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5月25日 スマフォを用いた子供の中耳炎の家庭診断(5月15日号Science Translational Medicin掲載論文)

2019年5月25日
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現在のスマフォはコンピューターとしての機能だけでなく、様々なセンサーを備えたハイテク機器で、このポテンシャルを使って家庭で病気を診断するシステムの開発が進んでいる。例えばカメラとモニターを利用した眼底検査機、外耳道モニターは一般家庭でも使える機器が市販されているし、外部センサーを使えば超音波診断にすら利用できる。これに拍車をかけているのが機械学習の進展で、画像の自動診断が可能になると、専門家の目が必要なくなる。

今日紹介するワシントン大学からの論文はスマフォのスピーカーとマイクロフォンを用いて中耳炎で生じる中耳の浸出液を家庭で診断できるようにするシステムの開発で5月15日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Detecting middle ear fluid using smartphones(中耳の浸出液をスマートフォンで検出する)」だ。

子供の中耳炎には熱や痛みを伴う急性中耳炎と、滲出性中耳炎があり、後者は症状が少ないため異常に気づかず、言葉が遅れたり、学校の成績が低下したりすることがある。これまでも、先に述べたスマフォを用いた耳鏡で診断する試みも行われているが、専門家の目が必要で、家庭でというのは難しい。

この研究では自宅でハサミで切り出した漏斗状の集音装置を、下面にスピーカーとマイクロフォンが相接して設置されているスマフォ(ほとんどのスマフォがこの形式)に設置して、スピーカーから1.8-4.4KHzの短い音波を出し、その音波が鼓膜と共振、反射して戻ってきた時の音をマイクで記録すると、戻ってきたエコーが発信している音と重なって、一種のノイズキャンセリングが起こって音の強さが低下する現象がおこり、このパターンが中耳に浸出液がある時変化することを示し、これを用いて簡単に家庭内で中耳の滲出液の存在を9割以上の確率で診断できることを示している。

あとは漏斗を作る紙質、臨床医と一般人による測定、スマフォの種類、など様々な条件を変えて診断率と特異性を調べ、十分家庭での診断が可能であることを証明している。

詳細はほとんど省いて紹介したが、アプリだけスマフォに入れればあとは他の装置を全く必要としないという点で、実現性が極めて高いと思う。

国が音頭をとって、AIの専門家を25万人育成するという話が進んでいると思うが、我が国がこの分野で大きな遅れをとっているのは、電子産業の地盤沈下と、様々な分野での対話がうまくいかないため、私たちが毎日生きることで大量に生まれているビッグデータを、民間や個人からの自由な発想で掘り起こせていないからではないかと思っている。例えば米国NIHではスマフォを医師や研究者にどう生かすのかを教えるコースを設けている。

我が国も掛け声ではなく、AI初歩教育とは何かを国も明確に示すことが重要ではないだろうか。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月24日 ボノボの母は性教育ママ(5月20日Current Biology掲載論文)

2019年5月24日
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ボノボとチンパンジーは約200万年ぐらい前(人類で言えば直立原人が生まれたころ)に分離した極めて近い種だが、行動学的な大きな違いが注目され、チンパンジーとの比較研究が進んでいる。例えば道徳の起源を研究する目的などで研究されている。特に面白いのは性行動で、チンパンジーは発情しているメスは順位の高いオスを拒否することはないが、ボノボではメスが交尾するかどうかを決めることができる。その結果、オスの順位はあっても、多くのオスに交尾のチャンスがある。この結果、メス中心の類人猿では独特の社会を形成している。

さて、これまで親が子供に様々なことを教えることが知られていたが、今日紹介するドイツマックスプランク研究所を中心とする国際グループからの論文では、母親がオスの子供に様々な方法で性指導をしている可能性を調べた研究で5月20日号のCurrent Biologyに掲載されている。タイトルは「Males with a mother living in their group have higher paternity success in bonobos but not chimpanzees(母親が同じグループで生活していると父親として成功する確率が上がる)」だ。

この国際グループには世界のボノボやチンパンジーの研究グループが参加しており、当然我が国からも京大のモンキーセンターからボノボ研究者が参加している。研究ではそれぞれの研究グループが追跡しているボノボやチンパンジーの群れで、親子関係を特定し、オスの子供が成熟後も母親と同じ群れで生活している場合と、そうでない場合で、他のメスと交尾して子供をもうける確率を調べている。

群れによって大きなばらつきはあるが、ボノボでは母親と暮らしている方が明らかにメスと交尾に成功し子供ができる確率が高い。一方、チンパンジーの場合母親がいてもいなくても、オスが子供をもうける確率は変わらないことが分かった。

これまでの行動学的研究によって、ボノボの母親は子供が性的に成熟すると、1)発情しているメスのところに連れて行く、

2)子供が交尾中に他のオスが邪魔をするのを追い払う

3)他のオスの交尾を邪魔して子供の交尾チャンスを増やす、

4)子供の群れの中の順位を上げるために努力する、

ことが観察されていたようだ。この結果として、子供がオスとして成功することを確認したのがこの研究で、野生でも過保護がいかに大事か示している。

チンパンジーと比べてボノボは行動的によりヒトに近いと考えられている。常に群れの中心にいて、男を焦らし、その結果他の群れとも争わないボノボは、アリストパネスの「女の平和」と同じだ。今回、性教育まであることも分かった。人間の場合、教育ママと言うと悪いイメージがあるが、実際にはこの本能なしに人間は絶滅していたかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

イオニアでの哲学誕生と、柄谷行人著 「哲学の起源」(生命科学の目で読む哲学書 第3回

2019年5月23日
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図1:今回は柄谷行人さんの哲学の起源(岩波書店)を中心にイオニアでの哲学誕生を考える。

