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9月30日 PD1 分子を標的にした異次元免疫治療(9月29日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月30日
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抗原刺激を受けたT細胞は PD1 分子を発現し、それが刺激されることで反応が抑えられるチェックポイントを持っている。これをブロックして、抗原特異的T細胞が消耗するのを防ぐのがチェックポイント治療で、ガン治療に導入され大きな成功を収めた。ただ、チェックポイント機能を抑えるだけでは、T細胞を刺激しているわけではないので、患者さんのT細胞が持続的に活性化出来るかどうかは他の因子にかかっている。

この不確定性を克服するため、PD1 を発現した細胞をさらに IL2 などで刺激し、他のルートから細胞を活性化する試みが行われ、一定の成功を収めている。これまで紹介したように、IL2 では、CD25 に結合性のない、変異型のサイトカインが設計され、CD8T細胞だけを増やすことも出来るようになり、新しい方向の治療として期待されている。

今日紹介するスイス・チューリッヒにあるロッシュイノベーションセンターからの論文は、IL2 刺激を PD1 を発現して消耗が始まった T細胞特異的に提供することで、チェックポイント治療とは質的に異なる治療が可能になることを示した研究で、9月29日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「PD-1-cis IL-2R agonism yields better effectors from stem-like CD8 + T cells(PD1陽性細胞のIL2受容体を刺激することで幹細胞様CD8T細胞から優れたエフェクター細胞を誘導できる)」だ。

論文では膨大なデータをこれでもか、これでもかと示す、さすが製薬企業と思わせる研究で、しかも使っているモデルや材料を見ると、おそらく膵臓ガンに狙いを定めていることがよくわかる論文だ。

この研究では、IL1 刺激とチェックポイントを別々に行う方法で、CD25 結合のない IL2βγ 受容体結合リガンド( IL2V)の免疫増強効果を調べ、通常の IL2 より効果が低く、IL2V の効果を利用するためには、PD1 を発現した細胞に選択的に IL2V を提供することが重要だと結論し、この目的のために、PD1 に対する抗体に IL2V を結合させたキメラ分子を開発している。

立て付けとしては、PD1 を抑制するとともに、同じ細胞の IL2βγ 受容体からシグナルをいれる方法といえるが、LCMウイルスを用いた慢性感染実験で調べると、PD1 抑制では得られない、異次元の細胞が誘導でき、高いキラー活性が維持できることがわかる。

メカニズムを解析すると、PD1- IL2VはPD1TCF1の幹細胞様として知られる CD8T細胞に働いて、増殖を維持して幹細胞の働きを助けるとともに、キラー効果を発揮するエフェクター細胞への分化をバランス良く維持する効果を持つことがわかった。さらに、PD1- IL2V は IL2Rβγ受容体とともに細胞内に取り込まれ、IL2V の効果を持続させる働きまである。

基礎的な検討の紹介は全て省くが、基本的には免疫を下げる遺伝子の発現を抑え、エフェクター機能を高めている。

最後に満を持して、膵臓ガンモデルへの投与実験を行い、チェックポイント治療では到底到達できなかったレベルの治療効果が存在すること、さらには PD-L1 に対する抗体を組みあわせて、チェックポイント機能を完全に抑えると、効果がさらに高まることを示している。そして、増殖している T細胞受容体遺伝子も調べ、これが腫瘍内で腫瘍特異的T細胞が選択的に増殖している結果であることを示し、期待を持たせて終わっている。

以上が結果で、論文全体から膵臓ガンを治すぞという気持ちが伝わる論文だ。この技術は、ガン浸潤細胞の増幅などにも利用できるため、期待したいと思う。ただ、ガンに対して異次元の反応を誘導できることは、間違うと異次元の自己免疫副作用が出るのではと心配する。おそらく、これに抗原刺激ワクチンを組みあわせると、ついに免疫治療のゴールに入れるのかもしれない。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月29日 動脈硬化予防の新しい標的(9月21日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2022年9月29日
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動脈硬化は、アポ B 分子を持つ LDL が局所の血管内皮下に蓄積をはじめ、それをマクロファージが取り込み泡沫細胞へと変化、それが刺激になってさらに血液の浸潤と LDL の蓄積が進む、負のサイクルが進み、最終的に血管が肥厚、線維化、最終的に石灰化する。当然血管内皮腔は狭くなり、高血圧、心筋梗塞、そして脳卒中の原因になる。

