2019年6月13日
個人的な話だが、フラれた経験はあっても、こちらが嫌になって付き合いをやめた経験はなく、このおかげで結婚してからすでに45年が過ぎた。振り返ってみると、これまで好きという感情を持った女性は、なんとなく似ているように感じる。
しかしもし嫌になって関係を解消した場合、次のパートナーは違ったタイプの人を選ぶのではないかと思う。しかし、この先入観が間違っていることを今日紹介するトロント大学の調査研究が米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Consistency between individuals’ past and current romantic partners’ own reports of their personalities (前と現在の恋愛相手の自己性格診断は似ている)」。だ。
この研究はドイツで進んでいる、家族や生活形態の変化を追跡するコホート研究の対象者の中から、一人の相手と恋愛関係を解消したあと、他の相手と恋愛関係を始めた332人を選び、その人と付き合っている今の相手と、前の相手の性格診断を行い、両方が似ているのかどうかを調べている。
心理学の人たちがどのように性格診断を行うのかがよくわかる論文だが、具体的にはBFI-Kとして知られる、外向性、率直さ、共感性、良心性、神経症的性格を個別に調べるテストを行い、この結果をさらに1)一般的な性格、2)相手と似ている点についての自己診断、3)そして特徴的な性格、にわけて調べている。
結果だが、全ての項目で前と今のパートナーの性格は似ていることがわかる。とくに、一般的ではないユニークな性格まで似ているということは、どんなに失敗しても、パートナーを選ぶ好みは変わらないことを示している。しかも、パートナー同士ではなく、自分とパートナーの間でも性格がよく似ている。いわゆる似た者カップルが多いことになる。もし似た者同士が付き合うのが正しいと、世界中で個人の性格の分離が続く可能性があるのは心配だ。
いずれにせよこれらは全て傾向で、もちろんパートナー選びの傾向は本人の性格に大きく左右される。とくに、共感性が高く、神経症的性格が少ない方が、パートナー同士の全般的性格が似ている。面白いのは、特殊な性格が一致しているかどうかで見ると、外交的で率直な人は浮気者の傾向があって、その結果パートナーは似ていないということになる。
話はこれだけで、まあよくやるなといった感じだが、自分の過去の恋愛体験を思い出させてくれる面白い論文だった
2019年6月12日
最近硬い話題が多かったので、今日はすこし気楽な論文を選ぶことにした。
私たちの生活環境には、夜も光が満ち溢れている。さらに、いつもテレビを見ながら寝たり、あるいは全く暗くして寝るのが嫌な人も多い。これまでの動物実験で、睡眠中も光にさらされていると、肥満が起こることが実験的に確かめられていたが、今日紹介する米国・国立衛生研究所からの論文はこの可能性をヒトで疫学的に確かめて研究で、れっきとした臨床雑誌JAMA Internal Medicineの6月10日号に掲載された。タイトルは「Association of Exposure to Artificial Light at Night While Sleeping With Risk of Obesity in Women(夜間の睡眠中も人工光に晒される女性は肥満リスクが高くなる)だ。
研究は単純だ。最終的に43722人の35歳から75歳の女性を、2003年から平均5.7年追跡し、体重・睡眠・食事などを中心に様々なデータを集めている。最初のインタビューで、夜就寝時の光の状態を、光なし、小さな光、部屋の外に光、部屋の中にテレビか明かり、の中から自己申告させ、この結果と様々な指標とを送還させている。
結果だが、全く光なしで寝ている人は7000人、逆に明かりかテレビをつけて寝ている人が5000人、残りが少し光があるという状態で睡眠している。様々な指標で比べても、全く光なしと、少し光がある場合ではほとんど差はない。しかし、テレビか明かりをつけて寝ている人たちは、BMI、ウエストとヒップ比、ウェストと身長比など全ての面で最初から肥満が見られる。
またその後の追跡で体重やBMIの変化を調べると、体重やBMIがはっきりと増加する人の割合が、光の下で就寝している人では5%近く高い。
この原因を様々な生活習慣と対応させると、たしかに光をつけて寝ている人は、睡眠が少なく、夜食を食べたり、独り住まいが多いなどの生活上の問題が存在する。しかし、これらを全て差し引いても、明かりをつけて寝ている人たちには肥満傾向が見られるという結果だ。
