2016年12月11日
私たちAASJはパーキンソン病の患者さんとの付き合いが深いが、運動障害のために患者さんが毎日大変な思いで生活しているのを目の当たりにする。私たちにできることは知れているが、理事の藤本さんや麻生さんも、なんとか助けたいという強い気持ちに駆られているのが、はためからもみてもよくわかる。そして患者さんも、私たちも、全員が病状を遅らせるだけでもいいから多くの治療法が開発されることを強く願っている。
幸い、この病気の研究者は多い。おかげで、なんとか入り口にある治療法が続々開発されている印象がある。CiRAの高橋さんの細胞治療もそうだが、遺伝子治療、薬剤治療と、可能性を示す論文は数多い。
今日紹介する2編の論文は、病気の進行を遅らせる治療法につながる標的分子の研究で11月30日号と、12月7日号のScience Translational Medicineに掲載された。古い順に、「Nigral dopaminergic PAK4 prevents neurodegeneration in rat models of Parkinson’s disease (ラットのパーキンソン病モデルで黒質のドーパミン神経のPAK4は神経変性を阻止する)」と「Mitochondrial pyruvate carrier regulates autophagy, inflammation, and neurodegeneration in experimental models of Parkinson’s disease(ミトコンドリアのピルビン酸キャリアはパーキンソン病の実験モデルでオートファジー、炎症、神経変性を調節する)」だ。
今日は2編紹介するため、長くなると読みにくいと思うので、できるだけ短く紹介する。
最初の論文は韓国・忠北大学医学部からの論文で、PAK4と呼ばれる分子が、1)ドーパミン神経で発現し、患者さんでは低下していること、2)強制発現させるとラットのパーキンソン病モデルで神経死を抑えることができること、3)この分子はCRTC1分子のリン酸化を介してCREB転写因子を発現させ細胞死を防止すること、などを明らかにしている。その上で、レンチウィルスベクターを用いた遺伝子治療でPAK4を発現させれば病気の進行を遅らせられると提案している。遺伝子治療であるという点、そして発がんの危険性などをクリアできれば治療標的としては可能性があると思う。
この論文よりさらに可能性が高く、実際治験も進んでいるのが次の論文で、ミトコンドリア内へピルビン酸を運ぶキャリアを阻害する化合物MSDC-0160が様々なパーキンソン病モデルで神経死を防ぐという研究だ。
この論文を読んで初めて知ったが、これまでPPARγ阻害剤として糖尿病治療に使われてきたthiazolidinedione(TZD)は、ピルビン酸キャリア(MPC)の阻害作用があり、これによってβ細胞の保護作用を発揮していることが最近明らかになっていたことだ。そして、TZDはこれまでの経験でパーキンソン病の進行を防止する効果があることが知られていたことだ。
この研究ではMPC阻害剤として開発されたMSDC-0160を、人細胞株、線虫、マウスモデルなどで検討し、αシヌクレン蓄積によるパーキンソン病での細胞死を防ぐことができることを見つけている。研究ではメカニズムについて詳しく調べているが、ピルビン酸のミトコンドリアへの移動が抑えられることによる代謝障害がmTOR経路を介して、オートファジーを正常化、炎症を収め、ミクログリアの活性を下げることで、全体として神経が保護されると結論している。
重要なのは、この薬がすでに糖尿病に12週間投与され、効果や副作用のデータが存在すること、またアルツハイマー病の治験が進んでいる点だ。おそらく、パーキンソン病にも治験を始めるのもそう難しくないだろう。是非期待したい。
2016年12月10日
これまで2回にわたってトランプ政権に対する科学界の懸念を取材した科学紙の記事を紹介してきた。なぜこれほど科学者が心配しているかというと、彼が科学技術予算を減額するからといったレベルではなく、彼の言動から判断される彼の行動規範が、科学者一般の考え方と本能的に相容れないところがあるからだと思う。私自身も一言一言に恐怖感すら感じる。そこがトランプラリーと浮かれている経済界の人たちと根本的に違う点だろう。