細胞レベルではこの泡沫細胞の形成と、そのアポトーシスが病気を制御するときの核になり、これまでマクロファージのスキャベンジャー受容体により LDL 、さらには酸化 LDL が取り込まれると考えられてきた。確かに、スキャベンジャー受容体をノックアウトすると、LDL の取り込みは抑えられるのだが、これだけでは動脈硬化が防げないことが示された。また酸化 LDL を抑えるため、抗酸化治療が試みられたが、これも失敗に終わっている。

今日紹介するジョージア医科大学からの論文は、スキャベンジャー受容体だけでなく、そのまま周りの水を取り込むマクロピノサイトーシス(MP)と呼ばれるメカニズムで LDL が取り込まれ動脈硬化が進む可能性を示した論文で、9月21日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Receptor-independent fluid-phase macropinocytosis promotes arterial foam cell formation and atherosclerosis(受容体に依存しない液のマクロピノサイトーシスが泡沫細胞の形成と動脈硬化を促進する)」だ。

特異性のない MP による周りの取り込みが十分 LDL 取り込みに寄与できると着想したのがこの研究の全てだ。

既に述べたようにスキャベンジャー受容体がノックアウトされたマウスでも動脈硬化が起こり、泡沫細胞が形成されるが(正常マウスよりは程度は低いのでスキャベンジャー受容体も重要だ)、このとき MP に関わる Na/H exchanger(NHE1) を阻害する化合物を投与すると、動脈硬化や泡沫細胞形成を完全に抑えることが出来る。逆に、MCSFやPDGF で MP を高めてやると、LDL の取り込みが高まる。以上のことから、動脈硬化ではスキャベンジャー受容体だけでなく、MP も LDL の取り込みと、泡沫細胞形成に関わることが明らかになった。

そこで、人間の動脈硬化巣のマクロファージを調べると、膜が飛び出す MP の像が見られることから、MP が人間の動脈硬化にも関わることが確認された。

最初の実験で使った化合物は、NHE1 特異的ではないので、M Pに本当に NHE1 のみが関わるかどうか調べる目的でノックアウトマウスを作成、同じように動脈硬化実験を行うとノックアウトマウスでは強く動脈硬化が抑えられた。

そこで最後に NHE1 を阻害する薬剤を探索し、抗うつ剤として既に使われているイミプラミンが NHE1 阻害効果を持つこと、そしてイミプラミン投与により動脈硬化が抑えられ、泡沫細胞形成もブロックできることを示している。

結果は以上で、これまで動脈硬化巣形成についてわからなかったことを、MP を加えることで説明できるようになり、新しい治療可能性まで示したことは重要だと思う。ただ、抗うつ作用を持つ薬剤をそのまま使うかどうかは問題で、出来れば脳血管関門を通らなくした化合物を目指して欲しい。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月28日 続く地道なワクチン研究(9月21日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月28日
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今回 Covid-19 パンデミックで示された、ワクチンの大成功は、標的抗原の遺伝子構造決定からワクチン製造までが、いかに迅速に行うことが出来るかを示し、ワクチン製造には何年もかかると述べていた専門家の予言を見事に裏切った。しかし、標的の遺伝子配列がわかったからといってワクチンは決してすぐに実現するわけではない。実際には、それまでの長い基礎研究の積み重ねがあり、Covid-19 の場合、SARS や MERS ワクチンの研究の上に存在する。この辺を見誤ると、無駄な投資で終わる。

実際、マラリアをはじめ多くの病原体のワクチン開発は進歩が遅い。今日紹介する La Jolla 免疫研究所からの論文は、ワクチン開発が難しい HIV ウイルスのエンヴェロップ蛋白質に対するサルのリンパ節での反応を丹念に調べた研究で、9月21日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Long-primed germinal centres with enduring affinity maturation and clonal migration(時間をかけて免役した胚中心では、持続する親和性の上昇とクローンの移動がみられる)」だ。

La Jolla 免疫研究所は Covid-19 の免疫反応解析でも、重要な論文を発表し続けてきた研究所だが、この研究はエイズウイルスワクチンのための基礎研究になる。といっても、全ての実験はサルを用いて行われており、しかも免疫誘導で最も知りたいリンパ節のバイオプシーを用いて解析されている。

既に抗体誘導については研究の蓄積があり、一回で全ての抗原を注射するのではなく、0.1μgから初めて、31.6μgまで抗原をサポニンタイプのアジュバントとともに、徐々に量をエスカレートさせ、2日おきに7回注射する方法が抗体誘導効率が高いことがわかっており、この免疫スケジュールでリンパ節で何が起こっているのか調べている。