これに基づいて、光がメラトニンの分泌を慢性的に抑制することで、概日周期が壊れ、他の要因がなくとも肥満の危険が増す可能性も挙げているが、個人的には、光をつけて寝る習慣を持っていること自体、まだ気づかれない生活要因があるように思う。
ただこの論文により同じような研究がわが国でも行われていることがわかったので早速読んでみた。被験者が高齢者に限定され、数は537人と少ないものの、かなり丁寧な研究が奈良医大から2013年に発表されている(Obayashi et al, J.Clin.Endocrinol Metab, 98:337, 2013)。
この研究では、各家庭を訪れて体重などの様々な指標を調べるとともに、睡眠時の部屋の明るさを測定している。結果は見事で、就寝中の部屋の明るさが肥満や糖尿病の割合と比例することが示されている。とすると、この話は決して日本人には無関係というわけではない。
結局夜を失うことは、健康も失うことのようだ。
2019年6月11日
Fragile X症候群(FXS)は、知能障害と自閉症が合併する遺伝病で、まだ完全に機能がわからないFMR1遺伝子の機能が、遺伝子内のCGG繰り返し配列の数が増加することで失われることで起こる。昨年2月にこのブログで紹介したように、FMR1遺伝子の機能が失われる理由はCGGリピート配列がメチル化されて遺伝子の転写が抑えられることで、メチル化をはずすことでFXSを治すことができる(http://aasj.jp/news/watch/8091)。
しかし、クリスパーを用いるこのような治療は将来の切り札にはなっても、まだまだ開発に時間がかかる。そこで、FMR1遺伝子欠損によるプロセスを解析して、FMR1以外の治療標的を探す試みも行われ、現在多くの薬剤が治験段階にある。その中の一つが、高脂血症に用いられるロバスタチンで、マウスモデルでシナプスの変化を正常化できることがわかり、現在8歳から55歳までのFXSの治験が進んでいる。
今日紹介するエジンバラ大学からの論文はロバスタチンを脳の発達がおこるもっと早い時期に投与すれば、よる根本的な治療が可能になる可能性を確認するためのラットを用いた前臨床研究で5月30日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Sustained correction of associative learning deficits after brief, early treatment in a rat model of Fragile X Syndrome (ラットFXSモデルを早い時期に短期に治療することで連合学習を長期にわたって正常化できる)」だ。
FXSは通常3歳ぐらいで知能異常や自閉症が発見される。この研究では、異常が発生する早い時期にロバスタチン治療の効果を調べることを目的としており、まず脳の様々な認知機能の発達をFXSラットで調べ、生後4-6週から発達する、複数のインプットを連合させる学習が必要な場所対象認識や場所と文脈を組み合わせた対象の認識機能だけが、選択的に抑えられることを確認する。
つぎに、ロバスタチンを5週から餌に混ぜて投与し、連合学習脳を調べると、ほぼ完全に回復していることを確認する。しかも、こうして正常化した機能は、ロバスタチンをやめた後も長く維持される。
さらにロバスタチン投与したラットの脳の生理機能についても調べ、FXSで見られる海馬のタンパク質合成の上昇をおさえ、前頭前皮質の興奮の長期増強の異常を正常化できることも示している。
結果は以上で、基本的には脳の発達の場合、発達時に早期介入してネットワークを形成できれば、いくら遺伝的欠損があっても、機能を維持できるという前臨床的証明で、現在のロバスタチン治験と並行して、3歳までの介入治験の必要性を示している。
このようにFXSはロバスタチン、メトフォルミン、アルバコルフェンなど異なるメカニズムの薬剤の治験が進んでいるし、また遺伝子やエピゲノムを操作する研究も進んでおり、近い将来に治療法の確立が期待される遺伝病の一つになっている。
ただ、FXSでの経験は、他の原因による自閉症や知能障害を早期介入して治療する方法の開発にとっても、様々なヒントを提供してくれることは間違いない。その意味で、発達障害を持つ多くの子どもたちの期待を集めている分野だと思う。
2019年6月10日
