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7月2日:試験管内iPS細胞分化の多様性の遺伝的背景(6月28日Science掲載論文)

2019年7月2日
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少しでも正常細胞を試験館内で分化させたり増殖させたりする経験がある人なら、培養結果が一定するようになるまで繰り返さなければならない試行錯誤の苦労を経験しているはずだ。このためか、自分で追試ができないと、「間違っている」と一言で済ませてしまう人も多い。しかし、一度この苦労を味わうと、追試ができないのは自分が何か間違ったことをしているのではと考えてしまう方が多い。

この培養が安定しないという問題は、血清を用いない完全defined培地を用いることで解決されるが、人間の細胞の場合それでも「遺伝的背景」と片付けてしまっていた多様性が残る。今日紹介するジョンズホプキンス大学からの論文はこの培養結果の多様性を生む遺伝的背景を、ゲノムと形質を対応させるeQTLと呼ばれる方法を用いてマッピングしようとした研究で6月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「Dynamic genetic regulation of gene expression during cellular differentiation(細胞分化時の遺伝子発現調節のダイナミックな遺伝的調節)」だ。

研究では19人の正常人から樹立したiPSを試験管内で、比較的分化させやすい心筋細胞へと分化させる系を使って、分化の各時期に遺伝子発現を調べ、分化の動態の多様性と相関するゲノムの多様性を特定しようとしている。書いてしまうと簡単だが、実際にはゲノムの違いを反映している培養結果の多様性を抽出することが必要で、簡単ではない。

実際、培養期間を通じ、各iPS株の心筋細胞分化の動態はかなり変化する。このようなこれまで培養には避けられない多様性として片付けられてきた変化を、遺伝子発現全体から見直してみると、2つの異なる遺伝子発現パターンに分かれることがわかる。

次に、培養を16のステージに分け、発現している各遺伝子の量とゲノム変異の相関を調べ、それぞれのステージで100近くの遺伝子でeQTL、すなわち遺伝子発現に関わるゲノム多型が検出でき、それぞれは発生段階での遺伝子調節の違いを反映していることが数理的に確認できる。

この解析から、各ステージごとのeQTLだけではなく、分化全過程にわたって調べることの重要性が示唆され、550のeQTLの動的変化を算出し、eQTL、すなわち遺伝子発現に関わるゲノム多型が関わる分化時期について、初期、中期、後期にわけて調べると、最初はiPS自体のクロマチン構造と関わる領域がリストされる一方、後期では心筋細胞自体のクロマチン構造に関わる領域がリストされる。

この解析から得られるいくつかのeQTLの例が示されているが、ほとんどはこれまでの研究で予想できるものだ。しかし、中期の分化との相関が特定されるeQTLの中には、心臓発生過程には全く発現がない、これまで軟骨発生と関わることがわかっているZNF606分子の発現と相関する多型(rs8107849)や、やはり心臓発生とは関係のない肥満と関係するC15orf39遺伝子の調節に関わる多型が発見されている。おそらく、これらの遺伝子多型は、新しい心臓発生に関わる遺伝子を特定するのに役立つ可能性がある。

結果は以上で、最後に示した思いがけない相関を除くと、何か大きな発見があったという論文ではない。しかし、これまで特定の時期、細胞、形質との関わりで研究されてきたeQTLを、細胞分化過程という時間経過の中でとらえることの重要性を示した研究といえるだろう。現役時代細胞の分化培養を重要な手法として利用していた経験から考えると、人間のように遺伝的背景が多様な集団の培養にとって、今後真剣に取り組むべき重要な領域ではないかと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

7月1日:ガン局所に停留するIL-2/IL-12の絶大な効果(6月26日Science Translational Medicine掲載論文)

2019年7月1日
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これまでもガン局所にIL-2やインターフェロンを注射することで、ガン局所での免疫反応を高める可能性が示されてきた。特にPD-1のようなチェックポイント治療が可能になってから、この可能性を追求する研究が多く見られる。ただ、いくらガンの局所に注射したと言っても、サイトカインはすぐ循環により除去される。

今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は、サイトカインをガン局所に注射した時、ガン組織内に維持され、循環により除去されない形態のサイトカインを開発し、その効果を動物で調べた論文で6月26日発行のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Anchoring of intratumorally administered cytokines to collagen safely potentiates systemic cancer immunotherapy(ガンの中のコラーゲンに結合するサイトカインは全身の免疫治療の効果を高める)」だ。

この研究のハイライトは、サイトカインがガン組織に長期間保持させるためには、コラーゲンIとIVに結合するLumican遺伝子にサイトカイン遺伝子を融合させるのが良いことを発見したことだろう。最初、蛍光ラベルしたアルブミンとの融合タンパク質を腫瘍内に投与して腫瘍組織からの消失を調べると、Lumicanとの融合タンパクは、アルブミンだけを注射した場合と比べ、はるかに長く腫瘍にとどまることを確認している。

腫瘍内に保持させるという目的が達成できると、あとはガン免疫を高めることができるかどうか確かめるだけになる。まず、メラノーマに発現しているTA99抗原に対する抗体治療と組み合わせる実験を行い、抗体だけではほとんど効果がないが、Lumican-IL2を組み合わせると、ほとんどのマウスの腫瘍を抑制できることを明らかにしている。また、この反応に関わる細胞やサイトカインについて阻害抗体を同時投与して調べ、最終的にCD8T細胞が誘導されることが最も重要な要因であることを確認している。さらに、Lumican-IL2の効果は、注射した腫瘍だけでなく、身体の他の場所に移植した腫瘍も同時に消失させることを示しており、効果は全身に及ぶ。

次は、Tヘルパー細胞を誘導するカギになるIL-12を同じようにLumicanと融合させたキメラサイトカインを合成している。IL-12は2種類のタンパク質からできているので、これを一本のアミノ酸として発現させるよう設計している。IL-12の有効性は期待されていたものの、全身的にサイトカインが誘導され極めて副作用が強い。しかし、腫瘍局所に投与することで、この副作用が強く抑えられることを示している。