結果をまとめると以下のようになる。

  1. まず、7回分割投与の場合、驚くことに胚中心型B細胞が持続的に維持される。このタイプのB細胞は増殖し、抗体遺伝子の変異やスイッチが続いていくタイプで、通常免疫後1ヶ月程度で低下し、記憶型に変わるとされてきた。胚中心型B細胞が持続するためには、抗原が長期に維持される必要があるので、おそらく2日ごとに注射する方法によって誘導されてきた抗体が抗原と結びついて、樹状細胞に長くとどまると考えられる。
  2. ウイルス感染予防に必要な中和抗体は、初期免疫の後のブーストが必要で、抗体自体は1ヶ月で低下する。エイズの場合、最初の免疫では誘導が出来なかったのは、リンパ節内で進化が続いており、これを再活性することで高い中和抗体が実際に産生されることになる。
  3. 様々なバリアントに対して抗体が必要になるエイズ免疫にとって最も重要なことは、リンパ節内の進化の過程で、特定のクローンが優勢になるのではなく、多くのクローンが維持され、進化することで、この結果様々なバリアントに対するB細胞を用意することができる。
  4. 胚中心型B細胞の遺伝子から、抗体を再構成すると、親和性が200倍に上昇していた。また取り出したB細胞では突然変異も蓄積され、さらに様々なクローンが維持されていることが確認される。
  5. 面白いのは、ブースターを遅らせたほど、進化が進むことで、抗体を誘導して感染を防ぎたいときはブースターが必要だが、質のいい、多くのクローンを擁するレパートリー形成には、ブースターは必要がない。
  6. 記憶型の細胞も形成され、体内のリンパ節に移動して、次の免疫や感染に備えることが出来る。
  7. T細胞については、正確に定量出来ていないが、ブーストの後で強く増殖することは確認している。

以上、ワクチンを開発するためにここまでやることの重要性がよくわかる論文だ。政府もワクチン研究に投資するとしているが、モダリティーなど表面的なことではなく、ここまでの基礎研究を支援する覚悟がないと、ほとんど金の無駄遣いになるように思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月27日 ニキビダニの居候戦略(10月11日号 Immunity 掲載論文)

2022年9月27日
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自分自身の育ってきた時代と比べ、清潔が当たり前になった現在の日本にどのぐらい分布しているのかは把握していないが、体長が0.2mmという小さなニキビダニが毛根に常在する人は珍しくなく、通常は何もしないのだが、免疫が低下したりすると、ひどいニキビになることが知られている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はニキビダニの感染と自然免疫系の相互作用を調べた研究で、10月11日 Immunity に掲載される。タイトルは「Innate type 2 immunity controls hair follicle commensalism by Demodex mites(ニキビダニの毛根内での常在性を2型自然免疫が調節している)」だ。

ニキビダニの感染による炎症誘導と、自然免疫系の皮膚自体への効果が、あまり整理せずにそのまま示されるので、解りにくい論文だが、イエダニのように毛根に過適応してしまった生物とホストの関係の複雑性がよくわかる。

ヒトだけでなく、ニキビダニはマウスにも存在し、SPF 飼育環境ではほとんど存在しないが、たまにおそらくヒトから感染することがあり、特に免疫系をノックアウトしたマウスを飼育している場合、毛根で増殖し、炎症を起こすことが知られていた。

この研究では、IL4 受容体、IL13/IL4 など2型免疫に関わるサイトカインシグナルが欠損したマウス毛根でニキビダニが増殖し、それとともにT細胞の浸潤、及び自然免疫に関わる ILC2 が増加することを発見する。すなわち、2型免疫サイトカインが存在することで、ニキビダニの増殖が抑えられ、バランスの取れた常在性が実現している。

次にニキビダニの増殖と、浸潤細胞との関係を調べる目的で、リンパ球分化が起こらない Rag2 ノックアウトマウス及び、ICL2も欠損する Rag2 及び IL2γR がノックアウトされたマウスを比べると、Rag2 ノックアウトだけでは感染増強は強くないが、両方ノックアウトされると強い感染が起こることがわかった。すなわち、リンパ球の浸潤より、ILC2 の浸潤が感染を抑えていることが明らかになった。

以上のことから、ILC2 が産生するサイトカイン、特に IL13が 低下すると、ニキビダニの増殖を抑制できないことがわかる。そこで、2型サイトカインがニキビダニの増殖を抑える仕組みを探ったところ、キラーのように直接ニキビダニを殺すのではなく、2型サイトカインが毛根幹細胞の増殖を抑えることで、皮膚のバリア機能、及び修復機能が低下し、その結果毛根上部のニキビダニが毛根全体に拡がって生息し、炎症を起こすと結論している。