そして極め付けともいえる恐ろしいトランプの行動が、12月5日、モントリオール在住のフリーランスの記者Owen DyerさんがThe British Journal of Medicineに明らかにされた。タイトルは「Andrew Wakefield calls Trump “on our side” over vaccine after meeting(Andrew Wakefieldがトランプと会談の後、ワクチン問題で「我々の味方」と呼んだ)」だ。
このAndrew Wakefieldとは、1998年Lancetにはしかワクチンが自閉症の原因であるという捏造論文を書いた張本人だ。私も、小保方事件と比較してWakefield事件については詳しく述べているので参考にしてほしいが(
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishikawashinichi/?p=4#artList)、この捏造論文のおかげで反ワクチン運動が勢いづき、英国や米国で新たなはしかの流行が起こり、死者まで出た。Wakefieldは、共著者全員とLancetの編集者が捏造を認めたことで、失脚したが、米国の反ワクチン運動団体の支援を得て、現在も活動している。
この記事でDyerさんは、Wakefieldが選挙前にトランプと会談し、会談後Wakefieldが「トランプは反ワクチン運動の味方で、3種混合ワクチンが自閉症を誘発することを認める政治家だ」とコメントしたことを報告している。
いくら選挙前で、また反ワクチン運動が大きな票田であるからといっても、Wakefieldと会ったこと自体が問題だ。トランプとは直感に頼る煽動家で、科学的に考えることなど全く意に介していないことを示している。普通取り巻きがこのような会談を阻止するのだが、結局取り巻きも同じ穴の狢だろう
さらにDyerさんはトランプのTwitterを調べ、トランプが従業員の子供について、「ワクチンを接種して、発熱し、自閉症になった」ツイートし、さらに「大統領になったら一度に幾つかのワクチンを接種する現在の方法はやめさせ、何回にも分けて接種させる」とツイートしていることを明らかにしている。これを読んで暗澹たる気持ちになる医学関係者は多いはずだ。
私自身、個人が直感的に反ワクチン論を展開することに何の問題も感じないが、医学的な研究論文を全く無視した議論の展開は許すことはできない。
この問題に関しては、大統領になってからトランプが心変わりし、専門家の意見に耳を傾けることを切に祈るが、まずCDCのワクチン行政にどう介入するか様子を見る必要があるだろう。その意味では、厚生福祉長官のトム・プライスが鍵を握るが、Dyerさんは信用できないと切り捨てている。
トランプの真実を最も語る記事だと思う。
2016年12月10日
時間という言葉で私たちが思い起こすのは、過去や未来を含む比較的長いスパンのことだ。今日紹介するポルトガルの「未知の問題についてのChampalimaud研究センター」から12月9日号のScienceに発表された論文は、タイトルが「Midbrain domapine neurons control judgement of time (中脳のドーパミン神経が時間の判断を支配する)」だったので、このような時間の問題にチャレンジする研究かと思って読んでみた。
残念ながらこの研究が対象にしている時間は、過去と現在といった時間の認識ではなく、音と音の感覚の区別の脳メカニズムについての研究で、例えてみれば単語の音節のようなものだ。とはいえ、音の認識には極めて重要な高次機能で、ノーベル賞に輝いたオキーフさんたちの空間認識の機能とともに、研究が時間についても進展していることを知ることができた。
脱線するがこの研究が行われた、「未知の問題についての研究センター」という研究所の名前は挑戦的だ。ウェッブで調べてみるとガンジー記念碑を設計したチャールズ・コレアが設計した極めてモダンな建築で、そこで時間の認識についての研究が行われている。是非一度訪れてみたいと思わせる研究所だ。
研究は例によって、光遺伝学によるニューロンの興奮操作と、光を用いたニューロンの活動記録に、行動記録を組み合わせた定番の脳研究だ。マウスを訓練し、二つの音の間隔が1.5秒より長いか短いかを判断させ、正解の場合にはほうびがもらえる課題を行わせる。十分訓練すると、1.5秒前後のインターバルでは不正解が多くなるが、1秒以下、2秒以上だとほとんど正解するようになる。
次にこの判断がドーパミン神経の作用であることを確かめるため、ドーパミン(DA)ニューロン特異的に神経活動を抑えると、すべての時間で失敗率が上昇する。したがって、 DAニューロンの興奮がこの判断を決めている。