あとはCAR-TやPD-1阻害と様々な条件で組み合わせる実験を行い、

  • メラノーマのような固形ガンでも、CAR-Tと組み合わせて完治が可能。
  • 乳ガン手術前のネオアジュバント療法としてもガンの再発を完全に抑制できる。
  • 抗原性の低いメラノーマモデルを用いているが、抗PD-1抗体の全身投与とLumican-IL2およびLumican-IL12を組み合わせると、腫瘍を消失させられる。
  • 癌遺伝子の強発現を誘導するメラノーマでも同じように効果があり、Lumican-IL12, Lumican-IL2, TA99、そしてPD-1抗体を組み合わせると、完璧に腫瘍を抑えられる。

以上が結果で、なぜこれまでこのような研究が行われなかったのか不思議なぐらいの結果だ。個人的な勘に過ぎないが、結構有望な治療になる可能性は高いと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月30日 穏やかな環境で進化すること(7月11日号Cell掲載論文)

2019年6月30日
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2015年12月7日に、魚類では最も短命のキルフィッシュのゲノムを調べ、寿命に関わる遺伝子が、短命にするためにも、長命にするためにも、進化により選択されることを示した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4519)。この時は、珍しい習性のゲノム研究の範囲だったが、同じグループはその後この珍しい魚の進化過程を解明しようと、環境の異なるアフリカ各地の魚のゲノムを調べ、厳しい環境と優しい環境での遺伝子進化を比べていた。

今日紹介するドイツ ケルンにあるマックスプランク老化研究所からの論文は、同じグループが2015年以来、アフリカ各地から集めた45種類のキルフィッシュの全ゲノムを解析した結果を、魚の住む環境と相関させた研究で、7月11日号のCellに掲載される。タイトルは「Relaxed Selection Limits Lifespan by Increasing Mutation Load(選択圧の低下は、突然変異の負荷を高めて寿命を制限する)」だ。

キルフィッシュのなかには、毎年繰り返す乾季と雨季のサイクルに合わせて世代が交代していく魚で、言いかえると水のあるうちに孵化、成長、交尾、産卵を行い乾季を卵で乗り切る、したがって、寿命は雨季に合わせた数ヶ月と極めて短い種が存在する。ただ、場所によっては乾季が長い厳しい環境と、水の多い優しい環境の両方に、同じように寿命の短い種が存在する。優しい環境なら、もっと寿命の伸びた種類が進化しても良さそうだが、この疑問に挑戦したのが今回の研究だ。

数理的な解析なしに現在の進化学は存在しないが、詳細は割愛して結論のみ以下にまとめる。

  • キルフィッシュには毎年世代が変わる1年型と、多年型、中間型に分れるが、ゲノムサイズは1年型が5割程度大きい。また、この増加のほとんどは、トランスポゾンの割合が増えることが原因。
  • 遺伝子を、強く選択されている遺伝子と、選択圧の低い遺伝子に分けられる。一年型のキルフィッシュで強く選択圧のかかる遺伝子は、発生から成長初期に必要な遺伝子で、孵化後急速に成長して産卵するという必要性を反映している。
  • 強い選択圧にさらされていない特定の遺伝子に進化が収束することはないが、成熟後の生命機能に関わる遺伝子ほど選択圧が低い。
  • 乾季の長い地域と、短い地域で同じ種類の1年型キルフィッシュを比べると、乾季の長い厳しい環境ほどゲノムサイズが大きく、またあまり致死的ではない遺伝子の突然変異の数が増えており、一定の方向への選択が起こっていることを示している。
  • この厳しい環境で選択にさらされる遺伝子に対応する遺伝子を、人間とチンパンジーの遺伝子で見直すと、寿命に関わる遺伝子が多く存在し、厳しい環境で生きているチンパンジーほどそれぞれの遺伝子の機能が失われる変異が多く存在している。
  • 選択圧の低い遺伝子には、寿命、神経変性、ガンなど、私たち高齢社会の重要な病気に関わる遺伝子が存在し、それらがどのように進化に関わるかを知る標的になる。
  • キルフィッシュでは、これらの成熟後に必要となる遺伝子に多くの突然変異が蓄積することで、厳しい環境で短い寿命のライフサイクルが維持されている。

などが重要なメッセージだろう。 もともと自然選択は遺伝子情報から見ればエントロピーを下げる方向に働く。しかし、これを繰り返して起こるのは種の多様性であり、ゲノムの多様性で、すなわちエントロピーは増大する方向に進む。この種分化の特徴を理解するには、環境の多様性を熟知したシステムで研究する必要があるが、キルフィッシュの系はなかなか優れものであることがよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月29日 色と形の認識メカニズムの再検討(6月28日号Science掲載論文)

2019年6月29日
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網膜での入り口から1次視覚野(V1)まで、色と形は別のシグナルとして抽出され、その後より高次の視覚野に投射されて統合されると習ってきた。この根拠は、V1のCO blobと呼ばれる領域の神経は色と光の強さには反応するが、形の変化には反応しない一方、Blobの間に存在する神経は形に反応し、色に反応しないという結果だ。しかし、その後の研究で、本当にそんなに綺麗に分かれているのか疑問が生まれていた。

今日紹介するソーク研究所からの論文はサルのV1に存在するニューロンの興奮をカルシウムセンサーの発光を数千個単位で同時記録できる方法で観察し直し、ここの神経の色と形(線の傾き)に対する反応を記録した研究で6月28日号のScienceに掲載された。タイトルは「Color and orientation are jointly coded and spatially organized in primate primary visual cortex (サルの視覚野では色と傾きは連合してコードされ空間的に組織化されている)」だ。

すでに説明したように、この研究ではこれまでマウスでは普通に用いられている多くのニューロンの活動をカルシウムイメージングを用いて同時に測定する方法をサルにも使えるようにして、色と線の傾きが変化する図形を見せた時の個々のニューロンの反応をすべて記録し、V1での色と形に対するニューロンが完全に分かれているか解析している。この時、on/offといった反応ではなく、形や色に対しての反応の程度を定量化して記録している。