実際、ニキビダニとは無関係に、2型サイトカインは皮膚のバリア機能や毛根の再生を維持する過程に関わることも示している。

以上、ニキビダニと人間の関係は、片利共生と呼ばれるタイプで、ニキビダニにとって毛根以外での生存はあり得ないが、それ自身は人間に何の役にも立たない共生関係になる。はっきり言えば、ニキビダニは姿を現さない居候に徹することで人間と共生関係を続けられてきたのだが、そのためにあえて自分自身が増えすぎないよう、ホストの免疫系にお願いして、毛根にあるドアを閉めてもらって、自分を狭い空間に閉じこめている。この複雑なメカニズムを知ると、グロテスクなやつだが、なんとけなげなダニなんだろうと、愛着がわいてくる。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月26日 GoT(Genotyping of transcriptomics)を用いた血液クローン増殖の解析(9月22日 Nature Genetics オンライン掲載論文)

2022年9月26日
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正常に見えても、高齢者の血液の中に、ガンで見られる体細胞突然変異が入ったために、完全に正常な細胞より少し増殖性が高くなって、PCR などでクローン性増殖が頻発することがわかってきた。恐ろしいことに、このクローン増殖の程度は、強くその後の余命と関わっている。これまでの研究で、様々な遺伝子がクローナル増殖に関わることがわかっているが、中でも DNA メチル化に関わる DNMT3A や TET の変異の頻度が高い。

これまで、これらの遺伝子変異とクローン増殖の関係は変異を誘導したモデル動物を用いた研究が中心だったが、Genotyping of transcriptomics (GoT) と呼ばれる方法が2019年に報告され、変異を持つ細胞を single cell level で特定して、他の single cell データと統合することが可能になり、人間の血液を用いて変異による細胞学的変化を特定できるようになった。

今日紹介するコーネル大学からの論文は GoT を開発したグループが、この方法を用いて、DNMT3A変異による細胞学的変化を解析した論文で、9月22日 Nature Genetics にオンライン掲載された。タイトルは「Single-cell multi-omics of human clonal hematopoiesis reveals that DNMT3A R882 mutations perturb early progenitor states through selective hypomethylation(人間のクローン造血の単一細胞マルチオミックス形跡は、DNMT3A R882変異が未熟な前駆細胞を選択的低メチル化誘導により阻害することを明らかにした。)」だ。

Gotは2019年に発表されているのに全くキャッチできていなかった。これはバーコードを付加して single cell RNAsequencing 様サンプルを作成した後、次にプライマーを代えて機能の知りたい突然変異を持つ遺伝子を PCR 増幅して、single cell RNA データとともに、特定の遺伝子の突然変異を正確に特定して重ね合わせることが出来る技術で、かなり役に立ちそうな気がする。

この方法で、DNMT3aのR882変異を持つクローン増殖を示す血液を用いて、R882の作用を調べたのがこの研究だ。ただ、末梢血の分化しきった細胞では機能を調べるのが難しいので、患者さんに GCF を投与し、未熟細胞を末梢へと誘導した後の血液を使っている。

この結果、

  • 調べたケースでは、DNMT3a 変異は多能性幹細胞で既に起こっており、分化した細胞へと受け継がれている。
  • DNMT3a の変異があると、分化が白血球、巨核球へとバイアスがかかることが明らかになった。すなわち、メチル化の変化によりこの系統への分化が起こりやすくなっている。
  • 変異により、Myc とその標的遺伝子の発現変化を中心に、多くの遺伝子発現の変化が起こる。
  • DNAメチル化を single cell level で調べる方法に、single cell RNA seq と GoT を組みあわせ、ポリコム遺伝子を中心に選択的低メチル化が誘導され、これが転写に影響することが明らかになった。
  • DNMT3a 変異は CpGpT 配列のメチル化を低下させる。この配列は、MycやHIF などガン化に重要な遺伝子の結合配列に存在し、このメチル化が低下することが、これらの分子による増殖促進に関わる。

今日の論文紹介は、基本的に GoT についてなので、この程度の紹介で十分だろう。体細胞突然変異による前がん状態からガンまでの過程を追いかけるかなり有望な方法になるように思う。Single cell RNAseqは様々な副産物を生んでいる。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月25日 Williams 症候群の音程感知能力の神経生物学(9月23日 Cell オンライン掲載論文)