以上を確認した上で、音を聞いて判断をし、ほうびをもらう過程のDAニューロンの活動を記録すると、最初の音、次の音、判断、そしてほうびをもらう順序で活動が記録できる。実際には訓練で形成した表象と、2番目の音を聞いたときの感覚とが作用しあいほうびをもらえるという期待が生まれる。この2番目の音を聞いた時の興奮パターンと、短い・長いという判断、そして正解・不正解の結果とを比較することが行われている。
実際の実験の内容を説明するのは難しいが、結果として2番目の音を聞いた後、DAニューロンの興奮が強いと正解している。また、2番目の音を聞いた時のDAニューロンの興奮の長さは、短い・長いの判断と逆比例している。すなわち、形成されたイメージとの比較がうまく合わないときは、反応が低下する。そして興奮パターン記録の解析から、内部イメージ自身がDAの興奮として時間を刻んでおり、実際の音と比較していることを明らかにしている。
最後にこれを確認する目的で、トライアルの間に光でDAニューロンを興奮させ、実際判断する時間をずらせることを確認している。
残念ながら、訓練した時間の内部イメージがどこに形成され、DAニューロンに投射しているのかなど詳細は不明だ。まだまだ研究は始まったばかりという感があるが、言葉や音楽の基本認識に重要なきっかけになるように思う。
時間と空間が先験的と考えたカントが最近の脳研究を読んだらどう言うだろうかなとついつい考えさせる挑戦が進んでいると確信する。
2016年12月9日
インシュリンを産生する膵臓のβ細胞を試験管内、あるいは体内で誘導する方法の開発が進んでいるが、多くの研究者が注目する一つのアプローチが、共通の前駆細胞から分化してきた膵島のα細胞とβ細胞の間で分化転換を誘導する方法の開発だ。というのも、Pax4とArxの二つの転写因子で体内での分化転換を誘導できるという報告があるからだ。とはいえ、この分化転換過程の分子メカニズムはよくわかっていなかった。
今日紹介するオーストリア分子医学センターからの論文は、マラリア治療に用いられるアルテミシニンがα細胞からβ細胞への分化転換を誘導するという発見から、分子転換の分子メカニズムのほとんどを明らかにした力作で来年1月12日Cellに掲載される予定だ。タイトルは「Artemisinins target GABAa receptor signaling and impair α cell identity (アルテミシニンはGABAa受容体シグナルを標的にしてα細胞のアイデンティティーを損なう)」だ。
同じ号に、アルテミシニンの話だけが抜けたコートダジュール大学からの論文が掲載されているが、今回はオーストリアからの論文を選んだ。実際、この論文を読んで、論理的に、しかし地道に実験を進めていくグランドストーリーに久しぶりに出会った気持ちがした。
研究はまず、α細胞のアイデンティティーを決めているArxをβ細胞株に強制発現させるとインシュリン産生が低下する実験系の構築から始まる。この系で、Arx発現の効果をキャンセルできる化合物をスクリーニングし、アルテミシニンとその誘導体アルテメテールがArxの機能を阻害することを見出す。
次に、アルテメテールが結合する分子を化学的に探索し、アルテメテールの標的がGephryinで、この分子の安定性を高めることを発見する。
次に、gephryinの細胞内濃度が高まると、GABAa受容体と結合して、GABA受容体シグナルが高まり、その結果としてインシュリン産生が高まっていることを確認する。
もともとGABAはβ細胞で作られ、α細胞のグルカゴン産生を抑制することが知られており、ここまでわかってくるとシナリオのゴールが見えてくる。すなわち、アルテミシニンはGABAa受容体の活性を高め、α細胞の機能を抑制し、インシュリンを産生するβ細胞への分化転換を促すというシナリオだ。
これを確かめるため、今度はβ細胞を減少させたゼブラフィッシュにアルテミシニンの誘導体アルテメテールを処理し、膵臓β細胞の数が増えることを確認している。また、マウスを使った実験で、アルテメテールは確かにα細胞からβ細胞への分化転換を誘導していることを確認している。またラットの糖尿病モデルを用いてアルテメテール投与により血糖の低下が見られることを示している。
最後にヒト膵島から得られたα細胞をアルテメテールで処理する細胞レベルの実験から、アルテメテール処理でGABAa受容体シグナルが高まり、その結果グルカゴンの分泌が止まり、まだよくわからない分子経路を介してArx分子を核内から核外へと移動させることで、Arxの機能が抑制され、α細胞のアイデンティティーを決定している様々な分子の発現が低下し、代わりにβ細胞分化に関わる様々な分子の発現が上がり、インシュリン分泌が起こるというシナリオを完成させている。