結果は予想通りというか、これまで電極で記録した個別のニューロン記録から提案されてきた通説とは違い、形にも色にも個々のニューロンは異なる強さの反応を示す。このスコアをもとに、色の選好性の強さの指標(CPI)と傾きに対する選好性の指標(OSI)を計算し、また色調に対する選好性も同時に記録すると、確かに色や形にだけ反応する神経も多く存在するが、様々な程度で両方に反応する神経も存在することがわかった。

面白いことに、両方に反応するニューロンは色調に対する選好性が強く、これらは色に選択制の反応がある神経が集まるCO-Blobとは異なる場所に存在することがわかった。

他にも色々調べられているが、専門的なので割愛する。要するに、形と色は決して最初から別々に認識されるのではなく、それぞれに対する選好性が様々な程度の神経が存在して、連続的に認識されるという話になる。このことから、V1から次の高次視覚野V2との投射を、視覚認識の量と質といった両面からもう一度見直して再構成する必要がある。もちろんこれまでも視覚の認識回路は複雑だったが、今後はこれまで以上に複雑な回路を描き出す必要が出てくる。面白いけれども大変だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月28日 農家の環境が喘息を防ぐメカニズムを探る(Nature Medicineオンライン掲載論文)

2019年6月28日
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わが国でのアトピー患者の増加と石鹸の消費量が正比例していることを、現役時代、第一三共株式会社の後援で開催していた六甲カンファレンスで聞いたとき、清潔な環境がアレルギーを招き入れるのかと不思議に納得したが、この現象については皮膚のバリアー機能強化として臨床応用が進んでいる。

同じような話は他にも指摘されており、都会の環境に比して農家の環境が喘息などのアレルギーを予防する効果があるという疫学的調査はその例だ。今日紹介する東フィンランド大学からの論文は部屋の中の細菌叢に着目してアレルギー予防に関わる農家の環境をより明確化しようとした論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Farm-like indoor microbiota in non-farm homes protects children from asthma development (農家ではないが室内の細菌叢が農家型の家庭の子供は喘息から守られている)」だ。

この研究はフィンランドで行われている半分以上が農家で生まれた子供のコホート研究と、ほとんどが都会で生活している子供のコホート研究を利用して行われた調査だ。2ヶ月時に家庭内の細菌叢を調査し、その後の喘息の発生比率と相関を調べている。

まず農家と都会の家庭の細菌叢を比べると、はっきり差が見られる。簡単に言ってしまうと、細菌叢に含まれる細菌の多様性が農家では高く、家畜についている細菌が農家で多く存在する一方、人間についている細菌は都会の家庭環境に多い。

このような差の中から喘息の発生率と相関する要因を抽出して、都会の家庭の環境を農家型とそうでない型に分けられるか調べ、バクテリアと古細菌の存在比率をモデル化した指標が農家の喘息を予防する家庭環境と相関していることが明らかになった。この結果をもとに、FaRMIと名付けた家庭環境が農家にどれだけ近いかを測る指標を開発している。この指標には様々な要素が寄与しているが、これまで指摘されていたバクテリア量や、エンドトキシン量などはあまり寄与していない。

一方、バクテリアの細胞壁の成分のムラミン酸には相関が認められた。都会の家庭で家の中でも靴を脱がない、兄弟が多い、室内の湿度が高い、家が古いなどがFaRMIが高くなる原因として関与している。

この指標はフィンランドのコホート調査をもとに開発されたので、同じ手法でドイツのコホート調査からFaRMIを算出し、FaRNI指標と喘息について確かめている。ドイツの家庭をフィンランドのFaRMIで調べても、フィンランドの家庭をドイツのFaRMIで調べても、農家の環境に近いほど喘息が低下していることを示している。これを血液検査指標で検出できるかも調べているが、一言で言うと可能だが簡単な方法では難しそうだ。

結果は以上で、要するに都会でも外の土が入ってくるような自然により開かれた環境が作れれば喘息はある程度予防できるという話だ。靴のまま家に上がるとはわが国ではほとんど難しい。もちろん、農家の環境を売り出すのはかなりハードルが高いことだが、テレビコマーシャルを見ていると、今だに自宅の環境は外部と遮断することが重要で、そのため帰宅した子供にスプレーするなどが推奨されているようだが、考え直す時期に来ているかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月27日 米国の個人ゲノム事情(7月3日号The American Journal of Human Genetics掲載論文)

2019年6月27日
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今我が国が陥っている袋小路は、21世紀に入っても、世の中が20世紀と同じ階層性を維持して発展できると考えていることだろう。ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」では、20世紀の階層性の象徴が、地方に設置した巨大発電所から順番に電気を配分する構造をもつ原発として描かれている。しかし、21世紀は多くの分野でこの階層性が自然消滅する。例えば、個人が電気を生産し、peer-to-peerのネットに提供する構造には階層性がない。彼にとって原発が問題なのは、安全性でも経済性でもなく、それにしがみついておれば未来を失うからだ。このように様々な領域で階層性を排することが21世紀なら、原発に代表される階層性にしがみつこうとしている我が国は、21世紀型発展のチャンスを失うことになる。

同じ様に、健康や医療の領域でも、同じ問題が生じている。一番わかりやすいのが個人ゲノムデータで、自分でお金を払ってDNA解析を依頼しても、解釈については返事を受け取るが、生のゲノムデータを受け取ることはない。

一方米国では自分の生データは自分でダウンロードできる様になっているのが普通だ。すなわち、わが国では個人ゲノムといえども個人に返却しないのが当たり前になっている。結局、一回の検査として個人ゲノムが一般検査と同列で捉えられており、自分のことを何回もゲノムに戻って調べるという当たり前のことができない。当然面白くないから、わが国では個人ゲノム検査数は、延べでも100万に到達できていないのではないだろうか。一方アメリカでは2000万人を越し、3000万人に到達する勢いだ。

サンプル数は少ないがこの米国での状況を調べたのが今日紹介するワシントン大学からの論文で、7月3日号のThe American Journal of Human Geneticsに掲載予定されている。タイトルは「Third-Party Genetic Interpretation Tools: A Mixed-Methods Study of Consumer Motivation and Behavior(ゲノム解釈のサードパーティーサービス:顧客の動機と行動についての混合研究)」だ。

調査は個人ゲノムサービスを購入した顧客1000人余りに、以下の3つのトピックスに関わる問いに答えてもらい、個人ゲノム検査をどの様に使っているか調べている。

  • どのゲノム解析サービスを使っているか?
  • 生の結果をダウンロードしたか?
  • ダウンロードした結果を、他の会社のサービスを利用して使っている?