2022年9月25日
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ウイリアムズ症候群に関しては、自閉症の科学28(https://aasj.jp/news/autism-science/11104) 及び2019年4月の論文ウォッチ(https://aasj.jp/news/watch/10085)、さらには言語発生について述べた長い文章(https://aasj.jp/news/lifescience-current/10954)の中でも紹介しているので詳しいことはそちらを参照して欲しい。ざくっと説明すると、7番染色体の21遺伝子を含む大きな領域が片方の染色体から欠損した結果起こる発達障害だ。ただ、発達障害と言っても社会性は極めて高く、自閉症の正反対の性質を示す。言い換えると、他人への警戒がない。その結果、単語を音として吸収する能力が高く、言語の修復が社会性とリンクしていることがよくわかる。また、いくつかの研究で、ウイリアムズ症候群(WS)の子供達が高い比率で絶対音階を獲得できることが示されており、このピッチを聞き分ける能力も、単語を吸収する能力と関係していると考えられている。事実、WSでは皮質が退縮しているが、聴覚野は正常の大きさを保っている。

今日紹介する St.Jude 子供病院からの論文は、WSモデルマウスを用いて聴覚、特にピッチを区別する能力についての神経生理学を丹念に重ね、背景にある分子メカニスムを解析した力作で9月23日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Innate frequency-discrimination hyperacuity in Williams-Beuren syndrome mice(ウイリアムズ・ボイレン症候群モデルマウスの音の振幅を認識する内因的な高い能力)」だ。

学ぶところの多い論文だ。まず、マウスでピッチの感知力をどう評価するかについてだが、16.4Hzのバックグラウンドに、少しだけ振幅を変化させた音を重ね、その後で大きな音で脅かすという実験を行っている。すなわち、他の音が聞こえてくるとこれは何か違うぞと感じて身構えるため、大きな音に対する驚きが減る。ただ、バックグラウンドと同じ振幅の音では、変化を感じないので身構えない。これを使うと、バックグラウンドとの振幅の違いを認識できているかどうかがわかる。結果は、WSマウスでは、振幅が数%違うだけで完全に認識される。すなわち、元々ピッチを区別する能力が高いことが明らかになった。

後は、聴覚神経に電極を刺しシナプス活動を記録し、WSマウスでは抑制性神経の活動が高く、その結果シナプス活性が低下していること、そしてこの抑制性神経活動を低下させることでピッチ認識能力が正常マウスレベルに低下することを明らかにしている。

次に面白かったのは、ピッチの認識の差がどうして生まれるのかについての神経科学的検討だ。このために、聴覚野の個々の神経活動を記録しながら、その反応パターンがピッチの変化にどう関わっているのか、機械学習によって調べている。そして、機械学習させたデコーダーにより、脳がどのピッチを聞いているのかを正確に予測できるかを調べ、ピッチを感じるための条件を探っている。この結果、細胞のアンサンブルと言うより、細胞がどの程度長く反応しているかが重要な指標となることを明らかにしている。なるほどと納得する。

後は、抑制神経の過興奮の分子機構について、欠損部分に存在する21種類の遺伝子の中から、以前認知機能に関わると紹介した Gtf2i の発現量が低下することが、様々な電位作動性のチャンネルへの影響を持つ Vipr1 遺伝子の発現低下を誘導し、これが聴覚野の抑制性神経の興奮を高めていることを明らかにする。

事実、正常マウスで Vipr1 を抑えると、WSマウスと同じようなピッチ感知能力が生まれる。残念ながら、Vipr1 のリガンド自体は皮質にかなりあるようで抑制実験が出来ないため、正常マウスがピッチを獲得できるようになるかどうかは調べられていない。

WS の一つの症状だが、生理学から分子生物学まで徹底的に調べた力作で、人間の WS の聴覚能力についてよく説明できている。実際、人間でも WS では Vipr1 の発現は低下しているようだ。

WS とともに、私たちがピッチをどう区別しているのかもよくわかった。音は脳で聞くと言うが、聴力の落ちてきた私にとっても、なんとか脳を鍛えて音楽を聴くことの重要性がよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月24日 ハンチントン病の新しい治療可能性(9月23日 Science 掲載論文)

2022年9月24日
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ハンチントン病(HD)は、ハンチンティン(HTT)遺伝子に挿入された長い CAG リピートにより、HTT が細胞内に蓄積し、変性を誘導することで起こる神経疾患だと考えられている。発症は遅く、中年期とされているので、HTT の蓄積を抑えることが治療の方向性と考えられてきた。

これに対し、今日紹介するフランス・グルノーブル大学からの論文は、変異型 HTT は蓄積とは別に発生期の神経ネットワーク形成異常に関わり、これを乳児期に治療することで発症そのものを抑えられる可能性を示した画期的研究で、9月23日号の Science に掲載された。タイトルは「Treating early postnatal circuit defect delays Huntington’s disease onset and pathology in mice(生後早期にハンチントン病の回路異常を治療することで発症を抑えられる)」だ。

