今でこそ我が国の蚊に媒介される伝染病の危険は無くなったが、私たちの子供の頃は当たり前で、特に日本脳炎は最も恐ろしい伝染病だった。小学校時代は京都市に住んでいたが、水たまりを消毒してボウフラがわかないようにするため、消毒液がまかれていた思い出があるし、もちろん日本脳炎の予防接種は全員がうけた。その後都市化が進むとともにいつの間にか、日本脳炎と蚊の恐怖は私たちの社会から消えたが、今も多くの国で蚊が伝染病を媒介し、その撲滅が待たれている。
今日紹介するミシガン州立大学からの論文は特定の蚊をボルバッキア感染で起こる細胞質不適合性によって撲滅できるか行われた野外実験で7月25日号のNatureに掲載された。タイトルは「Incompatible and sterile insect techniques combined eliminate mosquitoes (昆虫の不適合と不妊テクノロジー両方を合わせることで蚊を撲滅する)」だ。
私たちの頃は蚊の撲滅というと水たまりのボウフラを撲滅することだった。もちろんこれも行われていると思うが、ジャングル地帯ではこれには限りがある。そこで考えられているのが、一つは人工的に作成した不妊のオスを野生のオスと競合させ、蚊の発生を抑える方法と、もう一つが蚊に寄生しているボルバッキアが誘導する細胞質不適合性と呼ばれる現象を利用する方法だ。
詳しいメカニズムについては勉強していないが、細胞質不適合性とは不思議な現象で、ボルバッキアに感染した精子が、同じボルバッキアに感染した卵子以外は発生させない現象で、ボルバッキアが自分に感染した昆虫だけを増やすための一つの戦略だと考えられている。
もしその地域に存在しないボルバッキアの感染したオスを野外に放つと、その精子により受精した全ての卵子は発生できないため、化学物質を用いずに蚊を撲滅することが可能になる。
この研究ではまさにこの可能性が実験室および野外で確かめられた。
まずウイルスを媒介するヒトスジシマカに他の種のボルバッキアを感染させ、実験室で感染したオスを大量に生産する体制を整える。こうして生産したオスが、新しい蚊の発生をほぼ完全に抑えることを実験室で確認した後、次に野外実験に進んでいる。
次にこうして用意したオスの蚊を限られた地域に放って、他の地域との蚊の発生をモニターすると、蚊の発生を抑える一定の効果が認められている。ただ、完全な効果を出すためには、できるだけ多くのオスを放つ必要があるが、その時同じボルバッキアに感染したメスの蚊が混じってしまうと、今度はそのメスから蚊が発生することになり、撲滅は望めない。ただ、メスが全く混じらないようにするのは簡単でない。
そこで、ボルバッキアに感染した蚊を生産する際、蛹の段階で放射線を与えて、生殖能力を落として、メスが混じっても発生しないようにした上で、さらに大量のオスを同じ地域に放つ実験を行い、ほぼ100%の蚊の発生を抑えることに成功している。そしてなによりも、その地域で蚊に刺される頻度が劇的に下がったことも示している。
これ以外も放ったオスと、野生のオスの数の変化や、卵の孵化確率、ボルバッキアを持つメスが野外で維持される率などを調べているが、詳細は省く。基本的には実用段階に達したという結果だ。
あとは実際に大規模な実証実験を行うかどうかだが、実際のところやってみないとわからないだろう。結局は、一つの方法に頼らないことが重要になるように感じるが、ワクチン接種と並行して進めれば、期待できると思う。