2024年4月30日
ビタミンDが免疫を高めるという話はよく耳にするが、ビタミンD (VitD) は核内受容体に結合して様々な分子の転写を誘導することを考えると、別に不思議はないと思っていた。しかし、本当はもっと複雑なメカニズムが介在しているようだ。
今日紹介する英国フランシス・クリック研究所とCancer Research UKからの論文は、VitD は確かにガン免疫を増強するが、これは腸内上皮に対する作用の結果、Bacterioides fragilis と呼ばれる細菌が腸内で増える結果、ガン免疫が増強されるという、大変複雑なメカニズムを示した研究で、4月26日号Science に掲載された。タイトルは「Vitamin D regulates microbiome-dependent cancer immunity(ビタミンDは細菌叢依存性のガン免疫を調節する)」だ。
VitD は血中で Group Specific Component(Gc) と呼ばれるタンパク質と結合し、各組織に運ばれるが、この分子が欠損してもマウスの骨形成は維持されるため、主に VitD が直接細胞に吸収されないよう、バッファーの働きを持っていると考えられている。また他にも、死細胞から放出されたアクチンを処理する機能もあると考えられてきた。
この研究では Gc のガン免疫機能への役割が調べられ、ノックアウトマウスにガンを移植すると、正常マウスと比べ強くガンの増殖が抑えられることを発見する。また、これらの抑制が CD8 キラー細胞の増強によるもので、PD-1 や CTLA4 に対する抗体治療を高めることも明らかにしている。
この研究のハイライトは、Gcノックアウトマウスと正常マウスを同じケージで飼育すると、Gcノックアウトマウスのガン抑制機能が移行することで、便移植でもガン免疫増強作用を移行させられることから、Gc欠損が腸内細菌叢を変化させ、これがガン免疫機能を増強していることを明らかにする。
次にこの現象に VitD は関与しているのか、ノックアウトマウスを VitD 欠乏食で飼育して調べると、ガン抑制効果が失われ、また正常マウスでも高い濃度の VitD を摂取させることでガン抑制作用が上昇することから、VitD がこの現象に関与していること、そして Gc がないと VitD がバッファーされずに直接組織に吸収されるため、結果として高濃度の VitD 摂取と同じ効果があることが明らかになる。
以上から、最終的な VitD の効果は細菌叢を介することから、おそらく細菌叢に近い腸管上皮にまず働きかけ、それが細菌叢の変化を誘導するのではと考え、腸上皮特異的に VitD 受容体をノックアウトしたマウスを作成して調べている。期待通り上にに対する VitD の作用が失われると、高濃度の VitD を摂取させても、ガン免疫は増強されない。
次に、VitD で上皮が刺激されることで起こる細菌叢の変化を様々なフィルターをかけて調べていくと、最終的に Bacterioides fragilis のみ腸内で増加していることを発見する。そして、この菌を正常食で飼育した正常マウスに移植すると、ガン抑制効果が誘導され、この効果は VitD 欠損食で失われることを明らかにしている。
以上、Gc 欠損マウスから始まって、VitD が上皮に働くと腸内環境が変化し、Bacterioides fragilis の増加が可能になり、それが免疫系に働いてガン免疫を増強するという話だ。重要なのは正常マウスに Bacterioides fragilis を感染させてもガン免疫が増強することで、人間でも確認されると面白い。人間のデータベースから VitD 受容体の高い患者さんはガンでの生存確率が高いことや、VitD の低い人のガン発生率の上昇などを示しているが、マウスの結果を反映したものではなく、臨床研究が必要だろう。いずれにせよ、血中カルシウム濃度を上昇させない程度の VitD 摂取は発ガン抑制には効きそうだ。
2024年4月29日
オルガノイド培養は今や様々な臓器に拡大して、これまで実験動物でしかできなかった様々な研究が可能になっている。例えば昨年6月に紹介したように、人間の胃のオルガノイド培養を2年間も維持して、胃ガン発生過程を試験管内で再現した研究には(https://aasj.jp/news/watch/22309)本当に驚いた。
しかし細胞の自己組織化に基づくオルガノイド培養は、実際の組織を完全に反映できていないという批判が続いていた。培養という人工的な技術なら当然の話だが、それを少しでも現実の組織に近づけようとする試みが進んでいる。