結果だが、テストを受けている人の7割が大学以上の学歴で、36%の人が1社だけでなく、複数の会社のテストを受けていることで、関心の高さをうかがわせる。

自分の遺伝的背景について知りたいという動機が1位で、病気のリスクを知りたいというのは3割しかない。驚くことに81%が生データをダウンロードするためにテストを受けている点で、個人にデータを返すことの重要性示している。

そしてほとんどの人が、自分のデータを他のサービスにアップロードして、その意味を調べようとしている。しかもそのうち8割近くが複数の会社を用いている。例えばプロメテウスは、健康についての情報を知らせてくれる会社で、GEDmatchは親戚探しの会社としてよく利用されている。また、この様なサービスにおおむね満足している。顧客も賢いと思うのは、健康リスクに興味のあるの年齢が若く、親戚探しの方は年齢が高い点だ。すなわち、高齢者のゲノム検査に対する需要もしっかり取り込んでいる。

他にも様々なデータが示されているが、要するにゲノム検査サービスを受けている人の大半が、自分のゲノム情報を自分で所有し、もし面白いゲノム解析サービスがあれば、積極的に利用している。

個人ゲノム検査だけでなく、ガン・ゲノム検査を見ていても感じるのは、21世紀に入ってもなお上から下という階層性にしがみついている我が国の姿だ。これは役所、政治家にとどまらず研究者も全く同じだと思う。知り合いの若者M君は個人ゲノムサービスに夢を抱いていたが、我が国の現状に幻滅して、アメリカで起業し個人ゲノムの情報を提供するサービスを続けている。

このような若者が失われる前に、個人のゲノムや健康データを自分で管理できるようにする一歩について真剣に議論しないと、我が国の活力はますます低下するだろう。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月26日 鹿の角が進化した分子シナリオ(6月21日号Science掲載論文)

2019年6月26日
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我が国で「基礎だ、応用だ」と、しかし補助金のみの配分方法以外に案が聞こえてこない不毛の議論が進んでいるうちに、中国の生物科学、特にゲノム研究は様々な生物へと広がりを見せ、他国には追いつけないところまで到達した様に思える。例えば、シロクマの進化を調べた論文や、高地に住む動物のゲノムを比べた論文はここまで研究が広がっているのかと驚いた記憶に新しい。配列決定をするだけの研究だと見下す人もいるかもしれないが、配列がないと、インフォーマティックスも進まない。国家的に計画しているというより、科学に対するエネルギーがほとばしっているのだろう。結局基礎、臨床を問わず、我が国の現状を変えるには、補助金行政では得られないエネルギーの爆発をもう一度点火する方法を考える必要があると思う。

そんな例が先週号のScienceの3編の論文にはっきりと現れた。全て中国からの論文で44種類の反芻動物のゲノムを比べた研究だ。ともかく数多くのゲノムを比べることで、反芻動物特異的な臓器の進化についてシナリオを創造することができる。3編のうち最後の北西大学からの鹿の角がどう進化したかのシナリオについての研究を紹介する。タイトルは「Genetic basis of ruminant headgear and rapid antler regeneration(反芻動物の頭飾り鹿角の迅速な再生能力の進化)」だ。

私たちは鹿の角も、牛の角も同じ角として扱っているが、再生能力があるのは鹿の角だ。この研究では、頭飾りとしての角全体の進化と、鹿角にみられる再生能力を持った角の進化を、44種類の反芻動物のゲノムから推察した研究だ。

具体的には角の発生時に発現する遺伝子の中から、角の進化とともに最も強く選択された遺伝子を探す手法で、進化のキー遺伝子をリストし、現在知られているそれぞれの遺伝子の機能を考慮して、進化のシナリオを書いている。詳細は省いてシナリオだけを紹介しよう。

角の進化で選択される遺伝子リストを動物間で比べると、おそらく一回のイベントで角の進化が始まると考えられる。なかでも、本来はカエルの神経提細胞の分化に関わっていたOTOP3遺伝子とOLIG1に角を持つ動物に共通の変異が生まれて、角ができたと考えている。

このイベントをきっかけにして神経提細胞の移動に関わる重要な遺伝子が、角の原基に集まる様にプログラムし直される。これらの変化が集まって、角進化が可能になっている。

次に、角のある種が進化してから、それぞれ独立に角を失ったの種類のゲノムを調べると、もともと生殖細胞分化に関わるシグナル分子RXFP2の遺伝が偽遺伝子になっていることを発見する。このことから、生殖細胞発生遺伝子も、角発生に動員されていることがわかるとともに、この分子により角のオス・メスの差が生まれることも想像できる。

次に、鹿で角の再生能力に必要な遺伝子の進化も検討している。簡単に言ってしまうと、私たちが骨肉腫で遭遇する癌遺伝子のいくつかを、急速な角の再生に利用していることがわかる。ただ、そのままだと癌になるので、鹿ではがん抑制遺伝子と、増殖に伴うDNA 損傷の修復遺伝子が変化して、コントロールの効いた角の再生を可能にしている。これが、鹿では癌の発生が普通の反芻動物より強く抑制されている原因の様だ。

話は以上で、よくできたシナリオだ。もちろんこのシナリオが正しいか、実験的に調べることが今後行われるだろう。様々な動物へのクリスパーを使った遺伝子改変も中国の得意分野だ。おそらくこのエネルギーで、角の生えたマウスをつくろうと工夫を重ねる研究者もいる様に思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月25日:サルを用いた遺伝的発達障害モデル(5月20日号Nature掲載論文)