「生命科学の目で見る哲学書」では様々な著作を取り上げるつもりだが、あくまでも生命科学誕生の過程をたどることが主目的で、この観点から私が重要と思う著作を哲学書を中心に時代を追って自分なりにまとめ、現代の科学が成立するために必要だった条件を読み解きたいと思っている。

ただ、その当時を知るための著書がない場合も多い。例えば前回は、現代もなお科学や生命科学に大きな社会的影響力を及ぼしている一神教の誕生を取り上げたが、聖書や仏典は取り上げなかった。残念ながら仏典を読んではいないが、聖書は原典や注釈書は読んでいる。しかしこれを紹介したところで、科学の誕生を知るための作業にとっては、反面教師以外の価値を持たないと思った。キリスト教については、トマス・アクィナスに触れる時もう一度取り上げるつもりだが、今後も原典に当たることはしない。この判断から、前回もユダヤ教を例に一神教の誕生について書かれたフロイトの「モーセと一神教」を取り上げた。読者は、この一冊で一神教の本質を十分わかってもらえたと思う。

これに続く今回は、当然哲学の誕生と科学の萌芽について考えることになる。すなわち、人間が自然や人間について自分で考え、その結果を知識として蓄積し始める作業の始まりだ。

フロイトの「モーゼと一神教」で、ユダヤ教の起源として示されたイクナートン(アメントホーテプ4世)が生きていた時はだいたい紀元前14世紀で、各集団でユダヤ民族が独自に育んでいた民族的宗教を、モーゼを預言者とするユダヤ教として再統合したのが紀元前6世紀になる。ギリシャ(イオニア)での哲学誕生(最初の哲学者と言われるタレス)もほぼ同じ時期で、普遍宗教としての一神教と哲学はほぼ同じ時期に世界史に誕生することになる。

哲学はイオニア以外の他の場所でも存在していたはずだと反論されるかもしれない。実際同じ時期、中国でも孔子や老子の思想が生まれている。しかし、私にとって哲学の誕生がどこで最初に起こったのかは問題ではない。実際には、自然や人間について、自分で考え、独自の知識を生み出すようになった条件を知ることが重要だ。そしてそれがギリシャのイオニアで見られるならそれで十分だ。

更にイオニアの哲学から始めることは、他の地域の哲学から始めるのと違って、大きな利点がある。すなわち、イオニアでの哲学誕生は、そのまま2人のギリシャ人、プラトンとアリストテレスを経て(彼らにより哲学は、イオニアの哲学とは似ても似つかないほど変化するが)、17世紀の科学誕生まで、ヨーロッパの原点として受け継がれる。これは、ヨーロッパを科学誕生の場所と捉える私にとっては都合が良い。従って、多くの先人と同じように私も哲学の誕生を紀元6世紀のイオニアに求めたうえで、作業を進める。

と言ってしまったが、本当はイオニアの哲学が書いた原典を読むことはもうできない。というのも、プラトン以前のギリシャの哲学者の著書はほとんど失われており、またソクラテスを筆頭に、多くの哲学者は著作を残していない。このため、結局プラトンやアリストテレスが書き残した文章から当時の哲学者の思想を再構成してもらわないと、私たちの手には追えない。結果、今回も代表的な原典に当たるのではなく、この時代の哲学を紹介してくれる著書について紹介することにする。

図2 岩波文庫のギリシャ哲学者列伝(加来彰俊訳)

幸い、様々な形でイオニア以降のギリシャ哲学を復活させる作業がヨーロッパで続けられた。すなわち、早い時期から失われてしまった初期の哲学者の言葉を復活させる大変な作業を、苦労を厭わず行う人がいた。これを成し遂げた最初の人が3世紀の歴史家ティオゲネス・ラエルティオスで、なんとギリシャ82人の哲学者の思想を「ギリシア哲学者列伝」と言う本にまとめている。岩波文庫から和訳も出ているので(図2)、各哲学者の大まかな考えを知ることができる。

私も全巻購入してはいるが、最初のタレス、ソロンと読んだあと、それ以上読み通すのは止めた。と言うのも、大変な作業を成し遂げた重要な本だと理解しつつも、記述が羅列的で退屈してしまう。結局辞書がわりに使うことになってしまった。

代わりに当時の哲学を知るためのお勧めが、イタリアIBMの支配人まで務めあげたあと、スパッとビジネスマンを辞め作家に転身したルチアーノ・クレシェンツォの「ギリシャ哲学史」谷口勇訳 而立書房(図3)だ。

図3 ルチアーノ・クレシェンツォのギリシャ哲学史


流石にイタリアのベストセラー作家により書かれただけあって、この本はともかく読み物としてよくできている。一人一人の哲学者が本当に身近に感じられ、また笑いを誘う場面も多い。例えば、ピュタゴラスの流派では、

「そら豆を食べざること、パンをちぎらざること」

などの教えが守られていた話を読んだときは、思わず笑った。

このようにユーモアを交えて読者を飽きさせないよう書かれているが、実際には本質的なことをわかりやすく的確に述べており、初期の哲学者が何をしようとしていたのかもよくわかる。

例えば最初の哲学者と言われるタレスについて、

「とどのつまり、タレスは哲学史上で極めて重要な位置を占めているのだが、それと言うのも、彼がいくつかの問題に答えを見出したからと言うよりも、これらの問題そのものを提起しようとしたからなのである。あらゆる神秘の解決をもはや神に帰するようなことはしないで、自分の周囲を観察し、精一杯塾考することこそ、宇宙の解釈へ向けて西洋の思考が歩み出すスタートだったのである」

