昨日に続いて、Lazaridis の論文を紹介することにした。昨日は、ギリシャ時代の様々な記録の断片を、ヒトゲノムからわかる民族の移動と対応させるという、今までにはなかった研究だが、今日紹介する論文では、インドヨーロッパ語の起源に焦点を当て、特にアナトリア地方の古代ゲノムから見た民族交流史から、インドヨーロッパ語の起源を考えている。タイトルは「The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe(南部地域のゲノム史:西アジアとヨーロッパの架け橋)」で、8月26日号Scienceに掲載された。
昨日、農耕発祥の地と考えられるアナトリアが、コーカサス狩猟採取民と、イスラエルからの民族との交雑により形成されていることを少しだけ紹介したが、この研究では、アナトリアのゲノムに、ヤムナゲノムがその後ほとんど流入していないことに注目し、この点について詳しく調べている。
というのも、ヤムナ文化が、インドヨーロッパ語の起源で、紀元前5000年以降、民族の大移動と、移動した土地での交雑により、一種の縄目文土器とともにインドヨーロッパ語をユーラシア全体に拡げたというのが現在の通説になっており、実際インドヨーロッパ語を話すほとんどの地域でヤムナ属のゲノムの流入が認められるからだ。
アナトリアも、ヒッタイト語などインドヨーロッパ語を話していたことがわかっている。にもかかわらず、ヤムナ民族との交雑の痕跡がほとんど存在しないとすると、ヤムナ民族の流入がそれぞれの地域にインドヨーロッパ語を伝えたという説は崩れる。
この論文でも引用しているが、1926年イエール大学の Sturtevant は、Indo-Hittite 仮説、すなわちインドヨーロッパ語と、ヒッタイト語は、同じ先祖から分岐し、その後独立して発展したという仮説を提案している。この説は現在では少数派になっているが、Lazaridis らは、アナトリア民族にヤムナ民族ゲノムがほとんど存在しないという事実から、Sturtevant の説が正しい可能性を示唆している。
研究の詳細はジャーナルクラブで解説するとして、ゲノムの流れから、新石器時代インド・ヨーロッパ・アナトリア語の起源となる言語を話していた民族が、一部は北に移動し、今のウクライナステップの民族と交雑してヤムナ民族を形成する。一方、一部は東に移動し、アナトリア民族を形成する。この移動により、インド・ヨーロッパ・アナトリア起源語は、インドヨーロッパ語と、アナトリア語に分岐し独自の発展を遂げる。
一方、起源言語を話していたコーカサス地方は、その後ヤムナ民族の侵入により、ゲノムと言語の変化を遂げるが、アナトリアではヤムナ民族の侵入がなく、独自の言語と文化を発達させたというシナリオだ。
このヤムナ民族がコーカサスを越えなかったというシナリオを解く一つの鍵は、昨日紹介した論文で少し触れたウラルトゥ王国で、この地域にインドヨーロッパ語には属さない日本語と同じ膠着語のフリル・ウラルトゥ言語が残っていたことから、これをボーダーとしてアナトリアへのヤムナ民族の侵入が防がれた可能性を示している。
いずれにせよ、現在のアルメニア、アゼルバイジャン地方の古代ゲノム解析が最も重要な課題として浮かび上がった面白い論文だ。
しかし、読んでいるとゲノムだけでなく、言語学についても深い議論がされており、人間を理解するためには、文理融合などと言ったかけ声ではなく、人間の新しい科学が必要で、しかも着々と進展していることが実感できる。