この研究の全てはまだマウスを用いた実験段階なので、実際に人間へ応用できるかはさらに研究が必要だ。ただ、この研究では変異型 HTT は蓄積前でも、発生期の回路形成に何らかの役割があると考え、生後すぐから脳皮質の神経活動を詳しく調べている。

結果は読み通りで、生後1週間までは、脳細胞のグルタミン作動性シナプス活動が正常と比べ抑制されていることを観察している。また電流に対する興奮反応で見ると、最初は低下しているが、生後4−6日で正常より反応が高まることもわかった。これらの異常は成長とともに正常化するので見落とされる。また、HTT をノックアウトしたマウスでも同じような生後の神経活動の低下が見られるので、発生時回路形成では変異型 HTT も機能不全を持ち、この結果回路形成の異常が発生すると言える。

さらに、細胞学的にもこの変化を対応させることが出来る。すなわち、神経細胞の樹状突起の成熟がつよく抑えられ、正常化するのに3週間もかかることがわかる。

以上の生理学的解析から、生後のグルタミン酸作動性シナプスの機能を高めるために、生まれてから1週間 Ampakine を1日2回投与する実験を行っている。Ampakine は当然正常マウスのシナプス活性を高めてしまうため、様々な異常を引き起こす。一方、HD モデルマウスでは、この処理により、例えば乳児期の起き上がりテストでは無処置の正常マウスのレベルに改善する。

また、成長後様々な時期に運動機能や作業記憶をテストすると、無処置の正常マウスレベルに改善していることを確認している。これに対応して、シナプスの活動や脳構造を8ヶ月齢マウスで調べると、やはり正常に近いこともわかった。

結果は以上で、生後グルタミン作動性シナプスの活動が低下している時に、薬剤で高めることで、その後持続する回路正常化が実現し、その結果時間をおいて起こってくる HD の発症を抑える可能性が示された。

Ampakine は正常児に使えない薬剤なので、この結果を応用するには様々なハードルが待ち受けていると思うが、HD を単純にポリグルタミンの毒性だけで終わらせないことの重要性がよくわかった。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月23日 サッケード運動補正の複雑さ(9月14日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月23日
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私たちの目は常にせわしなく動いている。人間のように中心窩に中心視野が固定される場合は、視野を無意識に様々なポイントに向けて全体を合成することが必要だが、中心窩のない動物でもサッケードは起こることから、視覚の統合に重要な働きを持つと考えられている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、サッカードによる視覚認識調節回路を明らかにした研究で、なんとなく自己と外界の認識についての私の妄想をかき立ててくれた。三浦さんが筆頭著者とコレスポンデンスになっているので、ほぼ一人で研究が行われたと想像するが、複雑な現象を整理する神経科学者の能力にはいつも感心する。タイトルは「Distinguishing externally from saccade-induced motion in visual cortex(サッケードにより起こる視覚野の運動を外から区別する)」だ。

サッケードの研究は、目の動きと脳の反応を同時に記録する必要がある。この研究ではまず、自由に動いているマウスについて、これを記録して、サッケードとはどのような動きで、それが視覚野の神経活動にどう関わっているか調べている。驚くことに、マウスの頭に小型カメラを装着し、視覚野にクラスター電極を装着し、これを実現している。

この結果、サッケードは縦横斜め様々な方向に起こっていること、それぞれの神経反応は、サッケードの方向にリンクしていること、そして10ms前から反応が始まり、運動後にピークに達した後、興奮が続くという共通のパターンを持つことを明らかにしている。

次に同じ動物の頭を固定し、サッケードを調べると、ほとんど水平方向のサッケードに限局されるが、固定しないマウスとほとんど同じパターンの反応を示すことを確認している。

次に、サッケードに対する反応を、視覚的に像がずれることによる反応と、像のずれとは別に、目の運動から来る反応に分離を試みている。この時、頭を固定したマウスに水平に動く縞模様を見せて、サッカードと同じような動きを誘導したときの反応と、縞のない灰色の画面を見せたときの反応を比べるなど、工夫に満ちている(専門外なので、この工夫がオリジナルかどうかは判断できないが)。

これに加えて、目に神経遮断剤を注射して、完全に視覚による像のずれを感じなくなったマウスの反応を比べ、最終的にサッケードに対する一次視覚野の反応が、像のずれによる視覚的刺激と、視覚とは全く関係のない目の運動に関わる刺激に分離できることを明らかにしている。

