経験論の哲学者ヒュームは、知覚認識(彼の言葉で Impression )が他の impression や記憶と統合され観念(idea)が形成されることを明確に述べていた(https://aasj.jp/news/philosophy/21273)。脳科学が進んだ今、この情報を短期間保持し、観念へと処理する過程を作業記憶過程として扱っている。そして、この統合過程を象徴する現象として、脳波のガンマ波の振幅変化が、他の領域から伝わるテータ波に同調するテータ/ガンマ・位相振幅カプリング(PAC)が注目されてきたが、人間でこの過程を単一神経レベルで調べる研究は簡単ではない。
今日紹介する Cedars-Sinai 医学センターからの論文は、意識を保ったまま行う脳外科手術の際に作業記憶の中心海馬や、扁桃体、そして腹内側前頭前野などに電極を設置し、個々の神経の興奮パターンを調べ、画像の作業記憶が維持されている間に見られる PAC の機能について調べた研究で、4月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Control of working memory by phaseamplitude coupling of human hippocampal neurons(ヒト海馬神経細胞での位相振幅カプリングによる作業記憶調節)」だ。
研究では、画像を1枚、あるいは3枚見せて作業記憶を維持させ、新しく示した画像がその中にあったかを答えさせる、数秒間の作業記憶維持課題を行っているときの各神経細胞の反応を見ている。一つのデータをとるために必要な時間の点からも、脳外科手術時の実験としてよく考えられた実験だ。
研究ではまず PAC を示す神経細胞を探索し、海馬だけでなく、扁桃体、腹内側前頭前野にも存在していることを確認している。
PAC細胞を特定した後、次に PAC細胞自体が作業記憶時の情報統合への関わりを調べている。作業記憶で統合される情報にカテゴリーがあり、例えば顔の認識を行うとき、人間の顔というカテゴリー細胞情報が統合される。作業記憶が成立するとき、写真のカテゴリーに反応する細胞を調べると、海馬では24%がカテゴリーに反応する細胞と特定できる。しかし、反応パターンを解析すると、カテゴリーに対する反応は PAC とは無関係であることがわかる。
では PAC細胞は何か?ここからの解析は様々な情報処理技術が組み合わさった複雑な解析になり、詳細を完全に理解しているわけではない。ただわかりやすく言ってしまうと、PAC はそれ自身はカテゴリー細胞ではないが、前頭葉から来るテータ波とカプリングして、この性質を周りのカテゴリー細胞に伝達することで、ノイズを減らし、記憶の確実性を高めていることが明らかになった。
すなわち、PAC は結合した回路レベルというより、海馬の局所に存在する協調的に連携した細胞集団が、全体として前頭葉からの情報へカプリングする過程を反映していると結論している。そして、感覚器からのインプットをトップダウンに制御する過程はすべからくこのような神経集団の調節で行われていると結論している。
海馬での協調的な神経集団がどう結合しているかシナプスレベルの解析ができないので、ここは動物でスパインの活動を調べて、本当に周りの細胞同士がアンサンブルを形成しているかを知る必要があるだろう。しかし、なんといっても人間の脳でこれだけのことができることに驚く。脳外科手術時に脳神経反応を調べたパイオニアはカナダのペンフィールドだが、脳の活動を人工知能を駆使して調べるようになるとは想像もしなかっただろう。しかし、このような統合の集団体制の原理を知ることで、さらにレベルの高い人工知能設計へ進めるのではないだろうか。