ガン組織が破壊される時に末梢血に漏れ出てくるDNAを診断に使うことは実用に近づいている。例えばダウン症など胎児の染色体異常検査を羊水検査の代わりに行うことは実際の臨床で行われている。また、発ガン遺伝子の断片を探索してガンの存在を確かめる検査も進んできている。例えば先月紹介したマンチェスター大学の研究では、641遺伝子変異に標的を絞って検査した場合、バイオプシーによる遺伝子診断とくらべたとき、79%の一致率まで高まってきている。しかし、これだけでは6−8割の診断率で止まって、これ以上の精度を上げることが難しかった。
今日紹介するジョンホプキンス大学からの論文は、ガン組織から漏れ出たDNA断片の分断のされ方が正常細胞由来のDNAと異なることを利用してがんの診断率を上げる試みでNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Genome-wide
cell-free DNA fragmentation in patients with cancer (ガン患者さんの末梢血に流れるDNAの全ゲノムレベルので分断化)」だ。
血中DNAの診断は、これまでは特定の領域に絞って行われてきたが、ガン組織と正常組織から漏れ出るDNAの分解のされ方がもし違っているなら、それを指標にガンを診断できるのではと着想したのがこの研究のきっかけだろう。
実際末梢血中に流れているDNAはズタズタに分断化されており、この分断化のパターンはヒストンや他の核内タンパク質との結合、またDNAの修飾のされ方で異なる。それぞれのガンに特徴的なエピジェネティックな変化が、遺伝子レベルの変化とともに必ず存在することは常識になっており、もしそうならDNAが分断化されるパターンが異なる可能性がある。
そこで、正常人とガン患者さんで血中に存在するDNA配列を網羅的に調べ、流れているDNAの長さを調べてみると、正常人では大体同じような長さの断片化が起こっているのに、ガン患者さんではこの長さの分布が大きく変動する。
これを正常組織とガン細胞のヌクレオソームの構造と対比させると、概ねこの違いが反映されており、全DNAの配列と長さの分布パターンがガンと正常を区別できる可能性を示している。
その上で、ガン患者さんと正常者のDNA断片の分布についていくつかの補正を加えて機械学習させると、大体30億リードでステージIでも7割の確率で診断が可能になっている。特に肺がんや、診断の困難な胆管がん、卵巣癌で9割を超えている。
ただ、この方法だけではガンのタイプなどを決定するのは難しいので、これまで開発されてきたガンの変異を検出する方法と組み合わせる診断法を確立すると、診断確率が平均で73%から91%に高まり、精度も98%に上昇している。
ガンが持っているあらゆる特徴を組み合わせて診断する極めて合理的な考え方で、言われてみるともっともな話だが、一つの方法にこだわらない柔軟な発想の研究だと思う。コストはともかく、血中のDNAでガンを正確に診断する段階にまた一歩近づいた。
2019年6月9日
病気の治療は、まず正確な診断を行い、それに基づき適切な治療を選ぶことだ。ここで重要なのは、診断ができたからといって、すなわち病名を確定したからといって、病気が理解できているわけではない。既存の診断基準で病名を確定した後も、注意深い症状観察により、新しい病気の側面が発見されることはいくらでもある。その結果、新しい治療法に思い至ることが、臨床医の醍醐味だろう。
今日紹介する米国NIH からの論文は病気の新しい側面の気づきが治療につながるという一つの例で6月5日号のScience Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Lymphocyte-driven regional immunopathology in pneumonitis caused by impaired central immune tolerance(中枢性の免疫トレランスの異常によって起こる肺炎に見られるリンパ球により誘導される病理)」だ。
この研究の対象は胸腺や骨髄でT細胞やΒ細胞の免疫トレランス誘導に関わる分子AIRE機能低下によって起こる、様々な臓器、特に内分泌臓器が影響される事故免疫病だ。中枢性トレランスの障害なので、あらゆる臓器で自己免疫性炎症が起こってもいいが、病名が自己免疫性多内分泌症候群という名前が付いているように、診断には副腎などの内分泌症状が重視されるため、これまで肺症状についてはほとんど問題にされていなかった。そのため、全身性の自己免疫病であるにもかかわらず、症状が出ている内分泌臓器ホルモンの補充療法が優先されてきた。