と書いて、ギリシャ哲学の始まりを上手く一言で表現している。

ただ今回ギリシャ哲学の始まりを知る本として私が取り上げたのが柄谷行人の「哲学の起源」だ(図1)。若い頃から彼の著作には親しんできたので、柄谷さんと呼ばせてもらうことにする。

柄谷さんの文学論については読んだことはないが、哲学や社会に関しての著作は早い時期から読んでいた。個人的印象だが、ミレニアムが終わろうとする頃から(個人的な読書経験の話)、読んだ印象が大きく変わった。豊富な知識とオリジナルな考えに裏付けられている点ではどの著作も一貫しているが、最初の頃は、豊富な知識が、これでもかこれでもかと連発して打ち出されてくるのに対応が追いつかず、知識の圧力に圧倒されているうちに、読んだ後ほとんど頭の整理がついていないのが実情だった。そのため、一時柄谷さんの本から遠ざかっていた。

ところが私自身の専門が再生医学だった関係で、文科省や内閣府の生命倫理委員会に出席するようになって社会学や哲学の本を読む機会が増えた時、何かの参考になるのではとふっと手に取ったのが柄谷さんの「倫理21」だった。知識の豊富さはそのままで、本の目的が明確に理解でき、提示されているシナリオもわかりやすく、読んだ後自分の頭もしっかり整理されているという、新しい読書経験ができるようになった。それ以降、ほとんどの著作を愛読し、常に新しい視点に感銘を受けている。この中の一冊が「哲学の起源」だ。

しかし、私が生命科学の専門家を職業としていたこともあり、この経験の違いで同じ本についての見方もかなり違ってくることもよくわかった。これに関してはぜひ一度取り上げたいと思っており、カントを取り上げる時、柄谷さんのカント論「トランスクリティーク」を取り上げて、思想家と生命科学者の経験の差について考えてみたいと考えている。

さて「哲学の起源」は、「倫理21」「トランスクリティーク」「世界共和国へ」「世界史の構造」の後で書かれている。この間の一連の作業で、柄谷さんは、過去、現代の社会を、交換様式という独自の切り口から分析し、自由な支配されない(対等な交換関係に基づく)社会を保証できる世界共和国が可能であるかを考えようとしている。しかし、決して理想論を唱えて終わるのではない。歴史に学び、過去の思想に学び、その上で具体的な可能性を探るという強い意志が感じられる。そして、世界共和国の可能性の重要なヒントがあると目を向けたのが、ギリシャの政治、文化のルーツ、イオニアを中心とするギリシャの植民地で、この研究成果が「哲学の起源」だ。

このように「哲学の起源」では、柄谷さんが未来の理想的社会として構想している世界共和国という明確な目的が示され、イオニアを中心とするギリシャ植民地で生まれるギリシャ哲学を分析することが世界共和国を構想するのになぜ必要かが、物語として理解できるよう書かれている。この点で当時の各哲学者の考えを羅列した従来の本とは全く異なる。

イオニアは、音韻と文字が完全に一致した世界初の表音文字ギリシャ文字が発明され、貨幣経済が生まれ、ギリシャ民族の心ホメロスの叙事詩が文字として書き起こされ、人間が独自に自然についての説明を試み、医学が呪術から切り離され、人間の歴史が語り始められ、世界に先駆けてイソノミアと呼ばれる政治体制が生まれた地域だ(これらは全てこの本に書いてある)。

歴史になぜという問いはないが、それでも「なぜ」イオニアでこれほど多彩な新しい文化が生まれたのか説明しようとしたのがこの本だ。哲学に関していえば、クレシェンツォが「あらゆる神秘の解決をもはや神に帰するようなことはしないで、自分の周囲を観察し、精一杯塾考すること」(前述)が、イオニアを中心とするギリシャの植民地でなぜ可能になったを説明しようとしている。

この説明のために、柄谷さんは「世界史の構造」を中心とするそれ以前の著作で展開してきた、交換様式と言う視点で社会構造の変化を見る手法を用いている。柄谷さんの交換様式という概念の最大の特徴は、貨幣や資本といった物質の交換と同時に、人間の心の関わる目に見えない交流も統合して扱うことができ、哲学や宗教の誕生を、経済や生産の歴史と同時に捉えることができる点だ。

例えば前回扱った一神教・普遍宗教の誕生について柄谷さんは次のように説明している。

「普遍宗教もまた、交換様式の観点から見ることができる。一言で言えば、それは、交換様式Aが交換様式Β・Cによって解体された後に、それを高次元で回復しようとするものである。言い換えれば、互酬原理によって成り立つ社会が国家の支配や貨幣経済の浸透によって解体された時、そこにあった互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものである。私はそれを交換様式Dと呼ぶ。」

この引用だけではわかりにくいと思うので、ユダヤ教が普遍的一神教へと発展する過程について、私なりに彼のシナリオを脚色して説明しよう。

前回取り上げたように、ユダヤ教はそれまで分散して生きていたユダヤ民族がソロモン帝国に統一され、その後帝国が滅びてバビロン捕囚で奴隷として過ごす中で、普遍的一神教としての現在の形が生まれる。

この過程でユダヤ社会は、小さい部族の中での交換が中心の互酬的社会、すなわち交換様式Aが、ソロモン王朝による帝国支配という交換様式Bと貨幣経済と言う交換様式Cにより置き換わるが、帝国の崩壊とともに、全員が奴隷として交換様式BCから完全に阻害されるという変化が起こる。この間の変化を宗教の観点から見ると、最初部族の氏神様といった呪術的宗教が、帝国の誕生とともに、帝国支配と一体化して部族の呪術性を排した一神教的絶対宗教(必ずしも一神教である必要はない)へと変遷するが、バビロン捕囚により交換様式BCから完全に排除されことを機会に、個人と神の関係に基づく普遍的一神教が誕生する。

