殖因子の分解は止まり、膵β細胞が増殖するというシナリオだ。面白い論文だが、増殖因子まで特定できていないこと、糖代謝がしっかり調べられていないので、臨床に役立つかどうかは全く不明だ。
2015年12月25日
Frontiers for Young Mindsというジャーナルを読んだことのある人はほとんどないと思うので、まずこの説明から始めよう。2008年に亡くなったコーヒー貿易商、Klaus Jacobsの遺志で2009年に設立されたJacobs Foundation (http://jacobsfoundation.org/)がある。Klaus Jacobsは知らなくとも、 Jacobsコーヒーと聞くと、ドイツに住んだことのある人なら、「あれか!」と思い出すはずだ。この財団は子供の健やかな成長を助けることを目的としており、その活動の一つとしてこのウェッブジャーナルFrontiers for Young Mindsを発刊している(http://kids.frontiersin.org/)。オープンアクセスなので誰でも読めるのでぜひ訪れてほしい。このジャーナルは健康、地球、天文、脳のセクションに分かれており、論文は要約、前書き、本文、討論、引用論文という普通の科学論文形式で書かれるが、レビューアーは選ばれた少年たちだ。すなわち、彼らにわかることが重要な条件だが、科学的であることが一番重視される。どんな雑誌かは、今日紹介する論文を見てもらえればわかるだろう。ダートマス大学人類学・生物学講座のDominyさんの論文で、タイトルは「Reindeer vision explains the benefits of a glowing nose (トナカイの視覚から赤鼻の利点がわかる)」だ。研究の目的は、赤鼻のトナカイの歌にあるルドルフがサンタさんに選ばれた理由を探ることだ。ここで問題になる歌詞は、「ルドルフは赤鼻のトナカイで、輝くような鼻の持ち主だ。おそらく見た人は、光を発していると思うはずだ。他のトナカイはいつも赤鼻・赤鼻とルドルフを笑い者にして、一緒に遊んでくれなかった。ところがある霧の深いクリスマスイブにサンタさんが来て「ルドルフ、お前の鼻は明るいので、今夜そりを案内してくれないか」の部分だ。この歌詞にはHazenさんの新しい解釈もあるようで、ルドルフの鼻は赤ぶどうの実に似ていて、この木の中に紛れていつも隠れていたようだ。
まずイントロダクションで、この赤鼻が霧のクリスマスに必要かがこの研究の課題だが、こんな鼻がめったに見つからないので研究されてこなかったことを述べている。ここでAnomalous(特異的、異常)を使って、稀であることで差別することの間違いもちょっと諭しているようだ。
さて本文だが、まずトナカイが雪の中で天敵の狼や、食べ物としての苔を見つけるため紫外線まで見ることのできる視力と、光を反射して網膜を守るTapetum Lucidumを持つ動物であることから始まっている。次になぜ霧が視力を妨げるかについての説明だ。特に冬に地面に冷やされて起こる放射霧と氷霧が光を散乱させ、見通しを悪くするかを説明する。そして、この光の透過性も、粒が小さいと透過性の高い色があることを述べる。そして、小さな粒の霧で力を発揮するのが、赤イチゴの波長700nm、すなわちルドルフの赤鼻の波長で、だからサンタの役に立ったのだと結論している。ただ、この赤鼻は多くの血管が鼻に集まることでできているので、熱を失いやすい。だから、もしルドルフを見かけたら、栄養のつく食べ物をあげてほしいと本文を締めくくっている。
最後に討論だが、役に立つ鼻ならどうしてトナカイの中で増えてこないのかを説明する必要がある(進化にまで触れているのには頭が下がる)。一つの可能性として、最近霧の日が減ってきて、あまルドルフの出番がなくなっているのではと議論している。また、赤鼻になった原因は感染性のもので、遺伝しないという他の説も紹介し、様々な可能性を考えるのが科学で、ルドルフの鼻を考えることから極地の光や霧について新しい発見ができると述べて終わっている。(英語で書かれているが、オープンアクセスなのでhttp://kids.frontiersin.org/article/10.3389/frym.2015.00018 で誰でも見ることができるので、絵を見ながら子供に説明してあげてほしい)。
子供に科学とは何かを教えるための素晴らしい試みだと思う。学ぶところの多い、自由な発想の試みだ。わざわざ新たに作る必要はないので、是非日本語訳を作って日本の子供たちに提供しようとする大学生たちが集まることを期待したい。もちろん私も全面的に手伝いたい。
2015年12月24日
