ホメロスのオデッセイを書き留めるために、ギリシャでアルファベットが誕生したと言われるほど、ギリシャの古代、すなわちミノアやミケーネ時代の歴史は、ギリシャ人の心のルーツといえる。これを読んだドイツ人シュリーマンは、これがただのお話ではないと直感し、トロイやミケーネの発掘を行ったことは有名だ。
勿論ホメロスだけでなく、青銅器時代以降の西アジアからギリシャ・ローマにかけての歴史記録は、ギリシャ神話や、ヘロドトスやクセノポンのような歴史家による記述も残っており、また多くの遺跡や出土品も存在して、研究が進んでいる時代だ。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、これに当時の人たちのゲノム解析をかぶせることで、これまでの歴史観を検証し、新しい可能性を示唆できないか調べた極めてチャレンジングな研究で、8月26日号の Science に掲載された。
実際には3編の論文から出来ており、この分野では第一人者の Reich 研究室からの論文だが、senior author は全て Iosif Lazardis の論文だ。実際には、地中海を中心とする1万年にわたる民族交流を700体の古代ゲノムから解析した論文で、簡単に紹介するにはあまりに膨大すぎる。そこで、9月のいつか、全体について紹介するためのジャーナルクラブを企画することにする。そして、今日は3編のちょうど真ん中の論文、エーゲ海を中心としたミノア、ミケーネ、ギリシャまでの時代についてのゲノム解析を、様々な文献と比較した研究の触りだけを紹介する。タイトルは「A genetic probe into the ancient and medieval history of Southern Europe and West Asia(古代から中世に至る南ヨーロッパ及び西アジアの歴史についての遺伝的調査)」だ。
タイトルには中世とあるが、中世はローマ時代を扱うとき、ビザンチンから中世が扱われているという程度で、、この研究は地中海と隣接する西アジアの新石器時代からギリシャ時代までを扱っている。この論文をわざわざ選んだのは、ゲノム研究と、それまでの歴史記述や言語についての対応が議論される、まさに文理融合の手本とも言える論文だからだ。
さて、私たちはギリシャも含めてヨーロッパの人間は、オリジナルな狩猟採取民に、インドヨーロッパ語のヤムナ、そして農耕のアナトリアゲノムが様々な割合で混じり合ってると単純に考えてしまう。しかし、常に交流が行われた時代には、純血のヤムナとかアナトリアは存在しない。すなわち、それぞれの地方の時代別のゲノム解析が必要になる。
そのため最初の論文は、アナトリアの起源になるメソポタミアの新石器時代のゲノムを調べ、アナトリアゲノムがメソポタミア、イスラエルなどの狩猟採取民からできあがっていることを示している。
このような新石器時代の起源系列を特定した後、この研究ではミノア、ミケーネとエーゲ海文化を担った人たちのゲノム解析を行っている。その結果、エーゲ海民族は、アナトリアのゲノムに、主にコーカサス狩猟採取民のゲノムが混じり合って形成されること、ミノアからミケーネにかけて、ゲノム構成が極めて多様化することをまず明らかにしている。
すなわち、ミノアまではほぼアナトリアに近いゲノム構成が、その後おもにヤムナを中心としたステップ地帯の狩猟採取民ゲノムが流入して、ミケーネ、そしてギリシャゲノムが形成されている。実際、クレタ島の東端には全くヤムナゲノムが存在しないゲノムも見つかっており、オデッセイに書かれた民族のるつぼとしてのクレタ島のイメージに合致する。
他にも、様々な記録との比較が行われているのでそれだけを列挙すると、
- プラトン・メネクセノス:古代ギリシャでは外部との交流は少ないという記述が、ミノアゲノムと一致する。
- ギリシャ神話の英雄時代の近親相姦の後が、ミケーネ人で見られる。
- ヘロドトス:アナトリア地区のギリシャ植民地で現地人との融合が行われ、アレキサンダー王もペルシャ人を妻に迎えたという記述があるが、ギリシャ植民地では全く交雑が見られない西部の植民地に対し、アナトリア側では交雑が進んでいたことがわかる。
- ギリシャ神話でトロイのヒーローアエネイアースがイタリアに逃れローマ建国に関わったとされているが、実際ローマ帝国以前のローマ人のゲノムを見るとこの流れに矛盾しない。
などなどだ。
さらに、やはりインドヨーロッパ語を話す、アナトリア農耕民族にほとんどヤムナゲノムが入っていないことにも注目し、それを代表するウラルトゥ王国についても、インドヨーロッパ語の伝搬の新しい考え方とともに議論しているが、今日はここで終わる。ジャーナルクラブについては、なるべく早くアナウンスする予定だ。