すなわち、普遍的一神教としてのユダヤ教は交換様式Dで、社会経済的な交換様式BCから完全に排除された穴を埋めるため、交換様式Aを高次元で回復させて誕生したと言うシナリオだ。

柄谷さんは、この同じメカニズムがイオニアでの哲学誕生にも働いている、すなわち、哲学も交換様式Dの発生として捕らえられると言う。しかも、イスラエルでユダヤ教が完成した時期に、イオニアの哲学にとどまらず、中国春秋時代の孔子、老子、そしてブッダまで現れていることから、当時世界中で帝国の崩壊が相次ぎ、これが世界レベルで交換様式Dの誕生を促したと言っている。

ただ他の地域と比べたとき、宗教や宗教的思想ではなく、自由な人間を基盤とする哲学がイオニアで誕生したのは、交換様式BもCも崩壊し、これに代わる高次な交換様式Aの回復が精神レベルに留どまらざるを得なかったユダヤ教の誕生とは違って、イオニアでは政治経済的にも交換様式Dの導入が一度成功しており、わざわざ架空の神と人間の関係を前提としなくとも、自由な人間と人間の関係の上に精神的な交換様式D、すなわち哲学を誕生させることができたと言う。この帝国や民主主義とは異なる社会経済体制はイソノミアと呼ばれる。

このイソノミア社会を生んだイオニアの歴史的条件について、この本から私なりに抜き書きしてみると次のようになる。

  • イオニアには貿易を通じてエジプトからアジア全域の科学技術、宗教、思想が集まっていた。
  • 社会的には、専制国家を目指さず官僚制、傭兵制をとらず、自由貨幣経済システムを取り入れた。
  • 様々な地域から植民してきた(=すなわちそれまでの部族的伝統をきりはなした)人たちが、新たな盟約共同体を作り、伝統的支配関係から自由だった。
  • 自由な貨幣経済を取っていても、大土地所有が起こらない構造になっており、貧富の格差が生じなかった。

このような特殊な条件が、その後の民主制では常に対立した関係にある自由と平等の関係を乗り越える、自由であることによって同時に平等であり得るイソノミア、すなわち誰も支配されない社会を可能にした。

柄谷さんの言葉を引用すると、

「イオニアの諸都市において回復されたのは、士族社会に先行するような遊動民のあり方である。無論イオニア人は狩猟採取民や遊牧民に戻ったのではない。彼らが遊動性を回復したのは、広範囲の交易や手工業生産に従事することを通してである。」

「イオニアに始まったのは、労働と交換によって生活することを価値とするような文化である。」

「交換様式という観点から見ると、イオニアでは交換様式Aおよび交換様式Bが交換様式Cによって超えられ、その上で交換様式Aの根本にある遊動性が高次元で回復されたのである。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。」

これを読むと、柄谷さんが考える世界共和国のあり方がよく見えてくる。

要するに理想的交換様式Dでは、人間の自由と平等が実現されなければならない。ただ、この支配されない自由な人間関係という地上の交換様式Dがないと、人間を越えた神を前提として自由と平等を回復させる以外に交換様式Dは実現しない。一方、自由であることが平等である交換様式Dとしてのイソノミアが現実にこの世に実現すると、思想的には神・人間という不平等関係に依存するのではなく、自由な人間同士の精神的交換様式が生まれることになる。

しかし、自由と平等を享受できる社会だけでは、より精神・思想世界に自由を主張する哲学を誕生させる動機は弱かったようだ。すなわち、タレスが「あらゆる神秘の解決をもはや神に帰するようなことはしないで、自分の周囲を観察し、精一杯熟孝することで、宇宙の解釈へ向けて西洋の思考が歩み出すスタート」を切るためには、イオニア諸国が帝国の侵略を受けて、この世に実現した交換様式Dが失われるまで待つ必要があった。しかし一度世俗的交換様式Dを経験した後は、その喪失を埋めるための精神的な交換様式Dの回復も、宗教ではなく、より世俗的な精神の自由、すなわち哲学が誕生することになる。

このようなイオニアの思想を代表する例として、柄谷さんが、「病気の原因として神を持ってくることを拒否し、自然原因を求めた医学の父」、ヒポクラテスをまず持ってきたのには、さすがと感心した。素晴らしい例だ。そしてイオニアの哲学が、アテネ型の「フィロソフィア(知への愛)」ではなく、人間への愛を基盤とする思想だったことを以下のように述べている。

「イオニアにおける「人間の愛」は、人間をノモスではなくフィシスを通してみる態度、つまり人間をポリス、部族、氏族、身分のような区別を括弧に入れてみる態度と切り離せない」。

このようにあえてヒポクラテスから始めることで、イオニアの哲学誕生の条件を際立たせた後、柄谷さんは、ヘロドトス、ホメロス、ヘシオドス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデス(プラトンを議論する時に取り上げる)、エンペドクレスを取り上げて、イオニアの思想の、

  • 宗教との関係、
  • アテネのギリシャ哲学(プラトン、アリストテレス)との関係、
  • 宇宙の起源と進化についての考え、
  • 数学と音楽の扱い、

などについて、イオニア以外の思想と比較して議論することで、イオニア哲学の真髄を解説し、これがアテネで始まるプラトンやアリストテレスの哲学とはまったく相反する思想であることを説いているが、これ以上詳細を紹介する必要はないと思う。