この研究では自己免疫性多内分泌症候群の患者さんでは早い時期から様々な呼吸器症状が現れることに気づき、これらの異常は肺のCTで捉えられることを確認する。
そして、患者さんの気管には好中球の浸潤が認められること、また好中球の浸潤蓄積がリンパ球、特にT細胞の肺実質への浸潤と関連していることを、バイオプシーによる組織検査で突き止める。すなわち、肺症状、好中球を含む痰が、特異的ではないがこの病気の重要な症状になることを明らかにしている。
この結果は、中枢性の免疫トレランスの破綻により肺実質へ浸潤した自己反応性リンパ球により、2次的に好中球の蓄積が誘導され、肺炎が起こることを示唆する。そこで、今度はAIRE欠損動物モデルのT細胞を除去する実験を行い、このシナリオを確認する。
そしてこのシナリオに基づき、リツキシマブによるΒ細胞抑制、アザチオプリン(ミコフェノール酸モフェチル)によるT細胞抑制治療を5人の患者に行い、肺炎をほぼ完全に抑えることに成功している。
話は以上で、注意深い観察に基づく臨床での気づきが、患者酸へ新しい治療をもたらした、さすがプロと思える研究だった。また、同じことはチェックポイント治療でも起こる。がんのチェックポイント治療の副作用をコントロールするためにも、重要な研究だと思う。
2019年6月8日
がん細胞が現れる前から、正常細胞で起こった遺伝子変異やエピジェネティックな変異によって細胞の増殖が高まり、他の細胞を押しのけてクローン性増殖が起こることはよく知られた事実で、食道のバレット症候群細胞のようにガンのドライバー遺伝子と、がん抑制遺伝子の欠損といった発ガンのための必要なセットがすでに揃ってしまっているケースすらある。この結果は、ガンと正常の境はガン遺伝子の変異といった以上に複雑であることを示しており、このような正常細胞の異常増殖を系統的に調べることの重要性を物語っている。
今日紹介するハーバード大学Broad研究所からの論文はなんと29箇所の異なる組織から7000近いバイオプシーサンプルを取り出して正常細胞の増殖変異を調べた研究で6月7日号のScienceに掲載された。タイトルは「RNA sequence analysis reveals macroscopic somatic clonal expansion across normal tissues (RNA配列解析により正常組織全体で体細胞のクローン性増殖拡大がみとめられる)」だ。
これまで同じような目的の研究は数多く報告されているが、クローン性増殖を調べるためにゲノムDNAの変異が調べられた。ただ、この場合異常細胞を詳しく調べるためにはDNA配列の解析を何百回も繰り返す(ultradeep sequencing)必要があった。今日紹介する研究の売りは、 DNAの代わりに、発現されているRNAの配列からゲノムでの遺伝子変異を推察する方法を開発したことで、詳細は省くがRNAをDNA変異の指標として用いる時の問題を、比較的簡単な条件の導入で解決している。従って、この論文の最初は新しいRNA-MuTectと呼ばれる方法が、DNA解析と同じレベルの変異解析精度を持っていることを詳しく示している。また、allelic imbalanceとして知られる対立染色体の変化もこの方法で検出できることまでしめしている。
あとは、29組織、7000近いバイオプシーサンプルをRNA-MuTectで解析し、ほとんどの組織で突然変異が起こった細胞がクローン性に増殖していることを明らかにしている。なかでも、皮膚、肺、食道ではこのような変異が最も多くみられるが、これはガン細胞での変異の数を調べたこれまでの結果と全く同じだ。
これも予想通りだが、変異は年齢とともに蓄積し、皮膚で見ると太陽にさらされたところが圧倒的に変異数が多い。
変異により細胞の増殖優位性が生まれる変異のなかに多くのガン遺伝子は含まれているが、ガンでは圧倒的に変異の数が多いRAS遺伝子の変異は思いのほか少ない。すなわち、増殖が高まっても、ガンとは異なるメカニズムによる増殖が起こっているようだ。ただ、p53とNotch1の変異は、他の遺伝子と比べて4倍近く認められることから、最初のクローン性増殖はまず増殖抑制メカニズムが外れることで起こることを示唆している。
