ペーボさんのノーベル賞に私が感じる意義については既に述べた。ただ、古代人ゲノム解析のために、様々な遺伝子解析技術を集中させていったオーガナイザーとしてのペーボさんの役割もおおきい。その結果、人間だけでなく、動物についてもその歴史をある程度知ることが可能になってきた。そんな例がないかと探していたら、少し古いが今年の6月、アフリカのチンパンジーの歴史をゲノムから調べたスペイン・バルセロナ進化研究所からの論文を見つけた。著者の中にはペーボさんの進化人類学研究所も入っており、多くの研究者が集まって発表した力作だ。タイトルは「Population dynamics and genetic connectivity in recent chimpanzee history(最近のチンパンジーの歴史で起こった人口動態と遺伝的関係性)」だ。
アフリカのチンパンジーの国際的研究となると、当然、京大の霊長類研究所も加わって当然だと思っていたが、残念ながらこのようなゲノム研究には参加できていない。一つのスキャンダルの後始末と称して21世紀に最も重要な研究分野の芽が我が国では摘み取られたのではと心配になる。
この研究では、ガーナやコートジボアールといった西地域と、コンゴからウガンダにかけての東地域の828に上るチンパンジーのゲノムを特定し、それらの由来と地域間の交雑を調べている。
といっても、チンパンジーを捕獲して血液を抜くと行った介入ではなく、ひたすら個体の糞を集め、その中に腸から落ちてきたゲノムを集めて解析している。勿論十分なゲノムを集められる可能性は低いので、小さい染色体である21番染色体ゲノムに絞って解読している。
糞から DNA を採取する方法は既に行われているが、チンパンジーの場合サルを襲って食べるため、その DNA の量が、自分の細胞の量を凌駕する可能性がある。このため、チンパンジー21番染色体ゲノムだけをキャプチャーする方法を用いている(これも古代人ゲノム解析では馴染みの方法だ)。
こうして、それぞれの地域で暮らすチンパンジーのゲノムが解読されると、それぞれの歴史や人口動態などが明らかになってくる。その結果、
- 人類と同じで、60万年から20万年にかけてアフリカのチンパンジーは大きく東西に分離し、ギニアやガーナ地域の西部地域(W)、カメルーンナイジェリア地域(CN)、コンゴ、ガボンを含む中央地域(CT)、そしてウガンダ、ルアンダ、タンザニアの東地域(E)に分離している。
- 歴史を探ると、コンゴ地域でボノボと別れた後、西へ移動したグループが W と CN へと分離、ボノボとの交雑はこの時期に起こっている。東の集団は100万年以降、CT が東へ移動して E が形成されている。それぞれの地域での交雑は少なく、特に W 集団は完全に分離している。以上のことから、基本的には地理的な距離によって種の固定が進んでいると言える。
- この動態は、それぞれの地域を代表する希な変異を用いても解析できる。この方法を用いると、各国の動物園のチンパンジーの由来も、体毛の DNA から特定できる。
- 象と比べるとチンパンジーの移動距離は200km以下と少ない。これが人類との大きな違いで、文化の交換に基づく多様性が生まれなかった。その中でも、西地域では地域内での交雑頻度が高く、この地域のチンパンジーの文化の多様性の基礎となっている。
結果は以上だが、ここで語られたチンパンジーの歴史は、まさにネアンデルタール人と現生人類が分かれてからの歴史と重なる。この研究で始まった交流の歴史解析を人類と比べることがいかに我々自身の理解に貢献するかは、語るまでもないだろう。ゲノムの21世紀的意義がよくわかる。