なぜイオニアで哲学が始まるのか、柄谷さんの結論はクリアだ。紹介したように哲学は世俗から離れたところでは誕生できない。ヒポクラテスに見られるように、自由であることが平等であるような人間への愛が世俗に存在していて初めて、人間中心の哲学が生まれるということだ。本当の哲学は、決して単純な知への愛ではない。宇宙(科学)と生命(倫理)の両方について統合的に塾考することだ。この本を読んで初めて、私もイオニアで哲学が始まった理由を納得した。

ただ、それでもイオニアで始まったのは自然科学ではないと思う。すなわち、イオニアでは超越的力に頼らず自分で考えるという、科学にとって最も重要な一歩が踏み出された。しかし、自分の考えを他人と共有するために手段が、数学を除くと、対話や議論以外に存在しなかった。わかりやすくいうと、客観的に概念を検証するという態度はほとんど存在しなかった。その意味で、私にとってイオニアは哲学誕生の地であっても、科学誕生の場所ではない。実際、客観的に概念を検証できないという問題が、プラトンによる、神秘性を許容するより宗教的哲学の誕生を許すことになる。

次回はいよいよプラトンの著作の登場だ。

5月23日 神経幹細胞は脳外のガン組織に移動してガンの増殖を助ける(Natureオンライン版掲載論文)

2019年5月23日
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昨日に続いて気楽とはいえ、ちょっと意外な論文を紹介する。フランシス ジャコブ生物学研究所からの論文で、なんと癌組織に脳から神経細胞が移動してきてがん細胞の増殖を助けると言う研究だ。タイトルは「Progenitors from the central nervous system drive neurogenesis in cancer (中枢神経系由来の前駆細胞がガンの神経形成を進展させる)」だ。

この論文を読んで初めて知ったが、前立腺ガンでは昔から神経細胞が新しく形成されるため、支配する神経節の細胞数が増えること、アドレナリン作動性の交感神経を切断するとガンの増殖を抑えられること、さらにコリン作動性の副交感神経を切断しても同じようにガンの進展を抑制できることが知られていた。

この研究では最初前立腺ガンに存在するDouble cortin(DCX)陽性神経幹細胞の数と、ガンの悪性度を調べ、確かにDCX陽性神経幹細胞が多いほど予後が悪いことを確認する。

そして、Mycガン遺伝子を強制発現させた前立腺ガンモデルでも、同じようにDCX陽性細胞がガン組織内だけに形成されること、さらにこの細胞は試験官内で神経へと分化できる前駆細胞であることを発見する。通常の神経再生なら、神経節から神経が伸びるのだが、この場合は明らかに神経幹細胞がまずガン組織に定着しているので、中枢神経系の神経幹細胞由来である可能性が高い。そこで、ガン発生過程で脳内の神経幹細胞の動きを調べると、subventricular zone(SVZ)と呼ばれる幹細胞の存在する領域でだけ、幹細胞数が激しく上下する。

そこで、SVZを蛍光遺伝子を持つウイルスベクターを感染させて腫瘍に移動するかを調べると、なんとまず血液循環に入った後、ガン組織に定着することがわかった。一方同じ幹細胞が存在する領域でも海馬の歯状回をラベルしても神経の移動は認められない。また、SVZ幹細胞を標識したマウスに、乳ガンを移植した場合も、ガンの定着が見られる。

最後にガン組織内に定着した神経細胞をもう一度毒素で除去できるようにした遺伝子操作マウスを用いて調べると、神経幹細胞の供給がない場合は発ガンも、移植ガンの増殖も抑えられることが明らかになった。

以上の結果は一部のガンでは、何らかのメカニズムで神経幹細胞の血液への侵入が誘導され、ガン組織に定着して様々な神経伝達分子を分泌することでガンの増殖を助けることを示している。

話は簡単だが、本当にそうなのか、他の可能性はないのか読んだ後も完全に納得しにくい論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月22日 脳の老化にVCAM-1が関わっている(Nature Medicineオンライン掲載論文)

2019年5月22日
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2日にわたって高次判断の脳科学の話が続いたので、今日から2−3日は気楽な論文を紹介することにした。今日紹介するスタンフォード大学からの論文はは高齢者の血清中に存在する老化因子の研究でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Aged blood impairs hippocampal neural precursor activity and activates microglia via brain endothelial cell VCAM1 (高齢者の血液は脳血管内皮のVCAM-1を介して海馬の神経前駆細胞の活性を下げ、ミクログリアを活性化する)」だ。

研究では血管に絞って老化によって上昇する分子群をまず探索している。もともと、老化により慢性炎症が発生するため、VCAM-1などの発現が上昇すると予想できるが、案の定年齢が高まるにつれ脳血管のVCAM-1の発現が上昇し、これとともに血中に流れるVCAM-1も上昇してくることがわかる。すなわち、血清中のVCAM-1は老化の指標として使える。また、脳のVCAM-1陽性細胞は炎症関連遺伝子も強く発現していることがあきらかになった。実際、若いマウスでも炎症性サイトカインを投与すると血管のVCAM-1 は上昇する。

すなわち炎症性サイトカインが老化で上昇し、VCAM-1を誘導していると考えられるが、老化血清を若いマウスに投与すると、VCAM-1の上昇だけでなく、神経幹細胞の増殖活性が低下、さらにミクログリアを活性化型に変化させられる。また、高齢者の血清をマウスに注射しても同じ結果になる。

ここまでは血清中に炎症性サイトカインが老化により慢性的に上昇していると言う話で、特に驚くほどではないが、著者らはなんとホストの脳内のVCAM-1をノックアウトすると、老化血清の神経幹細胞の増殖抑制作用とミクログリア活性化作用が抑えられることを発見する。すなわち、老化血清中の炎症性サイトカインが最初の引き金とはいえ、神経系への影響は全て血管内皮VCAM-1誘導を介しているという驚くべき結果だ。