話はこれだけで、ほぼ予想通りの結果で、要するに身体中で突然変異が蓄積していることを示している。従って、この研究の売りはあくまでRNA-MuTectの開発といっていいだろう。おそらくこのような結果は、外界の発がん物質との関係を深掘りするより、ゲノムレベルでのガンになりやすさと合わせてみていくことで、かなり重要な情報が得られるように思う。
2019年6月7日
東大と芸大の学生さんが中心になって、芸術と科学の融合を模索する活動がすすんでいる(AMS for Students:是非ホームページをみてください:http://ams-stu.com/)。チェリストの谷口賢記さん、東大医学部の栗原教授などがシニアメンバーとして学生さんたちに寄り添って支えておられ、最近では慶應大学も加わり素晴らしい活動になりつつある。
わたしもこのような活動を積極的に支援したいと思うのは、これまでの哲学や心理学の名著の理解が、現代脳科学についての知識によって高められるという認識を持っているからだ。脳科学の論文を読むたびに、この感触は強くなっている。嬉しいことに、この思いを「フロイトは脳科学の目で読むとおもしろい」というタイトルで、AMSの会で話させてもらった。
今日紹介するエール大学からの論文はまさにフロイトが母親へのBesetsungと呼んだ(Besetsung 備給と訳されているがもっとわかりやすい訳に変えるべきだろう)状態を、マウス新生児の脳で調べた研究で6月27日号のCell に掲載されている。タイトルは「Functional Ontogeny of Hypothalamic Agrp Neurons in Neonatal Mouse Behaviors (マウス新生児の下垂体Argp神経の機能的発達)」だ。
これまで多くの脳科学論文を読んだが、新生児の研究は考えてみるとほとんど読んだことがなかった。実際、マウスを飼育してみるとそれが簡単でないことはよくわかる。しかし、私たちの脳が最初に外界の表象を作り上げていくのはこの過程になる。
この研究は最初から食欲を調節する下垂体のAgrp神経に絞って、新生児の母親へのBesetsungのモティベーションが食欲ではないかと考えて始めている。実際、母親から新生児を90分離すと、Agrpが強く興奮する。普通この反応を、母親のミルクを求める食欲にかられているのではと納得してしまうのだが、著者らは本当に食欲なのか、ミルクを直接注入することでArgpの反応が収まるか調べてみて、この興奮が食欲とは全く関係ないことを発見する。
そこでAgrp神経の興奮を誘導する刺激を探し、ついにそれが温度であることを発見する。すなわち、母親の体温と同じ部屋で母親から話してもAgrpは興奮しない。この過程を、新生児脳に挿入したファイバースコープで継時的に記録し、話されるとすぐに興奮し、母親に戻されると興奮がおさまることを確認している。
次にAgrp神経のGABAが欠損したマウスでこの部位の興奮により誘導される行動を調べると、新生児の一種の声と言える超音波の発生を誘導することが突き止められる。しかも、超音波の発生ができないのではなく、ピッチが上がって下がるタイプの声を発声できないことまで明らかにする。
逆にAgrpを化学的に刺激する実験を行い、刺激により上がって下がるタイプの声の発生が上がることを示している。
これが新生児側の反応だが、この声を聞いた母親は子供を近くに寄せて乳を含ませることも示している。
以上をまとめると、新生児ではAgrp神経は、温度の変化を感知して母親から離れたことを認識した時に興奮し、特殊な声を出させる行動に関わっている。そしてこの声を聞いた母親が、子供を近くに寄せて乳を与える行動をとる。この時、温度変化を感じなくしておくと、声も出ず、その結果母親の反応も誘導できない。
面白いのは、新生児では温度に反応して、食べ物には反応しなかったAgrp神経が15日目には温度ではなく、食べ物に反応するようになる点だ。すなわちリビドーがリプログラムされるプロセスを観察できる。
この論文ではここまでだが、今後ますます面白い話が出てくる予感がする。是非一度、フロイトと脳科学がらみでジャーナルクラブで取り上げたい。
2019年6月6日
1型糖尿病は膵臓のベータ細胞に対する自己免疫反応で起こることがわかっているが、自己免疫反応の引き金になる自己抗原についてはよくわかっていない。おそらくインシュリン自体が抗原になっているのではと考えられているが、1型患者さんのMHC抗原DQ8との結合が弱いためインシュリンに対する強い自己免疫反応の誘導が難しく、インシュリン特異的T細胞を誘導する引き金には他の抗原を探す必要があった。