2019年6月25日
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先日もこのブログでNMDA型グルタミン受容体の機能異常が、自閉症を含む様々な発達障害の原因を示す論文を紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/10416)、このタイプの異常の中で多い遺伝的発達障害が、グルタミン酸受容体が形成される時の基質となるSHANK3遺伝子が片方の染色体で機能を失う変異で、Phelan-McDermid症候群と呼ばれている。自閉症様症状だけでなく、筋力低下、睡眠障害、様々な程度の知能発達障害を示すが、同じ様な症状は多くの遺伝性発達障害でもみられる。

自閉症スペクトラム(ASD)全体から見ると、遺伝的な発達障害は一部に過ぎないが、原因となる機能分子がわかっているという意味で、遺伝的ASDは疾患メカニズムの研究に欠かせない。ただ、ほとんどのモデル動物はマウスを中心とするげっ歯類で止まっていた。たしかにSHANK3欠損マウスは社会性や学習異常を示すが、しかし人間と異なりヘテロではほとんど症状がない。したがって、もっとヒトに近いモデル動物が求められていた。

昨年はクリスパー遺伝子操作を行ったクリスパー遺伝子操作受精卵を移植、出産させたとして中国の研究が一躍注目を浴びたが、これからもわかる様に中国はこの技術の利用の幅広さでは世界一といってもいい。今日紹介する深圳先端科学研究所からの論文はSHANK3遺伝子変異サルを作成し、自閉症モデルとして使えることを示した研究で、先週号のNatureに掲載された。タイトルは「Atypical behaviour and connectivity in SHANK3-mutant macaques(SHANK3変異を持つカニクイザルは非典型的行動と神経結合の異常を示す)」だ。

この研究では受精卵のSHANK3遺伝子のエクソン21にCRISPR/Cas9を用いて機能欠損変異を導入し、最終的に5匹のSHANK3変異サルを得ている。それぞれゲノムレベルで起こっている変異は多様で、2匹は異なる変異が両方の染色体で起こったcompound ホモになっていた。さらに、2匹のサルから精子を採取し、同じ様にSHANK3変異のヘテロ個体を繰り返して作れることも示している。すなわち、金はかかるが、ASHNK3モデルサルを欲しいだけ作れる体制が整った。

さて、症状だが、個体ごとに多様な症状と、全ての個体で一様に存在する症状がある。例えば活動性は全ての個体で低下しており、睡眠障害でも、特に寝るまでに時間がかかる。

社会性で見ると、正常では多様だが、変異サルでは全ての項目で一様に低下している。

また筋肉の低緊張もヒトと同じで一様にみられる。

マウスではほとんど不可能な視線を追いかける実験も行える。この結果、視線が落ち着かないという特徴が一様に存在することがわかった。ただ、同じ様な症状はASDでは指摘されているが、SHANK3変異では調べられていないので、ヒトでも調べる必要があるだろう。

最後にテンソルMRIで各領域間の結合性を調べ、感情やモチベーションに関わる領域と前頭葉や運動野との結合が低下していることを示している。一方、やはりヒトで指摘されている様に、各領域内での結合性は高まっている。

まだ始まったばかりだが、ヒトの症例をかなり反映したモデルができたと言えるだろう。また、サルで初めて見つかる症状も存在することから、今後詳しい解析が進めばそのままヒトの症例へフィードバックできる可能性がある。

そして最も期待されるのが、発達過程の解析、そして介入実験だ。マウスSHANK3変異を用いた研究からロイテリキンの効果が示されている(http://aasj.jp/news/watch/9990)。ぜひ、サルを用いて組織レベルの変化まで詳しく調べ、新しい介入法の開発につなげて欲しい。

しかしこの分野の中国の実力はすごいと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

6月24日 顕微鏡を一切使わず、細胞の構造をDNAの配列データだけで画像化する(6月27日号Cell掲載論文)

2019年6月24日
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チューリング以来、論理的情報は、機械の動きに変えられることが明らかになり、情報から現象を再構成する技術が急速に進んでいる。その結果、この分野に明るくない私は、AIに限らず、最近の多くの生命科学の論文を、隅々まで完全に理解することが極めて困難になった。しかし、そんなことにはお構いなく、情報科学を用いた思いも及ばなかった論文が相次いで発表される。

そんな論文の中でも今日紹介するハーバード大学からの論文には驚いた。細胞の構造を顕微鏡なしに観察する可能性を示した研究で、6月27日号のCellに掲載された。タイトルは刺激的な「DNA Microscopy: Optics-free Spatio-genetic Imaging by a Stand-Alone Chemical Reaction (DNA顕微鏡:光学機器の必要ない空間的遺伝的イメージングを化学反応だけで可能にする)」だ。

乱暴に言ってしまうとこの研究では、ある領域に分布する人間の数と、その中の個人同士の物理的距離がわかれば、その場所の地図が描けるという、最近利用され始めた情報処理技術を利用している。ただ、地図を描くことも、距離を測ることもこれまで全て視覚を通して行われてきた。ただ、最近だとスマフォ同士の距離は電波の強さでわかる。

この研究で場所にあたるのが組織で、人間にあたるのが任意に選んだ複数の遺伝子のmRNAだ。と言われてもよくわからないと思うので、実際に論文に使われている例で話を進める。

まずGFPとRFPを別々に導入した細胞を用意し、混合して培養する。こうして、GFP+細胞と、RFP+細胞が混合する一種の組織ができる。この組織でGFP、RFP、そしてアクチン、GAPDHの4種類のmRNA(個別の)の間の距離を調べ、それを情報処理して細胞の分布地図を作っている。

と聞いても。本当にできるのかにわかには信じられないが、例えば核内で染色体の各部の接触確率を調べるHiCを用いて核内の染色体地図を書く様なイメージで、ネットに繋がる携帯電話の分布地図を描くために開発された技術らしい。

では組織上で各mRNA間の距離を見るという過程なしにいかに測定するのか?この研究ではcDNAを結合させる反応の起こりやすさを距離の近さとして用いている。

まず末端を特異的配列でラベルしたプライマーを用いて、組織上でcDNAを合成し、次にそれぞれのcDNAを標識配列ごと増幅する。すると、増幅されたDNAはその場所からゆっくり拡散で広がり始め、距離に応じて他の場所から拡散してきたRNAと混じることになる。そこでOverlap-extension PCRを用いて、異なるcDNAが近くに来た時だけ一本のcDNAとして結合させると、距離に反比例してoverlap-extensionされたcDNAの数が増える。この時overlapしたcDNA同士の間に、個々のextension反応を示すユニークな標識がランダムに挿入される様にしておくと、個々のoverlap-extension反応の個別標識として解析できる。

こうして合成されたoverlap-extension DNAの配列を決定することで、最初にcDNA合成されたmRNA同士の距離が計算でき、この結果を処理すると地図がかけるというわけだ。原理はおわかりいただいただろうか?

