昨日は、TCA サイクル活性化の結果合成されるイタコン酸が NRF2 の転写を介して炎症を抑え、グルココルチコイドの作用も実はこの経路を上昇させることで発揮されていることを示した、ドイツ・エアランゲン-ニュルンベルグ大学からの論文を紹介した。このように、代謝経路から発生する様々なメタボライトの影響は想像以上に大きい。
おそらく一般の人にもよく知られている例は、アルコール代謝によるアセトアルデヒドで、アルデヒド処理酵素が欠損している人では、悪酔いするだけでなく、DNA が修飾を受けて変異が入りやすくなったり、あるいはタンパク質のアセチル化により分解が促進されたりして、結果として食道ガンが発生しやすくなる。
今日紹介する国立シンガポール大学からの論文は、糖代謝産物として発生するグリオキサールがガン抑制遺伝子 BRCA2 の分解を誘導して DNA 修復異常、そしてそれに続くガン発生が起こりうることを示した研究で、4月11日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「A glycolytic metabolite bypasses ‘‘two-hit’’ tumor suppression by BRCA2(解糖系からの代謝物が BRCA2 によるガン抑制2ヒット経路をバイパスする)」だ。
このグループはこれまでアルデヒドなどの代謝物がガン抑制分子の分解を促進することについて研究しており、この論文もその延長線上にある。BRCA2 が欠損すると DNA 修復異常で遺伝子変異が起こりやすくなり、結果ガンが発生することが知られている。通常ガン抑制遺伝子の場合、片方の染色体の異常だけでは機能は維持されるが、もう片方の染色体でも変異が起こると、機能喪失になり、これを LOH (loss of heterozygosity)と呼んでいる。ところが、ゲノム研究が進み、LOH がなくてもガンの進展が見られるケースが知られるようになった。このグループは、このようなケースは、遺伝的欠損ではなく、BRCA2 分子のタンパク質レベルでの機能異常があるのではと考えた。
そこで、片方、あるいは両方の染色体で BRCA2 の変異があるマウスに、膵臓ガンを誘発する RAS 変異と p53 変異を導入し、BRCA2 欠損で起こる遺伝子修復異常の出方を調べると、ヘテロもホモも同じような修復異常による遺伝子変異が見られることを発見した。すなわち、片方の染色体の BRCA2 が正常でも、発ガン過程でタンパク質レベルで機能が欠損していることがわかった。
そして、この原因として発ガン過程で発現する変異 RAS により高まったグルコースから乳酸への解糖過程で合成が高まる副産物、メチルグリオキサール(MGO)が BRCA2 と結合すると BRCA2 が分解されることを発見する。すなわち、LOH がなくても解糖系から MGO が発生すると、BRCA2 欠損と同じ状況が作られることを明らかにした。
これがこの研究のハイライトで、あとはグリオキサール除去経路が欠損すると、DNA 修復が働かなくなること、そして人間の乳腺上皮オルガノイド培養を用いて、グリオキサールに長期的に暴露されることで、遺伝子修復異常に基づく突然変異の蓄積が起こることを明らかにしている。
結果は以上で、この論文を読んで糖尿病など高グルコースの持続が膵臓ガンリスクになる原因がよく理解できた。実際、MGO は高グルコースを反映するヘモグロビンの変化(A1c)の原因として知られており、同じことが膵臓内で BRCA2 でも持続的に起こっていたとすると、これは大変だ。
この研究が教えるもう一つ重要な点は、BRCA2 といったガン抑制遺伝子、あるいはガン遺伝子として知られている遺伝子の変異だけを見たのでは発ガンの把握はわからないことだ。この論文の場合、RAS 変異による解糖系の活性化が、BRCA2 分解を誘導する相互作用が起こっているし、さらにこの経路に関わる代謝系の遺伝子はすべて発ガンに関わることになる。このような総合的視点で患者さんのゲノムを解析していくことの重要性を理解できるいい論文だと思う。