今日紹介するスイス・ローザンヌ工科大学からの論文は、ハイドロゲルをデザインし、そこに腸管上皮を並べるミニコロンと呼ぶ培養方法を開発し、single cell level で発ガン過程を追跡できるだけでなく、そこでの細胞の活動が、一般的なオルガノイドより遙かに正常組織に近いことを示した研究で、4月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Spatiotemporally resolved colorectal oncogenesis in mini-colons ex vivo(ミニコロンを用いて空間・時間的に展開した大腸直腸ガン発生過程)」だ。
ミニコロンの作成方法については2020年6月号の Nature に同じグループが発表しており、ハイドロゲルをデザインして、クリプトを持つ腸管をマイクロフルイディックスの中に再構成したシステムで、クリプトには幹細胞と増殖する Transit amplifying population からできている。ただ、絨毛様構造は存在しない。私の説明ではわかりにくいと思うので、百聞は一見にしかず、オープンアクセス論文に掲載されている図1(https://www.nature.com/articles/s41586-024-07330-2/figures/1)を見てイメージをつかんでほしい。
こうして作成した腸管モデルは、1)長期間培養維持が可能、2)幹細胞から分化細胞がリクルートされる幹細胞システムが維持され、3)すべての細胞でのイベントを測定し、また操作可能である、という特徴を有している。
今回はこのモデルを発ガン過程の解明に用いている。光で活性化できる Cre を使って単一細胞レベルで遺伝子の誘導や除去を行う方法を用いて、直腸大腸ガンの発生に必須の Kras 変異、APC 除去、および p53除去を同時に誘導すると、まず細胞の剥離と細胞死が起こり、その後ポリープ様の増殖を示す細胞から、ガンが発生し、結果としてミニコロンの構造が破壊されることを、顕微鏡下で完全に捉えている。さらに、Apc、K-ras、p53 それぞれの遺伝子を別々に誘導または除去する実験から、3つが同時に存在する時にガン性の増殖が起こることを示している。驚くのは、3種類の遺伝条件が同時にそろったとき、細胞の急速な増殖が始まるので、光照射後5日という極めて短いタイミングでみられる点で、異常増殖という観点であれば、ガン化の過程を極めて圧縮して研究できることになる。
ミニコロン由来のガンを、普通のオルガノイドやマウス体内でガン遺伝子セットを誘導したガン細胞とも比較している。まず、普通のオルガノイドで誘導したガン細胞は、増殖因子を培養に加えないと増殖できないが、ミニコロンや体内で誘導したガン細胞では、基本培地のみでガン細胞は増殖できる。
この違いを single cell RNA sequencing で調べると、マウス体内で誘導したガンに匹敵するぐらいのガン細胞多様性をミニコロンは維持する結果、増殖因子を自ら供給できる階層的なガン組織が形成され基本培地だけで増殖できることを明らかにしている。
Single cell RNA sequencing 解析から、ガン組織を形成する幹細胞は活性酸素による細胞死を抑制する GPX2 の発現が強いことが示されたので、この機能を抑制する thiopronin を管腔とは反対の基底膜側から処理すると、ガン性増殖を抑えることができる。
また、大腸ガンの増殖を促進することが知られている細菌叢による胆汁酸代謝物 deoxycholate を管腔側から供すると、ミニコロンでのガン増殖が促進されるが、そこに同じく細菌叢由来のブチル酸を加えるとガン増殖を抑制できることを示し、このミニコロンが様々な用途に使えることを示している。
以上が結果で、2020年に開発されたミニコロンが発ガン過程の解析に有用であることを示し、通常のオルガノイドに代わる方法としてもっと普及させたいと強い意志を述べている。私は自己組織化に頼る方向から人工デザインへという流れは当然だと思っている。
2024年4月28日
騒音は物理的刺激と同時に脳を介する精神的刺激にも転換される。そのため、単純に暴露される音の量で量ることは難しい。これまでも騒音が鳥の生態に及ぼす作用については研究されてきたが、音そのものの質と量が及ぼす影響を調べた研究は多くなかった。
今日紹介するオーストラリアDeakin大学からの論文は、交通騒音の鳥の生態と言うより、生理や生殖に及ぼす影響を調べた研究で、4月24日 Science に掲載された。タイトルは「Pre- and postnatal noise directly impairs avian development, with fitness consequences(ふ化前とふ化後の騒音は鳥の発生に影響して適応を低下させる)」だ。