こうしてサッケードの二つのルートを明らかにした上で、視覚野へのインプットルートを調べ、視床枕から視覚野へのインプットが、視覚非依存的で、目の運動の方向性にリンクしたサッケード運動に対する視覚野の反応を決めていることを明らかにしている。

サッケードは、目が動いて像がずれるのに、イメージがずれないサッケード抑制と関連して研究されてきた。当然この研究も、この問題を理解する上で大きな貢献をしている。特に視覚のずれを、さらに運動と統合させて、ずれるイメージを抑制して安定なイメージを浮き上がらせるという考えは、説得力がある。

ただ私自身としては、この論文を読んで、デビットヒュームが、いくら頑張っても自分の脳を認識できないことは、自己など存在しないと結論していることを思い出した。確かに、自分の脳は感じられない。しかし、自分の脳は常に自己性を身体から確認している。私たちの認識が視覚に大きく依存しているとすると、サッケードは自己を脳に伝える重要な仕組みである様に思う。ヒュームやデカルトを超えた自己の姿が脳科学にはある。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月22日 腸内細菌叢のエコロジー:2,モデル細菌叢をデザインする(9月15日 Cell オンライン掲載論文)

2022年9月22日
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昨日紹介した様に、私たちの腸内に形成された細菌叢は、便移植のような多様な細菌叢移植ですら外からの細菌を簡単に受け入れない安定性を保っている。このことを裏返せば、一つの細菌の効果を調べるためには、無菌動物にそれぞれの細菌を移植するノトビオティック実験が必要になる。

逆に、乳酸菌やビフィズス菌でも、健康な細菌叢に割って入るのは簡単でなく、ヨーグルトの効果について軽々に結論することがいかに困難かがわかる。とは言え、今後正しく菌を用いるプロバイオティックスの効果を調べる意味では、再現可能な複雑さを保った人工細菌叢を移植した動物を用いて、移植した細菌がその中で増殖、効果を示すかどうかを調べる実験系が必要になる。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、私たちの腸内細菌叢の機能をほぼ再現するためにはどの程度の複雑性を持つ細菌叢をデザインすればいいのか調べた研究で、9月15日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Design, construction, and in vivo augmentation of a complex gut microbiome(複雑な腸内細菌叢をデザインし、構成し、体内で増強する)」だ。

我々の腸内に存在する細菌の種類はおそらく1000種類に達するのではと思う。これらが複雑に絡み合って、外来細菌の侵入を許さない細菌叢を形成しているのだが、実際には何種類の細菌があれば、機能的に安定した細菌叢が実現するのか、よくわからない。結果、善玉菌とか悪玉菌とか、ここの細菌と細菌叢をごちゃ混ぜにした説明が横行することになる。

この研究では、まずデータベースからほとんどの人に存在することが確認される約100種類の細菌からスタートして、これを無菌動物に移植、その安定性を便移植での細菌の置き換わりを指標に調べ、必要とあれば100種類に新しい細菌種を加えて、もっと安定な細菌叢をデザインするという方法をとっている。

まず、100種類の細菌全てを一つの培地で培養すると、ほぼ全てが維持されるが、頻度は多い種類で数10%、少ない物では10万分の1まで大きく変化する。すなわち、菌同士の相互作用を通して、それぞれ一定の比率に落ち着く。勿論、一つのアミノ酸を培地から抜くだけで、一部の細菌の頻度は大きく変化するが、システインのような大きな影響のあるアミノ酸を除くと、それでも全体としては恒常性が維持される。

次にこの人工細菌叢を無菌マウスに移植し8週間待つと、さらに頻度はばらつくが、ほぼ全ての細菌が維持される。すなわち、体内でも同じ状態を保つ人工細菌叢が形成されたことになる。

このマウスに、今度は正常人の便を移植し、人工細菌叢構成種以外の細菌がどの程度増えてくるのかを調べると、なんと100種類でも外部からの異なる細菌の侵入を防ぐ性質を持つ細菌叢が形成されている。しかし、おおよそ10%程度は、外来の細菌が増殖することから、100種類で形成させた細菌叢にもまだ空白のニッチが存在し、そこに他の細菌が入り込む余地があることを示している。

そこで新しく増えた種類の中から22種類の細菌を選び、100種類に加えたバージョン2細菌叢を形成させて無菌マウスに移植すると、さらに外来の菌を受け入れない人工細菌叢が形成される。

このバージョン2を移植されたマウスと、便中の全ての細菌を移植したマウスを比べると、免疫細胞や代謝状態でほとんど差はなく、人工細菌叢でも機能的には自然の細菌叢に匹敵すると言える。