大変な仕事量であることがよくわかる仕事で、細胞分化について久しぶりにグランドストーリーを聞いたという気持ちになった。
ではマラリアでアルテミシニン治療を受けた人は低血糖にならないのかなど、面白い問題が残る。今アルテメテールが固形癌に効果があるか治験が行われているようで、この過程の検査データや剖検から重要な発見があるように思える。この研究の先には、糖尿病全体に対する新しい治療法開発の可能性も存在するだろう。期待したい。
2016年12月8日
結核と同じで、梅毒もとうに克服されたと考えている人は多いのではないだろうか。
梅毒はもともとアメリカ大陸の風土病で、コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち込んだとされている。事実、ヨーロッパでの流行は、スペインも参戦した1495年ナポリ戦争が最初だ。その後ヨーロッパ列国のアジア、アフリカへの進出に伴い、世界中に拡大した。幸い戦後抗生物質が開発され、例えば我が国では1950年には5万人を超えていた新規感染者は急速に低下し、1000人以下になる。
しかしWHOの統計では、2008年時点で全世界に1000万人の感染者が存在すると想定されている。このうち9割は開発途上国に集中しているが、驚くことに21世紀に入って多くの先進国で患者数が増加してきた。国立感染症研究所の統計によると、我が国でも増加傾向にあり、梅毒の新しい流行が始まったのではと保健当局は警戒している。
この急速な流行の原因を知るためには、梅毒の原因菌Triponema Pallidum (TPA)が感染を繰り返しながら遂げてきた変化を調べる必要がある。先日、非結核性抗酸菌の進化について紹介したように(
http://aasj.jp/news/watch/6137)、これを可能にするのがゲノムだ。様々な地域で患者のTPAを集め、そのDNA塩基配列を比べることで進化の軌跡をたどることができる。しかし他の感染病と異なり、梅毒の場合これが難しい。TPAは細胞内で増殖するため、まず培養が難しく、現在も菌はウサギに接種することで維持されている。このため、患者さんの組織から直接分離した菌を調べて、菌の進化を追跡することがほとんどできていなかった。
今日紹介するスイス・チューリッヒ大学を中心とする研究グループの論文は、最近古代人のゲノム解析にも用いられるDNAキャプチャー法を用いて多くの患者さんのTPAゲノムを比べ、最近の梅毒流行の原因の一つを特定した研究で12月5日発行のNature Microbiology に掲載された。タイトルは「Origin of modern syphilis and emergence of a pandemic Treponema pallidum cluster(現在の梅毒の起源と流行しているTreponema Pallidum群の出現)」だ。
研究ではおそらく第1期に現れるしこり(硬性下疳と呼ばれている)や潰瘍からTPAをかき取って、そこからDNAを調整している。一部のサンプルは、ウサギの体内で維持されている株化された菌を用いている。サンプルは13カ国、70人の患者さんから集めている。当然サンプルには患者さん自身のDNAが大量に存在するため、キャプチャー方と呼ばれる方法でTPAゲノムだけを精製し、その配列を解析している。一人の患者さんから得られるサンプル量が少ないため、80%以上の配列が解読できたのが28例と減ってしまったが、TPAのゲノム進化を解明するためのデータが初めて得られたことになる。
ゲノムからまず明らかになったのは、非性病性梅毒と呼ばれる一群の皮膚疾患の原因菌とTPAは完全に分離される点だ。これにより、TPAを単独で進化してきた菌として解析が可能になった。
今回配列を比べた梅毒TPAは、現在の患者からはほとんど分離されない、かってアメリカで流行したニコル系統と、現在の患者から分離され全世界に広がっているSS14系統に分かれる。すなわち、梅毒の再流行の原因として問題になるのはSS14系統と特定された。SS14は全世界に広まっているにもかかわらず、多様性が低いことから、極めて最近進化した一系統が流行していると考えられる。
配列からTPA進化の歴史を探ると、ニコル系統も、SS14系統も1774年頃に現れた共通祖先由来と特定できる。コロンブスが持ち込んだのでは?と不思議に思われるだろうが、おそらくヨーロッパで300年近くをかけて感染性の高い系統が生まれ、それが現在のTPAの共通祖先になっている。
