アルファベットを使う言語圏では失読症すなわち文字を読むことが難しい子供は、おそらく我が国の2倍に達するとされている。同じ子供でも習う文字の違いによりこれだけの差が出るということは、アルファベットを読めるようになることは脳に大きな変化を強いることを意味する。確かに毎日アルファベットで書かれた文献を読んでいると、日本語より高い注意力が必要だと感じる。単語をピックアップして読み飛ばすことが意外と難しい。実際失読症と注意力障害は一定程度オーバーラップすることも知られている。
今日紹介するオランダにあるマックスプランク心理言語学研究所からの論文は、UKバイオバンクのデータを使って失読症と相関する遺伝子を脳画像へのマッピングを試みた研究で、12月18日 Science Advances に掲載された。タイトルは「Distinct impact modes of polygenic disposition to dyslexia in the adult brain(失読症の成人脳に対する多遺伝子要因の異なるインパクト)」だ。
これまで失読症を脳画像から調べる研究は行われており、左脳の様々な領域の関与が示唆されていたが、決定的な結果はほとんど得られていなかったようだ。失読症には少なくとも35種類の遺伝子多型が関係するという研究もあり、様々な要因で起こってくることを考えると、失読症という診断名だけで脳の構造との相関を調べようとしても多様性が大きすぎて簡単でないと考えられる。
そこでこの研究ではUKバイオバンクに登録され、ゲノム検査とともに詳しい脳画像検査が行われている331695人の失読症と診断された成人と、正常35231人を対象に、まず失語症と相関するとされている遺伝子リスクを積算した多遺伝子リスクスコアを指標に脳画像との相関を調べている。こうすることで、より安定的な脳の状態を対象にすることが可能になる。
こうして見えてきた多遺伝子リスクスコア(PGS)と相関する脳の領域は驚くほど広範にわたっており、内壁から側頭及び前頭脳皮質に連続的につながり運動野でピークに達する領域の大きさの変化が見られるというのは、例えば注意障害などの広がりとは比べものにならない。すなわち、失読症は脳全体が関わる複雑な状態であることがわかる。
次にリスク算定の基礎になった個々の多型を脳画像にマッピングすると、PGSとは全くことなり、より局在したパターンが見えてくる。このパターンは10種類に分類でき、それぞれのパターンと相関する多型及びそれとリンクする遺伝子が特定できる。それぞれの意義については割愛するが、例えば BCL11L 遺伝子のように遺伝子変異が言語能力に影響することが知られている遺伝子やNEURODのように神経文化に直接関わることが知られている遺伝子も含まれる。
詳細は省くが、このバンクには脳の構造だけでなくテンソル法で調べた神経結合についても調べられており、失読症のPGSで低下する部位が特定されているが、同じ部位が注意障害のPGSと相関し、また新しい問題に対応する流動的知性にかかわる部位とのオーバーラップが特定され、失語症を形成する際の脳機能についても新しいヒントが得られている。
以上、失語症に関わる個々の遺伝子や機能を脳画像とマッピングすると、様々な領域が特異的に相関することが明らかにできることから、失読症を理解するには各領域の遺伝子の機能を理解した上でそれを統合する方法を発見することが重要であることがわかる。
人間の言語は音以外の物理性がないことが最大の特徴だが、それに物理性を与えて記録として使える様にしたのが文字だ。この新しい課題を今のような文字を習う方法で個人に解決を強いていいのかどうか、是非脳研究で明らかにしてほしい。