残念ながら細胞内のmRNAの分布を示すだけの分解能はまだないが、もっとmRNAの種類を増やしていけば、原理的に解像度は上がる。しかし、全く顕微鏡なしに細胞を見る(?)ことができる日が来るとは想像しなかった。

しかし、自分が何かを見て認識しているという脳の過程を考えると、かなり近いことが行われている。とすると、脳と同じである程度トップダウンで形態の類型を加えてやれば、顕微鏡のいらない日が来るのかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

プラトン「テアイテトス」(生命科学の目で読む哲学書 第4回)

2019年6月23日
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図1 プラトン著「テアイテトス」は光文社と岩波書店から出版されている。この機会に、両方を読んでみた。

これまで、フロイトの「モーセと一神教」を題材に普遍宗教の誕生、そして柄谷行人の「哲学の起源」を題材に、ユダヤ教誕生、およびほぼ同じ時期に起こったイオニア哲学誕生について見てきた。この2回で、哲学の誕生と普遍一神教の誕生の背景に見られる共通性や、両者の差異についてわかっていただいたのではないだろうか。またこの2回を通して、これから私が目指している長い道のりについても理解していただけたのではないだろうか。

さて、イオニアでの哲学誕生の次は、プラトンやアリストテレスに代表される、いわゆるギリシャ哲学の主流が続くことになる。この二人は、ギリシャ哲学にとどまらず、ローマ時代から近世まで、ヨーロッパの哲学にとっては最も影響力のある思想家として位置づけられてきた。当然私にとっても、生命科学の観点から見たとき、この主流とはなんだったのかを考えようと思っている。また、アリストテレスは特に生命科学と関係が深い。

しかし正直に告白すると、この二人の著作を読むのは気が進まない。というのも何十年も前、学生時代にたまたま読んだバートランドラッセルの西洋哲学史(図2)で述べられていたこの2人の大哲学者の印象が悪かった。

図2 ラッセルの西洋哲学史 ラッセルは数学者であり、西洋哲学の導入としては素晴らしい本だと思う。個人的には、最近出版されたロールズの哲学史講義よりはるかに学ぶところが多かった。

ラッセルはこの本のなかでデモクリトスなどの原子論者を、神や宗教に頼らず、自然の原理を説明しようとした哲学者と評価した上で、プラトンとアリストテレスについて、

「デモクリトス以後の最良の哲学でさえ犯していた過誤というのは、宇宙と比較して人間に不当な強調点が置かれた事である。・・・・・プラトンがもたらしたものは、感覚の世界を拒否して、自ら作り出した純粋な思惟の世界を優位に据える、という事であった。アリストテレスとともにやってきたものは、科学における根本概念としての目的というものに対する信仰であった」

と述べて、前回述べたイオニアに始まる自由な市民によるギリシャ哲学にも内在していた最終的には超自然的な説明を導入してもいいとする悪しき部分が、この二人により哲学の中心課題として正当化されたと嘆いている。ラッセルにかかれば、プラトンやアリストテレスはその後のヨーロッパのキリスト教支配の思想的基盤を提供し、科学的思想の誕生を阻む元凶になる。

ちなみに、今多くの人に読まれ、善や道徳について重点を置いて書かれたロールズの「哲学史講義」では、極めて短い言及とはいえプラトンやアリストテレスの道徳観を、

「私たちは正義の要求を拒否すれば私たち自身の善を失うことになる」

「有徳な行いを、良き性における他の書善と一緒に置かれるべき一種の善であるとみなし、そして理にかなう仕方でこの行をなしうる方法を判定するための基礎として役立つような最高善の概念を探し求めた」

「道徳哲学はつねに、自由でかつ規律された、理性の行使だけに尽きていた。それは宗教に基づかず、そして啓示には基づかなかった」

などと、かなり持ち上げて評価している。物は言いようになるが、ロールズが評価している最高善の考えは、その後キリスト教が支配するヨーロッパの思想に生き続ける。ただ超越的説明を排除しないプラトンの道徳哲学が宗教と無関係かは判断が分かれるところだろう。

それでもこの二人を無視して先に進むわけにはいかない。そこでこれまで真面目に向き合ってこなかったプラトンの著作を今回何冊か読んでみた。もともと悪い先入観を持っていたためか、新しく読んでみた結果も、ラッセルの西洋哲学史を読んで学んだ結論と全く変わることはなかった。結局プラトンの著作は、特定の絶対的唯一神こそ登場しないものの、宗教的な内容や例え話に満ちており、不死やあの世についての話が当たり前のように出てくる。その意味で、科学の対極にある思想である事が再確認できた。しかし実際に読んだおかげで、なぜプラトンが「自ら作り出した純粋な思惟の世界を優位に扱って」いるだけなのに、その後現代に至るまで多くの哲学者に評価されたのか、その騙しのテクニックとともに、哲学の主流の創始者としての能力についても直接感じることができた。

今回読んだ全ての著作を取り上げるのは無理なので私の選ぶ一冊として「テアイテトス」を取りあげることにした。通常、プラトンというと「国家」や「ソクラテスの弁明」「響宴」などが取り上げられ、科学より道徳や政治の話になることが多い(例えば民主制と哲人王など)。ただ私が読んだ中では、「テアイテトス」が結論が超越的ではなく、個人的にはプラトンの著作の中で最も好感が持て、「生命科学の目で読む哲学書」に最も適しているように思った。