実験は簡単だけに、説得力は大きい。まず、母親への影響を避けるために、ふ化後常に親を必要としないオーストラリア・フィンチの卵と雛を使って実験している。すなわち、騒音に晒すときには、親はほかの足に映す。
騒音だが、65dbの録音した交通騒音と母親の声を用意している。ふ化前5日間、ふ化後5日間をセットにして、それぞれの録音を4種類の組み合わせで夜通しきかせ、その結果を調べている。この研究のすごいのは、効果を2年後、4年後に実験した個体から生まれた健康な子孫の数で評価している点だ。すなわちまさに進化でのフィットネス、生殖優位性ををテストしている。
結果だが、産む卵の数は交通騒音でも、母親の声でもほとんど違いはない。しかし、卵から正常にふ化する子孫の数となると、ふ化前、ふ化後いずれの場合も交通騒音を聞かせたときは数が減少する。効果としてはふ化前の方が影響大きく、ふ化前、ふ化後両方に交通騒音でさらすと、正常数の半分を切っている。
面白いのは、全く音を聞かさずにふ化前ふ化後5日間過ごした場合も、親の声を聞かせた場合と比べると少しふ化確率が低下することで、ただの音圧ではなく、脳を通した音の影響を調べていることがわかる。
この差の原因を調べる目的で、今度は音を聞かせた個体自体の身体について調べると、騒音を聞かせたグループの初期の成長が抑えられる。ただ、この低下は40日間の間に正常に追いつくことができる。ただ、音を聞かせた個体の血液で調べる、テロメアの長さや、ヘマトクリットは騒音で低下し、さらに40日間でもこの異常はそのまま持続する。
以上が結果で、残念ながらメカニズムは全くわからない。いずれにせよ、ただの音圧で異常が起こるわけではないので、今後脳の認識機構を含めて面白い研究に発展する可能性がある。もちろん世の中への警告としては十分だと思う。
2024年4月27日
ガンの分子標的治療に期待が集まるのは、薬剤がガン細胞だけに作用して副作用が抑えられると期待できるからだ。そのため、多くの標的薬はガン・ドライバーとして働く変異型に特異的化合物を目指している。ところが最近になって、ガン特異的変異分子を標的にしなくても、ミスマッチ変異修復機構が欠損して、ゲノムの不安定化が生じているガンを殺す可能性が報告された。2019年 Nature に掲載された論文で、DNA複製時におこる塩基のミスマッチが修復できないガンが、WRNヘリカーゼに強く依存しているという発見に基づいている。すなわち、WRN遺伝子をノックアウトすると、ミスマッチ修復がうまくいかずに microsatellite instability (MSI) が見られるガンだけが殺される。
MSI は大腸ガン胃ガンの2割程度に見られることから、WRN の機能をブロックする化合物ができれば、MSI を示すガンを殺せることが期待できる。今日紹介するスイスのノバルティス生物医学研究所からの論文は、経口摂取可能なWRN阻害剤を開発についての論文で、4月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Discovery of WRN inhibitor HRO761 with synthetic lethality in MSI cancers(MSI ガンの合成的致死性を誘導する WRN阻害剤 HRO761 の発見)」だ。
WRN はヘリカーゼとしてだけでなく、様々な機能を持つことが知られている。ただ、MSI を示すガンを守る役割はもっぱらヘリカーゼ機能にあることが知られているので、ヘリカーゼ機能に必須の ATPase 活性を阻害する化合物をスクリーニングし、15万種類の中から一つだけ期待する阻害活性を示したリード化合物を特定する。後は、様々な修飾を加えて、脂質への親和性を高め、3回の修飾を経て、大きな分子量ではあるが、経口摂取可能な化合物 HRO761 を開発する。
こうしてできた化合物と WRN分子の構造解析を行うと、HRO761 が結合することでタンパク質の構造が変化してしまい、ヘリカーゼ機能が阻害されること、さらに727番目のシステインと共有結合するタイプの阻害剤であることが明らかになった。
同じ号の Nature にカリフォルニアの創薬ベンチャー Vividion Therapeutics が、WRN阻害化合物を探索し WRN阻害化合物 VVD133214 開発についての論文を発表している。重複するので詳細は省くが、この研究は最初からシスティンと共有結合する阻害化合物に絞って探索している。Ras12C変異を阻害するアムジェンの化合物もそうだが、最初からシステインとの共有結合できる化合物を狙うという創薬方法がはやってきているように感じる。
