8月16日 人間が言葉を話せるための解剖学的進化(退化)(8月12日号 Science 掲載論文)
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8月16日 人間が言葉を話せるための解剖学的進化(退化)(8月12日号 Science 掲載論文)

2022年8月16日
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現役を退いて、それまでの専門から自由になったとき、一度考えてみたいと思ったのが、無生物から生物が誕生する「Abiogenesis過程」と、「言語の誕生」だ。幸い、生命誌研究館の中村桂子先生のおかげで、顧問として静かで自由な5年間を過ごすことが出来、それぞれの問題について多くの論文に当たり、自分なりに納得できるシナリオを描くことが出来た。この過程については、生命誌研究館の「進化研究を覗く」というコーナーでまとめておいた(https://www.brh.co.jp/salon/shinka/2016/)。また、これらの文章はそっくりそのままこのHPにも移行させているので是非読んで欲しい(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954)が、この時に集中して勉強したおかげで、今も Abiogenesis と言語誕生については、専門ではないが講義が出来ている。

さて、私に限らず、言語誕生の条件については、もっぱら脳と社会の問題として捉え議論がされているが、人間のように複雑な音を使いこなせる咽頭の構造も重要だ。ただ、この問題については、人間はサルと異なり喉頭の位置が低くなって出来た大きな空間をうまくコントロールするシステムができあがっていると説明していた。

この通説に真っ向から異論を唱えたのがウィーン大学の Fitch で、生きたサル(マカク族)が様々な状況で鳴くときの口から喉にかけての構造変化をX線ビデオで撮影し、発せられる音と対応させることで、サルも人間と同じ複雑な音を発することが出来ることを明らかにした(Fitch et al. Sci. Adv. 2016; 2: e1600723、9 December 2016)。

今日紹介するウイーン大学 Fitch と京大霊長類研究所 西村さんの共同論文は、複雑な音を出せるという条件は同じなのに、何故人間だけがそれをフルに使得るようになったのかについての系統生理解剖学の研究で、8月12日 Science に掲載された。タイトルは「Evolutionary loss of complexity in human vocal anatomy as an adaptation for speech(人間が解剖学的複雑性を捨てることで言語に合わせた発声のための解剖基盤を獲得した)」だ。

この研究では生きたサルの発生に関わる領域の詳細な解剖を MRI を用いて行い、ヒトとサルの違いとして、vocal membrane と呼ばれる声帯から飛び出した構造が人間では完全に欠けていることを発見する。

系統的に見ると、vocal membrane は新世界ザルでは長く、オナガザル科では短い。そして、オナガザル科から分岐した霊長類では多様な構造をとっていることから、進化的に急速に多様化していることがわかる。しかし、構造が失われたのは人間だけだ。

次に内視鏡を用いた生理学的研究、死亡したサルの声帯を用いた解剖学的研究、最後にシミュレーションを用いた研究を合わせて、vocal membrane があると、同じエネルギーで強い音を出せるが、大きな声は出せても音のコントロールが聞きにくいことを突き止めている。

以上の結果から、どちらが先かはわからないが、人間では vocal membrane を退化させることで、脳支配によるコントロールされた音を出せる様になったというのが結論だ。

言語の解剖学的基盤に焦点を当てて、生理解剖学的に研究を進める Fitch さんとその仲間の研究は勉強になる。Vocal membrane もそれぞれの種では決まった構造をとっており、これが発生するためのゲノム基盤も今後わかるだろう。言語脳と連動する身体の構造がわかることは重要で、言語の発生を考える上でも重要な貢献だと思う。

最後に、西村さんの所属が Primate Research Institute となっており、安堵した。いくら不正があったからと言って、簡単に霊長研の名前を捨てる京大の暴挙に怒っていたが、研究は国際的なポジションが大事なので、形にこだわる役人や大学執行部を日本語でだまして、英語で元を取るという作戦は評価したい。とはいえ、私たちの世代にとって、霊長研という日本語も、多くの先生の顔が浮かんできて捨てがたいのも事実だ。

カテゴリ:論文ウォッチ