問題は、現在流行中のSS14系統のTPAがエリスロマイシンなどのマクロライド系抗生物質に対する耐性遺伝子を持っていることで、梅毒や淋病などの治療に多用されるアジスロマイシンに耐性菌の出現が現在の流行の背景にあると結論している。
もちろんマクロライド系抗生物質への耐性獲得が全てを説明するわけではなく、解読するゲノムの数を増やし、配列の変化を詳細に検討することが重要だ。いずれにせよ、SS14は人類が抗生物質を開発して以降、新たに現れたTPAの系統と言えることから、早いうちにこれを抑え込む手立てを講じることが求められる。一般の人にとっては、新しく進化した菌による梅毒が静かに広がり、自分も感染する可能性があることを知ることが重要だろう。
2016年12月7日
自分で経験しないとなかなか実感できないが、年をとると急に筋肉の衰えを感じる。早い遅いは人によるだろうが、日常の鍛錬では対応できない衰えが必ずある。これまでの研究から、この鍛錬で対応できない衰えは、失った筋肉を補ってくれる幹細胞が減少するからだと考えられる。事実、Pax7という筋肉幹細胞の分子マーカー陽性の細胞は年齢とともに減少することが知られている。
今日紹介するドイツ・イエナにあるライプニッツ研究所からの論文はこの謎の一端を説明した研究でNature オンライン版に掲載された。タイトルは「Epigenetic stresss responses induce muscle stem-cell ageing by Hoxa9 developmental signal(エピジェネティックなストレスが発生に必要なHoxa9シグナルを介して筋肉の老化を誘導する)」だ。
このグループは最初からHox遺伝子に焦点を当てていたようだ。Pax7陽性幹細胞を分離し、すべてのHox遺伝子についてその発現を若いマウスと老化したマウスで比べると、Hox9aだけが強く上昇していることを発見する。次に幹細胞の試験管内増殖系で、Hoxa9欠損マウス幹細胞を調べると、若いマウスには影響がないが、老化マウスの幹細胞が増殖能を回復する。Hoxa9を抑えることで老化マウスの幹細胞機能が回復することをアンチセンスRNAによるノックダウンを用いて確認し、Hoxa9が誘導されることが筋肉老化の重要な原因であることを証明している。
つぎに、では発現が抑えられているはずのHoxa9だけが老化とともに上昇するのか調べるため、Hoxa9プロモーターのヒストン修飾を調べると、期待どおり活性型に変わっている。そして、このヒストン修飾の変化がMll1(ヒストンメチレース)とMdr5の作用であることを確かめ、これらの遺伝子ノックダウン、あるいはMll1とMdr5の相互作用を抑制する薬剤により、Hoxa9の発現が抑制され、幹細胞の機能が回復することを明らかにしている。
この遺伝子特異的エピジェネティック変化に対し、遺伝子全般では老化とともに遺伝子発現抑制型のヒストン修飾が増える一方、幹細胞の増殖が誘導されると遺伝子全体で活性化型のヒストン修飾に急速に変化することを示している。若い幹細胞はこれの逆の反応を示すので、この遺伝子全体にわたるエピジェネティックな変化も老化幹細胞が失われる重要な要因になっていると示唆している。事実、ヒストンのアセチル化に関わる遺伝子をノックダウンすると、老化幹細胞の増殖が改善することも実験的に示している。
最後に、Hoxa9発現が幹細胞の増殖を抑えるメカニズムを知るため、Hoxa9を強制発現させる実験を行い、STAT3,TGFβ、Wntシグナルに関わる分子が強く誘導されていることを発見している。ShRNAを用いたノックダウン実験でこれらの分子が増殖を抑えていることも確認している。
これらの結果から、「老化とともに筋肉幹細胞には様々なストレスがかかり、一つはMdr5を介するHoxa9特異的なエピジェネティックな変化が起こる。こうして発現したHoxa9はSTAT3,Bmp,Wntなどのシグナル分子を活性化し、幹細胞の増殖状態を変化させる。これとともに、遺伝子全体でエピジェネティック状態が大きく変化し、幹細胞自己再生抑制に寄与する」というシナリオを提案している。
これがすぐ老化による筋肉の衰え防止に役立つかどうかはわからないが、十分納得できる面白い研究だと思う。
2016年12月6日
