今、病院で働いている人たちには信じれないだろうが、私が病院で働いていた1970年代では、ガンの告知を行うことは希だった。ではどうしていたのかというと、代わりの病名をでっち上げて本人には告げてきた。肺ガンの場合は、もっぱら真菌症という名前を利用していたが、「告知しない=欺す」ことなので、今から考えると医師と患者の関係がいかにゆがんでいたかがわかる。勿論、患者さんが治ってしまえば問題は起こらない。実際、私の義理の父親も、ファーター乳頭ガンを手術して、何も知らずに10年以上生きた。ただ、病気が悪化してくると、欺し続けることは簡単ではない。臨床をやめた後何年も、病室に行ったとき患者さんから本当の病名はと聞かれる夢や、病室に入るのをためらう夢を何度も見た。
そんな私に、ガンと真菌という一種の懐かしさを感じさせてくれたタイトルを持つ論文が、デューク大学から9月29日号の Cell に発表されていたので紹介することにした。タイトルは「A pan-cancer mycobiome analysis reveals fungal involvement in gastrointestinal and lung tumors(ガン横断的真菌解析はカビが消化管や肺がんの発生に関わる可能性を明らかにした)」だ。
研究では最初から真菌がガンの進展に関わる可能性があると当たりをつけて研究を始めている。膨大なガンゲノムデータベースには、ガン組織に存在する全ての DNA 配列が記録されており、当然ガンや周りの細胞の DNA だけでなく、ガンの中に侵入したバクテリアや真菌の DNA も混入している。この研究では、データベースの DNA 配列の中から、真菌 DNA の配列を抽出する情報処理方法を開発し、いくつかのガン組織内に実際に存在する真菌を特定することに成功している。
実際には、この目的のための情報処理がこの研究のハイライトで、様々な理由でデータベースに紛れ込んだ配列を除くことがいかに困難か論文に書かれている。事実消化管のガンの場合、真菌 DNA として判断された配列のうち、なんと97.3%が紛れ込み DNA として排除され、残るのは3%弱になる。ちょっと古代人ゲノムを調べるのと似ているが、古代人ゲノムをキャプチャーするポジティブセレクションではなく、全てネガティブセレクションになる。
こうしてガン組織特異的な真菌の存在を探ると、頭頸部ガンから大腸ガンにかけての消化管に発生するガン、肺ガン、乳ガンに、それぞれ特異的な真菌の存在が特定できる。
問題は、真菌の存在とガンの進展との関係になるが、これについては、頭頸部ガン、胃ガン、大腸ガンの遺伝子発現や、真菌との相関を調べ、
- 消化管のガンの場合、出芽酵母の量がスタンダードになり、これとの比で見たときの Candida の量でガンを分類できる。
- 頭頸部ガン、胃ガンでは Candida の存在は、上皮の接着分子の低下、炎症分子の上昇、ガン抑制遺伝子の発現低下など、ガンの悪性化に関わる遺伝子が上昇する。
- その結果、頭頸部ガン、胃ガンでは Candida の存在は、予後不良の指標になる。
- 一方、大腸ガンでは Candida の量と、予後とはほとんど相関がない。また炎症性のサイトカインもCandida により上昇する傾向はない。
以上が主な結果で、ネガティブセレクションという大変な情報処理を行ったことは評価できるが、この相関が原因か結果かなどほとんどわかっておらず、ちょっと消化不良だ。しかし、ガンと真菌が相関していたことを知ると、医者時代に看取ったガン患者さんの顔が浮かんできた。何十年たっても、顔と名前は忘れない。