次に臨床への応用を考え、VCAM-1ノックアウトの代わりに、VCAM-1に対するモノクローナル抗体を投与して老化血清の作用を見ると、神経幹細胞やグリア細胞への作用を強く抑えることができる。

最後に老化マウスにVCAM-1抗体を投与して脳への影響を調べると、投与しない老化マウスと比べ、増殖神経細胞が増加し、さらに活性化ミクログリアの数が強く抑制される。そして驚くことに、コンテクスト記憶テスト、新しいものへのモティベーション、そして迷路テストのような脳機能の改善も見られる。

まとめると、老化とともに起こる慢性炎症は、脳血管のVCAM-1の発現を高めて、脳神経細胞機能を低下させると言う話で、VCAM-1に対する抗体で脳の機能抑制を抑えられる可能性は画期的だが、血管内皮でのVCAM-1発現上昇から、ミクログリア活性化、神経細胞増殖抑制までのメカニズムは明らかになっていない。このメカニズムが明らかになれば、また新しい脳老化の介入ポイントが見つかる可能性がある。期待したい

カテゴリ:論文ウォッチ

5月21日階層的な判断の脳科学(5月17日Science 掲載論文)

2019年5月21日
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昨日に次いで高次な判断の脳科学で、実際には自分の頭のアップデートのために無理をして読んでいる。今日紹介するMITからの論文は2匹のマカクザルを用いた研究で、サルをつかうだけあって課題はかなり複雑で、使うテクノロジーも異なっているが、研究のやり方は昨日紹介した研究とほぼ同じと言える。タイトルは「Hierarchical reasoning by neural circuits in the frontal cortex (前頭皮質の階層的推論回路)」で、5月17日号のScienceに掲載された。

この研究でも最終的に失敗や成功を繰り返しながら形成される主観的価値判断の基準に関わる回路の特性を研究している。ただ、この研究で使われた課題は読んでいても極めて分かりにくい複雑な課題だ。実際このような課題を行えるようサルを訓練すること自体が大変だろうと推察する。

さて、我々は一度経験した結果を、指示に従って再現しようとしてもうまくいかない場合、指示が間違っているのか、それとも自分が指示を間違えて受け取ったのか判断する必要がある。このためにはまず自分を信じて何度かトライして、失敗が続くと指示が間違っていたと判断することになる。このように、自分の感覚の信頼性と支持への信頼性の両方を正しく判断した時にだけ結果が得られる課題を著者らは階層的と呼んでいる。

しかしこれをサルに訓練するのは大変だ。詳細は省くがこの研究では、ルールを指示したあと、そのルールに従って判断する課題と、昨日のように外部からの指示なしに、試行を繰り返しているうちにルールやルールの変化を判断する課題を行わせている。

その上で、この行動をモデル化して、この過程に関わる要素を抽出した上で、行動時の神経活動を記録し、それぞれの要素と相関する神経細胞を特定している。ただ、マウスと異なり猿の場合は脳も大きく、多くの領域を同時にモニターすることは難しいため、これまでの研究結果に基づき、背外側前頭前野と帯状回皮質の2/3層に限って電極を刺して調べている。このため、他の領域の関与は全く無視されている。

まず判断の結果に対する反応をしらべると、両方の領域で多くの神経が、判断の失敗や、難しさ、連続した失敗に強く反応する一方、成功時には反応がないことがわかり、この領域が、失敗を経験として計算することで、階層的な課題のルールを推測していることを突き止めている。また、両方の領域の反応の時間経過から、背外側前頭前野でそれまでの失敗について計算を行い、そのシグナルをもとに帯状回皮質神経でルールについて判断するのを助けることを確認している。

この背外側前頭前野から帯状回皮質へ伝達される失敗についての分析データが帯状回皮質での計算に関わっていることを示すため、背外側前頭前野に微小刺激を加えて、 帯状回皮質の神経興奮が変化するか調べている。ルールを外から指示する課題(すなわち経験したエラーをもとに計算が必要ない課題)では、背外側前頭前野を刺激しても帯状回皮質の活動はほとんど変化しない。一方、これまでの失敗を計算して推察する課題では背外側前頭前野の刺激が帯状回皮質の興奮に強い影響があることを示している。

最後に、全体を統合している帯状回皮質の刺激によりルールが変化したかどうかの判断が変わるか調べ、確かに変化することも確認している。

結果は以上で、課題は違うが経験を常にアップデートし、正確な判断を可能にする主観的判断基準の形成に背外側前頭前野と帯状回皮質が階層的に協力していると言う結論だ。

より我々人間の行動に近づいた課題で、面白いとは思うが、2日間読んでみて、ビッグデータサイエンスに変化しつつある脳研究が自分の脳の理解の範囲から少しづつ離れていっている気がした

カテゴリ:論文ウォッチ

5月20日:Try and Errorの脳科学(6月13日発行予定Cell掲載論文)

2019年5月20日
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脳科学は多くの細胞の活動を同時に、継時的に記録する技術と光遺伝学の技術開発により急速に進展した。とくに、判断や学習の過程を継時的に記録できるため、複雑な課題を処理するプロセスが研究できる。すなわち、脳内でより高度な統合を必要とする行動が研究できるようになる。ただ脳科学の素人にとっては、読むのがますます困難になる。今日明日と、内容は理解できても、詳細についてなかなか理解ができない論文をあえて紹介したい。

最初はカリフォルニア大学サンディエゴ校、小宮山研究室からの論文で、try-and-errorを繰り返すうちにルールを学習して熟練する過程で、この経験を蓄積・統合して決断するための主観的価値をきめている場所を特定した研究で6月13日発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Area-Specificity and Plasticity of History-Dependent Value Coding During Learning (学習過程で経験の蓄積に依存するバリューコードに関わる領域特異性と可塑性)」だ。