腸内細菌叢がもう一人の自己として、私たちの健康に重要な働きをしていることはよくわかっているつもりだが、自閉症や躁鬱病などの脳機能にまで影響するという論文が出てくると、受けを狙いすぎているのではとあまりのフィーバーぶりが心配になってくる。事実今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文のタイトルを見たときも同じ印象を受けた。タイトルは「Gut microbiota regulate motor deficit and neuroinflammation in a model of Parkinson’s disease(腸内細菌叢はパーキンソン病モデルでの運動障害と神経炎症を調節する)」で、12月1日号のCellに掲載されている。
腸内細菌叢研究がブームになる要因は、細菌が全く存在しない無菌マウスを利用できるようになったことで、様々な病気モデルマウスを無菌状態と、菌が存在する状態で飼育して起こってくる変化が見つかれば、話が成立する。この研究では神経細胞にαシヌクレン遺伝子を過剰発現させたパーキンソン病モデルマウスを無菌と有菌状態で飼育、両者を比較することから始めている。期待通り、3種類の運動機能を調べると、細菌叢が存在するマウスでは機能低下が著しく、また大脳でのシヌクレンの蓄積が更新し、同時に大便の量が低下することを発見している。すなわち、細菌叢の作用によりシヌクレン蓄積が促進し、また腸の機能も低下するという結果だ。
あとはメカニズムを調べればいい。まず、無菌状態と比べて細菌叢があると最も影響を受けるのがミクログリア細胞で、無菌状態では炎症活性が低下し大きさが小さくなっている。すなわち、細菌叢が作用するミクログリアを介する炎症がシヌクレン蓄積を促進するというシナリオだ。この最終原因として、最終的に細菌叢が分泌する単鎖脂肪酸がミクログリアの活性化と運動機能不全に関わることを示している。
最後に、実際のパーキンソン病患者さんの細菌叢が正常人と比べて偏りがあること、パーキンソン病患者さんの便を無菌マウスに移植して運動機能を調べると、機能低下が激しいことを示している。
結論的には、パーキンソン病自体が腸内細菌叢を変化させ、この変化がより運動機能低下に関わるという結果になる。抗生物質で、菌をすべて叩けばシヌクレンの蓄積は抑えられるが、長いスパンで考えると現実的な治療ではない。残念ながら単一の細菌を移植したノトビオティックな実験系を使っていないので、どの細菌が原因となる単鎖脂肪酸を分泌するのか特定できていない。かなりフラストレーションの残る論文だ。私がレフリーなら、菌の特定までやって始めてアクセプトする。他にも、このモデルはαシヌクレンをThy1分子のプロモーターで発現させているが、リンパ球には発現していないのか気になる。もし発現しておれば、炎症や腸管の障害については他のシナリオも考えられる。おそらく、普通はCellに掲載されることはない論文に思える。「事実は小説より奇なり」と意外性だけを狙ったらこんな論文になると思う。
とはいえ、もしこの話が本当なら、パーキンソン病の進行を遅らせる可能性はある。ノトビオティックマウスを用いた地道な研究を望みたい。
2016年12月5日
昨日に続いて今日も論文紹介ではなく、11月25日にScienceに掲載されたミーティングレポートを紹介する。Scienceの編集者Ann Gibbonsさんが書いた記事で、タイトルは「The Wanderers(さすらい人)」で、私の好きな曲の一つシューベルトのピアノ曲と同じロマンチックなタイトルをつけている。
この記事は、今年の9月グルジア共和国トビリシで開催されたドマニシ人についての研究会についてのレポートだ。
ドマニシ人と言われても一般には馴染みがないだろう。私も人類進化の本を読み始めて初めて知った名前で、1991年グルジア共和国ドマニシで発見された人類の化石を指している。この研究会も、ドマニシ人発見25周年を記念して開催されている。
私の頭の中に残るドマニシ人のイメージは、歯痛に苦しむ姿だ。メモを残していないのでどの本で読んだのか忘れてしまったが、その本では頭蓋に残る歯の状態から、初期の人類が齲歯、歯周病に苦しんでいたことを示す例としてあげていた。
ドマニシ人が注目されるのは、アフリカから移動した最初の人類である点だ。諸説あるが人類がサルから分離するのが7百万年前、2足歩行のオーストラリアピテクスが現れるのが450万年前、そして最初のホモ族が現れるのが300万年前と考えられている。現在化石に残る最も古いホモ族は、ホモ・ハビリスで約260万年前のエチオピアに生息していた。多くの人に馴染みの北京原人やジャワ原人はホモ・エレクトスと総称され、170万年前頃に中国内陸部へ進出した共通先祖由来と考えられる。