一昨日、海馬での記憶成立が、炎症時に分泌されるTNFαにより刺激されたアストロサイトにより阻害されることを示した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4602)。多くの読者は、TNFαが原因ならリュウマチなどの炎症性疾患の治療に使われている抗TNFα抗体を使えば治療可能ではないかと考えられたことだろう。残念ながら抗体薬の血液から脳内への移行は他の組織と比べて極端に低い。これは、脳血液関門と呼ばれる機構が存在するためだ。脳を血中に入ってくる様々な物質から切り離して恒常性を保つための合理的な機構だが、抗体治療のためには厄介な関門だ。関門を全部開けてしまうと脳の恒常性は保てない。従って脳に入れたい抗体だけ特異的に脳へ移行させられないかという研究が現在も続けられている。この目的にもっともかなった仕組みとして期待されているのがトランスサイトーシスと呼ばれる機構で、血管の内側から外側へ内皮細胞を通して物質を運ぶ分子だ。一番よく研究されているのがトランスフェリンで、昨年1月この機構を利用した脳血管関門を破る努力を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/998)。今日紹介する老舗のバイオベンチャー(もう武田薬品より売り上げが大きいことからベンチャーと呼べないかもしれない)ジェネンテックからの論文はトランスフェリンより優れたトランスサイトーシスの標的を発見したという論文で1月6日発行予定のNeuronに掲載されている。タイトルは「Discovery of novel blood brain barrier targets to enhance brain uptake of therapeutic antibodies (治療用抗体の脳への取り込みを促進するための血管脳関門の新しい標的の発見)」だ。研究の手法は単純で、脳血管に選択的に発現している細胞表面分子に対する抗体を作成し、その中から静脈に注射した時、脳に速やかに移行できる抗体を探索するという順序で研究を行っている。実際には、脳血管内皮をFACSを使って純化し、他の組織の血管内皮には発現していない細胞表面たんぱく質を網羅的にリストして、それぞれに5種類の抗体を作って、その脳への移行を調べる方法を行っている。大学の若手の研究室では到底太刀打ちできない物量戦術だ。しかし単純なほど結果は明確で、この中からCD98hcという分子に対する抗体の移行がもっとも効率がいいことを発見する。重要な結果はこれだけで、あとは半分がこの抗体、もう半分がアミロイドβに対する抗体のキメラ抗体を作って、この方法でアミロイドβに対する抗体も脳内移行させて将来治療に使えることを示している。前回紹介した研究はロッシュ、今回はジェネンテックと、企業が着々と抗体治療の可能性を広げようとしていることがよくわかる論文だ。次は腸管内皮を超えて血中に入る抗体(ミルクに混ぜて飲む抗体薬)を開発して、抗体薬をもっと安い身近なものにする研究が進むのではと期待している。
2015年12月23日
「DNA メチル化による転写調節」などとタイトルをつけると、何を今更と思う人も多いのではないだろうか。確かにDNAメチル化が染色体構造を閉じて、転写因子の結合を阻害し、遺伝子発現を抑制すると教科書にも書かれている。しかし、この話がはっきりしているのは、生殖細胞と体細胞の区別、X染色体不活化、インプリンティング、外来遺伝子不活化などの過程でメチル化の標的になる遺伝子の話で、発生や分化に関わる普通の遺伝子の発現調節にDNAメチル化がどのように関わるかについては、実はわかっていないことが多かった。今日紹介するスイス・バーゼルにあるミーシャー研究所からの論文は、マウスES細胞の特性を生かしてこの問題を解明した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Competition between DNA methylation and transcription factors determines binding of NRF1(DNAメチル化と転写因子の競合がNRF1の結合性を決める)」だ。この研究ではメチル化に関わる酵素が完全に欠損したマウスES細胞が使われている。体細胞はDNAメチル化ができなくなると死んでしまうが、ES細胞だけはDNAメチル化が欠損してもなんとか増殖を続ける。この特徴を活かすことで、DNAメチル化によって結合が影響される転写因子を特定することができる。研究ではまずES細胞で転写因子が結合できるよう開かれたゲノム領域を網羅的に比べている。全体的にみると、DNAメチル化が起こらなくとも転写活性領域の大きな変化は見つからないが、それでもメチル化がない時だけ活性化される領域、またその逆も特定することができる。