さて、テアイテトスは冒頭の写真に示したように、渡辺邦夫訳の光文社版と田中美知太郎訳の岩波書店版が手に入る。今回両方とも読んでみたが、これから読まれる人には渡辺邦夫訳の光文社版を推す。文章が平明で、各セクションに訳者による説明を兼ねたタイトルが付いていて一般の人にもわかりやすい。また、プラトンに対する意見は私の印象とは大きく異なるが、巻末の解説も大変分かりやすい。この稿ではもっぱら光文社版を引用して説明する。

まずこの本の構成を簡単に説明しておこう。他の著作と同じで、登場人物の対話ですすむドラマ(劇)形式をとっている、というよりドラマそのものだ。まず冒頭に、知識にも徳にも優れた若者テアイテトスが赤痢で倒れてしまったことを嘆く、エウクレイデスとテルプシオンの会話から始まり、テアイテトスの思い出として、ソクラテスの言葉として記録されていた、ソクラテス、テアイテトスとその先生テオドロスの3人が繰り広げた白熱の議論を再現するという構成になっている。そして本の大半はソクラテスとテアイテトスによる「知識とは何か」についての対話問答集になっている。

この本では、「知識とは何か」と言う問題は、当時議論されていた3つの問題、

  • 知識と知覚の関係(知識は知覚か?)
  • 知識の客観性(「万物の尺度は人間である」と、知識は完全に個別的とするプロタゴラスの考え)
  • 知覚される世界の流動性(あらゆるものは常に変化しているというヘラクレイトスの考え)」

に分解され、アテネ随一の賢人ソクラテスにこの3つの問いの間を行きつ戻りつしながら批判させるという形式がとられている。もちろんソクラテスはプラトンの代わりで、これらプロタゴラスに代表される考えを論破する目的で書かれている。

プラトンの他の著作と同じで、この議論はドラマ仕立てになっているが、問題を設定した後続けられるこの対話形式のドラマ自体が、プラトンが自説を押し付けるための最大の騙しのテクニックになっている。このテクニックについてまとめると以下のようになる。

  • そもそもドラマ仕立てはフィクションという感覚を強く与える。事実、ドラマとして完成させるために、面白おかしい台詞やたとえ話が繰り返し現れ、これが課題に対する集中を妨げる。
  • 例え話を持ち出すことで、考えを検証せずに押し付ける。この最たるものが「国家」の中でイデアの存在を示すために持ち出される有名な洞窟の囚人の喩えだ(洞窟の囚人は壁に映った影しか見えない。そのためこの影が囚人にとっての実在になるが、洞窟から脱出して太陽の光を見ることで、本当の実在とは何か(イデア)がわかるようになるという話)。面白い例え話で、実在と仮象をうまく説明できているが、しかし話が面白いからと言って、イデア説が正しいことを示すわけでは無い。
  • 脱線を繰り返す中で、当時の常識とか、神様とかを持ち出すことで、本来なら検証を必要とする内容を、正しい概念と錯覚させ、判断をミスリードしてしまう(テアイテトスでも、ギリシャ人の魂とも言えるホメロスまで動員され、例えば「万物は動いている」ことを正しいことだと断じてしまう)。
  • 最悪は、ドラマの登場人物に階層性を持ち込んで、誰が正しく(ソクラテス)、誰が未熟で間違うのか(テアイテトス)を最初から決めてしまっている。対話を通して真理に至るという弁証法ではなく、常にソクラテスが真理を語る形式になっている。もちろん著作によっては、若い時代のソクラテスが他の意見を拝聴する形式も取られているが、登場人物の評価で答えを判断させるのは同じだ。
  • 特にテアイテトスでは本の最初と最後に、有名な産婆の例えを持ち出し、ソクラテス自身は何も持論を持ち合わせるわけではなく、対話している相手が正しい結論に到達するのを助けるだけだと、責任を放棄してしまっている。

こんなわけで、どうしても真面目に議論を追いかけようという意欲はすぐ失せるし、また正直言って内容も理解しづらい(もちろんプラトン哲学の人にとってはなんでも無いのだろうが)。

それでも我慢して読み進めると、テアイテトスの場合、他の著作とはちょっと異なるエンディングに出くわし、プラトンにもこんな一面があるのかと驚くことになる。そのあたりを見ていこう。

この本を読むと、先に挙げた3つの質問がアテネでのギリシャ哲学にとっては最重要問題だったことが伺える。おそらくイオニア以来アテネ時代まで、けんけんがくがく様々な議論が続いていたのだろう。プラトンがこの議論になんとか決着をつけようと思うことは十分理解できる。

しかしこの課題は、現代の哲学にとっては重要性が失せているようだ。自分で読んだ現代の哲学書に限って言うと、米国を除くと知識とは何かについて正面から議論されている著作にはまずお目にかからない。代わりに現在これらの問題は、脳科学の重要なテーマとして多くの研究者が取り組んでいる。米国の哲学でこれらのテーマをよく目にするのは、米国の哲学者が脳科学と常に対話を維持しているからだと思う。

プラトンに限らず、当時の哲学上の課題は、今から考えれば現在私たちが脳科学の課題として扱っているテーマが多い。例えば先に挙げた有名なプラトン独自の「個別の経験の前に形相(イデア)が存在する」という形相の概念も、形相の概念が正しいかどうかの議論をしても意味はない。しかし形相の概念を、対象に対する人間の認識過程、脳の発達過程、そして言語の問題などに分解して、私たちの脳の認識の問題として扱うことはできる。

同じようにテアイテトスで議論される3つのテーマも、感覚を通した動的インプットが統合されて、新しい経験についての記憶を形成する脳過程の問題として理解できる。この立場に立ってとりあえず3つの問いに答えてみると次のようになる。