ドマニシ人が注目されるのは、その骨格がホモ・ハビリスとホモ・エレクトスを結びつける中間の形態をとることから、ホモ・エレクトスの共通祖先ではないかと考えられるからだ。記事でも、「ドマニシ人は私にとってはジャワ原人の先祖だ」という、我が国国立自然博物館の海部さんのコメントが引用されている。ただ、100万年を超えるとDNAが残存する確率はほとんどないので、今後もドマニシ人と、他のホモ族との関係は謎のまま残ると思う。
ただこの記事から見えてくるドマニシ人の姿は以下のようにまとめることができる。
1) 身長は150cm前後で、エレクトスより2-30cm低い。骨格から、おそらく完全な2足歩行より、チンパンジーに近い歩き方をしていた。
2) オルドワン型と呼ばれる最も原始的な石器を使っている。オルドワン型の石器はアフリカからドマニシまでの経路で発見されており、ドマニシ人がホモ・ハビリスから別れ、アフリカから脱出した最初の人類と考えていい。
3) この石器では、肉を骨からそいだりすることは難しく、おそらく自分の歯でナマ肉をかじり、骨を割っていたと考えられる。これがドマニシ人の骨格に痛々しい歯周病の跡が残る原因で、おそらく植物を主食とする生活から、肉食中心に移ったことを示している。
4) おそらく肉食に移行したことが、寒い北への移動のきっかけになったと考える研究者もいる。すなわち、人間に対する恐れのない動物が多い場所では、原始的石器しかない場合でも狩りがしやすかった。それに惹かれて寒い北への移動が行われたというもっともらしい話だ。
5) 下顎は間違いなくエレクトスと言えるが、頭蓋の大きさがあまりに多様で、多くはハビリスに近いため、ドマニシ人をどちらに分類するかは難しい。下顎の発達は、肉食に歯を多用するようになったからとも考えられる。実際、日本人の歴史を見ても10cm身長が伸びることは証明されている。まただからこそ、ハビリスとエレクトスをつなぐ中間としてドマニシ人の価値は大きいと思う。
私としては、歯痛に苦しむドマニシ人のイメージが間違っていなかったこと、またその原因が、歯を道具と同じように使っていたからと納得した。
しかし、古代DNAだけでなく、人類起源を探す研究の発展には目をみはる。そして200万年前後に人類学者が最も注目する、他人への思いやりのような、人間的性質が現れた。この思いやりの気持ちが人類進化を牽引し、言葉の獲得まで進んだと考える研究者は多い。だからこそ180万年前のドマニシ人が注目される。
これに反し、ブレクジット、トランプと、人間の間に線を引く動きが人類に広がり始めている。もし思いやりの心に対する自然選択が人類進化を牽引したのなら、間違いなく人類は滅びへの歩みを始めたことになる。
2016年12月4日
トランプ政権の閣僚人事が進んでいる。政権の核になる国務長官人事は難航しているようだが、それでもトランプ政権で何が起こるのか徐々に見えてきたように思う。
日本の厚生労働省に当たる保健福祉長官には、ジョージア州下院議員の整形外科医トム・プライスが選ばれた。もちろん議会承認が必要だが、否決されることはないだろう。我が国メディアが米国の保健福祉長官人事をわざわざ報告することはまれだが(ちなみにオバマ政権時の、カソリック信者でありながら人工中絶は女性の権利を守ると言い切ったセベリウスについて報道されたことはあっただろうか?)、プライス人事については各紙が報道した。これは、彼がオバマケア反対の急先鋒で、アメリカを再度5000万人の未保険者を抱える国に戻すことがトランプを支えた米国の白人低所得者層にどう受け入れらるのか、各紙も政治的に重要と考えたからだと思う。
保健福祉局はNIHなどの医学研究予算を決める立場にもある。そのため、米国の生命科学者にとってはプライス長官が生命科学研究予算にどのような態度で臨むのか当然心配になる。心配と書いたのは、オバマ政権がゲノム、ガン、脳など生命科学研究に積極的だった一方、下院議員としてのプライスは、これらの予算拡大に一貫して反対してきたからだ。
11月26日付のNatureにはSara Reardonさんが早速「Trump’s pick for US health secretary has pushed to cut science spending(トランプが選んだ保健福祉長官は科学予算削減を推進してきた)」という記事を書いて、この長官について取材している。
この記事の中で紹介された、プライスのオバマが計画した750億円に上る対ガン研究大型予算に対するコメント、「我々はガン研究に対する予算を増額することの重要性はよく認識している。しかし問題は、要求が予算の増額だけを求め、決して他の分野をカットしてガン研究への増額分を埋め合わそうとしない点だ。実際はこのことこそやるべきなのだ」が、彼の方向性を最も語っているようだ。要するに、増額ではなく、予算の対象を仕分けることが重要だというコメントだ。