話を HRO761 に戻すと、WRN遺伝子ノックアウト、ノックダウン実験で見られた同じ効果、すなわち MSI を示すミスマッチ修復異常を示すガン細胞のみを殺す作用がある。そして作用の背景にはミスマッチ修復異常の効果が代償されることなくそのまま出てしまう、すなわち DNA切断が起こり、細胞周期が停止するが、このとき p53 が全く関与しないのが特徴になる。
後は様々なガン細胞株を移植したモデルで治療実験を行い、期待通り MSI を示すガンであれば原発を問わず、殺すことを示している。
最後に、ヘリカーゼにより DNAのらせん構造がほどけることで生じるストレスを和らげる酵素、トポイソメラーゼを阻害するイリノテカンと併用することで、理論通りより高い効果を示すことも明らかにしている。
以上が結果で、マウスの実験で投与量が120mg/Kgとかなりの量が必要なので、人間でも本当に大丈夫かなという気はするが、新しいメカニズムの抗がん剤として成功する可能性はあるとおもう。
2024年4月26日
古代ゲノムの研究は、おそらく研究人口が少なかったことから、最初はネアンデルタール人やデニソーワ人が暮らしていた時代に集中していたように思うが、急速に研究人口が広がり、多くの研究が我々ホモサピエンスの歴史を扱うようになっている。そのおかげで、例えば、異物や骨だけからは結局推察に過ぎなかったインドヨーロッパ語の起源なども、かなりの説得力でわかるようになってきた。
今日紹介する古代ゲノム研究のメッカ、ライプチヒのマックスプランク人類進化学研究所を中心とするドイツとハンガリーからの論文で、このブログでも一度紹介したことのある、東アジアから東ヨーロッパに移動し紀元6世紀から8世紀にかけて存在したAvar民族(https://aasj.jp/news/watch/19476)の墳墓から発見された何百もの骨から採取したDNAを解析し、家族・社会構造を明らかにした研究で、4月24日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities(大きな家系のネットワークからAvar民族の社会慣行が明らかになる)」だ。
この研究のすごいのは、ハンガリーで発見されたAvar民族の4つの墳墓から出土した424体の骨からDNA を採取し、平均2カバレージのゲノム解読を行ったことで、古代ゲノムだと考えると大変な仕事だ。これにより、血縁関係の特定できる世代を超えた家族を集めることができ、婚姻を中心に社会や家族のルールを明らかにすることができる。
また、異なる地域の墓に埋葬された個体に血縁関係があるかを調べることで、Avar族の家族間のつながりを調べることができる。繰り返すが、すべて400人以上の個体を調べて初めて得られる結果で、これがどのぐらいの実験量なのか私には知るよしもない。
一番大きな集団は Rákóczifalva から出土した202人からなる家族で、これまで調べられた他の遊牧民族と同じで、完全に父系家族構成になっている。さらに、近親間の婚姻の後が全く認められないことから、母親はすべて他の家族に由来している。事実、母親として特定されたすべての個体は、同じ場所に父親が発見されない。
子供のゲノムと、父母のゲノムを対応させることで、一夫多妻であったこともわかる。2人から4人の妻と家族が形成されている。また、おそらく夫が死亡した場合、その兄弟と女性が結婚することも頻繁に行われていた証拠が見つかっている。
次に4つの地域に埋葬されている個体間の血縁関係を調べると、男性では地域間の移動は全く見られないが、女性では地域間の関係を認めることができることから、各地域や異なる家族は、嫁を迎える関係でつながっていたことがわかる。
このような家族関係については、他の研究も存在するが、200年という短い期間東ヨーロッパに存在したAvar族では、東ヨーロッパの移動時期から、消滅するまでを一つの家族で世代を追いかけて調べることができる。特に、父系を追跡すると、それまで同じように存在していたいくつかの家系の中から一つの家系が優勢になる歴史の転換点を特定できる。その転換点とは、なんと一人の女性が家系1から、家系2へと移ったタイミングで、家系1が途切れるポイントで、おそらく何らかの政治的変化の結果と考えられる。