  • 「知識は知覚か?」:知覚があらゆる知識の最初であることは間違いない。あらゆる感覚が閉ざされれば知識は生成しない。すなわち、知覚なしに知識は存在しない。
  • 「万物の尺度は人間である」:個人個人の知覚は主観的な過程だが、人間の脳は知識を他人と共有し、個人の脳から切り離して共通の概念を共同で作り社会で共有するメカニズムを持っている。これが普遍性の獲得に重要な役割を演じており、その最たる例が言語だ。言語の構造を考えると、例えば「りんご」という対象の認識は、同時に果物というカテゴリー、食べられるというカテゴリー、あるいは動物ではないと言うカテゴリーなど、そこに存在しない様々な物や事と連合して行われている。これらは全て、脳の発達の問題として捉えられる。
  • 「万物は変化する」:物理学的にみれば知覚できるかどうかは問わず万物は変化している。またそれだけでなく、知覚も常に動的に形成される(目は決して写真のように景色を切り出すのではなく、視線を動かして得られた部分を統合し、また分解して認識する極めて動的な過程だ)。

このような現在の科学・脳科学を念頭におくと、ある程度の答えを用意することが出来るが、20世紀以前の科学レベルでは、このような問題自体に納得できる答えを出すことは難しい。実際、「テアイテトス」でも、イライラするぐらい「ああでもない、こうでもない」と議論を繰り返したあと、結局これらの問いに対する直接の回答は出せていない。当然のことだと思う。

そして「知識は感覚か」と言う問いについては、感覚は不確かであるという理由にならない理由を持ち出し、「知識は省察で感覚ではない」と言う考えが採用される(プラトンではいつものことだが)。そして、知識と感覚の議論は棚上げして、「正しい知識とは何か」へと問題がすり替えられる。

正しい知識についての議論の過程は全て割愛するが、知識の真実性や虚偽性についての議論を繰り返した後、

「知識とは差異性の知識がついた正しい考え方」

と言う回答がひねり出される。すなわち、頭の中に形成された考えの中で間違っていないと言える部分に、差異性の知識=論理性を足せば誰もが安心できる正しい知識となるという結論だ。

そして驚くのは、この結論を導き出した直後に、

「知識とはなにかという問いを探求しているのに、差異性であれ、ほかのなんであれ、なにかの『知識が付け加わった』正しい考えであると答えることは、まるっきり愚鈍なことだ」と、

ひねり出したばかりの結論の全否定を行なっている。すなわち「よくよく考えてみると、知識を定義するのに、他の知識を持ち出すとは笑止千万」というわけだ。

あれほど脱線に脱線を繰り返しながら、行きつ戻りつ議論を繰り返した結果、最後に極めて厳しい条件を突然持ち出して、結論を出すこと自体が間違っていると主張している。ここまで「どんな答えが出てくるのか?」と読み進んで来て、見事に裏切られる。そして、答えは出せなかったが、それでもソクラテスという知の助産婦と議論することで、テアイテトスが持っている全ての知識が「産み落とされた」ことが重要で、結論が出るかどうかは問題ではないとまで言っている。

プラトンに慣れ親しんでいる人にとって、これは驚きのエンディングだろう。確かに、知識は感覚かについては明確に否定しているが、おそらくやる気になれば「知識とは何かを」に対する答えもプラトン的に答えられたはずだ。例えば彼のイデアの概念などを参考に考えてみると、超越的な「正しい知識」が最初から存在し、私たちが知識として認識しているものは全て、「正しい知識」「最高の善の知識」の反映であると言う答えが出てきても良いように思える。ところがテアイテトスでは、プラトンは正直に「わからない」と結論している。私自身はテアイテトスにプラトンの全く違う一面を見た気がして驚いた。この最後のどんでん返しは、「脳(知識)は脳(知識)を理解できるか?」という現代の問題にも似ており、おそらく意図せず脳認知科学の核心をプラトンも感じたのかもしれない。

結局プラトンは多くの人を魅了するだけの多様なスタイルを持っていたのだろう。同じように、プラトンには珍しく、極力例え話や無駄話を排し、スピノザの様な禁欲的議論が続く著作「パルメニデス」を読んだ時も、こんなプラトンがあるのかと思う。その意味で、本当は捉えがたい多面性を持つ哲学者であることを、今回実感した。

そこで最後に私のプラトン像を独断と偏見でまとめて終わることにする。

イオニアの哲学者の直接の著作は残っていないのに、我々が彼らの考えについて知る事ができるのは、プラトンやアリストテレスによって、断片的ではあってもその説が議論されているからだ。事実、テアイテトスには、プロタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデスなどの思想が断片的に紹介されているし、他の著作でも同じだ。また「パルメニデス」のように、哲学者の名前を冠した著作も存在する。

この事が意味するのは、プラトンがそれ以前の哲学に通じていたことだ。アリストテレスはプラトンの弟子なので、おそらくそれまでの哲学はプラトンにより集大成されたと言っていい。同時に、アテネの哲学界では、これらの思想が生き生きと議論されていたことは、プラトンが著した多くの対話ドラマから伺う事ができる。

前回考察したように、原則自由な個人が、超越的力に頼らず自分で世界について考えたのがイオニア哲学の特徴だが、自分で考えると言うことは、多様な思想が生まれると言うことで、科学の様な検証手続きがないと、議論は終わりなく続くことになる。彼以前の哲学を集大成する過程で、プラトンはこの状況を収束させること、すなわち全ての問題に答えを出すことが自分の使命だと感じたに違いない。それが彼の膨大な著作を著す原動力になったと思う。

私もほんの一部しか読んでいないが、おそらくテアイテトスのように、結局答えが見つからずに終わる試みもあったのだと思う。しかし全てに答えを示さなければという使命感は、イオニアの哲学にあった様々な考えを許容する寛容さを排除し、一つの考えに収束させる、非寛容な哲学を招き入れる結果になる。

すなわち、全てを説明しようとすると、答えを超越的な力、絶対的な価値などに根拠を求めざるを得ない。すなわち、神が「正しさ」の唯一の根拠になる宗教と紙一重になる。これが、その後プラトン、アリストテレスがキリスト教に長く生き続ける原動力になった。この「哲学は全てを説明できなければならない」という、間違いや捏造の根拠となった信念は、デカルトにより呪いが解かれるまで続くことになる。次回はアリストテレスで、この問題を見てみることにする。

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