この記事では、彼がカットしてきた計画リストが示されている。
1) FDA の改革を目的とする予算、
2) NIHの基本予算案(9000億)
3) 755億円の対ガン予算
4) 米国疾患予防管理センターの公衆衛生プログラム(1−2000億円)
確かに筋金入りだ。これに加えて、彼はES細胞樹立や、中絶胎児由来組織の研究利用にも強く反対しており、研究倫理面でもブッシュ時代に逆戻りする心配がある。
とはいえ、研究側も手をこまねいて待っているわけにはいかない。おそらくプライスを説得しようと試みるだろう。最近フランシス・コリンズとウイリアム・ライリーの名前でNIHが発表した、新しい行動科学、社会科学を確立するための深い洞察に基づくプロジェクトもその一つではないだろうか。
ただ、いずれにせよ米国の生命科学者は冬の時代の到来を覚悟しているようだ。
2016年12月3日
非結核性抗酸菌症と言われても一般の人には馴染みがないと思うが、名前の通り抗酸菌によりおこる結核以外の病気を指している。ただ、同じく抗酸菌の仲間のらい菌が原因のハンセン病は別に扱っている。非結核性抗酸菌(NTM)症とひとくくりにしているのは、元気な人にはほとんど問題にならない菌で、まず人から人に感染することはないとされていた。現状は把握していないが、私が医者として働いていた40年前には、非定型抗酸菌症と呼ばれ、M.aviumとM Kansasiiによるものがほぼ全てだった。
今日紹介する英国・サンガー研究所からの論文は私が考えたこともなかった(不勉強で)M. abscesssusが肺の嚢胞性線維症の患者さんを中心に広がり始めていることを示唆する研究で11月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Emergence and spread of a human-transmissible multidrug-resistant non-tuberculous mycobacterium(伝染性で多剤耐性の非結核性抗酸菌の出現と拡大)」だ。
一般的に健康な人にはNTMが感染することは稀で、欧米でM.abscessus(MAS)感染が問題になるのは、嚢胞性線維症と呼ばれる遺伝性疾患だ。一旦感染すると、慢性化する確率が高く、また薬剤耐性菌が出やすい。この研究では、英国、アイルランド、米国、オーストラリアの嚢胞性線維症センターで治療を受けている患者さん517人から分離した1080株のMASの全ゲノムを解読し、異なる患者さんに感染した菌の間の関係を調べている。
すでに述べたように、NTMは人から人に感染性が低く、主に飲み水などから感染すると考えてきた。実際、1990−2000に分離された菌の研究から、患者さんごとに菌株の配列が違っていることが示されており、感染は孤発性であることが確認されていた。
ところが、この研究で調べた患者さんの75%は孤発性ではなく、起源が共通のファミリーに属する菌に感染しており、中でも3種のファミリーに属する菌が広がっていることが分かった。すなわち、嚢胞性線維症の患者さんのあいだであるとはいえ、特定の菌が最近急速に世界中に広がっているという恐ろしい結果だ。
DNA配列の比較と広がりから、これらの菌は1970年中期に出現したと推定される。また、感染形式を調べるため、一人の患者さんから得られた菌のゲノムを分析し、菌が慢性感染を起こすうちに体内で進化し、他の患者さんに感染したケースまで特定している。これらの結果は、最初孤発性だったMASは患者さんの中で進化を遂げ、人から人へと感染する能力を獲得し、嚢胞性線維症の患者さんを中心に世界中に広がっていることを示している。試験管内の実験から、こうして生まれたMASはマクロファージに取り込まれやすく、また細胞内での生存力が強く、様々な抗生物質に耐性であることが明らかになった。
この結果が正しく、人から人へと感染する菌が現れたとすると、嚢胞性線維症患者さんだけでなく、基礎疾患で免疫機能が低下している人や高齢者は気をつける必要がある。
気になって調べてみると、2010年西神戸医療センターから呼吸器外科学会誌に発表された論文では、この時点で我が国でのこの菌による感染症の報告は32例で、全例基礎疾患はあっても嚢胞性線維症ではない。このことは、人から人への感染性を獲得したこの菌が、新しい結核として、嚢胞性線維症以外の人に蔓延する可能性がある。今後注視していきたいと思う。