あとは、Avar民族がアジア由来で、ヨーロッパとの交雑は2割程度と高くなかったこと、ストロンチウムアイソトープから、長距離の移動は行っていないこと、家系によっては一部のメンバーが雑穀のような穀物を多く摂取していたこと、などを示している。本当にいろんなことがわかるということが実感される論文だが、我が国の歴史ももっともっとゲノム科学の光を当てる必要があると思う。
2024年4月25日
アストロサイトは神経活動の支持細胞として神経回路の維持に関わるとされてきたが、シナプスを囲むように神経と接して、そこで分泌される神経伝達物質に反応することで、伝達物質の取り込みや、血管の制御による酸素供給、そしてシナプスの可塑性調節など複雑な機能を持つことが徐々に明らかになってきた。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、脳スライスや生体脳の Caイメージングを用いて、アストロサイトのグルタミン酸や GABA に対する反応とともに、反応の伝搬について詳細に観察した研究で、4月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Network-level encoding of local neurotransmitters in cortical astrocytes(脳皮質アストロサイトでの局所神経伝達物質のネットワークレベルのエンコーディング)」だ。
アストロサイトがシナプスで分泌されるグルタミン酸や GABA に対する受容体を発現しており、これが刺激されると神経のようにチャンネル開放による膜電位の変化は起こさないが、Gタンパク質活性化、IP3の合成を介して細胞内で貯蔵されていたカルシウムが細胞質に放出されることで、一種の興奮状態を誘導できる。これまで、アストロサイトの興奮は、細胞や脳スライス全体に伝達因子を加える実験で調べられてきたが、この研究ではレーザーを当てた場所だけで刺激物質が活性化される「ケージ化合物活性化」と呼ばれる方法を用いて、アストロサイトを局所的に刺激し、細胞内のカルシウム放出をカルシウムセンサーを用いて追跡している。
伝達因子に対する神経の反応は大体ミリ秒単位の反応だが、アストロサイトの場合、100秒以上続く細胞内カルシウム上昇を観察することができる。そして、グルタミン酸受容体刺激の方が GABA 受容体刺激より強い反応が起こる。脳スライス培養でこれを確認した後、実際の脳で同じことが起こることをマウス脳のイメージングで確認している。脳内で、刺激場所からカルシウム放出が方向性を持って細胞内を広がる写真は感動ものだ。
次に、細胞上の局所刺激が、細胞を超えて周りの細胞へと伝搬する過程を追跡している。刺激されると150秒の間にほぼ200ミクロンに存在する細胞に興奮が伝搬する。すなわち、同じような細胞内カルシウム放出が他の細胞でも誘導される。この伝搬も神経とは全く異なり、細胞間にできた GAP 結合を通ってカルシウムや IP3 が伝達されるためで、この結合を切ると伝搬は強く抑制される。
最後に、グルタミン酸刺激と GABA 刺激でのシグナル伝搬の様式について調べ、強い反応を誘導するグルタミン酸刺激は、周りの細胞の興奮レベルを全般的に上昇させるとともに、強く反応する細胞が順番にシグナルを伝える一方、GABA 刺激では周りの細胞全体の反応性は上がるが、強く反応した細胞が現れてシグナルを伝達する様式は見られないことを明らかにしている。
以上が結果で、これらの結果がシナプスの可塑性維持にどう関わるのかなど機能的な面はわからない。しかし、シナプスでの神経刺激が数百ミリ秒続いた後、同じ刺激がアストロサイトの興奮として200秒近く維持されることは、神経伝達の重み付けにはかなり重要な働きをしているように感じる。このようにゆっくりした反応を組み合わせることで、脳回路の省エネも実現しているのだろう。これにさらに血管の制御が加わるとなると、アストロサイトの機能は、人工知能研究にとっても鍵になるかもしれない。
2024年4月24日
男女差はないと困る領域と、ない方がよい領域に分かれる。阪大の林さんたちが示したように、幹細胞工学の粋を極めれば、オスだけから個体を作ることは可能だが、作った個体の発生にはメスの体が必要になる。すなわち、性や生殖は男女差が必須の課程といえる。一方、X染色体の不活化が起こる巧妙な過程を見ると、多くの生命過程では男女差をなくす方向に進む。その究極が、20世紀に進んだ男女差別をなくす社会レベルの取り組みといえる。
ただ、どれほど男女差をなくす方向にシステムが進化していっても、制御しきれないほころびが残る。これが、例えば病気の男女差として現れてくる。この前のCovid-19パンデミックで、男性の方が重症化しやすかったのは典型的な例だ。