今日紹介するジョンホプキンス大学からの論文はこの問題に対し「あ!」と驚く答えを示した研究で5月30日号のCellに掲載された。タイトルは「A Public BCR Present in a Unique Dual-Receptor Expressing Lymphocyte from Type 1 Diabetes Patients Encodes a Potent T Cell Autoantigen (T 細胞受容体と抗体の両方を発現した稀なリンパ球サブセットが発現する抗体が自己抗原になる)」だ。
タイトルからしてややこしいが、この研究を一言でまとめると、特定の抗体の可変部のペプチドが自己抗原になっているという話になる。
詳細を飛ばして、なぜこんな話になるのかを説明しよう。
- まず1型糖尿病(T1D)の患者さんではT細胞抗原受容体(TcR)とB細胞抗原受容体(BcR)の両方を発現しているDE細胞が、正常の人より多く存在する。
- この細胞はTcR刺激でもBcR刺激でも増殖することができ、これがT1Dで増加している理由。
- 重要なのはこのDE細胞が発現しているTcR、BcRのレパートリーは限定されている。
- 特に、BcRは特定のV、D、Jが集まったCDR3に限定されており、異なる患者さんからのDEも全く同じアミノ酸配列のDEを発現している。
- このCDR3ペプチドが、なんとDQ8組織適合抗原にフィットし、しかも特定のCD4T細胞の増殖を誘導する。
- こうして誘導されたCD4T細胞はインシュリンにも反応して、結果膵臓ベータ細胞をアタックしてT1Dを引き起こす。
だいたい、TcRとBcRを同時に発現する細胞が存在し、その細胞が生産する抗体が自己抗原になるというこの話は、ifを何回も繰り返す必要があり、にわかには信じがたい。しかし、そんな稀なDEを細胞株として分離しており、またT1Dの治療の観点からも、自己抗原にとどまらず、それを供給する細胞まで特定できている点で、極めて魅力的だ。
このCDR3ペプチドが抗原なら、できる限り早くこれを抑える臨床治験を進めてほしいと思う。
2019年6月5日
昨年ヒト受精卵のCCR5遺伝子をクリスパー/Cas9で変異を導入したあと、子宮に戻して出産させる実験研究が南方科学技術大学フー研究者らにより報告され、物議を醸した。
両親が感染しているエイズから守るためを目的としているとする話を聞いたときから、一般の人の無知につけこんだ稚拙なプランで、オフターゲットのDNA切断が否定できない現状で、倫理というより無知につけ込む犯罪として対応すべきだと思った。
ただ、CCR5をエイズウイルスが使って細胞内へ侵入することから、この分子が標的になることについては多くの物語が生まれてきた。一番ドラマチックな物語は、米国のエイズ患者さんが留学中に白血病に罹患、治療としてたまたまベルリンでCCR5変異を持つドナーから骨髄移植を受けて、白血病だけでなくエイズが根治したというTimothy
Brownの物語だろう(Berlin Patientとして有名でこのブログで紹介した:http://aasj.jp/news/watch/2707)。
また2014年にはThe New England Journal of Medicineに患者さん由来のCD4T細胞に同じ変異を導入して患者さんに戻す臨床研究も行われている。
このような歴史を考慮して、エイズ両親からの子供を救う医療として考えると、まず妊娠経過を慎重に見守り、出産時の感染がないよう帝王切開を行い、それでも感染してしまった場合は、臍帯血を使った体細胞治療を新生時期に行うのが順番のように思う。
今日紹介するカリフォルニア大学バークレイ校からの論文はこれまでエイズ感染がおこらないとして物語になってきたΔ32と呼ばれる変異が両方の染色体に揃うと、発生や成長には大きな変化は認められないが、集団遺伝学的にネガティブな影響があることを示した論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「CCR5-∆32 is deleterious in the homozygous state in humans (CCR5-∆32は人間のホモ接合個体では悪い影響がある)」だ。
この研究は英国の40万人のデータを擁するバイオバンクの中から、∆32変異のホモ接合体、ヘテロ接合体を抽出し、41歳から78歳まで、毎年の死亡率を調べて正常と比べた研究で、実際には76歳位まで生存できる確率を調べている。またまたUKバイオバンクで、その成果ははかりしれない。