最後に、病原性大腸菌が侵入したときの防御力についても調べ、増殖を100倍以上抑える力があることを示している。これは重要で、人工細菌叢なので、一部の細菌だけを欠損させることは自由に行える。その結果、大腸菌の抵抗性に関わる主要な菌を特定することにも成功している。 以上が結果で、私は細菌叢の複雑性の意味を問うための重要な一歩が示されたと思う。今後は、これまで評価が難しかったプロバイオやプレバイオの実験も、客観性と再現性がさらに備わってくるように思う

カテゴリ:論文ウォッチ

9月21日 腸内細菌叢のエコロジー:1、便移植のダイナミックス(9月15日 Nature Medicine オンライン掲載論文)

2022年9月21日
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腸内細菌叢研究が大きく飛躍したのは、次世代シークエンサーを用いて存在する細菌の種類を原理的には完璧にとられられる様になったからだ。最初、複雑な中にも特定の法則を抽出できるのではと研究が進んだが、結局存在する細菌の種類を決めるだけでは、なかなか決定的なことが言えないことがわかってきた。その結果、複雑な細菌叢の中でも重要な働きをしている細菌を特定して、その機能を深く追求する研究が、最も関心を引く分野になってきている。

それでも細菌叢の構成を決める法則性についての研究も続いている。というのも、例えば食品として摂取する細菌の動態を知る意味では、この方向の研究は欠かせない。そこで、最近発表されたこの方向性の研究を今日から2回に分けて紹介する。最初はドイツ ハイデルベルグにあるヨーロッパ分子生物学研究所からの論文で、便移植により導入された細菌叢とホストの細菌叢のダイナミックスを追いかけることで、細菌叢成立の法則を探った研究で、9月15日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Drivers and determinants of strain dynamics following fecal microbiota transplantation(便移植後の細菌種のダイナミックスを決めるドライバーと要因)」だ。

私のような素人にとって、移植した細菌に印がついていないのに、本当にホストとドナーの細菌叢のダイナミズムを把握できるのか、今も理解できているわけではないが、移植前のレシピエントとドナーの細菌叢を把握しておけば、統計学的には可能なようだ。いずれにせよ、膨大なデータで、図が複雑すぎて、本文のガイドがないと全く理解できないという状態なので、面白いと思った点を箇条書きにする。

  1. 便移植は、クロストリジウム感染症や、炎症性腸疾患の治療のために行われる。そして、全例ではないがかなりの確率で効果が見られることから、移植した細菌叢でレシピエント細菌叢が置き換わることが、治療効果だと考えられてきた。たしかに、クロストリジウム感染症では、ドナーの細菌叢への置き換わりが強く見られるが、それでも置き換わりの程度と、治療効果の相関はほとんどない。他の疾患ではこのことはもっと明らかで、単純にドナーにより置き換えられるので治療効果が得られているのではない。
  2. これまで、短鎖脂肪酸合成菌の拡大が、クロストリジウム感染症や炎症性腸疾患の成功と相関するとされてきたが、今回の1500例近い解析からは全く相関は見られなかった。
  3. 400近い変数を用いて推計学的に調べると、移植後の細菌叢の構成を予測できる要因のほとんどは、移植前のレシピエントの細菌叢の構成に依存しており、ドナーの細菌叢の構成の影響はほとんどない。クロストリジウム感染症でドナーの細菌叢への置き換わりがはっきりしているのは、感染症では細菌叢が正常から大きく変異している結果と考えられる。
  4. 一般的に健康的細菌叢は、変化しにくい恒常性を持っている。これは、いくつかのバクテリア種が、外からの細菌を排除するゲートキーパーの役割をしているからだが、ドナー側の同じ細菌がホストの菌の排除に関わることはほとんどない。
  5. ドナー側の細菌では、好気性菌は元々ホストで増殖しにくい。一方、ブチル合成菌やプロピオン酸合成菌は移植成功率が高い。
  6. 細菌種どうしで、ゲートキーパー菌との相性があり、相性が悪い菌は排除されやすい。
  7. 様々な変数を加えても、便移植の結果を予測する正確性は高くない。従って、便移植の結果を予測するためには、ウイルス、カビ、あるいはホストの免疫系など、さらに多くの要素を加えた機械学習が必要。

まだまだ紹介し切れていないと思うが、要するに細菌叢の構成を調べるだけでは、便移植の最終的なエコロジーと病気の治療効果は予測できないほど、細菌叢は複雑だという話になる。明日は、この複雑性をもう少し整理した人工細菌叢で代表させる話を紹介する。

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