今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、皮膚の樹状細胞ネットワークの男女差が発生するメカニズムについての研究で、比較的古典的な研究だが、免疫系で残る男女差の複雑性を知ることができた。タイトルは「Sexual dimorphism in skin immunity is mediated by an androgen-ILC2-dendritic cell axis(皮膚免疫の性差はアンドロゲン、ILC、樹状細胞を核に維持される)」で、4月12日号 Science に掲載された。
免疫の男女差についての研究は数限りなく発表されてきたので、何を今更と思って読み始めたが、マウスでもわかっているようでわかっていないことがまずわかる。まず驚いたのが、皮膚、肺、腸といわゆる体の外側と上皮で接している組織で、様々なタイプのリンパ球の数を雄雌で比較すると、皮膚や肺では大きく変動しているのに、腸ではほとんど男女差がない点だ。
さらに驚いたのが、細菌叢への反応が雄雌の差に関わるのではと、無菌マウスで調べると、肺でのリンパ球の数の差が消失する点だ。なぜここまで各臓器で差が出るのか不思議だ。特に、細菌叢が男女差を形成している肺で何が起こっているのか是非知りたいところだが、この研究ではこれ以上の追及は行われていない。
結局、体本来の仕組みによる違いとして、皮膚の免疫システムが残り、この性差のメカニズムが追求されている。結果は割と単純で、実験の順番にこだわらず答えをまとめると次のようになる。
まず性差の最終結果は、樹状細胞のネットワークの密度として反映されている。すなわち、女性の方が密度が高く、免疫反応を促進する体制になっている。
この差を生み出すのは、エストロゲンではなくアンドロゲンで、アンドロゲンのレベルが低下するとオスでもメス型の樹状細胞ネットワークに発展する。他の組織でアンドロゲンの差が見られない理由については、皮膚ケラチノサイトがアンドロゲンを合成しているので、この結果全身のアンドロゲンレベルの差が強く皮膚では見られると説明している。
アンドロゲンが働くのは、リンパ組織や炎症の核として働く2型 innate lymphoid cell(ILC2) で、アンドロゲンの作用により ILC2 が分泌する GM-CSF が押さえられ、結果樹状細胞ネットワークの形成が押すでは押さえられるというシナリオになる。
結果は以上で、研究としては古典的な研究で、納得して終わるのだが、いろんな連想を誘発する。特に面白いのは、皮膚だけでアンドロゲンの差が生まれる点で、元々性差は皮膚で表現されることを考えると、アンドロゲンがケラチノサイトで発現されて、アンドロゲンへの感度を上げる必要があった名残かもしれない。また、GM-CSFは 欠損すると肺胞蛋白症の原因になるが、皮膚で樹状細胞ネットワーク形成の主役になっていることも、気になる点だ。性差の研究はこれからも面白い分野として続くと思う。
2024年4月23日
今日で脳神経系の論文紹介4日目になるが、しかし間違いなく21世紀の脳科学は面白い。医学部のピカピカの1年生に入学式の翌日に講義したが、感想文でも脳科学を研究したいという学生が多かった。そんな雰囲気を感じているのだろう。
さて、Research Gate に公開されている図(https://www.researchgate.net/figure/Layer-2-3-pyramidal-cells-Layer-3-pyramidal-cells-are-summarized-in-this-cartoon-blue_fig6_23449476)を見てほしい。ここには大脳皮質に並ぶ錐体細胞と呼ばれる興奮神経が図示されている。錐体細胞は一本の長い軸索(図では下の方に走る線)で遠隔にある標的と結合しているが、樹状突起と呼ばれる短い突起を出して局所の錐体細胞同士がつながっている。この層内錐体神経同士のシナプス結合を正確に把握するには、細胞膜の活動を記録するパッチクランプ法を用いることが必要で、これまでマウスの脳自体、あるいは切り出した脳組織を用いて回路の性質が解析されてきた。そして、2/3 層内の錐体神経同士は相互的に結合する円環構造を形成していることが知られていた。
今日紹介するベルリン・シャリテ病院からの論文は、てんかんや脳腫瘍での外科手術の機会を捉え、切除された組織で病巣から離れた場所の皮質 2/3 層のシナプス結合を8本のパッチクランプ電極で記録し、それぞれの結合性のルールを調べた研究で、4月19日号 Science に掲載された。タイトルは「Directed and acyclic synaptic connectivity in the human layer 2-3 cortical microcircuit(人間の皮質 2/3 層に見られる一方向性で回帰性がないシナプス接合性)」だ。
