ゲノム研究が歴史研究であることを私にはっきりと認識させたのは、2014年ロンドン大学の研究グループによって、今生きている人のゲノムを解読するだけでヨーロッパとアジアの交流史が明らかになることを示した論文だ。この中では、なんとジンギスカンの遠征によるモンゴル族のゲノム流入の時期が、ゲノムから正確に推定できることが示されていた。
この衝撃は大きく、今もゲノムについて講義する時この論文を使っているが、6年以上経った今でもインパクトは色褪せない。
これらの研究は、ゲノム研究から明らかになった一塩基多型SNPを用いて、ゲノムの交流を調べているが、形質の変化という点では、欠損、挿入、重複といった大きな構造変異の方がインパクトがある。ただ、これらの変異は、病気を起こすようなまれな変異を除くと、特定するのが難しい。
今日紹介するウェルカムサンガー研究所からの論文は世界様々な地域から得た911人の全ゲノム配列解析を、GRCh38と呼ばれる1000人ゲノムなどを参考に決定されたレファレンスと比較して大きな変異を集め、その分布を調べた研究で7月3日号Cellに掲載予定だ。タイトルは「Population Structure, Stratification, and Introgression of Human Structural Variation (ヒトの構造遺伝変異の人類構成、階層性、そして流入)」だ。
この研究で明らかになった構造変異の7割以上がこれまで発見されていないということで、大きな集団の解析に、このような構造変異を使うことの難しさを示している。何れにせよこの研究では13万近い構造変異を特定することができ、この13万の変異の各人種ごとの分布を調べると、人種ごとに明確な違いがわかる。さらに、欠損変異でを取り出して見ると、例えばアフリカの人種の中でもさらに細かい人種の違いと対応することが明らかになった。
このように人種の分離をゲノム構造変異で行える最大の理由は、このような変異のなかには、レアバリアントではなく、人種によっては多くの構成員に見られるコモンバリアントである点だ。その例として、この研究ではデニソーワ人の遺伝子流入率の多いオセアニアの人種について詳しく調べているが、8割以上の人に見られるような変異も発見されている。
いくつかについては進化との関わりを推察している。面白い例をいくつか紹介すると、例えばヘモグロビンの転写に関わるHBA2遺伝子の欠損は、高地に住むパプア人では全く見つからないが、ほとんど同じパプア人でも低地に住む人たちには8割以上に見られる。おそらくこれはマラリア抵抗性として選択されてきた。
あるいはNGAMと呼ばれるデンプン消化に関わる遺伝子上流の欠損はブラジルのカリチア人の4割に見られ、その食生活に関わる。
最後に、レトロウイルスなどに対する抵抗性を抑える方向で働くSIGLEC5遺伝子が54%の中央アフリカのムブティ族で欠損していることは、免疫が高まる危険をおかしてもウイルス免疫を高める方が良かったことを示唆している。
もちろんこのような変異のなかに、ネアンデルタール人やデニソーワ人由来の変異があることも確かめている。例えばデニソーワ人に認められる16番染色体上の重複変異は、ほとんど全てのオセアニア人に維持されている。またアメリカ現順民の26%に見られるMS4A1のエクソン欠損はネアンデルタール人由来で、なんとB 細胞の重要遺伝子CD20 をコードしている。
他にも種族特異的な遺伝子コピー数の増加など詳しくは説明できないほど、面白い発見に満ちていると言える。すなわち構造変異は形質へのインパクトが高く、それだけ面白い。
以上、民族形成を考える意味で大きな進歩だと思う。さらにこの研究から、レファレンスゲノムもさらに進化する必要が示唆された。これにより、さらに構造変異の発見が容易になり、ゲノムの人類史も面白くなる。