右か左か2者選択の正解率が異なる課題で、どちらの可能性が高いかを経験により学習させると、マウスも十分賢くて、確率の高い方を常に選ぶようになる。そこで確立が急に変わると、また学習を行ってその確率に合わせる。この過程では、try-and-errorを繰り返した歴史的経験が脳のどこかにコードされ、それを参照して褒美をもらうための決断が必要になる。

このような過程をどう研究するのか、勉強にはなるのだが、データの見方などはかなり高度になり、この分野がますます素人には理解しづらい分野になっていく印象を持つ。と断った上で、論文を読み進めると、この経験は全て外部から支持されるのではなく、主観的に形成されることから、まず数理モデリングを用いてこのような経験の積み重ねで判断の基準が形成される過程に必要な要素をパラメーターとして特定する。

この結果をもとに、脳の各領域の神経活動をカルシウムを用いた発光で記録し、学習過程で様々な反応を示す各ニューロンの中から、それぞれの素過程に最も関わる脳内領域を特定し、経験の積み重ねに基づく判断に最も相関する領域として脳梁膨大後部皮質(RSC)を特定する。

さらに、RSC内の各神経の活動は同じパターンを長く維持しており、蓄積した価値がしっかりとレファレンスとして維持されていることを示している。とはいえ、RSC神経は新しい経験に対して最もよく反応して、新しい経験をアップデートしている。

以上に基づいて、光遺伝学的にRSC神経活動を抑えると、それまでの蓄積に基づく判断ができなくなることから、RSCが経験の積み重ねという歴史を表彰しているという結果だ。

あまり間違ってはいないと思うが、しかし行動に関わる要素が複雑化し、さらに多くの細胞の反応を同時に記録し、そのなかから各要素に対応する神経細胞を特定していく、まさにビッグデータサイエンスが深まれば深まるほど、内容は面白いのだが、データの理解がわかりにくくなってくる。ゲノム研究も同じだが、素人向だがデータもある程度理解できるうまいデータ提示の方法が必要な気がする。

明日は課題がもっと複雑な論文を扱う。

カテゴリ:論文ウォッチ

5月19日 加工食品の影響を調べる臨床治験(Cell Metabolismオンライン版掲載論文)

2019年5月19日
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ハンバーガーに代表される食べやすく加工した食品は、先進国での肥満の原因として問題にされている。事実以前紹介したように、ファストフードに限れば一品当たりのカロリーや砂糖の量は上がり続けており、消費者の好みを追求し続ける大手ファストフード会社の宿命が明らかになっている(http://aasj.jp/news/watch/9804)。ただいくら一品のカロリーが高いとはいえ、食べやすく加工したこと自体が悪いのかどうか、またなぜ悪いのかについては科学的な答えがない。

今日紹介する米国NIHからの論文は、食べやすくすることが問題になる原因を4週間被験者の食事をコントロールして調べた臨床治験でCell Metabolismにオンライン掲載された。タイトルは「Ultra-Processed Diets Cause Excess Calorie Intake and Weight Gain: An Inpatient Randomized Controlled Trial of Ad Libitum Food Intake(高度に加工した食品はカロリー摂取による肥満の原因となる:食事制限なしの院内での無作為化試験)」だ。

研究は極めてシンプルで、男10人、女10人の健常人を入院させ、無作為化して、10人は、最初2週間高度に加工した食品だけ、残りの2週間はほとんど加工食品を使わない食事、残りの10人はその逆パターンの食事を取ってもらい、その間の徹底的に様々な代謝指標を徹底的に調べ上げている。

この研究の目的は、加工して食べやすくすることの功罪を調べることなので、入院中の食事は加工食も、非加工食も、重さあたりの様々な成分はほぼ同じように合わせている。しかし、食べる量は自由にしており、当然たくさん食べればカロリーは高い。また入院中は両方のグループとも決まった一定の運動をとるようにしている。

さて結果だが、期待どおり食べやすく加工した食品を摂取している間は、摂取カロリーは上昇し、体重が増える。一方、加工しない食品をとると体重は低下するという結果だ。食品の内容は同じなので、結局食べやすく加工してあれば、ついつい多く食べてしまって体重が増えるということになる。これ以外に面白いと思った結果をまとめると、

  • 脂肪や糖質の摂取は、加工食でも上昇するのに、タンパク質の摂取は両群で変化がない。メニューにもよると思うが、なぜタンパク質だけ一定レベルになるよう自然に食事できるのか不思議だ。
  • カロリー過多になる原因は、朝食と昼食で、夕食は両群とも摂取カロリーは変化しない。すなわち、朝、昼に注意が必要。
  • 期待どおり、加工食の場合、食べる速度が上がる。カロリー比にすると1分あたりの摂取カロリーは50%上昇する。要するに、加工食品も噛めるようにすればいい。
  • 加工食では食欲を抑えるホルモンの分泌が少なく、逆に空腹ホルモンが高い。すなわち、満足までに多く食べてしまう。
  • 少なくともアメリカ人は、耐糖試験で両者に差がない。

他にも詳しい代謝試験が行われているが、詳細については是非論文を直接当たって欲しい。結論を繰り返すと、食べやすくすることで飽食の時代が来たという当然の結論だが、それを調べるためにこれほど大掛かりな治験を行うNIHに頭がさがる。

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5月18日:卵子形成で正常ミトコンドリアを選択するメカニズム(5月15日Natureオンライン掲載論文)