一つの神経を刺激したとき、8−10本のパッチクランプ電極を用いて同時記録したこ異なる細胞から活動を比較することで、神経の結合性を探索している。例えば、一つのシナプスの反応が他のシナプスの反応と同期していた場合は、結合があることになる。異なる細胞を刺激してそれぞれの神経反応記録を繰り返せば、結合の方向性、再帰性などが明らかになる。
この研究の最も重要な発見は、人間の皮質 2/3 層では錐体神経同士が相互結合している確率が極めて低いことで、9割近い結合は一方向性になっている。さらに、一方向性が繋がって最終的に元に返るという回帰性もほとんどない。また、錐体神経同士の結合は解剖学的に近いほど強く、離れるほど結合性が低下する。
このような特徴を持つ神経回路をコンピュータシュミレーションして、相互結合が強く、再規制の強いマウス型の回路と、人間型の回路のニューラルネットとしてのキャパシティーを調べると、人間型の方がネットワーク空間が格段に拡大し、機械学習の制度が格段に上昇することを示している。
実際のネットワークは数種類の抑制神経細胞が複雑に絡み合っているので、完全なシュミレーションは難しいが、これまでわかっている様々なデータを元に、ネットワークの重み付けが行われるように計算しているが、同じ条件でネットワークの相互性がない方が遙かに強い重み付けが可能になることが示された。
素人目に見ると、現在使われている深層ニューラルネットワークは、奇しくも人間と同じということになるが、とすると今後新しいニューラルネットを考えるとき、単純にフィードバックや再帰性を付与すればよいという話ではなくなるようだ。
今後、さらに効率がよいエネルギーエフィシエントなネットワークの構築を考えるとき、このような動物や人間の回路を詳しく検討することが重要になる。おそらく重要な問いは、一見キャパシティーの低い相互性の高いニューラルネットをなぜ多くの動物が維持しているのか、そのメリット何かだ。さらに、ニューラルネットの相互性を排除する進化がどのように進んだのかも面白い。いずれにせよ、実際の脳回路とニューラルネットの比較研究はますます盛んになると思う。
2024年4月22日
BMP、Wnt、 Shhと単語を示されても一般の人には何のことかわからないと思うが、これらは私たちの体が作られる発生過程で、細胞の増殖や分化、そして形態までも支持するシグナル分子の中心に存在するファミリー分子だ。当然、脳の発生にもこれらシグナルは中心的役割を演じており、例えば神経管の背側と腹側から分泌される BMPとShh は神経管内の領域を決めていることが知られている。ところが、個体発生が完成後のこれら分子の役割については解析が進んでいない。
今日紹介するスイス・バーゼル大学からの論文は、完成した脳での BMPシグナルの機能も存在するはずだと検討し、抑制性神経のシナプス結合を調節している可能性を示した研究で、4月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Control of neuronal excitation–inhibition balance by BMP–SMAD1 signalling(神経の興奮と抑制のバランスは BMP-SMAD シグナルにより調節されている)」だ。
以前から様々な BMP が脳神経系で発現していることは知られていたようだ。この研究では BMP2、BMP4、 BMP6、 BMP7の4種類に絞って脳内での発現を調べ、BMP2がグルタミン酸作動性興奮神経で強く発現していることを特定している。また、BMP2が働きかける側の分子がパルボアルブミン(PV)を発現する抑制性神経に発現していることも明らかにしている。
次に、BMP2が脳内の刺激に依存して発現しているのか調べる目的で、BMP2を発現する興奮神経を抑制する PV神経細胞を遺伝学的に抑える実験を行うと、興奮神経の興奮が高まるとともに、周りの PV神経で BMP2依存的遺伝子発現が高まる。すなわち、興奮神経と抑制神経のバランスが BMP2により調節されていることがわかった。
次に PV神経で BMP2に反応するシグナルについて調べ、主に SMAD1 が働いていること、そしてマウス新皮質では、239種類の遺伝子に SMAD1 の調節を受けていることを明らかにしている。