すなわち、メチル化の有無で転写因子が結合したり、結合が阻害される部位、すなわちメチル化が転写調節に関わる領域がはっきり存在することになる。DNAメチル化が阻害されると転写が活性化される領域を詳しく見ると、転写が開始される場所から離れたメチル化の標的になるCpG配列の密度が低い場所が多いことがわかる。これまでメチル化による転写阻害がはっきりしている遺伝子のほとんどはCpG密度が高いので、これとは明らかに違う場所だ。このメチル化に影響される領域の配列から、これに結合する転写因子をリストし、このリストからNRF1分子を選んで後の研究を進めている。ここまでくると、あとは粛々と転写因子の結合とメチル化を厳密に調べればいい。結果は期待通りで、様々な系で調べて、NRF1の結合が結合部位のメチル化により阻害的に調節されていることを明らかにしている。ES細胞の培養条件を変えたり分化を誘導してNRF1結合部位を調べると、細胞分化状態によりメチル化が制御され、その結果NRF1の結合が決められることが明らかになった。すなわち、分化や脱分化で結合部位のメチル化が変化し、遺伝子の転写が調節を受けることがはっきりした例が見つかったことになる。最後にNRF1結合部位のメチル化を調節するメカニズムについて調べ、CTCFや RESTのような遺伝子領域の染色体構造を調節する分子が間接的に関わるメチル化・脱メチル化機構が関与することを明らかにしている。このの研究で選ばれたNRF1はパイオニア因子と呼ばれ、DNAに結合すると染色体構造を開く力がある。このような分子を排除して、発生や分化の恒常性を保つというのは解りやすい。今後ES細胞の分化やリプログラミング過程を用いて、このような現象の解析がさらに進むだろう。その結果、多能生幹細胞を介さず、自由にエピゲノムを変化させて、欲しい細胞を誘導する時代が到来すると予想できる。これまで目にした中では、DNAメチル化の役割を理解させてくれたいい研究だと思う。
2015年12月22日
神経と神経のシナプス接合は、周りに存在するアストロサイトと呼ばれるグリア細胞によって調節を受けている。現在、炎症性疾患や変性性疾患がアストロサイトと神経の相互作用の異常に起因するのではないかと研究が進んでいる。今日紹介するローザンヌ大学からの論文は、TNFα刺激により誘導されるアストロサイトの活性化が海馬での記憶を障害するメカニズムを明らかにし、このメカニズムが多発性硬化症に関わることを示した研究で12月17日号のCellに掲載された。タイトルは「Neuroinflammatory TNFα impairs memory via astrocyte signaling (神経炎症により誘導されるTNFαはアストロサイトを介して記憶を障害する)」だ。これまでの研究でTNFαによりアストロサイトが刺激されると記憶が障害されることは知られていた。この研究では、TNFαが海馬歯状回に存在して記憶に関わる顆粒細胞と嗅内皮質から伸びる神経軸索(貫通繊維)とのシナプス結合を変化させるかどうかを、海馬から切り出したスライスを用いて調べ、まず歯状回にTNFαを一定量以上局所注入すると顆粒細胞の興奮が高まることを確認している。次に、この変化がTNFαによりアストロサイトのグルタミン酸分泌が亢進し、これが貫通繊維の発現するグルタミン酸受容体を介してシナプスの興奮を誘導する結果起こることを、同じスライスを用いて明らかにしている。次に、炎症性神経疾患の多発性硬化症モデルで実際にこの回路が関わるかどうかを調べるため、アストロサイトだけにTNFα受容体を誘導できるマウスを作成し、調べている。結果は期待通りで、アストロサイトがTNFα受容体を発現している場合だけ、恐怖記憶の成立が障害されていることを突き止めている。すなわち、炎症により誘導されるTNFαがアストロサイトを刺激、記憶の成立を妨げることが明らかになった。このシナリオから、TNFαシグナル阻害と、貫通繊維のグルタミン酸受容体の阻害が治療候補として考えられるが、海馬記憶を改善する目的で現在臨床研究が進んでいるグルタミン酸受容体に作用する化合物はマウス多発性硬化症モデルではあまり効果がなく、新しいグルタミン酸受容体阻害剤開発の必要性を示している。一方、TNFαシグナル阻害は炎症全般を抑制するのに効果があり、この回路だけに関する効果を調べることは難しい。しかし、海馬の局所的炎症がアルツハイマー病にも関わるということが示唆されていることから、アルツハイマーモデルでTNFαシグナル阻害により記憶障害が改善されないか確かめてみるのは重要だと思われる。単純な研究だが、臨床への出口も示している面白い仕事だと思った。