2019年5月18日
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ミトコンドリアは細胞の分裂から独立して増殖しており、また母親の卵子を通してだけ子孫に伝わる独自のゲノム遺伝子を持っている。このため、ミトコンドリアゲノム自体も、この過程で突然変異を起こし、一つの細胞に遺伝的に異なる種類のミトコンドリアが共存するヘテロプラスミーと言う状態が生まれる。突然変異による機能異常のミトコンドリアが存在し、その割合が増えるとホストの細胞の機能が低下するが、これがミトコンドリア病で、異常ミトコンドリアを卵子発生で除去するメカニズムがないと、種の保存は不可能になる。

この卵子発生過程でどのように異常ミトコンドリアだけを見つけ出して排除するメカニズムを研究したのが今日紹介するニューヨーク大学からの論文で5月15日号のNatureに掲載された。タイトルは「Mitochondrial fragmentation drives selective removal of deleterious mtDNA in the germline (ミトコンドリアの分断が生殖細胞での異常ミトコンドリアDNAの除去に関わる)」だ。

この研究では幹細胞から生殖細胞と体細胞へ分化する過程を目で見ることができるショウジョウバエの卵巣を用いて観察している。詳細は省くが、もともと温度が上がると機能が低下するミトコンドリアを持つショウジョウバエに、正常のミトコンドリアを移植し、温度を上げた時に機能低下ミトコンドリアの割合が低下するかどうかで、選択が起こったかどうかを調べている。また、この時様々な分子操作を行い、この選択に関わるメカニズムを明らかにしている。

結果をまとめると以下のようになる。

  • 機能低下ミトコンドリアの選択は、卵子発生の初期、卵子と体細胞が分離する時期にのみ起こり、正常ミトコンドリアがこの時増加する。
  • 体細胞や、精子形成ではこのような選択は見られない。
  • 異常ミトコンドリアの機能低下が検出できないように、外来遺伝子で機能を保証してやると、選択は起こらない。すなわち、機能異常が検出されて選択が起こる。
  • この時期のミトコンドリアは、孤立して増殖せず、通常ならミトコンドリア同士で交換する分子も交換しない。すなわち、他のミトコンドリアから完全に区別できるようになる。
  • この時、Mitofusinの発現量を高めて、ミトコンドリアの孤立化を防ぐと、選択が起こらない。実際卵子発生では、一時的にmitofusinの発現が下がり、ミトコンドリアの孤立が起こるようになっている。一方、体細胞ではミトコンドリアが長時間孤立化することはなく、互いにネットワークを維持している。
  • ミトコンドリアのATP生産量が異常ミトコンドリアを区別する指標に使われている。
  • 異常が検出されたミトコンドリアは、マイトファジーではなく、赤血球分化で見られるオートファジーのメカニズムを用いて、ミトコンドリア膜上のBNIP3蛋白を指標に除去される。

以上が結果で、ショウジョウバエの特徴を生かしたオーソドックスな研究だ。おそらく同じようなメカニズムは他の種でも見られるはずで、特にmitofusinを調節することで、異常ミトコンドリアを選択できるとすると、ミトコンドリア病の治療のヒントが得られるかもしれない。

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5月17日 新しい移植抗原を探す(5月16日号The New England Journal of Medicine)

2019年5月17日
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我が国ではドナー不足はまだまだ続いているが、多くの先進国では医療の一つの柱として重要な位置を占めている。また、移植にとって最も重要な問題、臓器拒絶反応についても、適合抗原のマッチング、免疫抑制剤など対策がすすみ、多くの臓器で安全な医療になっている。

と思っていたら、一定の割合で理由がわからない拒絶反応がおこってしまい、移植臓器が定着できない問題が今も立ちはだかっているようだ。今日紹介するコロンビア大学からの論文は、一般的に普及している組織適合性テスト以外に移植した腎臓を拒絶する抗原の一つを突き止めた論文で5月16日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Genomic Mismatch at LIMS1 Locus and Kidney Allograft Rejection (LIMS1遺伝子座のミスマッチが腎臓の拒絶に関わる)」だ。

現在の組織適合性テストは、ドナーとレシピエント別々に遺伝子多型を調べ、最もマッチングしている組み合わせを選ぶことで行われる。結局タイピングが最も進んだ主要組織適合性抗原のマッチングが中心になる。しかし、当然他の細胞抗原も移植に関わる可能性はあることは、癌のネオ抗原が拒絶に関わることを考えると当然のことだ。

この研究では、癌のネオ抗原と同じで、ドナーに存在して、レシピエントに存在しない分子がもしあれば(彼らは遺伝子衝突とよんでいる)と考え、このような組み合わせが高い頻度でおこる多型を選び、腎臓移植の失敗率と相関させて、最終的に細胞接着に関わるLIMS1遺伝子のイントロンに存在する一つの多型を特定することに成功している。

これまでに発見されてもいいように思えるが、実際にはドナーとレシピエントの組み合わせを調べる必要があるため、このように焦点を絞った探索で初めて発見されたと考えられる。

LIMS1はインテグリンのシグナルに関わるアダプター分子で腎臓に強く発現が見られる。今回特定された多型がGの場合、この分子の発現が低下することも確認され、さらに移植がうまくいかないケースでは、LIMS1に対する抗体が誘導されていることも明らかにしている。

結果は以上で、昨日と同じで少しでも移植の成功確率を高めようと、地道な努力が行われていることがよくわかる論文だった。とはいえ、分子の機能がアダプターである点や、まだこの多型を合わせてマッチングを行う前向きの研究ができていない点で、この発見の最終的評価は定まってはいないと思う。しかし、この検査はどこでも簡単にできると思うので、できるだけ早く用意してほしいと思う。

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