さらにこれらのシグナルの機能的役割を調べるため、皮質上層部の興奮神経で BMP2遺伝子をノックアウトすると、PV神経とのシナプス数が低下すること、また PV神経で SMAD1 をノックアウトすると、シナプス結合が半分近くに減少し、興奮神経の発火が高まることを示している。
このような神経学的以上の結果、PV神経で SMAD1 が欠損すると、てんかん様の発作が見られる。このように興奮神経と抑制神経間の BMPシグナルが欠損する結果、脳へ電気刺激を与えたとき、PV神経の興奮が低下し、その結果として抑制シナプス形成が低下する結果、興奮神経はより興奮しやすくなる。ただ、これは遺伝子異常を誘導した場合で、正常では興奮神経興奮により、PV神経が BMP 刺激を受け、その結果として転写プログラムが変わり、興奮神経へのシナプスが強化されることで、フィードバックループが形成されることになる。
通常神経のフィードバックループというと、神経興奮直後に誘導される転写因子により誘導されるシナプス変化を指すことが多いが、BMP のように遅い時間レベルでシナプスの再プログラムが起こることで、興奮と抑制のバランスの維持を確実にしているという今回の結果は、発生プログラムが生後も神経機能維持に働き続けていることを明らかにした。今後てんかんなどの研究にも重要な指摘ではないかと思う。
2024年4月21日
メディアではギャンブル依存症が水原通訳の事件との絡みで大きくクローズアップされているが、ギャンブルでも、薬物でも、依存症はドーパミンを主な神経伝達物質とする、報酬/快楽システムが関わっていることは広く知られている。ただ、このシステムは中毒でクローズアップされるが、実際に私たちが生きていくためのモティベーションに関わる基本回路で、食欲や渇きもこのシステムが関与している。
今日紹介するロックフェラー大学からの論文は、薬物中毒が本来の食欲などに影響を及ぼすメカニズムを調べた研究で、4月19日号 Science に掲載された。タイトルは「Drugs of abuse hijack a mesolimbic pathway that processes homeostatic need(薬物中毒は正常のホメオスタシスに必要な中脳辺縁系をハイジャックする)」だ。
この研究ではコカインとモルフィネに対する中毒について調べているが、原理は同じであること、モルフィネの場合少し複雑な回路になるので、今日はコカイン中毒の結果に絞って紹介する。
この研究で着目したのは、コカイン中毒に陥ると、正常の食欲や渇きが欠損してしまうという現象で、中毒により正常の報酬/快楽回路が傷害されていることを強く示唆する。事実マウスにコカインを投与すると、空腹時の食欲が強く抑制される。このとき活動する神経領域を調べると、報酬回路の中心でドーパミンを放出することで知られる側座核に反応が見られ、この神経細胞を特異的に抑制すると、コカインによる食欲抑制を抑えることができる。
側座核で、コカイン投与時に興奮する細胞を、空腹時に興奮する細胞と比較すると、コカインだけに反応する細胞はほんの少しで、ほとんどが食欲により興奮する側座各細胞とオーバーラップしている。また同じ細胞も、コカイン刺激の方が強い反応を示す。以上のことから、コカイン投与で正常の食欲が失われるのは、食という基本的なホメオスターシスに関わる快楽細胞がコカイン刺激でハイジャックされ正常反応が消失するためであることがわかった。
この領域にはドーパミンに反応する2種類の受容体D1とD2発現神経が存在し、食欲には両方関わっているが、D1は快楽の方、D2は嫌悪の方に関わる。コカインに対する反応を見ると、快楽に関わるD1の方が強く刺激され、D2の方の反応は低いことがわかった。
このコカイン反応性D1神経は、繰り返す投与で閾値が変化し、コカインをやめた後もコカインにより感受性が高く、正常の食欲には反応しなくなる。このときの神経変化に関わる分子回路を探索するため、コカインに反応した細胞を Fos 発現で特定し、これが発現している遺伝子を探索し、コカインでも、モルフィネでも同様に発現が上昇する分子として、GTP結合分子で mTOR のリン酸化に関わる Rheb分子を特定する。
最後に、この分子を D1神経でノックアウトすると、コカイン刺激により誘導される多くの遺伝子の発現が抑えられ、同時にコカイン刺激による食欲の抑制が起こらなくなった。
以上が結果で、コカインと食欲で同じ快楽細胞が働いているため、コカインの強い刺激が正常報酬/快楽回路を狂わすのが薬物依存症のメカニズムであることが示された。おそらくギャンブル依存症も同じことだが、おそらくギャンブル依存症のマウスを作成するのは難しそうだ。ギャンブルで食欲が落ちるのか、是非知りたいところだ。