CCR5はケモカイン受容体で、他の受容体による作用が補完されるため、欠損しても致死的ではないが、もちろん生体内で機能している証拠ははっきりしており、これが存在しないことで感染症などのストレスに対する脆弱性が生まれると予想できる。
結果は予想通りで、∆32ホモ接合体では生存確率がはっきりと低下していた。また、集団遺伝学的に∆32が負の選択を受けていることも、Hardy-Weinberg平衡からのずれとして確認している。従って、オフターゲットのDNA損傷という事故以外にも、この戦略は患者さんに不利益をもたらす可能性もあるという話になる。
実際我が国でもこの結果はいち早く報道され、「中国の双子の命が縮まる」という印象を持たせる見出しも存在する。しかし、∆32が生存にネガティブな影響があるというのはあくまでも先進国の話で、エイズが蔓延している地区ではひょっとしたら逆かもしれない。科学的には、致死的でない一つの対立遺伝子の選択は極めて複雑で、将来への影響など計算しきれるものではない。
やはり集団遺伝学的選択と、フー研究者の稚拙な実験とは違う話であることははっきりさせておく必要がある。
2019年6月4日
飛行機で長距離移動中で、予約投稿がうまくいかず、今帰国して投稿し直しました。公開が遅れました。
今日も自閉症スペクトラムの研究を取り上げるが、昨日のように動物実験を用いた生命基礎科学のトップジャーナルに掲載される研究の対極にある、調査研究を取り上げたいと思う。タイトルは「Clustering of Co-Occurring Conditions in Autism Spectrum Disorder During Early Childhood: A Retrospective Analysis of Medical Claims Data (ASDでは幼児期に合併症が集まる:保険請求データの解析)」で、Autism Researchオンライン版に掲載された。
タイトルからわかるように、この調査研究は被保険者が保険会社に対して請求した医療費のレセプトから、ASDと他の疾患が合併する確率を調べた研究で、いろいろなバイアスはあるとしても、大規模に病気の統計を取ることができる重要な方法だ。
この研究では28万人の一般児と、非保険会社がASDとして医療費を支払った児童3278人を、7種類の児童がよく罹患する7種類の病気(保険支払いが行われたケース)の罹患率を調べてまとめたものだ。
7種類の病気には、中耳炎などの耳の病気、発達遅延(言語の遅れを含む)、消化器病、アレルギー、精神疾患(ムード障害や、 ASDHを含む)、てんかん、そして睡眠障害が含まれている(これらは全て疾患コードの一致をもとに計算している。)
この7種の状態と、ASDの合併を調べると、一般児の合併率が2.3疾患であるのに対し、4疾患とASDのケースでは合併率が跳ね上がる。その内訳をみると、一般児の罹患の多い耳の病気、アレルギー、消化器の病気でも、罹患率はASDの方が多く、てんかんや、精神疾患の合併症はASDでさらに差が大きい。
重要なのは、合併症を多く持つASDでは、精神疾患と消化器病の合併率が強いことで、合併症の多いASD児童は別に考えていく必要があることを示している。
さらに5年の観察で見たとき、てんかん発作も含めほとんどの合併症は2年程度で落ち着いてくるのだが、ムード障害などの精神疾患の合併は年齢が上がるほど上昇する。
以上が結果で、合併症の出方でASDの児童を分けることができる可能性を示唆している、臨床的には大事な統計だろう。
しかし私がこの論文を取り上げたのは、論文の内容より、保険請求項目が医療統計に極めて重要であることを示すためだ。米国の場合、この請求は各保険会社により管理されていおり、最近ではビッグデータとして用いる研究をよく見かける。
もちろん我が国もこの重要性はよくわかっており、支払基金に溜まった膨大な請求データを、実際の医療データと連結させるための「次世代医療基盤法」が施行されて1年以上が経過している。ただ、この作業については、日本医師会が新しい法人を作って事業者として名乗りをあげるという話を聞いてはいるが、実際にはほとんど進んでいないのではないだろうか。おそらく、セキュリティーの敷居が高すぎて、なかなかうまくいかない。また我が国では、請求が医療機関によって行われることを考えると、医師会しか事業者がないことは大きな問題だと思う。
結局ビッグデータの掛け声は大きいが、この状況を見ていると、我が国がますます医療データの後進国へと落ちていくように感じてしまう。